小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第三十三手 こころのありよう

 

 なんで、こんなことになってるんだろう。

 

「えぇぇか、坊主、東京のもんはなぁ、福島の人間を頑固だなんだと言いやがるが、なんも分かっとらん」

 

「……松永七段、そのお話今日もう三度目です」

 

「あぁ……? そうだったか? まぁええから聞け。福島魂っていうのは……」

 

「七段、今度こそ最後まで話してくださいよ。お孫さんの話とか、昨日の野球の話とかに飛ばないで下さいよ。あと、そろそろ飲み過ぎでは……」

 

「これは、俺の酒だ!」

 

「僕は飲めませんし、取りはしませんよ。これはもう空なんですっ!」

 

 空の瓶を下げようとした僕の手を払って、威嚇する松永さんに溜め息をつきながら答えた。

 

 本当になんでこんなことになっているのか……。

 いや、答えは分かっている。

 うまく断れず捕まってしまった僕も悪い。

 

 

 

 

 今日は今年度に入ってから最初の順位戦だった。

 C級1組で僕は今年度も全10戦を戦う。

 来年度B級2組へ昇級する枠は2枠。10戦全勝に限り文句なしで昇級、あとは成績による順位で決まる。

 C級は人数が多いし、昇級したばかりの者は与えられる最初の順位が低いため、9勝1敗などの成績で並ぶと不利だ。

 一期抜けを狙うなら、一敗が命取りになる。

 

 というわけで、気合いをいれて臨んだ一局目の相手が松永正一七段だった。

 還暦が迫る大先輩の棋士。

 

 ……前回の記憶でも、色々あって大変記憶にのこっている方だった。

 今回もどうなることかと思っていたら、それはもうある意味では興味深い対局だったと言える。

 

 82手目で松永七段の投了だった。

 ハッキリいって完勝だったと思う。

 松永七段の棋風は自由すぎるというか……もっというと、行き当たりばったり過ぎて、意図を想像することすら難しい。

 ある程度相手の思考をなぞれる身としては、これも稀で珍しいこと。

 順位戦は持ち時間が長い対局で当然それをギリギリまで使って指しあうのが普通だが、僕は結局合計で1時間も使用してない。

 おかげで本来なら、日が暮れてから終わることが多い順位戦なのに、今はまだしっかり日が差し込んでいるほどだ。

 

 松永さんが乗り気じゃないのでほとんど、形だけのものになってしまったけれど感想戦も終わらせて、今日は少し早く帰って料理の作り置きでもしようと席を立とうとしたときだった。

 

「飯……」

 

「はい?」

 

 ボソッとつぶやかれた言葉をまさかと思って聞き流そうとした。

 

「飯、いくぞ! こんな日は飲まんとやってられん」

 

「えっ……。それって僕もですか……?」

 

「こんな時間に捕まるのお前しかおらん!」

 

 そりゃあそうでしょうとも……。

 でもそれは僕のせいじゃないんだけどなぁ……。

 

 結局流されるままに食事に行き、何故かまたうなぎをたかられた。

 もうこの際だからと、僕も良いやつ注文して食べるくらいには、開き直る。

 ウナギは高いだけあって、流石に美味しかった。

 

 お酒をたのんで、いい気分になってる松永さんの相手を一応する。

 もっとも酔っ払いがしゃべることなんて半分も信用ならないことは分かっているし、あっちこっちに飛ぶ話は支離滅裂で、でもそれが少し面白かった。

 今はお酒は飲めないけど、前はそれなりに嗜んで、前夜祭やら就任式やら、イベントごとで色々な人の相手もしてきた。

 あの時とちがって、酔っ払いへの耐性は少しはある。

 

「よーし坊主、次はわしが奢ってやる。そばだ。そば食べに行くぞ」

 

「有り難うございます。値段全然違いますけどね……」

 

「今日はおまえさんが勝ったんだから、これくらいはいいだろ」

 

 まだうっすらと明るい日暮れ道を、千鳥足で歩いていく松永七段の背中をみながら、仕方ないなぁと少しだけ笑いそうになった。

 よく食べるなぁと思う。それに良くしゃべる。力の抜き方も良く知っている。

 この年まで、ご健勝で現役としてやれている秘訣かもしれない。

 

 それと少しだけ嬉しかった。

 僕にご飯をご馳走してくれる棋士の方は、沢山いるけれど、おごれなんて言って来たのはこの人が初だ。

 対等……とまで思ってくれてるかは分からないけど、一端の棋士として見てくれてる……なんて考えすぎかな。

 

 

 

 入った蕎麦屋は松永さんの常連の店みたいだった。

 注文は僕にしかとらなくて、松永さんはいつものですね、と声を掛けられていた。

 

 前のお店で飲んだお酒が少し抜けてきた様子の松永さんは、蕎麦をすすりながらポツリと言った。

 

「おまえさん、年はいくつだっけ?」

 

「13歳ですけど……」

 

「わしの孫とそんな変わらんなぁ」

 

「え、お孫さんまだ……赤ちゃんですよね?」

 

「赤子と変わらんよ。まっさらで、純粋で、何にでもなれる。おまけに、史上初の小学生プロ。去年のほぼ無敗といっていい成績。世間の話題を一身に集める才能の塊。わしとは違いすぎて、もはや嫉妬する気持ちもわかんわ」

 

 ふんっと鼻を鳴らしながらこちらを見た後、松永さんはお茶を一口飲んで、

 

「ただなぁ……お前さん、ちょっと生き急いどるような気もする」

 

 しみじみとそう呟いた。

 

「僕が……ですか?」

 

 思わず聞き返した言葉に、うん。と何でもないように頷かれた。

 

「わしだったら息すらもしにくいだろう。期待、羨望、注目されるってことはそういう事だ。才能だとも言われてるが、それだけじゃないのは指しゃ分かる」

 

 これでも一応、何十年と将棋を指してきたからな。と言われた。

 

「おまえさんはちょっと出来過ぎだ。インタビューも模範解答。今じゃ家の事もぜーんぶやっとるって話だ。わしなんかここ何十年、家事には関わったこともない!」

 

 そこは、関わろうよと思ったけれど、口には出さなかった。

 

「将棋以外の事で、夢中になること、考えることはちゃんとあるか?」

 

「……あ、ありますよ」

 

 でも、とっさに僕は出てこなかった。

 現にここ数日はこの対局の事ばかり考えていたから。

 

「み、三日前にキャットフードが無くなりそうで、次はどのメーカーのにしようか小一時間考えてました」

 

 将棋以外で悩んだことと言われて、とっさにそのことを思いだしたけど、これはないと言った瞬間自分でも思った。

 

「やっと出て来た答えがそれかい、くっ、ぶっはは……」

 

 松永さんは僕の言葉に爆笑して、挙げ句の果てにはむせるほどの勢いだった。

 

「はぁ……それもまぁいいがなぁ……。そういう家事や生活の一環みたいなんじゃなくて、ほれ今時の子だったらゲームとかテレビとかなんか他に夢中になっとるもんとか、後は友人の事とか、好きな人の事とか普通はもっとあるだろう」

 

 呆れたようにそういう松永さんに、ゲームやテレビに興味は全くないし……と言葉に詰まる。

 結局僕は、将棋しかない。

 あ、でも一つだけ思い出した……。

 

「先月、進学祝いにってお世話になってる方が家に遊びに来てくれて、一緒に料理を作って、色々話したんですが……その時一日は、将棋の事ほとんど考えなかった気がします」

 

 あの日は朝からずっと、二人が来ることだけを考えていた。

 料理を作る時も、話すときも、将棋の話題になったことはあったけど、目的は二人にそれを話して聞かせることだったから。

 

「ほぉ……ちゃんと友達おったんだな」

 

 その呟きに、心の中で余計なお世話ですよ、と悪態をつく。

 ひなちゃんやあかりさんは友達というにはちょっと違う気もするけど、だからと言って他に表せる言葉が無い。

 

「そういうのをもっと大事にした方が良い。将棋なんてこの先何十年もどうせするんだ。おまえさんなら、そのうちタイトルだってとるだろ。

 けどな、貴重だぞ。学生でいられる期間は」

 

「貴重……」

 

「そうさ、何十年という人生の中でたった数年だ。学生だから許されること、出来ること、限られた時間だからこそ価値があること、先が短い年寄りには羨ましい限りだ。

 ま、とにかくそんなに急ぎなさんな。わしからしてみりゃぁお前さんらは将棋に取りつかれとるように見える。……そこまでせんと、いかんのかね」

 

 それから、わしが学生のときはなぁという、ホントかどうか怪しいような松永さんの想い出にただ相槌を打ち続けた。

 

 ちゃんとお店をでるときには、蕎麦を奢ってくれた。

 

 帰り際に、なぜか無性に悔しそうに、色紙をつき出されて娘さん宛のサインを要求された。

 ぎりぎりまで言い出さないけれど、貰って帰らないという選択肢がないところが松永さんらしい。

 帰路につきながら、最後の言葉がずっと頭の中で反響していた。

 松永さんが複数形にして、僕と誰を指しているのかは分からなかった。

 A級棋士たち? 宗谷名人? あるいは前線で戦っている全ての棋士を指したのかもしれない。

 

 でも、それくらいしないと届かないのだ。

 全てを捧げて、人生をかけて、それでもまだ足りなかったような気がする。

 タイトルを獲得することか、残される棋譜か、あるいはその歴史、将棋を指すという行為そのものに魅せられてしまった。

その時点で、僕はもうこの道を進むしかない。

 

 

 


 

 5月末。

 僕のMHK杯の放映がそろそろらしい。

 

 本戦は棋士49名と女流棋士1名の計50名が出場するこのトーナメントは、テレビスタジオで収録され、その模様が毎年4月から毎週1局ずつ放送される。

 2月の予選を勝ち抜いていたので、僕も本戦出場者の一人である。

 

 当然撮影した時に、対局の結果は分かっているけれど、放映されるまでその内容に関しては、他所に漏らしてはいけない。テレビで流れる前に勝敗が分かっているなんて、つまらないだろう。

 放映時間内に収めるために、対局は早指しといわれるタイプになる。

 持ち時間は各10分で、それを使い切ると1手30秒未満となる。ただし、秒読みに入ってから1分単位で合計10回の考慮時間をそれぞれ使用できる。これはこのトーナメント独特のものだ。

 いつ使うのか、たった数分のその選択がとても重要になる。

 

 スタジオという独特の雰囲気と、その短い時間ということで、最初はあがったり緊張したりもするらしいけど、何十回と指してきた記憶があったので、雰囲気にのまれることは無かったと思う。

 

 とは言っても、自分の指してる姿を見るのは少し気恥ずかしいし……、対局の内容は棋譜をみれば振り返れるから放送を見る気はなかった。

 川本家の方々は録画するとか言ってたし、林田先生も絶対見るって言っていたけど、僕は絶対に見ない!

 


 

 [桐山くんのMHK杯初戦だな]

 

 [絶対この回視聴率いいだろ]

 

 [やった! 解説は横溝先生じゃん。俺この人の解説大好き]

 

 [解説はいい人引っ張って来ないと]

 

 [此処勝負どころだから、将棋界の広報的にも]

 

 [相手は……安井六段か中堅ってところかなぁ]

 

 [あんまりタイトル戦の本戦とかじゃ、聞かない名前だな]

 

 [若手の頃はそれなりに出てたけど、今はちょっと停滞気味だね]

 

 [俺としては桐山くんの早指しに注目したい]

 

 [朝日杯よりも持ち時間すくないけど、あの時の宗谷戦をみるに苦手ではないな]

 

 [若手は大体得意でしょ早指し]

 

 [天才肌ほど得意でもある]

 

 [直感とかなんか思考以外で分かることあるらしいからなぁ]

 

 [凡人には分からない感覚]

 

 [お! 桐山くんたち映った]

 

 [駒を並べる映像に合わせて対局者の紹介があるんだよな~]

 

 [これが好き]

 

 [てか、桐山五段のプロフィール豪華すぎ]

 

 [奨励会入会した年とプロデビューの年が近すぎて間違いかと思う]

 

 [連勝記録もなー去年そうとう話題になったし外せない]

 

 [デビューの年で朝日杯べスト4だったしな]

 

 [将棋大賞の記録部門四冠……とか何事]

 

 [そんで一期抜けで今五段と]

 

 [そうかー桐山くんはMHK杯四段ででることはなかったんだな……]

 

 [2月の予選のときはまだ四段だったけど、映像ないしな]

 

 [初参戦ながら、大注目の棋士ですねっていう解説横溝先生の締めくくりよ]

 

 [注目どころか俺かしたら、大本命ですが]

 

 [……この後に紹介される安井六段が可哀想です]

 

 [それを、言うたらあかん]

 

 [今日の桐山くんは中学校の制服だね]

 

 [俺、初見だわ中学の制服]

 

 [学ラン似合ってる]

 

 [こうやって見ると大きくなったなぁと思う]

 

 [袖すこし長めだね、全体的に大き目?]

 

 [ちょっと大き目買うとか庶民的]

 

 [記録係してるころから見てるとなぁ感慨深い]

 

 [立派になって……]

 

 [桐山五段の保護者多すぎw]

 

 [解説者の紹介のあとは、対局者の意気込みなわけだが]

 

 [桐山五段ほんとに初参戦? ってレベル]

 

 [インタビュー完璧すぎる]

 

 [流れるようにしゃべる]

 

 [噛んだりとかしても、可愛いのに……]

 

 [目が泳いだり、ちょっと視線をずらす棋士も多い中ちゃんとカメラ目線]

 

 [皆さんも見ていて楽しい対局にできたらと思います+笑顔]

 

 [もうこれだけで、充分です]

 

 [癒やされる]

 

 [あぁぁ浄化される]

 

 [日曜日の朝からええもん見たわ]

 

 [これは……またファンが増えるな]

 

      ・

      ・

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      ・

      ・

 

 [最初は角換わりだな]

 

 [MHK杯はサクサク進む]

 

 [桐山五段、手綺麗だなぁ]

 

 [ちょっとまだ小さいけど指長いよね]

 

 [駒音もいい]

 

 [カメラの性能がやっぱりいいから、アップ綺麗だし]

 

 [真剣な横顔]

 

 [将棋指してると雰囲気ちがうんだよなぁ]

 

 [うん……なんかやっぱりちょっと神聖なかんじする]

 

 [オーラが出てるよ]

 

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 [もう、中盤だけど桐山くん全く時間使わないね]

 

 [考慮時間必要ないってか]

 

 [指し筋に迷いが無い]

 

 [全部30秒未満で指してるから減らん]

 

 [安井六段これは厳しいな]

 

 [うーむここまで正直いいとこない]

 

 [終始桐山くんペース]

 

 [なんかもう指してる姿からして余裕が感じられる]

 

 [わかる……凛としてる感じ好き]

 

 [背筋伸びてるよなぁ]

 

 [宗谷戦の時はもうちょっと前のめりになったり、腕を組んだりとかあったんだけどな]

 

 [もともと綺麗な姿勢で指す子ではある]

 

 [あっちゃ……これは……ちょっと]

 

 [んー安井六段これは無いんじゃ?]

 

 [ちょwこれw桐山五段むせてない?]

 

 [むせてるw]

 

 [ひっしで堪えてるけど、変なとこ入ったぽい]

 

 [ちょうどお茶のもうとしたとこだったのか]

 

 [あーあー]

 

 [ハンカチ取り出して拭いてるところに、育ちの良さがみえるな]

 

 [悲報:桐山五段、相手の失着にむせてこれまで使ってこなかった考慮時間のうちの1分を使用……]

 

 [ひーこれはw笑っちゃだめなんだろうけど笑える]

 

 [横溝さんの解説もやばい、ある意味で衝撃的な手だってw]

 

 [けっか桐山くんに考慮時間を使わせたのは評価できる]

 

 [むしろそこだけしかない]

 

 [いったいどれくらい「無い手」だったのかは、この反応で一目瞭然に……]

 

      ・

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 [87手目で安井六段の投了―]

 

  [888888888888]

 

 [888888]

 

 [桐山五段2回戦進出おめでとう]

 

 [88888888]

 

 [安井六段もお疲れ様です]

 

 [やりにくい相手だったとおもう]

 

 [流石だわ。完勝だねこれは]

 

 [あの一手からはもうあっという間だったな]

 

 [結局使った考慮時間は1分だけ?]

 

 [88888888]

 

 [うん。あの一分だけw]

 

 [横溝さんの解説の合いの手もあって面白かったな]

 

 [実質使ってないようなもん]

 

 [さてさて、感想戦ですよ]

 

 [お? 感想戦するの?]

 

 [そりゃ時間余ってるし]

 

 [この感想戦のときに解説者も一緒になってしてくれるのすき]

 

 [ちょ、横溝さんw]

 

 [桐山くんに制服に零れなかったって聞くの止めてw]

 

 [ちゃんと声ひろってるぞw]

 

 [大丈夫ですってちょっと俯き加減で答えるの可愛い]

 

 [あ、桐山くんやっとちょっと笑った]

 

 [おーほんとだ、横溝先生とは仲良いのかな?]

 

 [若手だからなーお互い]

 

 [桐山五段今時珍しいくらいはっきりしゃべるなぁ声が良く聞こえる]

 

 [対して安井六段はぼそぼそだから聞き取りづらい……]

 

 [こういう棋士の方が多いけどなぁ]

 

 [桐山五段の声まだちょっと高いな]

 

 [声変わりはまだってことか]

 

 [そろそろじゃね]

 

      ・

      ・

      ・

      ・

      ・


 

 欠席届を提出するために寄った放課後の職員室で、僕は林田先生にひとしきりからかわれた。

 MHK杯杯将棋の内容はとても良かったらしいけれど、お茶にむせたのは相当話題を呼んでいたらしい。

 ……そんなに面白いものでもなかったと思うんだけど。

 将棋自体には興味はないけれど、僕自身だったりその記録に付加価値を見出してる人向けの番組などで、いわゆるネタになるとして取り上げられたそうだ。

 ネットの中継ではもう何度も映っていたけど、中学校の制服姿で将棋を指しているところが、公共のテレビに流れたのはこれが初のことで、その点でも話題を呼んでいるらしい。

 クラスのみんなにも、見たよと声を掛けられたし、将棋は分からないけど桐山くんがとても強いのは解説があったから良く分かったなんて言われて、気恥ずかしさを感じた。

 横溝さんは相当しゃべりが上手だ。会長の采配は大当たりと言っていいだろう。

 

 青木くんからも久々にメールがあったほどだ。施設でもリアルタイムで観たらしい。

 日曜日の朝は戦隊もののアニメとかに枠をとられるだろうに……わざわざ僕の対局をみなくても……と思ったのだけれど、満場一致だったそうだ。

 皆元気だろうか、また遊びに行きたいなぁとそう思った。

 

 林田先生は、用がすんだから帰宅しようとした僕を呼び止めて、一つ確認をした。

 

「部活……ですか?」

 

「うん。一応うちの学校、中等部は何部かに所属するのが決まりなんだ。……まぁ、特例が無いわけでもないし、桐山には無理にとは言わん」

 

 忙しいのは俺も良く分かってるからと、そう続けられた先生の言葉に僕はすぐには返答できなかった。

 何処にも入部せずに終わらせた方が楽だ。

 放課後の時間だって研究にあてたい。

 そのはずなのに、なぜか勿体無い気がして、断ろうとした口をつぐんでしまった。

 これも、今しか出来ない事の一つなのではないかと思ったら、将棋があるからと考えもせずに切り捨てるのは違う気がした。

 

「……文化部で、人も少なくて、毎日活動があるわけじゃなくて、僕がたまに顔を出すのを許してくれるような、そんな部活ってありますか?」

 

 そんな都合の良い部活、あるわけないよなと思いながらも、思わず聞いてしまった。

 林田先生は少しだけ意外そうな顔をしたあと、真剣に考え込む。

 

「文化部ね……。あぁ! 一つあったぞ。今年入学した一年生で新設された部だ。認可がおりるギリギリの人数で、一年ばっかりだから桐山が休んでもそんな問題もないだろ」

 

 一度見学してみるか? と問われて気が付けば頷いていた。

 

「今日はたしか活動日だったとおもうから、これから行くか」

 

「あの、なんていう部活何ですか?」

 

「ん? 放課後理科クラブ。ちなみに顧問はオレな」

 

 丁度、中学に移動して部活もっていないところ狙われて断れなかったという先生の背中を追いかけながら、僕はその聞き覚えのある部活名に驚いていた。

 

「あの、もしかして……部長って」

 

「桐山も知ってんじゃね? うちのクラスの野口だよ」

 

「あ、はい。野口せ……野口くんには、休んだ時のノートを見せて貰ったりしてとてもお世話になってます。色々と助けてくれる、よく気が付く方ですよね」

 

 危ない。うっかり野口先輩って言いそうになった。

 授業が始まってから、最初の対局で授業を欠席した日の翌日、野口先輩はノートのコピーがいるかと聞いてくれた。ついでにどの教科がどれほど進んだのかも丁寧に教えてくれた。

 席が近かったわけでもない。

 入学式以降特別に声をかけていたわけでもない。

 ただ、頑張っているクラスメイトを応援するのは当然と言った風だった。

 変わらない彼の人柄が、懐かしく嬉しかったのを覚えている。

 

「なーあいつ、桐山とも別の意味で中一にみえないわ」

 

 でも、だからこそお前とは合いそうな気がすると先生は小さくつぶやいた。

 この人はいつも、僕のこともそうだけれど、生徒の事をよく見ていてくれている。

 

「おーい、野口ー、入部希望の見学者つれて来たぞ」

 

 ドアをあけた先生の言葉に中に居た数人が一斉にこちらを見た。

 

「これはこれは、桐山くんようこそいらっしゃいました」

 

 振り返った野口先輩は、穏やかに笑った。

 ビーカーを片手に白衣を着ている見覚えがありすぎるその姿と、深く柔らかいその声は、高校生のとき初めて放科部を訪れたときの彼と重なった。

 

 放課後理科クラブの方針はまだ固まっていないようだったけれど、危ない薬品とかは使わせてもらえないので、簡単なもので日常生活に役立つ身近な科学をって感じだった。

 まんま、前回の記憶と重なる。

 そのうちまた学校で自給自足は可能か……みたいな論文を書きだすんだろうか。

 皆さんとても楽しそうだった。

 近くの椅子で実験の様子を眺めていた僕は小さく呟く。

 

「なんか、いいなぁ……」

 

 無意識に零れたその言葉を、しっかりと拾っていた野口先輩がどうされましたか? と僕の傍にやってきた。

「皆さんとっても楽しそうに部活をされてて、こういうのがまさに青春って感じなのかなって思いまして」

 何気ない風を装って言ってみたけれど、隠しきれない羨望が滲んだ。

 

「でしたら、桐山くんも青春の一ページに、今この瞬間を加えたことになりますな」

 

「え? 僕もですか?」

 

「無論ですとも! 今はまだ見学者という事ですが、それでも今日一日は我ら放科部の一員ですよ。もし、本当に所属してくれるのであれば、これからもっと信頼を結んで、我々とともに青春を謳歌してくれればと思いますがな」

 

 あぁ……そうか。こういう人だ。

 大きな懐で、自然とほしい言葉をくれる。ふとしたときに頼ってしまいたくなるような。こういう方だった。

 

「しかし、少々意外ではありました。……桐山くんは多忙な身の上。部活動はしないという選択肢を選ばれるのではないかと」

 

 本当はそのつもりだった。

 前回だってそうした。中学の頃は考えもしなかった部活に入ろうだなんて。

 奨励会を抜けたい。

 早くプロにならなければいけない。

 それしか頭になかった僕は、放課後のわずかな時間を将棋以外に割く余裕はとてもなかったから。

 

「ある人に言われたんです。急ぎすぎだ、学生の特権をもっと享受しろって。その言葉を聞いても、結局僕には将棋が一番で、それを譲りたくなくて……。でも少しだけ勿体無い気もして」

 

 選択肢は無いはずなのに、松永さんの言葉は思った以上に僕の中に残っていた。

 二回目だ。折角二度目のチャンスを与えられて、沢山の後悔に全力でぶつかって少しは、自分を好きになれてきた。

 将棋以外のことだって、前出来なかったことをしてもいんじゃないかって。

 そんな風にぐるぐると考えてしまった。そして気が付けばここに来てしまっていた。

 

「それで良いのではないですか? 桐山くんの心の在り方は貴方自身が定めるもの。

 私にはその悩みも、充分に今しか出来ない学生の特権に見えます」

 

 心底不思議そうに野口先輩はそう言った。

 驚いてしまった僕は、パッと顔をあげて、隣に立つ彼を見上げる。

 

「一般的に、将来やこの先の展望に悩みだす年齢でしょうが、貴方の場合はそれが早かった。素晴らしいことではないですか、一生かけても見つからない人もいる。私だってまだ見つけていません」

 

 何においても譲れない、生涯をかけたいと思えるような道を既に定めている、それが一番なのは当然だと、そう言われた。

 

「でも、失礼じゃないですか? 皆さんは真剣にこの部活に取り組んでる。僕とは熱意が違ってくる」

 

「誰が何に、どれだけ気持ちを割くのか。それこそ人の自由でありましょう。将棋から離れた僅かな時間でもいいではないですか。私は、桐山くんが興味を持ってくれたのがまず嬉しい。もし楽しいと思えてくれたら、我々はもっと嬉しい。貴方の人生の部活という時間を共有できることは、光栄なことです」

 

 それを是とするか否かは、貴方自身の心が決めることですがね。と彼は眼鏡の奥のその瞳を緩めた。

 

 心の内に染み入るような言葉だった。

 なんて、贅沢なんだろう。

 将棋が一番で当然だと許されたうえで、もっと気楽に考えて良いのだと、そう背中を押された。

 難しく考えすぎていたのかもしれない。

 何もかも、全部手に入るわけではない。

 でも、少しくらい欲張ってもいいのだ。

 選択肢を狭めていたのは、僕自身だった。

 

「入部届出しても良いですか?」

 

「勿論ですとも! ともに青春を謳歌しましょうぞ」

 

 野口先輩は、力強く頷いて、両手を広げて歓迎してくれた。

 

「有り難うございます。野口先輩!」

 

 感激した気持ちそのままに、お礼を言い、しまったと思ったときには時既に遅し。

 しっかりと先輩と呼びかけてしまっていた。

 

「桐山くん、私は――」

 

 嬉しそうに、少し困惑したように何かを言おうとした野口先輩の言葉を、周りにいた人達が遮る。

 

「やっぱり! そう言いたくなるよね」

 

「僕なんて野口先生って声かけちゃたよ……」

 

「このオーラ、年長者の貫録を感じずにはいられません」

 

 他の一年生が次々にそう同意をしてくれて、僕は思わず一緒になって笑ってしまった。

 そして、野口先輩のあだ名は本当に“野口先輩”になってしまった。

 これで、呼び間違える心配もない。

 ノートのお礼を言うたびに、野口くんと呼びかけるのにずっと違和感があったから。

 

 桐山くんが入部するなら、折角だから将棋にも触れてみたい、もっというなら自分たちもやってみたいという声があがって、あれよあれよという間に、僕の入部に伴って放課後理科クラブは、放課後将棋科学部、略して将科部に改名されていた。

 

 やっぱり、この人たちと過ごせる時間はいいなぁ。

 皆と部活が出来る時間は、きっと掛け替えのない価値を持つ。

 たとえ、それが将棋にかけた時間の何十分の一だったとしても、この時は確かに僕の人生に刻まれるのだ。

 

 

 

 

 

 




松永さんは、原作2巻のセリフが重すぎて、気に入っているキャラのお一人です。
ただ、あの人なら中学生にだろうが、鰻はおごらせそうだなって思いました笑
野口先輩は、先輩じゃないけど、先輩って呼びたいし、あだ名が先輩で定着します。
彼も年齢不詳の人格者ですよね。
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