小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第四十手 将棋に魅せられた日

 桐山六段が盛岡にやってくるとそう耳にした時の私の喜びようは凄かった。

 高校の時に部活で県大会に進んだときのように、志望する大学へ合格が決まった時のように、ベクトルは違うけれど、人生の大一番に匹敵するものだっただろう。

 

 

 

 私は、まぁどこにでもいるような女子大生である。美人でもなければ、頭が良いわけでもなく、特筆するほどの特徴はない。同窓会に参加すれば、あぁ……こんな子もいたような、とクラスメイトからおぼろげに思い出される位のものだろう。

 

 父親がサラリーマンの一般家庭で育った。

 今時の学歴社会、大学ぐらいは出ておこうかと、受験勉強も周りに流されるままにそれなりに打ち込んで、地方の国立大学に合格する程度には頑張った。

 コレと言って、学びたいものがあったわけでもなく、専攻は経済学。このまま4年経ってどこかの企業に就職できれば、万々歳である。

 

 憧れだった一人暮らしは、いざやってみるとそこそこ大変だった。

 自分の好きな時間に好きなことをしていられるし、誰に気兼ねなく生活できることは気楽だったけど、炊事、洗濯、掃除、買い出し、ゴミ出し、……生活していくための雑事というものは、想像以上に手間だったのだ。かといって、さぼっても誰もやってはくれない。

 数ヶ月もすれば、それにもなれてきて大学生活なんてこんなものかとそう思った。

 

 高校生の時は、大学生になればもっと劇的になにか変わるような気がしていた。

 けど、そんな簡単な話でもなかったらしい。講義を受けて、サークルに参加して、バイトをして家に帰る。毎日その単調な繰り返しだった。

 

 特に熱心になっている趣味もなかった。

 友人たちのように俳優やアイドルを追いかけることもなければ、アニメや漫画もそれほど詳しいわけでもない、スポーツをしているわけでもなく、サークルもとりあえず付き合いで入ったようなものだった。

 人生最後のモラトリアム。折角の大学生活。本当にこんなものでいいのかと、いつも心の中で誰かにささやかれていた。

 けれど、何を好きになるってそんなに簡単なことじゃないし、作ろうと思ってつくれるものでもない。

 もともと感情の起伏も少ない性格だし、こんなものなのだろうと半分諦めていた。

 

 

 

 逆にはまるときは、一瞬なのだと。そこに理由を見いだすのは無意味なことだと、私は身をもって体験することになる。

 

 

 

 今となっては、何でそのときテレビをつけていたのかも、どうしてその子がそんなに気になったのかも分からない。

 今から一年ほど前のある休日のことだった。朝食を食べるときにつけたテレビでその男の子の特集をしていた。

 その番組をみたことで、私のつまらなかった毎日が変わる。

 

 

 

 名前は桐山零くん。歴代最年少で将棋のプロになり、連勝記録を重ね続けているスーパー小学生。

 最初に思ったのは、え?将棋ってこんなちっちゃい子もするの?っという疑問と、プロって何?ってそんな初歩的なこと。

 私は気がつけば、食事をするのも忘れて番組に見入っていた。

 痛快だったのだ。

 あどけない大人しそうなその子が、私よりも遙かに年上だろうおじさんたちをバッタバッタと倒している。

 小さな手で駒を持ち、私からすればなんでもないようなところに置いていくのに、その一手は解説の人を唸らせる。

 前評判の通りに連勝記録を重ね続けて、歴代の記録に早くも迫ろうとしているなんて、煽られれば、興味を惹かれたのも仕方ないことだったのかもしれない。

 

 

 特集は私のようなド素人向けだったのだろう。

 彼の小学生でプロになるという経歴がどれほど、希有のことなのか、勝ち続けるということが将棋界でどれほど難しいことなのか、わかりやすく教えてくれた。

 天才ってこういう子のことを言うのだろうか、と単純に感心したものだ。

 

 そして、もう少し彼のことを知りたいなって思ったら、そこからはもうドツボだった。

 

 愛されて育ったような雰囲気の子だった。

 きっとおうちの人も熱心に応援してくれて、将棋に打ち込ませてくれてるんだろうなって、何の疑問もなく思い込んでいたから、彼の経歴は衝撃だった。

 

 彼に注目しているメディアは多かったようで、少し調べたらすぐにそれは知れた。

 事故で家族を失って、天涯孤独に。

 親戚は誰も彼を引き取らず、故郷を離れて東京の施設で過ごす。

 寂しさを紛らわすために、父親から教えてもらった将棋に打ち込むうちに、その道を志すように……って、どんだけ波瀾万丈の人生!

 

 え?これって何かのフィクション?もしかして映画とかドラマとかの登場人物の紹介だったのかな、と疑ってしまうレベルだった。

 

 その日私は、彼について片っ端から調べはじめていた。

 インターネットというものは、なんと便利なものだろうか。レポートを書く以外のことで、ここまで活用したことは今までなかったけど。

 

 そして、調べれば調べるほど、興味を引かれた。

 奨励会というプロになりたい人が入る機関での、非凡な記録の数々。

 プロ入り前の番組企画で、将棋界のトップ棋士たちと戦った様子。なんと!名人とまで戦っていたらしいのだ!将棋のことはよくわからなかったけれど、これは凄いことなのだろう。

 上がってる動画も多かった。

 彼は将棋を指してなくて、何か紙に記録をつけているような動画もあった。よくよく調べると、記録係という仕事を奨励会時代にしていたときのものらしい。

 こんな何時間も、座ってじっと記録をつけるなんて暇で退屈そうなのに、時々映る彼の目は楽しそうだった。こんな無邪気な顔もするんだって、なんだか微笑ましいほどに。

 インタビューの記事や、会見の動画もたくさん、たくさん出てきた。彼の人柄を知れば知るほど、惹きつけられる自分がいた。

 

 彼は、現状を悲観することもなくいつも穏やかに笑っていた。

 才能を鼻にかけることなく、とても謙虚だった。

 でも、将棋にかけるプライドと熱意は、その小さな身体に見合わず、大きなものだった。

 大人びて成熟しているように見える一面と、どこか子供らしく未成熟な一面と、そのアンバランスな魅力に目が離せなくなった。

 

 

 

 そう、私はその日、落ちてしまったのだ。

 桐山零というそのプロ棋士の行く末を見守りたいと思ってしまった。

 なんの趣味も持たなかったはずの私は、その日から彼の動向を追い続けることになる。

 

 

 

 

 


 

 彼のことを桐山くんと心の中で呼び始めてから、随分たった。

 桐山くんは本当にすごかった。この一年あまり話題に事欠くことがない。

 歴代連勝記録の更新、朝日杯での躍進、昨年度の将棋大賞部門の総なめ。

 そして今年の夏にはなんとタイトル戦の挑戦者にまでなった。

 夏休みだったこともあって、私はネットの中継にかじりついて、宗谷棋神とのすべての対局を固唾をのんで見守った。

 将棋のド素人だったはずの私が、桐山くんの対局をみるうちに駒の動かし方を覚え、数々の名解説を聞くうちに、ある程度の戦況を見極めれるくらいになった。自分では全く指せないけれど、今流行の観る将って私みたいな人がなるのかも。

 第六局はほんとに素晴らしかった。

 あれだけ9月だったから、大学の講義をすっぽかしてしまったけれど、一日くらい問題ない。

 むしろ、あの一戦を生でみないなんて、そんな選択肢は私の中に存在しなかった。

 

 世間での桐山くんの注目度もすごくて、一年見守り続けた私はすこしだけ嬉しかった。友達のうちの何人かも、いま将棋すごいねなんてランチタイムに言い出すし、ほんの少し彼女たちよりも早く、彼のことを知っていたのが誇らしかった。

 

 桐山くんが新人王をとった時は順当だと思ったし、これでまた宗谷名人との対局が観られるなんて、と単純に喜びを感じていた。

 対局が休日だったらいいなーなんてのんきに思っていた私は、記念対局の日程が出たとき、大学だったのも忘れて思わず、ちいさく悲鳴を上げてしまう羽目になる。

 

 記念対局の場所が岩手だったのだ。今、私が生活している県。

 ここに、桐山くんがやってくる。宗谷名人もやってくる。

 とっても、とっても、近い場所であの二人が対局する。

 どうしようもないほど、胸が高まった。

 

 おまけに会長の気合いの入れ方がすごかった。タイトル戦ばりの扱いである。

 前夜祭まである徹底ぶりで、一般公開と大盤解説までするらしいのだ。

 強かだとは思ったけれど、拝みたくなるくらいナイスな判断だった。

 記念対局の宣伝をするためにわざわざ、CMまで作っていた。テレビで流すのではなく、中継をするネットサイト、つまりwebで流すように作られていたけど、かなり力が入っていたと思う。

 

 

 

 中学の制服を着た桐山君が正門前で振りかえっているカットから始まり、学校で授業を受けているカット、放課後に理科室のようなところで友人たちと活動しているカット、など日常の様子をこれでもかと見せてくれた。

 

 そして、一転。

 

 無音になり、将棋盤がアップで映し出される。駒がバラバラ中央に落とされ、そしてそれを小さなきれいな指が並べていくのだ。

 美しい深藍の着物の袖口から、徐々にカメラのアングルが煽られて、桐山くんの顔が映し出される。

 黒縁眼鏡の奥の翡翠色の瞳は、こちらの背筋が震えるほどまっすぐに盤上を見据えていた。

 徐々に引いていくカメラが対面にいる宗谷名人を捉え、相対する二人の姿は完成された一つの絵画のようですらあった。

 

 最年少棋士が再び、将棋界の頂点と相まみえると最後に入るテロップが見るものの感情を煽ってくる。

 

 私も何度くりかえしみたかわからないほどだった。

 ネットでも随分話題を呼んでいて、動画サイトに転載されるし、SNSで回ってくるほどだった。

 岩手の地方局がこの話題性に目をつけて、将棋連盟と話をつけたのだろう。この地域帯だけテレビで何回か流れたりもした。

 私は、当然CM目当てで録画したし、将棋の事など何も知らない大学の友人まで気がつけば桐山君を知っていてくれた。

 宣伝効果は充分すぎるほどだったのではないだろうか。

 

 

 

 桐山くんの対局を生で観ることができるこの機会を逃すわけがなく。

 前夜祭のチケットから、当日の大盤解説の会場のチケット、おまけに会場となった旅館の一室まで気がつけば押さえてしまっていた。

 もちろん良い旅館だったので、一番安い部屋でもそれなりのお値段だけれど、バイトでためたお金を惜しみなく注いだ。

 

 前夜祭にいくのも、対局を観にいくのも初めてな私は、当日になるまでネットでいろいろ調べまくった。

 手抜かりがあってはいけないし、運営の方々や対局者に失礼があってもいけない。

 それはもう気合いを入れて準備をして、指折り数えてその日を待った。

 

 前夜祭は想像以上に楽しかった。

 一人で乗り込むから少しだけ、心細い気持ちもあったのだけど、そんな気持ちはすぐに吹き飛んでしまう。

 だって、桐山くんが同じ空間にいるんだよ!?宗谷名人と同じ空気が吸えるんだよ!?

 両対局者だけじゃなくて、後藤九段とか島田八段もいらっしゃって私のテンションは上がりっぱなしだった。

 個人的に来ている人もいるから、誰が来ているかは当日にならないと分からないけど、最高の布陣だった。……まぁ誰がいらっしゃっても、私は喜んだかもしれないけど。

 

 立食形式で食事の提供もあったけれど、ご飯なんて目にも入らない。

 この機会を逃してなるものかと、人と波が引いた瞬間やいけそうだと思ったときにフロアにいる棋士の方に握手をしてもらった。

 

 島田さんは気さくだった。握手した後に、写真も良いですかって、聞いたらかわいいお嬢さんとなら喜んでだって!お世辞でも嬉しいし、彼の穏やかな大人の雰囲気に、すっかりやられてしまった。

 ほかにも、松本四段や三角六段といった、知っている棋士の方に声をかけてみる。

 松本四段は、俺のこと知ってるの?と、こっちが驚くくらいの大興奮で三角六段に落ち着けよっと声をかけられていた。

 知っていますとも。桐山くんと同期の貴方を知らないわけがない!おまけに、若い者同士で仲もよいみたいだったから、尚更である。

 

 後藤九段に声をかけるのは少しだけ、勇気が入った。体格ががっしりしていて、顔は評判通り……というか間近でみると、ほんと厳つい。

 でも、桐山くんの応援ちゃんねるとかで、彼と桐山くんのほのぼのエピソードを読んでいたおかげか、それほど怖くはなかった。

 応援してますと私がかけた声に眉を少しだけ動かしたあとに、どうも、と一言うなずいて手を握り返してくれた。

 大きくて、しっかりとした、大人の男の人の手。戦う人の手だった。

 格好いいなぁと素直にそう思った。

 

 ……この手が桐山くんの頭をよく撫でてるんだよな……って想像したら、そのギャップにちょっとだけそわそわしてしまったけど。

 

 

 

 記念対局の前夜祭だからか、珍しいことらしいけどプレゼントの企画もあった。

 入場するときに渡された番号で当選者が呼ばれるらしい。

 この手のことで運がよかったためしがなかった私は、こんな企画まであるんだ、とどこか他人事だった。

 だから、自分の番号が呼ばれたときは何かの間違いだと思ったし、近くにいたお婆さんにコレ、私ですかっ!?と興奮して聞いてしまったほどだ。

 品の良さそうなその方は、あらあらという風に笑って、そうよ貴女の番号よ、と私の背中を押してくれた。

 

 何があたったのかも分からないままに、会場のステージへと慌ててむかった。

 少なからず注目されるわけだから、気合いを入れてお洒落してきて本当によかった。

 

 ステージに上がったとき、桐山くんは珍しいものを見たように目を丸くした。

 若い女性というものがそもそも少ないからかもしれない。

 司会の横溝さんが、当選したプレゼントを紹介してくれる。

 桐山くんの揮毫入りの扇子らしい。

 なんと素晴らしい一品だろうか。

 家宝にする。財布よりも携帯よりも最優先で、絶対に家まで持ち帰らねばと心に決めた。

 しかも、渡してくれるのは桐山くんだ。憧れの人があまりの近くにいるもんだから、すっかり舞い上がってしまった。

 

 おまけに彼は、

 

「お姉さんに、貰ってもらえて嬉しい。今日は来てくれてありがとうございます」

 

 と私にだけ聞こえる声量で、小さく囁いて、ふわっと笑ったのだ。

 

 ……っ、あぁぁぁぁぁぁぁ。

 天使か!天使なのか君は!

 そんな風に笑わないでたまらなくなるからっ!

 社交辞令だって分かってる。

 当たったひと皆に同じように声をかけているのかもしれない。

 でも、それでも、明日世界が終わっても後悔が無いくらいに、嬉しかった。

 

 心の中は、それはもう嵐のような荒れっぷりだったけれど、グッとすべてを飲み込んで、桐山くんの手から扇子を受け取って、自分史上最高の笑顔で、明日の対局を楽しみにしています、と笑いかけた。

 

 そして、握手しようと差し出してくれた彼の手をそっと握る。

 柔らかい子供らしい掌、けれど指先は少しだけ硬かった。今日会場でたくさん触った他の棋士の方と一緒だった。

 目の前でふわふわと笑うこの子が、紛れもなくプロ棋士である証だった。

 

 

 

 夢心地で部屋に帰って、飽きもせずずっと扇子を眺め続けて、明日の対局を楽しみに眠りについた。

 

 

 

 対局当日、大盤解説の会場の大きなスクリーンで、対局場が映されていた。

 趣のある旅館の和室、開け放たれた障子からわずかに差し込む陽の光。

 静かに歩いてきた桐山くんが一礼して、入室する。

 昨日見たのと同じ深藍の着物だった。でも雰囲気が全然違った。

 続いて入室してきた宗谷さんが対面に座ると、そこだけ別世界のようにすら思えた。

 

 対局の様子に、会場全体が引き込まれていくのに、そう時間はかからなかった。

 

 これは、大げさに言うわけではない。

 人智を超えた人ならざる存在が、二人。この空間に降りたち、彼らの世界を作り上げていた。

 それくらい神聖で尊いものにみえた。

 これが勝負という枠を超えた対局だったからこそかもしれない。

 両対局者は、今日、勝ち負けでなく、まるでお互いに語り合うように、心穏やかに自らの将棋を表し、相手の将棋の受け入れ、そしてただそこに在る全てを許容していた。

 

 終盤解説者ですら、静かに固唾をのんで、この世界の終わりを見守った。

 だれもそのことを職務怠慢だとは思わなかった。会場にいる全ての人がこの対局に魅せられていた。

 奇跡のようなその時間を共有できることに誰もが高揚していた。

 

 

 

 終局後、だれかがぽつりと呟いた。

 神の子二人が生み出した、盤上の芸術作品だと。

 

 

 

 私は今日というこの日に、この場に居合わせた感動をおそらく一生忘れないだろう。

 

 




観る将になった女子大生。モブの視点を書くのは楽しい。

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