小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第四十一手 盤上の芸術

 無事に、記念対局を終えて、駅のホームにたって僕は大きく一息をついた。

 

 今回は、前回にもまして会長の気合いの入れようが凄かったなぁと思う。

 タイトル戦と同じく、旅館を借りた上に、おまけに解説つきで中継まで……。人が入るのか元が取れるのか、心配だったけれど全くの杞憂だったらしい。

 

 

 

 9月の下旬、新人戦トーナメントを勝ち抜いて、順当に新人王のタイトルをとり、記念対局に臨む権利を得た。

 会長は終局間際のまだ余韻覚めやらぬ僕のことを、会長室へと引きずり込むと、桐山はきっとやってくれると思ってたよっと肩を叩き、仕事の話をしようっとそれはもう良い笑顔でそう言った。

 

 記念対局としては異例になるが、地方のホテルをとって、前夜祭もして大々的に将棋をアピールするつもりらしい。

 スポンサーは大丈夫なのかと聞いてみても、早くも大きなところがいくつか獲得できそうだから問題ないと笑いが止まらないようだった。

 一つ大きなwebサイトを運営している会社がスポンサーについた後、僕にちょっとした宣伝の映像を撮らせてくれという話まで、出たほどだった。

 気乗りはしなかったけれど、言われるままに学校や会館で撮影を行い、編集したあとの映像は、なんというか、ほんとうに自分かと思うくらいには、見違えるような動画になっていたと思う。

 普通なら、スーツであることが多い記念対局で、わざわざ着物を着たことも、客受けを狙っての事だった。

 

 対局は一応、僕の勝利で終わったけれど、なるべくしてそうなったような気がした。

 あの対局に勝敗を持ち込むのは、違う気がする。

 僕たちは二人で、より美しく、自然な終着点へとただ、流れるままに指していった、それだけだ。

 

 不思議な感覚だった。こんな風に指す形があるのかと、新しい扉が開いたような気がした。

 頭のなかで次から次に、手がつながっていく。

 銀色にひかるまぶしい水が、隅々まで流れ込んでいくように。

 宗谷さんも同じだったのだろう。

 指している間、ふたりでずっと真っ白い場所にいた。

 心地よくて、あたたかくて、明るくて、なにも怖くない場所だった。

 

 夢中だったと思う。だけど必死さとは無縁だった。

 公式戦ではない、かといって研究会のような私的な対局でもない。記念対局という特殊な状況が生み出した、独特の感覚だった。

 

 対局がはじまる直前、宗谷さんが目の前に座ったその瞬間に想ったのだ。

 あぁ……今日は、美しい対局にしたいな、と。

 せっかく頂いた、貴重な機会だから。記憶に残るような、誰かの心にのこるようなそんな対局したいと。

 そう考えて、一礼したあと目が合った宗谷さんは、うっすらと微笑んでくれた。

 言葉を交わしたわけではなかったのに、それだけで伝わったのが分かった。

 

 思考のトレス……そんなレベルの話じゃなかった。

 感覚を共有してるような気持ちがした。

 彼が次に何を指そうとしてるのか、どういう展開に広げていきたいのか、自分のことのように分かった。

 そして、僕がやりたいことも、理解してくれているのを感じた。

 お互いの思惑はぶつかることなく、むしろきれいに噛み合って、混ざりあって、二人が行きたいその先を、残したい軌跡を、美しく盤上に刻んだ。

 間違いなく、渾身の一局だった。

 

 負けました、と彼がその世界に幕引きをした時。

 どうして、終わってしまったのだろうと。ずっとずっと、このまま指し続けていたかったと、礼を返すのがひどく遅れてしまったほどだった。

 

 

 

 そのあと、すぐ行った感想戦も言葉はなかった。

 でも、こんな手もあった、こんな終着の仕方もあったと、次から次に考えが浮かんで、それは彼も同じみたいだった。これ以上ないくらい、美しい棋譜になるように指したつもりだったけど、やっぱり将棋って面白いなって、終わった後に二人で笑ってしまった。

 

 大盤解説の会場に移って、観に来てくださった方々にお礼を言ったとき、やっと二人がしゃべってくれたと、司会の横溝さんに茶化されてしまって、会場中から笑われたのも、良い思い出だろう。

 

 

 

 帰りの新幹線のなかで、僕はずっと心ここにあらず状態で、対局のことを振り返り続けた。

 なんだか、まだうまく切り替えられていないような、現実にかえってこれていないようなそんな感じがして、ぼんやりと窓から外の景色をみていた。

 

 だから仙台駅で電車が止まったことも、台風のせいで運行を見合わせたことにも、サラリーマンの方々がどやどやと動き出すその瞬間まで気づくことはなかった。

 

 え?昨日はあんなに天気が良かったのに?

 そういえば、外がだんだん暗くなっていってた気がするけど……台風なんて来てたっけ?

 ……この流れなんか既視感があるな。

 と、内心混乱しつつも動き出す。ここに座っていてもしかたない事くらいは分かっていたから。

 

 そして、もしかしてと想って、ふと車内を見渡した。

 宗谷さんはあのときと同じように、新幹線がとまった事に気づくことなく、静かに眠っていた。

 

「宗谷さん、あの新幹線止まっちゃって……宗谷さん?」

 

 声をかけた瞬間、違和感のようなものを感じた。

 そして、そっと揺り起こしてみると、彼はビクッと目を開けて、キョロキョロと周りを見回した。

 その時、あっと気がついたのだ。

 たぶん、今日は聞こえない日なんじゃないかと。

 

「台風のせいで電車動かなくなったみたいですよ。降りて、ホテルとか探さないと」

 

 なるべく大きく口もとを動かして、彼のめをまっすぐに見ながらそう伝えた。

 彼は、ある程度読唇法を身につけていたはずだし、周りの状況から加味して僕の伝えたいことを察してくれるだろう。

 

 もし、難しそうなら、携帯に打ち込んだり、紙に書いてもいいんだけど、ここでいきなり僕がそれをしてしまうのは不自然だ。

 だって、まだ僕は彼が不調を抱えていることを知らないはずなのだから。

 

「ごめん。気圧のせいかな、どうにも音が聞きとりにくいみたい」

 

 すこしだけ眉をしかめて、こめかみのあたりを押さえた宗谷さんは、何でもない事のようにそう告げる。

 あ、こんなあっさりカミングアウトするんだ……ってちょっと面を食らってしまった。

 そういえば、以前の時も会長は、宗谷さんには隠す気があまりないと言ってたっけ。

 

「あぁ……そうか。君と一緒のときは、いつも調子がよかったからなぁ。心配しないで、よくあることなんだ」

 

 固まっている僕をみて、驚いたのだと思ったのだろう。またすぐ聞こえるようになるからと、安心させるように彼は言った。

 

「えっと、携帯とかに打った方が良いです?今どれくらい聞こえてます?」

 

 鞄から取り出した、携帯を手に掲げながら、そう尋ねた。

 

「うーん、そこまでは……大丈夫。途切れ途切れに聞こえるし、桐山くんが言いたいことってなんだか、よく分かるから」

 

 本当に調子が悪いときは、筆談することもあるらしいけど、それはとても希なことで、イベントとか大事な打ち合わせの時とかに仕方なくするくらいらしい。

 日常会話の時は、大体は勘と雰囲気で乗り切れると言い切られて、宗谷さんらしいなっとちょっと思った。

 

「聞き取りにくい状態でしゃべるのはだいぶ慣れたけど、妙に声が小さかったり、逆に大きかったら教えて。今日は自分の声もだいぶ遠いよ」

 

 そう、付け加えながら、すこしだけ疲れた様子だった。

 聞こえないという状態が僕には分からないけれど、自分の声が聞き取れないということは、発声に影響を及ぼすことも多いらしい。

 宗谷さんが普段から、公の場ではあまり話さないでいるのは、不調の時に口数が減っても、もとからそういう性格だと思ってもらえていれば、浮く事が少ないから。

 実際彼は、気心知れた間柄の人たちとなら、それなりにしゃべるし、研究会の時も熱が入れば、口数は増える。

 僕がそれをしったのは、随分と後になってからだったけど。

 

「チケットの払い戻しとか、ホテルのとるのとか、僕が代わりに話しますよ。任せてください」

 

 だから、あまり無理をしなくていいと、伝わってほしくて僕は自分の胸を叩いて彼を見上げた。

 宗谷さんは、まじまじと僕のことを見ていたけど、その後ふっと笑うとポンポンと頭を優しく撫でてくれた。

 お任せしますとそう言われた気がした。

 

 

 

 新幹線を降りて、まずはチケットの払い戻しを……っと思ったけど、案の定みどりの窓口は人で溢れていた。

 やっぱりすこし出遅れたかと、思っていると、宗谷さんがそっと僕の手を引いて歩き出した。

 精算窓口の方に移動しているようだ。そっちはまだ人が少なくて、それほど待たずに払い戻しが出来そうだった。

 そういえば前の時は、視線ひとつで宗谷さんに促されてたなと思い出して、少し可笑しくなる。

 駅員さんは中学生の僕相手にとても丁寧に対応してくれた。乗車の券の手続きもその場でしたんだけど、ちょうど空いているし、お兄さんと連番にしておいてあげるからね、と笑顔で言われてしまった。

 訂正するのも、面倒だから、ありがとうございます。と笑っておいたのだけど、窓口を離れるときに、小さく宗谷さんが、お兄さんか……っとどこか嬉しそうにそうこぼしたもんだから、少しだけ照れくさかった。

 

 ホテルをとって、傘を買って、僕たちは雨の中を歩いた。

 傘は見事に売り切れてしまっていて、なんとか一本だけ確保した。

 宗谷さんは右手に傘をもって、左手で後ろから僕の肩を支えてくれた。この時ばかりは小柄な僕の身体が役に立った。

 安いビニール傘の下に大人一人と子供一人、すっぽりちょうど収まったのだから。

 途中で見かけたコンビニで適当に食料を買い込んだ。

 支払いは別にするつもりだったのに、いつの間にか同じかごに全部入れられていて、会計は宗谷さんが済ませていた。

 ありがとうございます。とお礼をいうと、僕もお礼だから気にしないでと、返された。

 見知らぬ人とはなしたり、電話をするのは特に労力を使うらしく、それを代わりにしてくれたのは、本当にたすかるのだと。

 

 

 

 歩き出すと、歩き出す。

 立ち止まると、立ち止まる。

 あのときは僕の後を静かについて来ていた神様が、今はすぐ後ろにいた。

 一心同体。まるで一つの生き物になったように、嵐の中を歩き続けた。

 

 不思議な高揚感だった。これは、台風のせいだけじゃない。

 たぶん、僕は嬉しかったのだと思う。

 あのときは、随分と遠い存在だった。経験も研究も年の差という時間の分だけ、僕と彼との間に隔たりをつくり、追いつくことなど想像も出来なかった。

 それなのに、普通に話して、すこし笑い合って、買い物をして、今同じ傘の下、この雨の中を歩いている。

 特別な人であることに変わりはなかった。でも、もう神聖視することはなかった。

 僕と、彼は、等しく棋士であり、それ以上でも以下でもなかった。

 

 

 

 

 ホテルに着いたとき、少しだけ困ったことがあった。

 電話をして予約を確かに取ったのだけれど、どうもこの嵐のせいで向こうも忙しかったらしく、ブッキングによってシングルが2つはとれなかったようだ。

 

「此方の不手際で本当に申し訳ありません」

 

「この嵐ですし、予約の電話いっぱい来てたでしょうからね……。でも、どうしようかな」

 

「もしよろしければ、ツインの方はまだ空きがありまして、其方はいかがでしょうか?」

 

 連れだってきた子供と大人だ。親戚か何かだと思われたのだろう。むしろ部屋を別にとることの方が珍しい。

 何度も何度も頭を下げるフロントの方に、そう提案された僕はふと後ろの宗谷さんを見上げた。

 

 フロントの人が提示した料金と、プランが目に入ったのだろう。宗谷さんは、なんの躊躇もなく頷いた。

 

「では、それでお願いします。鍵を貰っても良いですか?」

 

 

 

 

 部屋に入って一息つく。雨風が凌げるとこにくると、少しだけほっとした。

 

「本当に良かったんですか?同じ部屋で?」

 

 耳の調子が良くないなら、一人で静かにいたかったのではと、ついつい気になってしまった。

 

「ん?別に問題ないよ。これから対局って訳でもないし。この雨の中、またホテルを探す方が大変だろう」

 

 宗谷さんは、きょとんとしたような顔をして、なんの問題もないとそういった。

 対局の有無しか気にしていないのが、彼らしい。

 

 交代でシャワーを浴びて、雨で冷えた身体を温めた。

 適当に食事をしたら、すぐに手持ち無沙汰になる。

 プロ棋士二人、暇になったらすることなんて、一つだろう。

 

「感想戦の続きをしない?駒音を辿りたいんだ。それで、調子がよくなる気がするから」

 

「……はい。喜んで」

 

 持ちかけたのは宗谷さんだった。でも、たぶんもう少しいたら僕から言い出していたと思う。

 外はひどい嵐で、風が窓を揺らすし、叩きつける雨音だってうるさかった。でも、そんなものはすぐ気にならなくなってしまうのだ。

 相手が一手を示したら、すぐに頭の中に駒音が響いて、それからはあっという間。

 棋士という生き物は、実に難儀なものだと思う。

 

 

 

 僕たちを現実に引き戻したのは、僕の携帯の着信音だった。

 なんとなく、相手の予想がついて慌ててでてみると、聞こえてきたのは予想に違わず会長の声。

 

「桐山、おまえ今どこにいんの? 新幹線止まったって聞いたんだけど」

 

「台風の影響で、仙台駅で止まってしまいました。今は近くのホテルにいますよ」

 

「そうか、良かった。おまえさんしっかりしてるけど、この雨の中だと心配でな。それで宗谷のことなんだけど……」

 

「あぁ!宗谷さんも一緒です。同じホテルに今日は泊まります」

 

 会長は電話の先で、大きくため息をついた。

 

「あーやっぱな。そんな気がしてたんだよ、全く! あいつに電話かけてもやっぱり出ないし、おまえに連絡とって正解だったわ」

 

 呆れが半分と、それ以上の安堵が感じられる声色だった。

 二言三言、話した後、明日は気をつけて帰れよって言われた。

 そして、面白い対局だったと、昨日の一戦に触れた。

 

「なんつーか。恐ろしいほど綺麗にまとまった一局だった。観戦記者も解説を観に来てた観客も、将棋が分かるやつほど感激してたよ」

 

 おまえさんたちのおかげで大盛況だった、今後もよろしく頼むよと通話はその一言で締めくくられた。

 

「会長から……?僕のこと何か言ってた?」

 

「宗谷さんと連絡がつかないから心配してましたよ」

 

「そう。携帯切れてたのかな……まぁ今日は鳴っても僕自身が気づけないから仕方ないよ」

 

 桐山君が一緒で助かったと、マイペースに告げる彼に、会長の苦労がうかがえた。

 

「それから、対局のことも。大盛況で良かったって」

 

「昨日の対局は……不思議だったなぁ。目が合った瞬間、君が何がしたいのか分かった。乗った僕も僕だけどね」

 

 思い出して可笑しくなったのか、すこし笑みを浮かべる宗谷さんの雰囲気がずっとずっと柔らかくて、なんだかとても……そう、とても楽しそうだった。

 

「僕にはさ。将棋しかなかったんだ。その点では君と僕はよく似てると思う」

 

 彼の言葉に僕は静かにうなずいた。

 宗谷さんの生い立ちのことは、僕も多少しっている。全く同じではないけれど、将棋にかけた時間と想いの深さは、その執着ともいえる熱意は、僕らの共通点だろう。

 

「棋譜を作り上げていく過程も、その先にある結果も、繰り返される研究と打開策も、ただそれが当たり前の事になってた。

 好きとか、楽しいとか……そういう気持ちが自分の中にあるのかよく分からなかった。」

 

 宗谷さんの口から、将棋に対して、こんな感情的な言葉を聞けることに僕は少なからず動揺していた。

 この人にとったらそんな次元とっくに通り越していたのかと思っていたから。

 ……でも、おそらくそれは違う。

 

「昨日の対局は新鮮だった。こんな形もあるんだって。改めて思い知ったよ。将棋を指すのはこんなにも楽しいって。僕はたぶん将棋が好きだ。だって、こんなに心を揺さぶれること他にないんだから」

 

 一言一言かみしめるように、まるで自分自身に確かめるように、彼は言った。

 一局、一局に想いを抱いて、感情を揺さぶられて、宗谷さんだって僕たちと同じなんだ。

 

「嬉しいです。……同じように貴方が感じていてくれたことが。昨日の対局に、僕との対局にそう感じてくれたことが、嬉しい」

 

 他でもない自分が、自分が宗谷さんにこの言葉を言わせたことが、震えが来るほど嬉しかった。

 

 その後もずっと、誰にも邪魔されず僕ら二人は将棋を楽しんだ。

 そのまま朝が来てたときには、ちょっとやってしまったなって思ったけど、ここにはシロもいなければ、止める大人が誰もいなかったから。

 宗谷さんと僕だけの秘密である。

 

 

 

 嵐は一晩で去り、空はカラッと晴れ渡っていた。

 

 

 

 

 ホテルの一室で宗谷さんと、二人。

 楽しく将棋に明け暮れた僕はまだ知らない。

 

 記念対局を書いた記事が大好評で拡散されていること。

「神の子二人の芸術作品」なんて謳われて、「言葉なき感想戦」と合わせて、ますます、将棋界への注目度をあげることになったことを。

 この時代に、この二人がそろったことは奇跡だなんて、賞賛されていたことを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




六段昇段に伴い、たった一度しかチャンスがなかった新人王のタイトル無事に獲得。
本人はその後の記念対局しか目に入ってなかったけど。
当人たちの預かりしらぬところで、この二人はやっぱり特別だと、周囲は大いに盛り上がりを見せ始め、ますます将棋ブームに火がついて、会長は相当喜んでます。

余談ですが、原作の記念対局の後の会長のセリフがすごく好きなんですよね。「普通に意思疎通取れてて笑えた」ってやつ。
当時この巻を読んだのをきっかけに、全巻手元に紙で集めようと決めました。それくらい全体含めて好きな巻です。

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