小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第四十二手 それぞれの決意

「では、桐山の新人王獲得と、二海堂の四段昇段を祝して……乾杯!」

 

「乾杯!」

 

 島田さんの声に合わせて、僕たちはグラスを合わせた。今日は島田研の日だった。嬉しいことが重なったから、せっかくだからお祝いをしようと、言ってくれたのは島田さんだ。勿論いつものように将棋も指したけれど、すこし早めに切り上げて、色々な出前をとってちょっとした食事会である。

 

「兄者! 有り難うございます。昇段できたのも、皆さんのご協力あってのこと! この研究会でのことがどれほど助けになったか」

 

 二海堂は嬉しくて仕方ない様子だった。いつも以上にテンションが高いし、喜びをかみしめているのがよく分かる。

 

「まさか、一期抜けするとはな……。正直もっと三段リーグの魔物に捕まっちまうと思ったんだが」

 

 重田さんの悪態はいつものことだけれど、残念ながら口元が緩んでいるのを隠しきれていない。彼だって、同じ研究会の後輩を分かりにくいながらも、可愛がっているのだから。

 

「9月の二局は渾身の内容だったな。一局目いつもより相当長引いていたから、二局目は厳しいかと思ってたんだが、いらない心配だったか」

 

「桐山と連続三局とかVSしまくってましたから! 連続の対局でも苦にならなかったです。

 こいつ、ほんとに凄いんですよ。一局一局まるで別人みたいに指してくるから、いつも夢中でした」

 

 島田さんに興奮したように報告している二海堂の言葉に僕は少し、照れくさくなった。三段リーグの終盤を控えて、より実践的な対局を求めて彼は僕のところにやってきた。棋神戦を終えて、時間もあったし二海堂と指せることは僕にもメリットを感じられたから、VSをするのは楽しかった。様々な戦局を想定したいという彼の要望に応えて、あえて極端な指し回しをしたのも確かだ。普段の僕よりは対局に、はっきりとした意図が見えたと思う。

 

「贅沢な話だよな。他の奨励会員からしたら桐山零は自分たちの世代の憧れだぜ。そいつに、つきっきりで対局してもらうなんて」

 

 重田さんが、からかい半分でそんなことまで言い出す始末。

 

「もう、重田さん勘弁してください。そんな大層なもんじゃないですから。

 二海堂と指すのは楽しかったです。こいつの将棋はすごく熱がこもるから、それに引きずられて、いつもより好戦的になってたかも……。僕にとっても、新しい発見があったし、有意義な時間でした」

 

「対局に夢中になりすぎて、シロ殿には随分怒られてしまったな」

 

「あー桐山家にいる番猫さんか……。あの猫さんはおっかないからな」

 

「島田はまだいいよ。なんか気に入られてる。ちっこい黒い方にも会ったんだろ? 俺はそれなりに、猫好きなんだけどなぁ……」

 

 重田さんも島田さんも一応うちに来たことはあったから、シロとは対面済みだ。そうでなくても、家にきた棋士たちが、桐山家には優秀な警備員がいると広めるから、シロのことはそれなりに知られている。

 

「ほんとは、とっても優しい子なんですよ。もう少ししたら、皆さんにも慣れてくれるんじゃないかな……たぶん……きっと」

 

「いや、あれくらいで丁度良いよ。桐山のぶんも色々と警戒してくれてる」

 

 おまえさん、しっかりしてるけど、たまに抜けてるからと島田さんに笑われてしまった。

 

「しかし……、ようやく桐山と公式戦で相見えることが出来るかと思えば……」

 

「こいつ、ほとんどのタイトル戦で本戦シードだからな。去年頑張りすぎ」

 

 二海堂の悔しそうな声に、重田さんが相づちを打つ。

 

 棋神戦はタイトル挑戦者になったから来期は本戦のシード。聖竜戦ももう少しで挑戦者というところまでいったので、本戦の3回戦シードからだし、棋竜戦も本戦のベスト4まで残っていたので予選は免除されている。予選からでるのは、棋神戦にかかりきりで、本戦一回戦で敗退した棋匠と、予選を突破出来なかった玉将戦くらいのものだ。予選は細かくトーナメントを分けるから同じブロックに二海堂がいるのでもないと当たるのは難しいだろう。

 

「プロになったばかりの若手同士で当たると言えば、順位戦とか獅子王戦の予選……それからまっさきに新人戦があげられるけど、桐山の場合な」

 

 獅子王戦は、去年6組で優勝して本戦に進んだため、今年の予選は5組に上がっていて、二海堂とは組が違う。

 順位戦に二海堂が参戦してくるのは来年度の四月からになる。その時このままいけば僕はB2だろう、足踏みをするつもりもなければ降級するつもりもないので、順位戦で戦えるとすれば、お互いがA級になってからなんて、ことも充分にありえてしまう。それは、それで楽しそうだけど。

 

「生意気にもプロ二年目にして六段で、すでに新人戦の参加資格はないってな。まだ13歳なのによ」

 

「しっかり一度のチャンスをものにしたしなぁ。宗谷との記念対局、あれ凄い話題呼んでるぞ?」

 

「会長があれだけ力を入れてましたから……。島田さんは、会場にも来てくださってましたね。有り難うございます」

 

 タイトル戦でもないのに、実費で足を運んでくれている棋士の方も結構いた。ステージの上から意外に思っていたものだ。

 

「桐山と宗谷の棋神戦の記憶が、色濃く残っていたからな。興味があったのは、何も世間様だけじゃないさ。そんで、それは無駄じゃなかった」

 

 あの異様なほどの空気は、会場にいてこそわかることだったと、島田さんは静かに続けた。

 

「おまえと宗谷が一手一手、名譜を作り上げるのを、端で観て検討し合ったのは、良い刺激になったよ。きっと誰もが思った。こんな将棋を指せたらと。それくらい記憶に残る一局だった」

 

 島田さんの表情はいつも通り、穏やかで優しかった。けど、その奥の瞳が力強く熱を帯びていて、僕の気持ちまで高揚させた。

 

「分かったぞ、桐山!」

 

 いったいどこでスイッチが入ったのか……二海堂はいきなりそんなことを叫んだ。

 

「えっ、何が?」

 

 困惑する僕を余所に彼は興奮したように続けた。

 

「俺は絶対近いうちに新人王をとる。おまえみたいに一期で獲得するくらいのつもりでな!だからおまえはその時、タイトルホルダーになってろ。記念対局、俺たちでやるぞ!」

 

「そんな……無茶な……。そりゃ、実現出来たら、面白そうだと思うけど」

 

「あはは、もしそうなったら会長はまた大忙しだな。将棋界に新しい風が吹きまくりって盛り上がりそうだ」

 

「あながち、絶対無理って思えないんだよな……。むしろ、桐山がタイトル取るより、二海堂が新人王取る方が難しいかもな」

 

 島田さんは、なんだか楽しそうに話にのるし、重田さんはケケケッと人が悪い笑みを浮かべた。

 

「なんですと! 俺は本気です。有言実行やってみせますよ。だから、桐山約束な」

 

「……うん。分かった。約束する」

 

「おぉ……こりゃ、坊は本気で頑張った方が良いな。桐山は、約束したことは守るから。宗谷がそう自慢してた」

 

「え? 宗谷さんがですか?」

 

 あの宗谷さんが?と思わず疑問に思って、聞き返してしまった。

 

「桐山は覚えてない? テレビ局で初めて会った後、待ってるって約束したら、ほんとに朝日杯勝ち上がってくるし、朝日杯の後に次はタイトル戦でって言ったら半年待たずにやってくるし、記念対局もちゃっかり勝ちとるし……って、あいつなんか嬉しそうだったよ」

 

 僕は自然と口元が緩みそうになるのを必死でこらえた。

 そうなんだ。

 そうだったんだ。

 彼もちゃんと覚えていてくれていたんだ。僕は宗谷さんにそう言われたのが嬉しくて、勝手に心に決めてそれを支えにしている部分があったけれど、それが一方的なものじゃなかったんだと実感できた。

 

「かー嬉しそうな顔しちゃってまぁ。次はそう、易々と挑戦権は取らせないからな。俺だって、あいつの前に座ってみせる」

 

 島田さんの言葉に、重田さんや二海堂まで、今に見てろよ、とのってきてしまって、結局その後、またなし崩し的に皆で将棋を指していた。

 明けても暮れても、コレばかり。

 プロ棋士とは難儀な生き物だ。

 でも、僕はこれが良いなって思えた。この人たちと将棋を指しているのがたまらなく好きだと、そう思った。

 

 

 

 

 


 

 少し肌寒くなって、すっかり秋めいたある日のこと。

 学校帰りに三日月堂に寄ってみた。季節の変わり目には、練切のラインナップが変わるし、新しい商品があったりする。三日月焼きは定期的に買っているし、すっかり常連さんだ。

 お祖父さんとか、川本家の皆さんだけじゃなくて、手伝いに入って働いている方々とも顔見知りだ。はじめのうちは、近所に住む男の子といった感じでただ可愛がってもらっていたんだけど、プロになってテレビや新聞に載り、ちょっと大口の注文なんかも頼みだしたら、お得意様として認識されていた。記念対局のポスターをなぜだか、あかりさんたちが気に入ってしまってお店に貼りたいと言い出したときも、皆が乗り気だったそうだ。

 

 美香子さんは、お店で以前にも増して精力的に働いているようだった。表情も明るくなったと思う。

 肩の荷が下りたのかも知れない。

 

 いつものように三日月焼きを買って、少しお茶を飲みながら世間話をして、立ち去ろうとした僕を彼女が引きとめた。

 僕に話したいことがあるらしい。

 時間は大丈夫?と尋ねられて、これといった用事もなかったので、すぐに頷いてみせた。

 彼女は、奥にいた相米二さんに声をかけたあと、近くの喫茶までいこうと提案する。立ち話で済ませられるような話ではないこと、この場で話せることではないことが察せられた。

 

 近所の喫茶店の少し奥まった席。この時間帯、人はとても少ないし、席と席がかなり余裕をもって配置されているお店なので、それほど声は漏れない。店内に流れたどこかレトロで懐かしい曲が心を落ち着かせてくれた。

 

 美香子さんに何にする?と尋ねられて、とりあえず無難に珈琲を頼んだ。彼女も同じものを注文して、ここのマスターのブレンド、結構いけるのよ、と微笑んだ。

 

 手元にきた珈琲を一口飲んで、ひと呼吸おいたあと、少しだけ迷った様子で話し始める。

 

「こんなことを、貴方に相談するのも変な話なんだけど、桐山君は、私の目を覚まさせてくれたというか……あの人の事で言いにくいことでもすっぱり伝えてくれたから、話を聞いて欲しくて」

 

 何か良くないことがあったのだろうか? 誠二郎さんは、奥さんをはじめ娘さんたちにばっさりやられてから、姿は見せてないようだったけど……。

 

「あのね。あかりとひなたに、妹か弟が出来ることになりそうなの」

 

「それは……えっと、おめでとうございます? で良いんですよね? え?でも、そっか、父親は……」

 

 まったく斜め上から、新しい問題が降ってきて、僕は面食らった。混乱する頭のなかで、かつての記憶を呼び覚ます、高校生のときに会った僕と、ももちゃんの年齢を考えたら、あの子が生まれるのはこのくらいのはずだ。

 

「父親は、あの人。それは間違いない、今三ヶ月ちょっとだから」

 

 つわりによる体調不良なんかもあったそうだが、色々忙しかったことと、それほど症状がなかったために夏バテと勘違いしていたらしい。この年齢になってという先入観もあったそうだ。作る気がなかったと言うことは、それなりに対策をしていたはずで、おそらくそれをおろそかにしたのはあの男の方。なんというか……とことん適当な奴だと思うほかない。

 美香子さんの体調が一向に安定しないことと、お母さんである彩さんがまさかと思いつつ検査を勧めたらそのまさかだったという訳だ。

 

「それで、その……。悩んでいるというのは? 産むかどうかと言うことですか?」

 

「そう。君はほんとにはっきりしてるね……。家族の皆、それに触れるのは怖がってた」

 

「すいません……。僕はあくまで部外者というか、第三者として考えるところがありますから……」

 

「ううん。良いの。だからこそ、貴方に話しにきたから」

 

 強い目だった。まっすぐと僕を見つめて、彼女は今後のことを真剣に見定めようとしていた。自分と家族と、それからお腹の子、皆にとってなにが最善なのか考えようとしていた。たとえ、辛い選択をとることになったとしても、今の彼女ならそれを受け入れてしまいそうな、そんな雰囲気すら漂わせて。

 

「現実的な話、まだ可能な期間ではあるんですよね?」

 

 中絶というものが男の僕にはよく分かっていないことも多い。ただなんとなく、早いほうが母体への負担は少ない気がした。

 

「一般的に、中絶は妊娠二ヶ月目くらいまでが母体の負担はすくないと言われてるけど、一応21週目くらいまでは可能なの。私はもう、子どもを産もうと思うことはないから、多少の負担は覚悟してる。出産するリスクよりは、低いとはっきり言われたわ」

 

「産むとなった方がリスクが高いのですか?」

 

「ただでさえ初動が遅れて慌てて検診を受けたけど、どうにも高血圧気味で……数値は良くなかったみたい。お医者さんは、父親のことも知ってるから、家族と話し合ってよく考えた方が良いって」

 

 あかりさんの年齢から考えて、美香子さんの場合高齢出産になるのは間違いない。その場合母子ともにリスクが伴う。流産や早産の可能性が、通例より高くなるし、妊娠高血圧症候群に早期にかかりやすくもなる。

 妊娠はただでさえ、デリケートで大変なことだ。結婚して、妻を持って、娘たちが生まれる姿を見てきたからそれは実感している。

 

「あかりさんたちはなんて言ってるんですか?」

 

「最初はお母さんにしか言ってなかったの。でも、家族でちゃんと決めないと、と思って話したわ。ひなたはお姉ちゃんになれるのって大喜びだった。お父さんも、口ではああ言うけど、孫が大好きだから。……あかりはそんなに単純には喜べなかったみたい。家族が増えることは喜んでたけど、あの子は色々気が回るから、私が悩んでるのに気づいてると思う」

 

 川本家の皆の反応は概ね予想の範囲内だった。僕としても、ももちゃんに会いたいと思う。三姉妹が笑っているところをまたみたいと思ってしまう。でも、それはひょっとしたら、今目の前にいるこの人の命を危険にさらしてしまう事でもある。

 詳しくは知らないから分からないけど、出産の際になにかあって、それをきっかけにそのまま……なんてことがあったかもしれない。安易に彼女にその選択をさせて良いのか、これは、とてもとても重要な事だと思う。

 

「一度、最悪の想像をしてみましょう」

 

 切り出した僕の言葉に、美香子さんは少しだけ顔をこわばらせた。

 

「もしも、今度の出産で万が一の事があったら、残されるのはあかりさんとひなちゃんの二人です。お祖父さんたちや、それから美咲さんも色々と手助けはしてくれると思いますが、ひなちゃんはまだ小学生。あかりさんも今度やっと高校を卒業します。そして、おそらくお母さんの抜けた穴を埋めようと一番、頑張るのはあかりさんでしょう」

 

 目を閉じたら、はっきりと思い出せる。

 青春の全てを捧げて、まだ同年代の子たちが親の庇護下で遊んでいられるその時期に、彼女は妹たちのために、お店の手伝いに、家事に奔走していた。

 ももちゃんにとったらまんま、母親代わりだっただろう。それを彼女が苦に思っていたとは思わない。家族への愛を沢山、たくさんもった方だったから。

 

「それでも、それでも産みたいと思うかどうかです」

 

 僕の言葉を静かに、じっと聞いていた美香子さんは、ゆっくりと目を開けてそしてうなずいた。

 

「そうよね。私の年齢、身体のこと、今後のこと、冷静に考えたら、おろした方が良いって思う。

 でも、気持ちはそうじゃなかった。こんなに言われても、変わらないんだもの。私の心は決まってたんだと思う」

 

 ご両親にも、娘たちにも、危険が伴うことはちゃんと説明した上で、それでも産ませてほしいと頼みたいと彼女は柔らかく笑った。きっと川本家の方々は、彼女の背中を押すだろう。全力でサポートをしていくだろうと、そう思った。

 

「なにより私がこの子に会いたい。あの人は去って行った。でもこの子はここに、来てくれたの。どこか傷ついてしまった私たちに、寂しさが漂ってる我が家に、この子は春を連れてきてくれるんじゃないかなって」

 

 僕はその言葉に、大きく息をはいた。

 あんな事を言ったけど、ももちゃんを産まないという選択肢が選ばれなかったことに、ただただ安堵していた。服の裾をギュッと握られて、れいちゃんと舌足らずに呼びかけてくる声が、どこからか聞こえたような気がした。

 

「もし、よかったらですが、いくつか病院も紹介できると思います。なじみの街のお医者さんも良いですが、美香子さんのケースに合わせて、病院を探すのも手かと」

 

「そうね……万全を期さないとだめよね。ひなたの時からだってもうすぐ10年になっちゃうし」

 

 そう考えると、あの人からお金を貰っておいて、良かったと今思うの、と美香子さんは苦笑する。先立つものも必要になってくるのは確かだろう。

 彼女は、当初のふわふわとした印象を残しながらも、どこか強かになったような気がした。そして、それはたぶん、良い変化なのではないかと思う。

 

 

 

 

 

 棋戦は去年ほど多くなくて、少しだけ落ち着きをみせていた。そもそも、昨年は予選に予選が重なって、そのほとんどで勝ち進んでいたために、飽和状態といって良かったから。

 もうすぐ12月になって獅子王戦の予選トーナメントが始まり、そうするうちに年が明けてしまえば棋匠と玉将の予選が始まってしまう。そうなるとまた少し忙しくなる。

 

 学校の帰り道、商店街で買い物でもして帰ろうと思った僕は、そこで同じく夕飯の材料を買うために立ち寄ったあかりさんと、遭遇した。

 特売の卵が安かったからなんて、中学生と高校生の会話にしては、ちょっと珍しいのかもしれない。

 お互い自分たちの買い物袋と、制服のままでそれを持っている現状になんだか笑ってしまった。

 

 あかりさんは、良かったら少し話さない? と僕を川本家に誘った。傷むものや冷凍物は帰るまで冷蔵庫に入れておけばいいからと。お母さんのことで、話したいことがあるのかもしれないと僕は、彼女の提案にありがたく乗らせてもらった。

 

 ひなちゃんは、まだ帰っていなかった。今日は委員会で遅くなる日らしい。ニャー達はお腹をすかせて弾丸のように飛びついてきた。この家にいるこの子達はいつもなにかをほしがっている気がする。あまり身体に匂いがつくと、シロが拗ねるんだけどな、と思いつつ、いつもこの勢いは引き剥がせない。

 手慣れた様子であかりさんが、カリカリをあげると真っ先にこっちに興味はなくして、飛びついていた。なんというか、本能のままに生きてるなぁと思う。眺めていてとても楽しい猫たちだ。

 

 お茶を入れて、少し話したあと、あかりさんはそっとお母さんの事をありがとうっと言ってきた。

 

「産みたいから、協力して欲しいって言われたの。新しい家族が出来るかもって嬉しそうに、でもちょっと困ったように戸惑いながら報告してきたお母さんが、はっきりそう言ってくれて。頼ってくれて、本当に良かったって」

 

 おろすと言われることも覚悟していたらしい。その時は、美香子さんの意見を尊重して、おそらく戸惑って悲しむひなちゃんのフォローをしたいと思っていたと。でも、やっぱりそれは悲しいから、出来るなら産んで欲しかったのだと。

 

「自分の意思できっぱり願いを告げるお母さん、初めてだったかもしれない。いつも、家族のことばっかりだったから」

 

 支えたい、助けたいと思い続けたあかりさんは、その事に安心したそうだ。

 

「桐山君と話したって聞いて、やっぱりなって思った自分がいたの。可笑しいよね、私たち家族皆本当にお世話になってる」

 

「僕も、いつも助けてもらってますから。誰かと一緒に食べるご飯って、美味しいなって。いらっしゃいとか、頑張ってねとか、何でもないことみたいだけど、かけてくれた声一つ一つが、僕の背中を押してくれてるんです」

 

 純粋なエールをくれる場所、負けたら肩を叩いてくれる場所、勝ったら一緒に喜んでくれる場所。打算もなにもなく、ただ、ただ、暖かくて優しいこの場所が、大好きだった。

 

 あかりさんは、そんな僕のことをじっと見つめた後、そっと僕の頭を撫でた。突然のことで驚いたけれど、その手は優しくて、心地よくて、あらがい難くてしばらくじっと、されるがままになっていた。

 僕の様子に彼女は、ふふっと笑うとご飯準備するね。食べて行くよね? と、そう尋ねてきた。断る理由はどこにもなくて、僕は気がつくと頷いて、彼女の手伝いをすべく台所に向かっていた。

 

 あかりさんの手際はもう、この頃からとても良くて、普段からどれだけ料理をしているのか一目瞭然だった。

 簡単な下ごしらえを手伝いつつ、たわいない話をしていた。その時、なんでそんな流れになったか定かではなかったけれど、もうすぐ冬になったら受験だから、クラスの子は大変そうというそんな話だった。

 

「あかりさんは、進学しないんですか?」

 

 あまり深くは考えず、ふと疑問に思った程度だったのだけど、あかりさんはピタリと手を止めてしまった。

 あ、これかっと一瞬で分かった。

 お母さんの事を話したあとも、どこか気が晴れない様子だった彼女は今、このことで悩んでいるのかと。

 

「うーん。私はどうしようかとっても悩んでる。でも、やっぱり就職しようかなって。お母さんもこの先一年くらいは、赤ちゃんについてなきゃいけなくなるから、あんまり手伝えなくなるでしょ? そしたら、三日月堂も大変だし……」

 

 お店にたっているあかりさんは生き生きしてるし、以前の様子からもあの仕事にやり甲斐を感じているようだった。

 

「将来的には、お店を継いでいきたいと思ってるんですよね?」

 

「それは勿論! だって、お爺ちゃんが守ってきた大切な場所よ。 この街の一部ですらあると思う。それを無くしたくない」

 

「和菓子職人になるのは、学校を絶対出ないといけないんですか? こう、なにか免許がいるとか?」

 

「調理師免許とかは必須じゃないの。でも、最近だともってると良さそうな国家資格とかもあるのよ。製菓衛生師とかね。お店に一人でも、そういう人がいたら良いかなってちょっと思ったりもして」

 

 随分調べている。やっぱり本当は専門学校か、短大かは分からないけれど、目星をつけていた学校があったんじゃないだろうか? でも、彼女は考えてしまう人だから、そこにかかるお金と、そして拘束される時間が、今の家の現状から、好ましくないと思ってしまったのかもしれない。

 

「後から余裕出来たときに通うこともできるとは思います。今は社会人枠とか夜間枠とか在りますし」

 

「そうだよね……。うん、別に今じゃなくても」

 

「でも、今高校卒業してすぐに働くのも、そんなに急がなくても良いんじゃないかと思いますよ」

 

 え?、と困惑したような様子の彼女に続ける。

 

「お母さんに話してみました? お祖父さんたちには? たぶん、あかりさんが行きたいっていったら全力で応援してくれます。あかりさんが、お母さんに頼って貰えて嬉しかったみたいに、きっとお母さん達も話して欲しいと思ってるんじゃないでしょうか」

 

 もう秋だ。進路指導は大事な時期になる。この時期に、家で大きな事件が立て続けに起こったのだから、相談しにくくもなっただろう。それでも、やっぱり話してみるべきだと思う。

 

「同年代の子達と学校で学ぶの、良い刺激になると思います。現場に入る前に、理論的に料理について学んでみるのも面白いと思います。学ぶのはいつでも出来ます。でも今しか手に入らない環境は確かにあるんです」

 

 貴重だぞ、学生でいる期間は、と酔いどれまじりに僕に諭した、松永さんの言葉がよみがえった。そこまでせんといかんのかね……と言われたその言葉が、今彼女に重なる。

 あかりさんの十代はいまこの一時だけなのだ。彼女はもっと自由にしても良いと思う。

 

「それに、学校に行くことと、働くことって意外と両立出来たりもしますし」

 

 肩をすくめて見せた僕に、彼女は吹き出して笑った。

 

「そうだね……そっか。桐山くんはもうずっとそうやって来てるんだもんね」

 

「僕の場合は義務教育中で目をつぶってもらってるところも結構ありますけど……。

 世の中には、学費全部自分で稼ぎながら、大学に通ってる人もいるみたいですし、今は奨学金とかの制度もあるって聞いてます」

 

 けど、実際それほどお金の心配はしていなかった。専門学校や短大であればそれなりに抑えられるし、あの男からのお金はこういう所に使うためにあるんじゃないだろうか。つくづく、絶対に受け取っておいた方がいいと譲らなかった、菅原さんに拍手を贈りたくなる。

 

「あかりさんは、もっと自由にして良いと思うし、自分のことだけ考えても全然大丈夫ですよ」

 

 長女所以の性なのか、元々の気質がそうさせるのかは分からないけれど、彼女は少し責任感が強過ぎるし、優しすぎる。

 

 あかりさんは、少し考えた後、もう一度先生と話してしっかり固めてから、その上でお母さん達にも話したいとそう言った。

 もしかして、大学生をしてるあかりさんを見れるのかもとすこし想像してみて、それも悪くないなぁと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 




島研が好きすぎて、なんでこの4人こんなに良いのだろうか。
桐山くんはすっかり川本家の一員です。

そういえば、このシリーズですが、ちょうど3月のライオンのアニメ第二シリーズが放送された時に、週一くらいで更新していたのです。
でも、この投稿の後、私は半年ほど、次の話を投稿出来ませんでした。
主として私生活の事情のせいですが。
当時はここでエタったなぁと思われていたのかなぁ笑

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