小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

50 / 87
第四十三手 また春が来て

 

 寒さが深まってきた年の暮れ。

 獅子王戦の予選トーナメントが始まった。僕は今年、5組の予選に参加する。6組の時と同様に、相変わらず本戦に出場できるのは予選トーナメントで一位になった者だけだ。

 本戦トーナメントに出場できればA級棋士たちとの対戦の機会が増えるし、当然挑戦権だって見えてくる。

 今は順位戦やMHK杯の他に勝ち進んでいる棋戦もないから、充分に対局への準備が出来た。

 

 C級1組の順位戦も、はや8戦が終わり、全勝できていた。

 年が明けて残り2戦も順当に勝つことができればB級2組へと昇級できるはずだ。

 そういえば、もう遠い記憶だけれど、前の人生ではC2で一度足踏みしたな……と懐かしく思った。

 あの時は、プロになってそこで緊張が緩んで、目的を見失ってしまっていた。何のために指しているのか分からなくなって、指し筋に迷いしかなかった。当時の僕には、それでも必要な時間だったと思う。

 

 でも、今は大丈夫。沢山、たくさん指したい人たちがいるから。

 勝ち上がっていって、特別な舞台で、指すことに魅せられてしまったから。

 

 

 

 順当に日々の棋戦をこなして、学校へ行って、時々川本家に顔を出した。

 あかりさんは、とりあえず受験することを決めたらしい。

 相米二さんと彩さんがなによりもそれを推していたし、もちろんお母さんの美香子さんも応援していた。

 なにかと物入りになるだろうと、三日月堂への大口注文も時々仲介したりもした。僕のお気に入りの店だと言うことは、ファンの間ではすっかり有名らしかった。

 相米二さんが将棋の関係者が訪れること多くて、箔がついたと喜んでいるとひなちゃんがこっそり教えてくれた。

 

 美香子さんのお腹にいる赤ちゃんの経過も順調らしい。

 高齢出産に強い、都内の病院ってどこがあるだろうって、色々調べていたら、意外なことに藤澤さんよりも、後藤さんの方から助言があった。奥さんが何度かお世話になったことがあるらしく、信頼できるお医者さんに伝手もあった。

 おまえはほんと世話焼きだな……と面倒くさそうにしながらも、顔つなぎは丁寧にしてくれた。なんだかんだ後藤さんも面倒見が良いと思う。

 

 

 

 冬休み前、最後の部活の日には将科部のちょっとしたパーティをした。この秋は少し余裕があったから、野口先輩たちの実験に参加する機会も何度かあって、今の彼らの活動が以前の高校生の時の活動につながって行くのかと感慨深かったものだ。

 将棋のルールについても部員全員が覚え始めていた。

 桐山君のMHK杯を見るのが楽しみだなんて言われたら、勝ち進まない訳にはいかないだろう。

 クリスマスには、ケーキを持って施設の皆に顔をみせたりと、それなりに学生っぽいことも出来た年の瀬だった。

 

 

 

 ただ年末年始は、自宅で将棋三昧の予定だ。藤澤師匠は未だ入院中のままだから、昨年のような門下の集まりもない。

 この川辺のマンションで幾度となく一人で、年を越してきた。その日々を想うと少し懐かしくて、寂しいとはあまり感じなかった。

 

 今年の寒さは例年よりも厳しく、すこし体調を崩しがちだったのもあり、猫たちを構いながら、あかりさんや明子さんがお裾分けしてくれたお惣菜を食べて、のんびり過ごそうと算段していた。

 

 

 だから僕は、まさかあんなに珍客が訪れるだなんて想像にもしていなかった。

 

 

 

 

 

 


 

 プロ棋士ともなれば、それなりに付き合いもあるし、年末は挨拶にいかなければならないこともある。

 諸処の面倒事を一通り片付けて、妻の見舞いも終えた俺が、ふとそこに足を運ぼうと思ったのは、まぁただの気まぐれだった。

 

 

 藤澤門下の末の弟子のことをなんとなく気にかけてしまうのは、別に師匠に言われたからだけではない。

 年に似合わず、身の回りの事はしっかりやっていると思うし、俺が気を回さなくてもあいつの自称保護者は、大勢いる。

 それを分かった上で、たまに様子を見に行ってしまうのは、あいつの指す将棋を俺も気に入っているからなのだろう。

 

 これまでも何度か、ふらりとあいつの家に寄ることがあった。

 酒と、一応家主への手土産を持って、連絡も無く訪ねてみると、一報くらい下さいよと、最初は小言を言うくせに、将棋盤を挟むともうそんなことは二の次なのだ。

 

 あいつと指すのは、面白かった。

 ごちゃごちゃしている頭の中を一瞬で将棋一色に塗り替えてくれる。

 見舞いの帰りにふらりと寄りたくなるのは、あの時間の後は不思議と頭がスッキリして、心が落ち着くからなのかもしれない。

 

 

 

 川沿いを歩いて、あいつのマンションにたどり着くと、エレベーターの前によく知った後ろ姿が見えた。

 

「……なんで、てめぇがここにいる」

 

「あれ? 後藤さんじゃないですか。 桐山に会いに来たんですか?」

 

 両手に紙袋を持った島田は、のんびりとした口調でそう尋ねてきた。

 

「今年最後の対局の日に、桐山ちょっと風邪っぽかったんで、山形に帰る前に会っておこうと思いまして」

 

 年末に貰い物も多かったから、お裾分けもかねて、と袋をみせてくる。

 

「……そうか。これ、あいつに渡しといてくれ」

 

 俺は、興がそがれて、自分の荷物を押しつけてその場を後にしようとした。

 

「えー自分で渡して下さいよ。ここまで来たなら会っていったらいいじゃないですか。ほら、エレベーターも来ましたよ」

 

 ドアの開ボタンを押して、俺を促すそいつにどこか既視感を覚えながら、

まぁ……師匠にも頼まれてるしな……と渋々後に続いた。

 

「はい。どうぞ」

 

 インターホンを鳴らした後に、俺たちを迎え入れたのは、予想だにしない人物だった。

 

「宗谷!? おまえ東京に来てたのか」

 

「うん。ちょっと仕事があって。…… 寒いしさっさと入って」

 

 勝手知ったる様子で、そう促すあいつに続けば、部屋にいたのは桐山だけではなかった。

 

「土橋に隈倉まで……」

 

「よう。後藤、奇遇だな」

 

「島田と後藤さんも来たんだー、僕らもさっき来たとこ」

 

 部屋の大部分を占めている大きい炬燵に入って、暢気に返事をしたのは、土橋健司と隈倉健吾の二人だ。

 

「なんだ? 今日は何かの集まりか?」

 

「ううん。別に約束してたわけじゃない。宗谷くんが東京に出てくるのは知ってたから、ご飯でもどうかなって連絡したんだ。そうしたら、先約があるって言うからさ」

 

「たまたま、その場に居合わせた俺も興味があってついて来たわけだ」

 

 疑問に思った俺に、二人はそう答えた。

 

 聞けば、宗谷が東京に出てきた時、ついでに桐山の家にくることは、珍しい事ではないそうだ。

 特にあの棋神戦以降、その頻度は増しているらしい。

 

 それには、少なからず驚いた。

 宗谷冬司と言う男は、自ら動くということを滅多にしない。

 それこそ将棋を指す時以外は、省エネモードで頭の半分も動いていないのでは、と疑うレベルだ。

 

「島田さん、後藤さんこんばんは。宗谷さんもすいません、代わりに出てもらって……」

 

「気にしないで。台所で忙しそうだったし」

 

 キッチンの方でなにやら、忙しなく動いていた桐山が俺たちに声をかけた。

 答える宗谷の声は気安く、慣れたものだった。

 料理をしている桐山の手元をみる表情は、興味深そうで、こいつら本当に打ち解けているんだな、と少し意外だった。

 

 

 

「急に来て悪かったな。風邪はもう治ったのか?」

 

 島田はコレお裾分けな、と桐山に紙袋を手渡しながらそう尋ねた。

 

「はい。最後の対局の日の後ちゃんと病院行って、熱も昨日下がったんで、もう治りかけです」

 

 聞き捨てならない、その返事におれは思わず口を挟む。

 

「おまえ……熱があったなら連絡しろよ。師匠とも約束してるだろ」

 

「あっ……。でも、ほんとにちょっとでしたし、寝てたらすぐ下がったんで……」

 

 バツが悪そうにしている桐山と、説教している俺の様子を見て、隈倉は面白そうに笑った。

 

「後藤もすっかり保護者だな」

 

「……うるせぇ。一応同門だから仕方なくだ」

 

「後藤さんも島田さんも、よかったら食べて行ってください。隈倉さんたちがお鍋の材料沢山買ってきてくれたんで」

 

 もうすぐ出来ますから、と言われ、隈倉や土橋にも促され、結局俺と島田も腰を落ち着けることになった。

 

「お! おちびさん、元気だったか」

 

 炬燵に足を入れた島田の膝の上に、ぴょんと黒猫が飛び乗る。あいつは、それに嬉しそうに声をかけた。

 

「もう一匹いたんだね。シロくんにはさっき散々、つきまとわれたんだけど」

 

「桐山の家には番猫がいるって噂は確かだったな」

 

 初めてこの家に足を踏み入れた、土橋と隈倉はシロの奴に散々警戒されたらしい。

 今もキャットタワーの上から、こちらを悠然と見下ろしていた。

 

「黒い子……出てきたの初めて見た」

 

「クロは怖がりなので、お客さんが来てるときは滅多に出てこなくて……でも、島田さんには懐いてますね」

 

 宗谷の言葉に、桐山はそう答えて、机の上に箸や小皿を準備し始めた。

 

「おぉ? そろそろ完成か? 俺が運ぼう。結構な量になっただろうからな」

 

 隈倉がキッチンの方から鍋を運んできた。よくまぁこれだけ買ってきたなと思う。桐山の家に大きい土鍋があったのも意外だった。いつの間にか、知らない物が多く増えていた。

 具材はまだあるから、どんどん食べて欲しいと言う。

 

「お酒もどうぞ。隈倉さんたち買ってきてましたよね?」

 

 未成年がいるのにと遠慮しようとする島田を押し切って、桐山が勧めた。

 酒も煙草も、もうすっかり気にならないと言う。

 これだけ、棋士たちの間でもまれていれば、それも致し方ないのかもしれない。

 

 桐山はくるくるとよく気を回した。

 皿が不足すれば新しいものを出してきて、出汁が足らなくなれば補充した。

 宗谷のやつなんか、面倒みられっぱなしで、これじゃあどちらが大人か分かったもんじゃないと、隈倉に笑われていた。

 藤澤さんのところでも、こいつはよく動いていたなぁと思う。

 

 

 

 

 

 腹がふくれた後に、プロ棋士がこれだけ集まって時間もあるとなれば、指さないわけもなく。

 気づけば酒を片手に、将棋盤を囲っていた。

 

 ついこの間、宗谷が終えた獅子王戦の棋譜を並べ、検討する。

 4勝1敗と隈倉相手に、危なげなく防衛し宗谷はこのところ絶好調だった。

 

 それでも、5局目はかなりの接戦で、俺たちの間では話題になっている。

 隈倉に勝機はなかったのか、逆に何が敗因だったのかと、自然と議論になるのも当然で、そして、桐山は、そんなとき中々に鋭い指摘をするのだ。

 

 大人の中に割って入り、トップ棋士たちに物怖じもせず意見してくるのは、こいつも一端の棋士だからか。

 

 相変わらず生意気だが、こういう所を多分、俺も気に入っている。

 

 

 

 

 

 


 

「あれ? 桐山くん寝ちゃった?」

 

 ずっと長考しているのかと思った桐山くんは、気がつくと炬燵布団の隅にまるまって、小さく寝息を立てていた。

 

「珍しいな。一緒に指しながら、オールすることもあるのに」

 

「そこは止めてやれよ。 桐山まだ成長期なんだぞ」

 

 不思議そうな宗谷くんに、島田さんが呆れたように答えた。

 

「まだちょっと風邪っぽいって、ご飯のあと薬も飲んでたからじゃない? アレって眠くなるし」

 

 そうでなくても、急な来訪者を迎え入れて、色々と気を回して動いていたのだから、疲れたのだろう。

 宗谷くんが東京に仕事に来た時には結構な頻度で、ここを訪れていると聞いたときには驚いた。けれど、桐山くんは突然来た僕たちにも、戸惑った様子を見せなかった。

 普通若手の棋士は、宗谷くんをみたらガチガチに緊張するのだが、桐山くんの慣れた様子に、二人の仲の良さがうかがえた。

 

「何にせよ。このままで寝るのはよくない」

 

 隈倉さんは桐山くんを軽々と抱えると、ベッドへと運んであげていた。

 

「こうして見ると、ちゃんと子どもなんだな」

 

 毛布を掛けてやりながら、そう面白そうに呟く。

 さっきまで、僕たちと果敢に議論していた時と違って、寝顔はとてもあどけなかった。

 

「桐山くん今いくつだっけ?」

 

「13歳だ。来年中2になる」

 

 ふとこぼした僕の言葉に、後藤さんが小さく答える。

 

「まだ中坊なのか……俺にとったら何十年前の記憶かね」

 

「奨励会の頃から見てた俺からしたら、大きくなったなぁって思います。記録係を始めた頃なんて、身体も本当に小さかったですから」

 

 隈倉さんの言葉に、島田さんが懐かしそうに目を細める。

 

「島田は良いよなぁ。その頃の流れで、一緒に研究会やってるんだろ」

 

 誰が持ち込んだのか分からない饅頭をつまみに、酒を飲みつつ隈倉さんがそう続けた。

 

「まぁ、このメンバーで一番桐山と定期的に指してるのは俺でしょうね。毎回はっとするような手を指してくるから、うかうかしてられません」

 

 困ったように笑いながらも、その口調はどこか嬉しそうだ。

 

「まぁ俺も会長のテレビ企画のおかげで比較的はやく、桐山とは指せたけどな」

 

「でも、プロ入り後の公式戦で一番最初に桐山くんと指したのは僕だよ」

 

 機嫌よく島田さんに告げる隈倉さんに、僕も便乗すると、

 

「それを言うなら、このメンツで最初にあいつと対局したのは多分俺だし、奨励会の頃から数えたら対局してる数一番多いんじゃねぇの」

 

 まさかの後藤さんまで乗ってきた。

 お酒が入っているからかな。いつもより口が軽い。

 

「まぁ、プロ棋士の中で、一番桐山くんに勝ち越してるのは、僕だけどね」

 

 将棋盤に集中して、こっちの話なんて聞いてなさそうだった、宗谷くんがとどめにそうかましてきて、さすがの僕たちも驚いた。

 

「おまえはあの七番勝負で、対局数を稼いだからな」

 

「早くA級にもあがってくればいいのにね。総当たり戦きっと楽しいよ」

 

 きっとあの子はこのままB級にあがって、すぐにA級まで上がってくる。

 この歳でタイトル戦を経験しているのだ、実力はもう充分ある。

 

「桐山くんとのタイトル戦は良かったよ。特に後半戦。……はやく、またあんな対局ができたらいいな」

 

 小さく呟いた宗谷くんの言葉には渇望の色が滲んでいた。

 こんなに人間っぽい感情を出すことなんてなかったのに。これはひょっとしたら良い変化なのかもしれない。

 

「あのタイトル戦から、宗谷の棋風ちょっと変わったよな?」

 

「そうだね。受け身が多かったのに、ちょっと好戦的になったし、目新しい手が増えた」

 

「そう? あんまり、意識してなかったけど。でも、刺激を受けたのは確かだから。色々やってみたくなったのかも」

 

 自分のことなのに、相変わらずまるで他人事のようだった。

 

「刺激ね……棋匠戦にやたらと気合いが入ったのもそのせいか?」

 

 宗谷くんの言葉を受けて、後藤さんが尋ねた。

 

 現在六冠である宗谷くんが唯一挑戦者になる棋匠戦。

 年が明けてすぐやってくるその棋匠戦の挑戦権へ、宗谷くんはトーナメントを勝ち上がっている。挑戦権獲得は、ほぼ目前まで来ていた。

 

「うーん、挑戦者側も久々に体験したくなったからかな」

 

 防衛する側と挑む側。宗谷くんは最近めっきり挑む方には回っていなかった。

 桐山くんとの対局でそちらへの興味もわいたのだろうか。

 

 

 

「後は……なんとなく欲しくなったんだ。七つ目のタイトルも。

 そうしたら、あの子がどのタイトル戦で挑戦権を取ったとしても、目の前にいるのは僕でしょ」

 

 

 

 何の気負いもなく続けられた言葉に、僕らは今度こそ絶句した。

 

 もし仮に、七つのタイトルを同時保持することになれば、二度目の七冠として将棋界の歴史に刻まれる偉業となるだろう。

 それをまぁなんと、気軽にいってのけるのだろうか。

 宗谷くんは、史上初だとか、記録だとかに意義を見い出す性格ではない。

 だから、ただ純粋に欲しくなったのだろう。そして、本気で取りに行っている。

 

 ゾクッと背筋が寒くなった。

 その強さと、その自信への畏怖と、彼が本気になりまた一つ高みへと登ろうとすることへの歓喜だった。

 あぁ……きっと来年はより一層、名局が生まれることだろう。僕はそれが嬉しくて仕方なかった。

 

 

 

「かー!! 俺らは眼中にないってか!! おまえ、今に見てろよ」

 

 シンッと静まりかえった部屋に隈倉さんの声が響く。

 

「くっそ、余裕こいてるうちに、ぜってぇ引きずり降ろしてやる」

 

 後藤さんも心底嫌そうに眉をひそめた後に、そう続けた。

 

「別に、隈さんでもいいよ。後藤さんとも土橋くんともタイトル戦をやるのは楽しいし。島田もはやく上がってきてね」

 

 二人の勢いをものともせずに、宗谷くんはあくまでマイペースだ。

 その言葉に嘘はないだろう。僕らとタイトル戦をするのも楽しい。

 でも、今一番興味があるのが、桐山くんなんだろう。

 

「宗谷くん、今いろいろと楽しいんじゃない?」

 

 なんだか嬉しくなって、そう尋ねた僕に彼は一瞬きょとんとした顔をすると、

 

「……うん。 そうかも。 これはたぶん楽しいって感情だと思う」

 

 漫然とそう頷いた。

 

 将棋はもちろんだけど、彼はここ最近、生き生きしてるような気がした。

 そして、その勢いと調子の良さはしばらく止まることがないように思えた。

 

 

 

 

 


 

 食べて、指して、飲んで、指して、しゃべって、指して……僕のお正月はそれで終わった。

 島田さんは山形への帰省があったし、後藤さんも一晩いてすぐに帰った。土橋さんもご両親のことがあるから大晦日の前には、自分の家へ帰って行った。

 けれど、宗谷さんは、お祖母さんはお友達と旅行にいっていると言って、そのまま僕の家で年を越したし、隈倉さんも特に用事はないからと、それに付き合っていた。

 

 お酒が入っているときもあったから、普段の研究の時と違って、どこかのんびりと時間が流れた。

 A級棋士の人たちと検討しながら、年が暮れていくなんて、どれほど贅沢なことだっただろう。

 

 

 

 年が明けてからの将棋界は宗谷さんと柳原さんの棋匠戦の話で持ちきりだった。

 同時並行しているタイトル戦があるにも関わらず、破竹の勢いで勝ち上がり挑戦権を獲得した宗谷さん。

 もし棋匠のタイトルも獲得することになれば、彼は再び、七冠になる。

 偉業再び達成か! と世間からの注目も高かったらしい。

 

 僕も二局目には、大盤解説に呼ばれて、間近でその対局をみていた。

 手堅く丁寧に指している柳原棋匠と、序盤から果敢に攻めていく宗谷さん。

 新手も飛び出して、後から宗谷さんの棋風の若々しさは大きな話題を呼んだ。

 

 現状に甘んじない。進化し続ける天才。一人次元の違うレベルに到達した。

 なんて、あおり文句が新聞を賑わせ、宗谷さんは結局三連勝をし、ストレート勝ちでタイトルを奪取することになった。

 

 

 

 

 何度も何度もその棋譜を見直して、検討していると、僕の気持ちも上がってきた。

 

 指したい。

 宗谷さんと公式戦で。

 9月のタイトル戦の時とはまた違う、彼に会ってみたい。

 

 そんな気持ちを抱えて、夢中で目の前の対局をこなし続けた。

 

 そして、その機会は訪れる。

 

 MHK杯決勝。

 本戦出場者のなかで勝ち上がってきた僕は、その大舞台で宗谷さんに挑むこととなる

 

 

 

 

 七冠で世間を賑わせたすぐ後、おまけに棋神戦での対局の記憶も新しかったようで、この対局の注目度は非常に高かった。

 

 MHK杯のほとんどの棋戦は録画での収録で、そのあと順次放映されるのが通例だが、今回の決勝戦は生中継されることが決定した。

 

 持ち時間が短いとはいえ、対局時間は前後しやすい。放映の枠を取るのも大変だろうに、会長はまた張り切っているようだった。

 テレビで予告のCMまで流れていて、学校でも、随分と話題になった。

 林田先生は勿論、教頭や校長もそわそわしていたし、クラスメイトにまで日曜日絶対見るから、と声援を送られた。

 青木くんからは、施設の子達が宗谷さんはラスボス並みの強さと認識しているらしく、零兄ちゃんがラスボスに挑むんだ! ととても興奮していたと報告された。

 

 

 

 棋神戦の敗退からおよそ半年。

 僕はどれだけ、成長できたのだろう。

 少しは宗谷さんに近づけたのだろうか。

 

 

 

 対局の日はあっという間にやってきた。

 

 先手が僕で、後手が宗谷さん。

 持ち時間10分、使い切ると30秒の早指しによる対局が始まった。

 

 僕が選んだ戦法は「棒銀」で宗谷さんは、少し意外そうな表情を浮かべたけれど、すぐに対応してきた。

 棒銀は、銀を捨てて香車と飛車で端を突破するという戦型が多くなる。

 この対局もその例にもれず、僕は銀を捨て、宗谷さんの香車と交換し、右端を突破しようと試みた。

 けれど、中盤の宗谷さんの手が冴え渡り、思うように動けない。

 どこに逃げても飛車が取られてしまう。

 考えた末、飛車は逃げずにここは2四歩として宗谷さんの飛車を取り、その歩で銀と金の2枚替えを狙おうと試みた。

 

 状況は良くなかった。

 僕はなんとか、宗谷さんの銀と金を剥がしたものの、宗谷さんの香車で飛車と桂馬が剥がされてしまった。

 そして、58手目、1八飛打。

 取られた飛車を絶妙な位置に打ち込まれた。

 

 まずい……2九歩成と指されたら、ほぼ必勝状態じゃないだろうか。

 それに、僕の攻めゴマは盤上の香車1つだけ。持ち駒は、角金銀と豊富だけれど、盤上では攻めゴマとして働いている駒が少なすぎる……。

 せめて持ち駒に飛車があったら、1二の地点に飛車を打ち込んで一気に寄せに持っていく事も可能かも知れないが……。

 

 駄目だ!

 考えろ!

 長考用の持ち時間の10分はあと少ししか残っていなかった。

 その数分がまるで、数時間に感じるほど、思考の海に深く潜り込む。

 全部読み切っているような暇はない。

 経験と、流れと、感覚と……全ての研ぎ澄まして、その一手を探した。

 

 

 

 

 

 そうして思考の果てに僕は、見つけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

 

[うーん、桐山六段これはちょっと厳しいか……]

 

[完全に宗谷名人ペースだな。]

 

[名人が2九歩でもうきまりだろ]

 

[いやーやっぱ最近の宗谷名人なんか違う。]

 

[今までも、別格だったけどさ。なんかさらにやばくなってね?]

 

[あーまた宗谷さんの優勝か……これで何勝目よ]

 

[ここ最近ずっとこの人が取ってるからなぁ。桐山くんに期待してたんだけど]

 

[名人は早指し比較的得意だし、あの人の読みの速さについていける棋士もういないんじゃないの?]

 

[桐山六段、長考時間使い切る気かな~]

 

[どれだけ考えてもここからはひっくり返せないだろ]

 

[あ、打った]

 

[んん? 5二銀?]

 

[え、これは悪手じゃね? 金か飛車かただであげるようなもんじゃん]

 

[さすがに無理だったか……]

 

[え? でも解説の土橋九段、めっちゃ絶賛してるよ?]

 

[ちょっと待てよ]

 

[これ、同金や同飛車しちゃだめだよ! その後詰むのは、名人の方だ]

 

[まじで?]

 

[これ取ったらだめなんか]

 

[あ、俺もわかった。確かに駄目だ]

 

[じゃあ、放置してそのまま攻めるのは? このままでも名人優勢だろ]

 

[んー、そうでもない]

 

[これもしかして、もしかするかも]

 

[攻めるなら2九歩成から王手かけてくことになるけど……桐山くんの持ち駒多いから、逆に宗谷さんの玉が詰みかねん]

 

[あ、宗谷名人、4二玉だって]

 

[うーん、弱いな……]

 

[うっわ、桐山六段、6一銀不成で金補充!!]

 

[名人、これは痛いな]

 

[一気に形勢かわっちまったな……]

 

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

 

[67手目 3二金打 にて宗谷名人の投了!!]

 

[すげぇ……61手目の5二銀から、わずかに6手]

 

[鳥肌がとまらん]

 

[あの一手が全部ひっくり返しちまった]

 

[確かに、あそこに指されたらそこしかないって分かる。けどあの数分でそこにたどり着けるか?]

 

[常人には無理]

 

[魔法みたいな一手だったな]

 

[うわー七大タイトルじゃないけど、桐山六段、全棋士参加の棋戦ではやくも優勝か]

 

[これは熱い。二度目の七冠でまだまだ宗谷一強の時代が続くかと思われた矢先に]

 

[最年少棋士が破って優勝ってか!]

 

[これでまた昇段だな]

 

[じゃあ桐山七段?]

 

[まだプロになって二年しかたってないのにww]

 

[六段だった期間も半年くらいしかなかったな……]

 

[七冠のラスボスから、なんでもいいからタイトル取って欲しいなぁ]

 

[もしそれが実現したら中学生のタイトルホルダーになるわけですが]

 

[ここまで来たら、全然ありえる]

 

[むしろいま一番確率高いの桐山君じゃね?]

 

    ・

    ・

    ・

    ・

    ・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3月末。

 MHK杯で優勝し七段になった僕は、最後の順位戦の日を迎えていた。

 今年度最後の棋戦。

 この対局に勝てば全勝でB2への昇級も決まる。

 宗谷さんの連覇を阻止し、優勝したことで、周囲はまた少し賑やかになっていたが、会長達がうまく采配してくれるおかげで、それほど困ってはいなかった。

 

 

 

 その日の対局相手は、なぜだかとても緊張している様子で、序盤からあまり手に切れがなかった。

 打ち掛けの前には、ほぼ勝負は決したようなもので、夕方には終局になりそうなくらいだった。

 

 

 

 予想に違わず、その日の対局は勝利で終えた。

 会館を出たあと、携帯電話に入っていた一通のメールを見た瞬間、僕は走り出していた。

 

 一秒でも早くそこに行きたかったから。一秒でもはやく会いたかったから。

 

 道端でタクシーを拾って、病院の名前を告げて、あとはそわそわと落ち着きがなかった。

 せわしなく何度も、何度も、携帯電話の画面をみていた。

 運転手さんも僕の様子をみて、何かを察したのだろう。お客さん、なるべく裏道使って急ぎますから、と静かにそう言ってくれた。

 

 タクシーが病院に着いた後、お釣りはいりませんから、と運転手さんに代金を押しつけて、車を飛び出した。

 病院の中は走っちゃ駄目だって、精一杯抑えて、告げられた病室へ向かう。

 でも、傍目からみたら、ほとんど駆けているのと変わりなかった事だろう。

 

 ようやく病室の前に辿りついて、呼吸を整える。

 ドアをノックしようと、持ち上げた手は震えていた。

 

「はい、どうぞ」

 

 返された声は、想像よりずっとしっかりしていた。

 失礼しますと声をかけて、そっと病室に入った僕が目にしたのは、疲れた表情ながらも意識もしっかりして、どこか嬉しそうな美香子さんの姿だった。

 

「あの、僕、あかりさんのメールに今さっき気づいて……それで……」

 

 頭の中がこんがらがって、うまく言葉にならなかった。

 

「うん。ありがとう。急いできてくれたのね。無事に生まれたの。私も、この子も元気いっぱいよ」

 

 全身の力が抜けるかと思った。それくらいの安堵感だった。

 

「びっくりさせてごめんね。桐山君が、対局中だと思ったから、お産が始まった時は連絡しなかったの。でも、生まれたのは、はやく知らせたくて……」

 

 病院を探してくれたり、先生を紹介してくれたり、本当にお世話になったから、と続けられて僕は慌てて首を振った。

 

「そんな! 僕に出来たことなんて、それくらいで。後は、皆さんが協力して頑張ったからで……。あの、顔をみせてもらっても良いですか?」

 

「もちろんよ! 抱いてあげて」

 

 美香子さんはそう言うと、そっと赤ちゃんを僕に手渡した。

 自分の子どもの世話をしていたから、抱っこするのなんて慣れているはずなのに、なんだかとても緊張した。

 ふにゃふにゃで小さくて、柔らかくて、これほどまでに尊い存在はないように思えた。

 

「……名前は? 名前はもう決められたんですか?」

 

 美香子さんは、そっと頷いた。

 

「もも。この子の名前はもも。

 女の子だったらこの名前にしようって、ずっと前から決めていたの」

 

 色々辛いことがあった、我が家に春をつげに来てくれる子。美香子さんは静かにそう呟いた。

 

「……っ、とっても! とっても良い名前だと思いますっ」

 

 いろんな気持ちがこみ上げてきて、それ以外言葉にならなかった。

 小さなこの命が、いまここに在ることが奇跡だと思った。

 

「ももちゃん。これから、よろしくね」

 

 抱き上げた僕の手の指をももちゃんが、小さく握り返した。

 また、君と会えて嬉しい。

 これから成長していく君をそばで見ていられるなんて。

 

 相米二さんはさっきから感動して泣き通しで、彩さんはあかりたちの時と同じね、とその様子にすこし困ったように笑っていた。

 ひなちゃんは、ももちゃんのことをのぞき込んでは、終始にこにこしていた。

 無事に専門学校への進学を決めたあかりさんは、ももちゃんを抱く美香子さんにずっと寄り添っていた。

 

 

 

 うららかな春の日の夕方。

 幸せがそのまま形になったような光景だった。

 

 大丈夫だ。川本家は、これからもきっと大丈夫。

 何の根拠もないけれど、その日、僕はそう確信した。

 

 

 

 




桐山くんはB2への昇級も決め、プロ二年目の年も様々な最年少記録を塗り替え続けました。
三年目は再びのタイトル戦への挑戦に期待がかかっています。
お正月のひょんな集まりの後、桐山君の部屋には度々、A級棋士が訪れます。
川本家の末娘、ももちゃんも無事に誕生。ももちゃんの名前の由来は知らないけど、なんとなく桃の花からだったら良いなぁって。ちょうど季節が3ー4月にかけてです。

長期で投稿をお休みした後、なんとか戻ってきた時に書いたものですが、タイトルは気に入ってます。
なんとなく、いろいろ複雑におもいつつ、葛藤しつつ、でも開き直って好きに書いた記憶がありますね。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。