小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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タイトル挑戦編
第四十四手 新緑がのびて


 

 4月。新しい年度が始まって、僕は中学二年生になった。

 クラス替えが行われたが、担任は林田先生のままだったし、クラスメイトも野口先輩をはじめとした将科部の面々が多く、新しいクラスになんの不安もなかった。

 MHK杯での僕の優勝は、メディアで大きく取り上げられていたため、年度初めの登校日は、色々な人から盛大に祝われた。

 友人たちはもちろんだったけど、校長先生や教頭先生の興奮具合は頭一つとびぬけていた。

 校舎に横断幕が、かかりそうな勢いで、そこまではしなくていいですと、必死に止めたものだ。

 

 今年の将棋大賞も発表された。

 最優秀棋士賞はもちろん宗谷さん。二度目の七冠を成し遂げたのだから当然だろう。

 好調だったのもあり、記録部門でも勝率一位と、最多勝利を受賞していた。

 意外だったのが、優秀棋士賞を受賞したのが僕だったこと。

 3月にMHK杯で優勝したのが、大きかったと思う。棋神戦の影響で一度途切れていたものの、後期の棋戦はほぼ落とさず、今年も記録部門で連勝賞をとっていた事も、要因かもしれない。

 

 前人未到の強さを見せ続ける、将棋界の顔である宗谷さんと、期待の新人である僕のツーショットは新聞に掲載され、昨年同様、世間の受けは良いらしく、会長はもちろん広報担当の人達は上機嫌だった。

 

 宗谷さんは相変わらず絶好調の状態を維持している。

 棋匠を奪取し、七冠になった後すぐ、玉将戦の七番勝負が土橋さんとあったが、ストレートで防衛していた。

 間で僕とのMHK杯を挟んだし、多忙なスケジュールだっただろうに、その疲れは少しも見られなかった。

 そうこうしているうちに、4月はもう名人戦がはじまる。昨年度のA級順位戦を勝ち抜いた隅倉さんとの七番勝負だ。

 

 今年度の将棋界は、宗谷名人がいつまで七冠を維持できるのか、いったい誰が、彼の人からタイトルを奪取できるのか、注目が集まることになるだろう。

 

 僕も新年度、好調な滑り出しをして、どのタイトル戦でもいいから挑戦権の獲得を目指したいと思っている。

 そんな中、最近、僕を悩ませていることが一つ。

 

 どうにも夕方対局が終わったあとくらいから、夜寝ているときなど、関節が痛むのだ。

 その日によって、痛みが出る場所は違う。痛みの程度も違う。酷いときは寝られないくらい痛いし、ある日は全く痛まない事もある。

 痛むのは足が多かったけれど、時々肘のあたりが痛いこともあって、痛むところに法則性もあまり見つけられなかった。

 夜、研究をしている時に痛みだすと、集中できなくて煩わしかったものの、眠れないときは市販の痛み止めを飲めばしのげたし、対局がある日中に痛むことが少なかったため、病院にいくこともなく、結局そのままにしていた。

 

 けど、4月末になると、痛む頻度は増えて、遂には対局中にまで影響を及ぼすことになった。

 

 決定的だったのは、5月頭にあった聖竜戦挑戦者決定トーナメントの準決勝の日。

 2月末ごろから始まっていたこのトーナメントに僕は、本戦から出場していた。昨年島田さんに敗れたものの、ベスト4まで進みシード権を獲得していたからだ。

 今年も同じく準決勝まで、勝ち進むことが出来て、その対局相手は後藤さんだった。

 

 おかしいなと感じ始めたのは、昼休憩の後すぐのこと。

 駒を持ち、指すという小さな動きをするごとに、正座をしている足にピリリと痛みが走った。

 夜中に一番、痛む頻度が多い膝だった。

 

 対局は中盤で、集中力も増していて、それほど気にならなかったものの、時間がたつごとにその痛みの存在感も増してくる。

 ついには、変な汗まで出始める始末で、僕は自分の手番で一度席を外して、対局室の外に出た。

 膝を伸ばしてみても、痛みは取れない。寧ろ固まっていた状態からいきなり動かしたから、かえって良くなかった気もする。

 鞄に潜ませていた痛み止めを飲んで、気を紛らわせた。

 効いてくるのには時間がかかる。それにこれから夜になるにつれて、痛みの程度は増すだろう。

 

 よりにもよって、なんで今日なのだろうと考えながら、持ち時間が減る一方なので席に戻った。

 

 あまり気は進まなかったけれど、このまま正座をするよりは……と失礼しますと一声かけて、ゆるくあぐらで座らせて貰った。

 後藤さんは、一瞬だけチラッと視線をあげて僕の方を見たけれど、何も言っては来なかった。

 普段はあまり使うこともない、脇息も利用しながら行った終盤は、また対局に集中出来たと思う。

 

 

 

 けれど、ねじりにねじ切れて、この対局は後藤さんの勝利で終わった。

 

 

 

 感想戦もそこそこに切り上げると、後藤さんは、すくっと立ち上がって、一言。

 

「送っていってやる。ついでに、病院に寄るぞ。この時間ならまだどっか開いてるだろ」

 

 体調が悪いのはお見通しのようだった。

 

「え……。大丈夫ですよ! 必要ならちゃんと自分で行きます」

 

「俺に勝ってたら、信じてやっても良かったが。負けたんだから、大人しく言うこと聞け」

 

 にべもなく、そう告げられて、手を引かれるままに車に連行される。

 対局室を出るときに、歩けないなら運ぶぞ? と言われたが、それだけは断固拒否した。

 

 車の中で、いつ頃からどういう症状で、今どう痛いのか、根掘り葉掘り聞き出された。

 結局、後藤さんの知り合いの先生で、整形外科の外来をしている個人病院に寄ることになった。

 相変わらず、棋士の顔は広い。

 

 外来時間終了ぎりぎりだったにもかかわらず、あっさり受付を済ませて、診察になった。

 レントゲンをとって、触診と問診を済ませた後、先生が一言。

 

「おそらく、俗にいう成長痛です」

 

「……成長痛」

 

 想定外の単語が出てきて、ぽかんと聞き返してしまった。

 

「えぇ。桐山君、急速に身長が伸びてますし、痛みの箇所がコロコロ変わること、夕方から夜にかけて痛むことが多いようですし、まず間違いないでしょう」

 

 数ヶ月前より、身長は5cm伸びていた。よく周りにいる大人が大きいから、あまり実感はなかったけれど、どうやら僕は成長期に入ったらしい。

 

「もともと、激しい運動をする子とかに、痛みが顕著にでることが多いけど、君はすこし膝に負荷がかかることが多そうだしね」

 

「えっと……じゃあ、しばらくはこの痛みが続くってことでしょうか?」

 

「まぁそうなるね。身体にとっては大事な時期だし、うまく付き合っていくしかない」

 

 いくつか、痛みの軽減に効くストレッチを教えてもらい、症状にあった痛み止めを処方してもらった。

 常用は好ましくないらしく、今日のようにどうしても痛むと困る日にだけ、飲むようにといわれた。

 対局の日は、仕方ないかもしれないが、普段家で研究する時は正座はやめておくとか、負担も減らすようにアドバイスをくれた。

 

 

 

 

 

「後藤さん、今日はありがとうございました」

 

 病院を後にして、僕のマンションの近くまで送って貰ったあと、後藤さんにお礼を告げた。

 迷惑をかける前に、さっさと病院に行っておくべきだったと思う。

 

「……そういえば、少しは視線が近くなった」

 

 僕のことをしばし、無言で眺めた後、後藤さんはおもむろにぐしゃぐしゃと僕の頭をかき混ぜた。

 

「うわっ、もう。何なんですか!」

 

「こういうのは、幸田さんの担当だと思ったんだがな。ま、まだまだチビには変わりねぇ。しっかり育てよ」

 

 薬がなくなったら、また連れて行くから言うようにと、僕に約束させて彼は帰っていった。

 

 その日の夜は、昼間痛んだ代わりなのか、原因が分かって少し落ち着いたからか、足はあまり痛まなかった。

 成長痛とか、何十年も前のこと過ぎて、以前の自分にあったのか、覚えがない。

 こんなに酷くはなかった気がするけれど、以前とは環境も生活スタイルも違い過ぎるし、多少の変化は仕方ないのかも知れない。

 面倒だけれど、時間が解決してくれる。先生の言っていた通り、うまく付き合って行くしかないだろう。

 

 

 

 

 


 5月に入りその月、初めての研究会の日。

 島田さんは、先日の聖竜戦の決勝で後藤さんと対局をして、宗谷聖竜への挑戦権を獲得することになった。

 研究会では、僕の敵討ちになったと二海堂が大はしゃぎで、タイトルに挑戦する兄弟子へ羨望のまなざしを向けていた。

 

 宗谷さんと言えば、名人戦で隈倉さん相手に連勝を重ねている。このままだと、またストレート防衛になりそうだった。

 島田さんは好調な宗谷さん相手にどう、戦おうかと今から色々考えているようで、研究会とは別に個人的に指さないかとも誘われている。

 オールラウンダーはそういないから、僕と指すのは感覚をならすのに、都合が良いのだろう。

 

「桐山は、聖竜もだが、棋神のリーグも惜しかったなぁ」

 

「プレーオフだったんだろ?」

 

 島田さんと、重田さんに尋ねられて頷く。

 

「えぇ、辻井さんにあと一歩のところで持って行かれてしまいました」

 

 昨年僕が挑戦権を得て、宗谷さんと対局した棋神戦。ことしは、紅リーグのシード参加から始まったが、成績が辻井さんと4勝1敗で並んだのだ。そして行われたプレーオフで惜敗。

 その日の辻井さんの四間飛車は見事だったとしか言い様がない。

 

「白リーグの優勝は後藤さんでしたね。どちらが今年の棋神の挑戦者になるのかなぁ」

 

「後藤さんも、最近は気合いが入ってるからな。俺も聖竜の挑戦権ギリギリだったよ」

 

「あの対局は凄かったですよ! 特に終盤にかけての島田さんの粘り」

 

「兄者の気迫が伝わってきました!」

 

 結局その日の研究会は、その棋譜の研究がメインになった。僕が後藤さんの視点で指していて、終局間際これは、という一手があったので、ひょっとしたらひっくり返されていたかもなんて、4人で盛り上がった。

 

「あ、桐山はしばらくここでも正座禁止な」

 

「えぇっ……、ひょっとして広まってるんですか?」

 

「んー、まぁ。後藤さんとの対局は観てた奴も多かったし。その後も時々、足崩してることあっただろ?桐山は、奨励会の頃から一度もそんなことなかったからなぁ。多少は、目につくだろ」

 

 その後島田さんは、小さく見守る会の情報網がどうのと言っていたけど、よく聞こえなかった。

 

「うむ。俺も見ていたが、あの日の桐山の様子は気になった。終盤は見事だったが、中盤いささか精彩を欠いていたからな」

 

「二海堂あの日、メールくれたよな。心配かけて悪かった」

 

「大事ないなら良いのだ! 対局に集中できない煩わしさは、俺もよく分かっている。あの日以降は、問題なさそうでなによりだな」

 

 日中に痛みが出そうな日は、少ないが、外せない対局の日はあらかじめ薬を飲むようにしている。

 あの類の薬の欠点として、どうしても眠気をさそい思考が鈍くなりがちだけれど、それは対局への集中力でまぁなんとかなった。

 

「研究会の日まで、無理しなくて良い。おまえさんだったら、普段からしてないと公式戦で持たないとかも無いだろし」

 

「身が引き締まるというか、しっくりくるのはやっぱり正座なんですけどね……。しばらくは仕方ないかぁ」

 

「桐山が成長期な……初めてここで会ったときは、ランドセル背負ったチビが来たと思ったんだが、子どもの成長ってはやいのな」

 

「重田くん。その言葉、完全に親戚のおじさんだよ」

 

「そのうち重田さんの身長も追い越しますよ」

 

「あぁ? それはまだ無いだろ」

 

「いやーわかんないよ。俺たちおじさんはもう伸び止まってるけど、桐山はこれからどんどん伸びるんだから」

 

 帰り際、島田さんや重田さんを見上げてみて、少しだけ以前の記憶に近い視点になってきたことを実感した。

 そんなに身長が欲しいわけではないけれど、前と同じくらいには伸びて欲しいと思う。

 そろそろ、大盤解説の時に、台がいることもなくなるだろう。

 

 

 

 

 


 

 6月上旬になると、今年の順位戦が始まった。

 B級2組での最初の対局相手は、すこしだけやりにくい相手。

 色々といわくがある滑川七段だ。

 この方とは、以前も何度も対局したけれど、どの棋譜もそれはもうなんとも言えない展開だった。なぜか、僕相手の時は異常な粘りをみせるから、正直苦手な相手である。

 今世ではどうなることか……。

 

 家を出るときは、晴天だったけれど、将棋会館に近づくごとに雲行きが怪しくなり、到着する頃にはすこし小雨が降り始めた。

 僕は比較的余裕を持って、対局室に入る事が多いけれど、その日はもう先に滑川さんが席に着いていた。

 

「公式戦で当たるのは、初めてですね。この日が来るのをとても楽しみにしていました」

 

 お決まりの黒いスーツに身をやつしていた彼はそう声をかけてきた。

 

「今日はよろしくお願いします」

 

「あぁ……対局が始まる前に言っておきますが、足、気にしなくて結構ですので。私は君のあるがままの対局がみたい」

 

「……お気遣い、ありがとうございます」

 

 人間観察が好きな彼だから、知っているのか、あるいはそれほど僕の話は広まっているのか。どちらにしても長い一日になりそうだなと思った。

 

 

 先手が僕で、後手が滑川さん。

 対局は振り飛車で始まった。前の時の筋違い角のような、奇をてらった戦法も警戒していたけれど、滑川さんが一番多く使う戦法で来たようだ。

 相変わらず読めない人だと思う。

 

 彼の6手目は5二飛。飛車に手をかけ中央5筋へと振る「ゴキゲン中飛車」の構えだ。

 受けの印象が強い中飛車の中でも、後手番からの攻めの戦法として使われる。

 

 それに対して、僕は3七銀。

 ゴキゲン中飛車の対策としては有名な手だ。序盤は、不気味なくらい定石通りの展開となった。

 

 中盤は持久戦の意向が示され始め、お互い堅く穴熊を組む形に。

 僕は、堅陣にうまく大駒も連動して指すことが出来て、まずまずの陣形になったと思う。

 それでも、じわじわ、じわじわと、僕の穴熊の隙をつこうと、攻め手をみせてくる滑川さん。

 

 時々、席をたったとき、なぜか部屋の入り口からじっと此方をみていたり、対局中も視線を感じたり、やりにくくて仕方なかった。

 

 そして、終盤、やはりただよって来た千日手の気配。

 

 冗談じゃない! ここから指し直しなんて事になれば、終局は夜中になってもおかしくない。

 絶対にそれは避けたかったぼくは、もう攻めに攻める猛攻。

 彼の意図をはねのけて、なんとか辛勝をつかんだ。

 

「負けました」

 

「……ありがとうございました」

 

 はぁと大きく息をついて、僕も頭を下げた。

 

「……残念だなぁ。もっと面白くなりそうだったのに。続けるには私の力がすこし及ばなかった。感想戦に入っても大丈夫ですか?」

 

「はい。お願いします」

 

 比較的長い対局となったので、一応、彼は気にしてくれていたようだ。千日手にしようとしてたのに……と思いつつも、感想戦をうける。

 感想戦中も視線をはっきりと感じながら、駒を動かした。

 

「あぁ……君との対局は期待以上でした。宗谷名人と君の対局を観てからずっと気になっていたんですよ。実際に指すのは、観た以上の素晴らしさだった」

 

 次に、指せるときまで腕を磨いておきますと、彼は言った。

 

「その時は、またよろしくお願いします」

 

 当分はないといいなぁと思いながら、僕はそう返事をした。

 

 

 

 

 

「桐山~おつかれ!」

 

「あ、スミスさん。お疲れ様でした」

 

 僕と同じくB2のスミスさんは、対局室で別のB2の棋士と対局だった。

 

「いやぁ、めちゃくちゃ面白い対局だったわ。滑川さん絶対おまえのこと気に入ったぞ」

 

「そうなんでしょうか……。そういえばスミスさんの対局は少し前に終わってませんでした?」

 

「滑川さんと桐山の対局に興味があったし、ちょっと話もあったから待ってたんだよ」

 

「……? 僕になにか用事でしたか?」

 

「ま、それは後で。良かったらメシ行かね? B2初戦、お互い白星発進ってことでおごるよ」

 

 断る理由もなかったので、夕飯は一緒に食べることになった。

 栄養をつけろ、肉を食えと、連れられて行ったのは個室もある小綺麗な焼き肉店だった。

 

 お腹も少し満たしたところでスミスさんが切り出す。

 

「桐山はさ、参加してる研究会島田さんのとこくらいだろ。他には興味ない感じ?」

 

「そうですね……個人的に指してる方はいますが、研究会みたいなのは島田さんのとこだけです」

 

 お正月以来、あのとき集まった面々がときおり、僕の家に指しにくる。宗谷さんも忙しいだろうに、次の日対局はないけど、東京で仕事があるとやってきた。宿代わりとして使われているような気がする。

 

「だったらさ。桐山が主催する気ない? 研究会」

 

「……。 えぇ!? 僕がですか!?」

 

「そんな驚くことでもないだろ。 若手同士で集まってる奴らもいるんだ」

 

「いや、だからって僕が開くことも……」

 

「何言ってんの。タイトル挑戦経験も、一般棋戦の優勝経験もある七段なんだぞ。充分だろ」

 

 研究会。以前も個人で研究することが多かったし、あまり参加した事は無かった。僕が開くとなると、どうしても違和感が先に立つ。

 

「別に大人数でしろってわけじゃない。こぢんまりとしたのでいいんだ。ぶっちゃけ、俺といっちゃんと横溝あたりとどう? ってお誘いなわけ」

 

 悩んでいる僕に、スミスさんはそう声をかけた。

 

「あぁ……なんだ。それなら、大丈夫ですよ」

 

 知り合いばかりだし、気心知れた人たちと指すのは悪くない。

 

「一番棋戦、忙しいし、学校もあるだろうからさ。桐山の都合良いときに、集まって指せたら面白いだろうなぁと思って」

 

 場所は、誰かの家で良いし、負担になるならその時々で回すのもありだろうとの事だった。

 

「あ! じゃあ、予定合わせてもらってますし、僕の家使って貰っていいです。将棋盤結構ありますし」

 

 一つは、宗谷さんが置いていったものだけど、好きに使って良いと言われている。

 

「まじで、いいの? 研究資料とかだって置いてるだろ」

 

「別に好きに観て貰っていいですよ。そんなたいした物じゃないですし」

 

 新手の研究やほんとに重要なものは、パソコンにほとんど入っているし、見られて困るようなものは無かった。

 

「まぁ猫がいるので、それだけは少しやりにくいかも知れませんが、将棋の邪魔をしてくる子達じゃないので」

 

「あの有名な猫たちか。 大丈夫、猫アレルギーの奴とかいないし、賢い子達なんだろ」

 

「あ、若手の研究会ってことなら、二海堂をよんでも良いですか?」

 

「全然OK。島田さんの門下、期待の若手だろ。俺たちも気になってたし」

 

 月一か、出来たら二回くらい集まれたらいいなぁとこれからの事を話して、そこはお開きとなった。

 空いている平日の夕方からでも良さそうだとの事。

 土日は、僕が対局が入っていることがほとんどで、なかなか難しかったからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 スミスから、桐山の承諾をもらえたと連絡があったのは先日のこと。

 それからトントン拍子に話は進んで、桐山の家で初めて研究会が行われることになった。

 

 そもそもの発端は、スミスと一砂と飲んでいるときだったと思う。

 俺も七段で、司会には自信もあるし、イベントに呼ばれることも増えて若手の中では期待されている方だとは思うけど、正直桐山の活躍には霞む。

 

「ついにさ~桐山優勝しちまったよ」

 

「七段か~。あっさり追いつかれちまったな。……いや、むしろタイトル挑戦経験があるのは桐山だから実質追い抜かれてる?」

 

「俺なんか、同期なのにまだ四段のままだよ」

 

「普通だろ……プロになってからまだ2年だぞ」

 

 落ち込んだように机に懐く一砂に、スミスはそう声をかけた。

 

「棋神戦以降、調子も落とさず好調だよな」

 

「俺もうあんまり指す機会無いかも。桐山、ほとんどの棋戦本戦からじゃん」

 

「俺は順位戦でまだ可能性あるんだけどな」

 

 一砂はC2だし獅子王戦の組も違うから、なかなか厳しいだろう。

 

「対局したいよな。公式戦でなくていいからさ」

 

「A級棋士に頼むのは絶対無理でも、桐山とはせっかく繋がりあるしなぁ。あいつの実力はA級並だし。」

 

「一度声かけてみるか……? あいつは学校もあるし、忙しいって断られたらそれまでだけどさ」

 

 駄目元のつもりだったけれど、桐山はあっさり承諾してくれたらしい。

 おまけに、場所まで提供してくれるそうだ。確かに、学校後にするのなら、帰宅後家でそのままやれる方が楽なのかしれないが、有り難いと思う。

 

 桐山が気後れするから、若手の研究会なんて名目だけれど、実績的にも、俺たちがもらえる利益の多さ的にも、実質桐山主催と言って良い。

 

 

 

「お待ちしてました。どうぞ入ってください」

 

「おぉ~、お邪魔します。あ、二海堂はもう来てたんだ」

 

「お初にお目にかかります! 松本殿とは、以前順位戦でお会いしましたな」

 

 スミスの言葉に、少年が元気よく応えた。

 彼が二海堂晴信。桐山の次の六人目の中学生プロ棋士。三段リーグを一期で抜けたことは、俺たちの中でも話題になった。

 本人の意向により、高校には進学せず、将棋に集中することを選んだらしい。プロ入り後の成績も悪くないし、期待の若手の一人として数えられている。

 

「二海堂、元気だったか? 順位戦、俺とはあたらないみたいだったし、ここで指せるの嬉しいよ」

 

「俺も、呼んでもらえて光栄でした!」

 

 厳しい事で有名な桐山の白猫は、最初部屋にあがった俺たちにつきまとっていたが、ひとしきりすると満足したのか、キャットタワーの上にあがって、こっちを見ていた。

 若干、声の大きい一砂のことは、苦手のようだった。

 

「そんじゃま、2局ぐらいは指せるか? 持ち時間10分でさくさく指してこうぜ」

 

 あみだで対局相手を決めて、余った一人は記録にまわる。次の対局ではそいつに指名権を与えて、指すことにした。

 

「うわ、桐山この将棋盤めっちゃ高そう……どうしたの、コレ」

 

「あぁ~それは、借り物というか。とある方が置いていったというか……」

 

「普通に、タイトル戦とかで使われそうなくらいの品なんだけど……」

 

「でも、使って良いって言われてるので、気にしないで下さい」

 

 良い物で指すと、気分が上がりますよなんて、サラッという桐山。これだけの品を置いていく人物って一体誰だよ、という言葉は飲み込んだ。

 セレブな二海堂かと思ったけれど、彼も違うらしい。

 

 

 

 一局目が終わって、そろそろ二局目をしようかと言うとき、桐山の電話がなった。

 

「……、はい。もしもし? え? 今からですか。……えっ~と、僕は大丈夫なんですけど、今ちょっと若手棋士の方が来られてて。あ、はい。この前言ってた研究会みたいな」

 

 電話の相手は棋士のようだった。桐山は改まった様子の中に気安さもみせていて、藤澤門下の先輩かな? と思った。

 

「えっとちょっと聞いてみますね。……すいません、一人これから来られるみたいんなんですが、大丈夫です?」

 

「良いよ別に。俺たちも知ってる人?」

 

「知り合いかどうかはともかく、間違いなく知ってます。たぶん泊まっていくつもりなんじゃないかな」

 

 

 

 電話が入ってから、数十分後その人は現れた。

 

「こんばんは。突然、お邪魔してごめん」

 

 宗谷名人その人は、差し入れだと晩ご飯を差し出しながらそう言った。

 俺たちは、まさかの人物の登場に何も言えなくなってしまった。

 

「あ、将棋盤使ってくれてるんだ。良かった」

 

 ……なるほど、この盤の持ち主は貴方でしたか。

 

「宗谷さんも指します? 6人になるなら丁度良いかも」

 

「良いの? じゃあ、混ぜてもらおうかな」

 

 良いもなにも、むしろこっちが良いんですか? そんなあっさり、七冠の将棋界のラスボスと指せちゃうんですか??

 

「じゃあ、あみだ作り直さないと」

 

「へぇ~そうやって対局相手を決めるのも面白いね」

 

 名人もあみだで良いんだ。絶対桐山と指すと思ったのに。

 

「桐山と指さなくて良いんですか?」

 

「うん。桐山くんとは、わりと指してるし、せっかくの機会だから」

 

 唖然と呟いた一砂の言葉に、名人はあっさり頷いた。

 

 桐山の気安さと、突然やってくる名人の身軽さに、薄々察してはいたものの、この二人そんなに個人的に指してるのか……。

 

 あみだの結果、恐れ多くも名人との対局の権利を俺が勝ち取ってしまって、戦々恐々としながら、対局に臨んだ。

 せっかくの機会、あっさり負けてなるものかと、必死に食らいついて、負けたけれど得るものは多い対局だったと思う。

 

 感想戦にも普通に混ざってくるし、なんだかもうこの人って、本当に宗谷名人? そっくりさんじゃないの? なんて混乱してしまった。

 

 

 

 その後、俺たちはおいとましたけれど、帰宅途中にスミスがぽつり。

 

「桐山、個人的に指してる人はいるって言ってたけど、まさかの相手だった……」

 

「名人、ほんとに泊まっていくんだな」

 

「あした、会館で取材の仕事があるんだってな。朝学校行く前に起こすようにって、会長から桐山の携帯に電話あるのっておかしくない?」

 

「会長も知ってるくらい、当たり前の流れなんだな……」

 

「でも、めちゃくちゃ勉強になった。つーか横溝羨ましい! なに、名人と対局してんの!?」

 

「俺の運が勝った結果だろ! こっちは相当緊張したわ」

 

「俺も指したかったな~」

 

「桐山の家で指してたら、今後もこういう機会あるのかな」

 

「今日もアポ無しって感じだったしな。けど、そうそうは無いだろ」

 

 なんて笑い合った帰り道。

 俺たちは知らない。

 

 宗谷名人だけでなく、隈倉さんや土橋さん、果ては後藤さんまで。並みいるA級棋士たちが、時々この部屋を訪れていることを。

 そして、その突然の訪問が、これから先幾度となくこの若手研究会と重なることがあることを。

 普段の研究会もそれはもうためになるけれど、たまに訪れるゲストが豪華すぎるし、心臓に悪い。そんな研究会になっていくことを。俺たちは予想だにしていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




若手同士での研究会、同年代は良い刺激を受けて、レベルアップしていくことでしょう。時々、大物の突発的な参加があるのはもう、仕方ありません。
桐山くん自身は、A級棋士たちがくるのに慣れきってしまっているけど、スミスさんたちは、毎回心の中でかなり緊張してます。
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