小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第四十五手 Pandora

 6月下旬。

 棋匠戦は無事に、予選を勝ち上がり本戦トーナメントへと進めた。本戦は11月までかけてゆっくりと対局が勧められていく。

 昨年は初戦が、棋神戦のタイトル戦と近く、そちらに集中したため勝ち上がることなく敗退した。

 今年は、もう少し頑張りたいところだ。

 

 足の痛みは相変わらず続いているものの、うまく付き合えていると思う。

 藤澤さんにも、少しみない間に大きくなったなぁと言われた。

 今度、新しい服を買いにいかないとな、と満足気に続けられた。

 自分で購入すると告げたのだけれど、おそらくはそれは通らないだろう。

 

 その月の順位戦の帰りに、会長に少し話があるからと声をかけられた。

 

「仕事の話ですか?」

 

「おう。ネットで将棋中継やってくれてる所からの依頼でな。もう少し小さめなイベントだったんだが、最近将棋がきてるって言うんで相手方が乗り気になった。テレビも入る大口のイベントになる」

 

「なるほど。僕で良ければお受けしますよ」

 

「いやー助かるわ。内容的にも桐山が適任かと思ってな。後は、少しテレビ映えする有望株に声かけるつもりだ」

 

「内容? 普通のイベントとは違うのですか?」

 

「おまえさんコンピュータ将棋って分かる? 最近すごいんだろ? そのソフトの精度がかなり向上したらしくてな、プロ棋士とやらせたいらしい」

 

 その話を聞いたとき、あぁもうそんな時期なのかと、感慨深かった。

 僕がタイトルを複数持ち出す頃には、プロ棋士どころか一般人だってしってるくらいメジャーになっていた。

 

「知ってます。開発ソースとか公開されてますし、僕も研究に少し使ってますから」

 

「はーそうなのか。 若いもんはやっぱり順応がはやいな」

 

「結構便利ですよ。新手の考察とか、自分の指し筋の傾向観察とか」

 

 使いすぎはよくないと思うけれど、感覚的に自分が受け付けない、または思いつきもしない手まで人工知能は選択肢に入れてくる。視野が広がる面では面白いと思った。

 

「ほんと助かったわ。大口依頼だとやっぱ、相手は宗谷だしてほしそうにするんだけどよ。今は桐山が出るってなったら、あっさり引き下がるというか、寧ろ喜ばれるもんな」

 

「宗谷さん、今は忙しそうですからね……」

 

「あぁ……今年度のあいつはなんか違うわ。結局隈倉相手に名人戦ストレート防衛、いまやってる島田との聖竜戦もすでに王手がかかってる」

 

 いったい、誰があいつを七冠の座から降ろすのかね。

 

 会長は小さく呟いたけれど、その言葉は重かった。

 

「ま、というわけで、さすがに宗谷に頼むのは酷だからな。おまえさんも学校あって大変だろうが、一つ頼むわ」

 

「分かりました。頑張ります」

 

「それと、期待してるからな。獅子王戦今年も本戦のこっただろ?そのまま挑戦権とっちまえよ」

 

 会長にそう肩を叩かれた。

 昨年は棋匠戦同様、本戦の途中で敗退している。

 けれど、今年度は他にめぼしい棋戦の重なりがない。獅子王戦は挑戦権の獲得に三番勝負が必要になるけれど、なんとかトーナメント勝ち上がって、そこに到達したい。

 

 数日後、イベントの詳細の通知がきた。

 今回の目玉は、Pandoraという将棋ソフトらしい。ディープラーニングを含めた機械学習で将棋を指すソフト。

 初めは、8枚落ちという大きなハンデを付けても、アマレベルで勝ててしまう程度のプログラム。

 それを、プログラム以外に、人工知能自身が学習した部分を加えていくことで、将棋ソフトは劇的に進化を遂げたらしい。

 

 8000億局面……人であれば、途方もないほどの学習を機械は可能にする。

 その結果、将棋のプログラムが強くなった。

 単純に記憶力や計算力があるから、人間を追い越しているという話ではないらしい。

 人工知能が圧倒的な経験値を獲得し、そのことが人に対してアドバンテージとなり始めた。

 

 そして、僕自身も当時注目していた、面白い変化がおきた。

 強くなるだけでなく、湯水のごとく新戦法が生まれた。

 

 100年、150年前によく指された形で、今はもう古いとされた手に、また光があたることがある。

 人ならば、感覚的に排除する選択肢を含むことで、自分が絶対に思いつかない一手を示す。

 発想の幅が劇的に広がった。

 

 そして、有り難いことにそのソフトは公開されており、その気さえあればすぐに利用する事が出来る。

 

 これで、興味を持たない訳がない。

 もともと、個人での研究を好んだ僕にとってコンピュータ将棋を使った研究はなじむのがはやかった。

 そうして、過去へと戻りソフトの精度は前ほどのレベルに到達していないが、多少の利用はしている。

 

 今度のイベントは、そのPandoraの最新版とプロ棋士との対局だ。パソコンだって、スパコンを持ち出してくるだろう。

 家のデスクトップで使っている時とは比べものにならない、相手となる。

 

 すこし、楽しみだなと思った。

 

 

 

 

 

 


 

 イベントは7月に入ってから行われた。

 僕以外の呼ばれた棋士は、辻井九段と櫻井七段だった。……なるほど、会長が言っていた通り、テレビ映えしそうなお二人だ。

 

「や。桐山くん久しぶり、棋神戦のプレーオフ以来かな?」

 

「あのときは有り難うございました」

 

「せっかくあと一歩で挑戦権だったんだけど、後藤九段にとられちゃったよ。君に勝つのも骨が折れるのに、挑戦権をとるのも楽じゃないね~」

 

 棋神戦の今年の挑戦権は、辻井さんを制し、後藤さんが獲得した。藤澤さんは、2年連続門下が挑戦権をとったと喜んでいた。

 

 去年僕が行った七番勝負を今年は、後藤さんが行う。羨ましいような、面白くないような、複雑な気持ちだった。

 どっちを応援するとかは無いが、二人の対局の内容には興味があった。

 

「櫻井さんとはイベントで何度かお会いしましたね。今日もよろしくお願いします」

 

「うん。よろしく。俺もよく呼ばれるほうだけど、君も今年度はいってから凄いね。学校は大丈夫?」

 

「大丈夫です。学校側ともよく相談しながらやってます。昨年かなり抑えてもらったのと、僕自身の慣れもあるので」

 

 中間テストの時期は終わっていた。いくつか当日に試験を受けられない科目もあったけれど、そこはレポートで対応してもらったり、後日テストを受けたりした。

 範囲の確認やノートの確認に、野口先輩をはじめ、将科部のメンバーが随分とサポートしてくれて助かったものだ。

 

 今年はシードの棋戦も多く、予選を免除されている分余裕もあった。昨年できなかった分は働きたいと思っていたので、丁度良い。

 

「そうか。君は忙しそうだけど、興味があったら、今度一緒に山とかどうだい?」

 

 楽しいよと、爽やかに誘ってくるのは、相変わらず。

 松本さんはまだ、雪山に彼と一緒にいっていないので、前のように信者にはなっていないけれど、そのうちまた同じ道をたどるのだろうか。

 

「僕は体力もそんなにありませんし、今は足のこともあるので、遠慮しておきます」

 

「残念だなぁ。成長期が落ち着いた頃にまた誘うよ」

 

 一度断られてもめげない。本当に山が好きなのだろうなぁと思う。

 

 

 

 

 

「お三方、お待たせしました。そろそろステージの方へお願いします」

 

 担当の方に声をかけられて、イベントの開始に備える。

 今回は、Pandora VS プロ棋士の3戦の公開対局だった。

 持ち時間は一時間。早指しの対局になる。少しだけ、AIの方に有利にはたらくかも知れない。

 一人が対局している間、残りの二人が大盤解説を行う形になる。

 

 順番はくじできまった。櫻井さん、辻井さん、最後が僕になる。

 

「おぉ、桐山七段がトリですね。一番不利かもしれません」

 

 開発者の一人がそうコメントした。

 

「AIが経験をするからですか?」

 

「えぇ、そうですね。たった二局といえど、プロ棋士相手に同じ形式の対局を重ねる。Pandoraはそれをしっかりと学習に使うでしょう」

 

 それは、楽しみかもしれない。せっかく対局するなら強くなっている相手が良い。

 

「では、櫻井七段からお願いします」

 

 対局は予想以上にソフトの強さが光った。

 櫻井七段が長考につかった時間で先を読んでいるようで、Pandora側はほぼノータイムで次の手を指す。

 そうして、それに引きずられて櫻井七段の指すペースも速くなった。

 浅くなる思考はミスを生みやすい。

 対して、Pandoraの方はミスをしない。寄せにはいってからの確実性は圧倒的にあちらが上だった。

 

 辻井さんとの対局は……なんというか、凄い局面になった。

 お互いにトリッキーな手というか、ほとんど見ない手を連発したため、それはもう凄い模様になって、混戦を極めた。

 解説するのは面白かったし、後で検討するのにも興味深い一局ではあったと思う。

 ただ、自分も指したいか……と問われると難しい所だった。

 あまりに斬新的というか、革新的すぎて、美しいとはいえない局面だったから。

 

 2局終わったところで、Pandoraの2勝。

 

 この結果には会場に来ていた人は、驚いていたけれど、僕としては来るべき時という感じだ。

 想像よりも、ソフトの発達が早い気がしたが、それでもいずれ、コンピュータ将棋が人を上回る日は来る。

 

「では、最後に桐山七段お願いします」

 

 どんな将棋になるだろうか。

 AIと本気で指した機会は少ない。一定の時期を超えてから、コンピュータ対人間の対局は行われ無くなったから。

 

 

 

 

 


 

 電脳世界の海を泳ぐ。

 Pandoraは確実に、淡々と一手、一手を刻んできた。無機質で、酷く冷たい感覚だった。

 

 あぁ……そうだ。

 この感じ。駒音も響かない、相手の意思が見えてこない。

 指しても、指しても、全部通り抜けていくような気がした。

 冷たくて、真っ暗だ。

 あまり、楽しい対局とはいえないこの感じ。

 これが、AIと対局する感覚だ。

 

 と、ここでPandoraが指した一手に違和感を覚えた。

 なんとなく、そこは気持ちが悪い。

 少し時間を使って、何手か読んで、相手が指したいであろう道筋とそれに対しての大きな穴を見つけた。

 

 誘うように一手をかえす。

 ノータイムで出されたPandoraの手は予想通りだった。

 

 やっぱり、指してみて分かった。

 AIが確率的に前より良い手を指したとして、それは絶対的に正しいものじゃない。

 局面の評価は不変的ではないのだから。

 今現在、評価が高いその一手は、十手先で覆る。

 

 ノータイムに、ノータイムで返す。

 対人対局では、ほぼありえない応酬に周囲が少しざわついた。

 そして、先に手を止めたのはPandoraだった。

 いつの間にか、自分の方が悪くなっていることに気がついたようだった。そこから改善する手もいくつかあるが、劇的な一手はない。

 数手、色々試しつつも、指しあぐねているようだった。

 

 大局観という面において、まだこの人工知能の経験値は、それを補えるほど蓄積されていない。

 

 潔く投了が告げられた。勝てないと判断したとき、それを告げるのもはやい。

 ためらいや、悔しさを持ち合わせていないのだから、それも当然か。

 

 ほんの少しだけ、残念だと思った。粘った先の数手先に、起死回生の一手があるかもしれないのに。その可能性をあっさりと手放す。

 もちろんどうしたって勝てないという局面もある、けれどもう少し粘れるかなという形の時もある。一律な数字で判断するPandoraには、その辺りの機微を感じとることも難しいようだった。

 

 ふと、宗谷さんとの記念対局を思い出した。

 あの日の対局中、まるで伝える必要が無いほど、僕らの思考は交わっていた。不思議なほどの高揚感と、心地よさ。

 刻まれる一手一手が、大切だった。

 今日の対局とは、真逆に位置するような感覚だったと、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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 [桐山くんつえぇ……]

 

 [辻井九段も面白いっていうか、めちゃくちゃな対局で興味深かったけど]

 

 [最後一番難易度上がるんじゃないの?一番この子が良い勝負してる気が]

 

 [そうはいっても、櫻井七段も悪くなかった]

 

 [早指しだから棋士の方が不利]

 

 [ここまで来たのか……感慨深いね]

 

 [数年前は、コンピュータが人に勝つ未来はまだ何十年も先だと思ってた]

 

 [やっぱ経験積ませたら強いな]

 

 [俺らが、生きてる時間より長く圧縮した時間で解析するんだろ]

 

 [なーそんなん、強くてあたりまえ]

 

 [正直いって評価点は桐山くんのが悪いぞ]

 

 [ここから、ここから]

 

 [お?ノータイムうち?]

 

 [早いw 凄いな]

 

 [ちょ、ちょ。お互いサクサク指しすぎw]

 

 [なかなか見ないぞ、このペース]

 

 [え、大丈夫なの。早指しはPandoraのが有利じゃ]

 

 [あ、ひっくり返った]

 

 [うぉぉぉぉマジか]

 

 [すっげぇ鮮やか]

 

 [とまったのはPandora側か]

 

 [我らが桐山くんが制すか]

 

 [全員負けは、釈然としないので期待したい]

 

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 [Pandoraの投了]

 

 [88888888888888888888888]

 

 [888888]

 

 [桐山七段おつかれさま]

 

 [さすがだった]

 

 [88888888888888]

 

 [ソフト側が投了するのってどのタイミングだっけ]

 

 [88888888888]

 

 [勝率が何割かきったらだったかと]

 

 [いずれにせよ、相当追い込まないといけない]

 

 [いやー良かった。まだ人類捨てたもんじゃない]

 

 [桐山くんを人類としてカウントしていいのかw?]

 

 [まさかの別枠w]

 

 [彼と宗谷氏には将棋星人疑惑が依然つきまとっている]

 

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「桐山七段見事な勝利でした。お疲れ様です」

 

「一矢報いる事が出来て、ほっとしています」

 

 いつもより疲労は大きかった。

 感覚が全く違うためか、あるいは返されるものが何もなかったからだろうか。僕にとって将棋は対話だ。届かない想いを与え続けることは、少しストレスだった。

 

「中盤の早指しの応酬は見事でした。あそこは完全に読んでいたのでしょうか?」

 

「そうだったらいいなと思って指した手でした。思った通りに来てくれたので良かったですが」

 

 もしかすると、僕のその読み自体を把握されて、対応される可能性もあった。これから先その確率の方が高くなるだろう。

 今はまだ発展途上という感じだけれど、たしかな躍進を感じた。

 

「これだけの棋力を示したPandoraですが、いかがですか? この先、プロ棋士という存在がAIにとって変わられる日はくると思われます?」

 

 なかなかに難しい質問だった。人工知能の台頭してくれば当然うまれる疑問だろう。

 ましてや、二人。プロがすでに敗れたという事実もある。

 でも、僕は今日対局して確信した。

 

「それは……無いと僕は思います」

 

「どうしてでしょうか?」

 

「……プログラムとの対戦はどうしても、そこに意図は生まれないからです。機械的に、淡々と、その時考えられる最善手をPandoraは示しました。けれど、僕の心に、応えてはくれません」

 

 美しい棋譜を産むには、数十手先までのビジョンの共有が必要だ。たとえ僕がどんなに先を描いても、AIはそれを汲んではくれない。

 

「将棋の文化的な側面というか、脈々と棋士たちが受け継いできた、美しい魅せる将棋というものは、対人同士でなければ決して生まれないでしょう」

 

 人工知能は、新手を生み出すかも知れない、圧倒的な強さを手にいれるかもしれない。

 でも、美しいという人間の感性を、棋譜の形を理解する域に到達することは難しい。

 

「……そうですね。その通りだと思います。私自身も、昨年の桐山七段と宗谷名人の記念対局の棋譜は忘れられません」

 

「ありがとうございます。そんな風に、対局の内容そのものに魅せられる人が居る限り、プロ棋士という職がなくなることはないと僕は思います」

 

 イベントは大盛況でおわった。形をかえての定例開催も検討されるそうだ。

 開発者の方々ともお話できたが、いずれは僕にも勝つソフトを作ってみせると宣言された。

 おそらくそう遠くない未来にその日はくるのかもしれない。

 

 それでも、勝ち負けがかかった大一番、タイトル戦へかける想い。

 その人の経歴や背景が透けて、ドラマが生まれることもある。

 それを踏まえて観る将棋はまたひと味違う。僕たちは人生をかけて将棋を指しているのだから。

 結果だけじゃなくて、その全てで魅せられる人が居る限り、僕は将棋を指していたい。

 

 

 

 初夏は過ぎ去り、熱い夏がやってこようとしていた。

 今のところ本戦トーナメントに進み、勝ちあがっている棋戦は、棋竜、棋匠、獅子王の3つ。

 宗谷さんは7月末の今となっても、いまだ失冠どころか一敗もしていない。

 

 記念対局の棋譜を想起すると同時に、絶好調の彼と今度は泥沼になるくらい削りあう、熱くて、長いそんな対局を指したいと思った。

 それを可能とするのは、やはりタイトル戦になる。

 

 欲しいと思った。

 何でもいいから、挑戦権が欲しい。

 

 そうして、彼の対面に座ってみせる。絶対的な頂点に君臨する彼と、七冠を維持し続ける彼と対局がしたかった。

 

 

 

 

 

 




AIについては現実でも色々言われますが、プロ棋士という職は無くならないと思います。
そう思わせてくれるようになりました。

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