小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第四十九手 彼が待つ人

 8月末日。

 僕は、獅子王戦挑戦者決定三番勝負の第一局を迎えることとなった。

 

 獅子王というタイトルは七つあるタイトルの中でも名人とならんで、特別なタイトルと言っていいだろう。

 免状に名前を記す棋士も当代の名人と獅子王の二人だ。

 どちらも将棋界の顔といって良い。

 

 

 

 賞金総額は、七大タイトルの中でも随一。

 予選トーナメントをぬけ、本戦トーナメントを勝ち進むだけでも、そこそこ良い額をくれるし、この三番勝負もかなりのものである。

 また、面白いのが、予選には奨励会員もアマ名人も女流プロだって出場することが出来る。おそらくトーナメントに参加する人の人数も他のタイトル戦よりも多いのではないだろうか。

 

 名人戦はどんなにはやくても、新人はA級にあがるまで5年が必要だ。それだって難しいし、A級の10人に入り一年かけて対戦して名人への挑戦権を得る。

 一般の方からすれば、気の長い話だろう。

 

 対して獅子王は予選に勝てさえすれば、一年目でも本戦に出場することができる。

 もっとも、下の予選トーナメントの組ほど本戦出場枠はすくないから、狭き門になるが。

 僕自身は去年予選六組で優勝して、その一枠を射止め、本戦トーナメントに進んだ。タイトル戦にかまけていたので、本戦の途中で敗退したけれど、今年はここまで来ることが出来たのだ。

 

 三番勝負。

 挑戦者をきめるのに、3回も時間をくれるタイトルはそうない。

 一回で決まらないことを良しとするのか、それとも強敵相手に2勝しなければならないことを嘆くかは人それぞれだろう。

 

 僕は……。

 たぶん、少しワクワクしている。

 だってあの土橋さんと、これほどプレッシャーのかかる舞台で指しあうのだから。

 

 でも、大事な初戦だ。少し緊張する。

 これをとるかとらないか。精神面でも大きく影響する。

 

 

 

 

 

 振り駒の結果先手は土橋さんになった。

 初手は角道を開く7六歩から。

 対して、僕は2手目に飛車先を突く8四歩と返し、対局はスタートした。

 

 早々と居飛車を明示する形となる。

 戦型の選択権は先手の土橋さんにゆだねると、3手目は6八銀とされ、矢倉が指向された。

 

 僕は、4手目に3四歩として、角道を開き、それにたいして、土橋さんは7七銀。

 直接対峙する角道を止めた。

 その後、数手進めて19手目4六歩。

 飛車先を決めてから、3筋の歩を伸ばし、急戦を目指す形を取り始める。

 

 

 それなら、と僕は持久戦模様に駒組みを進めることにする。

 27手目に土橋さんが、6六銀として戦場におくりだした銀の頭上に、6四歩として、歩を突き出してけん制した。

 中盤までは、どっちつかずの展開だった。

 

 昼食後先に仕掛けてきたのは、土橋さんだった。

 31手目に4五歩とすると、歩を突き合わせてきた。

 その後、戦場に跳ね上げた桂馬を起点として、角も投入し、模様に迫力をどんどん増していく。

 

 このまま、流れを持っていかれるわけにはいかない!

 僕は飛車を活用し、相手の桂馬を刈りとった。

 けれど、その後の手番でみごとその飛車は抑え込まれてしまい、その後土橋さんは力強く歩を前に出し、攻勢を強めていく。

 

 

 嫌な雰囲気だ。

 形勢の針が先手へと傾く音がしつつある。

 解っていて、見過ごすわけもなく、僕は中央から反撃し、角・銀両取りをかけた。

 

 対局は夕食後までもつれこんだ。

 

 その後も土橋さんは、落ち着いた指し回しで形勢を保ちつづけた。

 とった角も銀もうまく使わせてもらえないまま、対局は終局へと進む。

 

 そして、81手目5四銀。

 致命的だった。

 飛車・金両取りを仕掛けられたのだ。

 なんとか、生き残る道を探したけれど、これ以上活路はなかった。

 

 

 

 87手目の5四桂で、僕は一息お茶を飲むと、負けました。と、深々と頭を下げた。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 とんとんとん。と小さな足音が聞こえてきて、僕はピクッと耳をすます。

 間違えるわけがなかった。

 顔上げてうつらうつらしていた意識を呼び覚ます。

 数秒後ガチャリと鍵を開ける音がして、玄関のドアが開いた。

 

「ただいま」

 

 と、小さな声とともに僕のご主人さまが帰ってきた。

 お気に入りのクッションから降りて、お出迎えに行く。

 おかえりと鳴いてみせると、零は微笑んで僕の頭を撫でてくれた。

 

 今日はタイキョクというオシゴトの日だ。ガッコウとは違う日。

 ガッコウならもっと早く帰ってくるし、零はこんなに疲れて帰ってこない。

 

「遅くなってごめんね。ご飯すぐ出すね」

 

 ご飯だ!

 零はオシゴトの日もガッコウの日もいつも多めにカリカリを入れて置いてくれる。

 昼間から夕方にかけてお腹が空くとテキトーに食べる。

 シロにいが、がっつかなくても無くならないという事を教えてくれた。

 自分のお皿にある分はちゃんと自分でペースを決めて食べるのだ。

 

 でも今日みたいなタイキョクが遅くなると流石に少しお腹が空く。

 寝て待ってたら、あまり気にならないけど。

 

 零は僕たちのお皿にご飯を入れるとお風呂に入りに行ったみたいだった。

 人間は、僕たちと違ってぺろぺろしないから、お風呂が必要らしい。面倒だよね。

 

 今日はしゃんとしてるし、そんなに疲れてないから、勝ったのかな?ってシロにいに聞いたらあれは負けたなって言われた。

 

 えー。

 そーなの。難しいなぁ。

 シロにいは邦晴のこともずっと見てきたから、こういうことは外さない。

 

 そうかぁ。今日は大事なタイキョクだったらしいのになぁ。

 僕までなんだか落ち込んでしまったら、シロにいはまだあと2回あるさ。と顔をペロペロ舐めてくれた。

 そうなんだ。タイキョクもいっぱいあるから難しいなぁ。

 

 シロにいは、本当に物知りだ。

 僕をみつけてくれた最初からそうだった。こういうのを年の功っていうらしい?

 

 小さい時のことはあまり覚えていない。

 あったかくてふわふわしたお母さんのそばにいたのに、ある日お母さんは帰ってこなくなった。

 後から知ったけど、野良には珍しいことじゃないらしい。

 まわりに兄弟もいたきがするけど、気が付いたら僕はひとりぼっちだった。

 

 カラスは怖いし、ほかの猫はおこるし、子供には追い回されるしで散々だった記憶しかない。

 それで、静かな茂みの陰で小さくなって震えていた。

 そうしたら、いきなりぬっと白い大きな猫がやってきた。

 一目でわかった。ここは彼の縄張りだからほかの猫がいなかったんだ。

 圧倒的な強者の気配だった。

 僕は何も言えずに、ただただ縮こまっていた。

 

 そうしたら、彼は僕の匂いをひとしきりかいだあと、お前、まだ生きてるのか?とそう鳴かれた。

 ぼくは小さく、みぃとだけ一声鳴いた。

 彼は、ふんと小さく鼻を鳴らすと、仕方なさそうに僕の首のところをくわえて、少しだけ目につきやすいところまで運んだ。

 そして、そこでめいっぱい鳴いてろとだけ言い残した。

 

 言われたとおりに、みゃあみゃあ残りの力をつかって鳴いていたら、和子が来てくれた。

 ドロドロだった僕を抱き上げて、家にいれてくれて、あとはよくわからないけど色々全部してくれた。

 病院とかいう怖いところにも連れていかれた。でも、あれは必要なことらしい。

 それから、和子の家の子になった。

 シロにいは、僕が大きくなるまでだって言ってたけど、身体が大きくなってもおまえはまだちびだから良い。と言って、置いてくれた。

 追い出したら、和子が悲しむからだってさ。

 

 そのあと少ししてから、零が来た。

 シロにいは子供は嫌いだって言ってたのに、零は不思議な子だからいいらしい。

 僕も零はすきだ。隣にいると心地いいから。

 だからなんだかよくわからないけど、あの家を離れなきゃいけなくなった時も、ちょっと怖かったけどついてきた。

 シロにいは色々説明してくれたけど、要は邦晴が足を怪我したせいだ。年をとるって大変だなぁ。

 

 零がお風呂から出てきた。適当にごはんを食べた後、今日はもう寝るみたいだ。

 明日もガッコウなんだって。

 夏場で少し、じとじとして暑かったけど僕は零のそばで寝ることにした。

 去年の夏も零はなんだか忙しそうで、きつそうで、なんだか張り詰めてる感じだったから、よくこうして寄り添って眠った。

 

 でも、今年はすこし雰囲気が違う気がするんだ。

 うまくは言えないけど……。うーん。余裕があるのかな?

 忙しそうだけど、それも含めて楽しんでる感じだった。

 

 でもこのタイキョクは少し違ったみたい。

 去年のときと似た感じ、ちょっとだけピリピリしてる。

 シロにいはそれだけ、大事なタイキョクだったんだろうって言ってた。

 

 だから最近来客も少ないのかもしれない。

 零の部屋にはオキャクサンがよく来る。あんまり僕たちの縄張りによそ者が入ってほしくないんだけど……。

 

 ゴトウサンとコウダサンは、邦晴の家でもよくあった。ゴトウサンは怖いから苦手。

 目が合うとしっぽがピーンッてなる。

 

 最近よく顔をみるのは、スミスサンとヨコミゾサンとイッササンとニカイドウ。

 ニカイドウからは時々犬の匂いがする。でもまぁいい奴。チュールくれたし。

 イッササンはちょっと騒がしいから、そばには行きたくない。

 ヨコミゾサンは時々なんか、落ち込んでる。

 スミスサンがこの中ならいちばん近寄りやすい。シロにいは貧乏くじ引くタイプだって言ってた。苦労してそうな人って意味なんだって。

 

 夏以降よく顔をみるのはソウヤサン。

 この人がくると零が将棋しかみえなくなるから困る。

 シロにいはブラックリストいりだって怒ってた。ブラックリストってよくわからないけど、キケンな奴の事らしい。

 ソウヤサンは静かだけど、なんか気配が普通とちがうから苦手。

 ギラギラとした近寄りがたい何かをまとってる。

 シロにいはオーラがどうのって言ってた。

 

 でも、零もちょっと変わってるから二人は波長が合うみたい。

 

 プロキシという人たちの中だったら、島田さんは好きだ。自然の匂いがするし、優しいし、僕も膝に乗ってもいいかなって思える。

 零もよくお世話になってる人なんだって。

 

 あとは、あかりさんとひなちゃんも好き。和子とおなじあったかい雰囲気がするから。

 最近はうちに来ることは減って、帰宅した零の服から二人の匂いがすることが多い。

 あっちのおうちでご飯をもらってるんだろうって、シロにいが言ってた。

 

 でも、その頻度も減っている。

 零はほとんどの時間を将棋に費やしていた。なんだか、わからないけど大変そうだ。

 ほんとは遊んでほしいし、もっと構ってほしいけど、しばらくは我慢しないといけないかな。

 

 その日から、何度か太陽が昇って、月が顔をだして、また太陽が昇って……。

 まぁ、何日か経って、零の帰りがまた遅い日があった。

 タイキョクの日だったんだ!

 

 帰ってきた零は、すっごくすっごく疲れてた。

 こういうのボロボロっていうのかな?

 僕らのお皿に、カリカリを入れると、すぐにベッドにごろんってなってた。

 

 これは、また負けちゃったのかなぁと思ったんだけど、シロにいが今日は勝てたんだなって。

 

 はー。そうなのか。

 勝った日の方が疲れるんだって。そういうもんなのかな。

 

 じゃあ、また遊べるようになるかな?って聞いたら難しい顔をされた。

 あと一回あるらしい。そして、それにまた勝っちゃったらもっと忙しくなるらしい。

 うーん。プロキシって大変なんだな。

 

 零はご飯も食べずに、お風呂も入らずにそのまま寝ちゃった。

 いいの?ってシロにいに聞いたら、よくないけど起きないから仕方ないって。

 代わりに明日の朝少しはやめに起こしてあげるそうだ。

 イチジカンくらい。

 それって具体的にどれくらいなんだろう?

 シロにいは空が少し明るくなって、でも雀はまだ動き出さないくらいだって言ってた。

 零はいつも雀より後に起きるから、確かにすこし早い!

 はやく起きたら、お風呂にもはいれるだろうって。一日くらい別に入らなくてもいいんじゃないかと思ったけど、外に行くならあんまり良くないらしい。

 

 人間ってたいへんだ!

 零が困ると、かわいそうだから、僕はなるべく朝日が差し込んだらすぐわかるところで寝ることにした。

 明るくなったら、一生懸命鳴いて零をおこしてあげなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 9月上旬。

 獅子王戦の第二局の前からは、学校も始まっていた。

 鮮やかに取られた第一局と、夜中目前まで粘って僕がとった第二局。

 

 今期の獅子王への挑戦権は第三局までもつれ込むことになった。

 集中力はどんどん高まっている気がする。

 ただ、相手はあの土橋さんだ。一瞬の隙をひっくり返されてしまうだろう。

 

 第三局が行われた日は、残暑が色濃くのこる。うだるような暑い日だった。

 あらためて振り駒で決まる最終戦の手番で、先手を得たのは僕。

 

 先手をとれたら、初手は決めていた。

 飛車先を突く2六歩。居飛車を明示する手だ。

 対する土橋さんは2手目に3四歩と角道を開くにとどめ対局はスタートした。

 

 続く3手目に、僕が角道を開くと土橋さんは直接相対峙した角道を止めて振り飛車投入を示唆する。

 

 そのまま振り飛車模様で進行していた対局は、12手目。

 土橋さんはいきなりノータイムで8四歩とし、一転、居飛車へと戦局を移行した。

 

 ……そうだよね。

 そうすんなりと、好きな展開にもっていかせてくれるわけがない。

 僕は数分小考すると、歩を突いた3筋に3七銀として、銀を繰り上げ早い仕掛けを目指した。

 居玉のまま駒組みを進める土橋さんを横目に、機敏に3筋を押さえ込み、大きな拠点を作っておく。

 

 

 そのまま、拮抗を保ちつつ午後の対局へ。

 

 

 

 土橋さんの36手目の2三歩をみて、僕は後々のこと考えて、飛車を2六の地点に浮かせて構えた。

 それを見逃す人ではない。ノータイムで7筋の歩を突き出し、7五歩。ゆるやかに、しかし確実に攻撃の態勢へと移ろうとしていた。

 こういう切り替えの早さというか、気転の速さは土橋さんの強みだ。

 

 でも、ここは冷静に、焦ってはいけない。右の桂馬を跳躍させて39手目3七桂として、力を溜めた。

 完全には受けに回ってはいけない。

 常に攻撃的な姿勢を保ちつつ、仕掛けどころを探らなければ、一気に持っていかれてしまう。

 ギリギリの綱渡り、お互いに切っ先をまったく譲らない緊張感。

 

 そのまま対局は夜までもつれ込み、夕食の休憩をはさんだ。

 

 

 

 少し疲れていた。でもまだ頭はフル回転できる。

 アドレナリンが出まくりで、おなかは空いていなかったけど、食べれるだけたべた。脳は糖分を欲しているはずだから。

 悪くはない戦局だ。

 でも、どっちがいいとも言えない。

 勝ちきれるだろうか……。

 そんなことを考えながら、夕食を食べ終え、対局に戻るまえにトイレを済ませておこうと、出た廊下で、僕はおもわず立ち止まってしまった。

 

 久しぶりにみる宗谷さんの姿がそこにあったから。

 よく見るスーツを着ていた。仕事でこちらに来ていたのかもしれない。そのついでにこの対局も見てくれているのかもしれない。

 でも、彼が気にしてくれているのは、うれしいと思った。

 

 すれ違うために廊下の端に寄った。対局中のものに声をかけることはしないから、僕は会釈だけして、その場を離れるつもりだった。

 その僕の耳に小さく彼の声が届く。

 

「土橋くんと指すのも楽しいけど、僕は次は君がいいな」

 

 グっと息をのみこんで、思わず振り返った先に彼はもういなかった。

 肌が泡立つ、胸の奥からこみ上げる何かがあって、そしてそれはグルっと僕の体中を一周した。

 心臓が高鳴っていた。

 鼓動の音が耳の奥で聞こえるほど。

 でも、驚くほど頭の中は冷静だった。

 

 

 

 宗谷さんがあそこで僕を待ってる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 終局が近い。

 そして、もう僕の王が生きる道はなかった。

 ……あそこが、痛かったなぁと今なら分かる。

 夕食前までどちらがいいとも言えない、ところだっただけに悔しい所だ。

 もう少し良い形になるまで、指し合おうか。

 せっかくだ。せめて綺麗な形にしておきたい。

 

 対面に座る桐山くんの事を眺める。

 はじめて対局した時は、彼はまだ小学生だった。今もまだ中学二年生だけど。

 細く、小さい、苗木だった彼は、今は少し大きくなって、しなやかな木へと成長した。

 元々、完成されていた棋風はさらに成熟し、そして今や落ち着きと安定も現れている。

 

 良いな、と思った。

 桐山くんと宗谷くんの対局をみてみたいと思ってしまった。

 たぶん、それが僕の最たる敗因だろう。

 

 宗谷くんは今、絶好調だ。

 これまでの彼の人生において、一番かもしれない。

 だって、今年度に入ってから一敗もしていない。

 いや、桐山くんにMHK杯で破れたのを最後と言った方が良いかな。

 

 1月から3月に僕と対局した玉将戦も、4月から6月にあった隈倉さんとの名人戦も、6月から7月頃の島田さんとの聖竜戦も、宗谷くんのストレート防衛だった。

 そして、いままさに番勝負中の後藤さんとの棋神戦、3戦までおわって宗谷くんが勝ち、次の4戦目をとればまたストレート防衛になる。

 もう少しで勝てそうだった対局もあった。

 でも、そのあと少しも勝ち取らせず、宗谷くんはタイトルを防衛し続け、いまだ七冠を維持している。

 

 二度目の七冠とこの圧巻の防衛の連続に、彼がまた他の誰にも到達できない領域に至ったと評価する人は多い。

 まさに神の子。

 一人だけ違う世界を生きている。……なんてね。

 

 でもね。

 僕は君に期待しているよ、桐山くん。

 宗谷君は君を待ってる。

 

 僕でもない。

 隈倉さんでも、島田さんでも、後藤さんでもない。

 他の誰でも無くて、君だよ。

 

 年末の君の部屋で、どのタイトルで君が上がってきたとしても、対面にいるのは自分が良いとそう言ったその時からずっと。

 ひょっとしたら、孤高の存在として頂点を極め、耳が聞こえなくなりだしたその時からかもしれない。

 

 桐山くんが宗谷くんと同じ世界に行くのでも良い。

 宗谷くんのことをこっちに引きずりおろして、彼だって人間だったのだと、僕たちに教えてくれるのでも良い。

 

 どちらにしたって、宗谷くんは一人じゃなくなるんだから。

 宗谷くんと指す対局は特別。それがタイトル戦なら殊更に。

 出来ることなら、彼の心を沸き立て、彼に望まれるのは自分でありたかった。

 でも、今回は君に譲るよ。

 次はきっと、僕がもらうけれど。

 

 そんなことをつらつらと考えながら続きを指していたけれど、それももう終わり。

 

 綺麗な棋譜になったなぁ。

 勝ってる側は、間違えないように慎重に神経をすり減らしながら、終局まで指し続ける。

 桐山くんはもちろん間違えなかったし、終局までのビジョンも僕が描いていたものより整ったものになった。

 本当に不思議な子だ。

 誰とも違う感性を持ち、そして僕らプロすら惹きつけられるそんな将棋を作りあげることが出来る子だ。

 

「……負けました」

 

 深々と頭をさげた。

 いろんな想いと、期待をこめたそんな一礼。

 この瞬間、最年少の獅子王への挑戦者が誕生した。

 この記録をずっともっていたのは、宗谷冬司だったけれど、君はやっぱりそれを塗り替えていくんだね。

 

 初めて、宗谷くんの口から君の名前を聞いた時から、僕はずっとこんな日が来れば良いと思っていたのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

「……負けました」

 

 頭はフル回転して、神経をすり減らして、一手、一手、進んでいた僕の耳に、その言葉が届いた。

 すこし、時間をおいて脳まで到達する。

 はっ、として慌てて、有り難うございました。と頭を下げた。

 

 顔を上げて、大量のカメラのフラッシュを浴びながら、見えた土橋さんの表情は、納得した穏やかなものだった。

 対局後すぐの表情にしては、あまり見ない感じで、少し困惑したのだけれど、すぐインタビューが始まったので、その真意はくみ取れなかった。

 

「まずは、桐山七段、挑戦権獲得おめでとうございます」

 

「有り難うございます」

 

 部屋にいる記者の数、マイク、カメラの数は以前にもまして多い気がした。

 

「対局の方ですが、途中までどちらに転んでも可笑しくないほどの接戦でした。夕食後、一気にしかけましたね。狙っての事だったのでしょうか?」

 

「いえ、いつ仕掛けようかと思いつつも、土橋九段はそう簡単には戦況を握らせてくれませんでした。終局間際に、決め切れたのは……少しだけ上手く戦法が決まった事と、あと運もあったかと」

 

 本当は、もう気持ちでもっていったようなものだ。一瞬見えた光明に全力を投じた。

 絶対に渡したくなかった。その一心だった。

 

「これで、桐山七段は史上最年少での獅子王への挑戦になります。またこの対局のタイトル保持者は、現在七冠である宗谷獅子王ですが、意気込みのほどは?」

 

「宗谷獅子王と公式戦で対局するのは、3月のMHK杯以来になります。誰がみても絶好調の最強の相手です。でも、ずっとずっとその最強の獅子王に挑みたかった。昨年の秋のように、簡単に対局を落とす事はしません」

 

 長い、対局になる。獅子王戦は二日制の七番勝負。

 さらに持ち時間は8時間。その分、深い将棋を指すことが出来るだろう。

 

 他にも、いくつかのインタビューを受けたあと、土橋さんと感想戦をした。

 いつもは時間をわすれるほどのめり込んでしまうのだけれど、今日は珍しく彼の方から疲れているだろうから、ほどほどで終わろうと言われた。

 

 感想戦終了後、席を立とうとする僕に土橋さんが囁く。

 

「桐山くん。勝ちなよ」

 

「え?」

 

「君なら出来ると思ってる。一勝だなんて言わない。宗谷くんからタイトルを取っちゃいな」

 

 驚いて固まる僕の肩を叩いて、彼はいたずらっぽく笑った。

 正月に集まったメンバーで残ってるのは君だけだから。と続けて彼は退出した。

 

 よく分からないけれど、何かとても大切なものを託された。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




クロの視点めっちゃ楽しかったです。
クロの視点の時に、人名にカタカナと漢字やひらがなが混じっているのは仕様ですので。

そして、ついにまた挑戦権を獲得しました。
土橋さんは宗谷さんが、桐山くんを待ってるって言いましたが、きっと彼自身も、ずっと待ってたんだろうなぁって思います。

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