棋神戦の前と記念対局の後。
時間は瞬く間に過ぎていく。
挑戦権が決まってから、学校との調整や着物の準備、そして勿論対局の研究と慌ただしい毎日だった。
獅子王戦は将棋界の顔となるタイトルの一つであり、賞金額もさることながら、番勝負に少し変わった特徴もある。
最初の対局である。第一局の開催地が国外であることが、過去多々あったのだ。
それも一度や二度では無い。
今回はどうなるのだろうと、思っていたが案の定だった。
10月上旬に行われる、今期の獅子王戦第一局の開催地はイギリスのロンドンになる。
国外対局になるかは、微妙なところだったのだが、やはり話題性と盛り上げたいというスポンサーの意向が強かったのだろう。
幸いにもパスポートは藤澤師匠にお世話になり始めたときにすでに取得してある。
仕事で海外なんてことが稀にあるからと、作ることを勧めてもらって良かったかもしれない。
お役所仕事だし、発行には意外と時間がかかる。もし、今取っていたらギリギリになってしまっただろう。
猫たちのことは、今回和子さんが少し忙しそうだったので、ひなちゃん達にお願いしたら、快く引き受けてくれた。
うちの鍵を渡しておいて、餌やりとトイレの世話をたまにしに来て貰う。
うちにきても、あの二匹が嫌がらない人は少ないから、本当に助かる。
数日のことだし、ペットホテルよりは家の方がいいはずだ。あの子たちはちゃんと待っていてくれるだろう。
会長は僕より宗谷さんのことが心配な様子だった。
将棋関連の関係者は、みんな同じ便でロンドンまで行くし、道中もほぼ団体行動になるのだけれど、それでも何度も念押ししていた。
おまけに、桐山おまえと宗谷は思考が似てるし、あいつが考えてることもわかるだろう!? ちょっとフラッとどこか行かないように見張っといて! ……なんて。
空港について飛行機を降りたとき、少し空気が違う気がした。
異国の気配がする。
イギリスの気候は日本の四季とすこし似たところがあるらしいけれど、何より雨が多い。
けして雨量が多いわけではないが、一日のうちでなんども降ったりやんだり、頻繁に天気が変わる。
10月は日本でいえば、秋の気候だけれど、ここは本当に寒暖差が激しい。春のように暖かな日をみせれば、急に冬の気配を感じさせる寒い日があったり。
体調管理には充分気をつけろと、言い渡された。
対局の会場はロンドン市内のハイドパークの側にあるホテル。
ハイド・パーク、ショップが立ち並ぶオックスフォード・ストリート、地下鉄マーブルアーチ駅からそれぞれ徒歩5分以内で、観光にはもってこいだと、一緒に来ていた一砂さんとスミスさんが話していた。
隙を見て行く気なんだなぁ、と小さく笑ってしまう。
歴史を感じさせるイギリス風の外観は、町並みとよく馴染んでいた。
すぐチェックインして、とりあえずは荷物を置きに部屋に向かった。
前夜祭までは少し時間がある。僕は観光はいいからすこしでも休みたかった。
時差の影響もあるみたいで、少し眠たいし。
「Hi, are you the challenger this time?」
エレベーターボーイが気さくに話しかけてきた。さすがに、棋院の貸し切りとはいわないものの、日本人の団体客がこの数日間ホテルのほとんどを占めるわけで、イベントごとがあるのも把握しているのだろう。
「Yes.」
「That's incredible! Can I have your autograph?」
彼は、僕の返事に信じられないといった表情でそう早口でまくしたてた。
言葉の端々から、こんなに子どもなのに、という雰囲気が読み取れる。うーん。これは実年齢より小さくみられてるな。
こっちの人達って、ほんと背が高いし。
「……OK! By all means.」
苦笑しつつ頷いておいた。この二日間また会うこともあるだろうし。お世話になるんだからそれくらいはいいだろう。
エレベーターを降りたところで、一砂さんが興奮したように僕に話しかけた。
「やべぇ、桐山英語わかんの?」
「え? ……あぁそっか」
そういえば、普通に返事をしてしまったけど、中学生って英語ならいたてだっけ……。
「えぇ……っと、まぁ簡単な会話だったら。あとは! 雰囲気ですよ。なんとなくで答えてます」
「いやーそれでもたいしたもんだわ。俺らは一応高校でてるけどさ。試験の時以外さっぱりだぜ」
スミスさんまで、そう感心したように言うから、恐縮してしまった。
グローバル化が推奨されていた未来。やはりある程度分かった方が楽しいし、海外で将棋をしてくれている人もいるから、その人たちとも指せたらと思って、そこそこ勉強した。
……結局、将棋の感想戦は勢いでだいたい伝わってしまうから、文化は言語を超えるなぁと面白かったけど。
「なんて声かけられてたの? チャレンジャーは挑戦者だよな?」
「君が今回の挑戦者か? ってきかれました。その後は、驚いた後に、サインくれって。僕のサインというか、揮毫、漢字だけどいいのかなぁ」
「寧ろ喜ぶんじゃね? 読めないだろうけどなぁ」
そうやって、笑っていたけど、彼は後日エレベーターに乗ったとき、本当に色紙を手渡してきた。
そして、筆ペンでかいた揮毫を渡すと“So cool !!”と大興奮だった。お気に召していただけたのなら嬉しい。
前夜祭の前に滞りなく検分をすませた。この身体になってもう二回目だし、慣れたものだ。
畳はないから、今回の対局は和装だが椅子に座って行われる。
高さはどうかとか、座り心地がわるくないかとか、その辺はいつもと違った。
宗谷さんは繊細そうにみえるけれど、意外とこういう環境の変化には柔軟に対応するいうことを僕は知っている。
そして対局への集中が増す。タイトル戦のときはなおのこと。
将棋盤と駒を確認して、揮毫をする。今回はさすがに現地のものというわけにいかず、日本から持ち込んだものだ。
この将棋盤は、後からホテルに寄贈されるらしい。なにやらちょっとした展示を行うそうだ。
気合いをいれて丁寧に書いておいた。
前夜祭の流れは、海外だからといっても、日本で行うときとほとんど変わらない。海外メディアが一応入ってはいるけど、将棋はチェスに押されて海外ではそれほどメジャーではないので、本当に少数だ。
参加者のほとんどが日本人で、これといった緊張もなかった。
両対局者の入場後は、主催者挨拶、将棋連盟代表として会長の挨拶、開催地の代表者の挨拶になる。
いつも同じような内容になることが多いけれど、開催地の代表者の挨拶のときは通訳がはいるし、スポンサーも久々の海外開催ということで、気合いが入っていた気がする。
イングリッシュガーデンという言葉があるくらい、花に関して盛んなイギリスらしく、会場のあちこちに花瓶が置いてあったし、花束贈呈で頂いた花は、美しいバラが主体だった。あまりみない形と色のものもある。
さぁ贈呈のあとは、まずは僕の挨拶だ。
「皆さん、こんにちは。また、こうしてご挨拶出来ることを嬉しく思います。思い起こせば、一年ほど前、タイトルは違えど棋神の位をかけて、宗谷獅子王とは七番勝負をさせて頂きました。
様々な評価を頂きましたが、あの時の対局内容は私としては不本意なものが多かったです」
後半戦の対局はまだマシだったけれど、第一局の内容は褒められたものではない。体力というあらがえない身体の幼さに悩まされた。
「こうして再び、挑む機会を得ることができました。さらに獅子王戦という最高の舞台です。宗谷獅子王の好調ぶりは皆さんもご承知の事だとは思います。ですが、一矢報いたいとは言いません。私は本気でタイトルを取りにいきます」
挑戦者の言葉としては、胸をお借りするとか、自分のベストを尽くしたいとかその辺りが無難だ。でも、今回は強気でいきたかった。言霊ってあるとおもうし、何より僕がそうしたかった。
続いて、現タイトル保持者の挨拶となる。
「獅子王というタイトルは、私にも思い入れがあるタイトルになります。当時19歳だった私は、このタイトルではじめて挑戦権を得て、獅子王を獲得しました。当時の最年少記録だったそうです」
宗谷さんが記録のことを持ち出すのは珍しい、おそらく新聞でも書かれていたし、メディアを意識してのちょっとしたサービスも入っている。……ここ会長が考えたんじゃないよね?
「もっとも、挑戦権獲得の最年少記録は桐山七段がぬりかえてしまいましたが」
この言葉で会場がドッと沸いた。まさか本人の口から、言われるとは思ってもいなかったので、僕は目を丸くする。
「けれど、タイトル獲得記録まで、そう易々と渡すつもりはありません。当時、挑む立場だった私が、今度はそれを阻む立場にいる。不思議な縁も感じます。勝負の行く末を皆様には見届けて頂ければとそう思います」
最年少での獅子王獲得以来、只の一度も無冠になった事が無い、七冠保持の絶対的な存在。
言葉の重みが違う。
だからこそ、挑みたいと強く思う。
誰よりも、貴方を満足させる将棋が指したい。
「こりゃ、もう決まりだな」
俺の言葉に、検討していた棋士たちはグッと黙り込んだまま、複雑な表情をみせる。
だが、誰一人として異論は出なかった。
それほどまで、圧倒的な寄せ。芸術的と言っていいだろう。
昨日の一日目はどちらが良いとも言えない拮抗した盤面だった。
先手は宗谷だった。
初手は角道を7六歩から、桐山の応手は飛車先を突く、8四歩として、対局はスタート。
早々と居飛車を明示し戦型の選択権を先手に委ねた桐山に、宗谷は3手目を6八銀とし矢倉の形をとった。
桐山が4手目に3四歩と角道を開くと宗谷は7七の地点に銀を繰り上げ、自らの角道を止めた。
これまで不突きが主流だった飛車先の歩を、少考ののち軽く突き出したのだ。さらに宗谷はその居玉のまま、早囲いの矢倉調に駒組みを進行。
対する桐山は、7四歩として、7筋の歩を突いて急戦投入をみせつつけん制した。
互いに角を自陣最下段に引き下げラインを代えてから、宗谷は23手目に3六歩と、歩を突いて空け、25手目には3七銀とその明けた地点に銀を繰りあげた。
手堅さが好まれる通常の序盤戦とは異なる、積極的な模様になる。とても珍しい形だった。
けれど、桐山も揺るがず、丁寧に指し進め、対局はどちらが優勢かも言いがたい状態で、宗谷が封じ手をし、一日目が終了した。
明けて二日目。注目の宗谷の封じ手は2四歩だった。
俺としては、6五歩と後手の角を動かす手が有力かとも思ったが、宗谷はより積極的に、飛車先から突っかける事を選択したらしい。
桐山はその封じ手に慎重にいこうと思ったのだろう。およそ30分かけて長考にはいった。
そして、その次の手が同銀でその歩を払った。
宗谷はそれに、43手目4六角とし、その後僅か一分ほどで、桐山は44手を六同角、躊躇無く角交換を行う。
その後の進行はこれまでと一転激しいものになった。
角交換成立後、桐山は7筋の銀を吊り上げにかかったが、それに対し、宗谷は6筋の好所に角を打ち込む。八方ににらみをきかせる好手に見えた。
けれど、桐山はその手に対しても僅か一分ほどで、7二飛とする。読み筋だったとしか思えないほど、鮮やかな切り返しだった。
そして、二日目の昼食後。
じわじわと、だが確実に戦況は傾き始める。
その様子を俺たちは、まさかまさかと思いながら、固唾を飲んで見守った。
桐山は飛車先の歩を伸ばし、宗谷の玉の頭上で銀を捕獲し大きな拠点を作ると、飛車に続いて角を争点目掛けて投入。
直線的に玉への圧力を強めた。
宗谷はこれにおよそ50分の長考の末に、桂馬をタダ捨てして後手の角を遮断する。
その後桐山は僅かな長考のあと、桂馬を払った。そして続く、宗谷の61手は3五銀。銀を角頭に突き立てた。
その角取りに構うことなく、62手目に6五桂とし、争点目掛けて桂馬を放り込み、桐山は一気に寄せの態勢に入った。
そこからの指し回しは見事だったとしか言い様がない。
主導権を握り、見事に盤上を支配していた。
反対サイドに桂馬を放り込み、柔と剛を織り交ぜつつ、玉とともに飛車をも縛りつける。
一体、いつから読んでいて、この展開に持ち込んだのだろうか。
少なくとも、宗谷がなにかミスをした訳では無い。
序盤からずっと微妙な展開が続く、前例がない細かい将棋だったと言える。
見通しがたちにくいその局面を、まさか経験の浅い若手の挑戦者がここまで操るとは。
一年前、棋神戦の第五局。
当時もこうして二人の対局をみていた。
もう数年もすれば、タイトル戦でも宗谷に引けを取らず、見事に指し合うだろうとそう思っていた。
俺は宗谷の域に桐山が到達するのは、まだ先だと無意識にそう思っていた。
そこから、僅かに一年だ。
引けをとらない? バカか、俺は。
思わず笑ってしまいそうなほどだった。
痛快じゃ無いか。
俺から名人位をとり、あっという間に棋界の頂点に君臨したこの男の前に、ついに現れたのだ。
俺たちのなかで、どうしたって宗谷は特別なたった一人だった。だが、その認識を改める時が来たのかも知れない。
「3月のライオン」
「あ? 急にどうしたんだよ。朔ちゃん」
俺の隣で、将棋をみていた朔ちゃんがぽつりと呟いた。
「いやな。さっきそこの通りの店に飾ってあったポスターに書かれてた。イギリスのことわざだ。“3月はライオンのようにやってきて、子羊のように去る。”」
「今は10月だぜ。もうろくしたか」
「うっさいわ! 感傷にくらい浸らせてくれよ」
全く情緒が無いなんて、言い腐る朔ちゃんをなだめつつ、そのことわざについて聞いた。
イギリスの3月の天候は、気まぐれで予想できず、荒れた天候になりやすいらしい。
まぁ、日本の春一番と似たような感覚らしい。
……春一番なんて目じゃねぇ気がするけどな。
こりゃ、日本の秋の台風なんかよりも、強い風だわ。
桐山……おめぇさん、ほんと突然降ってわいたくせに。
他の誰の風も届かなかった神の子を、引きずり降ろすのかもしれないな。
104手目、桐山の4一玉にて、宗谷の投了。
第一局目は桐山の白星となった。
今年度、只の一度も黒星を持たず、タイトル戦もストレートで防衛し続けていた宗谷相手に、誰が見ても文句なしの完勝だったと賞賛できる、そんな対局だった。
原作、3月のライオンのタイトルの由来には諸説ありますが、サブタイトルで英語原文が載っていますし、イギリスのことわざが理由の一端ではあると思います。
後は、将棋界において3月は順位戦の最終月です。来期の順位戦、名人位の挑戦権の行方といった激動の月になるから、という考察があったりも。
会長は桐山くんを風に例えていますが、かなり最初のほうの会長視点で、嵐を呼ぶかもなと言っていたのと対にしています。