小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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二海堂くんと桐山くんの記念対局のお話。


後ろでも、前でもない

 

 将棋と出会えたことは、俺にとって、何よりの喜びだった。

 何時だっただろうか、自分は他の子のように外で自由に遊びまわることが難しいのだと、知ったのは。

 好きなものをお腹いっぱい食べることさえ、時には命にかかわった。

 沢山の検査をして、様々な薬を試してきたが、現代の医学では、俺の病に完治を期待することが難しかった。

 

 摩耗していく日々の中で、出会ったのが将棋だ。

 知れば知るほど楽しくて、新しいことを覚える度に、強くなっていく自分を感じることが出来た。

 あの子と同じように走り回ることが出来なくても、盤を挟んでなら対等に勝負が出来た。

 たった81マスの盤の上、その上でなら俺だって主人公になれた。大人にだって負けなかったんだ。

 気が付けば、どんどんのめり込んで将棋の奥深さにハマっていった。

 そうやって、楽しくなって本気になって、情熱を注いでいくほどに、この病はまた俺に現実を突き付けてきた。

 ただ座って駒を指しているだけじゃないかと思われるかもしれないが、頭をフル回転させながらの強者との対局は、想像以上に体力を消耗する。時には、何時間という長さにもなる。

 その対局についていくには、俺の身体には、少々どころではない難があった。

 でも、諦めることなど、もう出来なかった。

 将棋は俺の人生と同義になっていた。

 

 両親は俺を止めた。俺の性格を良く知っている分、中途半端で終われない事を直感していたのだと思う。

 無理をして、さらに身体を壊したらどうするのかと言われた。その上、身を犠牲にしてまで頑張っても、病が足を引っ張る事は目に見えていると。

 将棋が好きであるからこそ、本気だからこそ、口惜しいと思う日々になるかもしれないと、懇々と諭された。

 文字通り人生をかけて打ち込んで、その上で打ちのめされたら……と心配してくれていた。

 当時、どうして分かってくれないのかと詰め寄ったが、あれこそ親心だったのだと、今なら少し分かる。

 

 俺は諦めなかった。最初は反対していた花岡も味方につけ、何度も何度も頼み込んだ。

 そして、師匠に出会えた。

 

 最初に声をかけてくれたのは師匠の方だった。随分と熱い将棋を指す子がいたものだ、と柔らかく笑ってくれたのを覚えている。

 沢山、たくさん話をした。師匠は全部分かっているみたいだった。

「お前さん、もう選んじまったんだね」と、少しだけ苦しそうに眉を下げたあと、オヤジさんの事は任しておけと、説得に協力してくれた。

 後から聞いた話では、師匠はもう弟子は取らないと言っていたらしい。それなのに、なんで自分を?と尋ねると、おまえさんの魂に惹かれたんだよ、と頭をなでてくれた。

 

 

 

 色んな人の助けを借りて、結局最後は家族も応援してくれて、そして今の俺がいる。

 将棋を知り、師匠に出会い、兄者を紹介してもらって、俺の世界はどんどん広がった。

 ベッドの脇の小さい窓から、外を走り回る子を眺めるのではなく、盤上で自由に走り回ることが出来るようになった。

 

 そして、将棋の神様は、俺にもう一つ最高の贈り物をくれた。

 生涯のライバルという存在を。

 

 

 


 

 奨励会に入って、プロという最高の冒険の舞台を目指して、研鑽を積む日々。

 上ばかりみていた俺の後ろから、あいつは猛スピードで駆け上がって来た。

 

 はっきり言おう。あの時の俺は少し捻くれてしまっていたのだと思う。

 

 将棋への向き合い方は、千差万別。その真剣さは他人が測れるようなものではない。それなのに、大会で当たった相手に物足りなさを感じ、奨励会に入会後も、どこか周りとの温度差を感じていた。

 自分以上に、将棋一筋で全てをかけている人なんて同世代にいないのでは、とまで思ってしまった。

 

 そんな俺の前に桐山は現われて、そして、俺は頭をかち割られたのだ。

 

 奨励会に入るにしては若い、と話題になっていたその少年は、その年の子ども大会を総なめしていると言っても良かった。奨励会員になれば、一般の大会に出ることは叶わない。まるで今のうちとでも言うように、あっさりと出た大会のその全てで、結果を残していた。

 入会前からの期待の新人の話は、奨励会員の中でももちろん話題になった。その時は、俺はまだ桐山の存在を気にもかけていなかったのだ。入会前に話題になっても、それは一時的なもので、その後が続くものなど、ほとんどいなかったから。

 けれど、そんな周囲のことなど知らぬと言わんばかりに、奴は淡々と記録を重ねてみせた。入会後ただの一度も負けることなく、昇級を決め、そしてその次も……。

 そうなってくると棋譜が気になってくる。そして、目の当たりにしたのだ。

 

 圧倒的な棋力の差を。

 

 まともに、指し合えているものなど、ただの一人もいなかった。まぐれだなんて自分を誤魔化している会員もいたけれど、そんな生易しい差ではなかった。

 

 たった、数枚の棋譜でそれを見せつけられて、俺は唖然としてしまった。同年代で、これほどの棋力を持った人がいることに。そして、恥ずかしくも思った。自分はなんて思いあがっていたのだろうと。

 1級にいる自分の所まで、桐山はすぐに上がってくる。そして追い越していくだろうと、確信があった。

 だからこそ、1回あるかどうかのその対局を、大切に指したいと強く思った。

 奨励会での桐山の棋譜は全部何度も並べてみた。残念ながら、その内容からは真のあいつの強さを読み取ることは、ほとんど出来なかった。誰一人として、あいつの本気を引き出せてはいなかったのだから。

 対局出来る日を心待ちにしながら、俺はひたすらに自分の腕を磨き続けた。その日が来た時に、最高の状態でいたかった。あいつに白星を増やすだけの、ただの一人で終わりたくなかった。

 1級に上がってきた桐山との対局相手の中に自分がいた事に、俺は飛び上がらんばかりに喜んだ。

 桐山と対局が出来る。実際に指して見なければ、どれほどの差があるかは分からない。

 

 

 待ちに待ったその日。

 

「ついにこの日がきたか! 桐山零。俺はお前と対局できる日を心待ちにしていたのだっ」

 

 席についた桐山を前にして、思わずそんな言葉をかけていた。

 奨励会で桐山は、必要以上に喋らない奴として有名だった。感想戦は長くつきあってくれるが、それ以外の雑談となると幹事の兄者と話すくらいだった。

 返事は特に期待していなかった。これはあくまで俺の意気込みを知って欲しかっただけだ。

 だから、少し、ほんの少しだけ驚いたのだ。

 

「僕も……楽しみでした。よろしくお願いします」

 

 桐山は、そう好戦的に笑った。楽しみだった、ということは俺のことちゃんと知ってくれていたのか?

 その答えはすぐに出た。戦局が相居飛車となったからだ。桐山は俺の得意戦法を知っていてくれて、そしてあえてそれに乗ってきた。驚きと共に嬉しさがこみ上げる。自分の得意とする戦法でかかってこいと、それをねじ伏せてみせるというあいつの気迫が伝わってきた。

 長い一局となった。俺の手はどれも決め手にかけて、じわじわと追い詰められていた。

 

 食い下がって、食い下がって、なんとか生きる道を探し続け、177手の熱戦だった。

 

 これまでに無いほどの力戦、間違いなく俺の糧となる一戦になった。

 ……それでも、桐山には届かなかった。あぁ、これでは駄目だ。まだこいつの本気を引きずり出すことなんて出来ない。

 

 だから、本当に驚いたんだ。対局後に桐山から声をかけてくれたことに。

 

「……先に行って待っています。君とは棋士になってから、また指したいです」

 

 一瞬固まってしまって、その言葉を理解しようとしているうちに、桐山は席を立ってしまった。

 また、指したいといわれた。棋士になってから。自分がプロになることを微塵も疑っていない。そして、俺がプロになると信じてるってことだろ!?

 退出しようとしていた桐山の背中に、慌てて声をかけていた。

 

「なぁ……桐山、俺はお前のライバルになれるか?」

 

 今はまだ、届かないけれど。

 

「そうだと、良いなぁって思ってます」

 

 桐山は一度立ち止まって振り返ると、そう静かに応えてくれた。その瞳が、まっすぐに俺を見てくれていたから、あぁ俺だけじゃなかったんだと、そう思えた。

 これが、どんなに嬉しかったか。将棋をして良いと認めて貰ったその日と同じくらいに、嬉しくて仕方なかった。

 一方的に思ってるだけじゃ、好敵手なんて言えないだろ。俺は桐山に、俺を見て欲しかったのだとその時になって分かった。

 

 

 

 

 


 

 桐山は宣言通り、どんどん先に進んでいった。

 無敗で奨励会を通過すると、史上初の小学生でプロ入りを果たす。誇らしいと同時に、焦りも感じていた。

 

 テレビの企画で兄者や、A級の棋士達と互角に戦っていた桐山を見て、あぁあいつの本気を引き出すにはあのレベルまで、到達しないといけないのかと実感した。

 プロ入り後、何十局の対局を経ても、あいつに黒星をつけれる人はいなかった。それほどまでに、強かった。鮮烈なほどのその才能に、焦燥がつのった。

 

 兄者が開いている研究会にも誘われたが、俺はすぐに参加すると返事をすることが出来なかった。

 正直にいって、未だ三段リーグにも上がれずに奨励会でぐずぐずしている自分が許せなかった。

 プロの方々と肩を並べて、桐山と顔を合わせて、研究会に参加する資格があるのか、自信を無くしてしまった。

 

 焦りから、体調を崩して奨励会を休むはめになった。入院先のベッドの上で、深く沈んでいた時の事。

 何食わぬ顔で、あいつが顔を出すもんだから、こっちはたまったもんじゃない。

 そのくせ、俺の悩みなんて知るかとでもいうように、

 

「将棋は一人じゃさせないから、俺の前に座ってくれる一人に二海堂がいてほしい」

 

 最年少でプロになり、未だ無敗の天才は、臆面もなくそう言い放った。

 目先の対局より、何十年も先まで俺と指したいと願ってくれた。

 

 どんな激励より嬉しかった。生涯をかけて隣で競い合う相手を、得られる人など、どれほどいるだろう。

 

 たぶん、俺はどこかで諦めてしまっていたから。自分には時間が無いと思っていたから。

 だから、記憶に残るような最高の一局をはやく指したいと、焦ってしまう。

 でも、もっともっと長く、沢山の対局を重ねていけたら……。

 

 そうなりたいと強く思った。桐山と、兄者たちともっともっと沢山の対局を指して生きていきたい。

 

 

 

 

 


 

 それから、次々と記録を打ち立てて、破竹の勢いで進んでいく桐山の背中を、俺は必死に追いかけてきた。

 あいつの初のタイトル戦、時期尚早だったという周囲の評価をものともせず、宗谷名人と戦いぬく。

 

 子どもだから?体力がないから?まだ、経験が浅いから?そんな評価を全部吹き飛ばしてしまった。

 

 その雄姿に触発されて、俺も三段リーグを一期抜けした。

 肩を並べれたなんて、まだとても思えないけれど、それでも同じ土俵にやっと立つことができる。

 プロ入り後、多くの強者と戦う機会を得た。三段リーグは魔窟だと言われていたけれど、皆それを切り抜けてきた方々だ。一筋縄ではいかなかった。

 

 でも、ただで負けるわけには行かなかった。食らいついて一勝でも多くと、一局、一局をこなしていく。  

 勝率は、ここ最近の若手の中で、かなり良いと兄者に言われた。

 桐山は、兄者との研究会以外にも、若手で集まる会を開くようになった。俺としても沢山の人と繋がれるし、積極的に参加した。

 名人やA級棋士という、予想外の来客もあり、思いもよらぬ対局ができることも密かな楽しみとなった。

 

 

 そして、その年の冬。いつかは訪れるだろうと思われていたその日は、思ったよりもずっと早くにやってきた。

 桐山が宗谷獅子王からそのタイトルを奪取した。タイトルを獲得するという事が、どれだけ難しいのか俺たちプロなら、身に染みて知っていた。

 その上、相手は七冠だった宗谷名人。将棋界の頂点に君臨するその人に、桐山は真っ向から挑み、そして勝ってみせた。

 世間でもとても話題になったらしいが、それ以上に俺たちプロ棋士たちに与えた衝撃は大きかった。

 勝てる。宗谷冬司だって負ける。孤高のように頂点にいたその人に手が届くことをあいつは証明してみせたのだ。

 

 

 それから、少し後に行われたその就任式には、祝いの言葉を告げるために出席した。

 主役の桐山は忙しそうにしていたが、直接言葉をかわす事もできた。

 

 壇上での挨拶を立派にこなし、そのあとも多くの人に声をかけられている桐山を眺めていた時だった。

 

「悔しいなぁ、坊」

 

 俺の横で、兄者が小さくそう言う。その言葉に驚いて隣を見上げてしまった。

 

「俺は、一組の優勝、桐山は初タイトル。一回りも違うあいつに先を越されちまった」

 

 今年度、兄者は宗谷聖竜に挑む機会があった。けれど、結果はストレートで宗谷聖竜の防衛となった。他のどのタイトル戦もそうだった。宗谷名人に黒星をつけれたのは桐山だけだったのだ。

 獅子王戦後、これからは”二人の時代”になると一部の人が言っているのも、俺たちの耳に入っている。

 

「あいつは、凄いやつです。本当に。でも、それでも俺は絶対に諦めません」

 

「……分かるよ、俺も一緒だったから。ずっと宗谷の背中を見てきた。ただの一度も、あいつの前を行けたと思えた日はない。でも、前に座る努力を辞めたことは無い。たまらないんだよなぁ、あいつとのタイトル戦」

 

 しみじみと呟く兄者の目には、熱がこもっていた。

 何年……いや何十年も、プロになってから指し続けてきたのだ。歩みのペースは違えど、それでもただ粛々と。

 

「お前ら二人なら、この先も大丈夫さ。俺もうかうかしてられない。はやくタイトルの一つでもとらないとなぁ」

 

「俺も、まずは一つあいつとの約束を果たしたいと思います」

 

 来期の記念対局に向けての、新人戦トーナメントもついに始まっている。俺は勝ち抜かなければならない。優勝すれば、タイトルホルダーとの対戦ができる。

 相手が桐山かどうかは分からない。でも、まずは俺が勝たないとはじまらない。チャンスはその後、きっと訪れるはずだ。

 

 

 

 

 


 

 今年度の終わり、順位戦を全勝して無事C級2組から、C級1組へと昇級できた。桐山もB級1組へ進んでいた。

 あいつがそこで長く足踏みするとは想像出来ないから、俺たちが順位戦で当たれるのは、お互いがA級になった時かもしれない。

 

 全てのタイトル戦でシードを持っていた桐山は、勢いそのままに聖竜の挑戦権を獲得する。あいつが中学3年の夏のことだった。

 そして、宗谷聖竜と五番勝負を制して、2冠となった。お互いに2勝2敗からの最後の一局はこれまた、至極の一局だった。

 一方で俺も順調に対局を勝ち進めていた。

 獲得タイトルが増え、また次の挑戦権のための大事な対局が増える中でも、桐山は研究会を開き続けた。

「負担じゃないのか?」と尋ねたスミス氏の言葉に、桐山は「この時間も好きだから」と答えた。

 それに、公式戦での対局の機会が減る分、俺たちとの対局機会を持ちたいらしい。

 どこでどんな戦型が流行りだしているのか、誰がなんの戦法が得意なのか、プロである以上いつかは公式戦で対局する必要が出てくるからと。タイトルホルダーになっても、……いや、寧ろなったからだろうか。あいつはより広い視点で、将棋と向き合っているようだった。

 

 

 

 今日も、その若手研究会に向かうため、桐山のマンションへと向かう。そのエントランスで、よく知る後姿をみつけた。

 

「宗谷名人……!」

 

「……、こんにちは。君がいるって事は、今日は勉強会の日なんだね」

 のんびりとそう呟いたその人は、よくアポ無しで桐山の部屋を訪れる。月数回の研究会に、その日が重なることも時々あった。

 

「今日も指していかれますか? 我々は大歓迎です」

 

「うん、そのつもりで来たんだ。獅子王のタイトル戦がはじまったら、さすがに顔を出せないからね」

 

 昨年取られたそのタイトルの挑戦権を獲得したのはこの方だった。桐山との聖竜戦の裏でそちらの対局も大変だっただろうに、それでも掴んでみせた。今度は挑戦を受ける側として、桐山は宗谷名人と対峙することになる。

 ……今年、この人が防衛出来なかったのは桐山との聖竜戦だけだった。宗谷名人にとっても桐山はやはり特別なのだろうか。

 その関係性に羨望を感じずにはいられなかった。

 

「宗谷名人……、もし、もし今日お時間が許すなら、是非俺とも対局して頂けないでしょうか?」

 

 新人戦の決勝戦が間近に迫っていた。どうしても、ものにしたい一戦の前に、強者と一局でも多く指したいと思ってしまう。

 

「僕は構わないよ。あぁ、……そういえばもうすぐ新人戦の決勝か」

 

「ご承知でしたか!」

 

「うん、ちょっと前に桐山が話してたよ。彼、楽しみにしてるみたいだった」

 

 名人はいつ頃からだったか、桐山の事を呼び捨てにするようになった。桐山は勿論、敬称つきで呼んでいるが、公式の場でない二人の雰囲気は、研究仲間というか、少し気安いものに感じられた。

 年が離れた二人だけれど、おそらく誰よりも将棋でお互いを認め合っているからこそだろう。

 

「待ってた人が、大事な対局で目の前に座ってくれるのは、特別なんだよ」

 

 桐山の部屋につく前、そうポツリと呟く。

 

「僕との約束を、彼は何度も守ってくれた。だから僕は今年、絶対に獅子王の挑戦権を取りたかった」

 

遥か高みにいると思っていたこの人の、思わぬ熱意を感じて俺は息を飲んだ。

 

「君も、果たせるといいね」

 

「はい、必ず果たしてみせます」

 

 

 

 

 秋が深まり、冬の気配を感じるようになった頃、ついにその日がやってくる。

 

 相手は、山崎順慶氏。昨年、新人王を獲得した方だ。

 その前の年、新人王を取ったのは桐山だった。ちょうど宗谷名人との初めてのタイトル戦だった棋神戦の後だったから、この二人の記念対局は注目度はちょっと普通じゃなかった。

 一転、昨年はちょうど桐山と宗谷名人の獅子王戦の最中に、記念対局が行われたために、どうしてもそちらに話題負けするのは否めず……。

 本人の心中は分からないが、新人王のタイトルの重み自体は変わらない。間違いなく、この方も若手の中の実力者だ。それを俺は超えていかなければならない。

 

 

 対局室に向かう途中、会長が声をかけてきた。

 

「おう、二海堂。気合入ってんな!」

 

「無論です。大事な対局ですから」

 

「なら、もっとやる気出る話してやるよ。今年の記念対局、タイトルホルダー側は桐山で行く。お前が勝てば、あいつと指せるよ」

 

「本当ですか!?」

 

「毎年宗谷じゃ面白味もねぇからな。桐山なら世間の注目度は元々高いし、期待の若手対決って盛り上げ方も出来る。何より、話を向けてみたらあいつはやる気十分だった。はてさて、なんでかねぇ」

 

全身が沸き立つような感覚がした。桐山は話を快諾した。時期によっては獅子王の防衛戦と重なる大事な時期かもしれなかったのに。

 後は……、俺が勝てば、対局は実現する。

 

 

 

 

 対局がはじまる。

 初手は山崎氏の飛車先を突く2六歩からはじまる。俺は2手目に同じく飛車先を突く、8四歩と返した。

 続く2五歩に、四手目8五歩。戦型は相掛かりとなった。

 互いに角頭を金で受け、飛車の横に銀を立てる

 おなじみの同形模様の出だしから、さらに両サイドの端歩を突き合う。

 12手目9四歩に対して、山崎氏の13手目は4六歩。

 ここまでの同形模様から外れ、俺は14手目8六歩とし、自らの飛車先8筋の歩を突き合わせた。

 

 同歩からの同飛の進行で歩交換が成立。俺は浮いた飛車をいったん元の位置まで下げ、その先へ銀を乗せ、棒銀の構えをとる。

 

 戦局は、2筋でも歩の交換が成立。

 26手目、突進してきた山崎氏の飛車先をおさめるべく、2三歩。

 そして、相手が飛車を2六の地点へ浮かせて構えたのをみて、30手目に3四歩として、自らの角道を開いた。

 

 互いに相手からの角交換を誘いつつ、居玉のまま駒組みは進行していく。

 38手目2五歩とし、2筋の歩を突き出し、飛車を吊り上げる。

 39手目2五同飛に対して40手目、7六銀。歩を払い、銀を角頭に突き立て、強く角交換が要求された。

 注文通り、先手からの角交換が成立すると、俺は44手目に6五銀と銀を6筋へ引き下げた。

 

 45手目に山崎氏は、桂馬を1筋に跳ね1七桂。相手が力を溜めてきているのが分かった。

 俺も、銀を5筋に引き下げ、5四銀として足元を固めていく。

 

 47手目8五歩に対して、48手目1五歩。1筋の歩を突き出し、桂馬を咎めにいく。

 

 軽く桂馬を捌いてから敵陣に角を成りこみ、62手目3一金とした俺に、山崎氏は63手目2六飛。戦力を2筋に合わせて駒音高く、反撃の姿勢に入ろうとしていた。

 

 予感がした。このままでは、相手の飛車を追う事になり、そしてそのまま千日手もあり得る盤面だった。

 

 無理をせず、流れに合わせて、仕切り直しにしても良い。

 でも、本当にそれでいいのか? もう一局、同じだけの熱量で万全の体勢で、30分後にまた指せるのか?

 誰よりも自分の身体を知っていた。今ならまだ間に合う位置にいる。

 無理に千日手を避けようとして、戦況を不利にして、負けては元も子もないのは分かっている。

 

 ただ、お前はずっと誰と対局してきたんだ!?

 誰の前に座りたいと思っている!?

 此処で勝ち切る自信を持てなくてどうするんだ、二海堂晴信!!

 葛藤したのは一瞬。俺は力強く次の一手を指した。

 

 全120手、お互い持ち時間を使い切った長期戦を制し、俺はこの年の新人王となった。

 

 

 

 

 


 

「坊ちゃま、いよいよですね。爺も、精一杯応援しております」

 

 花岡はそう言って、そっと俺の背中を押してくれた。

 何処に行くのも付いてきてくれて、誰よりも俺の味方で居てくれる。その存在にどれほど、助けられてきただろう。

 

「あぁ、行ってくる。見ていてくれ」

 

 花岡は最初から一緒だった。俺の将棋が始まったその日からずっと、一緒に戦ってきた。

 積み重ねてきた苦悩と葛藤を誰よりも知ってくれている。そして、何より今日という日に懸けた想いも、分かってくれている。そんな人が背中を押してくれることを、幸せに感じながら、部屋を出た。

 

 対局の為に用意された部屋は、厳かな雰囲気だった。神宮寺会長が相当気合を入れてくれたと、桐山が話していたがこれほどとは。

 先に下座について桐山を待つ。この、相手がくるまでの緊張感を、俺は嫌いではない。高まってくる対局への熱を、自分の中で感じられるから。

 そう間を置かず、部屋へと入って来た桐山は、今日は緑青色の着物を身に着けていた。

 通常の記念対局はスーツであることが多いのだけれど、これも会長の意向だったらしい。

 着物に着られることもなく、自然と着こなしたその姿は、獅子王としての貫禄すらあった。

 

 スルリと風が吹き込むように、目の間に座る。

 顔をあげた桐山と目が合う。

 俺の目をみたあいつは、少しだけ口角をあげた。思わずこぼれたというようなそれは、まるでいたずらっ子のようで。

 その表情をみたとき、俺はハッとした。

 気圧されるな。ずっと望んできた桐山との公式の対局なのだ。

 

「定刻になりましたので、始めて下さい」

 

 その言葉に、お互いにお願いしますと一礼する。

 

 

 

 後ろからおまえの対局を見ているわけじゃない、横でお前の対局を検討しているわけじゃない。

 今、俺は、桐山の目の前に座っている。

 

 さぁ、楽しい冒険の始まりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 二海堂くん視点で、記念対局に至るまで。
 原作のほうで丁度、二海堂くんと桐山くんの対局が終わりまして。この二人って本当にお互いがいてくれて良かったなぁとしみじみと思い。ずっと、書きたいなぁと思いながらも、なんとなく書かずにいた、記念対局編書くなら今だな、と奮起した次第です。

 次回は桐山くん視点で記念対局の様子


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