小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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目の前に座る君に

 

 思わずこぼれた僕の表情に応えるように。今、目の前で君が好戦的に笑う。

 二海堂との記念対局が始まろうとしている。

 対局場の雰囲気と、和服で将棋盤を挟んだこの状況が、二海堂と戦ったタイトル戦を思い出させた。

 かつて、僕が玉将の防衛2年目となる年に、挑戦者になって、やってきたのは二海堂だった。この記念対局と同じように、同世代で幼い頃からのライバル同士の対局だと注目を浴びたっけ。

 結果は4勝3敗で僕の防衛だった。7番勝負までもつれ込んだ、大熱戦。すべての対局が、脳裏に焼き付いている。

 あの時の僕は、まさかそれが二海堂との、最初で最後のタイトル戦になるなんて、想像だにしていなかった。

 体調を崩して、Aから降級し、不戦敗が続き、治療に専念することが決まった二海堂に、僕は絶対に戻って来いよと声をかけた。君は、当たり前だろうと笑っていた。

 

 でも、その機会は訪れなかった。病のために、29歳の若さで、その先が絶たれた君の心中を、僕ではとても推し量れない。

 最期の時まで、棋譜を諳んじていたという君。まだまだ、たくさん対局ができると思っていた。

 

 未来でいったい何が起きるのか、なんて誰にもわからない。僕だって、そうだったのだから。

 

 君と、真剣勝負ができる機会を、再び持てた事が嬉しい。

 僕はずっと、君との対局の続きを探していたのかもしれない。

 感謝します。本当にありがとう神様。だから、将棋は辞められないんだ。

 

 二海堂、君との対局は何故かいつも熱くなってしまう。でも、それはきっと僕だけじゃないはずだ。

 

「お願いします」

 

 きっとまた、忘れられない一局になる。そんな予感がしていた。

 

 先手は二海堂。初手は飛車先を突く2六歩だった。

 僕は2手目に、角道を開ける3四歩と返した。

 と、二海堂はここで開始そうそうに異例の長考に入る。その間約20分ほど。

 

 居飛車の意思をつよく明示した二海堂に対して、僕の手はまだ居飛車、振り飛車どちらの方にも動ける。戦法を決める大事なタイミングではある。じっくりとこの先の展開を吟味しているのだろうか。

 そして、長考の末に、3手目に2五歩と指してきた。この手は僕に3三角を強要してくる一手だ。振り飛車の投入を誘われている。

 

 うん、いいね。勿論受けて立つよ。

 

 開幕からお互い、丁寧に指し進めた。まるで、戦いの前に熱した頭を落ち着かせるように。この対局の始まりを、ゆっくりと噛み締めるように。

 

 僕は、8手目に4四歩とし、自分の角道にストップをかけた。二海堂の9手目は、5筋の歩を突く、5六歩。それを見て僕は、少し考えたのち、飛車を4筋へと進め、10手目4二飛。振り飛車の王道とも言える、「ノーマル四間飛車」で勝負をかける事にした。

 お互いに、飛車のポジションが決まり、玉の囲いを目指す手筋となった。

 先に8筋へと玉を寄せた僕を追いかけるように、二海堂も角をどかせて玉を同じく8筋へと移動する。

 22手目、僕は9筋の香車を上げて、9二香として、堅くて遠い「穴熊」を組んだ。対して、二海堂も23手目、9八香。9筋の香車を上げて同じく「穴熊」の形をとる。

 そのままお互いに玉を「穴熊」の中に潜り混ませて、銀で閉じ、「相穴熊」が完成した。

 二海堂は、角も取り込んだ形で隙間無く「穴熊」の外堀を埋めてくる。

 僕は、36手目を4五歩とし、4筋の歩を突き、飛車先を決め角道を通す。二海堂の37手目は、8六角と、角を8筋に繰り上げてきた。

 

 そこからは、まるで仕掛けるタイミングを伺うように、飛車を動かし、パスの応酬が続き、膠着状態に入る。

 僕の54手目、7三金。「穴熊」の横で、「高美濃囲い」を完成させた。

 二海堂は飛車先の歩を伸ばし、55手目に6五歩。

 「穴熊」に眠らせたまま、その横で金と銀を組み変える僕に、二海堂は63手目に6筋に引いた角を5筋へと繰り出した。

 

 僕が飛車を自陣の最下段に引く、4一飛とすると、65手目に7七銀と、6筋に構えた銀を自陣へと引き戻し、囲いに連結。互いに、二枚の金・銀に飛車・角の大駒が連なる形となった。

 玉を「穴熊」に潜り込ませた状態で、囲いの組み替えにとりかかる二海堂に対し、僕は70手目2六角として、角を迫り出した。

 けれど、二海堂はこの角には反応せず、自陣の囲いを整え71手目、8八銀。

 

 そして、72手目、4六歩。飛車先4筋の歩を突き出し駒をぶつけ、僕は仕掛けを開始した。

 模様を引っ張るように、敵陣に切り込んでいき78手目、6五銀。二海堂が狙われた角を7七の地点に引いたのをみて、ノータイムで角交換を敢行し、80手目に同馬。

 

 この局面での互いの持ち時間は、僕が30分以上あったのに対して、二海堂は既に数分となっていた。

 模様の厚みは、若干二海堂に分があるが、僕は攻勢を強めて、どんどん圧力をかけていく。

 

 転機だったのは、85手目だ。

 二海堂はこれまで、こうこつと積み上げてきた自陣の守りから、桂馬を跳躍させて、6五桂とした。角交換の時に跳ねた桂馬を、飛車先に乗せて、僕の金へと当ててきた。

 

 僕は金を逃がすために、86手目に7二金。そして、二海堂は5筋へと桂馬を跳躍させて、87手目に5三桂成。成桂をつくりながら、気持ちよく飛車先を通してきた。

 

 このまま好きにさせるわけにはいかない。手持ちの角を二海堂の飛車にひっかけるように88手目、5七角。

 そこから中盤までの膠着状態が嘘のように、互いに敵陣へと迫り、盤面は白熱。

 

 最後はともに1分将棋に突入した。

 

 あぁ、終わってしまう。まだ終わりたくないのに。

 ずっとずっと指していたい。真夏の遊園地の屋上、焼きつくような日差しの中で、それでもずっと指し続けたあの日のように。

 今日という日が、この対局が終わらないでほしいと思うそんな気持ち。

 時間を忘れて遊び続けた、幼き日。その時間が永遠に続くのだと錯覚していたそんな日。

 不可能だって分かってる。それでも、そう思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 


 

「負けました」

 147手目に、二海堂が7二角としたのをみて、僕は頭を下げた。

 先に膠着を打破するために踏み込んだのは僕だった。

 持ち時間を先に使い果たしたのは二海堂だった。

 けれど、1分将棋に入ってから、彼は抜群の集中力と勝利への執念で、耐え忍び続けたのだ。

 チャンスがくるまで、最後まで決して諦めなかった。

 

 形勢は一転、二転したが、その執念で、彼が掴みとった勝利だった。

 

「……ありがとう、ございました」

 

 噛み締めるように二海堂が応える。疲労困憊といった感じだ。それは僕も同じだけれど。

 宗谷さんとの記念対局とは全く違った形になったなと思う。ねじりにねじれて、お互いに勝利への道を譲るまいと、なりふり構わず殴りあった。

 

「桐山、終わったばかりで言うのもなんだが……。また指したいな。最高の舞台で」

 

 感想戦をするために移動する道すがら、二海堂がふと呟く。 その言葉を聴いたときに、僕はたまらなくなった。

 僕は、たぶん、ずっと、この言葉を聞きたかった。

 

「すいません、少し、外します」

 

「桐山!? すぐに始めるって言ってたぞ!」

 

「数分で、戻りますので!」

 

 皆の列から僕は少し外れる僕の背中に、スミスさんが慌てたように、声をかけてくる。申し訳ないけれど、もう振りかえって返事をすることもできなかった。

 駆け込んだトイレの手洗い場に移る自分の顔の情けなさに、少し笑えてしまった。この顔では人前に立つことは出来ない。

 

「あぁ……、負けた。めちゃくちゃに悔しい」

 

 抑えきれなかった想いが、溢れて、溢れて……。まったくいつ以来だろうか、負けて涙を我慢出来ないなんて。

 それくらい、本気だった。そして、文句なしの良い対局だった。

 

「あぁ、悔しい。悔しいのに……、なんでこんなに嬉しいんだろ」

 

 相反する感情が、抑えきれないほどに湧き出てくる。

 以前もこれまでも、幾度となく、二海堂と対局してきた。私的に指した回数はとても多いだろう。

 でも、公式戦で戦った数はそこまで多くは無い。

 だからこそ、どの対局も特別だったし、自分の中の何かを変えてくれるくらいの重みがあった。そして、その対局が終わるたびに言われてきた、「また、指そうな」っと。

 

 僕はたぶん、ずっと聞きたかった。

 “また“が、訪れなかった彼との最後のタイトル戦から、ずっと。僕に勝ち、そしてまた指そうと、無邪気に笑う君の言葉を。

 

 勝てば嬉しい、負ければ悔しい、勝負の世界の当たり前。

 でも、結果に腐らず受け止めれば、勝っても負けても、その対局は僕にとってのかけがえのない一局になる。

 そして、やっぱり同世代は特別だった。ずっと隣で走ってきた、お前がいるから、走ることを辞めなかったんだ。 将棋は、1人では指せない。幼い頃の僕が、誰かが対局盤の前に座ってくれるのを待っていたように。

 あぁ……そうだ。まさに、この関係をライバルって言うんだろうな。

 

「次は……、次は譲らないけど」

 

 そう強く言葉にして、顔を洗って、切り替える。

 

 あまり長く待たせていけない。この記念対局の主役は僕ら二人だ。最後まで仕事はやりきらないと。

 

 

 

 

 


 

 感想戦は大盤解説の前で行われた。

 

「序盤は桐山獅子王のペースだったように思えましたが、いかがでしょうか」

 

 スミスさんの問いかけに、二海堂が頷いた。

 

「どこで形勢が良くなったかは、正直よく分かってません。終盤でも終始ペースを握っていたのは桐山獅子王でした」

 

「最初の長考はやはり序盤大事に行こうと思っての事でしょうか?」

 

「そうです。桐山獅子王との対局はずっと待ち望んでいたものでした。私は、気を抜くとすぐ前のめりになりがちなので」

 

「桐山獅子王は、振り飛車を誘われたときに迷いなく飛び込みました。これは待っていた展開でしたか?」

 

「いえ、どんな戦法でこられても、僕は応えるつもりでした。その方が良い展開になると思ったので。結果負けてしまいましたが、この選択には間違いはなかったかなと思います」

 

二海堂が決意をもって、選んだ戦法だ。わざわざかわしてまで試したい展開を持っていたわけでもなかったから、最初からこれは決めていた。

 

「お互いが穴熊を組んでからは、少し膠着状態になりました。仕掛けるタイミングは難しかったでしょうか?」

 

「迂闊に踏み込めば、桐山獅子王にはかわされてしまいます。皆さんもよくご存じでしょうが、盤面の変化にとても強い方ですから、じりじりと待っている間に、先に攻められてしまいました」

 

「桐山獅子王はどうですか?攻めたタイミング的には?」

 

「そうですね。難しい展開になったとは思いました。あのタイミングが遅かったか速かったかは、もう少し吟味する必要がある気がします。ですが、先に攻勢にでたことに後悔はないです」

 

「私的には、どうにか先に仕掛けたかった。桐山獅子王相手に、受け手に回ってしまうとなかなか打開できないので」

 

 二海堂が悔しそうにそう言った。

 

「桐山獅子王は、印象的な一手はありました?」

 

「85手目の6五桂ですね……。随分と思い切って切り込んできたなと」

 

「打開するには危険を覚悟で飛び込むしかなかったので」

 

 決死の一手だったのは間違いない。

 

「そこが勝機に繋がったと考えていいでしょうか?」

 

「きっかけにはなったかと思いますが、劇的な一手というほどでもないような。その後も桐山獅子王に沢山かわされてますし」

 

「実際、終盤だいぶ込み入った盤面となりました。あそこで切り崩せていれば……と思う点はあります。ただ、最後の二海堂四段の粘りが強かった」

 

「確かに、1分将棋になってから長かったですが、集中を切らさずに指し続けていたと思います」

 

「もう必死でした。なんで勝てたのかと思うほどなので、後でよく検討します。な、一緒にどうだ?」

 

「次の研究会? 自分が負けた対局はあんまりとりあげたくないんだけどなぁ」

 

 突然いつものように、振られて、反射で普通に応えてしまった。島田研究会での次の棋譜はこれで決まりだろう。

 

「お二人は、私的でもよく対局されるとのこと。この先も、多くの対局期待しています」

 

 スミスさんが、うまく締めてくれて、感想戦はこれで終了。会場の人たちも楽しんでくれたようだった。本来は、タイトル保持者である僕が勝ってあたりまえの対局。期待に応えられず、雰囲気が盛り下がってないか少し心配もあったのだけれど、対局の内容は観に来るに値したと、評価してくれたのだろう。

 

 

 

「桐山は、もう何度もこんな対局をしてきたんだな」

 

 感想戦が終わり、会場の片づけを手伝っているときに、二海堂がしみじみと呟いた。

 

「素直に言おう。羨ましいし、焦りもする」

 

 そう真正面から言われて、僕もふと思い至った事があった。

 

「そうだね、何局か忘れられない対局があるよ。でも、まだまだ足りないし、もっともっと出来るって今日改めて思った」

 

 この先の未来で、いったいどれほどそんな対局に出会えるだろう。

 

「次は檜舞台の上で」

 

 僕の言葉に、二海堂がはっと顔をあげた。

 

「初めて指したテレビの企画対局の後に、宗谷さんが僕に言ってくれた言葉だよ」

 

 僕にとってはただの企画対局ではなかった。初めての記念対局での後悔を拭う、もしもを指す事ができた大事な一局だ。

 それから、僕と宗谷さんはもう何度かのタイトル戦を戦ってきた。

 

「上がってくるだろ、二海堂」

 

 俺と二海堂にだってできるはずだろう。今日はその前哨戦だ。

 

「無論だ! 楽しみに待っていろ」

 

 確信をもって告げた僕の言葉に、二海堂は力強く頷いた。その笑顔が、いつかの彼に重なった。この先に、どれほどの対局がまっているのかは、誰にも分からない。

 

 それでも、何度だって次の対局の約束をしよう。

 今日の対局は最高だった。きっと次はもっとだ。そうやってこの先もずっと、僕も、君も、そして皆が将棋を指し続けていくのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 負けて悔しいし、でもなんか嬉しくもある。素敵なライバルがいる関係。私にこの二人の関係性を書ききれるのか。締めの地点が決められず書きあぐねていました。
 端的に表すとまさにライバル、それ以上の言葉はいらないような気もしますが。
 もし、もう少しだけ何か言葉にするならば……、そんな二人の関係性を感じていただけると嬉しいです。

 

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