小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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星を追う人

 

 俺の進学した高校には、有名人がいる。

 

 私立駒橋高校には連携中学があり、半数以上が持ち上がりで進学してくる。

 けれど、その開けた校風から外部からの入学も多く、私立らしくスポーツ推薦なり、学業の特待生制度なり、色々な制度があった。

 

 俺がこの高校を選んだのは、家から近かったからだ。

 そして、公立高校に落ちたからでもある。滑り止めに選ぶにはいささか贅沢な高校だったが、何より近さが魅力的で、そして親も結局許してくれた。

 

 探せば実は丸々で凄い人が、沢山いる我が高校には、日本中が知っている有名人がいた。

 プロ棋士の桐山獅子王。

 

 最初は、え?って思ったけれど、入学式で既に噂になっていた。一個上にテレビでよく見る人がいるって。

 プロ棋士?って何?将棋のプロ?へぇ~くらいの認識の俺でも知っているのには理由がある。

 スポンサーの関係なのか、最近よくCMで観るのだ。

 特に、獅子王というタイトルを数年前にとってから、その頻度は上がり、将棋の人といえば俺ら若者にとったらこの人だった。

 

 

 

 昨年この人は本当に凄かった。

 将棋のタイトル戦? という大事な対局で勝ち続け、負けなかった。

 ちょうどこの前4冠になったらしい。

 10年以上もずっと、将棋界の最強といえば一人の名前があがっていた。なんか白っぽい人だった気がする。

 でも、最近は二人の名前があがる。もしかしたら、桐山先輩の方をあげる人がいるかもしれない。

 

 若いことは知っていた、でも同じ高校にいるってなんだか変な感じだった。

 

 外部受験組は人数が少ないから、必然的に持ち上がり組とは絡みにくい。

 だから、俺は同じような境遇で駒橋に進学してきた、山本って奴と仲良くなった。

 眼鏡かけて真面目そうなのに、実はあんまり勉強は得意じゃない。

 

 駒橋は一応、部活に入らないといけない。特別な理由……、例えば外のクラブで頑張っているとか、将棋の仕事があるとかなら免除されるだろう。

 一般学生の俺は、なにかしら部活にはいる必要があった。

 

 山本と、どーしようかと、とりあえず気軽に見学をしていった。

 運動部はないな。

 強豪の部活もあるし、どこも雰囲気がガチぽかった。

 

 じゃあ、文化部にしようって話になって、目に留まった部活があった。

 放課後将棋科学部。

 名前からして、人気が少ない部活が合わさって、人数を増やしたのかと思うが、ここはそうじゃなかった。なんてたって、桐山先輩が所属している部活だ。

 将棋に少し興味があるやつならこぞって入部するだろう。

 

 俺も最初は有名人みたさに見学にいった。

 で、そこにいたのが野口先輩だった。

 何? あの人、キャラ濃すぎでしょ。

 将棋科学部は、先輩たちが高校に進学してきた時に作ったらしい。

 普通はなかなか作れない新設の部活があっさり作れたのは、桐山先輩が校長たちに将棋を教えているかららしい。……おかしくね?

 

 なんか色々面白そうだったのと、実験もお堅くなさそうだったので、俺と山本は入部を決めた。

 休む時に連絡が要らないっていう緩さも良かった。たぶん桐山先輩のことを考慮しての事だと思う。

 

 くだんの先輩には入部して一か月がたとうとしても、会えなかった。

 

 初めて顔を合わせたのは、GWの前の時。

 山本と休み前の最後の実験だ、と少し早めに科学室に向かったら、先輩が一人中にいた。

 

 電気もつけずに、窓辺でなにか紙を読みながら、静かに座っていた。

 その日はとても天気がよくて、開かれたカーテンからの日差しで、随分と部屋は明るかった。

 蒸し暑い夏が近づいてきていたが、まだ気温が高くなくて、吹き込む風は涼しい。

 

 話しかけられなかった。

 山本と一緒にぼーっとその様子に見入ってしまった。

 

 入り口が開いたのに気づいたのだろう、こっちをみた先輩が驚いたように目を丸くした。

 

「小池くんと山本くん?」

 

 は? なんで知ってんの?

 

「はい! 新入生の山本です。あの、先輩に会うの初めてですよね」

 

 山本が驚いたようにそう聞き返した。

 

「あ~、学校には来てたから、顧問に新入部員の顔と名前を軽く教えてもらってたんだ」

 

 先輩は少し、考えた後にそう返事をした。

 ちょっとみただけで覚えられるもんなのか。

 

「小池です。いつ会えるのかなぁってちょっと楽しみにしてました」

 

「どうぞ、よろしく。ごめんね、あんまり顔を出せてなくて。野口先輩から、GW前の最後だって聞いてたから、今日くらいはって思って」

 

「部長のこと、野口先輩って呼んでるんですか?」

 

 桐山先輩と部長は同級生のはずだ。

 

「あーなんとなくね。あだ名みたいなものなんだ。他の2年もみんな呼んでるでしょ? 出会ったころから貫禄あったんだよね」

 

 思い出しているのか、そう柔らかく笑った先輩は、普通の高校生にみえた。

 

「おーす、桐山。お前ホームルームにも来なかっただろ」

 

「林田先生、お疲れ様です。本当についさっき学校に着いたんです」

 

「さっきまで対局してたもんな。随分とはやく畳んだなぁ」

 

「ちゃんと感想戦もしてきましたよ? でもなんか相手が萎縮しちゃって」

 

「棋士番号が桐山より若いなら、そりゃあ怖いさ。4冠の獅子王の相手なんて」

 

 年も近いし、もっと気楽にしてほしいんですけどね……と桐山先輩が呟いていた。

 

 顧問の林田先生と桐山先輩は仲が良いとは聞いていた。

 実際林田先生が将棋が好きなのは、入部してしばらくしたらすぐに分かった。

 プロ棋士が部員にいるなんて、嬉しいだろう。

 

 それから、すぐに部長や、他の先輩たちもやってきて、部活がはじまる。

 てっきり将棋をするのかと思ったら、予定通りの実験だった。

 将棋の日はあらかじめ決まっているらしい。

 校長たちへの配慮がいるからなぁと林田先生が言っていて俺らは、首をかしげてしまった。

 

 後からわかるが、将棋の日は、校長、教頭、学年主任を含め、将棋が大好きな教員が集合して、部活の空間がだいぶカオスなことになる。

 なんだか、それはそれでおかしくて、俺はこっそり笑ってしまった。普段、関われない先生たちの姿をみられるから、俺は将棋の日も結構好きになった。

 

 

 

 桐山先輩は本当に忙しそうで、部活に顔を出すのは月に数回だった。

 でも、俺らのことも気にかけてくれて、たまに参加するその日もずっと居たみたいにスルッと中心にいた。

 

 成績が良いらしくて、試験の前の詰め込みの時に、昨年のまとめノートのコピーを貸してくれた。

 これがまた読みやすいし、分かりやすい。そしてヤマも結構当たる!

 桐山ノートと言われて、おれたち1年部員の間で崇められた。

 このノートに俺は今後三年間随分とお世話になる。いや、本当に感謝しています。

 

 

 

 


 

 成績優秀、仕事も順調そう、何も困ってなさそうな先輩の苦労を目の当たりにしたのは、名人戦というタイトル戦が終わった時だった。

 

 大事な対局だったらしい。

 ファンも待ちにまっていて、そして桐山先輩自身も獲りたかったであろうタイトル。

 昨年度の成績が良くて、先輩は今年の名人位に挑む権利があったらしい。

 

 そこまで興味がなかった俺が、中間考査でひぃひぃ言ってる間に、それは終わっていた。

 実は出会ったころの4月からこの長い対局がはじまっていたらしいが、それすら知らなかった。

 

 先輩は2勝4敗で宗谷名人に敗れた。

 

 その最終結果は、凄くテレビで取り上げられて朝のニュースにすらなった。

 だから、俺は桐山先輩の負けが確定した翌日にそれを知った。

 母親が、あらぁ残念だったわねぇと呑気にコメントしているのを横で聞きながら、先輩も負ける事があるんだなぁ、なんてこれまた呑気にそう思った。

 

 

 

 でも、世間はそれで許してくれなかった。

 

 

 

 桐山先輩が桐山獅子王になってもう3年が経つ。それ以降、タイトルに挑戦し、取れなかったことは無かったらしい。

 そして去年の華々しい成績。

 期待されていた。名人位を最強の棋士から奪取し、新しい時代、此処に来たれりと示すことを。

 

 そして、同時に宗谷名人の人気も伺えた。

 林田先生が言っていたが、古参のファンからしたら長年名人位を持ち続けている宗谷名人こそが、未だに将棋界最強らしい。

 昨年はすこし調子が悪かっただけで、これが本当の実力だと声高に言う人も沢山いた。

 

 桐山先輩が負けたことだけが、ただただピックアップされて、彼のそれまでの頑張りなんて無かったように扱われている気がして、モヤモヤした。

 今回だめだっただけで、まだ獅子王なのに、まだ4冠なのに、その全てが無くなったみたいだった。

 

 恐ろしい世界だと思ったし、勝手に盛り上がって盛り下がってる、周りが怖いとすら思った。

 

 

 

 定期考査の事で恩も感じていたし、なんとなく元気が無かったらどうしようとか思いながら行った先の部活で、先輩は普通に笑っていた。

 

「あぁ小池くん久しぶり。新しい香料に挑戦したんだって? 今、野口先輩に見せてもらってた」

 

 何も変わらなかった。

 先々週に会った時と全く一緒の雰囲気で部活をしていた。

 

「おつかれ、さまです。あの、先輩……対局、残念でしたね」

 

 思わず言っちゃった。けど、これ触れない方がよかった!? とか思っても後の祭り。

 

「あぁ名人戦ね。流石に宗谷さんは強かった。簡単には渡してくれないよ、大事なタイトルだからね」

 

 一度、少し目線を伏せて、先輩はそう言った。

 

「でもね、また次があるから。A級順位戦は大変だけど、また勝ち抜いて挑戦する」

 

 続いた言葉は力強くて、真っすぐに見返してきた目が輝いていた。

 

 えっ、つよ。この人、めちゃくちゃ強い人じゃん!

 普段の部活の時の先輩と、印象が違いすぎて驚いてしまった。

 

 そうだ、だって小学生からプロなんだ。

 負けなかったわけがない。

 周りに何か言われなかったわけがない。

 それでも、ずっと、ずっと戦ってきたんだ。

 もうそれが6年目になる。

 

 6年……俺の人生の三分の一よりも長い時間。なんだか俺がぼーっと生きて来たその時間で、この人はどれだけの事をしてきたのだろう。

 

 素直にかっこいいなぁと思った。

 真似できないし、真似しようとも思えない。

 けれど、そう。憧れのスポーツ選手や芸能人をみる感覚に似ているかもしれない。

 この日から俺はもうちょっとだけ、将棋についてちゃんと知って、先輩を応援したいと思った。

 

 

 

 将棋科学部というくらいだから、将棋をすることも勿論あって、俺も次第にルールを覚え始めていた。

 それとは別に、プロ棋士の世界についても野口先輩や林田先生は熱心に教えてくれた。

 タイトル戦の数、種類、歴史の長さ、聞けば聞くほど、気が遠くなった。

 特にこの前、先輩が負けた名人戦。なんて気の長い予選だろうか。

 何年もかけてA級という所に上がってこなければいけない。

 そして、一年かけて戦い抜いて、一番の成績でないと名人には挑めない。

 

 今年、名人の奪取に失敗した先輩は、またA級順位戦に挑んでいるらしい。

 

 それだけじゃない、別のタイトルの防衛戦もある。

 対局のスケジュールをみたら、この人いつ高校の勉強をしたり、遊んだりしてるんだろうって思った。

 俺たちが普通に過ごしてる時間のほとんどを将棋に捧げている。

 

 勝手だけど、負けて欲しくないなって思った。

 だって、負けたらまた色々言われるんだろう。

 こんなに頑張ってるのにさ。

 

 先輩は有名税ってやつだからって、気にもしてなかったけど。

 

 そんな俺の想いなんていざ知らず、先輩はちゃんと勝った。

 調子を崩すのでは、なんて噂されてたけど、負けなかった。

 

 夏に聖竜の防衛を、秋に獅子王の防衛を、冬に棋匠と王将の防衛をした。

 そう、四冠を維持してみせた。

 俺と同じように高校に通いながら、時には部活に顔を出しながら。

 

 そして、A級順位戦。

 昨年はプレーオフになったというこの順位戦。

 桐山先輩は全勝した。

 文句なしで、来年度再び、宗谷名人に挑む。

 

 その強さに、再び名人に挑むのは自分だ、誰にも渡さないって言ってるみたいだって林田先生が笑っていた。

 

 

 

 

 

 


 

 一年、たった一年みてきただけだった。

 でも、先輩がどんなに頑張っていたかを知っていたから。

 次の年度の名人戦は、俺までずっとハラハラしていた。

 

 4月から開始するその対局は相変わらず大注目された。

 

 桐山先輩が2勝で宗谷名人が3勝になったときに、去年の再来かと、第六戦目はみれたもんじゃなかった。

 二日目に、興味がある将棋科学部員で集まって、どうなってる? どうなってるの? ってずっと野口先輩や林田先生の周りをぐるぐるしていた。

 

 先輩は劣勢だったらしいが、最後まで諦めず、そして勝ち、3-3のイーブンまで戻した。

 

 

 

 そして再びあの6月。

 最終戦。名人戦第七局。

 TV中継はなかったけれど、みんなでネットの中継をみた。

 二日目は校長の許可を得て、学校に集まった。なんなら先生たちも一緒にずっと見守っていた。

 

 中継で宗谷名人が負けましたと頭を下げて、先輩がありがとうございましたと返した時、俺は泣いてしまった。

 勝った、先輩が勝ったよって、山本や観ていたみんなと大騒ぎしてしまった。

 

 一年前の6月に、先輩が名人位を取れなかったときは、気がついたら終わっていた。

 将棋のことも、タイトル戦の事も何も知らなくて、あぁ負けることもあるんだなって、それだけ。

 

 それから、一年。

 ただひたすらに、その輝かしい頂きを目指して、一つ、一つ、勝ち星を集めて、努力している先輩の姿をみてきた。

 俺がみていた部分なんて、小さな欠片くらいだっただろう。

 

 何もしてない、ただみていただけだけれど、なんだか報われた気分だった。

 勿論、頑張ったのは先輩で、報われたのは先輩の努力だ。

 でも、これが自分の事のように嬉しいって事なのかもしれない。

 

「そうかぁ、桐山これで、名人で獅子王なんだな。……感慨深いよ。なんか本当に一気に遠い人間になっちまった気分」

 

 林田先生が男泣きしながらそう言った。

 

「免状を……是が非でも、秋の獅子王戦が終わるまでに貰わねば」

 

「校長っ!アマ三段の免状をとられるのですか!?」

 

「もう少しですからな、規定に達し次第、申請を出さねば」

 

 稲葉校長と、玄田教頭が興奮気味にそんな話をしだした。

 

「免状? 将棋に免許があるんですか?」

 

「免許っていうか、アマ用の段位とかを証明する免状を将棋連盟が発行してるんだよ。……有料で結構いい値段するけど、署名してくれるのが、時の連盟の会長と名人と獅子王でさぁ」

 

 林田先生が説明してくれた。

 

「つまり、秋に桐山くんが獅子王戦を終えるまで、その免状には桐山名人と桐山獅子王と書いてくれるわけですな」

 

 野口先輩がそれに相槌をうつ。

 

「え、めっちゃ良いじゃないですか。俺も欲しい」

 

「そうだよなぁ。俺も欲しいよ。桐山がこの二つのタイトルを同時に持つことは早々ないだろうし。でも、直筆は段位からだから、小池にはちょっと難しいかもな」

 

 段位……将棋のルールをやっと覚えた程度の俺では確かに難しいだろう。

 

 

 

 

 

 それからしばらくして、将科部に桐山先輩が顔を出せる日に、俺たちは小さな祝勝会を開いた。

 

 桐山先輩はよく笑っていて、校長たちの熱烈なお祝いの言葉にも上手に返事をしていた。

 

 あの後家に帰ってから、アマの段位免状の高さに目をむいて、とても学生には払えませんって言ったら、先輩は少し考えた後にこう言った。

 

「何年経っても、大丈夫だよ」

 

「え? どういうことですか?」

 

「皆が大人になって、まだ将棋がちょっと好きで、それで免状を申請しても良いかなって思えるくらい稼ぎもある頃。その時も、僕はきっとタイトルを持ってる」

 

 桐山先輩の言葉に気負いは全くなかった。

 

「ずっとは持っとくのは無理だと思うけど、何度だってまた取るよ、名人も獅子王もね」

 

 だから、焦らなくて大丈夫なんて笑っているのだ。

 

 はぁ~~~かっけぇな。そんな事言っちゃうんだ。

 

「先輩、約束ですよ! 俺、覚え悪いからきっと何年もかかっちゃうんで」

 

「それは……楽しみだな」

 

 何が楽しみなのか、分からなくて首をかしげる俺に続けるのだ。

 

「何年後も、将棋で繋がってられるって事だから」

 

「~~~っ! 絶対、初段をとってみせますから!」

 

 一体、何年先になるのだろう。

 先輩に会うまでは、将棋の駒の種類だって知らなかった。

 

 でも、その何年後、何十年後に、もし本当に俺が免状の申請を出したとして、名前を書いてくれるこの人が、一瞬でもあぁこの名前、知ってるなって思い出してくれたら、それって凄く良いなって思える。

 高校時代にこんな名前の後輩がいたなって、ちょっとでも、気づいてくれたら良い。

 

 だから、俺はこの先も、のんびり将棋を楽しむし、先輩の勝ち星の動向をずっと追いかけようと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




原作で桐山くんのクラスメイトだった小池くんの視点です。
文化祭の頃から仲良くなって、ほんとうに微笑ましかった。
逆行軸では後輩になっちゃうのですが、これはこれで良いかなと。

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