番外編のように少しだけ書くつもりだったのが、それなりの量になった事、完結の目途がたち区切りが良くなったのでこちらにも投稿することにしました。
第一訓 相生の松
「だったらさ、桐山。やっぱり俺の弟子になるか?」
気が付いたら、そう言葉にしていた。
大丈夫、慣れたからという桐山の言葉に、そんな事に慣れる必要なんてないんだって、そう思ってしまったから。
俺の言葉に、ぱっと振り返った桐山は、その目をまん丸に見開いて、こちらを見上げた。
「えっ……でも島田さんのご迷惑では……?」
「いや、迷惑ってことは全くない! この前断ったのは、どちらかというと俺の方の問題だったから」
そう、自信が無かったのだ。
未だ自分の面倒も満足にみられていないのに、弟子をとって良いものかと。
先を行く同い年の宗谷や土橋さんの背中をみると、俺はまだまだだと思う。これは非情な現実だった。自分の研鑽をもっとつむべきで、他人の面倒をみる余裕がそこにあるとは思えなかった。
「でも、幹事の事もお忙しいでしょう? ……僕の事は、たぶんなんとかなるので大丈夫ですよ」
あぁ……まただ。おまえさん大丈夫だって、そう笑うんだよな。
けして、無理をして笑っているわけじゃない。
諦めているというより、割り切っている。
随分と大人じゃないかと思う。でも、俺はそれがもどかしくて、何故か無性にやりきれなかった。
この子なら、俺が手を差し伸べなくても、師匠は見つかるだろうし、放っておいてもプロになるだろう。
それでも、もし俺に出来ることがあるなら、何かしたいとそう思った。
プロ棋士になるまでの家庭環境は、自分は恵まれていたと思う。奨励会に通う距離こそ離れていたものの、家族だけじゃなく、地元のたくさんの人が応援してくれた。
今の桐山とは正反対だ。
こいつはたぶん、将棋に関しては、すいすい進んでいくのだろう。
でも、他の事に関しては? 小学生が背負うには、負担が大きすぎる気がした。
何気ない風で立ってみせているけれど、いつか誰かが気づかないうちに潰れてしまわないかと、心配だった。
「一度は断ったけどさ。おまえさんと一緒に居たら、将棋にも良い意味で変化がありそうだし、俺は独りで住んでるから、同居人がふえたら、寝落ちた時とか、せめて布団かけてくれる人はいるってことだろ? それってさ、悪くないと思うんだよね」
桐山が今は施設にいることを知っている棋士はまだ少ない。俺は奨励会の世話役だったから、会長から聞いたけれど、そのほかは棋院の事務員たちの間で話題になったくらいだ。
弟子に迎えるということが、引き取ることに等しいことをちゃんとわかっていると伝えたかった。
「桐山はやっぱり、ちゃんと後ろ盾になってくれるような大御所がいい?」
棋界での後ろ盾という意味では、会長や既に引退した棋士の方が、顔も広いし安心だろう。
「そんな! 最初は僕から言い出したのに。 島田さんが良いなら是非お願いしたいです。……でも本当に……?」
一度断ったせいだろうか、桐山はすぐには信じられないようだった。
「本当だよ。何なら今から会長のところ行くか?」
「え? 今からですか?」
驚く桐山の頭に手を伸ばし、何度か撫でながら俺は続けた。
「そう、今からだよ。後悔しないな?」
「しません! よろしくお願いします」
弾けるように笑った顔をみて、あぁ……良かったと思った。
さっき大丈夫だって笑った顔と全然違ったから。
この子は本当に喜んでくれているのだ。
初めての弟子だ。まして一緒に住むことになる。
この先きっと色々あるだろうが、楽しくなりそうな予感がした。
桐山との生活は、想像したよりもずっと過ごしやすいものだった。
環境の変化に、敏感な子も多いからと、引っ越しは春休みになった。自分のためにというよりも、施設の仲間の事を気にしているようだった。
新しく子どもを迎えるために、俺の方にも準備がいるだろうという気遣いもあったのだろう。
といっても俺の家は平屋で、部屋数がそれほどあるわけではない。申し訳ないが、桐山用の部屋を作ることは難しかった。布団と机と、あとは食器や小さめの箪笥など、身の回りのものを少々といった程度でそれほど負担になる買い物ではなかった。
幸田さんは、俺が桐山を弟子にしたと聞いた時、すぐに話を聞きに来た。
どうも自分の師匠にお願いする気持ちでいたようで、それには少し悪いことをしたなぁと思った。
けれど、島田さんのところなら安心だと言われて、子どもを迎えるために準備したら良いものについても相談にのってくれた。
困ったらいつでも声をかけてくれと、とても好意的だったと思う。
施設に迎えに行った日。
同い年の少年に泣かれる桐山を見て、あぁ……ちゃんとここは桐山の家だったんだなぁと実感した。
心を許せて、許してもらえる、そんな間柄の子がいた事に安堵した。
決してめぐまれた環境ではなかったかもしれない。それでも、彼がここで得たものはかけがえのないものだ。
泣いて見送る少年に、桐山がまた遊びにくるからと声をかける姿に、その時は菓子のひとつでも持たせてやろうとおもったものだ。
3月に二海堂と対局を経て、桐山は調子をあげているようだった。同世代で張り合える相手がいるというのはやはり嬉しいのだろう。
相変わらず負けなしでついには初段にもあがった。
けれど、桐山には気負いのようなものは全く感じられなかった。ただ、淡々と目の前の対局にむかい、終われば反省をして、また研究する。毎日その繰り返しを積み重ねていた。
それがどれほど凄いことか、自分が通ってきた道だからこそ、良く分かった。
普通このくらいの年齢ならほかに興味を持つこともあるだろう。
勝ちが続いているなら慢心し、これほどまでに勉強しようとは思わないのでは?
将棋にかける時間と熱意はすでにプロの域だった。
記録係の仕事も相変わらず続けていて、誰かの代理で急に藤本さんの対局の記録をつけたこともあったし、台風に巻き込まれて会館に泊まったこともあった。
そのときスミスと仲良くなったようで、駅まで迎えにいくと、一緒に連れ立って歩いていた。
酷く雷を怖がっていたから、今後も気にかけてあげてほしいとも教えられた。
俺はそのとき、子どもらしい面もあるもんだと、それほど深刻には捉えなかったのだけれど。
夏休みが終わる頃、一緒に暮らしはじめて半年もすれば俺たちの距離感もなれたものだった。
なんというか……桐山はとても出来た子どもだった。
俺の生活スタイルをよく観察していた。掃除の仕方や洗濯のたたみ方の癖、物の片付け場所、食事の好みとにかくなんでもよく覚え、そして合わせてくれた。
集団生活をおくる上で身につけたすべだったのだろうか。
もちろん、自分が在宅しているときはそれなりに家事はしている。
けれど、職業柄遅い日もある。そんな日は学校から帰った桐山はほとんど全て終わらせていたりして、最初は驚いた。
無理にしなくて良いとは言ったけれど、対局が無い日は島田さんの方が全部してくれているから、と言われるとあまり強くは言えなかった。
夜中まで将棋に夢中で起きていて、翌朝、桐山を起こすこともなく寝ていれば、朝ご飯を作ったのでよかったらと学校に行く桐山に起こされた。
二人分の洗濯物は毎日回すほどでもないので、今日帰ったらしようと思えば、先に学校から帰った桐山が終わらせていた。
盤に突っ伏して、半分気絶するみたいに寝ていたら、気がつけば横にされていて、頭の下に座布団と身体には布団が掛けられていた。
対局で遅くなり、疲れ果て、もうなにも腹に入れずに寝てしまおうと帰った家で、おかえりなさいと迎えてくれる子がいて、更には良かったらと胃に優しい夜食まで作ってくれていた。
……世話をされているのは、むしろ俺の方だったかもしれない。
食べ盛りの子どもが一緒なら、きちんと三食たべさせないとと、必然俺も食事を忘れなくなった。
ちゃんと食べて睡眠もとっているお陰か、最近は体調が良い。
会長にも、おまえ最近顔色も良いし、肉付き良くなった、ついでに将棋の調子も良い、なんて言われるほどだ。
弟子をとって気を遣って、さらに痩せるんじゃないかと思ったが、逆で良かったなんて、桐山もいる前でいわれて少し焦った。ほんと遠慮がない人なんだから。
そんなこんなで、桐山とうまくやっていたある日。
俺が対局から帰ると桐山が珍しく盤のそばで寝落ちていた。
台所をみると俺の分であろう晩飯にラップはかけてある。
おそらく家のことをし終わって、俺を待ちながら棋譜を並べているうちに眠くなったのだろう。
一緒に検討をしていると、驚くほど遅くまで起きている日もあるが、時々スイッチが切れたように眠るのは、やはりまだ子どもだなぁと思う。
「桐山、おきろー。起きないなら勝手に布団に運ぶぞ」
一応揺さぶって声をかけてみる。前に布団に運んでおいたら、次の日起きたときに、一度は起こしてください! と抗議されたから。どうも重たいし手間をかけたと思っているらしい。
「……んー。……はい。起きますから」
半分どころか、八割寝てるような声で応えた桐山に笑いながら俺はふと、盤面をみた。
そして、一瞬でそれに心を奪われる。
とても、とても高度な一局だった。いや……そんな言葉では言い表せないような、深い一局。
「ふ……わぁ……、島田さんお帰りなさい」
起きた桐山があくびをして、目をこすりながらそう言った。
「……あぁ、ただいま。これ、凄い対局だな。誰と誰の棋譜だ? 見たことないけど、こんな名譜なら、知ってると思ってたんだけど」
それなりに、かなり昔の棋譜までさらっていると自負していたが、こんな棋譜には覚えがなかった。
それに指し方の傾向から、昔と言うより今に近い。
いや、今というよりも、これはもっと……。
「え?……うわぁぁぁっ、えっと、これ、これはですね……」
俺が盤面をみていることに気づいた桐山はかなり慌てて考え込んだ。何かに迷っている風だった。
「この見事な指しまわし、もしかして片方は宗谷か! あいつこんな風にも指すのか……」
あまり見慣れない感じはではあったが、少し注視すれば宗谷らしさを見つけられた。
「いや、しかし良い対局だ。タイトル戦なみの熱を感じる」
「いや……島田さん、そのコレはですね……」
「それで相手は誰なんだ? 相手も分かりそうなんだよなぁ……」
何かをまだ迷っている様子の桐山にそう聞くと、彼は困ったようにこちらをみた。
「実は……この相手は、僕です」
「桐山……? あぁそうか! 桐山だなぁ。確かに言われてみれば分かるよ。うん、そうだな」
どうりで既視感があると思った。
これは、すごく調子が良いときの桐山の指し方だ。俺とVSすることも何度があったが、時々もうハッとするような一手を指してくる。そういう時、既に俺も負けることがあった。
「あれ? おまえさん、いつ宗谷と指す機会があったんだ?」
納得すると同時に湧いた疑問を口にすると、桐山は何度も口を開いては閉じ、なかなか応えなかった。
「……信じてもらえないかもしれませんが、夢で……指したんです」
「……夢?」
「はい、夢です。これは夢の中で僕が宗谷さんと……そのタイトル戦をしてまして、その棋譜が凄い頭の中から離れなくて、覚えておきたいなぁと並べてみました」
「え? じゃあコレ、桐山の頭の中で出来た棋譜ってことか?」
「うーん、僕だけって事もないんですけど、そうなるんでしょうね……」
夢という曖昧な話だからか、どこか脈絡を得ないが、事実ここに棋譜があるわけで、それはとても興味深かった。
「凄い夢みるなぁ……宗谷がまたリアルだ。たぶんこの棋譜をみせれば、誰がみても宗谷って分かるレベルの再現度だよ」
「いや……まぁ……はい、宗谷さんだったんで」
どうにも歯切れが悪いが、タイトル戦をしていたという夢に恥ずかしさでもあるのだろうか。
「それだけ桐山の頭の中は将棋でいっぱいなんだなぁ。こんな夢みたらなんか寝てても疲れそうだけど……。この一局とっても良いからさ、忘れないうちに書き起こして、また見せてくれよ」
「あの……変に思わないんですか? 夢で……なんて」
「なんで? 俺も対局の夢はよくみるよ。こんなに詳細に内容まではなかなか覚えてないけどなぁ」
桐山は俺の反応に、とても安心したようだった。
じゃあ書いておきますね、と静かに笑った。
「あ、ではついでなのですが、この対局もみてみませんか?」
そう続けた桐山はそっとまた、盤面に駒を並べ始めた。
片方はまたすぐ、宗谷だなと分かった。雪のような指し筋だったから。どんなに、どんなにもがいたとしても、容赦なく埋め尽くし、静かに圧倒的な闇が迫ってくる。
じわじわと相手の為す術が無くなるのが分かった。
「こりゃ……またキツい一局だな……。これ、相手は誰だ?」
また、桐山かと思ったが、違和感がある。
いや、誰よりも知っているような気がした。
そして、桐山が終局まで指した時には分かった。
「コレ、相手は俺だな」
「……はい、すいません」
「謝るなよ、これもまた興味深い対局だ。俺も決して悪いわけじゃないしなぁ……負けてるのがまた現実みがあるし」
笑って肩を叩いたが、桐山はキュッと眉をよせて何も言わずに盤面をみていた。
その様子に、俺もまた盤をみてみると、ふと気がつく。
「あれ……? でも、これ7九角なら……」
つぶやいた俺の言葉に、桐山が食いつく。
「そう! そうなんです! 7九角があったんですよ」
「だよな!? これ、俺が勝ってるじゃん! うわぁぁぁ勿体ねぇっ」
「そうなんです! 島田さんが勝ってたんですよ! なんで投了しちゃったんですかぁ」
なぜか桐山は、本気で悔しそうだった。
夢の話なのに、本気でちょっと半泣きで、俺までつられて悔しくなった。
「えぇ……、なんでって言われてもなぁ。いやでもコレ、客観的にみてるから気づけたけど、当事者ならなかなかキツいな」
「……やっぱりそうなんですかね」
「どうしても宗谷相手に終盤をここまでやられちゃうとなぁ……。なかなか勝ち筋が残ってるとは思えないし」
「でも、ちゃんとあったんです。島田さんは攻め切れてたんですよ……。7九角なら詰んでたのは宗谷さんなんです」
どこか拗ねたようにうつむくその頭を、俺は力強く撫でた。
「まぁ……なんというか、ホントにありそうで怖いわ。そんでありがとな。桐山ちゃんと師匠に勝ち筋がある夢をみてくれたんだなぁ」
「……僕が考えたんじゃなくて、ちゃんと島田さんが強かったんです」
「うんうん。ありがとな。ていうか、本当に凄い夢見るな。ちゃんと頭の中休めてるのか?」
「毎日がこんなんじゃないので大丈夫です」
「その言い方だと、他にもありそうだなぁ。内容も高度だし、研究しても良いくらいのだから、良かったらまた見せてよ」
笑った俺に、桐山は少し不安そうだった。
「でも、実際に指された棋譜じゃないんですよ。……この世界じゃ」
「どっちでも良いよ。ちゃんと成り立ってる対局なんだからさ。この世でも、夢でも、面白い対局は共有させてくれ」
「……分かりました。今度、暇なときに書きおこします。ファイルに入れておくので興味があるものから見てください」
「そんなにあるのか。楽しみにしとくよ」
「沢山、たくさん……あります。誰かに知っておいてほしかった棋譜が」
目を伏せたその表情は、なぜか懐かしそうで、少し寂しそうだった。
桐山の夢の中の対局には、彼がよく知るたくさんのプロ棋士が登場した。
対局の内容は不思議な物で、その人物が誰か分かるのに、これまでの過去の対局とは雰囲気というか、流れが違いすぎてまさに夢の中の対局だった。
だからこそ面白かった。そんな指し方もあるのかと、一足飛びに、選択肢が広がった感じだ。
体調も良く、将棋の調子をあげた俺は、今期なんとB級1組を抜け、来期からA級にあがることになった。
正直もう二、三年は覚悟するつもりだったのだが、意外となんとかなるものだ。
桐山も三段リーグを抜け、4月からはプロになる。
初の小学生プロ棋士だ。
世間はその話題性に大いに沸き、会長もまた将棋ブーム再来のためにと気合いを入れていた。あいつは自分のプロ入りよりも、俺のA級入りのほうに喜んでいたようだったが。
小学生というだけでなく、奨励会の無敗神話、天涯孤独の厳しい身の上、話題につきない桐山の周りは騒がしくなった。
せめて、少しでも風よけになればと師匠として矢面に立つことも増えた。
桐山は平気そうに、様々な取材にも応じていたが、時々家で疲れたように肩を落としていたのも知っていたから。
愛想がよく、器用そうに見えるけれど、それはこの子が身につけた処世術で、実際はこういう事は苦手なのではないかと思う。
会長が企画したテレビのイベントでは、後藤さんと隈倉さん、そして宗谷と対局した。
なかなかそうそうたる面々だったが、当の桐山はA級棋士と指せることを喜んでいた。特に、こういったイベントに興味が無さそうな宗谷がうけた事には驚いたが、桐山は夢にまでみるくらい楽しみにしていたから、良かったなぁと単純にそんなことをおもったのだ。
そう、あの対局をみるまでは。
三局とも素晴らしかったが、とりわけ印象に残ったのは宗谷との対局だ。
その対局と感想戦を俺は、保護者として付き添っていたので、生で観る事ができた。
背筋が凍るほどの衝撃だった。それくらい高度な内容だったのだ。
そして感想戦での宗谷との声なきやりとり。
あぁ……やっぱりな、と心の何処かでそう思った。
あの子は宗谷と同じなのだ。天然の翼をもち、羽ばたく力も持っている。
そう、人力であくせくとペダルをこがないと墜落してしまう、俺とは違うとそんな風に思ってしまった。
こりゃまいったなぁと、これから先を思いやるせない気持ちと、この子が自由に飛べるように応援してやりたいという気持ちの両方が入り混じった。
逆行本編との差異
藤澤九段と会う前に島田さんが桐山くんを弟子にします。
島田門下が誕生しました。素敵な響き。