小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第三訓 一臂の力を貸す

 

 将棋連盟の会長という職は、名誉なことなのだが、雑事も多く最近は特に忙しくしている。

 それというのも今年度、棋界の長い歴史ではじめて、小学生のプロ棋士が誕生したからだ。

 世間の注目は上々。これを逃すべからずと、企画したテレビ番組の視聴率も良く、それから俗に言う将棋ブームが再来の兆しをみせている。

 この忙しさは嬉しい悲鳴という奴かもしれん。

 

 くだんの小学生プロ棋士となった桐山零は、その生い立ち人柄含めて、なにかと話題になる子で、奨励会無敗という記録もメディアのウケが良かった。

 プロ入り後も順調に連勝記録を伸ばしている。

 心配していた生活環境も、島田が弟子にとってからは二人とも仲良くやっているようで、安心したものだ。

 

「島田、最近調子いいですよね」

 

 黙々と作業をしていた宗谷がポツリとそう言った。

 棋界最強の名人様は今日も免状の作成のために、将棋会館に来ていた。

 俺から話しかけることは多々あれど、こいつが話題を振ることは珍しい。

 

「お前もそう思う? いや~、弟子を取るっていうからどうなるかと思ったが、お互いにいい方向に進んでくれてるみたいで俺はほっとしてるよ」

 

 島田の年齢で弟子をとるという事は珍しい。ましてや、内弟子になることが前提だった子だ。

 伸び悩みつつも、しっかりと棋力を上げて、これから先タイトル戦に挑むことも夢ではないと思っていただけに、後進育成に手を出すのは、いささかはやい気がしていた。

 ともすれば、“諦めた”のではないかと心配までしたのだ。

 島田は俗にいう宗谷世代だ。圧倒的な実力をもつ宗谷冬司が、ありとあらゆる記録を総なめした世代。そして、おそらくこの先もそれは変わらない。

 だからこそ、心を折られた者も多い。

 だが、島田はそうじゃなかった。

 

「棋風の幅が急に広がりました。島田はもともと、土台はしっかりしている。そこに、これまでは無かった選択肢が増えてきている。新しさを感じるほどに」

 

 今年A級に上がった島田は、順位戦でも勝ち星をためているし、他の棋戦も順調に勝ち進んでいた。

 今までも安定感はあったものの、大事な棋戦でいまいち勝ちきれない所があった。

 

「島田には、奨励会の幹事を頼んだり、イベントの参加も依頼したり、色々仕事を振っちまってたからなぁ。あいつ自身が将棋の普及に熱心ってこともあったにしろ」

 

 もともと面倒見の良い男で、性格も温厚。将棋連盟としての仕事を頼み易かった。

 連盟に所属する棋士の仕事と言ってしまえばそれまでだが、あまり偏りすぎるのもどうかとは思っていたのだ。

 

「桐山を迎えたこともあるし、幹事はそろそろ譲っていい頃合いだったから、引き継いでもらって、なるべく地方の仕事とかは減らしたし、将棋に集中できてるのかもな」

 

 周りに気を遣う奴で、すぐ胃を痛めているような男だったから、繊細な問題も抱えていそうな孤児をひきとって、さらに神経を使うんじゃないかと気がかりだった。

 まぁ、蓋を開けてみれば、相性も良かったのだろう。

 桐山に合わせて生活するうちに、食事環境も改善されたのか、最近の島田はなんというか、色艶が良い、健康的な感じだ。

 桐山が丁度三段リーグを戦っている頃、それこそまだ島田に内弟子が出来た事が広まっていない時なんぞ、良い女が出来たのかと一時話題になったものだ。

 まぁ、後から、女どころか一足飛びに子連れになっちまったなんてからかわれていたが。

 そういや、あいつ婚期を逃しそうだよなぁ。

 今は、もう弟子と将棋の事だけしか頭にない感じだし。

 

「あの子、桐山くんでしたっけ。彼とほぼ毎日指しているなら、……それは少し面白そうだ」

 

「何? 宗谷も桐山くんが気になるの? おまえ、あの企画全然、乗り気じゃなかったじゃん」

 

 小学生プロ棋士誕生の話題を世間にアピールする意味も込めて企画したテレビ番組。

 宗谷をひっぱりだすのまではやりすぎだったかもしれないが、その分視聴率はかなりのものだった。

 なにせ、桐山は一敗もしなかったのだから。それが決して、こいつらが花を持たせてやったわけでないと、俺たちは分かっている。

 それぐらい高度な内容だったし、あれをみて刺激されない奴はいなかっただろう。

 

「彼との対局は、とても興味深かったです。少し、僕が遊びすぎたのが惜しかったほどに」

 

 宗谷が他人に興味を持つことは極めて珍しい。

 耳の調子の事もあり、今まで付き合いがあった奴らと絡むくらいで、新しく誰かとの関係を築こうとしなかった。

 ただ、将棋に関しては別で、若手の事に関しても、名前は全然覚えないくせに、将棋の内容についてはいやに詳しかったりする。

 桐山に関しても将棋の内容で、気に入っているのだろうか。

 

「あの子も難儀な子ですね」

 

 宗谷が唐突にそう言った。顔を向けた俺にこう続ける。

 

「僕と少し似てるなと思って。あの若さで将棋しかないんです」

 

 その言葉に、先日のこの二人のやり取りを思い出した。

 将棋会館近くでおきた事故を目にした桐山が、一時的にこちらの声を聞こえないほどのショックを受けていた時。

 それを持ち直させたのは、たった一つの駒音だった。

 急に現れてパラパラ駒を落とすから、何事かと俺は思ったし、それで聞こえるようになるなんて一体誰が想像するだろうか。

 テレビ企画の際にみせた、声なき感想戦といい、この二人妙に気が合うところがあるとは思っていたが。

 

「島田が付いてるし、大丈夫だとは思うけどな」

 

 あの日の島田は凄かった。

 それはもう対局相手にはご愁傷様としか言いようがない。

 さっさと終わらせて桐山を連れて帰ってやりたかったんだろう。

 なんというか、子を守ろうとする野生動物の必死さを彷彿させるほどの圧があった。

 その後の桐山の様子をみるに問題なく生活しているし、島田はきちんとフォローの出来る奴だ。

 

「それは、僕に会長が居たのと同じように?」

 

 俺は虚を突かれて、顔をあげた。

 

「え、何? そんな風に思ってくれてんの?」

 

 宗谷には色々と手を焼かされてきたが、こいつはそれを何とも思っていないとばかり。

 

「事実では。助けて頂いた自覚はあります」

 

「おまえさぁ、そう思ってくれてるなら、もっと対局以外の仕事も頑張ってよ」

 

 諦め半分、ため息交じりにそう続ける。まぁとても期待はしていないが。

 

「……。そう、ですね。今は体調も悪くないですし、良いですよ。もう少し仕事を受けても」

 

 宗谷は少し考えた後にそう言った。

 

「え? 何、本気で言ってる?」

 

 一瞬聞き間違いかと思ってしまった。

 

「彼と指してから、耳の調子も良い。それに、あまり矢面に立たせるのも可哀そうだ」

 

 宗谷なりに、後輩を思っての事だろうか、これは嬉しい誤算だった。

 

「いやー、桐山くんさまさまだわ。助かるよほんと」

 

「彼には、早く上がってきてもらわないと。そう待たせはしないと、約束しましたから、僕はただそれを待っています」

 

 宗谷は静かにそう言った。

 あぁやっぱり。将棋なんだなと思った。

 世間の注目をあび、引っ張りだこの後輩を守ってやろうとかそんな殊勝な考えではないのだ。

 再び指したいと、ただそれだけ。

 それでも、良い傾向なのだと思う。多少なりともこいつが、他人のことを認識して、行動をおこしているのだから。

 

 

 

 


   

 プロになってから、半年ほど過ぎた秋の頃。

 

 島田さんが良ければ研究会をやらないか? と提案してきた。

 島田さんはこうやって、何をするにも一度僕に相談してくれる。ここは島田さんの家で、僕は島田さんの弟子だから、こうすることにしたからと言われたら、文句なく従うつもりだった。でも、一緒に住み始めてから、そんな事は一度も無い。

 僕たち二人は、普段から時間が合えば将棋を指し合っているし、例の僕の“夢の中の棋譜“を使った検討もしている。正直に言って、かなり密度の濃い毎日を過ごしていると思う。でも、二人ばかりで指す事より、他の人も交えての研究会は大事だと思う。

 島田さんは、まぁそんなに広い部屋でもないし、最初は気心が知れた人がいいからと、同期の人を一人呼ぼうかと言ってくれた。

 僕はその質問に大きくはいと答えた。島田さんの同期と言えば重田さんだ。彼とまた研究会が出来るなら嬉しい。

 おそらく島田さんは、僕が人見知りな事に、もう気づいていた。

 今の人生では、人あたりが良いように気を配っているし、仕事ならそれなりになんでもこなすけれど、本質的な性格は変わっていない。見知らぬ人も、新しい関係を築くのも苦手なのだ。

 もっとも重田さんをはじめ、棋士の方々は、勝手に知っている人ばかりだからその範疇ではないのだけれど。

 話はとんとん拍子で決まり、重田さんの予定もきいて、皆の都合が良い土曜日のお昼に、研究会が開かれた。

 

「桐山、こちらが俺の同期の重田盛夫くん。重田くん、話してたと思うし知ってるだろうけど、この子が、弟子の桐山零くんね」

 

「初めまして。桐山零です。今は島田さんのところでお世話になってます。今日はよろしくお願いします」

 

「……どうも、重田です」

 

 簡単に一言だけ、目線は一度も合わなかったが、そう返事をくれた。これが、初対面だったら、萎縮してしまったかもしれないけれど、僕は、あぁ重田さんだなぁと懐かしくなるくらいだ。

 将棋会館で何度か見かけたことはあったけれど、対面で話すのはこれが初めてとなる。前回のように将棋を指せばもっと話してくれるに違いない。

 

「ちょっと目つき悪いし、無口だけど将棋に関してはよくしゃべるから! あと別に怒ってるわけじゃないからな。この顔が標準なだけで」

 

 島田さんがフォローを入れつつ、自己紹介は終了した。

 とりあえず、指さないと始まらないというわけで、入れ替わりでさっそく対局することになった。

 振飛車が得意戦法なのは、このころから変わらないらしい。

 重田さんが後手で、戦法はゴキゲン中飛車だった。

 懐かしさを感じつつ、対局は僕の勝利でおわり、感想戦にうつる。

 将棋に関しては、なかなか譲れないのが棋士の性、重田さんも検討中は言葉数が多く、白熱した。

 

「島田が弟子を取るとは思わなかった。俺たちまだ自分でも何も成し遂げられてないんだぜ」

 

 先の対局の感想戦が落ち着くころ、重田さんがぽつりと言った。

 

「僕がお願いしたからなんです。すいません、当時、プロの棋士の知り合いは本当にいなくて」

 

「はぁ……やだやだ、お前さんの経歴ほんと謎だよなぁ。師事もしないで、そんな強くなるかよ、普通」

 

 これだから、神に愛されてるやつってのは……と、重田さんは僕に聞かせるのでもなく、ただぼやぼやとため息交じりにそう続けた。

 

「こら、そういう事を桐山の前で言わないでよ。こいつすぐ気にするんだから」

 

 お茶を入れに行っていた島田さんが戻ってきた。

 

「悪くないもんだよ、弟子って。桐山はしっかりしてるし、俺も助かってる」

 

「おまえ、ほんと調子良いもんな。順位戦だって勝ち越してるし、タイトル戦の本戦も順調。A級あがったばかりだったら、普通はすぐB級おちしないように、もうちょっと神経すり減らすもんだぜ」

 

 あんなにB級で足踏みしてた癖に、と重田さんは半目で言った。

 

「なんか肉付きも顔色も良くなってさ。対局後の付き合いも悪くなるし、こりゃてっきり新しい女でもできたのかって、話題になってたんだぜ」

 

 それは知らない情報だった。

 

「蓋を開けてみりゃ、内弟子をとりました、だもんな。年上か、年下かって賭けまでしてたのに、見事に外れて皆、匙を投げてたぜ」

 

「そんなことまでしてたのか? 皆、他人事だと思って……」

 

「まぁまぁ。調子良いならそれに越したことないし。弟子もまだ負けなしだろ? この前土橋さんとも対局して勝ってたし」

 

 少し前、僕はプロになって初めてA級棋士との対局があった。連勝記録が途絶えるかと、注目されたその対局で、僕はなんとか白星を掴んだ。

 

「あぁ、あの日ね。その日俺、関西で対局だったから随分帰りが遅くなったんだけど、帰宅したら桐山まだ帰ってなくてさ。対局はとっくに終わってるのネットの中継で知ってたから、焦ったよ」

 

「その節はすいません、会館まで迎えに来てくれて」

 

 土橋さんとの感想戦が盛り上がってしまって、僕はすっかり時間を忘れてしまった。

 島田さんは会館に電話をかけたらしく、会長は対局室まで見に来てまだ僕がいることに呆れていた。

 タクシーで帰るから大丈夫だと言ったのだけれど、島田さんは結局迎えにきてくれて、二人で一緒に帰ったのだ。

 土橋さんはこんな時間まで引き留めるつもりは無かったのだと、島田さんに謝って、島田さんは、その気持ちは分かりますよ、と苦笑していた。

 僕と島田さんの検討会も気が付けば日付を過ぎていた……なんてことはよくあることで、そのたびに島田さんは、しまった明日学校だろう? と僕を布団に追い立てていた。

 

「そろそろ二十連勝に届きそうなんだろ? 宗谷名人の記録を抜けるのかって、すでにもう話題になってる」

 

「高段者の方と当たる機会も増えてきましたので、一局一局、大事に指していきます」

 

「ま、師弟ともども頑張ってくれよ。俺もあやかりたいからさ、次もまたよんでくれ」

 

 割と面白かったからと、重田さんはそう言って、最初の研究会はお開きになった。

 

 

 

 


 

 俺が桐山に出会った夏から、そろそろ二年が過ぎようとしていた。

 思えば、出会って半年で弟子に取り、ともに暮らすようになったのだから随分と濃い時間を過ごしてきたもんだ。

 

 プロになってから桐山はまだ一敗もしていない。

 連勝記録はもう二十を超えた。年明けまで続くようなら、宗谷の最多連勝記録も越せるかもしれない。本人は記録にはあまり興味はないようだったが、世間の注目は高まるばかりだった。

 棋士の知り合いも増えているようで、会館で声をかけられたり、昼休憩の時にお菓子をもらっていたり、可愛がられているようだった。

 何やらあいつを見守る会なんてものがあるらしかった。内々にできた非公式の会だ。

 

 俺が内弟子に取ったとはいえ、両親不在の子どもということは変わらず、将棋界の子どもの健やかな成長を願ってのことらしい。

 まぁ、俺も対局があれば一緒に居られないこともある。仕事で地方に行くときは一日家を空けることもあったりした。

 

 心配なのでそんな日は、会長か幸田さんの家に泊まりに行くように頼んだ。桐山は一日くらいなら一人でも大丈夫だと言う。気を遣う子だから、あまり他所の家に泊まるのは好きではないのかもしれない。かといって小学生一人というのも、悩ましい所だった。

 桐山はその落ち着いた性格であまり無茶はしなかったが、なんというか自分が子どもだという自覚が薄かった。

 対局後、夜中まで感想戦をして来る日もあった。一人で関西の対局に行かせてみたら、藤本さんに絡まれて、いかがわしい店に行くダシに使われそうになるという事件もあった。

 しっかりしているから、ついつい任せてしまうが、大人がしっかり注意してやらないとな、と思っていた。

 

 

 

 その日、地方でのイベントの仕事を終えて帰路についていた俺のところに、警察から連絡がはいったのは、もうすっかり日も暮れた時間だった。

 お子さんが事件に巻き込まれまして、なんて保護者だったら絶対に聞きたくない言葉だろう。

 慌てて詳細をきくと、ひったくりにあったところを通りかかった人に保護されたらしい。

 すこし怪我もしているから、迎えに来られないかとのことだった。

 

 もう東京に帰ってきていたので、数十分もあれば行けそうだと伝えて、急いでタクシーを捕まえた。

 場所は将棋会館近くの交番だったし、桐山は今日対局があった。

 対局帰り、なるべく人と一緒に帰るか、遅くなるならタクシー使えと、言ったのは一度や二度の事ではない。

 桐山は、うまく時間があえば誰かと駅までは一緒に帰っているようだったが、徒歩と電車での移動に慣れているようで、車はめったに呼ばなかった。

 もっと強く言っていれば、と後悔した。

 

「すいません、島田さん。お手数おかけしました」

 

 俺の顔をみて、開口一番がそれだ。あーもうほんとこいつは……と頭を抱えたくなる。

 聞くところによると怪我は頭を少しぶつけたのと、手首を捻った事らしい。

 それほど大きな怪我ではないことに安堵しつつも、包帯を巻いた姿は痛々しいし、どうしてこんなことにと思わずにはいられなかった。

 

「桐山。誰かと一緒に帰れないときは、タクシー使えって言ってただろ。会館にはなじみのタクシー会社も多いし、信頼関係もあるんだから」

 

 肩を掴んで、目を合わせながらそう言うと、しょんぼりしてすいませんと小さく声を返された。

 

「まぁ、まだ明るい時間だったしな。おまえさんが悪いわけじゃないから」

 

 悪意をもって行動している輩はどこにいるか分からない。充分注意しても、たりないんだと知ってほしかった。

 

「おまえはしっかりしてるけど、心配なんだよ。ついててやりたくても、そうできない時が俺も多いから」

 

 一般の小学生の習い事なら、普通は母親や祖父母などが送り迎えをする事も多い。そうできない環境にあることを、もどかしく思った。

 

 偶然、通りがかり桐山を助けてくれたのは、女子高生でこんな遅くまで付き合ってくれて申し訳なかった。

 交番にまで付き添ってくれたらしいし、迎えがくるまでなんとなく立ち去りにくかったようだ。下に妹さんがいるらしく、面倒見が良いのも頷ける。

 もうあたりは暗かったので、彼女も家まで送り届けることにした。

 遅くなった事で、彼女を待っていたらしい母親や祖父母の方には、よくよく頭を下げておいた。

 どうも祖父の方が、将棋好きだったようで、大変好意的だったし、自らが開いている和菓子屋にも是非にと声をかけてくれた。菓子折りを頼むことは多々あることなので、今度是非利用させてもらうことにしよう。

 桐山も、彼女にキーホルダーの修理を頼んだらしく、また受け取りに行くと言っていたし、その時一緒に行ってもいいなと思う。

 

 その後、桐山を連れて胃痛で世話になっている馴染みの病院に行った。

 夜間なので、救急料金はとられるものの頭をうったらしいし、診てもらった方が良い。

 結局頭は打撲程度だったし、右手の方も折れてはいなかったので、二、三日で快方に向かうだろうとのことだった。

 諸々を済ませて、結局家についたのは22時をまわる事になった。

 明日、桐山は対局がある。

 

「桐山、明日の獅子王戦の初戦があるだろ? どうする?」

 

「……? どうするとは?」

 

 キョトンとした顔でそう返された。

 分かってはいたが普通に行く気であるようだった。

 

「まぁ、止めても行くって言うだろうから、良いけど。俺もついて行くからな」

 

「えっ、島田さん明日は対局も、他の仕事も無いですよね?」

 

「右手、あんまり使うなってことだったし不便だろ。それに会長に呼ばれてるから」

 

「さっきの電話ですか? 僕の事でしたら、話はしてきますけど」

 

 会長から突然電話が入ったのは、病院に着いた時だった。

 なにやら、交番の警察官から話が行ったらしく、桐山は大丈夫なのか? といやに焦ったようにかかってきた。

 事の顛末を話すと、ひとまず納得はしてくれたようだが、一応注意喚起も含めて、話しに行かなければならないだろう。

 

「良いから、俺が行きたいの。ほら、分かったらお風呂入って、もう寝な」

 

 桐山の背中を押して促す。

 繊細なところのある子だから、その後の様子も大丈夫か気にしてみていたが、特段普段と変わったところはなさそうだった。

 

 

 

 次の日、桐山は左手で対局をしていたものの、特に問題なく白星を掴む。

 会館に着くと、知り合いの棋士からあれこれ声をかけられていて、話のまわる速さに驚くとともに、あいつの交友関係も広がったなと、しみじみ思った。

 会長からも、帰宅時にはよくよく気を付けろと言い聞かされていたし、周りのひとから色々声をかけられて桐山自身も少し思うところもあったようだ。

 

 この事件の後に、何か変化したことといえば、桐山があのお嬢さん、川本さんのお家に頻繁に遊びにいくようになった事だろうか。

 三日月堂というお祖父さんのお店にも、よく顔を出しているようだった。

 

 出張で俺が家を空けることもあると言うと、そんな日は是非泊まりにてきてほしいと言われ、遠慮するかと思った桐山は、不思議と川本家に泊まるのを嫌がりはしなかった。幸田さんの家も、会長の所も、どこか将棋の事が頭をよぎるだろうし、そういったことと関係がない所がよかったのかもしれない。

 

 何度か一緒に夕飯を作ったからと、それを分けてもらって帰ってきて、俺もおこぼれにあずかった。

 二人とも対局だった日、桐山にご飯一緒にどうですか? とメールが来ていた時もあって、その時は俺も一緒にお家に呼ばれたりして。

 悪いですよと言ったものの、二人分増えてもそれほど変わらないと言われてしまったし、何よりその温かな料理が美味しかった。

 俺も自炊はするものの、これほど色々作ってあげることは出来ないし、桐山が喜んでいるなら無理に辞めさせることでもないだろう。

 

 代わりに差し入れをもっていったり、買い出しを手伝ったりした。

 家の中の事で、男手があった方が良いこともあり、お邪魔した際にはそうした事を手伝うこともあった。

 今時珍しいのかもしれないが、下町のあたたかい雰囲気がどこか故郷の人付き合いを思い出させてくれて、居心地が良かったのかもしれない。

 

 良いご縁だったと思って、この先も交流を続けていければと思う。

 

 

 

 

 

 

 

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