「決まった!! 今期の聖竜戦の挑戦者は桐山だ!!!」
「土橋さん相手に一歩も譲らなかったな」
「一度も負けずに、タイトルの挑戦権取っちまった……」
「あいつ今いくつよ? ……13歳?」
「中学生の挑戦者か、前代未聞だな」
桐山と土橋さんの対局となった聖竜戦の挑戦者決定戦は、桐山の勝利となった。
挑戦者の決定ということもあり、桂の間では多くの棋士が検討をしていた。
終局後の部屋は異様な雰囲気に包まれていた。皆、自分が目にしたものが信じられないといった様子だ。
信じたくないというのが正しいかもしれない。自身を脅かすほどの才能が、また一つ将棋界の歴史を塗り替えたのだ。称賛している人もいたが、それよりも困惑している人の方が多くみられた。
その様子とは裏腹に、対局室へなだれ込んだ記者たちの熱狂は凄かった。
遅くまで張り付いていた記者のほとんどがこの瞬間を待ち望んでいた。中学に上がったばかりの桐山が、最年少挑戦者になることを世間は大いに期待していた。
その通りの展開になり、話題性があると喜んでいるのだろう。おそらくまた、朝のニュースを賑やかすことになる。
「いやー、桐山きゅん実にお見事! さぁ、これから忙しくなるぜ、お師匠さんよ」
会長は随分と浮かれた様子で俺の肩を叩いてきた。
「そりゃもちろんバックアップはしますがね。……あいつの周りはまた騒がしくなりそうなのが、なんとも」
「そりゃ将棋界初の中学生のタイトル挑戦者だ。注目の的だな」
「まだ中学に上がってから一か月そこそこしか経ってないんですよ。新しい環境にだってやっと慣れてきた頃なのに」
そつなくこなしているように見えて、桐山が実はかなりの人見知りだという事が俺には分かっていた。
初のタイトル挑戦というだけでも緊張するのだ。それだけに集中させてやりたいが、おそらくとても無理だろう。望む望まないに関わらず、多くの人が注目することになる。
「そこを! サポートしてやるのが師匠の仕事だろ、頼んだぜ! じゃ、俺は記者たちに色々言ってこなきゃだから」
会長のコメントも求められることを予想してか、足早に離れていった。会長の立場なら、この機会に将棋への注目度が上がることを歓迎していることだろう。
相当に気合いの入ったタイトル戦になることが今から予想できてしまった。
前夜祭はどうなるだろうか? あの会長の様子なら大規模なイベントまで一緒に行うかもしれない。
俺がかつて経験したタイトル戦の様子とはきっと大きく異なるものになるだろう。どこまで桐山の助けになってやれるだろうか。
「さて、まずはとりあえず……着物をあつらえる事からかな」
桐山の成長期はまだらしく、体格は小柄だ。あいつは勿体ないという気がしたが、きちんと体格に合ったものを身に付けさせたい。
着物をきた宗谷は独特の雰囲気がある。あれと対峙できるだけの品を用意しなければと、気合いが入った。
桐山といえば、周囲の雰囲気につられる事も無く、いつもどおりの日々を過ごしていた。
あまりに普通で挑戦権をとった自覚が無いのかとも思ったが、そんなわけもなく。
揮毫を決めたのかと尋ねると、いくつか候補をみせてくれた。筆で書くのにも慣れた様子で、習字を習っていたからといっていたが、歳に見合わぬ達筆だった。悪筆は苦労するのだが、全くその心配は無さそうでよかった。
心配していた周りの騒がしさだが、予想の範囲にはおさまった。
自宅の周辺にも記者が来るなど、一時期は落ち着かなかったものの、根気強く対応するうちに、不躾な取材は減っていった。
将棋連盟から色々と声明を出してくれたのも大きい。
学校にも取材が来たそうだが、そこは林田先生たちが上手く対応してくれていた。私立の学校ということもあり、宣伝も兼ねて取材は歓迎だそうだ。
「桐山、今更かもしれんが、毎日少しずつ走ってみるか。タイトル戦は体力勝負だぞ」
つけ焼き刃かもしれなかったが、しないよりかはマシだろう。
「ランニングですか? 良いですね。棋士には趣味にしてる方も多いみたいですし」
「櫻井みたいに山登りが趣味の奴もいるな。まぁあそこまで本格的じゃ無くて良いが、身体を動かすのも大事だ」
俺は山育ちでそれなりに体力には自信があったが、30歳をこえると一気にくるらしいし。この機会に一緒に走るのもありだろう。
「持ち時間4時間で宗谷とやるんだ。想像以上に消耗するぞ」
タイトル戦での精神的、肉体的疲労はとても大きい。
棋力の心配はあまりしていないのだが、多感な時期の子どもをあの長時間の緊張に晒して良い物かという懸念はあった。プロになった以上、今更どうこう言えないのだが。
「宗谷さんと最低でも三戦出来るんです。僕は今から楽しみですよ」
桐山は大変よりも、楽しさが優っているようで一切の気後れも見せなかった。
こういうところは大物だよなぁと感じる。
宗谷の雰囲気に萎縮する若手も多いのだが、その心配は全く無さそうだった。
第一局の前夜祭は凄い人だった。
一般人の入場券も販売されて、ちょっとしたイベントがあった事、スポンサーの数も近年に稀に見る多さだった事などが理由だ。
来賓の数も多く、桐山と挨拶回りだけで目がまわりそうだった。
主要な来賓の名前は経歴くらいは一緒に確認していたが、それでも二言、三言本人の言葉で話す事に意味がある。
本当にどこで身につけたのかと聞きたくなるほど、桐山の受け答えは丁寧でしっかりしていた。俺が横についている必要はほとんど感じられなかったほどだ。
対局者の挨拶でも、宗谷はほぼ定型文通り、まぁここはいつものことなので、会場の参加者はどちらかというと、中学生挑戦者が行う初めての挨拶のほうを気にかけていた。
桐山は堂々としたものだった。
まずは来賓や会場へ訪れてくれた人たちへ謝辞をのべ、対局への決意や意欲を楽しそうに語り、更には対局の開催地の名産へのコメントなど隙が無い。
一応みてほしいと一緒に考えた文章だが、ほとんど自分で考えていたし、よどみなく落ちついて話すその姿は、中学生には見えなかった。
着物も見事に着こなして、立ち振る舞うその様子に、どこか人では無い何かのようにすら感じた。
宗谷が神や悪魔にたとえられ、どこか畏怖をこめて見られるように、おそらく桐山も同じ道を辿るのだろう。
翌日、桐山が対局の会場へむかうのを送り出す時、俺はなんと声をかけて良いか分からなかった。
「いよいよだな、緊張してないか?」
「少し、緊張してると思います。すごく見られてるなって思いますし」
当たり前の事しか聞けなかった。緊張しないわけがない。
桐山は、平常心で指せるだろうか。
「でも、僕は自分がここに立つのに足りないとは思っていません。若いのは事実です。運も確かにあったでしょう。それでも、皆さんを倒して、今日ここで宗谷聖竜と対局をするのは僕です」
俺の心配が伝わったのか、桐山は珍しく強い言葉でそう言い切った。
見上げてきたその瞳には気迫があり、小さなその身体には、確かな自信が感じられた。
「島田さん、これまでの対局の準備とか、前夜祭でも一緒にいてくれて、ありがとうございました。とても心強かったです」
「いや、おまえさんしっかりしてたから、ほとんど出番は無かったよ」
「今日は見ててくださいね。僕の対局を」
「あぁ、もちろん。楽しみにしてる」
ぽんっと背中を一つ叩いて送り出したら、桐山はもう振り返らなかった。
一心にただ目の前の宗谷だけを見ていた。
プロ入り後未だ黒星無しの神童、棋界の頂点に挑む。そんな煽り文句を入れていた新聞社もいたっけな。
世間の評判などどうでもいいのだ。
俺の初めての弟子の、初めてのタイトル戦が今はじまった。
振り駒の結果先手を取ったのは桐山だった。
その初手は飛車先を突く2六歩。
宗谷の2手目も同じく飛車先を突く、8四歩。互いに飛車先を決め、相掛かりの出だしとなる。
その後数手は、定跡通りの展開だった。
序盤の展開を見るに、とても落ち着いて指せていると思う。
桐山の9手目は6八銀、銀を6筋に絞って構えることで宗谷からの角交換に備える。
それに対して宗谷は10手目に7七角成とし、手損の無い角替わりが成立した。
その後もタイトル戦とは思えないほどテンポよく手順は進み、局面は角換わり相腰掛銀となった。
宗谷は最善形を維持し桐山が仕掛けてくるのを待っているように見えた。
桂馬を相手の戦場に跳ね上げて、仕掛けを先にはじめたのは桐山だった。
思い切った良い踏み込みだった。
主導権を決して宗谷に渡す事なく、桐山はその後も思い切って歩を突き捨てながら、盤面を構築していく。
間違いなく自ら戦況を動かしていたのは、桐山の方だった。
そして、71手目5八角。
手持ちの角を惜しむことなく自陣に投入する。
ここしかないと思える完璧なタイミングだった。
そして、勢いをそのままに、81手目4六香。はやくも宗谷の王の頭を捉える強気の一手だった。
ここで昼休憩に入ったが、昼前にして既に局面は終局間際の雰囲気すら漂っていた。
検討室もこの対局の内容に、唸る人も多くいた。
「宗谷相手にこの指しまわし。こりゃ俺もうかうかしてらんねぇな。いつか棋匠のタイトルを奪いに来た坊主と指すのも悪くない」
柳原さんはそんな事を呟きながらとても楽しそうだった。
「随分と楽しそうですね」
「自分のタイトルがかかってない他人の将棋をみるのが面白れぇんだ。しかも内容がコレときた。ワクワクするじゃないか。師匠のお前さんは随分とヤキモキしてるみたいだが」
「自分のタイトル戦と同じくらい緊張してますよ。でもあいつはよくやってます本当に」
「ここまでの内容は完璧と言っていい。おまえが一緒に研究してたのかどうかは聞かないが、ほぼ想定の範囲内にことが運んでるって感じだ。あの宗谷をてのひらの上で転がしてんだよ、お前の弟子は。もっと大きく構えてりゃいい」
ここまでの対局の内容は確かに、研究の範囲内の事だった。桐山は大胆に、しかし確実に宗谷を追い込んでいる。
対局がはじまってしまえば、俺に出来ることなど何もない。あとはもう見守るだけなのだ。
午後の開始の一手は宗谷からだった。
82手目7六桂、桂馬で拠点を作ろうとする。
90手目には7五銀と、桐山の攻撃をしのぐように、守備をかためつつあった。
桐山はここで時間を使って長考。攻撃をたたみかける手順をしっかりと見据えているようだった。
93手目には4三歩成とついに宗谷の王の頭上へと突き出す。
宗谷の揺さぶりにも動じることなく、戦場を自在に動いてみせて、王を追い込み続けた。
結局全123手にて、宗谷が投了。
中盤からのリードを桐山が一歩も譲らずに、そのまま勝利した形となった。
「完勝だな。文句なしだ」
対局を見ていた会長が一言でそう締めたほどの対局だった。
その日から、年齢を理由に桐山にあれこれいう奴は、すっかり鳴りを潜めた。