小学生に逆行した桐山くん   作:藍猫

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第八訓 来者は追うべし

 

 第一局、第二局を宗谷さん相手に勝利をつかみ取った僕は、次の第三局終盤で局面をひっくりかえされて、黒星となった。

 

 内容としては決して悪くなかったのだ。むしろ宗谷さんが流石だったというべきで、僕はあの日の棋譜をその後もう何十回と並べて研究した。

 

 世間では、負けなしの天才ともてはやされ、このままストレートでタイトルを奪取するのではと紙面で煽られ、少し疲れていたため、この黒星は僕としては必要なものだったと思っている。

 

 島田さんはプロ入り後、はじめて負けを経験した僕をとても気にかけてくれた。

 

 手のひらをかえしたように敗戦をなんどもとりあげるメディアには呆れていたし、僕にも周りのいう事は気にするなよと声をかけてくれた。

 

 前世で何百という負けを経験した身としては、慣れたものなのだが、そんな事を言うわけにもいかず。

 島田さんはじぶんが宗谷さんに負けたタイトル戦の棋譜をいくつか並べてくれて、この時はあぁだった、こうだった、と自分の経験をたくさん話してくれて有り難かった。

 

 立ち直り方は人それぞれだけれど、少しでも共有してくれようとしてくれたのだと思う。

 僕としては、第三局の敗戦はなんの足かせにもなっておらず、第四局また宗谷さんと指せることに集中していた。

 

 次はどんな戦法でいこうかと頭の中はそればかりだ。

 

 

 


 

 あっという間にやってきた第四局の日。

 

 この身体でのタイトル戦も3回もこなせば、ほどほどに慣れて来た。

 成長期のこの身体は無限の体力があるようにみえて、じつはガスが切れるとプツンと思考力が落ちる。

 

 一日制のタイトル戦であることに少しほっとした自分がいた。いきなり二日制のタイトル戦だったら、うまく立ち回れなかったかもしれない。

 

 この第四局で勝利すればタイトル奪取ということもあり、それなりに盛り上がった前夜祭を終えて、いつものようにタイトル戦が行われるホテルに宿泊した。

 

 贅沢な事だが、部屋で朝食を頂いた。地元のものがふんだんに使用された、心のこもった朝ご飯だった。

 

 まだ少し対局まで時間があったこともあり、散策がてらホテルの庭を歩いてまわった。朝の清々しい空気は、頭をすっきりさせてくれるような気がして、こうして散歩をするのはよくあることだった。

 

 そろそろ準備しなければと、部屋へ戻るために廊下を歩いていると、曲がり角で人とぶつかりそうになってしまった。

 いけない、対局の事ばかり考えているからだ。

 

「すいません、前をよく見ていなくて」

 

「いえ、こちらこそ申し訳ありません……っ!!」

 

 その声に妙な聞き覚えがあって、僕はぶつかりそうになった人の顔をもう一度しっかりとみた。

 

「あっ……お祖父さんの秘書の……」

 

「……覚えてらっしゃったのですね。早島です。一揮さまのお葬式以来ですね、坊ちゃん」

 

 もう遠い記憶だが、いつも祖父の隣にいた人だった。祖父も彼の事を頼りにしていたと思う。

 

「申し訳ございません。大事な一戦の前です。会うつもりは無かったのですが」

 

「いえ、偶然ですし。……あの、どうして今日はここに?」

 

「桐山様に……貴方のおじい様から、代わりに対局をみてきてほしいと言われましたので」

 

「えっ、お祖父さんが? でも、たしか将棋は嫌いでしたよね?」

 

「はい。一揮さまが将棋をなさることには反対されていたのですが……。坊ちゃんがプロになられてからの対局の結果は全てご承知ですよ」

 

「そう、……なんですか」

 

 僕はなんと答えたらいいか分からなかった。複雑な消化しきれない感情がふつふつを湧きだしそうで。

 でも、それを表に出してはいけないことは分かっていて。必死に飲み込もうとしていた。

 

「あの……差し出がましいですが、一度桐山様とお話する機会を設けて貰えませんか? 何度か島田様にはご連絡したのですが、坊ちゃんは望んでいないとの事で、お取次ぎして頂けず……」

 

 知らない。そんな話があったなんて。

 

 会って今更何を話せというのだ。頭の中に真っ先にそんな言葉が思い浮かんだ。

 そんな僕の気持ちを察して、おそらく島田さんが話を止めていてくれたのだろう。

 

「すいません、今は……お返事できません。あの、急ぐので失礼します」

 

「あぁ、対局の前に申し訳ありません。せめて、これをお渡ししておきます。いつでもご連絡をお待ちしておりますので」

 

 彼の横をすり抜けて、立ち去ろうとする僕の手のひらに一枚の紙が手渡された。早島さんの名前が書かれた名刺だった。

 

「対局のご武運をお祈りしております」

 

 背中に彼の声がかかった。

 おそらく一礼してくれているであろう彼の事を振り返る気にはとてもならなかった。

 

 

 

 早足で部屋に帰って、心を落ち着けようとする。耳の奥で、拍動が嫌になるほど響いていた。早島さんは何も悪くない。ただ少しタイミングが悪かっただけだ。

 着物に着替え、準備をすすめながら、頭の中は対局の朝に話すべきじゃなかったとそればかり考えていた。

 

 何故今になって祖父は僕の動向を気にしているのだろうか。

 あんなに嫌いだった将棋の世界に飛び込んだ僕に興味があるなんて。

 ……やめよう。今は考えない方が良い。

 そうだ。目の前の宗谷さんとの対局に集中しなければ。

 ぐるぐると回る思考を遮るように部屋のドアが叩かれた。

 

「おーい、桐山。そろそろ対局場に行く時間だ」

 

 島田さんの声だった。いつの間にか開始時間が迫っていた。

 

「はい、ちょうど出ようかと思っていたところで……」

 

 ドアを開けて島田さんと顔を合わせると、彼は驚いたような表情をみせた。

 

「どうした? 腹でも下したか?」

 

 そうして慌てたようにそんな事を聞いたのだ。

 

「え? いえ、体調は問題ないです」

 

「じゃあ、悪い夢でもみたか?」

 

「今日は別に夢はみなかったので……あの、僕になにか?」

 

 島田さんは少し困ったように顔をしかめてこう言った。

 

「いや、おまえすごい顔してるぞ。……もしかして、誰かに会ったか?」

 

「えっ……?」

 

 そんな事を聞くということは、島田さんは彼が来ていることを知っていたのだろうか。

 

「やっぱり……はぁ。あの秘書また会場に来てたんだな。会うのはやめてくれって言っておいたんだが」

 

 そうため息をついた島田さんの様子に、本当に早島さんと連絡をとっていたんだなと思った。

 

「偶然、廊下でぶつかりそうになったんです。意図して会おうとしたわけじゃないと思います」

 

「何か言われたか?」

 

「普通のことでした。応援してると、後はお祖父さんが会いたがってると……」

 

「なるほど。で、おまえさんはそのやりとりが気になってるわけだ」

 

「大丈夫です。対局に集中します」

 

「無理だよ。顔に書いてある。めちゃくちゃ気にしてるって」

 

 そう一刀両断されて僕は面を食らう。

 島田さんは、一度深呼吸して肩の力を抜けと言った。

 

「島田さんでも、そろそろ行かないと」

 

「まだだいぶ時間はある。それにこのまま対局場に入っても、普通には指せん」

 

 島田さんは10分やそこらの遅れよりも今話すことが大事だと言う。

 

「なぁ……桐山、この際ぶちまけちまったら良い。会いたいって言われて、どう思ったんだ?」

 

「どうって……。今更だなぁって。今会ったところで何になるんだって……」

 

 早島さんが会うのは葬式以来だって言っていた。

 それはそうだ。僕は、家族の一周忌さえ帰ることはなかった。

 菅原さんを通して、施設に案内の知らせだけはきた。

 けれど、それでどうすればいいというのだ。当時、僕は小学四年生。一緒についてきてくれる大人はいない。

 一人で長野に帰省すればよかったのか? 施設の人だってこどもの一人旅を許可したりはしないだろう。

 結局は形式的に送ってきただけだった。

 

「会って何を話せば良いんですか? 僕は何も話す事なんて無い」

 

 最初に手を離したのはあの人たちからだ。

 前世で手を伸ばしてくれたのは、幸田さんだけだった。今回お世話になったのは菅原さんで、内弟子になってからは島田さんだ。

 長野にいるあの人たちは身内なのに、他人よりもはるかに遠い存在だった。

 

「なぁ桐山。タイトル戦が終わったら、一度長野に行こう。段取りはする。お祖父さんや叔母さんと話をしてみるべきだと俺は思う」

 

 島田さんは、急に僕にそんな提案をしてきた。

 

「桐山は覚えてないかもしれないけど、一緒に住みだしてすぐの頃、長野に挨拶にいかないか? って聞いただろ。あの時も実は、お祖父さんからは、菅原さんを通して話があったんだ。会ってはなす機会を持ちたいって」

 

「……でも、今まで一度もそんなこと」

 

「あぁ言わなかった。おまえさんすぐ断ったし、そのことについて話もしたくないって感じだったからな」

 

 島田さんは、僕の様子をみて、なかなかに根が深い問題だと思ったらしい。

 当時、三段リーグの最中だった事、環境も変わったばかりで負担をかけすぎるのもと考えて、その時は深く聞かなかったそうだ。

 

「年末も結局帰らないって言うし、タイミングを逃したとは思ってたんだ。でも、やっぱりそのままにしとくのは良くない。桐山が話したく無い気持ちも分かる。一番寄り添って欲しかった時に、あの人たちはおまえを気にも止めなかった。おまえは独りぼっちで東京にきた。そっからどんだけ頑張ってきたか、俺は知ってる」

 

 東京の施設を選んだのは自分だ。その選択によって奨励会に入ることだけを考えていた。将棋をして食べていくしかないとそう分かっていたから、それ以外の選択肢など無かった。

 以前からあの人たちに期待をしていなかったから、傷ついていたつもりもない。

 

「でもな、どんなに距離を取ろうとしても、長野は9歳まで家族と過ごしたおまえさんの大事な故郷なんだ」

 

 それはこの先にどんな道を辿ったとしても変えようのない事実だった。

 そして、お祖父さんの秘書というだけのその人に会っただけで、これほど動揺してしまう自分がいた。

 あの人たちのことを忘れたい、僕の事は忘れてほしいとどんなに願ってもそれはかなわない。

 

「……うまく話せる気がしません。それに、あそこで僕はもう独りぼっちです」

 

 大切な想い出の場所だったけれど、まるで敵地におもむくような気持ちにすらなる。

 誰にも声をかけられず、一人ぽつんと座っていた葬儀場での記憶がよみがえるようだった。

 大切だった人たちはもう誰一人、あそこにはいない。

 

「一緒に行くよ、当然だろ」

 

 島田さんの言葉に僕は顔をあげた。

 

「俺はおまえの師匠なんだから、ちゃんと話せるように隣にいる。桐山が、お祖父さんや叔母さんと話せて、何を気にすることなく長野で墓参り出来るようにしてやるから」

 

 穏やかに、ゆっくりと、そう僕に言い聞かせるように島田さんが言った。

 あぁ、どうして今そんなことを言うかな。泣いてしまいそうになるじゃないか。

 本当の9歳だった頃の自分が、一番欲しかった言葉だった。

 

「タイトル戦の朝にこんな話するべきじゃないのになぁ。もっとはやくおまえさんと話して、一緒に向き合っておくべきだった」

 

「島田さんのせいじゃないです。僕がずっと島田さんにも相談しなかったから」

 

 何度か水をむけられた事があったと今更思い返す。そのたびに僕がやんわりと拒否するのを、優しいこの人は待ってくれていたのだ。

 逃げたくて、忘れたくて、そうしたつけが今日やってきた。それだけだった。

 

 話が途切れた時、部屋の扉が強めに叩かれた。

 

「桐山、あと5分で対局開始だけど大丈夫か?」

 

 横溝さんの声だった、第四局で大盤解説の手伝いをしてくれていたはずだ。息がきれたその様子に、会場に来ない僕を気にして走ってきてくれたようだった。

 

「大丈夫だ。ちょっと遅れるかもしれないが責任もって連れていく」

 

「あ、島田さんがいたんですね。いや、でも遅れるって! 持ち時間が減りますよ」

 

「島田さん、行けますよ。話を聞いてくれてありがとうございました」

 

 何も解決はしていないものの、さっきよりも大丈夫な気がした。

 島田さんは複雑そうな表情をしたものの、顔洗ってすっきりしてこいと言っただけだった。

 そのあと少し早足で、島田さんと横溝さんと一緒に対局会場へ急いだ。

 ぎりぎり対局開始には間に合った。

 

 

 

 ふっと息をつくと、ちょっと走ったこともあってか、なんだかすっきりしたような気持ちだった。

 周りは焦ったことだろうが、視界の端で島田さんがこっそりと何かを話しながら頭を下げているのが見えた。師匠に尻拭いさせてしまって申し訳ないものの、うまく誤魔化してくれると思う。

 

 迷惑をかけた分、情けない対局内容にはしたくなかった。

 駒を並べながら、少しずつ頭の中を整理していく。余計な事は全部記憶の外に押し出して、将棋のことだけを考える。

 

 目の前に座る宗谷さんは、いつもと変わらない雰囲気で、それでもどこか楽しそうにみえた。

 僕がどたばたとやってきたことなど気にも止めていない。

 先手は彼からだ。その一手は、今日はどんな将棋にしようかと問いかけてくるようだった。

 

 今日は後手番だった事と、また気分的にも自分からガツガツと戦局を決めていくことは出来なかった。

 

 僕は幾度となく宗谷さんから迫られる選択を、ただ受けていくだけだ。

 

 ただし、間違えないこと。致命的な手を踏まない事、それを意識しながら、彼から流れてくる意識の奔流の中を必死に泳いでいた。

 

 夢中になっているうちに、気が付けばほんとうに盤面の事しか見えていなかった。

 一手、一手が指ししめす情報の密度が、僕を釘付けにして、熱狂させた。

 

 楽しかった。でもそれと同じくらい苦しくもあった。

 一歩間違えれば、終わる。そんな緊張感の中で、僕は必死に宗谷さんの手にこたえ続けた。

 

 

 


「負けました」

 

「えっ?」

 

 夢中になっていた思考がそんな言葉で途切れた。

 目の前には宗谷さんのつむじが見えた。彼が頭をあげた後も僕は返事が出来なかった。

 たくさんのフラッシュがたかれて、それが眩しくて頭がくらくらする気がした。

 ううんっ、と立会人が咳ばらいをする。

 ようやく状況が理解出来て、慌てて礼をかえした。

 

「ありがとうございました」

 

 勝ったのか……。勝てるとは思わなかった。なんなら今日は負けてしまっても、第五局があるからと、それくらい消極的な将棋だったとおもう。

 

「おめでとうございます、桐山聖竜。初タイトルですよ」

 

 新聞記者にそう声をかけられても全く実感はわかなかった。

 

「あ、はい。ありがとうございます」

 

「今、どんなお気持ちですか?」

 

「あの、正直実感がわかなくて……。すいません、なんか頭がまわってないですね」

 

「それだけの熱戦でした。勝因はなんだったと思いますか?」

 

「まだ全然分析できてなくて……、帰ってよく検討したいです」

 

 記者の方がテンションが高く、僕は終始ぼんやりとそんなことをこたえた。

 

「今の気持ちを誰に伝えたいですか?」

 

 その言葉にはっとして、僕はようやく顔を上げた。

 

「師匠に、一番に伝えたいです」

 

 探さなくても分かった。対局室に入る直前、襖のぎりぎりのところで島田さんが立っているのが見えた。

 目が合うとゆっくり頷いてくれた。

 その様子をみて、僕はやっと笑えた気がした。

 

 

 

 対局場から出て、大盤解説の会場にむかう前に僕は、一目散に島田さんに駆け寄った。

 

「島田さん、勝ちました! 朝の事があったから、どうなるかと思ったんですけど、ちゃんと指せました」

 

「見てたよ。おめでとうございます、桐山聖竜」

 

「ありがとうございます。……なんだか、慣れないですね」

 

 聞き慣れない呼び方に照れてしまうと島田さんは笑った。

 

「ほんとに、たいした奴だよおまえは。自慢の弟子だ」

 

 島田さんはそう笑って僕の頭をかき混ぜるように撫でてくれた。

 嬉しかった。

 誰かに報告ができる事も、こうやって一番に褒めて貰える事も、タイトルを獲得したという事実と同じくらいに嬉しかった。

 

「行きます、長野。島田さんと一緒に」

 

 今、言うべきことでは無かったかもしれない。

 でも、今じゃないと言えない気がして、口をついて出た。

 高揚してる今、勢いで言葉にしてしまえば、退路は無くなる。

 

「おう。お互いの予定みて、日にちも決めないとな」

 

 島田さんは、すぐそう頷いてくれた。

 ずっと蓋をして見ないようにしてきた。

 前だけ向いて走っていたら、いつかそれが無くなって、忘れる事が出来ると思っていた。

 でも、きっとそんなことは無くて、僕の心の奥底ではずっと何かが引っかかっていたのだ。

 大切だった家族の事を、あそこに置いたままにしてしまったと感じていた。

 

 島田さんと一緒なら、ちゃんとそれに向き合える気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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