宗教団体「待宵」による思想蜂起事件から数年。その残党が京都で跋扈しているという情報を得た学会は、対立する組織である「文化庁」を出し抜くべく、秘封倶楽部に調査依頼を出す。
 依頼を受けた秘封倶楽部が調査に乗り出したところ、新政府を名乗る謎の団体が隠然とした活動を行っていることを突き止める。一方、秘封倶楽部に依頼を行った「学会」も、裏でなにやら怪しい取引をしている様子。
 四方八方謎ばかり、秘封倶楽部はこの難題を越えることが出来るのか。

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死屍津々~下垂30度前日譚~

一.

 意図せず漏れた溜息に、傍らのその人が顔を上げた。

「何よ蓮子。もうお手上げ?」

 我が親友マエリベリー・ハーン――メリーは、古びた時計を前に両腕を腰に据えて苦笑いしている。

「……いいや、むしろ燃えてきた」

「この廃館まで燃やさないでね~」

 今私たちが右往左往している廃館は、かつて地元の名家が栄枯盛衰を辿った場所だった。西洋風のレンガ造りのこの建物は、奇跡的に崩落せずにかつての姿をありのままに外部の人間に見せつけている。かつて地域一帯を領導する立場にあった名家が住んでいた館なだけあって、訳あって無人となった現在は他に漏れず最恐の心霊スポットとしての名声も高い。

「一説によれば、この家の最後の主は出征から帰って来た後に精神錯乱を起こして一家を惨殺。自分もライフルで頭を、ぱぁん」

 手で作った銃を頭に向けて、私は引き金を引く振りをする。

「はいはい、定石定石」

 そんな私の「決死」な演技もメリーには興味すら持たれないらしく、私は梯子を外された気分で手帳を読み返す。

「……あったあった。噂によれば、周囲の田園風景とはかけ離れたこの館の外観を頼りにはるばるやって来た強盗が、一家を惨殺。でも、金目の物は見当たらず、むしろ逃げるように館を後にしたのだという……だって」

 懐中電灯で手元の文字を照らしながら、私は懇切丁寧に館のあらましを説明するのだが、肝心のメリーはまた別の部屋へと移動を済ませていた。

「ねえ、聞いてる?」

「聞こえてるわ……っと」

 途端、隣室から何か物が落ちる音がして、私は急いでメリーの声のする方へと走った。見ず知らずの室内を暗がりの中素早く移動するのは難儀ではあったが、幾分慣れてきたせいもあって、身のこなしも次第に軽やかになっている気がする。

「勝手に物事を前に進めないでよねって、ちょっと!」

 メリーがいた部屋は、なんてことはないただの寝室だ。部屋の中央にベッドが置いてあって、クローゼットやら化粧台やらがあって、天井からは階段が降りている。先刻の物音の正体は、上階へと続く階段が降りてきた音だったようだ。

「奇妙ね、蓮子」

「はあ、少しは私の話も聞いてよね。こういうところに踏み込むには、まずはイントロが必要でしょ!」

「ここは何階?」

 一向に私の言葉に耳を貸さないメリーに、私は観念して「一階だよ」と応える。

「この館、外から見る感じ三階建てくらいに見えたのに。一階の上は二階よね」

「そこは、ほら。きっとわざわざ部屋を出る動作が面倒だったんじゃないの」

 とは言いつつも、確かに妙な話だった。ここの建物の構造は、よくある洋館のように、玄関を通ってすぐのメインホールに二階へと続く大階段が鎮座していた。私たちはその階段を上らずに一階を探索している途上だったが、思わぬ導きに薄ら寒気を覚えた。

「行こう」

「えっと、待った」

 反射的に手を挙げた私は、入ってきた扉を指さす。

「まだ見てませんよ」

「あっそ。じゃあ行ってくるわ」

 しかしメリーの反応は冷ややかだった。置いていかれる恐怖に青ざめた私は、メリーの袖を思いっきり掴んで引きずられるように二階へと上がった。

「そもそもここに来ようなんて言い出したのは誰よ」

「……私です」

「手がかりを見つけるまで一歩も外に出ないと威勢を張っていたのは?」

「………私です」

「大体、心霊スポットなんて俗っぽい場所になんかオカルト的価値はないって年がら年中威張っていたのは何処の誰よ」

「…………私です、私ですよ、もう!」

 畳みかけられるメリーの攻撃に、私は耐えかねて声を張ってしまった。虫の音一つすら聞こえない場所に、私の空虚な叫びが木霊する。

「でも、ここは他の心霊スポットとは違う気がするの。私の勘って結構当たるでしょ?」

 精いっぱいのウィンクも、暗がりの中では何の効果も生まない。そもそもメリーは情に物を言わせる説得が好きではない。

「はあ……、改めて教えてくれるかしら。ここはなぜ宇佐見蓮子女史の目に留まったの?」

「それは……」

 それは、テレビであるニュースを見たことがキッカケだった。

***

 その日、私は大学の講義を終えてスーパーの売れ残り合成弁当片手にほうほうの体で自宅のあるマンションに帰宅した。時間は既に夜の十一時を回っていて、道を歩く人の姿もまばらだった。マンションの階段を上り、部屋の扉の前で立ち止まって後ろを振り返ると、今にも寝静まろうとする京都の街並みが一望できた。

 真っ暗な部屋、当然だけど玄関の鍵を閉め、リビングの電気をつける。私が朝寝ぼけたまま置き去りにしたお部屋が、朝のままの状態でそこにあった。食べかけの朝食やら床に転げ落ちたリモコンやら、気怠さでいっぱいいっぱいだった私は、弁当を机に置いて、ジャケットを脱ぎ、足でリモコンの電源ボタンを押した。

『――れはちゃうやんけ、このどアホ!』

『ぎゃはははは!』

 お笑い芸人のツッコミと、会場の湧きあがるような爆笑の波。静かだった室内にも生活の空気感が戻りつつあった。

「はあーーっ」

 大きくため息をついた私は、もう一度右足の親指に力を込めて、リモコンの選局のボタンを押す。

 次にチャンネルが回ったのは、夜のニュース番組。

『――房長官は、多発する境界線混淆問題について記者会見を行い、政府専門家会議〝学会〟を招集し、今後の対応について議論することを明らかにしました』

 眼鏡を掛け、オールバック姿の如何にもな男性アナウンサーの淡々とした喋り口調に、疲労困憊の私は引き寄せられるようにしばらく見入っていたのだが、やはり何かが違うと思った。もう一度選局ボタンを押そうとした時、だった。

『こうした専門家会議の動向に対して、文化庁は不快感を露わにしました……不快感を露わにしました……不快感を……』

 ある時点を境に、急にアナウンサーの言葉がループしていることに気が付いた。電波環境が良くないのか、と思う私だったが、よくよく見ると画面左上の時間表示は十一時八分であり、しばらく見つめていると十一時九分に変わった。

『不快感……不快感……不快感……』

 しつこく不快感を口にするアナウンサーだったが、しばらくして私はもう一つ奇妙なことに気が付く。

「よっと」

 幾ら目の前のテレビがおかしくなろうとも、私の疲労が吹き飛ぶわけでもない。しばらく様子をみようと思った私は、リモコンをテーブルの上に戻して、脱いだジャケットをクローゼットにしまおうと思い、寝室に向かった。着替えをも済ませて、遅すぎる夕飯を頂こうと再びリビングに戻ったとき、ふとアナウンサーと目があったのだ。

『不快感……』

 一向に調子の戻らないアナウンサー、時間表示も既に十一時十二分。呆れながらテレビに近づいた私は、ハッとして目を見開いた。

 アナウンサーと目が合いっぱなしだったのだ。リビングに戻るときに私に向けられていた瞳孔は、まるでアナウンサーが上方を睨むかのように上に向けられていた。何を睨んでいるのかって、それはもう私以外いなかった。

『不快感……不快感……』

 絶えず不快感を表明するアナウンサーから、私は距離を置き、もう一度画面を見やった。間違いなく、アナウンサーはテレビの画面越しに私を睨んでいる。

「冗談じゃない、こんなに疲れているっていうのに、何が不快感よ!」

 テレビに向かってツッコミを入れるなんていうのは、昔のお茶の間の光景そのものだろうが、怒り散らすのはなかなか無いだろう。いくらリモコンのボタンを押せども、アナウンサーは私を凝視したまま不快感を連呼する。恐怖を通り越して、文字通り不快だ。

「もうどうにでもなれ!」

 ポイッと空中に放り投げたリモコンが、宙を舞い、やがてフローリングの床に鈍い音と共に転がり落ちた。すると、

『ふか……ザー、不快ザァーァァ……不快感……ザァー……を、露わにしました。今日夕方に行われた文化庁長官の会見では、政府の方針は拙速であり、場合によっては地方自治を侵害する暴挙足り得ると発言しました』

 耳障りな砂嵐の音と共に、アナウンサーの様子も元に戻り、瞳孔もカメラの中心を見ているだけになった。

「何、これ。リモコンのせいだったの?」

 呆気にとられながらも、蓮子は弁当の蓋を開ける。冷めきった弁当を箸でつつきながら、片手で缶ビールを開けた。

『残念ながら、政府の方針は今まで我々が示してきた文化庁の方針と全く噛み合いません。そもそも境界にまつわる数多の事案については、先帝陛下の御叡慮を受けて、安定的な現世運営を志向し我々文化庁がその重責を担っています。しかし政府学会はどうも野次馬根性で事態を複雑怪奇な状況に陥れようとしている。オカルトは、間違いなくアンダーコントロールできるのです、文化庁の手によって!』

 小耳にはさむ程度にしか聞いていない私でも、学会と文化庁の犬猿の仲ぶりは良く知っている。少子高齢化社会を迎えたこの国は、科学主義に基づく教団国家を目指し、実際オカルトを制御する日本を形成した。文化庁はその中でも日本の神話体系の清算事業を行い、先帝陛下から直接将来を託された、いわば官軍の中の官軍。それに対して学会は後追いの組織にしかすぎず、歴史の在り方を無視したその場しのぎの政策提言しかできない。

「やっぱたまには、できたての本物の料理食べたいなあ」

 事情を知っているとはいえ、所詮私にとっては遠い出来事にしか過ぎない。せいぜい明日のメリーとの話題にしか捉えていなかった。少なくとも、この時点まで私の感性を動かすような事態にはなっていなかった。

『ぜひとも学会の皆さまにおかれましては……京都市山科区爪羽良○○○―○○○……京都市山科区爪羽良○○○―○○○……』

 またか、と私はため息をつく。いくら怪奇現象とはいえ、二回目はさすがに飽きる。しかも同じ方法で攻めてくるとは、秘封倶楽部の一員として随分と舐められているものだ、そう思った。

「今度は何だって? 最後まで聞いてやろうじゃん」

 テレビ画面では、今度は文化庁長官が記者会見場で凝り固まった表情を何処かに向けながら淡々と同じ言葉を繰り返している。ニュース番組で流されているのは記者会見の録画だろうから、放送事故ではない。紛れもなく霊障だ、私はそう確信し、長官の言葉に耳を傾ける。

『京都市山科区爪羽良○○○―○○○……』

 よく聞いてみると、その言葉はどうやら住所らしかった。山科区爪羽良といえば、時々私たちが散歩に出かける山側の地区で、私を脅かそうとするメリーが墓を見つける度に内臓を圧迫したような声を漏らす定番の場所でもあった。

「住所検索は一致しないけど、怪しい道が走っている……」

 すかさずグローバルアプリを使って住所を打ち込むが、該当地は見つからず。しかし、近似の地区の近くに、怪しげな道が一本引かれていて、空中写真上では森に吸い込まれるようにして中途で途切れていた。

「……あなたは、ここに来てほしいの?」

 テレビに映る長官に、私は静かに語りかける。当たり前だが、長官は私の言葉には応じず、何処か一点を見つめている。

「そっちに何があるの?」

 思わずつられて視線を辿った私は、廊下の奥に影を見つけてしまった。

「しまった」

 と私は呟く。アルコールの入った私は、勇んで異変の調査に乗り込んでやろうとばかり思っていたが、それはあくまでも自宅外の出来事であるべきで、まさか自宅の玄関にその入り口があるとは思いもしなかった。せめて寝かせてと思いながら、私は「よっこらせ」と立ち上がった。

『……タガが外れてしまう、この世の全ては実体を失い大いなる一の存在の基軸に溶融するだろう』

 ふと視線を移した画面上の長官の顔は、まるで何かに溶かされているかのように崩落し、やがてテレビには何もない空間にマイクだけが向いている異様な光景が映し出された。

『トカサレテイクノダ、スベテハシンワイゼンノセカイヘモドルタメノフセキ』

 影が人の形を為し、機械音声のような声調で言葉らしき音を発声する。

「あなたは誰なの」

『セイフハキンキヲオカシ、テンバツガキョウトヲノミコム。オカルトガニンゲンヲイカシ、マタオカルトガニンゲンヲコロス』

 しかし、いまいち要領を得ない主張に、私は驚くどころか苛立ちすら覚えた。

「そんな絵に描いたような脅迫しないでよ。今どき禁忌だの生かすだの殺すだの……ウェブホラー短話の読み過ぎじゃない?」

『政府の無策が土着神を呼び起こす。天孫系の神話体系は崩壊し、封じられてきた地方の神々が己の起源を想起して次々に蜂起するだろう』

「って、長官かい!」

 玄関の影は消えうせ、画面には長官の姿が映っている。先刻とは違い、長官は私の言葉に反応して言葉を返してくる。私の取ってつけたようなツッコミには一切動じなかったが。

『この言葉を受け取ることのできた君。先刻告げた住所に向かい、学会の方針転換の理由を解き明かしてくれ』

「し、しかし。なぜ学会のことを調べるのに京都なのですか。学会は霞が関にあるのでは」

 首都が京都に還都してからはや幾年。文化庁は元から京都にあったものの、学会は政府機関の移転があってもなお東京に留まった。その意図は明らかになっていないが、恐らくは東への抑え、つまりは室町幕府にとっての鎌倉府のような扱いなのだろう。その設置理由からして、文化庁とは違い政治的意図を持った組織であることは間違いなく。

『学会のメンバーに、由緒の分からぬ者が紛れていてね。羽良というのだが、その者の歴史を辿ると、とっくに廃れた洋館にたどり着く』

「その人が最後の住人だったのでは?」

『いいや。その洋館の最後の記録は今から半世紀も前だ。少なくとも奴は今四十代、生きているうちに洋館に住んでいたとは考えられん』

「経歴詐称、家系図改竄? バカバカしいのですが、このご時世だからこそ身分に箔をつけたいのでしょうか」

『頼む。この件はデリケート過ぎて文化庁は自前で動けん』

「もしバレたら何て言い訳すればいいですか」

 ふむ、と長官は考え込んで、ポツリと呟いた。

『心霊スポット巡り、とでも言えばよかろう――』

***

 寝室の上階へ足を踏み入れた私たちは、埃まみれの机の上に腰かけて、漠然と部屋中を舐め回すように見まわしていた。

「やっぱりさあ、それ夢だよ」

 メリーの呆れた声色に、私は思わずムッとして唇を尖らせる。

「あんなはっきりした夢ってある? ボケたように同じ言葉を繰り返すアナウンサー、画面越しに会話ができた文化庁長官、玄関の影、アルコール!」

 私の声調がヒートアップするごとに、メリーが両耳に手を当てて「あー」と被せてくる。被せてくるので、私も対抗して大声で

「あー!」

『ザアーーザザーァァーー……』

 突然耳をつんざくような砂嵐の音が鳴り響き、思わず私はメリーの背中に抱き着く。メリーの心地いい心音に誘われて、ゆっくりと瞼を閉じる――、

「この音、テレビかしら」

「いった」

 背中でどつかれた私は、鼻を押さえながら耳を澄ませる。

「ここは間違いなく廃館なのよね」

 目を細めながらメリーは懐中電灯を私の顔面に照射する。

「ええ、そのはず。第一、この館に入った時点で人の気配なんてしなかったじゃない。つまり」

 手で顔を覆いながら、私はメリーの後を追う。

「誰かがテレビを付けたってことね。そもそも電気が通っていることの方が驚きだけど」

 もし、電気がまだ通っているのなら、廃館して半世紀という記録は不正確だったことになる。どれだけ汚い装いでも、住もうと思えば住めるもの。何が目的で外部からの認識を誤魔化そうとしているのかは分からないが、電気があるとなれば隠遁生活なんかお手の物ではないか。

「それで、もし蓮子の言うことが本当なら、ここは政府のお偉いさんの古巣ってことね。もし蓮子が嘘つきでないのなら」

「そう。長官曰く、学会の拙速な態度の理由がここにあるとか、ないとか」

「至って普通の廃館じゃない。誰しもが一家惨殺というバックストーリーに憧れるけど、心霊スポットの大体は単なる世代交代とか、過重な相続税負担から逃れるために手放したとか、そういうものでしょう」

「メリーってつまんないねえ」

「嘘で塗り固められた由緒が大嫌いなの。何よ、オカルトはそんな生易しくないわよ!」

 両手を振り上げて必死に抗議するメリーを廊下の隅によけて、私は廃館二階の探索を続ける。そこら中にクモの巣が張ってあり、どう考えても人の往来があったとは思えないほど荒廃している廃館に、私とメリーはさながらないものねだりをしているよう。

「メリーさんメリーさん。お得意の境界は視えないの?」

 窓枠の縁にたまった埃を人差し指でなぞりながら、窓に映るメリーを見る。

「ある訳ないじゃない。あるとしてもとっくにお役所に閉じられてるって」

 そりゃそうだ、と私も頷くが、

「でも閉じるって言っても、手術痕みたいなのは残るんじゃなくて?」

「そりゃあ、自然に発生した境界を人為的に無くすんだから、不自然な部分っていうのはあるけど」

「じゃあ……?」

 期待を込めた視線をメリーに見せるが、急激にメリーの表情は険しくなっていく。

「だから、それも含めて無いの! ここは普通の廃館! はい、完!」

 勝手に終わらせて帰ろうとするメリーの襟をつかんで、私はさらに廊下の奥へと進んでいく。

「ちょっと……おかしいと思わない?」

 私の手から襟を離させたメリーが、窓に手を当てながら呟く。

「おかしいのはここに来た経緯じゃない?」

 いい加減疲れた私が適当な返事で済ませようと考える中、メリーはせわしなく廊下の壁を手当たり次第叩いていく。

「窓の外、私たちが来た道よね。つまりここは建物の正面を真横に突っ切る廊下ってこと。でも玄関側のメインホールの上にそんな空間はなかった」

「なら、ここは異世界?」

「或いは、そうかもね」

 正規の構内図に書かれることのない秘密の空間。即ちそれは、表の空間で過ごす人々にとっては異世界そのもの。

「もし、あの寝室の階段が隠し物だとしたら、ここは非正規ルート。つまりこの先には……?」

 私の言葉に、メリーはゆっくりと頷き返す。

 

 長い廊下の先、途中直角で折れ曲がった通路は、やがて一個の扉の前に繋がっていた。

「『遊び場』?」

 扉には、木の板が掛けられていて、子供が書いたような字で「遊び場」と記されていた。

「こんな隠し通路の先に? ましてや、子供があの階段を降ろせるの?」

「まずは、入ってみようよ」

 私の促しに、メリーは右手を横に振った。

「……はいはい」

 ゆっくりとドアノブに手を掛けた私は、音を立てないように静かに扉を開けた。当然中は暗かったが、メリーが親切心ですかさずライトを照らしてくれた。

「随分と汚い部屋ねえ」

 十数年も人のいなかった部屋に、汚いどうこうという評価は些か辛辣な気もするが、それこそが率直な感想でもある。かつてはれっきとした遊び場だったにせよ、今の姿は単なるゴミの溜まり場だった。

「どれが遊具なのか分からないじゃない。後から遊び場って掛札を掛けたんじゃないの?」

 あちらこちらを探りまわるメリーの背中を眺めながら、私はふと壁面の振り子時計が気になり、そっと手を伸ばした。かと思えば、突然重厚感のある鐘の音が鳴り響き、静止したままの振り子もいきなり埃を振り払いながら左右に揺れ始めた。

「蓮子、何かした?」

「まさか!」

「私を驚かそうなんて、良い度胸じゃない?」

 疑いの視線を私に向けるメリーだったが、かくいうメリーも何か手にもっているようで、ホームラン予告をするバッターよろしく何か得体のしれない得物を私に向けている。

「ねえ、メリーの持つそれってさあ」

 溜まりかねて私が得物の正体を問いただすと、メリーはあっけらかんと「人骨だよ」と応える。あまりの平然ぶりに一度は聞き逃した私だったが、得物にライトを当てることで紛れもない人骨感まる出しの白に言葉を失った。

「今さらどうしたの? 死を理解することは出来ても、直視はできない?」

「時と場所を考えて。遊び場に白骨なんておかしいじゃない」

 一回見つけてしまえば、後はぞろぞろと出てくる、出てくる。メリーの周辺には骨の山が出来てしまった。

「ここまでくると滑稽ね」

「死神みたい」

 振り子時計は零時ジャストで再びその動きを止める。もう一度動くのか、振り子を手で動かしてみるも、うんともすんとも言わず。

「文化庁の知りたいこと、そのものずばりココじゃない? 闇に消された人体実験の真相に迫る」

 確かに、メリーの言う通りだった。寝室に隠されていた階段と、その先に通じる道、行きついた部屋に溜まる人骨たち。何処か出来過ぎているような順序を辿って、今私たちは秘められた封に漸近している。

「これは腕。これは……脚?」

 床にしゃがみながら、メリーは調査そっちのけで人骨を並べている。

「さすがにメリーでも年齢とかは分からないよね」

 床に整然と並べられる人骨をつつきながら、私はメリーの様子をじっと見つめる。しばらくするとメリーが立ち上がったので、つられて私も腰を上げる。

「詳しい歳は分からないけど。でも分かるじゃない、これは子供の骨だよ」

 一個一個の骨のサイズに目を配ると、確かに大人のものとは思えない大きさのものばかりだった。

「昔は出来の悪い子供を人目に晒さずに監禁していたって聞くし。この館でも同じことが行われていた……とか」

「だとしたら、怨念のこもった霊が徘徊するのも道理。心霊スポット足りうるけど」

 ただし、事前の調査で検索に引っかかった霊の目撃情報は、どれも大人の姿であり、子供を見たという書き込みは何処にもなかった。

「心霊スポットの目撃談なんて信用できない。視覚がバグってんのよ」

「その情報はカバーストーリーだとしても、私たちはこの子たちの無念を晴らすべきよ」

 こうなってしまっては、もはや後戻りはできない。まあ、秘封倶楽部の信条は「後戻りできない所まで猪突猛進」ということにして、前にしかないであろう道をひた走る他ない。

「この部屋は行き止まりみたいよ。戻るしかないわね」

 そそくさと部屋を後にするメリーを追って、私も踵を返す。

「骨と時計しかない部屋だったね……?」

 扉を開けて、再び廊下に出た私たちだったが、先行するメリーが不意に立ち止まったので、私は首を傾げながらメリーの肩に手を置いた。

「ああ……、こんにちは」

「何してるの……、誰かいた?」

 メリーの肩越しに正面を覗いてみても、そこには誰もいない。

「視覚がバグったの?」

 硬直するメリーを茶化そうと、私はしたり顔でそう問いかけるが、メリーは一向に動こうとしない。

「ねーえ?」

 ゆさゆさとメリーの体を揺さぶると、瞬間動力を得た人形のように体を震わせて壁に背中を押し付けた。

「視えるの」

「見える……子供の霊が?」

「いや……伯爵」

 妙なことを口走るメリーを落ち着かせようと、すかさずメリーの頬に手を添えてぐりぐりと撫で回す。次第にメリーの視線は突き刺すほどの冷たさを帯びたものに変わり、私は大人しく手を下ろした。

「今廊下の先に伯爵がいたの……正確には彼の爵位なんて分からないけど、伯爵っぽい身なりの男が廊下の角を曲がっていったの」

「伯爵……この館に住んでいた人かな。名家の住まう洋館っていう情報とも繋がるけど」

「後を追うわよ!」

「えっ!?」

 いきなり走り出すメリーに度肝を抜かれながら、私も追随して廊下を駆ける。二重の禁忌を犯す私たちに、もはや不可能などはない。

「見失ったわね」

 階段を降りて寝室に戻った私たちは、周囲を見渡しながらひと息つく。

「あの部屋を出てすぐ、廊下に境界が視えたの。伯爵は、その境界を跨ぐようにして現れたのよね」

「今まで全く視えていなかったのに……。まさかその伯爵が境界を開いたとか」

 異能者伯爵などという存在が時代を越えて科学世紀の廃館を徘徊するという、空想科学小説顔負けの状況に、混沌さを感じ得ない私ではあったが、正直異世界なる物を甘受している私たちに受け入れることのできない物などない。

「私たちはいつの間にか境界を越えている。何気ない一歩が、別の可能性を引き出してしまったよう」

「まるで多世界解釈ね。前に出た私と、後ろに引いた私。そこいるメリーは?」

「私は……すべての因果を束ねる神の手よ」

 両手を広げて誇らしげにほほ笑むメリーをよそに、私は引き続き探索を行う。玄関を抜け、メインホールの脇の廊下を通って寝室にたどり着いた私たちは、次に食堂に歩を進めた。

「随分と広い食堂ね。毎晩のように晩餐会でも開いてたのかしら」

 メリーのライトに照らされた食堂は、縦長の形で学校の体育館程度の広さを持ち、長机が中央に一つ置かれている。机を覆う茶色く汚れたシーツの上には、奇妙なことに食器が並んでいて、そのどれもが割れたままだった。

「食事前でもなければ食器って並べないよね?」

「もしくは食後、すぐ一家惨殺」

 もはや興味の失した単語を口にして、メリーは食器の欠片を手に取った。しかし、経年劣化による埃やら虫の死骸やらは載っているものの、料理の残滓と思しき感触は一切分からなかった。

「この館から人がいなくなった時、館では晩餐会を開こうとしていたってこと?」

「それがいつかは見当がつかないけど、もしそうなら外部犯の可能性ね。大体、自分の家でパーティーをしようって言って、家主がその日に失踪するなんて考えられないじゃない」

 名家たる由縁か、食堂の随所にその名跡を示す家具や装飾が散りばめられ、かつての栄光を偲ばせる。

「ねえ、肖像画」

 私は、暖炉の傍の壁に立てかけられている一枚の絵に気が付いた。そこに描かれていたのは、立派なムスタッシュ調の髭を蓄えた四十代くらいの男性で、大礼服と呼ばれる洋式の正装に身を包んでいる。胸元には煌びやかな勲章が付けられていて、すぐ下に羽良巌陽のネームプレートが打ち付けられている。。

「あっ、この人」

 メリーの反応に、私は合点がいく。

「確かに伯爵然とする雰囲気を纏ってるしね」

 伯爵の顔立ちは端正で、イケメンと呼ぶに相応しいものだった。しばらく眺めていると、額縁に家紋のようなものが刻まれていることを発見し、隣室へ行こうとするメリーを呼び止めた。

「家紋、調べたらわかりそうだけど、何て名前?」

 携帯端末を取り出して電源を入れるメリーだったが、私は家紋の名前など知っている訳がない。

「でも見たことあるのよね。何だったかなあ」

 紋章自体は、葉っぱが三枚下に垂れ下がっているもので、その葉の上にはまた別の花のようなものが三つ刻まれている。

「桐紋に似た何かだけど。桐ではなさそうよね」

「……メリーってば意外」

 確かに言われてみれば、桐紋に似ている。桐紋といえば日本政府の紋章であり、歴史的に由緒のある家紋だ。名家は名家でも、新興華族というよりかは、もしかするとそれ以前の歴史を誇る公家、或いは武家の可能性がある。加えて、それだけ高尚な血統であれば、もしこの館が学会に関係のある場所だという仮定に立てば、その方針が転変する理由も、分からなくはない。

「あっ、これじゃない? 笹竜胆、だって」

 メリーに画面を見せてもらうと、そこには見慣れた家紋が映し出されていた。額縁の紋様と見比べても、葉の形が若干違えど、確かに笹竜胆だった。

「かつては源頼朝とか、源氏の流れを汲む氏族が使っていたらしいね」

「パワフル・ミナモトね。知ってる知ってる」

 だとすれば、羽良氏の家系は武家だろうか。明治維新を経て、日本の身分制は一変し、武士が消滅した。武士の一部は華族として新政権に参画し、軍人や官僚としてそれぞれの進路を歩んだ。敗戦後に華族は廃止され、公然とした権威は無くなったが、各界で活躍している人も多くいる。

「ねえ蓮子、隣見て」

「今度は何でしょうね」

 メリーに促されて扉の隙間から顔を覗かせると、そこは応接室兼喫煙室のようだった。ボロボロのソファと、何処かから持ってきたのだろう木製の椅子が二脚。これまた腐食された木製のテーブルの上には、煙草の吸殻で満杯の南部鉄器の灰皿に、古びた新聞が三部乗っかっていた。

「うわ、すごい。大正三年五月六日発行の新聞よ?」

 指先でつまみながら新聞を持ち上げたメリーは、もう片方の手で鼻を塞ぎながら私の方に近づいてくる。

「わ、分かったから」

 後ずさりながら、私はメリーに新聞を下に落とすよう促す。

「ふうん、他の新聞は四日と七日の新聞ね。晩餐会はこの間に行われようとしていた」

 紙が重力に任せて床を叩き、一方でメリーは他の新聞にも手を伸ばす。

「失踪の日時も大体そこら辺、か……?」

 ふと新聞の記事に目が行った私は、妙な見出しに目を細める。

「『内務省警保局魔力課、文部省文化局に編入』だって」

「内務省は分かるけど、魔力課って何?」

 もちろん、内務省にそのような内部部局は存在しない。ましてや、幾らオカルト好きが関連性を探りたくなる帝国時代の日本とはいえ、魔力などという摩訶不思議な要素を一部局の名称に採用するだろうか。

「……平行世界」

 ポツリと呟かれたメリーの言葉に、私は「まさか」と応える。

「新聞なんてどうにでもできるよ。きっとどこかの誰かがホラー要素を詰め込もうとして持ち込んだんだよ」

「平行世界といえば、岡崎教授ねえ」

「うー……、確かに」

 岡崎教授、フルネームは岡崎夢美。十八歳にして教授職に就いているが、彼女は平行世界からやって来たという。魔力という統一理論の外側の力学を探求し、元いた世界で発表した非統一魔法世界論を証明しようとしている。

「『魔力課の文化局編入は、停滞していた世界統一理論の完成に向けた動きの一環で、文化局局長の羽良巌陽氏は自身の経験上非常に有意義だという趣旨の発言を残している』」

 メリーによる新聞記事の朗読により、ついにその名を登場させた羽良巌陽。

「経験上ってことは、羽良巌陽はやっぱり異能者ってこと?」

 私の言葉に、メリーは顔をしかめて首を傾げる。

「私たちの言う異能者って何?」

「あー……、訂正しよう。……魔力技師、かな」

「却下、魔法使いで」

「承知」

 埃を振り払いながら残りの記事を読み進めると、おおかた私たちのいる世界とは歴史が違っていることが分かった。

 まず、魔力課の存在然り、魔法使いの華族官僚の存在然り、この世界には魔力の存在が当然視されていた。魔力研究史も長いらしく、鎌倉政権期には陰陽道の流れを汲む中小貴族によって魔力が研究されていたという。後鳥羽上皇は北条義時による血の政治を忌み嫌い、武家には縁のなかった魔力による義時呪殺を目論むも失敗。幕府はこの一件を受けて魔力研究機関として六波羅探題を設置。その後足利尊氏による反乱に伴う六波羅襲撃により秘儀とされていた魔力力学が後醍醐天皇により大成され、法界・魔界・人界を統べる大帝、オオミカドを名乗った。その権勢は幕府はもちろん持明院統にも及び、後醍醐天皇に相対するのは実父後宇多上皇のみ。両統迭立が白紙になり、足利尊氏は後醍醐天皇の卷属として幕府を開府。しかし、後醍醐天皇崩御後に大覚寺統の勢いは失墜。足利義満によって両統合一と称する形で皇統は持明院統に移った。魔力研究は室町幕府によって続けられるが、永享の乱では鎌倉府の公方足利持氏が魔力簒奪を試み挙兵。続く享徳の乱・応仁の乱では東西の国土が荒廃。焼け野原と化した京からは魔力の知識を持った貴族が地方へ離散。中でも伊勢盛時は自らが魔力を操りながら駿河を経て伊豆に侵入。その後相模を平定し、彼の一族は後北条氏として知られるようになった。戦国時代では、京に近い程魔力が増強されるという信条に基づき、京へと勢力を伸ばそうとする大名が熾烈な争いを繰り広げた。特に、魔力の存在に気付いていた東の大名たちの動きは活発で、足利氏の流れを汲む今川氏による隆盛は周辺諸国を脅かした。この時駿府で魔力研究を指導していた羽良氏は今川氏の分流で、応仁の乱の戦禍を避けて駿河に下向していたのだった。また甲相駿三国同盟と呼ばれる魔力同盟も一時期成立したがすぐに破綻。最終的に魔力力学は今川氏真から徳川家康に伝授されることになる。その後のパワーゲームで織田、豊臣と時代が遷り、最終的に徳川家康が江戸幕府を開府した。大阪の陣の影響で西日本に目を光らせる為に設置された京都所司代だったが、羽良氏はこの時江戸から京都に配置され、所司代で引き続き魔力研究に当たっていたのだという。

 明治維新後は、日本軍ではなく文官の魔法使いが権勢を誇り、羽良巌陽が力を得たのも、羽良家という武家出身でありながら京都所司代経験者として魔力力学に精通し、まさに魔力研究の王道を歩いてきた実績を買われたからだった。

「歴然たる魔法使いの家系ってやつ。ほぼ家学みたいなものね」

 ここにきて、少しだけ分かったことがある。まず、私たちの今いる世界は、どうやら最初に入った廃館の世界とは違うこと。そしてその世界とは、魔力の存在が認められている世界だということ。にも関わらず廃館が廃館のままということは、起こりうる個々の事象は違くても、最終的な総体的結末は変わらないということなのだろうか。

 そして廃館の持ち主は間違いなく羽良氏だということ。ここで文化庁長官の発言が現実と合致した。少なくとも魔力の世界では、羽良氏は歴史的な魔力研究の名家として知られ、その名声は国政をも左右する程だということ。

 しかし一方で分かっていないこともある。なぜこの廃館は廃館になったのかということ。元いた世界では羽良氏は政府学会の一員として国政に参画しているが、ならばこちらの世界ではどうなのだろう。

 また、遊び場にあった子供の骨も不可解だった。それほど名声を馳せている羽良氏が、闇深い秘密を抱えているという展開は、確かにホラーチックではあるものの、理由が分からない。

「とにかく、一見で解き明かせる程の謎ではないのは確かね。一旦戻りましょう?」

 メリーの差し出した手に、私はそっと手を重ねる。

「どうやって戻るの?」

「え……そりゃもう」

 些細な疑問を呈した私に、メリーは今さら何を言ってるのだとでも言いたげな視線を私に送る。

「探し回るの」

「結局探索じゃない!」

 何も変わらないじゃないか、と思う私だったが、メリーはしたり顔で人差し指を左右に振っている。

「私たちがこっちの世界に入ったとき、何があったのかを思い出すのよ」

「何があったか……?」

 しばし立ち止まって、私は数十分前の出来事を振り返る。メリーの言うことだから、境界線を視たときを思い出せばいい。となると、

「あの魔法使い伯爵かな」

「ご名答。あの羽良伯爵が境界を跨ぐことにより、私たちは引き込まれるようにこちらの世界に連れていかれた。だったら、伯爵を探せばいいのよ」

 なるほど、至極ごもっともだ。しかし、仮にばったりと遭遇したところで、話の分かる相手だろうか。伯爵という身分に有るべき者の良心を信じるならばいざ知らず、実態は人体実験を伴う魔力研究を行っているかもしれないのである。ましてや、既に住んでいないであろう廃館を徘徊する意味についても、実に不可解極まりない。

「話が通用する相手なら良いけど。相手は大正時代の伯爵候なのよ?」

 そこで私は違和感に気付く。

「幾ら昔の日本人だとしても、多少は分かるじゃない?」

「メリー相手にコミュニケーションを試みる大正人……じゃなかった!」

 慌ててメリーに腰を下ろさせた私は、静かに口を開く。

「今私たちがいる時代って何時代? 少なくとも、大正よりは後だろうけど、じゃあ伯爵は今何歳なの?」

「それはもう……年相応?」

「肖像画が書かれて、相当年月が経っていると思うの。姿そのままを残して、廃館を徘徊する……」

「伯爵は亡霊?」

 ふと、私は携帯端末に映る時刻を確認した。

「どうしたの?」

 訝しむメリーが私の端末画面をのぞき込む。

「私たちがこっちに来た時間て覚えてる?」

「確か……零時ジャスト」

「現在時刻、二二時……?」

 奇妙だ、時間が巻き戻っているのだろうか。もしくは、いつの間にか二十二時間が経っていた、ともとれるが……。

「年表示がズレてる! 二〇二〇年一〇月って、どういうこと?」

 メリーの動揺に、私は戸惑いを隠せなかった。

「境界を越えたら、時空も越えたってこと?」

「そんなまさか。だとしたらこの時代に何の意味が――」

 刹那、応接室の扉が勝手に閉まり、何かが走り回る音が縦横無尽に辺りを駆け回った。

「囲まれた?」

 私の言葉に、メリーは黙って頷く。やがて静まり返る室内に、私とメリーは身の危険を感じた。

「急いで出る他なさそうね」

「過去の世界に逃げ込むの、能動的な懐古主義って感じで好きになりそう」

 しっかりと手を繋いで、私とメリーは扉を蹴破った。食堂を抜け、廊下を抜け、メインホールに躍り出る。

「玄関!」

 私の声に、メリーは「このまま!」と応える。

「えっ、ぶつかるぶつかる」

「私のこと信用してよね!」

 傍から見れば、閉まっている扉に体当たりするおかしな二人組として映るだろうけど、私たちはそんじょそこらの心霊スポット凸者とは訳が違う。

「越えて!」

 鉄製の扉が眼前に迫り、私は思わず瞼を閉じた。ぶつかるまで二秒前、一秒前……!

「こらこら、こんな所で何をしてるんだね」

 再び目を開けると、メリーが警察官に職務質問を受けていた。

「え、えっと……」

 答えに窮するメリーを見かねて、私が警察官の前に割って入る。

「君はこの子のお連れさんかな? こんな所で何をしていたの」

 スッと息を呑み、また吐きだした私は、申し訳なさそうな表情を作ってからゆっくりと応える。

「心霊スポット巡り、していました」

 

二.

 玄関の境界を越えて、私たちは元いた世界へと戻ってきた。

「羽良……?」

 大学の構内の一角、岡崎教授の研究室で、私たちは事の顛末を教授に報告した。羽良、という名前を聞いた教授は、何か合点がいったかのように本棚を探し始めた。

「どうしたんですか?」

 しかし教授は私の質問には応えずに、黙々と本を開いては閉じ、開いては閉じを繰り返している。

「羽良っていうのは名家なんですよね。しかも源氏の流れを汲む」

 廃館で見知った情報を語りながら、私とメリーは忙しなく動く教授の背中をただ眺めている。

「……ええ、そう。羽良、羽良……」

 そのうち、一冊の本で手を止めた教授は、「これだ!」という大声と共に机の上に該当頁を開いたまま叩きつけた。

「羽良巌陽……、知ってるぞ。私の非統一魔法世界論を得意げに否定した論者の一人だ」

「教授、あくどい顔が表に出てますよ」

 全くもって滑稽な話だった。魔力世界では、魔力研究の第一人者として高尚な地位を得ていた羽良が、別の世界では魔力否定論者だとは……。

「羽良巌陽は向こうの世界では魔法使い伯爵として知られる程、有名な人らしいですよ」

「あんな奴は二三世紀の恥だ。死んでしまえばいい」

「え、二三世紀?」

 羽良巌陽は一体何者なのだろう。初見は大正時代の伯爵、次に二〇二〇年の伯爵。そして、二三世紀の伯爵?

「羽良巌陽は異能者の可能性が高いです。あらゆる時間軸を移動して、しかも老いを感じさせない……まるで不老不死」

「ふむ……」

 私の言葉に、教授もしばし黙り込む。

「魔法使いというのは、厳密には魔力を扱う者のことではない。種族としての魔法使いは、人間としての扱いを捨て去ることにある。私にはわかるが、あいつはまだ人間だ」

 そういって教授がつけたテレビには、学会の会議の中継が映っていた。長机を正方形の形に並べて、真ん中には書記が四人。テレビ画面が出席者の一人一人を映していく中で、一人見知った人物が映っていた。

「羽良巌陽!?」

 画面に大きく映るその人物は、間違いなく食堂の肖像画に描かれていた羽良巌陽その人だった。服装はスーツという今風の格好ではあったが、髭の特徴はそのままだ。

「何の目的をもっていくつもの世界を渡り歩いているのか知る由もないが、それも含めて文化庁長官は宇佐見君に調査を依頼したのだろう」

「全くといって良い程意図が分からないんです。廃館で見た光景も、いまいち関連性を見出せなくて」

 ところが、教授自身は何か知っているような様子で私の顔色を窺っている。

「……あの?」

 気になった私が眉をひそめながら首を傾げると、教授は一言「時間棚理論だろう」と言い放った。

「時間棚……、もしかして個々の事象の差異は必ずたった一つの結果に収束するという、あの?」

 教授はコクリと頷く。

「多世界解釈とは、無尽蔵に世界が分岐するものに非ず。放射状に離散した因果たちは、弾性ともいうべき事象の収束性によってたった一つの結論に導かれる。ただし、そのモノサシは時間ではない」

 例えるなら、結論への集約は移動手段。ある目的地に集合しようという話があって、甲さんは車、乙さんは自転車、丙さんは徒歩、丁さんはセグウェイで目的地に移動する。この場合、基準は目的地に全員集合することにあり、当然のこと移動手段によって経過時間は異なる。

「この世界で起きた出来事が、大正時代に既に起こっていたのかもしれないし、二〇二〇年ではまだ起こっていなかったのかもしれない」

「なら、羽良巌陽は何を目的として動いているのでしょうか」

 すると教授は、ホワイトボードに何やら図を描き始めた。数本の直線と、それに付随する数式。教授の研究する比較物理学に則った理論立てに、私は向後の為にメモを取るが、片やメリーは大きな口を開けて声の出るタイプのあくびをかまし、隣に座る私を追い出すようにしてソファに横になった。

「ずばり、事象の平衡性。羽良は別の世界で次の収束点の結論を垣間見、何かを決意したのかもしれない」

「でもそれ、例えばAという世界で受け入れられない出来事があったとして、それが嫌だからBという世界に移った所で、その嫌な出来事は変わらず起きるってことじゃない。希望のある理論に見せかけて、その実運命の不変さを思い知らされるロジックじゃない」

 天井と睨めっこしながら、メリーは教授と視線を合わさずに反論する。

「ただし、その出来事が世界にとってただの通過点でしかないのなら?」

「そんな恣意的な見方で理論なんか立証できない」

「誰が個人の主観で運命が決まると言った? 世界の原理を創るのは神だぞ」

「じゃあ、下らない痴情のもつれも神の意志だと?」

「ハーン君は個人を重要視するが、我々という存在は本質的には所詮ただの物質だ。例えば我々は化学反応式といった形で物質同士の結合を総体的に把握しているが、この世で起きる化学反応を個別に見ている訳ではない。つまり、神が見ているのは甲くん乙ちゃんの恋愛ストーリーではなく、あくまでも物質同士の反応を規定した方程式に則った化学反応に過ぎない」

「だから何もせずに全てを受け入れろって? それじゃあ生きている意味なんてないじゃない」

「科学主義社会に個性は必要ないんだ。恐らく羽良は魔力研究を進めていくうちにハーン君と同じ結論に到達したのだろう」

「冗談じゃないわ。そんなの、絶対に許さない」

 突然ソファから飛び上がったメリーが、自分のバッグをひったっくって足早に研究室を出ていった。

「教授!」

 私は戒めの視線を教授に向けるが、教授は分が悪そうな様子で頭をポリポリと掻いている。あまりの呑気さに、私は耐えかねて教授の描いた図に大きくバッテンを付ける。

「宇佐見君!」

「科学も魔力も、人の世の為にあるべきじゃないですか。教授だって、自分の世界を否定されて今ここにいるんじゃないんですか」

「宇佐見君……」

 教授は、赤い髪を指でかき上げながら悲哀に満ちた視線を私に向けた。意外な表情に、私は思わず唾を呑み込んだ。

「私はここ最近感じることがあるんだよ。……宗教は世界を救うんだってね」

「帰ってきたら話しましょう。今はそれどころじゃないんです」

 静かにバッグを肩に掛けた私は、教授に顔を向けることなく廊下に出、背中で研究室の扉を閉めた。ひと呼吸おいて走り出した私は、もちろんあの場所へと向かっている。今はとにかく、メリーと合流すること。

『――政府専門家会議の副議長である羽良巌陽氏が、本日の会議を以て副議長を退任することを表明しました。羽良氏は議員からも退き、後発育成の為の塾の開設を目指すとのことです』

「退任!?」

 廊下から学内食堂のテレビを覗き込んでみると、数人の学生が画面を指さしながら呑気に談笑している。あまりにも私の置かれた状況とかけ離れた日常を送っていることに、一抹の不満を感じたりもしたが、逆に考えれば他の学生たちの知り得ない体験を私たちはしていることにもなる。どうせ世界を生きるのなら、知っていることが多い方が可能性も広がる。私は、平凡な日常と引き換えにメリーとの充実かつ濃厚な秘封倶楽部生活を送っていられるのだ。

『羽良氏については、かねてより宗教団体〝最高存在審問〟との蜜月が週刊誌などで報じられており、一部の識者からは説明責任からの逃避だというコメントも上がっています――』

「いっけない、急がないと!」

 報道番組が続くテレビをよそに、私は再び走り出す。ひたすらにメリーの無事を祈りながら、京都の市街地を駆け抜けるうち、時刻は逢魔が時を迎えたのだった。

 

 次第に影が質量を帯び始める逢魔が時。地面に移る木の影から得体のしれない化け物が出てきそうな雰囲気が醸し出される廃館の周辺で、私はメリーを探していた。

「メリー! 何処なの、ここにいるんでしょー!」

 しかし、私の精一杯の大声にも反応はなく、歩きながら叫んでいたこともあり、廃館に着くころにはだいぶ疲労が蓄積されていた。大学から廃館まで、決して近くない距離をバスや徒歩で移動してきた手前、心なしか足の動きが重く感じてしまう。

「ねえ、メリー!」

 途端、近くの木からカラスが十数羽一斉に飛び立ち、あまりの騒音に私はその場で尻もちをついた。

「いったた……」

 背中と尻についた土を払いながら立ち上がると、正面の扉がおもむろに開かれ、奥から件の伯爵――羽良巌陽が姿を現した。

「他人の敷地で騒ぐとは、あまり褒められたものではありませんな」

「羽良伯爵……!」

 宿命の対決、ということなのだろうか。相手は壮齢の男性伯爵、一方こちらはちょっとばかし異能者の女子大学生。戦闘経験はもちろん無い。

「……私の友達、見ませんでしたか。たぶんここに来ていると思うんですが」

 まずは丁寧にコミュニケーションを試みる。しかし羽良は平然とした様子で、

「君はきっと〝ハクチノミヤ〟の遣いなんだろう。儂のことを調べろとでも命令があったのかね」

「……仰る通りです。ハクチノミヤ、つまり文化庁長官から」

 事ここに至っては、心霊スポットなどと嘘を吐いても意味がない。正直に文化庁の名前を口に出すと、羽良は目を丸くしてこちらを見た。

「いやはや、天下の魔力課もこっちの世界では一介の女子に助力を請わねばならんとは」

「へーえ?」

 一介の女子、という言葉に、私は少しばかり頭に来てしまった。。

「その一介の女子に、伯爵は望みを絶たれるんですよ」

 すると伯爵は、緩慢とした動きでこちらへと近づいてくる。それは、まさしく獲物ににじり寄る肉食動物のよう。

「君たちが絶つのは儂の望みに非ず、君たちの行動が更なる惨事をもたらすのだ」

「更なる惨事?」

「事象の平衡性は各時間棚における作用の総和を均衡状態に置いている。小のトラブルを防げば、そのツケは近いうちにやってくる。惨事を小規模で頻発させることに意義があるのだ!」

「そんなこと、伯爵に何の利益になるんですか」

「儂は現在の時間棚の終端を垣間見た。恐ろしい惨劇だった……」

 頭を抱えながら、伯爵はその場に座り込んだ。

「地震、津波、噴火、山火事、洪水、飢饉、感染症、内乱、虐殺……。世界は終末に向けて自死作用を加速させている。来る未来は人類滅亡だ」

「なら伯爵は、人類を助ける為に動いていると?」

「馬鹿な、そのようなことがある訳がないだろう!」

 声を大にして叫んだ伯爵は、すっくと立ちあがると両腕を広げて空を仰ぎ見た。

「今の人類は消滅すべきだ。奢り高ぶった人間どもは改変しなければな」

「改変……?」

「そう、改変だ! 儂は……」

 その時、伯爵は目を見開いた状態で私を睨みつけた。

「……っ!」

 そのあまりの気迫に押しのけられそうになったが、私がここで退いては全てが無に帰してしまう。

「改変、ってどういうこと!? この世界に何をするつもりなの!」

「簡単だ……、時間棚理論も事象の平衡性も、スベテハ……たった一つの存在に集約される……大いなる一の存在、一にして全、全にして一」

「それって……、まさか」

「その通りだ! 儂は最高存在に審問する、全ての法則を一手に束ねる最高存在に接触し、人類を改変する。運命も何もかも、物質主義者の好きにはさせん!」

 伯爵のその振る舞いは、狂気以外の何者でもなかった。最高存在、という存在も去ることながら、肖像画で見た姿からは想像のできない光景に、恐怖よりも憐れみを先に感じ取った。

「それが、伯爵が数多の世界を渡っていた理由だと?」

 ところが、この私の問いかけに接すると、伯爵の狂気じみた振る舞いはピタリと止まり、今度は低い声調で語りだす。

「……儂は平凡な家庭を築きたかったのだ。しかし運命はそれを許しはしなかった。羽良という家に生まれ、しきたりに圧し潰されながら毎日を生きてきた儂に与えられたのは、源氏の流れを汲む名家『羽良』の名跡を背負うこと……」

 伯爵が見せつけるのは、スーツの裏地に縫い込まれた笹竜胆の家紋。

「この紋章によって、私の運命は決められたのだ……いや、正確には儂が生まれる以前から、儂がこうなることは決定づけられていた! 儂も君も、所詮は自我があると思い込みながら見えないレールを走り続けるトロッコだ、線路全体を見渡す最高存在からすれば、ただの駒だ!」

 そうして伯爵は、頬に涙を流しながら背後の廃館を指さした。

「儂は家庭を営んだ……が、運命はすぐにそれを翻した。儂という存在を反射的に証明してくれた愛する人が殺され、儂は途方に暮れた。儂は数ある世界を逃避行し続け、観察したが、どの世界線でも儂の一家は皆殺しだった。ある時は強盗によって、またある時は戦争経験で病んだ儂自身の手によって!」

 悲しみに満ちた表情を見せつける伯爵の姿は、まさしく魅せる政治家だった。しかし情に訴える姿勢もやがては何処かへと消え、不気味な程の笑みが伯爵の顔面を支配する。

「しかし儂はある者に会い、そこで気づいたのだ。運命を変えるのは個人の行動ではない、世界を束ねる最高存在を変えねば、結果は全く同じであると」

 そこで伯爵はバランスを崩し、糸の切れた操り人形のように膝から地面に倒れ込んだ。

「……?」

 畳みかけられるように「口撃」を受けた手前、目も耳も疲れてはいたが、メリー捜索の体力はまだ残っている。

「詳しい話は、文化庁でするといいですよ。惨事の話も聞かないと」

 ふう、とひと息ついて、廃館の扉に手を掛けたところで、首筋に金属のような冷たい感触があたった。

「君は勇敢だが、その評価は決して君のものではない。脚本家がヒーローの登場を望んでいるからそう在るだけなのだよ」

 伯爵の口ぶりで、私は首筋に銃口を突き付けられていると直感した。僅かに扉の上部にある窓が反射し、伯爵の向ける銃がライフルだということが分かったくらいで、今の私になす術はない。

「さあ、降板だ。衣装を脱ぎなさい」

 撃たれる、そう覚悟して目を瞑った時だった。

「――ならヒーローは私ってことね!」

 聞きなれた声と共に、私の背後で羽良が吹き飛んだ。傍らにスペンサー銃が転がり落ちて、私は咄嗟にそれを拾い上げる。意外と重いシロモノだったが、私は急いで伯爵とは反対方向に銃を放り投げた。

「馬鹿な、こんなことが許される訳がない!」

「ねえ。おっさんさあ」

 腰を抜かし、木の幹に背中を押し付けながら距離を取ろうとする伯爵の頭のすぐ横を、メリーは右足で蹴り上げて威嚇する。

「さっきから運命だの駒だの言ってるけど。だとしたらこの世に起こりうる全ての事象は、寸分の意外性もなく、必ず起こるってこと。じゃあ、私たちに異変を鎮圧されるのも運命じゃない? あなたは所詮敗れる方の駒」

 これまた畳みかけるように吐き捨てられるメリーの悪態に戦慄しながら、私は静かに、かつ素早く伯爵の両手の親指を縛り上げた。抵抗する力も無いようで、科学世紀のサンジェルマン伯爵は呆気なく御用となった。

『ザァーー……ザザーァァー』

 不意に聞こえてきたテレビの砂嵐の音に、私もメリーも瞬時に耳を抑える。そういえば、実験室の話もまだ聞いていなかった。

「ねえ。テレビつけっぱなしでしょ」

 メリーの単刀直入な質問に、伯爵は大きな声で笑い飛ばした。

「テレビジョンだと? この館にそんなものはない!」

「えっ、じゃあこの音は?」

 ところが、肝心の羽良も何を言っているのか理解できていないようで、怪訝な表情をこちらに向けている。

「じゃあ遊び部屋って何? 人骨がたくさんあったけど、あれもあなたの仕業?」

「遊び場? 人骨? 何を言ってるんだ」

 おかしい、何かがおかしい。

「きゃっ!」

 突然のメリーの悲鳴に、私は慌てて振り返る。

「テレビ……?」

 そこにあったのは、外にあるはずのないテレビ。しかも、液晶の薄型テレビだった。

「砂嵐の正体は、これ?」

 しかし、やはり奇妙だ。先ほどまでなかったテレビが突然現れるのもそうだが、なぜあの時近くにテレビが無かったのだろうか。

「あ、何か映りそう」

『ザザーァァ……ザァ……ったのは、京都市山科区爪羽良○○○―○○○のザー……です。午前十時ごろ、市の職員によって建物の解体工事のための視察が行われた際、建物二階の一室から人骨とみられる骨が複数個見つかりました。京都市では女子大学生の宇佐見蓮子さんが行方不明となる事件が発生しており、現場には宇佐見さんの物と思われる学生証や所持品が見つかったということで、当局は鑑定を行い関係性についても調べることとしています』

「……え」

 あまりの情報に、私は言葉を失った。

「な……、何よ、このテレビ」

 震えるメリーの声、視界の片隅で苦笑しながらこれまた震える手でテレビ画面を指さしている。

 一方の私も、身体が硬直して顔がテレビに向いたまま、まるで吸い寄せられるようにして動くことが出来ない。

「はっ、はははは!」

 そんな私たちの動揺をコケにするように、羽良は大きな声を張り上げて空笑いしている。

「もうすぐ来るのだ! 全人類がたった一つのシンボルに収束される神話以前の世界が……!」

 神話以前、私があの日玄関の黒い影から聞かされた言葉だ。

「教えて。学会は何をやろうとしているの、最高存在への干渉は境界線混淆問題とどう関係があるの!」

 羽良の胸倉をつかみながら、メリーは言葉をまくし立てる。

「……そう結果を急くのではない。この世界線ももう間もなく結論段階に入る。そうなれば嫌でも事実を受け入れざるを得ないだろう」

「その悪臭漂う腐った信条を華麗に無様に打ち砕いてやるから、小汚い理屈を死ぬ前の命乞いのように廃墟の便器みたいな糞にまみれたその穴から垂れ流せって言ってんだよっ!」

 苛烈な言葉遣いを乱発しながら羽良を執拗に木に叩きつけるメリーを抑えつつ、私はキッと羽良を睨む。

「ふふ……、お友達が〝戦い〟に負けた世界線を垣間見て憤るのは無理もないことだが。君の激情家ぶりを見ていると、君がその原因になりそうな気がするよ」

「何よっ!」

 また羽良に飛びかかろうとするメリーを抑えて、私は焦燥感を唾ごと呑み込んだ。あくまで冷静を心掛けながら、静かに口を開く。

「境界線混淆、つまり真実の癒合……。学会は既に行動を起こしているという訳ね」

「いや……あくまでも学会は政府の諮問会議に過ぎない。国家が国家足りうる領域を侵蝕し、改変するなどというのは、それはもはや革命だ。政府がそれを許すはずもない」

「じゃあ、誰が?」

 私の問いかけには、羽良も冷静な口ぶりで淡々と応える。見かねたメリーが荒い息を整えながら離れていくのを見て、私は重ねて質問をする。

「事を急いているのは何処の誰なんですか」

 すると羽良は、ハッとして首を横に振った。

「……まさか、まさかな」

「そのまさかって何、答えて!」

「〝待宵〟だ。数年前に京都移転前の文化庁を思想占拠した宗教団体だよ」

 今から二、三年ほど前のこと。突如文化庁長官がある日の定例会見で奇怪な発言を繰り返し、卒倒する事件が発生した。集まっていた記者たちは、長官の急病をスクープし、次官のコメントを待っていたのだが、時を置かずしてすぐに文化庁が閉鎖された。公式サイトも非公開となり、その存在は一時期この世界から抹消された。一般の国民は、この時の異変を事後に伝達された。即ち、宗教団体による文化庁の思想占拠事件だった。

 待宵が標榜したのは、封印された星神の解放だった。歴史に消され、名もなき存在として中央政権に隷従する一介の土着神の名誉回復を求めた待宵は、しかし政府の招集した専門家たちによって制圧され、解散させられたはずだった。

「しかしそれは学会も同じこと。勝利の上に積み上げられた歴史にあぐらをかいているのが学会でもある」

 羽良の言う通り、学会はこの「待宵異変」の際に招集された専門家会議が起源であり、臨時の会議体だった学会は京都還都に伴い常設化されたのだった。

「なら、待宵の残党が蠢動していると? この京都で?」

「或いは、残党ではないのかもしれない。解体したと思われた待宵の本質は……」

 しかし、これ以降羽良が口を開くことはなかった。しばらくすると、大学から岡崎教授と文化庁の職員がやってきて、羽良を連行していった。羽良は、連れていかれる際も抵抗をしたが、車に乗せられる頃にはすっかり大人しくなっていて、私とメリーはその様子を茫然と眺めていた。

「ご苦労だったね。まさか羽良巌陽を追い詰めるだなんて」

 驚く素振りを見せる教授だったが、その実顔を見るとニッコリと笑っている。先刻までの緊迫感とはかけ離れた様子に、私は内心ムッとしながらメリーを手招いた。

「落ち着いた?」

 私の言葉に、メリーは怖い程の笑みでコクリと頷く。

「ええ、誰かさんのせいで焦ったけど」

「うん、何か……ごめんね」

 しかし、メリーはヤレヤレといった様子でため息をつき、私の頭に何かを被せた。

「あ、あれ?」

「帽子。落としてたよ」

 それは私の愛用する黒色の帽子だった。今まで気づかずにいたけど、帽子を被ると改めて秘封倶楽部としての意気が湧きあがってくる。

「さあ、帰ろう。今回の件をレポートで上げたら、夕星教授も感心するだろう」

「もしかすると、神原朱綺学部長から褒められたりして」

「何を呑気な……」

 呆れるメリーの肩を叩きながら、私は教授の運転する車に乗り込む。

「ちなみに私は全然平気だよ」

 先に乗り込んだ私は、続いて乗り込むメリーの手をゆっくりと引っ張り上げる。

「平気って言っても。それはただ状況を理解していないだけじゃ」

 教授によってスライドドアが閉められ、私たちは少しの間だけ車内に二人きりとなった。

「だとしても、私にはわかる。メリーといれば、どんな不条理も越えていける気がするの」

「何それ、下手な青春劇じゃあるまいし」

「或いは、そうかもね」

 ふと車窓の外に目を移すと、遠くの茂みがゆらゆらと揺れている。動物だろうと思った私は、何も考えずにその一点を見つめている。

「あーあ、緊張が解けたらお腹空いた!」

「じゃあ、帰ったらラーメンでも食べようか。駅前の」

「良いねえ。チャーシュー追加で、味玉も頼もうかな」

 他愛ない会話の合間に、ふと私は茂みを確認する。

「……?」

 がさがさと揺れる茂みから姿を現したのは、一人の少女だった。黒い長髪に、頭にはオシャレにリボンを結っている。少し服装はロリータチックではあったが、青い服が枯れかけの緑によく映えている。

「ねえ、メリー。あんなところに女の子がいるよ」

「女の子? こんな陰気じみた場所に?」

「ほら、あそこ」

 もう一度少女を見ると、目が合ったようでまた茂みに消えていった。しかしその瞬間、少女の背中に羽のようなものを見て、私は慌てて視線を逸らした。

「何、何処にもいないじゃない」

「あ……ははは、やっぱりちょっと疲れたよ」

 私の言葉に、メリーはさもあろうといった様子で何度も頷き、私の背中を撫でる。

「ささ、行くぞ」

 ドアを開けた教授が、運転席に座り、エンジンを掛ける。

「大丈夫か、二人とも」

「はい、平気です」

 私たちは、そうして何事も無かったかのように振舞った。




 ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
 この物語は、五年前に例大祭で頒布した『下垂30度』の前日譚となります(完結させていないのに前日譚とはこれ如何に)。
 久しぶりに診断ネタで蓮メリ二次小説を書きましたが、やはり蓮メリは良いですね。蓮メリは最高だ!
 もし興味を持たれましたら、本編『下垂30度』もよろしくお願いします!
 それでは、スキマニウムでした。

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