夏と言えば思い浮かぶものはたくさんある。花火、カキ氷、祭り、海……。数えたらキリがないんじゃないかって思うぐらい。その中で俺が今思い浮かべるのはずばり――水着だ。
ここはトコナッツパーク。当たり前だが見渡す限り水着の人ばかり。だから俺が水着を連想してしまうのは仕方がないことだった。そういう俺も水着を着ていて、ここに遊びに来ていた。
一人? まさか。一人ならこんなところ来ない。というか来れない。当然ツレがいる。今はその彼女を待っていた。
「おまたせ」
そっけない少女の声が耳に届く。その声に釣られて、声の方へと顔を向ける。
美竹蘭がそこにいた。水着姿で立っていた。トップスは黒と白を基調としたビキニ(こういうのをバンドゥ・ビキニというのだろうか)。中央部に入っている交差する紐が可愛さとスタイリッシュさのアクセントになっていた。ボトムスには白のホットパンツを着ている。
要するに素晴らしい。ずっと見てたい。
「…………」
「……そんなにジロジロ見ないでよ」
その声で我に返る。彼女の水着姿に目を奪われていた。蘭はちょっと恥ずかしそうに、頬を赤く染める。
「悪い……」
なんだか俺も恥ずかしくなってきた。蘭のほうを見れず、天を仰ぐ。
雲一つない空に太陽が燦々輝いている。遠くでセミが鳴く。夏日だ。なんだか気が遠くなりそうだった。そんな暑さ。
いやいやいや、そんな勿体ない。せっかく水着の女の子(それも美少女)と遊びに来てるんだ。
俺は気を取り直して、恥ずかしさもかなぐり捨てて、まずは蘭に水着の感想を伝えることにした。
「水着、似合ってる」
蘭の顔を直視して言葉を伝える。綺麗だ、とは言えなかった。羞恥心をまだ捨てきれてなかった。
「……ありがと」
その小さな返答をして蘭はそっぽ向いてしまう。蘭の耳は赤くなっていた。そんな反応されるとむず痒くなってくる。
「あー…………日焼け止め塗ったか? 俺が塗ってやるぞ」
むず痒さ空気を打開したくて、俺はセクハラ紛いの台詞を口にする。
「変態」
蘭はいつもの調子でそう返してくれた。顔は依然として赤いままだが。いつも通りに戻れそうだ。そう思った。
「冗だ――」
「ねえ」
冗談に決まってるだろ、と言いかけて止まる。彼女によって止められた。
「……背中だけ、お願い」
ぽつりと蘭はそう言った。
「えっ」
間抜けた声が出てしまう。想定してなかった言葉だった。聞き間違いかと思った。いや違う。
「なんで驚いてるの。言い出したのあんたでしょ」
彼女の顔はまだ赤い。それが水着の件によるものなのか、この暑さによるものなのか、あるいは俺に素肌を触らせることへの恥ずかしさによるものなのか、判断できない。
「いやまあ、そうだけどさ」
だって、明らかに拒否してたじゃないか。いつもみたいに罵倒して。それがどうしてそうなった。俺に(日焼け止め)クリーム塗られたいの?
そんな俺の心情に気付いたのか、蘭は口を開いた。
「……自分だと背中塗りにくいから、それだけ。他意はないよ」
確かに背中には日焼け止めを塗りにくい。ムラができてしまったり、塗れてないところができたりしたら焼けてしまう。そうしないためにも他の人にちゃんと塗ってもらうのが一番だ。
いつも通りの口調だ。だけど最初の方だけ少しうわずった声だったような気がした。気のせいだろうか。
「ほら」
「おう」
蘭が日焼け止めを俺に差し出す。俺はそれを受け取る。
蘭がどう思ってるのかはさておき。彼女の身体を合法的に触れるチャンスはそうない。触れていいと蘭が言うなら俺は遠慮しない。
俺たちは日焼け止めを塗るためにデッキチェアのあるところへ向かう。
「…………」
「…………」
俺たちの間に会話はない。喧噪がやけに大きく耳に届く。まだ赤い蘭の顔。なんだか身体がやけに熱かった。
デッキチェアのあるところに辿り着いて、蘭がうつ伏せでそれに寝そべる。
「……じゃあ、お願い」
「……任された」
会話は短く、単純。眼下に広がるのは蘭の華奢な身体。背中に汗が浮かんでいる。
視線がお尻だったり太ももだったりうなじだったりに向かうのは不可抗力だ。そう誰かに言い訳する。
日焼け止めを開けて自分の手に垂らす。冷たい感触がした。そのまま手を蘭の背中に触れさせる。
「ひゃんっ」
蘭にしては珍しく甲高い声を上げる。びくっと身体が跳ねる。可愛い。
蘭もこの冷たさは想像してなかったんだろう。驚かせてしまった。
「悪い」
「……ちゃんと気をつけてよ」
何事もなかったかのようにいつも口調で蘭はそう言った。
あまりに可愛かったので、そのことを蘭に言いたくなって口を開く。
「ああ。でも可愛か――」
「うるさい、馬鹿」
遮られる。冷たい二言。罵倒。
「すみませんでした」
蘭の声は殺意が込められているように感じられた。俺は反射的に謝った。
口を開くのは止そう。少なくとも余計なことは言わないようにしよう。そう決意し、日焼け止めを塗るのを再開する。
蘭の背中に触れた手をゆっくりと動かす。
「んっ…………ぁっ……ぁ、んっ……ぁ……ぅ……」
くすぐったいのか、蘭は小さな声を上げる。恥ずかしいのだろう。できるだけ押し殺した声だ。なんだかエロく感じるのは煩悩のせいか。
俺はそのまま作業を続行する。俺はもう一度容器から液体を掌に垂らし、それを蘭の背中に持っていく。そのままムラができないように日焼け止めを塗る。
「……ぁ、ふ……んぅ……ぅ、ぁ……ぁん……んっ」
またも蘭はうめき声にもよがり声にも似た小さな声を上げる。やっぱりエロく感じる。正直勘弁してほしい。
「あのさ」
一度手を止めて、口を開く。
「声をどうにかならない?」
「む、無理。出したくて出してるわけじゃないし」
恥ずかしそうに蘭は言う。
正直蘭のこういう声を聞くのは嬉しい。が今じゃない。もっと別のシチュエーションだったら、と思う。色々な意味で。
俺は全部塗り終わるまでの辛抱だと思うことにした。
「ぁ……ん……ぁっ……あ、ん……ふぁ、っぁ……」
無心で蘭の背中に日焼け止めを塗る。意識しない、ということを意識すると他のことを意識してしまいそうになる。例えば、背中の肌触りとか。
「んぁ……はぅ……ぁ……あん、ぁ……ぅあ……っ」
無心、無心、無心。念仏のように心の中で唱え続けた。これは健全な行為、これは健全な行為、これは健全な行為……
「……ふー……終わったぞー」
……なんとか背中全部、ムラなく塗り終えた。成し遂げた。達成感がハンパない。
「…………ありがと」
蘭は身体を起こして俺の方を向いてそう言った。顔の色は相変わらず。
顔を見合わせるのがなんだか気恥ずかしい。こんな時は冗談でも言えばなんとかなるだろうか。……いやもう止そう。冗談が本当になるのは恐ろしい。
「……じゃあ、遊ぶか」
結局口から出たのはなんでもない言葉だった。
「うん」
蘭はそれに短く同意して答えた。
俺たちはプールサイドを歩く。会話はない。恥ずかしさがまだ残ってる。
「あー……」
なにか喋ろうと思って口を開いたものの、肝心の言葉が浮かばない。なにか、なにか、なにか……
「なぁ」
「ねぇ」
言葉が被る。蘭も俺と同じようになにかを言いかける。
「…………」
「…………」
目が合う。驚いた表情の彼女がそこにいた。
「あー、蘭から言えよ」
「あんたから言いなよ」
またも言葉が被る。しかもどちらも同じような言葉。相性ばっちしかよ。
『……ぷっ』
『あははっ』
おかしくて俺たちは笑いあう。
おかげで俺たちの間にあった奇妙な空気は消え去った。
「じゃあ、どっちから言う?」
一頻り笑って、少し落ち着いてから俺はそう尋ねる。
「まあ、どっちでもいいんじゃない」
「確かに」
先か後か、そのぐらいの違いだ。
「多分、同じことを言おうとしてると思う」
「なんでそう思う?」
「特に根拠はないけど、なんとなく?」
「じゃあ、同時に言おうぜ」
「いいね」
『いっせいのーで』
『――どこのプールに行く?』
綺麗にハモった。彼女の言う通りだ。俺たちは同じように相手に好意を伝え、同じように気まずくなり、同じことを考えていた。
蘭はふっと笑った。俺も笑った。
「行こう」
蘭はそう言って、俺の手を引っ張った。そのまま手を繋いで歩き出す。
「どのプールにだよ?」
「あんたは? なに乗りたい?」
「じゃあ、ウォータースライダーで」
俺がそう言うと微妙そうな顔になる。
「嫌か?」
「…………嫌じゃないけど」
すごい間が出来てるけど、本当に大丈夫なのか。気のせいか蘭の手がちょっと震えてる。
「本当に?」
「いいから。ウォータースライダーでいいからっ。……変なところ触らないでよ」
「…………おう」
「なにその間」
もしかしたら、万が一にも、多分あり得ないだろうが、どうしても触ってしまうことが起きるかもしれない。ラッキースケベ的な。……そういうのを期待してないわけじゃない。これ言ったら蘭に怒られるから言わないけど。
「まあいいや。それよりもちゃんと乗れるかな? 多分混んでるよ」
「……マジ?」
「多分ね。この間行った時は――」
くだらない会話は続く。ウォータースライダーにつくまで続いた。まだプールに入っていないというのに楽しかった。これからもっと楽しくなるはずだ。
日差しは強い。偶に吹く風は温い。セミは絶えず鳴き声を上げる。まだまだこの日は続きそうだと思った。それと同じように蘭と過ごすこの季節だってまだまだ先は長い。
俺たちの夏は始まったばかりだった。
「そういえば、なんで俺に日焼け止め塗らせたんだ?」
「さっきも言ったじゃん。背中は塗りにくいからだって。他に理由はないよ」
「本当に?」
「………………」
「………………」
「…………秘密」
あ つ い