姉のために自殺を選んだ少女と、少女を愛せなかった少女の一夜限りのストーリーがあなたにも届きますように。
夏も終わりますが、夏の最後にこんな話ができました。
「おねーちゃーん! はやくはやくっ、もうすぐだから!」
「ま、待ちなさい、日菜……ぜぇっ、ぜぇっ……」
淡く光る月の下。獣道、ほどではないが、完全な舗装はされていない道の上。私の先を駆け足で登っていく日菜に急かされ、息も絶え絶えになりながら後を追う。
急勾配の坂道に、「歩行者に少しでも楽になってほしい」と考えたのだろう誰かによって拵えられた石の階段。踏み心地はお世辞にも良くはない。というか、控えめに意見を述べて、最悪だ。もっとどうにかならなかったのだろうか。せめて手摺くらいは欲しかった。背負った荷物の重さに私の体が耐えかねて、後転して落ちたらどうしてくれるんだ。
私が名前も知らない誰かさんに対しての愚痴と文句を脳内で垂れ流していながらも、水色の少女は軽やかに階段を登っている。彼女の弾んだ足取りに対して、疲労困憊の覚束ないステップを踏む私の姿は恐らく、他人から見たら滑稽だろう。それなりに体力には自信があるのに、何故彼女はあんなにも疲れた素振りを見せずに進めるのだろうか。しかも、望遠鏡や諸々の荷物を詰め込んだリュックサックを担いでいるというのに。
「ど、どうしてそんなに元気なのよ……」
「えー? だっておねーちゃんと一緒に『あれ』ができるんだよ!? もう、ずっと前から楽しみで楽しみでるんるんが止まらなかったよ!」
今日の予定を立てたのは1ヶ月ほど前のこと。彼女は「Pastel*Palettes」というアイドルグループのメンバーで、スケジュールはかなり綿密に組まれている。しかし、それでも彼女はスケジュール帳やメモ帳の類は持ち歩かない。持ち歩く必要がないからだ。
彼女は、どんな物でも一目見ただけで全てを完全に記憶してしまうのだ。「サヴァン症候群」という奴だろうか。私は彼女と双子であるが、残念ながらそこら中に蔓延っている普通の量産型人間なのでそんな能力は持ち合わせていない。有ったら有ったで便利だろう。
自分の見たこと聞いたこと、自分のその身に起きたこと。それら全てを記憶出来るのだから。
話が逸れてしまったが、ともかく彼女がプライベートで用事を作る際には早めに立てなければならない。
今回の予定は日菜の方から私を誘ったのだが、まさか1ヶ月ほども前から待たれていたとなると如何せん罪悪感を感じてしまうというかなんというか。私も今日という日を心待ちにしていたので気持ちは分からなくもないが、そこまで行かれると思うところがないこともない。
もっと日頃から日菜との予定を増やすべきか。
今度からは善処しよう。強くそう思う。
「ほら、着いたよ! さっそく始めようよ、天体観測!」
そうこう思考を巡らせている内に、どうやら目的地に着いたみたいだ。
待ちきれないと言わんばかりに飛び跳ねて、手を振りながら私に声をかける。そこそこ急勾配の山道を歩いてきたので、疲労は感じていたものの、その弾んだ声にすっかり毒気を抜かれてしまった。あなたのその声を聞いていたら、疲れなんて忘れてしまえる。
「はいはい……」と返事をしながら、私は持ってきたシートをリュックサックから取り出す。力を入れて腕を振り上げて、風を含ませて振り下ろすと、シートが乾いた音を立てて地面に横たわる。地面に生えた草が濡れている訳ではないけれど、服が汚れないように。私はそういうところを気にする方だ。日菜は逆だ。割とそういったところには無頓着である。
つくづく私とは違うということを認識させられる。それでも、その違いが、私を私。日菜を日菜たらしめているのだから、別段不快には思わない。寧ろ、今なら愛せる。
昔は絶対そんなこと思わなかっただろうけども。
──どうしてあなたはいつもいつも私の先を行くの?!
──わ、わたしは
──どうして? そんなに私の上に立ちたいの? 私の努力を踏み躙るのがそんなに楽しいの?
──そんなつもりなんか
──お願いよ! これ以上私に近付かないでよ!
──おねーちゃ
──あなたと双子になんてならなきゃよかったのに!
──
「よしっ、セッティング完了! 天気も良いし、今日は絶好の観測日和だね!」
「──っ」
隣にいる日菜のはしゃいだ声に意識が現実に引き戻される。最近ずっとこんな感じだ。度々、過去の歴史に囚われては戻れなくなる。ひょっとしたらこれは戒めなのかもしれない。どうしようと贖うことのできない私への。私自身が私に巻いた、生涯解けやしない鎖。抑、何の対価も払うことなく今の幸福を享受することこそが罪になる。私なんて、一生過去に縛られれば良い。
暫く前なら、こんな光景を見るだなんて夢にも思わなかっただろう。隣に日菜がいる。
「ささ、ここに寝転がって、おねーちゃん!」
「えっ、ぼ、望遠鏡は良いの? 折角あなたが準備したのに……」
「いーのいーの! それよりほらっ! ごろんっ、て!」
「わ、分かったわよ……」
言われるがまま、シートに寝転ぶ日菜の隣に、私も同じように仰向けになる。
すると、目の前には満天の星が煌々と、燦然と輝いていた。思わず息を呑む。言葉が出ない。
真っ黒とも紫とも言えない色の上に、無数に点綴する星々。そのどれをとっても、一つ一つが見劣りしないままに光っている。どうして私は今まで生きてきて、この空に気がつかなかったのだろうか。
太陽が沈めば、月が登って夜が訪れる。夜だなんて、産まれてから今日までの日数分出会ってきた筈なのに、この景色に今日初めて出会った。
「……綺麗ね」
「でしょー!? るるるんっ♪ とくるよね!?」
相も変わらず、日菜は世界中どこを探しても使われていない独特な言語で感情を表現した。然し、確かに目の前に広がっているこの光景は、ありきたりな、陳腐な言葉では形容しがたい。その点では、日菜の凡人には理解不能な言語は適切にそれを表現出来るのかもしれない。
適切に、過不足なく、ありのままに。
そこまで考えて、私は徐に隣にいる水のように澄んだ髪色の少女に視線をやる。日菜はいつも、ありのままに生きていた。思い立ったら即行動。猪突猛進型の楽観主義者。後先考えない日和見少女。私より後にこの世に生を受けながら、すぐに私の前に立つ。私が汗水垂らして刻んできた軌跡を、笑顔で軽々塗り替えていく。
化物。怪物。私にとって最悪の人間。もとい人外。
ずっとそう思っていた。ずっとそう見えていた。
「あなたと双子になんてならなきゃよかったのに!」
そう見えていただけだった。
あの衝突から数日後のことだった。
コンコン、とドアをノックする。どうしても彼女と話さないといけない。
学校から、日菜が無断欠席をしたという連絡があったから。今日は親が家にいないため、私がその電話をとった。日菜に事情を聞いてくれ、と言われたので、話さない訳にはいかなかった。
しばらくしても返事がない。念の為、再びノックをしたが、返答はない。致し方ないので、中に入ろうとドアノブを捻る。鍵はかかっていない。もしかかっていたらどうしようかと悩むところだったが、杞憂に終わったようだ。
「入るわよ、日菜」
そう言って部屋の中に入る。
天井から垂れた麻縄に首からぶら下がる人間。
日菜だった。
そこから先のことはよく覚えていない。無我夢中で必死にやるべき事を考えて動いた。
あの日、彼女は自殺を決行した。首を吊った。
首に跡は残ったものの、幸い命は助かった。首を吊ってからそれ程時間が経っていなかったのだろう。今思えば本当にあの時は焦った。
彼女はずっと自分を傷つけていた。私が日菜を受け入れないあまりに、彼女は文字通り、自分を殺すことを選んだ。
彼女は病院でベッドに寝ながら言った。
「おねーちゃんが私のいない世界を望むなら、私は喜んでいなくなるよ」
その奇抜な性格で周囲の誰にも理解されず、家族である私にも拒まれて。
そんな天才故の孤独と、彼女は何年も生きてきた。その苦しみや痛みは、決して他人には推し量れない。
無論、私にも。
今でこそ、私は彼女と和解し、こうして共にいられているが、もしも未だに彼女と道を違えていたら。あの日彼女が命を落としていたら。そんなもしもの未来を想像しては、途端に暗い感情に苛まれる。悲しいだとか、苦しいだとか。そんなありふれたようなものではない感情。
生きる事を、止めたくなるような。
世界が、一切闇黒に染まるような。
──日菜。あなたは、どんな気持ちで今を生きてるの?
そう聞こうとしたけど、喉が震えない。聞けない。
聞いて後悔したら、嫌だから。怖いから。
私はもう、あなたに嫌われたくないの。
何故か、理由は分からないけど、嫌われたくない。
すっ、と。星空を見上げる視界の隅で。
自分のじゃない人差し指が、掲げられた。
「あれが白鳥座」
「ひ、日菜?」
問いかけに応答はなく、彼女は黙ったまま、嫋やかに指を動かした。
「それで、あれがへびつかい座。あれがいて座」
彼女は説明を続けた。私には、その声が酷く優しく聞こえた。
心地が良くて、いつまでも聞いていたくなるような優しい声。
「お星さま達は、こうやって星座として一緒にいるから一人ぼっちになることはないんだよ。勿論、星座になれなかった星も無数にある。でも、みんな近くにいるから寂しくないんだ」
「……」
そこまで言って、彼女は一呼吸おいてから言葉を発した。
「でもね、おねーちゃん。そんな中、1年に1度しか逢瀬を許されていないふたつの星があるの」
「それって……」
それは、私でも流石に知っている。聞いたことがない人の方が珍しいくらい人口に膾炙している話だ。天体に詳しくなくても、これだけは知っている。
そんな私の方をちらりと見て察したのだろう。彼女は頷いた。
「そう、彦星と織姫。1年に1度しか逢えなくなっちゃったいきさつは多分知っているだろうから割愛するね。あれに関しては彦星の自業自得だし」
「なかなか辛辣なコメントね……」
さらっと言ってのけた日菜に、苦笑いしてしまう。
「私、何年も我慢してたんだよ」
「……」
「何年も、何年も。1年に1度は逢瀬を許された、彦星と織姫が心の奥底から羨ましかった」
そこまで聞いて、はっとして横を見た。彼女の声が震えていたから。
日菜は泣いていた。
その双眸から、雫が零れていた。
「おねーちゃんには幸せになってほしかったから。嫌な思いをしてほしくなかったから。だから、何度も考えた。私が死ねばおねーちゃんは喜んでくれるかなって」
「っ、そんなことっ」
事実、そのとおりだった。日菜を受け入れられなかったあまり、「どうして私と日菜が双子なのか」と考えた夜は幾度となくあった。だから、何も言い返せない。
言い返す資格など、ない。
「……でもね」
「え……?」
笑っていた。その横顔に、涙の痕を残したままで。俯いて伺えなかった
「今、こうしておねーちゃんの隣にいられる。こうして一緒に星を見ている。それが、とっても嬉しいんだよ」
「……日菜」
誰にも聞こえなかった呟きは、そのまま風に煽られて、消えていった。どうして私は今まで彼女を遠ざけていたのか。その後悔は永遠に消えることはないだろう。
でも、今は。今だけは。
「わっ! ……どうしたのおねーちゃん、急に飛び込んできて……」
「ひな……っ! ひな……っっ」
あなたと生きている今を、愛しても良いだろうか──
「あ、流れ星だ」
「おねーちゃんとずっといられますように! ……願い事、叶うといいなぁ……」
「そうね……きっと叶うわよ」
「ほんと!? やったー!!」
両手を突き上げて大はしゃぎの日菜。そんな彼女が、たまらなく愛おしい。
きっと、叶うわよ。
だって、私も願ったもの。
「ふたりでだったら、どこへだって行けるよね」
「ふたりでだったら、どこへだって行けるわよ」
天の川の架かる、甘い甘い夜のこと。