とても美しく、そして、とても可哀想だった。
海を見ていた。
目の前にただ広がる、終わりの見えない海を。
本当にこの先に?
まったく、莫迦莫迦しいにも程がある。
そんなもの、あそこにあるはずがない。
そもそも存在するはずがないのだから――。
「何だお前、そんな顔して。目の前でそんな陰気臭い顔をされては、私も気分が悪くなるだろう。
ほら、わかったら、さっさとどっかに行け」
突然の唾罵に驚いて顔を上げた。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
横暴なその口調とは裏腹に、身形は至って普通。特別何か装飾品を身に纏ったようでもなかった。
しかし、思わず口が開いた。
「――美しい」
「は?」
「あっ。すみません……」
彼女は一層不機嫌そうに眉を顰めた。
なぜか褒められたことで不快に、否、褒められたとも思っていないかのようだった。
ただ恐悚する私を却って苛立たしく思ったのか、彼女が話しかけてきた。
「はあ……人間。私はお前に何の興味もないけれど、何の興味もないけれど、少しの暇潰しくらいなら付き合わせてあげる」
「は……はい」
私のことを「人間」と呼称した彼女は、刺すような視線を向けたまま、私に何か話せと黙って促す。
とはいえ何を話したものか。
私は世辞にも、話が上手いとは言えない。むしろそういったのは忌避してきた。
そういった者であって、常に場に合った話題など持ち合わせている筈もないのだ。
焦った私は彼女に、つい問いを投げかけた。
「じ、じゃあ、貴方様はその……
口にしてから、ああ、こんなことでは罵詈雑言が飛んでくるに違いないと、静かに後悔した。
しかし彼女は心底興味がなさそうに言った。
「別に。特になんとも思わぬ」
「………………」
「言っとくが、いいものじゃないぞ、そんなの」
「そんなの……?」
「だいたい、なぜ私にそんなこと聞くのだ」
「えっと、それは――」
私は彼女に話した。
私の、これからのことを。
「――ふん。全くくだらないな」
一頻り私の話を聞いた後で、彼女はやはり興味無さそうにそう言った。
「はは、くだらない、ですか。
そうかもしれませんね」
「それで。お前はそのことを、陛下というやつに言うのか?」
「そうですね……もちろん私とて、この国や陛下に資することは本望です。
ですがこの国を離れ、そして異国に己の墓標を建てたいとは思いません」
「つまりお前は帰って来れないと、そこには無いと言うのだな。
その、
「はい」
私は悩んでいた。
この海の向こうにあるとされる
「ではお前は、何を悩んでいるというのか。
お前は、お前が無いと思うものに、何を気にかけることがある」
「……陛下は兼ねてより、不老不死というものを追い求めておられます。
であれば、私もそれを求めるのは当然のこと。そしてそれは、海の向こうの異国にあるというのです。
本来であれば、私は何としてでも、それを陛下に届けなくてはなりますまい。
しかし私は思うのです。果たしてそんなものが、不老不死などというものが実在するのかと」
そして――目の前の彼女は笑った。
それはそれは不器用な笑顔だった。
まるで、笑い方を忘れてしまったかのような。
しかし私は、そんな彼女に見とれていた。
「ははは!……そうかそうか!不老不死など存在しないと言うか人間!
……いいだろう。決して褒められた話ではなかったが、随分と久しぶりに笑わせてくれた。
これは褒美だ。お前には、私の真の姿を教えてやる」
瞬間、周りの空気が息絶えたかのように思えた。
そして全身を劈いたのは、これまで感じたことの無かった畏怖だった。
「……あ、あなたは――」
「よく聞け、人間。我が名は虞美人。
この国を永きに渡り生きる仙女である」
その女性は、確かにそう言ったのだ。
それから彼女は私に悟らせるように、むしろ、自分自身が改めてその事実を確認するように話した。
それは、不老不死への
それは私にとって、考えもしなかった初めてのものだった。
なぜなら私――陛下にとって不老不死とは、憧憬であり、何としてでも手に入れたいと願う希望だったのだから。
「それで。私の話を聞いた今、お前は何を思う。
お前が、お前たちが切望する不老不死とは、本当にそれほどのものであったか?」
「しかし、陛下は――」
「そいつなど私にとってはどうでもいい。
お前はどう思う」
「私、は――」
私は船の前に立つ。
異国へ行ったまま、もう国へ帰ることすらできないと、そんなことさえ知らぬ愚かな船の前に。
「行くのか」
「ええ、参ります」
私は声に振り返る。
そこに立つのは彼女、虞美人である。
「しかし驚いた。お前にこれほどの
「いいえ、これは私の
あの陛下が、それほどまでに不老不死を求めているというだけのことです」
「……そうか」
やはり興味は無いようだった。
しかし、その顔は穏やかだった。
「それで、実際どうなんだ?
不老不死を叶える霊薬など、あるはずが無いと言っていたお前が、こうして海に出ようとは。
まして、この大所帯だ。心変わりでもしたか?」
「――さあ、どうでしょう。
もしかすると、行ってみれば、そこらに霊薬が転がってるとも知れません。
でしたら私が行くのも道理というものでしょう」
「そういうものか」
「はい。そういうものです」
そして彼女は、そういうことにしておこうと、小さくこぼした。
「……徐福様、
「ええ」
陛下に私との同行を命じられた一人が呼んだ。
私は、この
もし。もしも。
私が
私は陛下に、国に、なんと評価されるのだろうか。
「――ふふふ」
「どうした急に笑いだして。気持ち悪い」
「あ、すみません。つい」
私は変わってしまったらしい。
しかし私は、それを楽しくも思うのだ。
自分の生を、自分の望みのために使うのだから。
誰かが何れ、私の、
「――では、虞美人様。
私は行かせていただきます」
「ああ。勝手にするといい」
「はい」
彼女に小さく頭を下げ、皆が待つ船に乗り込む。
そして船は、ゆっくりと海へと漕ぎ出した。
陸を振り返ると、彼女は立ち去ることなく、まだそこにいた。
「虞美人様……」
彼女はこれからも生き続ける。
百年、二百年、五百年、もっと先まで。
それを終わりにするのだ。私と、私の思いを継いでゆく者達によって。
いつになるかはわからない。
しかし成し遂げなくてはならないのだ。
彼女を、永遠にしてはならぬのだ。
たとえその最期の場所に、私がいなくとも。
荒野に咲く一輪の花として枯れゆくとしても。
それが、
――だけど、もし叶うのなら。
欲を言ってしまうのなら。
その時に私のことを思い出して欲しいと、そう思うのだ。
私という者がいたことを、千秋のその僅か一時だったこの瞬間を、忘れずにいて欲しいのだ。
「またお会いしましょう!
必ずや、必ずや貴方に――!」
彼女は軽く手を振った。それで十分だった。
奇跡があるなら。
この世に、奇跡というものがあるのなら。
少しくらい見てみたいのだ。
奇跡が起きて、前に立った私を彼女が覚えていられるように。
私は、彼女の名前を呼んだ。
彼女がこれから数多の人間に出会っても、私が『徐福』という一人として、彼女の中にいるために。
「いつか貴方にお渡しいたします――ぐっ様!!」
あからさまに嫌な顔をされた。
だが、彼女は最後までそこにいた。
地平線の彼方に沈みゆく、その最後まで。
必ずや到達させるのだ。
彼女に相見える、その時を迎えるために。
その為にもまずは、完成させなくてはならない。