※支部に乗っけてた話を加筆修正したものです。タイトルは変えてます。
鞄がやけに重く感じた。
数学と英語の教科書と、3冊のノート。配られたプリント数枚しか入ってないはずなのに、旅行用の鞄みたいに重い。
クリーニング屋の窓ガラスに自分の姿が反射する。
淡いブラウンカラーを基調としたブレザーは、シワ一つなく真新しい。サイズは大きめで、手の甲が少し袖に隠れてしまっている。
こんな姿の自分を見ることになるなんて、1ヶ月前の私は想像していただろうか。
心のうちで自嘲気味に笑う。
突然現れた来訪者、戸山香澄によって外の世界に駆り出されてから1週間と数日。目線こそ合わせられないが、他人と話せるようにはなった。
この世界がRPGなら、スキルはコミュニケーション能力に全振りするのに。
叶わない願いと童心痛々しい現実逃避に溜息をつき、止めていた足を再び動かす。
春の暖かさで、少し蒸れ気味なローファー。信号に引っかかって待ってる間に、少し隙間をつくって新鮮な空気を取り入れる。
鞄は相変わらず重い。
17時になろうとしているが、陽はまだまだ顔を覗かせていた。空は青くなってきているが、オレンジはより輝いている。
それにつれ、人混みの多さも比例して増えていく。
仕事終わりのスーツの人たち。遊び帰りの子供たち。そして私と同じ、学校終わりの学生たち。
みんなが違う顔をしている。色は様々。形もバラバラ。でも、みんなが半日後に訪れる明日に向かって、真っ直ぐで光った眼差しを送っている。
そんな眼差しを感じるのも、そんな眼差しの前に入ってしまうのも、そんな人たちと歩くのも、嫌になった。
ドォッ、と、突如鼓膜に響く轟音。
私のすぐ真横にある、ゲームセンターの自動扉が開かれたことによって、音が外に漏れ出たのだ。
サイケデリックなBGM。絶えず響く轟音。メダルと金属が触れ合う音。微かに聞こえる人々の声。
追われるように、逃げるようにして、私はゲームセンターの中に入った。
鼓膜を、管を、その他諸々のキカンを通じて轟音は私の心臓のすぐ側で手を叩く。
ドン、ドン、ドン。
ジャカ、ジャカ、ジャカ。
ザラ、ザラ、ザラ。
胃が揺れる。心臓が熱い。
慣れない轟音は、私の身体を激しく刺激する。
「うっ…」
揺れる胃と、熱い心臓に触発されるように、呻き声が押し出された。
メダルゲームの席に腰を下ろす。コインを投入する為の獣道のような細い穴と、どう使うのかイマイチわからないハンドルの付いた台に肘をつく。
しばらく、淡々と上下に動き続ける台座に乗ったメダルたちを眺めた。キラキラと輝いていた。でも、500円玉のような美しさと煌びやかさは無かった。ただのメダルだからだろう。
やがて轟音もbgmへと慣れ果てて、胃の揺れも、心臓の熱も治った。一度深呼吸をすると、頭が軽くなった。
席を立ち、8月の夕暮れのように暗い世界を歩く。イルミネーションのように輝くゲームたち。そこから流れるいくつもの音声たちは混ざり合って、ぐちゃぐちゃになって、ベッド下の埃のように軽い。
暫く歩いた。どれぐらいかはわからないけど。なんとなく、暫く。
道なんてあってないようなものだから、どれぐらい、なんてものは不必要な装飾だ。
そんな、暫く歩いた先にあった、クレーンゲーム。ガラス越しに、白熊のぬいぐるみやら、どこかで見たことのある気がする金髪青眼のツンツン頭のキャラクターのデフォルト人形、果ては、ストラップ用の手のひらサイズの変な深海生物。名前は忘れた。
どれもこれも、私の趣味じゃない。
そう笑うも、財布のジッパーに手をかけている。
まあ、暇潰しだ。
「それと、気が向いたから」
行くあてのない言葉は、埃と一緒にベッドの下で眠りについた。
1回だけでいいや。狙いは、そうだな、あの白熊のぬいぐるみ。
300円を握りしめて、1枚1枚投入口に入れる。ジャラジャラ、と音を立てて落ちていって、奈落に吸い込まれたように音を無くした。
ただカラフルなだけだったボタンが淡い青色に光る。人差し指で押して、向こう側のクレーンを左に動かす。
ここだ、と特に確証があるわけでもないけどボタンを離す。それと同時にクレーンも止まる。
続いて2つ目のボタンを押す。今度は前へと進んでいく。
再び特に確証もなくボタンを離す。
すると何もボタンを押さなくても、クレーンは動く。下に向かってずっと、決められた動きをする。
彼の2つの腕は景品のぬいぐるみの首を掴み、顎のところで引っかかった。
少し身を乗り出す。ガラスに映った私の顔がぐっと近づく。
1度止まった。しかし、2つの腕は力無く顎から頬を掠っていき、なすすべも無く定位置へと戻っていった。
まあ、こんなものだろう。
溜め込んでいた息をこぼす。手に持っていた財布を鞄に突っ込む。
帰路に着く第一歩を踏み出そうと振り向くと、「あっ」、と声を上げられた。
「やっぱり、市ヶ谷さん」
「……」
こぼれそうになった息を飲み込む。
淡いブラウンカラーを、白と赤のストライプのシュシュでポニーテールにまとめ、女の私でも羨む長い睫毛と、サファイアカラーの丸い瞳。そして、私と同じ制服。
戸山香澄のクラスメイトである、山吹沙綾さんが何故ここに。
「ど、どうも、山吹さん」
「あ、こんばんは」
私の挨拶に、思い出したように丁寧に返す。
「どうしたの、こんなところに」
「あー、その」
学年主席で入学。しかしながら入学式からずっと来てない私が、なんでこんなところに。
どう答えよう。
「えーっと、そ、そちら…山吹さんは何故ここに?」
質問に質問で返す。典型的なコミュ障だ。もうダメだ。これから先、生きていける気がしない。
「わたしは、まあ、暇つぶし、っていったところかな」
「私も、そんなところです」
これみよがしにそう付け加える。まあ、事実だし。
「クレーンゲームやってたの?」
私の背後を指差す。テンパってる私など御構い無しに聞いてくる。
「はい、まあ、暇つぶしに」
顔が引きつってないか、口元を少しさすりながら答えた。
「取れた?」
「いえ、全然」
「難しいよね」
「はい、もどかしいですね」
彼女は私の隣に立つ。つま先立ちで景品たちを覗き込んで、「こりゃ難しいね」、と漏らす。
「得意なんですか?」
「いや、まったく」
あざとく舌をペロッと出して笑う。
何もかもがリア充だ。
「でも、楽しいよね」
おもむろにガマ口財布をブレザーの内ポケットから取り出して、300円を投入口に入れる。
「そうですか?」
淡い青色に光ったボタンを押す。クレーンは左に動き出す。
「うん。なんかさ、たった1枚のガラスの向こう側で、自分の手を使わないで、クレーンを使ってさ」
ボタンを押し変える。少し身をかがめて、下からクレーンの動きを観察し始める。
「なにかを手に入れるってさ、すごい楽しくないかな?」
「そうかな…」
すぐ隣にいる彼女にも聞こえないほどの小さな声で、そう返す。
当の彼女は、聞こえてなかったのだろう、「ここっ」、と声を上げてボタンを離す。
バッ、と身を起こし、ガラスに張り付かんとばかりにクレーンの動きを凝視する。
まあ、擦りもしないだろうな。
子供のように熱中する山吹さんを尻目に、バレないように欠伸をする。
結果は、私の予想通り、擦りもせずにアームは宙を掴んだ。
「あー、ダメかー」
セットした髪を崩さないように、控えめにぽりぽりと掻く。
「下から見てもダメですよ、たぶん」
「えっ、そうなの?」
「映った影の位置と、クレーンの位置はちょっとズレがあるから」
再び300円を投入する。
「左に動かす位置は、んー、この辺」
さっき山吹さんが止めた位置とは大きくズレている。このまま前にいっても、景品には当たらないだろう。
「で、ここまで上げる」
止まったのは、景品の少し先、謂わば、背後だ。
「そこじゃ当たらないんじゃ」
声を無視してボタンを離す。
ぐーっと、降りていく。アームが広がる。当然、それは景品を擦りもしない。ただ、何かを引っ掛けた。
「あれ」
彼女が間抜けな声をあげる。
アームが景品についてないのにも関わらず、景品が浮き上がっているのだ。
そのトリックは、値札だ。値札と景品を結ぶ細い糸。その輪をアームで引っ掛け、動かす。テレビでも紹介されている常套手段だ。
「へー、すごいなぁ市ヶ谷さん」
「そんなでもないですよ、このくらい」
浮かび動く景品から目を離さない山吹さん。まるで子供だ。
「まあ、コツを掴めば誰でもできますよ…」
「あっ」
その言葉を遮る声。
得意げに伏せていた瞼を開く。
私の目に映ったのは、半回転して落ちゆく小さな白熊。
無様に、ガラス越しの地に落ちた。
どうやら、機械のシステムによる振動で落ちたらしい。
「あー…」
気遣うような彼女の声。
財布のファスナーに伸びる私の手。
3秒もかからず終わる一連の所作。
「取ってやるっ、意地でもっ!」
私のスイッチを押したこのクレーンゲームには、制裁を加えよう。
景品ゲットという名の制裁を。
それから2回ほど続けて取れた。1度目で位置の確認。2度目でトドメだ。
取り出し口に手を突っ込み、フカフカの白熊を手に取る。
「おーっ」
パチパチと、拍手を送る山吹さん。
2つの手のひらの間に、白熊を挟む。
「へ?」
本日2度目の間抜けな声。
「あげます」
「いいの?」
「いらないので」
「わーっ、ありがとう!弟たちも喜ぶなぁ、これは」
逆立った白熊の毛を撫でる。
財布を鞄に入れて、少しズレた靴のつま先をコンコン、と整える。
「楽しかったなぁ」
白い歯を見せて笑う。
彼女に会うのは今日が初めてではないが、こんな彼女の顔を見たのは初めてだ。
普段は必要以上に大人びているが、やっぱり、私と同い年の、普通の少女なんだ。
「まあ、楽しかった、かな」
らしくもない言葉に、耳が熱くなる。頭がかゆい。
「市ヶ谷さん、すごい楽しそうだった」
「ちょっとですよっ、ほんのちょっとっ!」
ほんのちょっとだ。熱くなってしまったのは否定しないけど。
顔が暑いし頭皮は痒いし、居てもいられなくなった私は足音騒がしく乱雑に「それじゃあ!」とだけ残して去ろうとする。
「また一緒にやろうよ、クレーンゲーム」
そんな私の熱を一瞬で冷ます、彼女の声。
振り返ると、そこにはいつもの落ち着いている穏やかな微笑を浮かべた山吹さんの姿。でも心なしか、年不相応さは消えて、16歳の女の子の、精いっぱい背伸びをした微笑に見える。
そしてその言葉は、心の底からそれを望んでいるように聞こえた。
こんなの、アイツ以外から言われるなんてな。
「まあ、気が向いたら」
埃被った言葉を、彼女に向けて放つ。
「うん」
埃は桜の花びらのように舞い散って、彼女の微笑を屈託のない笑顔に変えた。
ゲームセンターを後にした私は、軽くなった鞄を肩から下ろして、両手で持った。
数学と英語の教科書と、3冊のノート。その分の、僅かな軽さだった。
「気が向いたら、か」
顔を上げる。
陽は沈みきってしまったけど、星空が浮かんでいた。
案外、明日を見て歩くのも悪くないのかもしれない。
私の隣を歩く別の高校の女生徒のように、少し足音を立てて帰路に着いた。
––––––
革製の鞄がやけに重く感じた。
企画用のプリントが十数枚。契約書やら誓約書やらが挟まったモスグリーンカラーのファイルが1つ。その他いろんなものが入っているが、それに比例しない重さだ。
くたびれたブラウンカラーのコートが暖かい強風に揺れる。
たぶん、春一番。
少し崩れた前髪を手櫛で整える。
高校を卒業し、大学を出て、就職したはいいが、いまいちパッとしない日常だ。働いているのに、引きこもりだったあの頃のような無機質さだ。
あまりの多忙さに香澄とも、たえとも、りみともここ数ヶ月連絡を取れてない。無論、世話焼きのアイツにも。
ハイヒールはコツコツ、と私の心とは対照的な心地の良い音を立てる。
そんなハイヒールの音を消す、サイケデリックな喧騒。
「あ」
学生時代はよく通った、ゲームセンター。楽しかった青春の思い出が詰まったおもちゃ箱のようなそこに、引き寄せられるように私は立ち寄ってしまった。
あれから10年経とうとしてるのに、客足は減ってない。社会への反抗心からかカラフルに染まった髪をした10代の若人たちが、ニヤケ顔にも似た笑顔でボタンを連打したり、友達とからかいあったりしてる。
そんな人たちの横を通る、ただの会社員。
率直に言って、場違いだ。
しかし、入ってすぐに出るというのは不自然だ。1周ぐらい回っていこう。
適当に、道なき道を進み、イルミネーションを掻き分けて、有耶無耶に突き進む。
いつぞやのように胃は揺れてない。心臓も熱くない。
でも、いづらかった。
息を切らす。走ったわけでもないのに、やけに疲れた。
壁に手を着ける。ペタリと、ひんやりとした壁だった。
よく見ると、それは壁ではなかった。ガラスだ。手を離すと、油分が含まれた手形が出来上がった。
ガラスの向こう側には、ぬいぐるみたちがいた。サメのぬいぐるみ。クジラ、白熊。
懐かしい、クレーンゲームだ。
最後にやったのは高校生最後の日曜日の、夕方17時。
山吹沙綾と、2人でやった時以来だ。
もう、全く連絡取れてないけど。
400円を投入する。
感を思い出すように、流しでやってみる。ボタンを押して、離して、押して、離して。クレーンは動き、アームは広がり、何も掴めずに、定位置へと戻っていく。
どうやら、感は鈍ってしまったようだ。
こんなギャンブルにも似たゲーム、生活費を切り崩してやる必要もないだろう。
1人なら尚更だ。
長財布を鞄に突っ込む。ガサッ、とプリントが潰れた音がしたが気にしない。
帰りにエクレアでも買おう。日々を頑張る自分へのご褒美だ。
鞄の持ち手を握る。無機質な冷えを覚えながら振り向くと、「あっ」、と声が。
酷く懐かしい気のするその声に呼ばれて、顔を上げる。
「久しぶり」
肩にかかるかかからないかぐらいのボブヘアーの女性。
髪型も、顔立ちも変わっていた。声も少し低くなっている気がした。
でも、淡いブラウンカラーは、変わってなかった。
「クレーンゲーム、やってたの?」
何時ぞやのように、人の顔色など御構い無しに尋ねる。「久しぶり」って返す余裕も与えないほどだ。
「……まあ、暇だったから」
「ふーん」
私の横を通り過ぎ、これもまた何時ぞやのようにつま先立ちで上からぬいぐるみ達を覗き込む。
「取れた?」
「いや、全然」
「やっぱり」
「やっぱりって、何だよ」
思わず吹き出す。
短くて素っ気無ないやりとりだけど、枯れた土に下る水のような潤いを感じた。
「ねぇ」
ガラスに向けて指差す。
「あれ取りたい」
指先には、白熊のぬいぐるみ。
「一緒にやろうよ、クレーンゲーム」
そう微笑む。
いきなり現れて、いきなり遊びに誘うだなんて、御構い無しにもほどがあるというものだ。
まあ、でも
「いいよ、やろう」
久しぶりに、本気を出してやろう。
「珍しく、ノリノリじゃん」
再び400円を投入した私に向けてそう言う。
淡い青色に光ったボタンに人差し指を伸ばす。
「まあ、気が向いたからさ」
白熊のぬいぐるみに向けて、クレーンは動いた。