親友(ワカメ)の怪しげな視線と這い寄る蟲姦フラグに怯えたりしながら、士郎ちゃんは今日も胃薬を片手に冬木の町を駆ける!
息抜き
──その闇を覚えている。
空に浮かんだ黒色の太陽。
肺を焦がすジリついた熱気。
何もかもが炎に包まれ、人も建て物も綺麗に舐め取っていく。
その様子は、まるでタチの悪い
逃げ惑う幾つもの悲鳴はやがて断末魔に。
恐怖も混乱も等しく呑み込んで、炎は成長を続けていく。
そんな、ワケの分からない
かつてヒトだったもの。
黒く炭化し、もはや肉塊とも呼べなくなった残骸。
あるいは、まさにこれから
「──」
オレは、歩いていた。
どこに行けばいいのか。
逆に、どこまで行けば許されるのか。
頼りとなる正解すら分からず。
何故こんなコトになってしまったのかと、考えればすぐにでも足を止めそうになり……
「──それでも」
生きろ。
そう。ほんとうに、ただそれだけのコトを
多くの声と、声にならない多くの声を背中に感じた。
助けてくれと伸ばされる手を、幻を、必死になって頭から振り払った。
幼い自分には他者を助けようとする余裕なんて無い。
第一、こうして歩いている今にもこちらは力尽きてしまいそうなのだから……やめろ。やめてくれ。こっちを見るな!
──そう、胸の内で八つ当たりにも似た叫びを上げることで、前へと進んだ。
けれど。
歩いても歩いても。
叫んでも叫んでも。
地獄からはいつまで経っても抜け出せず、幼い足では、いずれ死神の魔の手に絡め取られてしまうのは必然で。
「───」
オレは力尽き、そして、ついには仰向けになって空を見上げていた。
暗い空。
どこまでも陰鬱で、重苦しくて。
こんなに酷いのなら、そりゃあ息が詰まるのも当然かな、なんて。
さっきまではアレだけ生きようと必死だったクセして、我ながら、つい諦めを覚えてしまうくらいには終わっている
……特に、コレだけは何を置いても一番酷いんじゃないかとそう思ったのは──黒色の太陽。
夜だというのに不思議と輪郭が明瞭で。
普通、夜空に浮かんでいる星と言えば、月か小さな綺羅星だろうに、ソイツは図々しくもドカッと偉そうにしてソコにいた。
ドロドロとグツグツと。
得体の知れないナニかを大量に吐き出し続けながら、まるで嘲笑うように地上を見下ろして。
不気味で気持ち悪く、また、コイツが出てきたせいで今夜のすべてはこうなってしまったのだと。
どういうワケかは自分でも分からなかったが、ほんとうになぜか、本能でその事実を直観していた。憎いとすら思った。
……でも、それも気づけたところで意味はない。
自分は、両親の願いも虚しく、たくさんの人がそうなったようにこの場所で終わる。
なぜなら、だってほら、こんなにも息が苦しい。
息を吸って吐く。
すでにそんなコトすら難しいと感じてしまっている。
耳の傍でパチパチと爆ぜる火の粉の音を耳にしながら、本心ではもうとっくの昔に負けを悟っていて……
──だから。
「っ」
最後の悪足掻きに、せめてこの両目の中でくらいは、オマエを消してやると。
まだ、かすかに動かせる右手を使って、なんとか手の平を空に翳してみせた。
黒い太陽はそれで隠され、オレは無意味な、けれど小さな満足感を抱いてフッと頬を緩ませる。
“どうだ、ざまぁみろ。これでオマエは消えたんだ”
心の内で、そんな一言をも漏らして。
自分はもちろん、今夜この場所で死ななければならなくなった誰にとっても気休めにすらならない。
小さな、それはほんとうに極ささやかな自己満足のようなもの。
これから自分を殺す相手に向けて、ほんの少しでも復讐をしようと思った。
所詮はそれだけの何ら益に繋がらない無意味。
──だから。
「あ、ああぁ! 生きてるっ、まだ生きてる! よかった……あぁ本当によかった……!」
え──?
翳した手の平。
それが、突然、見ず知らずの誰かにパッと掴まれて。
それどころか、現れた男がまるで風雨を遮る屋根のようにして、こちらの視界から空を隠してくれる──そんなコト、まったく想像すらしていなかった。
挙げ句の果て、掴んだこちらの右手を泣きながら自身の頬へと押し当て、涙を流しながら嬉しがるなんて。
虚を突かれるどころの話じゃない。
”──衛宮、切嗣……?”
それは、
§ § §
自分がある物語の主人公になっている。
そんな空想を、きっと誰もが一度か二度かは経験するはずだ。
好きな漫画や小説にアニメ、ゲームでも何でもいいが、とにかく物語性のある創作物。
自分が仮にその世界で主人公、ないし登場人物だったらと仮定して。
自分だったらこうするのに。
自分ならばあの選択はしない。
バカだなぁ、こうすればいいだけじゃん。
なんて、そんな風に神の視点からストーリーを俯瞰するコトで、傲慢にも
そんな経験が、たぶん多かれ少なかれ誰にでもあるはずだ。
たとえば。
マッチ売りの少女はどうして凍えながら死んでしまうのか。
自分が少女なら、凍え死ぬ前に冷酷な父親へ復讐するため、マッチを使って家に火をつけてやるくらいはしただろう、とか。
かぐや姫は、どうして最後、月の世界へ帰らなければならなかったのか。
自分ならもっと上手く求婚問題を躱してのけたし、逆に、帝の寵愛を利用して気楽に楽しく素晴らしい暮らしを手に入れられたのに。
どうしてかぐや姫は、泣いてばかりで地上を諦めてしまったんだ? とか。
小さい頃に読み聞かされる童話やお伽話。
大人になってからでも何度だって見聞きする物語なら、人は意識的にしろ無意識的にしろ、人生で必ず一度は疑問に思う。かもしれない。
そして疑問に思ったなら、自分なりに納得できるとりあえずの解答を出すまで、決して気持ちよくなれないのが人間でもあるだろう。
この登場人物は可哀想すぎる。
この展開は理不尽では?
救いがあってもいいじゃないか。
……と、ある種の不満とも言える感情をエネルギーにして、人は自分にとっての理想のストーリーを脳内で構築する。
しかし。
大抵の人がつい忘れてしまうことなのだが、空想とは都合がいいモノだから空想と呼ばれる。
現実では有り得ない超展開。
実際に起こり得たらぶっ飛びすぎてて顰蹙もの。
そういった幻だからこそ許される枠を飛び越えて、いざ物語を現実として受け止めてみれば。
人は自分が如何に夢見がちだったかを、存分に思い知らされるだろう。
マッチ売りの少女が、父親に復讐するため家に火をつけたなら、冷酷な父親のことだ。少女に逆上し、直接暴力を振るったかもしれない。
かぐや姫が諦めずに月の勢力と徹底抗戦の構えを取っていれば、地上は蹂躙されていたかもしれない。
神の視点から物事を見る第三者ではなく。
あくまで当事者として、主人公として、物語の行く末を想像すれば、その世界でいったい何が正解なのかは実に明白だ。
──少なくとも。
オレは自分がこの世界の主人公なんだと自覚してから、あまりのストレスに毎日ゲロを吐きそうな日々を送っている。
十年前の大災害。
別名、冬木の大火と呼ばれるあの事件が起きてしまった日からずっと。
オレの精神に、真の意味で平穏が訪れたことは一度もない。
だって。
「レイプ目のおじさんは魔法使いを名乗る魔術師殺しでした。体の中には『全て遠き理想郷』埋め込まれてるし、エロゲ主人公のはずが何故か女になってる。下手したら蟲姦ルートも有り得るのではという恐怖待ったナシですよこれは」
……そう。
オレは、いったい如何なる因果の捻れ狂い様によってか、某運命の夜にて主人公を務めたロボット人間。
あの『衛宮士郎』に生まれ変わっているのだから!
しかも
名前は士郎のまま変わっていないのに。
「なんでさ……」
口癖を真似てボヤいてみせるも、現実は都合よくは変わらない。
穂群原学園に通う華のじぇーけーブラウニーとはこれ如何に。
一先ずこれまで物語を壊さないよう必死に衛宮士郎をトレースしてきたつもりだが、正直もうダメかもしれん。胃薬を買わないと。
「しーろうー? 朝ごはんまだー?」
「はいはい今持ってくよ、藤ねぇ」
……とりあえず、冬木の虎が癒しなので頑張るけども。
親友(ワカメ)の怪しい目線やら、いずれ来るだろう義妹にして義姉の歪んだ愛憎とか、最悪この世すべての悪が誕生するかもしれない可能性とか。
暗躍の麻婆神父とかももろもろ含めて、一個人が背負うにはあまりに重い運命じゃありませんかね。
体は剣でも、心は硝子なんだよ……?
息抜き(念押し)