星乙女達の夢の跡   作:護人ベリアス

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第二章 暴走の疾風編
惨劇を越えた後に


 18階層にある冒険者達の街リヴィラ。

 

 その街の中にある埃っぽいだけでは済まず、狭苦しい上に灯りさえないという悪条件揃いの倉庫にリューはいた。

 

 悪環境と言える場にいながらもリューは文句も垂れず淡々とこれまで酷使してきた自らの身体を慰労するように丁寧に包帯を巻いていく。

 

 リューは自らの傷の一つ一つに視線を送る度にズキリと痛みを感じずにはいられない。

 

 …ただ傷の生み出す痛みを感じたわけではない。

 

 身体に刻まれた傷を得る過程でリューが目の当たりにした現実の生み出す心の傷の痛みを感じていたのである。

 

 …結局成果は多くは得られなかった。リューの努力は事実上ほとんどが無に帰していた。

 

 リューとボールス達の行動を総括しても、リューが導き出せる結論は自らの無力感の実感でしかなかった。

 

 リューの仲間達と【ルドラ・ファミリア】を壊滅に追い込んだ怪物とは接敵することすら叶わず。

 

 オラリオの脅威となり得るモンスターの排除は完全に失敗した。

 

 現場に居合わせていたはずのジュラを始めとした【ルドラ・ファミリア】の幹部の幾人かの遺体は発見できず。

 

 リュー達の逃避行の間にリュー達と同じように逃亡を成功させていたのは明らか。闇派閥(イヴィルス)の脅威も未だ無視できない状況が残された。

 

 …逆に現場に遺してきてしまっていた仲間達の生存は確認できず。

 

 リューの元には自らの外套に大切そうに包まれた7つの遺品だけが残された。…彼女達の笑顔をリューはもう二度と見られない。

 

 リューとボールス達の間で確認された目的の大半を果たすことは叶わなかったのだ。リューが無力感を感じても仕方ない結末だった。

 

 だが…リューは未だ絶望に飲み込まれた訳ではなかった。自暴自棄になど決してなってはいなかった。

 

 だから今リューは冷静に傷の応急処置をしている。

 

 絶望に飲まれ自暴自棄になったリューならあの怪物と戦い呆気なく返り討ちにされた時のように傷など顧みず自傷行為と大差ない暴走を今でも続けていたことだろう。

 

 リューの暴走を防いだのは唯一と言ってもいいたった一つ…いや、唯一無二とも言える成果。

 

 

 アリーゼの救出に成功したという成果。

 

 

 アリーゼは今輝夜とライラと同じように治療院に移送された。

 

 リューはまだアリーゼの目を覚ました姿を見ていない。

 

 だがリューはアリーゼが目を覚ますと確信していた。

 

 アリーゼがリューを見捨てないと盲信していた。

 

 だからリューには希望が残っていた。

 

 如何に成果を得られず、絶望的な状況だとしてもリューから希望が消えることはなかった。

 

 

 アリーゼがいれば、何も問題はない。

 

 

 そんな盲信を抱くリューはひとまず応急処置を済ませた上で出立の準備をしようと心に決めた。

 

 すると倉庫のドアを叩く音が鳴り響く。

 

 鳴らされた音はリューへ入室の確認のためか…と思いきや流れるように開かれるドア。

 

 リューは未だ応急処置を終えておらず肌着も碌に纏っていない身。

 

 …あられもない姿を仲間でもない赤の他人に見られるなど言語道断であった。

 

 リューの身体と口は反射的に動いていた。

 

「入るなっっ!!」

 

 リューの怒号が開かれようとするドアへと突き立てられる。

 

 ただ突き立てられたのは怒号だけでなくリューのそばに立てかけられた木刀もであった。

 

 リューは木刀を怒鳴りながら投擲していたのである。

 

 木刀はまるで投げ槍の如くドアへと向かっていき…

 

 狙うはドアを開ける主…と言わんばかりに真っ直ぐ直進していき…

 

 木がへし折れる音と共に返ってきたのは野太い怒号であった。

 

「おい!!!!【疾風】一体どういうつもりだ!?俺様を殺すつもりか!?せっかく倉庫を貸してやったってのにどういうつもりだ!!」

 

「だから入るなと言った!!ドアをそれ以上開けるなっ!!」

 

 倉庫に足を踏み入れようとしたのはこの倉庫の主ボールス。

 

 アリーゼの救出行に協力し、今は自らの買取所の隣の倉庫をリューに貸していたのだが、その無配慮が仇となった。

 

 これよりしばらくリューとボールスの応酬が続くことになったのである。

 

 …それも結局残るのは投擲された木刀によって中央部を見事にポッカリと穴を空けられたドアのみになるという完全に無意味な応酬が。

 

 

 

 ⭐︎

 

 

 

「…で、弁償代はしっかり頂くとして俺がここに来たのはそんな理由じゃねぇんだよ…」

 

「…何ですか?」

 

 ボールスは穴の空いたドアの外で話し、リューは服を纏いその話に応じる…という形で一応の決着がついた後。

 

 ようやくボールスはリューに話を切り出すことができていた。

 

「まず一つ。オメェらが遭遇したとかいう怪物…あれはどうすんだ?…あの現場を見て分かったが、ゴライアスなんか話にならねぇレベルだ。それこそ新手の強化種か何かかと見た方がいいレベル。あんな奴にどう対処するってんだ?」

 

「もちろんもう一度捜索し、撃破を…」

 

「悪いがあの現場を見た冒険者共は俺でも動かせねぇぜ?下手に冒険者を集めた所で返り討ちで全滅だ。どちらにせよ戦意を欠く連中じゃ役に立たねぇし、第一そんな負け戦誰も挑みはしねぇよ」

 

「しかしっ…!」

 

 ボールスが示したのはあの怪物の殺戮の現場がもたらした影響。

 

 …事実上あの怪物を撃破する戦力を招集することさえ叶わないという現実。

 

 ボールスの言う意味は共に現場に居合わせたリューにも分かっていた。

 

 そもそもリュー自身希望を一度砕かれている以上その恐怖は身に染みて分かっている。

 

 だがリューはアリーゼの言う最悪の可能性を認識してしまっている。

 

 そのためボールスに現実を告げられようともリューは引き下がれず反論をしようとするもボールスはその反論をリューに紡がせる前に封じ込めた。

 

「【紅の正花(スカーレット・ハーネル)】や【疾風】が束になって負ける相手だぜ?オメェら以上の戦力なんてそれこそ【ロキ・ファミリア】か【フレイヤ・ファミリア】ぐらいだろ。だが奴らは…動くか?お互いを刺激しねぇようにって戦力を動かさないようにしてる奴らが?そんなお節介焼く連中がオメェら単独で闇派閥(イヴィルス)に挑むという現状を作り出すと思うか?」

 

「…うっ」

 

「動く可能性がるとすれば、ギルドの強制任務(ミッション)が下された時ぐらい。だが現狀だとそれでも動くか分からねぇし、まず強制任務(ミッション)が出てようやく動き出したときには犠牲は数えきれねぇことになってる。それまでオメェも俺らも待てると思うのか?」

 

 ボールスの言い分は正論だった。

 

 撃破し得る戦力と言えばもはや都市二大派閥たる【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】しかいないとも考えられる。

 

 だが両派閥とも…動くとは考えられなかった。

 

 原因は単純な話で迷宮都市(オラリオ)の内部分裂。その影響で【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の関係は抗争一歩手前まで悪化していること。

 

 これまでは闇派閥(イヴィルス)との対立関係の都合上ゼウス・ヘラ追放以前より続く両派閥の共闘体制が持ち堪えていたが、1年前の『27階層の悪夢』による闇派閥(イヴィルス)の決定的弱体化によりその共闘体制は崩れた。

 

 強大な敵を失った両派閥は双方を仮想敵と見做し、警戒心を強めることになったのだ。双方とも共闘してきたが故に相手の派閥の実力は理解している。警戒心を呼び起こすのは必然だった。

 

 そんな中神フレイヤの失踪という想定外の事件が巻き起こり、誤解を重ね警戒心を過度に募らせた両派閥は闇派閥(イヴィルス)という本当の敵を未だ抱えているにも関わらず大規模な犠牲を避けられない抗争寸前まで突き進む。

 

 その顛末はあまりにお粗末であり、払われる可能性のあった犠牲に見合うものでは寸分たりともなかった訳だが、この事件が両派閥に決定的な決裂をもたらした。

 

 かと言って双方の実力が分かっているため、警戒はしつつも全面衝突には決して突き進まない。

 

 その結果到達したのが決して戦闘状態には突入せず不用意な行動を双方が控える気味の悪い沈黙の続く状況、言うなれば冷戦状態。

 

 双方は下手に相手を刺激しないように戦力を動かすのを慎むようになった。

 

 それはいい。

 

 都市二大派閥の抗争などそれこそ闇派閥(イヴィルス)以外誰一人として望まないのだから。

 

 だが…その代償に迷宮都市(オラリオ)では都市二大派閥という貴重な戦力の活動が停滞するという事態を招いた。

 

 いつかは冷戦状態は終結し、熱りも冷める。

 

 そう誰もが思っている。

 

 当事者双方でさえもそれは願っていること。

 

 いつかは疑心暗鬼を解き、共闘体制が復活することさえあり得るかもしれない。

 

 だがその『いつか』が来るまでには数多の犠牲が払われるのは明らかだった。

 

 その『いつか』を待てない人々が多いのは隠しようのないことだった。

 

 そしてその『いつか』を待てない人々が今回の場合はリューとボールス達だった…ただそれだけのこと。

 

 リューはその『いつか』が来るまでの犠牲は容認できない。

 

 その『いつか』以外の希望を見出さなければ、さらなる犠牲を生むことになる。

 

 だから現実を突きつけられても尚言葉を紡いだ。

 

「それでも…犠牲を防ぐための手立てが必要です。そのためには何としてでもあの怪物を討たねば…」

 

 リューはあくまであの怪物を討つことに執着する。

 

 それはただ単に言葉通り犠牲を防ぐためではない…と言うべきかもしれない。

 

 頭の片隅からは命を落としてしまった仲間達の仇を取りたいという思いが完全に消えた訳ではなかったから。

 

 ボールスはそんなリューの執着を一刀両断した。

 

「無理だな。そんな化け物討てる訳ねぇだろ?」

 

「しかしっ…!」

 

「まずあの化け物を討つだけが犠牲を減らすための手段じゃねぇだろ。違うか?その別の手段を取って生き残った【疾風】さんよぉ?」

 

「…はい?」

 

 ボールスの煽り調子も含んだ言葉にリューは顔を顰める。

 

 リューはボールスの意図を図りかね、言葉を詰まらせた。

 

 リューの理解が及ばなかったことを早々に察したボールスはその意図を言葉にした。

 

「…要は逃げりゃいいってことだよ。冒険者なんて命あっての物種だ。オメェらだってそれが分かってたから、その化け物から四人で逃げたんだろ?」

 

「それは…」

 

 その時の話の流れを考えれば…違った。

 

 アリーゼも輝夜もライラも死を覚悟していたし、リュー自身は独り遺されるのが嫌だっただけで生き残りたいという強い意志があった訳でもない。

 

 ただそんな事情ボールスにはどうでもよかった。

 

「ということで俺らはそんな怪物現れたらオメェらと同じように逃げるぜ!そんな怪物相手にもしたくねぇぜ!」

 

「…」

 

 リューからすれば犠牲を防ごうという義務感の欠片もない発言にリューは心底ボールスを軽蔑した。

 

 ボールスがリューの話を持ち出したのは、単なる自己肯定のためだったように聞こえるからである。

 

 だがボールスの話には続きがあった。

 

「だから…その化け物が現れたらリヴィラの連中には即座に退避させる。リヴィラはモンスターに何度壊されようと絶対に再建してやる。それと18階層より下に潜ろうとする連中もできる限り足止めしておく。そうすりゃ犠牲は減らせるだろう。違うか?」

 

「…ボールス?あなたはそのようなことまで考えて…」

 

 ボールスの口から飛び出したのは犠牲を減らすための配慮とも言える内容。

 

 予想外の配慮を見せたことにリューは驚きを隠せない。

 

 それこそあの怪物を討つことでしか犠牲を食い止められないと思い込んでいたリューからすれば天啓に等しきもの。

 

 リューはボールスを実は敬意を抱くべき相手なのではと若干見直し始めるが…

 

「ま、俺らはあの化け物の怖さを知っているのに他の連中に死なれたら寝覚めが悪いからな!勝手に死ぬのはどうでもいいが、俺が話さなかったせいとか言われると気に食わねぇ!」

 

「…」

 

 …やはりリューはボールスを見直すのは無理だった。結局ボールスはあまりリューにとって好ましい態度を取れるような人物ではない。

 

 …と思いきやまだボールスは未だに話の本題に入れていなかったのでその評価は未だ定める訳にはいかなさそうだった。

 

「で、この所謂リヴィラの総意って奴をギルドに伝えておいてくれよ。【疾風】?」

 

「…は?なぜ私が?リヴィラの総意を伝えるならば、私ではなくリヴィラの冒険者の方が…」

 

「要は【疾風】は地上に戻れって言いたいんだよ。それぐらい分かれよ…」

 

「なっ…」

 

 リューはボールスの思わぬ指摘に言葉を詰まらせる。

 

 …ボールスは応急処置を済ませた後何をするつもりか読んでいたのだ。

 

 リューは地上に戻ることなく捜索を継続するつもりだったから。それが犠牲を出さないための最善策だと思っていたから。

 

 …例え戦力が集まらずともリューだけは諦めるつもりはなかったから。

 

 なぜならアリーゼに託された役割だとリューは考えていたから。

 

 アリーゼは戦力を集め、あの怪物を撃破しこれ以上の犠牲を防ぐことを願っていた。

 

 だからリューはどんな状況下でもその役割を遂行しなければならないと考えていた。

 

 しかしボールスはリューを止めるべくギルドへのリヴィラの総意の報告という役割を与ようとした。それが何故かをボールスは語る。

 

「現場を確認して賞金首がいくつも残っててそれなりに儲けさせてもらったが、ジュラやら数人の幹部の遺体がなかった。…それは流石に【疾風】も気付いてんだろ?」

 

「…ええ。なのでジュラ達の捜索も必要で…」

 

「となれば、逃げ帰るのは地上。違うか?」

 

「…つまり地上に戻って私がリヴィラの総意だけでなく闇派閥(イヴィルス)に関する警戒のための報告が必要…ということですか?」

 

「それだけでなくあらゆる意味で戦力が必要な以上、地上に戻るのは必須なんじゃねぇか?」

 

「…地上に戻れば、【ロキ・ファミリア】や【フレイヤ・ファミリア】に協力の要請もできる…」

 

「あとはオメェの仲間達の治療の状況の確認もしてもいいんじゃないか?」

 

「それは…ええ。できればしたいです」

 

「なら【疾風】が今何をすべきか分かるよな?」

 

 ボールスはそれ以上何も言わなかった。

 

 リューが自ずと為すべきことを見出したからである。

 

 成果を期待できない捜索よりも闇派閥(イヴィルス)の撃破の方が優先。

 

 さらに言うならリヴィラで集めた以上の戦力を集めることも地上なら不可能ではない。

 

 リューは成果なき捜索よりも平和と秩序を守るために地上に帰還することが優先だという判断に至ったのだ。

 

 そこに含まれるボールスの意図がリューの無謀な捜索を防ぐことにあったのか闇派閥(イヴィルス)やあの怪物の排除をリヴィラをまとめる者として欲したのかは分からない。

 

 だがボールスは確かにリューに優先順位の転換を促した。そして同時にリューの無謀な行動を抑えるかのような配慮を見せた。

 

 …今の配慮だけではない。倉庫を貸してくれたことも。そもそもリューの求めに応じ冒険者の一団を編成してくれたことも。

 

 鈍感なリューでも流石に気付く。

 

 

 …今のボールスはこれまでの無法者で屑なイメージから掛け離れた言動が多過ぎる、と。

 

 

 違和感に気付いてしまったリュー。

 

 リューは違和感を心の中に留めておくことはできず、ついつい言葉にしてしまっていた。

 

「…あの。ボールス?どうして私にそんなにもたくさん気遣ってくださるのですか?」

 

「…あ?」

 

「いっ…いえ。確かに私は報酬を提示したので協力してくださった理由は十分成り立つと思っているのですが、それだけでここまでのお気遣いをして頂けるとは思えなく…」

 

「そこまで俺様の気遣いに気付いておいて木刀を投げつけるたぁ、ありえねぇんじゃないですかねぇ?【疾風】さんよぉ?」

 

「うっ…すみません」

 

「…まぁいい。それはともかく、だ。【疾風】が俺に示したのは『それだけ』じゃなかったんだから当然じゃねぇのか?」

 

「…はい?それは一体どういう意味で…」

 

 リューの問いにボールスは愚痴の一つも挟みつつ答える。

 

 ボールスの言うリューがボールスに示したものが報酬だけではなかったという言葉の意味。

 

 リューはボールスとの少し前の協力を求めた時の対話を思い返す中で早々に答えに辿り着いた。

 

 …リューは薄々勘付いた。

 

 自分の『あの行動』がボールスを動かしたのかもしれない、と。

 

 ただその行動はリューにとっては口にするのも憚りたくなるような黒歴史。

 

 リューはボールスにその行動が原因だったのか尋ねるのを憚り、口を閉ざす。

 

 そのためそのリューの行動を言葉にする役割はボールスに回されることになった。

 

「正直言ってなぁ?【疾風】?俺は最初オメェに頼まれた時に断ってやるつもりだった。オメェらを壊滅させた怪物相手に報酬がどれだけあろうと、助けてなんかやるかってな」

 

「なっ…」

 

「それに相手が相手。【アストレア・ファミリア】の融通の効かねぇ頑固エルフの小娘ときた。俺達にどんな事情があっても悪事は悪事と冷めた視線で取り締まってくる女に協力しようだなんて最初は寸分も思わなかったぜ?」

 

「がっ…頑固エルフ!?」

 

 唐突に始まるボールスのリューへの罵倒。問いに関係あるのかさえも分からずリューは困惑しつつ頑固エルフ呼ばわりされたことに怒りを覚え始める。

 

 だがボールスの話にはこの後『転』があった。

 

「けどなぁ。今回の【疾風】には協力してやってもいいと思えた。…跪いた女に頼み込まれて無視するほど俺も男が廃ってねぇからな」

 

「くっ…」

 

 ボールスは遠慮なくリューの為した『あの行動』に触れ、リューは屈辱のあまり歯ぎしりする。

 

 リューのボールスに示した行動。

 

 

 それは跪いての懇願。リューはボールスを前に両膝を突いてまでして協力を求めていたのだ。

 

 

 もちろんリューだってそのような懇願だけで協力を引き出そうとした訳ではない。

 

 報酬も事情も全て話し込み万事を尽くした上で行ったのである。

 

 ただここまでになると、これまでのリューにとっての『万事を尽くす』を越えたことをやっていた。

 

 リューにとっての黒歴史だというのは決して過言ではない。リューには思い返すだけで恥が込み上げてくる。

 

 エルフとしては他人を前に跪いて懇願するなど屈辱でしかない。

 

 だがそこまでやったことには確かな意味があった。

 

 リュー自身は気付かずともリューがそこまでしたという事実自体が大きな意味を持つのは言うまでもないこと。

 

 そしてその意味をボールスは気付き、気付いたからこそ協力に動いたというのが真相であった。

 

「正直目の当たりにした俺が一番驚いたぜ。あれだけ誇り高いはずのエルフが強いられもせずに他人の前に跪くなんて考えられねぇ。【疾風】なら尚更で未だに俺の幻想なんじゃねーかって思うくらい理解できねぇ。…だがそれを【疾風】は実際にやってのけた。それも俺が遊び半分に辱めるために要求したからでもねぇ。自分の生命惜しさでもねぇ。はっきりオラリオのためだと言ってのけた。そうだったよな?」

 

「…ええ。確かに迷宮都市(オラリオ)にこれ以上の犠牲を生まないためにあの怪物を討つ必要があると言いました」

 

「俺はオメェみたいに振る舞える奴を初めて見た。今まではすげぇ気に食わなかった女にあれだけ懇願されたら悪い気がしねぇとかそれだけじゃねぇんだ。同業者のため、迷宮都市(オラリオ)のため、あそこまでできるのはそれこそエルフに限らずとも数える程しかいねぇだろ?冒険者は皆自尊心が無駄にあるからな。だが【疾風】はその自尊心をかなぐり捨てて俺を頼った。俺の力が必要だと言った。そうなりゃ断る訳にはいかねぇだろ?」

 

「つまり…私の卑屈な態度がお気に召した…と?」

 

「そんな理由じゃねぇよ。他人のためにそこまでできるなら…助けてやってもいいと思った。【疾風】が跪いて俺に頼み込んだことは俺の目には覚悟の現れだと映った。そんな覚悟を見せる女を前に男が拒否して逃げるようじゃ滅茶苦茶ダセェ。【疾風】は俺の心を動かせるだけのことをしたんだ。それは卑屈などとは取らず誇りに思ってもいいくらいだと思うぜ?」

 

「…はぁ」

 

 ボールスの物言いにリューは反応に困る。

 

 ボールスがそこまで自らの黒歴史だとみなす行動を評価するのか分からなかったから。

 

 ただ実際問題リューのやったことにはボールスが言う通り衝撃的な意味があった。

 

 ボールスはリューという一人の冒険者を突き動かす強烈な信念の発露に気付いたのである。

 

 その信念が向けられたのはアリーゼだけでなく都市全体の人々。

 

 その本質は実際には違うとしても、結果的にはリューは何物よりも優先して迷宮都市(オラリオ)のために動いた。

 

 それはアリーゼや輝夜、ライラを治療院に移送に同行せずひたすらあの怪物の討伐に執着していたことからも明白。

 

 自らの周囲だけでなく迷宮都市(オラリオ)全体のことを視野で行動する冒険者は今やいない。

 

 ボールス自身は言うに及ばず【勇者(ブレイバー)】などの都市を守るために戦っていたはずの面々も今では自らの派閥や自身のことしか考えて動けていない。

 

 過去にどうだったかは今のボールスの身を守るのに役には立たない。

 

 未来にどうなるのかを期待した所で今のボールスの身を守ることはできない。

 

 

 今リューが迷宮都市(オラリオ)のため、ひいてはボールスのために動くだけの覚悟を示した。

 

 

 だからボールスはそのリューの覚悟に免じ、協力した。

 

 男としての意地、報酬に目が眩んで、リューに懇願されるという優越感…様々な理由がボールスを動かしていたのは疑いようはない。

 

 とは言ってもボールスがリューの覚悟に動かされたというのもまた揺るぎようがない事実であった。

 

 そうしてリューの覚悟に動かされたボールスは色々とリューの変わらぬ部分に不平を抱きつつも、これまでのリューへの悪印象を取り払っていた。

 

 その現れがリューへ見せる気遣い。

 

 結果的にリューがボールスに跪いたことがリューに対するボールスの劣等感を消し去り、精神的余裕をもたらした…という風に解釈することもできるかもしれない。

 

 そんな形でリューが無意識に自らを変革したことによってもたらされたリューとボールスの関係の改善はリューにとっての思わぬ僥倖に繋がった。

 

「ま、ということで改めてこれからも宜しくな?【疾風】さんよぉ?」

 

「…は?何を言って…」

 

「何って決まってんだろ?一度協力してダンジョンを探索した仲なんだぜ?今後はドシドシ報酬話や闇派閥(イヴィルス)の糞共を潰す時は俺に声を掛けろよ?リヴィラの連中を引き連れて賞金首掻っ攫いに参上してやるからよ。あとできればこれまでよりちょっと規制をだな…」

 

「それは無理です。悪事は見過ごせません」

 

「どおおおおしてだよぉぉ!!少しぐらいいいだろ?なぁ!?」

 

 …リューの意識が少し変わったとは言え頑固さは抜けきらず、ボールスも小さな悪事ぐらい問題ないという意識が抜けきっていない。

 

 人は大きな転機があっても結局大きく変われないと言うのが実情なのかもしれない。

 

 しかし何も変わらなかった…という訳ではない。

 

 こうしてボールスの積極的意思によってリューとボールスの協力関係が成立させられたのだから。

 

 そんなボールスの意志を引き出したのはリュー自身に他ならない。

 

 そしてリューの変化を引き出したのはアリーゼの信頼であった。

 

 これからリューはボールスの説得のお陰もあり捜索を切り上げ、地上に帰還することになる。

 

 その優先すべき目的となるのはボールスに頼まれた今回の一連の事件をギルドに報告することもあるが、それだけではない。

 

 輝夜とライラの治療の状況の確認。

 

 …そしてアリーゼの意識が戻ったか否かの確認。

 

 この後しばらく続いたボールスとのつまらない諍いを切り上げたリューの心はこの二点に不安を抱えつつダンジョンを踏破することになる。




リューさんとボールスさんしか事実上登場しないとても奇妙な回が2回続きました。
ただ実を言うと、13・14巻でリューさんとボールスさんって関与してるんですよね。その上命を救ってくれたリューさんのために筋を通したボールスさんはいい人です。それだけでなくリューさんの木刀をわざわざ地上まで持ち帰った不思議な人です。実はリューさんの木刀をペロぺ…(略
それはともかく5年早くなりましたが、ボールスさんにはリューさんにそれなりの好意と下心を持って接してもらいます。モルドさんもでしたが、ダンまちの男達は結構好感持てますよね。

さて物語全般に関しては以上とし、ここからは二点触れます。

まずは都市二大派閥の冷戦状態について。これは原作通りです。
ご存じでしょうが、5年後の原作でさえ抗争の火種が定期的に撒き散らされる始末。
…まぁ状況が酷い。『大抗争』での共闘は半分奇跡でしょう。(白目)
そして【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】の共闘体制が復活するという『いつか』。
それは実際に外伝12巻で実現しています。そのお陰で都市崩壊は避けられた訳です。
…ですがそれまでにどれだけの犠牲が払われましたか?共闘体制さえ継続していれば生まれなかった犠牲はないのですか?
誰が悪かったのかは原作では明確に言及されていません。そのためフレイヤ外伝で触れられた事件を導火線として規定しました。
3周年を見たが故の対立しない都市二大派閥の可能性は今作のテーマの一つです。
都市二大派閥が敵か味方かそれ以外かは今後の動向で決定されることになるでしょうね。

そして多分衝撃だっただろうリューさんがボールスさんに跪き懇願したという事実。
作中で説明した通りアリーゼさんの信頼がリューさんをここまで動かしました。
まぁこうでなくともよかったんです。単に覚悟を決定的に示せる動作さえあれば。
外伝12巻でフィンさんはフレイヤ様の元を一人で独断で訪れ、理想を語りフレイヤ様を動かした。ここでフィンさんは覚悟を示した。
リューさんはボールスさんの協力を引き出すために最大限の情報を提供し、跪いて誠意を見せることでボールスさんを動かした。これもまたリューさんの覚悟の形です。
要は相手がやれるはずがないと思うことをやり、度肝を抜くのが一つの覚悟の示し方…だと考えました。
フィンさんは団長として普通不仲な派閥の本拠に乗り込みなど有り得ない。
リューさんもエルフの矜恃と頑固さを考えれば、跪くなど想定出来るわけもない。
だから効果がありました。
当初の予定ではアリーゼさんへの心配のあまり女の涙を用いた泣き落としを検討してましたが、流石になんか嫌だったので撤回しました。

さて今回は事実上の状況説明回となり、【厄災】戦の結末と都市二大派閥の現状の説明が中心になりました。
次回はようやく生き残った【アストレア・ファミリア】の仲間達との話が中核になります。
が…状況が芳しくないのは言うまでもないことでしょう…

尚一つ予告すると、次回で一段落するので以前触れていた人物相関図を公開する予定です。
作品内に取り込むのは簡略版。
Twitterでの公開はダンメモ画像使用版。
…とする予定です。今作理解にお役に立てば幸いです。人物相関図は矢印が微妙にごちゃごちゃなので改善もどんどん進めたいですね。

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