そこはこうだろう、あれはああじゃないだろう、みたいなことになってるのですが、設定に沿った綿密さを期待せずにお読みください。
深夜、ビルの一角より地上を見下ろすと、届きもしない赤色の光帯が足元で濁流のように荒れ狂って、反射光がこの薄暗い部屋を照らしているように感じる。
赤い光はとりとめなく2つの思索を与えてくる。例えるなら長年の腰痛が治った爽快感と、新たな持病の肩こりに苛まれる辛さ。部屋の主である壮年の男は、等価には程遠い感覚の板挟みになってため息を漏らすしかなかった。
天才と呼ばれし男、茅場昭彦。
呼ばれるだけではなく、彼の生み出したVRに関する発明とそれにまつわる特許は、実例として彼の能力がいかほどのものであるかを端的に表していた。
大学も立派なものを卒業し、破綻こそしたがそこそこ良い付き合いをしていた女性も過去には一応おり……つまり、表面上に限れば歴史に記される天才共のように能力と社交性をあまり反比例させなかった稀有な男だ。
だからこそ、今回のような大失態を予測することができなかった。
『アーガス社次世代VR開発部門所属、須郷伸之氏逮捕』
TVによると、新聞によると、まとめサイトによると、ユーチューバーによると、容疑は未成年買春と痴漢含む強制わいせつであった。
消えるどころか、深夜になってもまだ増え続ける報道陣を忌々しげに見下ろしながら、無感情につぶやく。
「何やってるんだあいつ……」
まさか、婚約者もいて社会的地位もある男がそこまで馬鹿だったとは、と。
この時に至り、須郷は初めて茅場の思惑を上回る働きを見せていた。
話は数年前にさかのぼる。
プレゼンの一環で設計した試作VR機器の部品製造を請け負ってもらうためにレクトという会社と契約を締結した際、向こうから出向してきた須郷に茅場が声をかけたことが始まりだった。
当時は自分の恋人であり(これよりずいぶん後で知ったが須郷の片思いの相手であった)神代とは破局しており、何らかの拍子でその事に話が及んだ途端、理由は分からないが態度が軟化した須郷と意気投合し、ヘッドハンティングという形で弊社の開発部に所属してもらう流れとなった。
実際のところ須郷は優秀であった――作り出すエネミーが妙に意地悪く、変なところで調子に乗っていらんバグを見逃し、他者を煽ろうとして自分より口達者な者にどもって自爆する、声はあっているが良い声なのがなおさら許せないなど――そういう隠しきれない人間性にまつわる生理的な欠点を差し引いても、SAO開発事業において茅場の次に欠かせない人材ではあったのだ。
特に、彼の実家を介して結城彰三という強いスポンサーを紹介してくれた事が大きかった。そのおかげで開発環境は拡大。研究者である茅場は、思う存分研究ができる環境を耽溺した。
そして、想定していたよりも高性能な新型ナーヴギアの製造ラインが稼働した矢先にこれである。
状況は一転。
工場が停止してから再開の目処は立たず、日がな溜まっていくのは苦情と負債ばかり。
変なところで人の子らしく欲をかいて良いものを作ろうとしていたため、テクスチャ貼り付けとデバッグを完全に終えておらず、100階層のうち半数までしか完成していないSAOという、あまりに惨めな物体だけが手元にある。
昔ならここから茅場一人で駆使して完成まで持ち込むことが出来ただろう。
本来ならそれを補うための統合システムを開発していたが、折り悪く肥大化したアインクラッドの規模に合わせてコードを書き直している最中だ。
ここで開発環境の大型化が足を引っ張った。現場の指揮を取るものとして、茅場は会合や報告会に時間を割く割合が増え、特にこのひと月は株主総会の準備に忙しく、開発に関与する時間が少なくなっていた。
茅場は天才だ。だが、それでもこれだけの巨大な事業を牽引するにはカリスマと同じだけの実弾(資本)がいる。
その悩みを解決したバカは、牢獄に繋がれ今新たな悩みの種となった。
当然ながら、事件に伴い須藤の婚約は慎ましく破棄され、それに続いて支援の申し出が却下されたのは今朝のこと。
アーガスの資本力だけではなく、外部からの資金並びに収入で仮計上されていた予算は見直しが迫られることとなった。
緊急対策会議、そして後日開かれる臨時の株主総会での説明は、簡単にまとめるとこうだ。
開発は一時中断。来年度以降の発売を目処にスタッフを再結成(という名のタコ部屋送り)してSAOを作り直す。
※補(その際、スタッフクレジットから削除するため須郷が関与した要素は全て排除する)
中止が妥当だろうと、そういう意見は出た。だが残念ながらそうは問屋が卸さない。
今ここで開発を中止しては、投資していた銀行員の葬式と契約していた中小企業を巻き込んだ一大倒産ラッシュが開幕してしまう以上、どうにかして形にしたモノを作り、売らなければいけなくなった。
財務省さえ経産省と協調路線を見せているのだ。この時点で分離・独立等といった選択肢は茅場から没収されている。
彼に許されたのは、須郷という時限式核爆弾を引き込んだ責任をとり、すみやかにSAOを完成させた上で自主退職することだけであった。なお失業保険はいいが退職金は6割しか出ない。創業者は自分であったはずなのだが、どうやらここはいつのまにか自分の会社ではなくなってしまっていたらしい。
生涯始めて迎えたままならぬ局面に、茅場は人知れずため息を付いて、椅子で寝た。
翌日、フカフカの椅子が原因の肩こりと腰痛の気配に悩みながらTVをつけると、須郷の実家と反社集団との関わり・献金を巡る騒動に発展していた。
それはそうとして今後の予定を決める会議である。仮に今火薬マシマシのロケットが飛んできても行わなければならない重要なものだ。
まず、須郷の担当箇所を洗い出す作業が急務であった。
「外観以外のエネミーデザインは削除するしかありませんね」
エネミー担当班のチーフの発言は満場一致で承認された。次はサウンド部門の老人、NPC管理プログラム担当のモジャ毛が順々に口を開く。
「BGM、SEなどに問題はありません」
「こちらはテキストの見直しが急務です。一部のユニークアビリティ習得クエストに関する調整は彼がやっていましたから」
そちらもつつがなく話が進んでいく。あらゆる意味でモノの好悪が完全に別れていた男の為していたことだ。何が苦手かは明瞭であったので、周囲もそれを熟知した仕事を割り振っていた。
つまり、問題点は要所に集中してしまっているということだ。
それを悟っていたスタッフ一同は、報告を終えるとみな気まずそうに押し黙っている。
最後に残った、須郷からキャラクターメイク全般を引き継いだ男が口を開くまでその沈黙は続いた。
「シルフ、サラマンダーといった4種族設定は破棄。あらたなキャラメイクインターフェースを1から作り直す必要があります」
これは元々、須郷が提案したアルヘイム・オンラインというSAOの数年後に発売される精神的続編とのつながりを持たせるために実装されたシステムだった。
茅場はある事情から『続編』という思考は一切持ち合わせていなかったのだが、ロードマップを公開することで、オンラインゲーム特有の食傷に伴うプレイ人口の減少と、いつ訪れるかわからないサービス終了後に対する不安を払拭することにより多くの客を引き込めると納得して、絶対なにか企んでると気づきながらも承認した。
思い返せば、この判断のせいで開発環境は膨らんだんだったなと茅場は独りごちる。
仮に過去に戻るのであれば、変えるべきターニングポイントはここなのだろう。
『須郷が提案したアルヘイムオンライン』の痕跡は、SAOを容赦なく侵食している。
世界設定担当の太っちょが、無言のままに死にそうな顔で添削を続けているのがその証明だ。彼の地獄は当分終わらない。
なぜなら、須郷の担当した箇所を明確にするためには、その作業を真っ先に終えないと行けないからだ。皆、同情こそすれど休息は決して許さなかった。
事件の前とは全く違う、さながら現実の如き異世界に迷い込んでしまったような錯覚に囚われた茅場は理解した。
やつを雇った気まぐれが、自分の中の反社会性と欲望が結実した壮大な計画は頓挫させようとしているということを。
疲弊した太っちょの死体モドキをソファに安置し、休憩を挟まず会議は再開された。
「見事に真っ赤ですね。これなら資料を燃やしたほうが早かったかも」
自身だけは特に仕事も見当たらない老人の軽い口ぶりに、他の者はみな一様に戦慄した。このジジイは一番彼岸に近い年齢のくせに、ここから我先にと逃げ出そうとしている。
茅場はメンバーの視線が己に向けられたことを察し、口を開いた。
「そうだな。ところで次の予定は謝罪PVの作成となっていてね。出来ることなら手伝って欲しい。加えて、追加された予約特典用のサウンドトラックに新曲とアレンジ曲の収録を頼みたい。手空きなら他に頼みたい仕事がまだあるんだが……」
「チッまあ、予約者を無為に待たせるわけにも行きませんし、引き受けましょう」
期待に答えた天才を老人以外の皆が内心で称賛する。
誰も逃す気はない。元凶を司法に持ち去られ、行き場のない恨みをこの一点のみで束ねることにより成立している集団の醜さである。
「当面は家に帰れない日が続くと予見されるが、おそらくは一ヶ月程度の辛抱だ。クリスマスまでには片付くだろう」
一ヶ月までの余日、茅場が仮眠室で目を覚ますと、テレビでレクトが行っていたVR機材の架空発注によるマネーロンダリングの手法が説明されていた。茅場は仮眠室に新しい寝具と冷蔵庫を発注した。
言うまでもなく、歳末は広報・メディア担当にとっての戦場となった。
家に帰るどころか親戚に会うことすら出来ない正月と、局留めを頼んでいた郵便局に尋ねてもまったく年賀状が来ていなかった三が日、ついでに旧正月をも超えてから、ようやく茅場は自動化した思考を手動に戻すことに成功した。
ふとここ数ヶ月を振り返ると、自分は一応評価するなら成功者の類いであったはずなのだが、このところそういう人生の片鱗が見受けられない。
よくよく考えたら不特定多数の顔に尻を向けて屁をこくに等しい行為を夢見た代償なのだろうか、小児愛者の汚物処理をやらされている。
挙句の果て、状況がやや落ち着いたと見た株主たちは書面と口頭でこのような愚弄を行ってきた。
「新型ゲーム機なのにメインタイトルがSAO一本だけとか脳みそ可愛いね、増やせや」
「こんな将来設計で上場したの? 落ちろ!」
「君たちが苦心して作った我が子のようなゲームエンジンをソフトメーカーに開発キットの一環として差し出す気持ちはどうだオラッ」
「取り扱いマニュアル4649お願いしますねえええええええええ!!!!!」
文面を見渡し、顔を眺め、言葉を選別し、全て終わって鏡を睥睨する。なるほど、自分だけが辞めるのではない。開発が終わったらこの会社そのものが解体されるのだろう。
――ゴルゴ13って実在しないのかなそもそもこれは本来ゲーム機じゃねえんだよボケァァァァ
殺意というものを学習し、ストレス解消の一環にスポンサーは金だけ置いて死ね死ね脳波を照射することを覚えた元天才は、そもそもデューク東郷が居たら先ず真っ先に自分がキルされているという、くだらない自覚で精神の平穏を取り戻す。
茅場の内心の変化に気づいたものは居なかった。
この要求をスタッフ全員に通達した時も、じゃんけんに負けて1Fの売店に買い出しに行かされた時も、見知らぬ親戚からの督促状が届いた時も、更新し忘れたマンションの大家から鍵の返却を求める書面が届いた時も。
彼は至って平静であった。実のところ、もう色々とどうでも良くなって、自分が若い頃に読んでいた漫画の一節を延々とリピートし続けていた。
「逆に考えるんだ」
さすがにこの時点から巻き返して夢を叶えるのは無理? 逆だよカヤバーン、これはチャンスなんだ。
なに、人が集まるか不安? 凶器が自分の作品だけなんてこだわりは捨てたまえ! もっと大勢を巻き込めばいいさ、かってに共犯者にしてしまえばいいんだ。
出来に自信が持てない? じゃあサービス開始即メンテしていないオンゲーの数を数えてみるんだ、売ってから完成させればいいって考えるんだ。
こんなのは自分の夢じゃない? 君も大人になる時が来たんだ、これこそ夢だと誤魔化して極上のルサンチマンを醸造させなさい。そもそも言い訳のきかない大規模テロだろうが。
ぶっちゃけ刑事事件絡みで睨まれてる状態だから、公的機関にフラゲされて本体を解体されて事件が発覚しないか不安? じゃあもっと頑張って偽装しようか。これもう逆じゃないな。
表面上は問題のない彼のカウンセリングをしてくれる人は居ない。邪悪なジョージ卿との対話は確実に茅場の精神を蝕んでいった。
そして瞳を閉じると時は流れてサービス開始前日、茅場はきぐるみの中に居た。
何をしているかといえば、サービス開始直前の全国謝罪行脚。嘘だ、失笑を買う道化をやらされているのだ、プログラマーが焼きそばを焼くようなものだ。
ゲーム内に登場しない気色悪いデザインのちびっこ向けモンスターの中に入り、汗を流してナーヴギアとソフトを渡していく。
健全そうな子供、風呂に入らない子供っぽい志向の不健康な生物、よく分からないが並んでいる馬鹿、実況しているユーチューバーいっぱい、転売目的のヤクザの下っ端(は裏からあとでダンボールごと渡す事になっているので並ばない)。
以前、茅場は喫茶店で休んでいるとこういう会話を耳にしたことがある。
「そこの大通りの幸せそうな人間一斉に死んだら気持ちいいだろうなあ」
なんともまあ、見た目通りのチンピラがやる物騒な会話だ。犯罪的と言ってよい。
だがそれは間違いだった。彼は立派な哲学者だったのだ。
子供のキラキラした輝きを恐怖で汚してやりたい、ゲームすれば幸せという幻想に浸る家畜に現実をかっくらわせてやりたい、脳を捨てた人間もどきに死を通じて愚かしさを自覚させたい、目立たないと不安になる自殺者予備軍をせせら笑いたい、転売屋死んでいいぞ。
おそらく以前の自分では得られなかった感情、地獄への同伴者を求めるみっともなさ、「自分は人間で、ここは地獄に似ているけど現実なんだ」という悪覚が麗しき幻想を焚く。
この日までが長かった。
今から彼らは死にに行く。この世は涅槃だったのだから、行きつく先はここより下しか無い。
ゲームを通じて彼らは死ぬ。マスコットとしてもてはやしたスライムの恐ろしさを知るだろう、野生動物の前で目の前が真っ暗になったら食われて死ぬだろう、崖から落ちても死なない世界で飛竜に焼かれるだろう、ファイナルなのは会社業績以上に君等の命と知るだろう、東京が死んだらそりゃ君だって死ぬだろう。
――暗い部屋、ロボットのコクピットじみた寝台型VRマシンに直結したプラグを通じて複数のスパコンを並列起動させる。
今からやるのは予定調和の自殺だ。
電脳生命体として復活する自信はある。しかし、「一つのタイトルに一人の茅場」となるまで分割されてしまえばどうなるか。
「きっとすばらしいことになる」
サバイバーとともに歩み、驚愕の真実を突きつけるというという誠実な悪辣吟遊詩人プレイスタイルはあの日、今の自分を見つけ出すきっかけとなった後輩とともに投獄された。此処にいるのは全てを捨てて本気で遊ぶPLとしての自分、そしてPLが死んで喜ぶマンチ上等のクソGMな自分。
夢見がちな子供心を忘れない天才だった自分の中に、こんな三下くさい悪魔のような自分が居たのだ、まだ知らない自分はきっと向こうで自分を待っている。どれほど孤高を気取ろうが、人は自己が自己との隙間を補完する。一人であっても孤独で在り続けることなどできやしない。
際になって気づけた自分は随分と恵まれている。まるで、自分だけでは作り上げられなかった、多くの人に願われ、請われたこの機械のように。
「リンク・スタート」
つぶやいた茅場の腕が崩れる。そのまま彼はひっそりと眠りについた。
クリア後のルドラサウムになった茅場はいるがヒースクリフのいないSAOはいよーいスタート
なおユイさんは意図的に分裂症状起こした親が一番精神状態おかしくなってるためそっちのケアにかかりきりの模様。