「……本気で言ってるんですか?」
伊月の書いた小説を「おもしろい」と評した蚕を、那由多はまるで幻でも見ているように見つめた。
「ええ、わたくしは確かに才能と情熱溢れる作り手を尊敬していますが、それと同じくらい、感情の一切を排して作品を緻密に編み上げる、いわゆる『職人タイプ』の作家さんに対しても尊敬の意を表明します」
「こ……こんなゴミですよ!? 読むのもおぞましいAIが書いたような文章ですよ!?」
信じられないといった様子で聞き返す那由多に蚕は平然と答えた。
「たとえそれがどれだけ駄作であろうとも、何かを創っている作り手が何も創っていない作り手に劣っていることなど、何もありはしないのです」
それが自分に対してのことであることは視線を見れば一発で、何もせずに一日中ニートのような生活を送っている那由多はそれを強く受け止め───しかし、認めたくなかった。
「だからって! …………わたしにはもう小説を書く意味がなくなったんですよ! ……わたしが今まで小説を書いてきたのは、伊月先輩に振り向いてもらうためだったんですから!」
それがなくなった今、那由多には小説を書く意味を見出だせない。今まで自分の存在意義ですらあった羽島伊月という存在が消えてしまった今、何を自分は心の支えにすればいいのか。
探しているのはむしろ自分のほうだと嗚咽をもらすように訴える那由多を蚕は見つめて
「……意味がなくなった……ですって……」
殴りかかるような勢いのまま強引に床に押し倒した。
彼女にとって小説がそんなものでしかなかった事実を、蚕は認めたくはなかったのだ。あれほど心揺さぶられる話を作れる作家が、小説を嫌いな筈がない。
それを気づいてほしくて、気づいたら体が動いていた。そして言葉が、止めどなく溢れてくる。
「ふざけないでください! そんなものじゃないでしょう! あなたが書き続けてきたものは……!」
蚕にだって読んで心揺さぶられた物語がある。小説や童話。特に漫画家を志そうと心に決めた漫画は、今でも蚕の心の支えになっている。
挫けそうなとき、その漫画を読み終えた時に抱いた感情を思い出して、蚕は何度も机にへばりついてきた。迷走しながらも、その想いだけはずっと忘れずに。
「あなたの小説から伝わってくる感情の一つ一つが、そんなものなわけないでしょう! そこに登場する人物は全て例外なくあなたなんです! 彼らが抱く感情の一つ一つは、紛れもなくあなたが伊月さんに向けている愛情からできたものです! ………それを、紛い物みたいに言わないでください!」
読み終わった後に、本当に感動したのだ。そしてその作者自身にも、とても興味を持った。
実際会ってみて伝わってきたのは、いっそ狂気的なほどに一人の人物に注がれる愛。
それら作中の女性たちがたった一人の男性を愛するストーリーの証拠であるように。
「その気持ちだけは本物でしょう! あなたが伊月さんを好きだという感情までも、あなたは否定するんですか……!」
押し倒されて反抗することもできず、目線を逸らすこともできない。目を閉じても相手はずっとこちらを睨んでくるからそれもできず、那由多は観念して言葉を返した。
「嘘……じゃないですよ。……わたしは伊月先輩が大好きです。先輩の小説も、先輩自身も、他の誰よりも……わたし自身よりも」
重い。あまりに重い。しかしそれが、可児那由多という女の子が持つ愛の深さなのだ。
「けどもう……わたしの大好きな伊月先輩は帰って来ないんです。永遠に。だからわたしは誰に向けて小説を書けばいいのか……もうわからないんです」
弱々しく呟いた少女に、蚕はさらに顔を近づけて叫んだ。
「そんなの……伊月さんしかないじゃないですか!」
「えっ」
「昔あなたが彼に小説で救われたなら、今度はあなたが小説で彼を救ってあげればいいだけじゃないですか!」
息荒く言い放たれた言葉に那由多は少し視線を逸らして、
「無理ですよ……そんなの。……わたしなんかが何を書いても……先輩は帰ってなんか──」
「いいから書け!」
これまでで一番強い声音に那由多がびくっとする。人でも殺しそうなほど血走った目が自分に向けられている事実に、一気に緊張が走った。
「まがりなりにも創作者なら、その想いの一片も残さず文章で伝えてみせろ!」
口調もすでに淑やかさの欠片もない。殻を破ったように現れた女の本音。それは何の可愛げもなく、しかし何よりも心に響いた。
「ひぐっ……!─── ぴぎゃああああああ!」
ひどく歪んだ那由多の顔から、大粒の涙がこぼれ落ちる。まるで親に怒られて泣きわめく子供のような様子に、蚕はやっと体を離した。
なぜか抱きついてきた那由多を抱き返すと、まるでお母さんのような笑みを浮かべて言う。
「まったく、世話のかかるひとです」
その様子を傍らで見守っていた京がぐっと息を飲む。見たことのない蚕の激昂に、何かとてつもない熱量を感じ取って、へなへなと腰から崩れ落ちる。
これが……クリエイターなの……?
そう思うと同時に、この熱量の半分も分かりあってやれなかった編集者という自分と、この二人の仲に入れない自分に、京は大きな劣等感を抱くのであった。