抗争中に不覚を取って川に落ちた驪駒早鬼が流れついたのは、賽の河原だった。そこで出会った不思議な子供、戎瓔花とのひと時の交流――。
 合同誌「かぎりなくいとしい花々」より、原稿サンプルです。一区切りの部分まで収録しておりますので、こちら単品でもご覧いただけます。
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駒よ花野に眠るべし

 その日は、季節外れの冷たい雨が朝からずっと降り続けていた。

 夜の闇に包まれた畜生(ビースト)メトロポリスの中央区西側に陣取る大型歓楽街の片隅でも、雨粒が静かに家々を覆い、すべては雨霞の向こうにぼんやりと(かす)んでいた。夜行性のはずの歓楽街も、文字通りの時ならぬ午睡に身重く横たわっている。

 ゆえに、開発の手を逃れた川に沿って街路の伸びる五番街を硬質な足音が踏み荒らしても、それを咎める声は上がることなく、家並の格子戸は重く閉ざされて無関心な沈黙を放っていた。

 冷え切った外気に白い息を荒く吐き出しながら毒づく人影の後ろには、赤い流れが細く糸を引き、雨粒とともに水かさを増した川へと消えていく。

 ずぶ濡れて黒々としたカウボーイハットの(つば)に、鋭い目を隠した女だった。いかなる修羅場を抜けてきたのか、ずぶ濡れの洋装にはいくつもの裂傷を痛々しく刻まれ、色違いのレースを重ねたボートネックのシャツも脇腹部をひどく切られている。明褐色の格子模様を染め抜いたスカートは縦に引き裂かれてその下の黄土色のショートパンツが露わになり、膝まであるウエスタンブーツは彼女が一歩踏み出すたびにくぐもった水音を立てていた。

「私が逃げる羽目になる、か……(けい)()(くろ)(こま)ともあろうものが、ざまあないね」

 苦しげな喘ぎ声の合間に絞り出すような声は低くかすれて、聞く者もなく雨の(スクリーン)に消えていった。

 畜生道にあって暴力と統率の苛烈さでその名を知られる(けい)()(ぐみ)の首長たる(くろ)(こま)()()が、供もなく冷たい雨に打たれているのは、数年前から現れた(はに)()(へい)(だん)との遭遇戦が原因である。畜生道の奴隷階級であった人類種の守護者を自称し、いかなる攻撃をも受け付けない埴輪たちには武闘派集団の勁牙組とて打つ手がなく、追撃を避けて散り散りに逃げ去る憂き目に遭い続けていた。

 こうなっては、彼女らの旧敵たる()(けつ)(ぐみ)が主張する、命名決闘法(スペルカードルール)による疑似抗争を慣行化すべしという提案にも、あの土塊どもと渡り合うために頷かなければならないかもしれない。無法の中に現れる力の階級構造をこそ信奉する驪駒にとって、それは恐ろしい想像であった。

 そのようなことばかり頭に浮かんでいたものだから、疲労と痛みにもつれた足があらぬ方向へ向かって踏み外したことに気が付いたのは、派手な水音を立てて川面に落ち込んでからだった。

 街燈の灯りに黒々とした水面が照り映え、その上に織る錦というにはあまりにも小さく弱々しい金木犀の花が浮き沈みする中を、せめて溺れることのないよう仰向いて呼吸を確保することだけを意識の底に巡らし続けて、驪駒早鬼の眼は闇夜を見上げていた。

 

 

    みはここにー!

    こころは、しなのの、ぜんこうじー!

    みちびきたまえ! みだの、じょうどへー!

 

“善光寺御詠歌……”早鬼の意識がそんな単語を捉えて浮上してきた。

 

    帰命(きーいみょーう)頂礼(ちょーおらーい)善光寺(ぜーんーこーうーじー)

    如来(にょらい)(もーと)天竺(てーんーじーくー)

    月蓋(がーぁつがーい)長者(ちょおじゃ)御建立(ごーこーんりゅ)

    (えー)んぶたごんの弥陀(みーだぁ)如来(にょーらーいー)

    とうと日本(にーほーんー)天台師(てーんーだーいーしー)

    守屋(もりや)大臣(だいじん)悪人(あーくーにーんー)

 

“そうだ、物部(もののべの)(もり)()が……”「なんばの、いけにと、しずめおく……」もう百年も咽喉を使っていなかったような、ひどく錆びついた自分の声が奇妙にぼんやりと聞こえる。

 

難波(なぁーんっば)(いっけー)にと(しーづー)めおく

そのとき本多(ほんだ)の……えっ? ねえ、気がついたの!?

 

 眠りの水底から浮上してきた早鬼の視界はまだ水中にいるようにぼやけて、ふわふわと舞い踊る白っぽい姿がぼんやりと見えた。

 頭に響いてくるキンキンとした音がどうやら「ねえ、ねえ! 起きたの!?」という意味の声らしいとどうにか当たりをつけ、その言葉をたどって焦点を合わせていくと、その動きに気付いたらしい子供の顔がずいと近寄って視界を埋めた。

「ああ、よかった。本当に起きたのね! 大人のひとがここに来るなんて珍しいなあ、ねえみんな、どうやっておもてなししたらいいかしら? あなたは何をして遊ぶのが好き?」

 途切れずにしゃべり続けながらころころと相手を変える破天荒な様に、早鬼の目覚めたばかりの頭は振り回されそうになる。どうにか「あ、ああ……お前は……?」とだけ言葉を絞り出した。

「わたし? わたしは(えい)()だよ! ここにいるみんなのお姉さんなの!」

 彼女の言う「みんな」だろうか、周囲は幼子たちの騒がしいお喋りが満ちている。雨ではない塵に翳んだ空は、静かに立つ彼岸花の色をしていた。

 

 

 荒涼とした河原であった。

 距離感を失わせる川霧が切れ切れに漂い、足元に転がる不揃いな石くれはほんのりと水気を帯びて冷たい。

 その下の貧弱な土壌からは、これだけは鮮やかな彼岸花がそこここに群生していて、それがかえって全体としての寂寥感をいや増しているようであった。

 そこに目覚めた驪駒早鬼は、体の節々に痛みを感じながらもよどみなく起き上がり、眼前にいる幼女を見た。

 いかにも子供らしい大きな目に利発そうな目鼻立ちをした、見たところ十にもなるかならないかの小さな女の子だった。座り込んだ早鬼よりもまだ頭が低い。肩ほどまであるプラチナブロンドの髪をふわりと膨らませ、鮮やかな白地にくすんだ赤の斑点模様とフリルをちりばめた提灯袖のシャツとスカートを着こんで、瞳を輝かせて早鬼を見つめていた。

“福耳だな……”その子の大きな耳朶(じだ)が何とはなしに目について、早鬼はしばし沈黙していた。自分の置かれた状況もわからぬまま、瓔花と名乗った少女をぼんやりと眺めている。

「ねえ、今度はあなたの番よ! あなたはどうして、この川を流れてきたの? お名前はなんていうの? どうして大人がここにいるの?」沈黙に耐えきれなくなったように、瓔花がまくしたてた。

「なるほど、私が誰か、って?」早鬼の足がぐっと膨れ、バネ仕掛けのようにその場で一回転しながら立ち上がった。気付くと瓔花のほかにも子供たちがいて、二人を遠巻きに見つめている。そいつらにも聞こえるよう、腹に息を吸い込んだ。

 

「知らずば言って聞かせましょう、

と云うほどには長くもないが

生まれは甲斐の山野にて、

(からだ)は黒毛、四肢は白

尊き方を(せな)に乗せ、

雲踏み(あま)駆け幾万里

されど定めし命数の尽き、

何の因果か末法の、世に落ちたるは畜生(けもの)(みち)

(つよ)(きば)こそわが(のり)と、

(きゅう)()を服せる組の長

漆黒(ぬばたま)の髪に風をはらんで、大路(おおじ)を駆ける稲光、

(けい)()組長(くろ)(こま)()()とは、私のことさ!」

 

 早鬼がカウボーイハットに手を添えて大見得を切ると、一瞬あっけにとられたような沈黙ののち、割れるような歓声が上がった。彼女の腰までぐらいしかない子供たちがわらわらと纏わりついてきて、興奮した様子で口々に騒いでいる。瓔花も目を白黒させながら駆け寄ってきた。

「すごいすごい! もしかして、あなたもアイドルなの?」

「どっちかっていうと、興業の手助けとかする方だな。それに、偶像(アイドル)にはいま悩まされてるところさ」

「なにそれ、わかんないよ。わからないっていうと、そうだ、あなたはどうしてこの川を流れてきたの? ケガもしてたし、霊気が流れだして弱ってたわ!」

 瓔花が心配した様子で早鬼の手を取る。〝柔らかいな〟と、早鬼は直感的に思った。

「敵にやられて、生き延びたと思ったら川に落ちちまったんだよ。……あらためて言うと恥ずかしいなあ。あんたに助けられちゃったんだね」

「そうなんだ、とても弱ってたものね」瓔花は唐突に手を放し、右手を広げて回りはじめた。と見るや河原の石に足を滑らせたか盛大に転んでしまい、ゴム毬のように跳ねる。早鬼は焦ったが、他の子供たちがはやし立てているし当の瓔花も弾かれたように笑いだしたのでひとまず大丈夫らしい。

「それじゃあ、わたしの番ね!」彼岸花の群落にちょこんと座りこんで、瓔花がよく通る声で笑う。――そこで、早鬼は彼女の腕が片方しかないことに気がついた。かわいらしく膨らんだ袖口から伸びているのは右腕だけだった。

「わたしは(えびす)(えい)()! アイドルで、そしてお姫さま! この(さい)の河原は、わたしの国なのよ!」

「へえ、じゃあこの子らはあんたの部下ってわけかい? あんまり頼りになりそうには――」言ってから、早鬼は不穏な単語に気がついた。

「畜生道のはずれにある辺鄙な集落だろうと思ってたが……」周囲を見回せば、薄霞にぼやける風景のそこここに積みかけの石塔が見え、彼岸花の赤い群落に紛れて、葦の葉でできた朽葉色の風車が頼りなげに植わっている。これこそは冥界の玄関口として知られる三途の河、そして賽の河原に違いない。

「変なの、ここのこと知らなかったの? 私たちはみんな知ってるのに、大人なのに知らないなんて!」心底不思議そうに見上げてくる瓔花の目に、早鬼も思わず笑いだしてしまった。

「ははっ、そうだな、たしかに変かもなあ。なにしろ私は、だいぶ離れた所に住んでいるからね」

“まさかあの疎水が三途の河に通じてたなんて、妙な話もあったもんだ”自分がオフェリアのように川面を流れていく姿を想像してみたが、どうしても似合わない。

「遠く? それって(うる)()さんがやってくる場所かしら、それとも久侘歌(くたか)さんが来るところ?」

「誰だい、そいつらは……聞いたこともないよ」

「あのね、潤美さんはお魚とりがとっても得意で、久侘歌さんは歌が上手なの! でもときどきしか来てくれないんだ。ねえ、だから早鬼さん、ここにいてよ!」

 瓔花のやや垂れぎみの大きな目が早鬼を見上げている。三途の川面のように暗い瞳に、早鬼の顔がゆがんで映っていた。その早鬼の鏡像は彼女には珍しく眉間にしわを寄せ、困りきって眉根を寄せていた。

「……そりゃああんたには、一宿一飯以上の恩がある。それにこんな寂しい場所、守護天使の一人も欲しくなるだろうよ。でもな、これでも私は一家を、というには少々大きい組を預かる身なんだ。――おい、そんな顔をしないでくれよ」

「だって、川を流れてくるのは贈り物じゃないの!? 石積みを見てくれてる人がいたらみんなもっとがんばれるし、ついにわたしにも贈り物がきたって思ったのに、もう帰っちゃうなんて、そんなの嫌い!」

 早鬼が想像もしなかった激しい感情の激発にあっけに取られている間に、瓔花は背を向けて走りだし、思いきり跳ねて河へ飛び込んでしまった。あまりのことに頭が回らないまま、早鬼は河原の()(れき)をはじけ飛ばす脚力で後を追い、川面に浮かぶ瓔花を抱き上げた。

「なによ、いいもん、どうせわたしはいらない子なんだから、船にでも乗ってどこかへ行っちゃえばいいんだわ!」激しい水しぶきを立てて暴れる小さな体は、抱えられた腕の中で消え入りそうな頼りなさを感じさせた。

「ひとが流れてくるのを見たとき、すごくドキドキしたのに! いつ起きて、どんなお話ができるかなってワクワクしてたのに! ――この腕だって、あなたにあげたのに!」

 最後の言葉は、ひどくざらりとした感触をともなって早鬼の耳に届いた。「腕、って、その――?」

「そうよ、だって早鬼さんは流れてきたときとっても傷だらけで、もう消えちゃいそうだったから、わたしの身体(からだ)をあげたの。わたしの身体は(ふる)いむかしのもので、それに海の力もあるから、もいで付けるととけてその人の身体になるんだって。ケガをした子がいるとやってあげてるのよ、わたしはお姉さんだから」

 早鬼は、背筋に寒いものが伝うのを感じていた。彼女を抱きかかえながら、しばし三途の薄ベージュ色に濁った川面を眺め立ち尽くしていた。

 瓔花はいま見せた激情に自身戸惑ったように、右腕だけで早鬼の首筋を抱えて荒い息遣いを繰り返していた。秋枯れた(あし)の種が、時間そのもののように緩やかに川面を流れていく。

「その腕、治るのかい」

どのぐらい経ったのだろうか、彼岸花の色に赤くぼやける霞のなか、薄明かりがほんの少し弱まったように思えるころ、早鬼がぽつりと言った。

「うん、大丈夫よ、前にもあったもの。片手でも、瓔花ちゃんの石積みは誰にも負けないわ」

「そうか、じゃあ……それまでの間だけでよかったら、私があんたの腕になってやるよ」

「えっ、それってどういう……ええっ、本当!? 本当にいいの!?」

「義理と人情秤にかけて、たまにはこういうのを選んだっていいだろうさ」

 まるで晴れた日の川面のように輝く瞳をまっすぐ見下ろして早鬼が頷くと、言葉にならない嬌声をあげた瓔花はもういても立ってもいられないという風で全身で飛び上がろうとし、抱えていた早鬼ともどもバランスを崩して川面に水柱を立てた。

 彼岸花の花輪を作っていた子供たちも、そちらを見て大いに笑っていた。

 




【再掲】
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