fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
“私”が目を覚ました時、まだ日は昇っていなかった。
……朝、4時くらいか。直感的に時間を理解して、“私”は下ろしたての布団をのけ、身体を起こした。
枕元のカーテンをあけてみる。墨流しの瑠璃色に澄んだ空はまだ星の光が滲み、果てから浸食するように茜が湧きだしている。闇黒と開闢の鬩ぎ合う空模様は、美しいものだった。黝い空は、綺麗だった。
ぼーっと眺めていると、示し合わせたように、窓辺に栗色の何かが顔を出した。ひょろひょろっとまろび出たちんまい獣。ひょろ長いイタチがくるくると顔を回して、アーチャーの顔を眺めやっていた。
(グッモーニン、アーチャー)
イタチの顔を見ていると、聞き知った声が頭の中に響いた。メイヴの声だ。
「はい。おはようございます、メイヴさん」
丁寧にアーチャーが挨拶を返すと、くすくすと笑う声が頭の中に響いた。(律儀ね、あなた)
(あなた、今日は即応待機じゃなかったけど)一応前置きしてから、メイヴは続け た。(10分で
「はい。敵でしょうか」
(御明察。本来あなたが来るまでもないだろうけど、今後のことも考えてね。)
“私”は内心、頷いた。今後の編成も加味すれば、早めに味方となるサーヴァントと連携をとっておくにこしたことはない。メイヴの口ぶりからすれば、敵は決して大規模なものではない……なおのこと、好都合というわけだ。
「すぐに行きます」
勇んで応えると、僅かにイタチは身動ぎした。
(私もこれから出るわ。10分後までに北一番街道まで来なさい)
「承知致しました」
10分もあれば、サーヴァントのこの身であれば余裕を持って指定された場所へ行けるだろう。
イタチは満足気な様子でふんふん、と首を縦に振ると、するすると壁伝いに下へと降りていく。我も続けとばかりにベッドから滑り降りると、さっそく霊衣を展開する。黒い肌とは対照的な、純白な衣。腰に秀麗な矢筒を下げ、左手に構える巨大な白亜の神弓。あとは行くばかりだ、というところで、外から奇怪な声があがった。クゥクゥ、と短く鳴く声にか2さるように、にゃあ、と妙になれなれしい鳴き声が続く。窓から顔を覗かせると、獣が2匹、庭で戯れていた。1匹は先ほどのイタチである。くるくるとすばしっこく走って、後ろから追いかけてくるもう1匹から逃げているらしい。そのもう1匹は白い子猫だった。逃げ回るイタチよりも小柄だが、勇んで追いかけている。それに加えてもう1匹。子猫より二回りも三回りも大きな獣が、のそりと寝そべってその光景を眺めている。中型の犬ほどはあろうか、という獣はブチ模様の毛並みで、大きな耳をくるくると小刻みに動かしていた。
「だめよ、ミルキーアン」
か細い声が飛んだ。ちょうど小径を挟んだ向かいの家の2階の窓が開いた。機敏に察知した大型の獣が首を回し、その様子を伺った。
あ、と窓辺の少女が声を漏らした。“私”と目が遭ったのだ。庭を隔てて10mほどの距離である。
「おはようございます、ベスさん」
例によって、“私”は礼儀正しく挨拶した。
……エリザベス・マーチは、軽く伏し目がちに挨拶をした。声は聞こえなかったが、彼女は確かに口元を動かしていた。細々とした彼女の声は、聞き取りにくかっただけなのだ。
「お早いですね」
「あの」少し吃りながら、ベスは続けた。「なんだか眠れなくて」
正確な物言いではないな、と“私”は直感的に思った。とは言え、悪意があるわけではないこともなんとなく感じた。そうですか、と“私”は応えるとそれ以上は尋ねず、窓辺から身を乗り出した。
あっ、と小さく悲鳴があがった。“私”が2階の窓から飛び降りる様に、ベスは声を漏らしたのだ。だが、私はごく自然に草の生えた地面に着地すると、向かいの窓を見上げた。
サーヴァントならば、この程度の着地は問題でもなんでもない……という知識があればさして気にもしないだろうが、ベスはあくまで一般の人である。サーヴァントとよく関わる人ならともかく、彼女はあまり外に出ない。
「さぁミルキーアン、おいで」
なるべく、“私”は優し気な声で言った。イタチを追いかけていた白毛の猫が足を止めると、ちょこちょこと“私”の足元に駆け寄った。
両脇に手をまわし、小さな身体を持ち上げる。にゃあ、と幾分か不満げな鳴き声を上げた白猫を左腕に抱えると、“私”はひょうい、と飛び上がる。
向かいの家の2階、その窓辺に軽々と飛び上がる。出窓に軽く足を引っかけた。
目を丸くしたベスを見下ろしながら、“私”は白猫を差し出した。彼女はびっくりしながらも、おずおずと手を伸ばして、小さな猫を手に預かった。
ありがとうございます、という小さな声が耳朶を打つ。ぺこり、と頭を下げるベスの腕の中で、白猫は呑気そうににゃあにゃあ、と鳴いている。
「あの、これから戦いですか」
心配そうに、ベスは伺う目を向けてきた。くりくりとしたヘーゼルの目に、ありありと怯えが潜んでいる。“私”は努めて明るく「えぇ」と応えた。
「そう大規模な敵ではない、と聞いていますよ」
幾分か、ベスは安堵したように胸を撫で下ろした。まだこの特異点の歴史情勢に詳しくはないが、彼女とて、戦乱の中この街に流れ着いたのだ。戦争、という言葉への恐れは生々しいものがあろう。
「ヴリトラさんも戦うんですか」
「すみません、まだ皆さまについてそう詳しくなく」
「あの、お気をつけて。ご無事で戻ってきてください」
“私”ははい、と気持ちよく応えると、また2階から飛び降りた。着地と同時に、残り時間を勘案する。あと8分ほど、街道までの距離と併せて考えてみれば、まだまだ余裕がある──。
と、視界の隅で、大きな獣がのそりと動いた。しゃなりとした体躯を揺らした優美な獣である。顔の形からして、猫、だろうか。ピンと立った耳を欹て、“私”を漠と眺めている。その足元でうねうねと動くイタチも、“私”の動向を見守っているらしかった。
「では頼みます」
“私”が言う。大きな猫はふんふん、と頭を下げた。それが了承の意なのかは測りかねた。
“私”は踵を返すと、家の前の小さな通りに出た。脳裏に待ち合わせ場所までの経路を思い描くなり、跳ぶように走り出した。
※
ベス……エリザベス・マーチはほっと安堵を吐いた。人見知りする彼女にとって、初対面の人物と多く言葉を重ねるのは、控えめに言ってあんまり得意ではない。
「ダメよミルキーアン、勝手に外に出ては」
ね、と宥めるように、ベスは腕の中の子猫の頭を撫でた。白猫は不思議そうにベスを見上げた。
「イエネコを外に出すのは感心しない」
ひた、と声が耳朶を打った。
ベスの寝室の隅っこ、化粧台の前の椅子に座る、黒い影。窓から差し込む淡い陽光が、黒い影から伸びる透明な羽根に反射して煌めて居ている。
「ごめんなさい」
ベスが謝ると、黒い影はただ身動ぎだけした。了承とも否定ともとれない曖昧な返答だ。
「ネコってのは存外獰猛なハンターだ。その地域の生態系にとってははっきり言って迷惑な奴だ。鳥だって何だって殺す。虫だってな。最悪の侵略的害獣。それがソイツだ」
のそ、と黒い影が立ち上がる。陽の光を受けると、黒く見えたそれは、白いシャツを着ている。とは言え、何か薄汚れている。黒いスラックスを引きずる姿も相まって、乞食か浮浪者か、という風体だった。
ベスは思わず身を固めた。叱られる、と思った瞬間、わしゃ、と手が頭に重なる。
「馬車に轢かれて死ぬことだってある。そいつは家でちゃんと見張れ。猫の外飼いは人類悪顕現案件だぞ」
わしゃ、と手が髪を乱雑に掻き毟る。その時の感触は、正直に言うと、妙だった。人間の手の感触ではない。もっと固く、鋭い。実際、その通りだった。
「気をつけます、オベロンさん」
あぁ、と応えると、黒い影……オベロンは、つまらなそうな顔でもう一方のベッドの方を見やった。があがあ、と鼾をかいて眠るエイミーを見やるなり、「またやってんのか」と呆れたように言う。
仰臥で眠るエイミーにちょうど陽の光が当たっていた。それだけなら別に普通なのだけれど、鼻の上に、すっくと何かが立っている。正確には鼻を摘まむ長い木ばさみが、呼吸の度にふらふらと動いていた。
「無駄なことを」
吐き捨てるように言うオベロン。つんつん、と木ばさみを指で突く仕草など、どう見ても小バカにしていると思う。
でも、表情そのものは至って真面目だった。眉間に寄せた皺も、結んだ口唇も、何もかも、“無駄”を捉えて離さぬ目つきである。
「ジョーに言ってくれ」エイミーを揶揄うのをやめると、オベロンはベスのベッドに深々と座り込んだ。「俺は別にシェイクスピアの他の話については知らねえんだ」
「またお話になっていたんですか」
「さっきまでな……」げんなり、とオベロンは表情を歪めた。「俺は露骨な熱意を見ると吐き気がするんだ……」
「小説のことになるとジョーって周りが見えなくなるから」
「精々駄作を積み上げていればいい。あんなものを読んで面白がるのは、三流の編集者くらいなもんだ」
ほとんど投げやりにオベロンは言った。棘のある物言いだが、ベスは特に腹を立てなかった。彼女もベッドに腰かけると、むしろ微笑ましく、隣に座る虫の羽根を生やした青年を見上げた。
なんだ、とオベロンが見下ろしてくる。険しい表情だが、なんとなく気まずそうにしている。
可愛い人だな、と思う。偏屈だけど素直な人。好青年、というわけではないけれど、なんとなく、良い人だな、とベスは思っている。
「もうお仕事に行かれるんですか」
いや、とオベロンは首を振った。いつも忙しなく
「今日は一仕事終わりだ。少しは休ませてもらう」
ぶっきらぼうに言うなり、ぱたぱたとオベロンは交互に足を上下させた。足を上げる度に、テキトーに履いたスリッパが脱げそうになったりしている。
「寝ないのか」ぼそ、とオベロンは声を漏らした。
「眠れなくて」
「歌の1つでも歌ってやる。妖精王の歌だ、多少は効き目があるだろうさ」
ベスは素直にオベロンに従うことにした。仔猫を抱いたまま布団に潜ると、オベロンはすぐに、ぼそぼそと歌を諳んじはじめた──。
※
「これはこれは、軍師殿」
朝の階がかかる空。
ねとり、と耳朶を打つ声に、司馬懿仲達は微かに意識を向けた。
よっこら、と屋根を上がってくる優男。ふるふる、と蠅の羽根を震わせたオベロンは、酷く草臥れた顔をしている。
どうぞ、と仲達は手で座るように促した。マーチ家の屋根なのだが、彼女の身振りはまるで家人のようである。そうして、それに応じてどっかりと座り込むオベロンも、図々しいことこの上無かった。
「行かなくていいのか」ふわあ、とあくび混じりに、オベロンは耳の穴に指を突っ込んだ。耳糞を穿っている。「それとも、天下の司馬懿殿がお手を煩わせるほどの敵ではないってか」
「私は以前から」仲達は、肩を竦めた。「人には恵まれているものでして」
「気楽なもんだね」
ずぼ、とオベロンが耳の穴から小指を引き抜く。途端、ぼろぼろと耳の穴から蛆が零れた。仲達は幾ばくか気がとがめた顔をしたが、すぐに表情をいつものぼんやりとした微笑に戻した。
「それで」仲達は一度、間を取った。「件の話ですが」
「どっちだ。北か、南か」
「南の方を」
わかった、と応えてから、オベロンは難しい顔をした。彼は長々と話をするとき、前もって難しい顔をする。そもそも人間の言語を喋るのが苦痛らしい。
「
「ガウェイン卿は」
「いや。彼女はハッタリが得意なタイプではない。顔に出る。アラクシュミーも同じだ。初動は俺たちで握るしかない」
「女性というのは感情的になられやすい。詮方なきこと」
「そういうアンタも今は女だろう」
くつくつと仲達は笑った。確かに、と大きく頷いて、さらさらとしたプラチナブロンドの髪を揺らした。司馬懿仲達、という名に反し、彼……というより彼女の姿かたちは、金髪白皙に碧眼という、どう見ても西洋の人間そのものだった。
「人間、死してなお妙な人生を歩むものですね」
素直な感想である。それに対し、オベロンは幾ばくか間をもってから、あぁ、と嘆息のような声で応じた。
「ともかく」あまり、オベロンはこの話題を続けたくないらしい。「“南”に関してはまだ焦る必要はないんじゃないか、というところだ。確かに危険だが、今今に事を起こそうってわけじゃない。騎士団の錬成も済んではいないんだろうよ」
仲達は、左手の指に右手の指を重ねて突き出すと、深々と頭を下げた。オベロンは特に礼を象る気もなく、ただ曖昧に頷いただけだった。彼は、色々と面倒くさがりなのだ。
「リツカには俺から伝えていいのかな」
「私から伝えておきましょう。この後会う予定なので」
「働き者だなぁ」
「あなたほどでもございませんよ、
「やめて」
「ご不快でしたかな」
にやにや、と仲達は小バカにしたように笑う。むっと顔を顰めて露骨に嫌そうにしたが、むしろ彼女はそれを面白がってる。妙に決まり悪く、オベロンは頭をかいてそっぽを向いた。「いや。いい」
「公についてはンザンビ様にもお尋ねしてみましょう」
では、と仲達は立ち上がった。ひょう、と吹いた風に揺られ、BDUの上に着こむ白衣の礼装の裾が靡く。オベロンはしゃがんだまま、その背を呆、と眺めた。
と、彼女が振り返った。なんだか照れたようにはにかみながら、言った。「オベロン様はやはり歌は名手でいらっしゃいますね」
「“天地開闢”……」
「詩才は全くでしたね。叔達が羨ましかった」
「おセンチな気分にでもなったか」
揶揄するように言いやったオベロンは、幾分か困惑した。そうですね、と応えて、仲達は黙然と陽が拓ける空を見やっている。
その背が酷く寂しげに見えるのは、多分、気のせいではない。また、か細く佇まいながら、その背に芯を感じるのも。オベロンは立ち上がった。気だるげに、わざと、のっそりと。「まぁ、俺もしょせん借り物だけどな」とそそくさと言葉を添えた。
「精々、
何か仲達は言いかけた。僅かに口を開けてから、やはりやめた、というように口を閉じた。代わりに意地の悪そうなにやにや笑いを浮かべると、えぇ、と小さく頷いて見せた。
ちゅんちゅん、と小鳥の鳴く声が耳朶を打つ。朝はもう、すぐそこまで着ている……。
年末年始ということで、5章の頭の方の投稿をしてみました。
長期休暇があるときなんかに、不定期で何話か掲載するようにしていきたいな、と思っています。次はゴールデンウィークあたりかな。
それでは、皆さま気長にお待ちいただけますと幸いでございます。