fate/little bitch ~煉鉄の小悪魔~ 作:七草探偵事務所
エリザベス・マーチは、他の姉妹たちに比べて、尊敬されるべき特質を持っていた。それは即ち、勤勉であり素直である、という点である。古式ゆかしい性質といってしまえばそうだが、彼女の場合、もう一つ愛すべき性質があった。ベス、と呼ぶ声に顔を上げた彼女は、あっと僅かに弾むように声を漏らした。かんかんと照る陽光に照らされて、街路の向こうから見知った顔が、手を振っていた。
手を振る人と、その隣に並ぶ人、どちらも良く知る間柄だ。控えめな性格なベスとしては精一杯の元気さで、彼女も手を振って名前を呼んだ。「シータさん、オベロンさん」
2人の姿は、対照的と言えば対照的だった。
その人は、まぁこの日の光の元にいるのが似合わない人だった。病的な白い肌に、どこか猫背の長躯は、なんというか
「お元気でしたか?」
にこりと微笑を一つ。自然に笑って見せるシータには、母性的なものを切に感じる。最近あまり母のマーチ夫人に会えないこともあってか、彼女を見ていると、切ない気分と温かい気分、どちらも感じる。
「またお手伝いですか。偉いですね」
「いいえ、当たり前のことですから」
「それを立派だと言うのですよ」
さらりとシータの手がベスの髪を撫でる。柔らかな手触りだった。弓の名手として名を馳せた英霊だというのに、本当に女性的なしなやかさを感じる。手櫛する指先の繊細さも何もかもに優しさという徳が揺蕩っている。彼女がどういう物語に出てきた英雄なのかベスは知らないのだけれど、一本芯の通った女性というのは伺い知れる。自尊心のある女性というのは、きっとこういう女性のことを言うのだろう……と思った。
「なんだ、また小間使いか?」他方、じろりと睨むようにするオベロン。「というか何してたんだこれ」
「草むしりです。リツカさんのお家の前、草がとても生えいていたので」
ふう、と一息。道端に積まれたしなった草々を見下ろして、ベスは少しだけ、はにかむような満足な顔をした。
──ナッシュビル中部、カンバーランド川と41号線主要道路の合流地点手前に佇む一角に、リツカがいつも使っている家がある。かつてのナッシュビル攻防戦の折、ナッシュビル中部は激戦に見舞われ大方更地と化していたのだが、偶然損傷度合いが少ない民家を占有しているという状況だ。損傷度合いが少ないとは言え雨漏りはしまくるしいつ崩落するやもしれない家によく住んでいると思う。魔術使いとしてそっちの方が都合がいい……らしいのだけれど、ベスからすれば心配の種であった。
「あの馬鹿女に言われた……わけじゃあないんだろうが」オベロンは表情に難色を示しながらも、歯切れ悪く言う。「それにしたって、なにやらせてんだ」
……オベロンの言う通り。ベスは純粋に自分の意思で、このあまり益体のない善意を行っていた。それは愚かであるかもしれないが、10代前半の気弱な少女がそのステータスなりに善意を働こうとした行いと思えば、冷笑を浴びせるのもまた愚かと言える。オベロンという人物は斜に構えている風があるが、その根っこは素直だった。
「オベロンさんは優しくて、可愛いですね」
なので、ベスはこんな感想になるし、つい喋ってしまう。自分よりはるかに偉大な人物であろう、とは思えども、なんとなく弟感を覚えるベスである。
「わかります」
「まぁ、シータさんも」
「はい、良い子です。よくわかりますよ」
……醸し出されるほんわか空気。オベロンはただただ苦み走った顔をするばかりである。彼はよく理解している。ここで「気持ち悪い」だの「クソ」だの罵声を発したところで、ほわほわ空気に転がされるのは火を見るよりも明らかだ。
──オベロンは思う。この特異点に来てからこの方、こんな扱いばかりである。何故なのか。どうしてこう、
「んで、あの女は中か?」
「はい。今は司馬懿さんと、あとンザンビさんと何かむつかしいお話をされていました」
「取り込み中か。帰るの明日だったな」
険しい顔のオベロン。「定時連絡だからな」と漏らしつつ、どかりと玄関前の石段に腰を下ろした。あんぐりと足を開いて座り込む姿に、品性の欠片もない。これで妖精王と言われても、と思うベスであるが、そういうところも可愛いと思う。
「お前もすこし休め。どうせずっと働いてたんだろう」
「でも」
「身を亡ぼす善意は、他人には迷惑だ。繊弱な身体であることを自覚するんだな」
「オベロンの言う通りですよ。身を犠牲にしては悲しむ方もいらっしゃいますから」
「はい、では」
ベスは素直に従った。ちょこなん、とオベロンの隣に座ると、オベロンは驕慢に開いていた膝を閉じた。満員電車のおやじのような仕草であったが、この場にいる面々でそれを思う人物はいなかった。
隣に座るシータのことを感じて、そうして体育座りの恰好で鬱陶しそうに太陽を眺めているオベロンを見ながら、ベスは漠と想起する。
英霊、というものは、定められた運命の中で生を営み、何事か大業を為した人々の夢の果ての姿なのだという。それは多分、各々の巡礼(ピルグリム)を経た人たちの、一つの夢の形なのだろう。
彼女は控えめな少女である。だから、例えばジョーがそうするように、彼女らの来歴を根掘り葉掘り聞き出そうということはしなかったし、またそうする勇気もない。ただ、ベスは素直な純粋さで、両隣にいる2人のことを尊敬していた。巡礼を辿った一角の人物として。また自らも、これから巡礼を辿ろうとする人間として──。
*
「やあ、大丈夫なのかい」
つと、幾分か上の方から声が降ってくる。最初は慣れない感触だったが、少しずつ、慣れてきた、と思う。はい、となるべくはきはきした声で応えつつ。オフェリア・ファムルソローネは言葉を続けた。
「まだレイシフトは当分無理ですけど、体は大分楽になりました」
車いすの上から、オフェリアは顔をあげる。そうかい、と朗らかな表情で応えるカルデアの職員に、オフェリアは、思わず品よく表情を緩める。
「車いすの使い心地、大丈夫か?」
「はい、大丈夫です。とても快適ですよ」
「なんか困ったことがあったら、言うんだぞ」
「その時は、是非」
じゃあ、と手を振って通路を歩いて行く中東系の男の後ろ姿を見送ってから、オフェリアは自走式車いすのハンドリムを転がし、えっちらおっちら、と前に進んでいく。時々フットレストから足が脱落しそうになるのを、しっかり両手で直しつつ、一路医務室を目指していく。
案外、これが疲れる。ずっと手でハンドリムを掴んでタイヤを回す作業は、数m程度なら大したことはないけれど、広大なカルデア施設内となると話は別だ。意外とバイアフリーというかノーマライゼーションの進んだ施設──国連施設だからだ!──とは言え、まだ襲撃の余韻も残る施設内は、破壊されたままの部署も残る。片付けられないままの通路なんかもある。出しっぱなしの荷物なんかもあり、車いすで長距離移動するには色々と不便な環境ではある。ほんのちょっとだけ、ダ・ヴィンチの「電動車いすなら作ろうか?」という申し出を断ったことを悔やみつつも、そんな贅沢はできない、と己に言い聞かせもしていた。それに、車いす生活は一時的なものだ。リソースを割くべき事柄ではない。
時々、ちょっと立ち止まる。タイヤ脇のブレーキを引く。かちり、と金具がタイヤを噛む感触が腕に伝わる。アームレストを支えにずり落ち始めた姿勢を治して、一旦溜息。3分ほど一休みしてから、また、車いすを漕いでいく──。
オフェリア・ファムルソローネは、元々特異点攻略部隊の中でも最精鋭部隊の1人として、の南極の大地に遥々欧州からやってきた。家格はそれにふさわしいだけのものがあり、それにふさわしい生活もまた、してきた。確かに、魔術師の大家に生まれた身として、苦しい経験は山ほどしてきた。だが、それは持てる者の苦しみであった、と今は切に思う。ただ歩く、ということすらできない不遇さは、死よりも苦しい魔術師としての訓練とは全く別の、生そのものの苦痛であった。
それでもオフェリアの表情に暗さがないのは、やはりまず、あくまで一時的なもの、という目算があるからだろう。希望があるというのは、夜の帳の先に爽やかな陽の光を感じるのにも等しい感覚がある。
そして、もう一つ──。
ふう、と一息つくまで車いすを漕いでいくと、やっとのことオフェリアは辿り着いた。通路には、段ボールなりなんなりが散乱していて歩きにくい。メディカルルームのデジタル表示はモニターに浮かんでおらず、「医務室」の張り紙がべたりとセロファンテープで張り付いている。張り紙の下に「まだ手動!」の文字。殴り書きの癖に馬鹿みたいに綺麗な文字は、ダ・ヴィンチらしいと言えばらしいと思う。
電源が通わずに久しい自動ドアは、本来パスコードを入力して入室するのだが、もちろんそんなものは今は使われていない。ハンドリムを握り続けて怠さが帯び始めた手でごちんごちん、とドアをノックすると、気の抜けたような男の声が還ってきた。
「やあ、開いてるよ」そんな声が聞こえてから、「あぁそうか」
ぎい、と無理に自動ドアを開ける音。緩慢な動作で開いたドアの隙間から覗く柿色の髪。物腰の柔らかそうな男の顔が、ほにゃりと綻ぶ。やあ、と挨拶しながら重そうにドアを引き開けると、ロマニ・アーキマンは朗らかに言った。「こんにちは、オフェリア」
こんにちは、とオフェリアも丁寧に挨拶を返す。にこにこと微笑を浮かべっぱなしのロマニは、何が嬉しいやらこくこくと首肯を繰り返していた。
「元気そうだね」
「皆さん、良くしてくださいますから」
「それは何より。じゃあ中に入ってよ」
ドアを開けると、ロマニはさっさと椅子に座って、オフェリアを待った。彼女はリムを回して医務室のベッドの横に車いすをつけると、背面ポケットから小型のスライディングボードを取り出す。アームレストのレバーを挙げてロックを解除。アームレスト本体を跳ね上げてベッドと車いすの間の隙間に差し込むと、オフェリアは慣れた動作でベッドへと自分の体を滑らせた。
すこし体の位置を調節して、ころんとベッドへ。随分見慣れたような気がする白い天井を見上げると、現在カルデアで介護・介護責任を携わるスタッフが立っていた。
「アキさん、いいかな」
「はい。オフェリアちゃん、大丈夫?」
大丈夫です、と応えて、オフェリアは静かに目を瞑る。足首やら手首、腹部や頭部に器具を装着されるのを感じながら、オフェリアは、静々と時間が過ぎるのを待った。
──オフェリア・ファムルソローネの意識が戻って、はや1か月が経とうとしている。リツカとアーチャー……クロエ、という真名だという……がレイシフトをしたのは、それから数日後。あまりリツカと喋る暇もなくカルデアでの生活に放り出されたオフェリアを待っていたのは、あまり気分の良くない事実だった。
まず。彼女の右目に宿っていた魔眼は、機能を停止していた。彼女の存在意義ですらあったものが、ただの「物」に成り果てていた。加えて身体中に張り巡らされていた魔術回路の8割が喪失し、魔術刻印も同じく機能不全である。彼女はほぼ、魔術師としては凡夫ほどに成り下がっていた。廃用症候群すれすれに疲弊した肉体はほぼ動かすことすらままならず、当初はベッド上で座位を保持するだけで精一杯であった。当然ながら食事も排泄も入浴も、全て他者の介助によって成立していた。当初は胃ろうの増設すら検討されていた。
永い眠りから目を覚ました時、自分の体がこんな状態であったことに何を感じどう思考するかは、余人の知るところではないので、言及することは避けざるを得ない。ただ述べられることは、酷い介護拒否を続けた挙句に誰とも口を聞かない日々を過ごした後、人知れずリハビリをこなし、徐々に他者を受容し始め、そうして僅かに一月という短さで現在のADLを獲得した、という事実である。8割を喪失してなお健在な魔術回路、及び魔術刻印がオフェリアという人間を賦活したというのも事実であろう。ともあれ、結果、彼女は現在の運動機能を手に入れていた。
いかばりか時間が経ったろうか。数日にも思えるし、数時間程度な気もするし、実際のところは数分ほどなような感じもある。いたって簡素な催眠暗示で意識を手放したことに幾ばくかのやるせなさは、ないでもない。ともあれ目を覚ましたオフェリアを出迎えたのは、日系人特有の童顔にほんわかした笑顔を浮かべる看護責任者だ。
「気分悪くない?」
大丈夫です、と応えつつ、ベッドのサイドレールを手で握る。側臥をとって足をベッドから降ろして、膂力で身体を持ち上げる。ベッドに端坐位になると、ちょうとロマニは正面に座っていた。表情は浮かない。いや、ロマニだけではない。その隣に、複雑な表情で腕組みするダ・ヴィンチの姿もある。
事は決した。後は、己が覚悟だけが必要なのだ、と理解した。
「結果だけ言うと」今日は、ロマニは持って回った言い方をしなかった。それでも、視線をふわふわと彷徨わせるところを見ると、やはり優柔不断は変わらないのだろう。「魔術回路の再生は認められなかった。少なからず近い将来に元通りになる可能性は極めて低い。と、判断した」
オフェリアは頷いた。その可能性は、十分想定していた。
「それでも」と続けたところが、ロマニ・アーキマンという男の弱さであって、また強さでもあった。「将来的にどうなるか、はわからない。この戦いが終わって、ファムルソローネの家に帰れば可能性もあるかもしれない。時計塔も、名家の終わりを放っておくとも思えないし」
言いながら、ロマニは顔を顰めた。自分の言いまわしに、気分を悪くしたらしい。時計塔が、オフェリアの保護を名乗り出る可能性はあるだろう。が、その“保護”が十全な生命の保全と、彼女と言う人間としての尊厳の維持にまで気を配るかと言えば、多分そんなことはない、と思い返したからだろう。
「“人形”への換装を行えば、魔術師としての将来を棄てるようなものだ。それでもいいのかい」
微動だにせず、ダ・ヴィンチが言う。彼女の物言いは、ストレートで分かりやすい。ロマニのような人柄は好ましいけれど、今のオフェリアには、このくらい素直な方が色々といい。
オフェリアは、ダ・ヴィンチと視線を合わせた。互いに視線を重ね合わせること数秒、ダ・ヴィンチは深々と嘆息を吐いた。仕方ないな、と言うようにぼりぼりと手で髪の毛をかき回す仕草は、とても世界で最も美しいであろう人間とは思えない仕草だった。
「ロマニ、確か3日後は休みだったろ」
「スケジュールは空いてる、とも言えるね」ロマニは表情をなお暗くしながらも、デスクの上のタブレット端末を確認した。「終日開いてるから置換手術は問題なく」
「じゃあその日だ。ちょうどその次の日にオルテナウスの調整が終わるし」
「いきなり?」
「そっちの方がいいだろ、ねえオフェリア?」
オフェリアは頷いた。その実、ダ・ヴィンチとロマニの会話を聞いていたわけでもなかった。ただ彼女の思考を占めていたのは、これまで歩んできた17年あまりの自分の人生と、これから続いていくかもわからない未来という不定の世界への畏れと憧憬だった。
オフェリアは、僅かに背後を意識する。医務室の奥、集中治療室に横たわる2人を意識する。1人は見知った人で、1人は喋ったこともない後輩。
──“私は、あなたたちの歩みを応援することしかできないけど……応援することはできるから”
遷延の時はもう終わった。今という時間は、先へと進むためにこそあるのだから。
*
「でもわからないね」
腕組みするンザンビは、難しそうな顔をしていた。なんとなく能天気そうな女だが、ちゃんと“悩む”という思考機序があるらしい……なんて考えるのは、さすがに失礼だろうか。司馬懿仲達はコンゴの大神を横目で見ながら、同時、思考を転がしていく。
「少なからず、相手にカルナがいることは確定というわけだ。厄介だよ、アイツ」
こつんこつん、とンザンビがテーブルの上の物体を指で突く。一抱え程もある塊は、先日の戦闘で切り落としてきた“ソウルイーター”の頭だ。頭頂部には切開痕がある。あまり愉快とは言えない呪術を行った痕跡、というわけだ。
「神殺しの槍でしたか」
「そだよ。さすがのヘラクレスも、神性特効を連打されまくっちゃ一たまりもない。一撃で十二の試練、ほとんど潰されたみたいだしね。ビーマセーナもアイツにやられたし。全力全開の俺ならまだなんとかなるかもしれないけど、今の俺じゃあネ」
肩を竦めるンザンビ。口ぶりこそ飄々としているけれど、眉を寄せる表情は、“その瞬間”を悔いているのがありありと見える。
第一次サウスカロライナ攻防戦において、突如アメリカ合衆国・連合国に現れたキャスターのサーヴァント、パールヴァティーが神造祭器、トリシューラを以て召喚した7騎のサーヴァント。その内のアーチャー、ヘラクレス。続く第二次サウスカロライナ攻防戦において、
改めて、司馬懿仲達はヘラクレスという英霊の精強たるやを自覚した。オケアノスでヘラクレスに勝てたことに、今更に感慨深さを覚える。あの場に居た全員が無茶を通して手繰り寄せた勝利という結末の偶然性に、仲達は幾分か肌を粟立たせた。最も、表情には出さないものである。ダボ袖に手を突っ込んで、彼女は自分の手をわさわさした。
「ブラフ、という可能性は」
手をにぎにぎしながら、仲達は控えめに言った。
「敵の戦力を鑑みるに、たとえ黄金の鎧を棄てたとて以前最強の一騎に変わりありません。スカサハと並び切り札をここで切ってくるとは考えにくい、とも思います」
「ブラフを貼る意味は?」
「ありません。こちらをいたずらに過剰反応させるだけで、相手に利するところは乏しいでしょう。ンザンビ様の企図とはわけが違います」
「ということは、やはり本当にカルナが来ると」
「あるいは」
仲達は続けた。じい、と集まるリツカとンザンビの視線を感じた。
「挑発、という可能性はあるかと。何者かに自分は来る、と知らせるために残したメッセージであるなら、敢えて彼らの生体情報をブラックボックス化していなかった措置にも納得は行くかと」
仲達は、その生首を見下ろした。すっかり干からびさせられ、頭骨が浮き出るほどになったソウルイーターはしっかりと顎を閉じ、歯軋りせんばかりに顰め面だ。
──第二次サウスカロライナ攻防戦以降、アメリカ合衆国が連合国に吸収される形で成立した統一アメリカ連合国が反人類史同盟に対し軍事的攻勢に出、現軍事緩衝地帯以北まで押し返せた理由は2つある。1つは、前述のヘラクレスの活躍により、純粋に同盟側が戦力を減らし、積極的攻勢に出られなかったこと。そして同時に、もう1つがンザンビの仕事であった。敵魔獣種や機械化装甲歩兵の亡骸から生体情報を読み取り、敵の動向を事前に察知。戦略的勝利を重ねることで、第二次サウスカロライナ攻防戦以降の戦闘は、ある程度アメリカの優位を保てた、という事態である。現在は敵のキャスタークラスのサーヴァントにより、生体情報を抜き取らせないように対策が施されるようになり、ンザンビと言えども容易には敵の動向を探れなくなっていた。
それが、何故か今回仕留めた魔獣種に限りそれが施されていなかった。そうして得た情報が、そろそろ始まるであろう敵勢力のナッシュビル攻勢に、カルナが居る、というものだった。
「まぁ、元からカルナが来ることは検討はついてたけどね。あれ、もしかして俺がいることもわかってたカナ?」
「情報のプロテクトを考えるならそれはないかと。こちらには優れたキャスターが2騎いることも判明しているでしょうし──何より、敵の索敵部隊は軒並み潰しています」
「でも長距離からの観測とかはありそうだケド?」
「結局は問題ありません。あまり情報に差はないでしょう……ンザンビ様が居る居ない、という点で言えば」
「そういうもんか」
とりあえず、ンザンビは安堵するように頷いた。自分の挙動が余計な真似だったか、という不安は誰しもあるものだ。主神クラスの神霊でも、というのは、仲達からすれば意外な感だが。
相変わらず、リツカは押し黙っている。いつものように思考を巡らせている、というのはあるのだろう。けれど、それが半分程度の思考であることも、直感的に理解した。あと半分の意識は……1/3程度に抑えているだろうか……カルデアの事情に傾いているはずだった。
「失礼」仲達は、腰に下げた懐中時計を取り出した。彼からすれば、時代も地域も遠く隔てた英国式の古時計だ。「リツカ様、お時間では?」
「いや、でも」
「大丈夫です。ここは私にお任せいただき、リツカ様はオフェリア様とのご歓談を」
「でもさ」
「大事な用だろ? 逢瀬より大事なことなんでないでしょ」
でも、とまだ言いかけたところで、リツカは眉を寄せた。彼女らしからぬ表情の変化も、人間らしいと言えば人間らしいか。むしろ、今まで彼女は人間らしくなかった。
「すみません、わざわざ来ていただいているのに」
「イイヨ」
リツカは立ち上がった。ンザンビに一礼して、仲達に目配せをすると、彼女は正面ホールに出た。玄関口の階段から2Fに上がった先に、彼女のプライベートルームはある。こつんこつん、とブーツが段差を駆ける音を耳朶に聞きながら、仲達は面前に座るコンゴの偉大な女神に言った。
「一服しましょうか」
「そだね」ンザンビはだらりと脱力した。「これ脱いでいい?」
これ、とは上からすっぽり羽織っているポンチョのことだろう。いいですよ、と仲達が応えるなり、彼女は勢いよく脱ぎ捨てた。
ふわふわと宙を舞いつつ、それでも自分の膝の上に折りたたむように舞い降りたところを見ると何某かの魔術を使っているのだろうか。というか。
「ふひー、暑い暑い」
のびのびと肢体を四方に伸ばすンザンビ。黒々とした艶のいい肌は、改めて彼女がアフリカに出自を持つ神霊であることを直観させる。その姿に異郷感を感じるのは、この身体の持ち主であるライネスにしろ今精神を預かっている司馬懿仲達にせよ、異なる人種に属しているからだろうか。というか。
「その」仲達は僅かに視線を逸らした。「寒そうですね」
「そんなことないけど」
不思議そうに自分の体を見るンザンビ。ならいんですけど、と独語のように呟きながら、そろそろと仲達は改めて彼女を見た。
なんというか。
ほぼ裸族なんですよね。
「なんだい、諸葛孔明を死に追いやった生ける仲達殿は、ウブでいらっしゃるのかい?」
ずい、と身を乗り出すンザンビ。近い。近いのでやめてほしい。
「一応私も妻に貞淑を誓った身ですので」
「妻何人だっけ?」
「さぁ、覚えていません。結構いましたね」
素知らぬ顔で言う仲達。朴然とした佇まいで座ってこそいるしライネスの外見でなおさらだが、結構やることはやっている男である。「貞淑もクソもないじゃないじゃん」と大仰に呆れ顔のンザンビに、仲達はとぼけるように肩を竦めた。
「女性の肌を不躾に見るのは失礼ですから。それに、私は親族ほど学がありませんで、目の前に魅力的な女性がいるとつい失礼を働いてしまうのです」
「キミのそういうとこ、嫌いじゃないよ。直情的な神様連中より人間の回りくどさは面白い」
「そのせいで南北で未だにいがみ合ってるんでしょう。目の前に人類の脅威があるのに」
「それは神様も1万年前にやらかしてるから」
ふわあ、とあくび一つ。ンザンビは一瞬遠くを見るように虚空を眺めた。1万年前、が何を言わんとしているのか仲達は知らなかったし、特に興味も無かった。それに、彼女が遠い世界に思いを馳せていたのは、本当に一瞬のことだった。すぐに今この瞬間に意識を戻すと、「そっちは、敵に関する情報を持ってるんだろう」と呑気そうなまま言った。
わずかに、仲達は思考する時間を設けた。表情は一切変わらない。ライネスの白皙の表情を不動のまま思考すること僅ミリ秒ほど、仲達は特に頓着もせずに言った。「外なる神……というそうですね」
仲達は立った。リビング裏手にある台所へと向かうと、大声を上げた。「ハンナ! お茶を頼めますか」
「外なる神、ねぇ。誰なんだろうね?」
つと、ンザンビが漏らした言葉が気になった。彼女の口ぶりは、何故か全き未知なるものへの疑念……という言いまわしとは、別な感慨を帯びているような気がした。それはなんとなく……近所の誰かに胡乱げな疑いを寄せるような、そんな野卑た情感が、あるような気がした。
さりとて、仲達が何故それを感じたのかは自分でもわからなかった。気のせい、かもしれない。
「私たちもさして大きく情報を掴んでいるわけではないんですが。こちらでアクセスできるデータベースも限られているのが現状ですから」
袖口を合わせ、両の掌をもぞもぞとさせながら、仲達は伏し目がちにンザンビを見やる。見返してくる彼女の赤い目は透き通るルビーのようでありながら、濁っても見えた。
「こっちも、よくわかってないってのが正直なところね。敵がどうしてこうも無尽蔵に兵力を調達できるのかもわかってないし」
「……塔、ないし柱、の調査もまだ?」
「ホワイトハウスに立ってる奴ね」ンザンビはお手上げ、というように肩を竦めた。「むしろそっちの方が調べはついてるんじゃないかい。あのオベロンとかいう虫、中々働き者じゃないか。エリセチャンもだけどね」
「いえ。こちらもまだ不明点が多く。ワシントンまではとても」
と、仲達はキッチンの方を一瞥した。何か言いかけたンザンビもそちらを見ると、ちょうどふくよかな黒い肌の女が身を揺すってリビングに現れたところだった。
「どうも仲達さん、お茶が入りまして」
「こちらに置いてもらって」
「リツカさんにもお持ちしてよろしいでしょうかね?」
「ええ、大丈夫です」
どうも、と礼儀正しく頭を下げる女。ハンナ、と呼ばれた彼女はちらとだけンザンビを一瞥してから、「ごゆっくりなさってください」とやはり丁寧に頭を下げた。
「どうもご丁寧に」
ンザンビはだらけた姿勢のままだ。トレーに載ったティーポットを丁寧にテーブルに並べると、ハンナは階段の方へと向かった。
「お口に合いますか」
「向こうで散々。人間の嗜好品はいいもんだからね」
皿に載ったパイの一切れを掴むと、ひょうい、と口に放り込む。むしゃむしゃと頬を膨らませて咀嚼すると、ンザンビはそれなりに満足したような表情だ。
「北部の人間も黒人奴隷を持ってるんだネ」
仲達がカップに注いだ紅茶を飲みながら、ンザンビはそんなことを言う。一瞬手を停めた仲達は、ンザンビの方を仰ぎ見ようとして、やめた。その代わり自分のカップにほかほかとした紅茶を注ぎながら口にした。
「ハンナはご自分の意思でマーチ家の腰元を仕事に選んでいるようですね」
「自由意志に基づく労働というわけだ。自由市民、結構結構」
からからと笑うンザンビ。声色に棘はなく、いたって彼女らしい快活さだ。幾分か安堵を感じながら、仲達はやはり表情も変えなかった。「詳しくは知りませんが」
ンザンビが黒人の姿をとっているのは、アフリカの大地に祀ろう神霊が人の形を摂るに際し、最もふさわしい姿としての現れということなのだろう。その意味で便宜的な姿かたちと言えなくはないが、同時に、彼女がその地域での主神であり慈悲深き地母神的な性格を持った神であることも事実だ。実際、こうして接するンザンビの振舞は、放蕩な風貌とは違って面倒見がいいところがある。
──大航海時代から続く「人類の踏破の歴史」は、同時に欧州の人間による、その他の世界の人間の嗜虐の歴史であると表現することは、間違ってはいまい。それこそンザンビの名を有名たらしめるのは、ハイチに端を発するブードゥー教によるところが大きい。そう考えれば、遠くに思えるアフリカの大地からンザンビがこのアメリカに、しかも南北戦争の時代に呼ばれたのは、確かな縁起があったということなのだろう。それを思えば、ンザンビが南部アメリカに肩入れをしているのは奇跡といえば奇跡だろう。まかり間違えば、人類を滅ぼす側に回ってもおかしくはなかった。
と、思う仲達であった。ともかく、ンザンビは今ご満悦顔でパイを頬張っている。それで良かった。
「パールヴァティーちゃんが欲しいのは、そんな自由意志で動いて戦える、戦士たちというわけだよ。自尊心のある気高い戦士たちがね」
「捨て石程度の働きはできましょう」
「過小評価だね。俺だって神様の端くれさ。キミらがどんな旅をしてきたのかは、なんとなく視える。その上での評価だよ」
ンザンビは相変わらず気持ちのいい表情だ。粛々と頷いて、仲達は静かに嘆息を吐いた。
正直に言うと、彼はそんなに労働というものが好きではなかった。悠々自適にのんびりと暮らして、厄介事とは距離を取っておきたいところである。結果的に彼の人生は厄介事に首を突っ込みまくったけれど、本当の安寧を求めた結果の末路なんだぞ、とだけは念を押したい。
──司馬懿。字は仲達。父、司馬防の次男として生まれ、三国時代は魏に官職を得た。仕事はそつなくこなすのが信条だが、別にそこに情熱とかそういうのはない。彼にあるのはただ静かに安寧の中で暮らしたい、という草食動物じみたものだけだが。
「では」
ひやりと赤い目を見返す。物腰は相変わらず情動の色彩を帯びない。
──その草食動物みたいな痩せた本能の裏に、悍ましいまでの激情を帯びた狼の如き理性があることは、彼自身がよくよく自覚していた。
「ご期待に沿う活躍をご覧にいれましょう」
いったんこれで再投稿は終了になります。
またしばらく休止期間が続くと思います。大変お待たせすることになるかと思いますが、気を長くしてお待ちいただけましたら幸いです。