の、否定案
気持ちが悪い。理解ができない。
なんだ? あの女は。なんなのだ、あの童子共は?
全て知った上で自爆に付き合ったのか? あの愚かな病人の心中に?
あの半死人の言を間に受けて、健康な肉体を持った常人が寿命を投げ捨てたと。
まだ道理も知らぬ幼子が、己の欲を封じ両親に殉じたと。
あんな狂人の妄執に、残りの人生全てを……?
あり得ない。
だが状況がソレを肯定している。
あの妻子は
……完全に理解の外だ。
あの女、気が触れているようには見えなかったが。
あの気狂いの集団である鬼殺隊の長だ。
その妻子もまともではなかったという訳か?
悍しい、唯の人相手に軽い恐怖すら覚える。
あぁ、気持ちが悪い。
◇ ◇ ◇
死とは恐ろしいものだ。 耐え難いものだ。 鬱陶しいものだ。
常に人の隣に在り、その存在を主張する。
その『死』からどう遠ざかるかが人生というものだろう。
金を稼ぐのも、出世を望むのも、美味い飯を食うのも、酒に呑まれるのも、快楽に溺れるのも。
全ては、死を忘れる為では無いのか?
たとえ認識の上からだけでも、遠ざけるためではないのか。
何かに注力している間は、思考から『死』を追い出せる。意識をせずに済む。
自然災害と同じことだ。普段から気にしていては、日銭を稼ぐことすらままならない。
巻き込まれるのが恐ろしくとも、金がなければどの道死んでしまう。
だから。
善良に慎ましく日々を過ごすことで、『自分はこんなにも正しく生きたのだから』と己を誤魔化し、いつか終わる恐怖から逃れようとする。
それが人生だ。
臭い物に蓋をする、などという
その
恐怖から逃れるために、耳を塞ぎ、口を閉じ、見て見ぬ振りをする。
そうして、暗闇の中をただ1人彷徨う。
それこそが人生であり、それに縛られるのが人というものだろう。
そう、私は違う。 私は死を克服できる。
死後の世界など、誰もが観測などしていないというのに。神も仏も居ないというのに。
善良に生きれば、死後が保証されるなどと。馬鹿馬鹿しい。
『死』は『終わり』だ。
忌々しい記憶。……病床に伏せていた頃から知ってはいたが、この千年で確信した。
死ねば、終わりだ。
「死んでもこの恨み、晴らさずにおけようか」
そう言った者を多く見た。だが結果はどうだ?
私を呪う怨霊など居ない。
生まれ変わりなど見たことがない。
終わった生に続きなど無いのだ。
脳が無くなれば思考は潰える。心臓が無くなれば血肉は腐る。
それで人は
なればこそ、私は増やしている。
終わらない為に、続けるために、『私』が『私』のままで変わらず在る為に。
このような芸当が可能なのも、私の肉体が鬼だからだ。人間を超越した存在だからだ。
その備えがあるからこそ、爆発に呑まれようとも思考を絶やさず、死なない。
そしてもうすぐに、太陽すら克服するだろう。
私は常に、この世で死から最も遠い場所に居る。
私に
こんな感じだったと思います。
無惨様的には仇討ちとか、誰かの為に命を投げ出す行為が意味不明だそうなので。
お館様に対し、「妻子に黙って無理心中したの!?」じゃなくて
妻子に対し、「なんで心中を承諾したの!?」が正解だと。