Muv-Luv Alternative The Phantom Cemeter(改稿版) 作:オルタネイティヴ第Ⅵ計画
Episode11:伝えられた真実
2001年10月27日(土)10:40
横浜基地の地下フロアを、A-01部隊――伊隅ヴァルキリーズの面々が歩いていた。
特別模擬戦闘演習が終わってから、まだ一時間と経っていない。
強化装備を脱ぎ、シャワーを浴び、身支度を整えるだけで、夕呼に指定された集合時刻は目前に迫っていた。
彼女たちは、ブリーフィングルームへと続く廊下を無言で進んでいた。
靴音だけが、妙にはっきりと床に響く。
いつであれば水月が冗談を飛ばし、誰かが応じるはずなのに、今日は誰も口を開こうとしない。
普段なら多少の冗談や軽口が飛び交うヴァルキリーズだが、今日は……違った。
いや、厳密には今日だけではない……先日の基地襲撃以来、部隊にまとわりつく重苦しさが消えた日はなかった。
なかでも今日は、その沈黙が一段と深い。
まるで誰かの葬儀に向かっているかのようだった。
原因の一つは、先日の基地襲撃事件で味わった惨敗だ。
とりわけ水月と茜の焦燥は目に見えるほど強く、周囲が声をかけることさえためらうようになっていた。
本人たちに悪意はなくとも、その苛立ちは少しずつ部隊全体へ伝わっていたのである。
そして、先ほどの特別模擬戦闘演習が、その傷に新たな痛みを重ねた。
夕呼から突然命じられた、データ収集を目的とする模擬戦。
当初、彼女たちは副司令の気まぐれな実験の一つだと考えていた。
夕呼が常人には理解しがたい研究や試験を行うのは、今に始まったことではない。
つい先日などは、接待用と称するA型軍装の試着まで命じられたほどだ。
だが、蓋を開けてみれば、演習の内容は先日の基地襲撃をなぞるものだった。
敵機役は夕呼が用意した不知火Extra。
相手は一機だけだったというのに、彼女たちの連携はまたしても崩されてしまった。
基地襲撃後には入念なデブリーフィングを重ね、同じ状況で戦う場合の対策も考えていた。
二度と同じ過ちは繰り返さない――そのつもりだった。
実際、演習は施設損害五割以上でも全機撃破でも終わっていない。
定められた敗北条件には達する前に、夕呼が打ち切りを命じたのだ。
完膚なきまでに、徹底的に……そう感じるには十分だった。
宗像機に続き柏木機、茜の機体、そして隊長のみちるの機体まで次々と戦闘不能にされ、指揮系統は寸断された。
前の襲撃と同じく跳躍ユニットを狙い撃たれた機体もあれば、模擬判定で大破とされた機体もある。
倒されたのは数機にすぎなくとも、残る者たちは立て直す糸口を見つけられなかった。
その事実が、彼女たちの心……とりわけA-01部隊としての誇りを、容赦なく傷つけた。
そして何より、これまで積み重ねてきた自信を揺るがした。
だが彼女たちを最も動揺させたのは、不知火Extraの衛士と先日の所属不明機の衛士が、同一人物であるらしいということだった。
いや、もはや疑っている者などいなかった。
あの不知火Extraを操った衛士は、間違いなくあの所属不明機の衛士だ……と。
戦術機は思考制御が介在する兵器であるため、一挙手一投足……歩行の癖一つにも、衛士の思考や判断が現れる。
まして高速機動や射撃の間合いとなれば、その違いはさらに明白になる。
所属不明機が見せた、常識を踏みにじるような戦術機動を、彼女たちは忘れられなかった。
その軌跡、加速の癖、攻撃に移る刹那の判断までが、目に焼き付いていた。
恐らく……いや、少なくとも彼女たちの知る限り、あれほどの機動を再現できる衛士は、世界にただ一人しかいない。
同じ戦場に立つ衛士だからこそ……その一致を見過ごすことはできなかった。
そこで、一つの疑問が生じる。
何故、あの所属不明機の衛士が、夕呼の用意した模擬戦に参加していたのか……。
みちるは胸の奥に残る違和感を、再びたぐり寄せた。
(あの基地襲撃事件自体、副司令の茶番だった可能性は高い……副司令の行動は常人には計り知れない。きっと何かしらの意図があって、あのようなことをなさったのだろう――でも、あの時の副司令は確かに本気で怒っていた……はずだ。まさか……あれすら芝居だったのか?いや、副司令ならあり得る話だが……そこまでする必要があったのか?何より……この胸につかえるものは一体何なのだ……)
考えに沈むみちるをよそに、ブリーフィングルームの扉はすぐそこまで迫っていた。
そこで一行は、CP将校の遥と出会った。
「あ、大尉……」
「涼宮か……」
遥は、どこか気まずそうな表情でみちるに声をかけた。
みちるはそれに気づき、何か言葉を返さなければと思った。
だが、口から出たのは相手の苗字だけだった。
遥の視線がわずかに下がる。
口元が何かを言いかけた形になり、それきり閉ざされた。
それを見て、みちるは言葉を選び損ねたことを悟った。
(何ともまぁ情けない……)
みちるは胸の内で、自分の不器用さを叱った。
遥が合流し、ようやく全員が揃ったヴァルキリーズは、そのままブリーフィングルームへ到着した。
みちるは深く息を吸い、表情を引き締めてから扉を開けた。
「あぁ、来たわね」
既に室内にいた夕呼が、振り向いて声をかけた。
「副司令!?遅くなって申し訳ありませんでした!」
みちるは反射的に謝罪し、敬礼した。
ほかの隊員たちも、それに倣う。
「はいはい、敬礼はいいっていつも言ってるでしょう?別に遅れてないわよ、あたしが早かっただけ」
それにしても、これは珍しい……と誰もが思った。
夕呼が時間を守るどころか……集合時刻より早く待っているなど滅多にない。
その事実が、かえって嫌な予感を強めた……。
そして、その予感は間もなく別の形で的中する。
みちるは、夕呼の少し後ろに見知らぬ男が立っていることに気づいた。
身に着けた軍服の階級章は、少佐を示している。
まだ若い顔立ちとは裏腹に、立ち姿には隙がなかった。
「副司令、隣の方は?」
「まずはいいから、皆部屋に入って頂戴。話はそれからよ」
「了解しました」
全員が入室し、夕呼と見知らぬ少佐の前で姿勢を正した。
みちるが代表して、改めて問いかける。
「改めて副司令、隣の方は……?」
相手への敬語を崩さなかったのは、階級章が自分より上位の少佐を示していたからだ。
「紹介するわ。あたし直属の副官で、特務に就いている白銀よ」
「白銀武少佐だ。よろしく頼む」
「敬礼!」
みちるの号令に、ヴァルキリーズ全員が敬礼する。
武が答礼を終えると、彼女たちも手を下ろした。
その様子を確認してから、夕呼は口を開いた。
「まずは模擬戦お疲れ様。まぁ、あたしの望んだとおりの結果になってくれてよかったわ」
予想外の言葉に、ヴァルキリーズの面々は表情をこわばらせた。
思わず睨みつけるような目を向けた者すらいる。
自分たちにとっては、命を賭けたはずの戦いの延長なのだ。
その敗北を、あたかも予定どおりだったと告げられたのである。
「そんな怖い顔をしないで頂戴。あの模擬戦で万に一つ、あんたたちが勝てる可能性なんてなかったんだから。それこそ、お日様が西からのぼるようなことがあってもね」
「……副司令。それはどういうことですか?」
みちるは一歩前に出た。
声音こそ抑えていたが、問いには怒りがにじんでいた。
「あら、伊隅……そのまんまの意味よ?白銀相手に勝とうなんて、あんたたちじゃ十年どころか、百年は早いわね」
その一言に、隊員たちの視線が一斉に武へ集まった。
自分たちと同年代か、それより年若くさえ見える少佐が、先ほどあの戦術機動を見せた衛士だというのか。
しかも、夕呼は先日の襲撃との関わりまで、暗に認めたように聞こえた。
みちるも、思わず武の横顔を見つめた。
(この少年のような少佐が、あの戦術機動の持ち主だというのか……何より若い。私よりもずっと……柏木たちと同じくらいだろうか――その歳で少佐、しかも副司令の副官とは、並大抵の人物ではあるまい。しかし……考えれば考えるほど分からない。副司令は何を考えてあの襲撃を……そして何故、今になってそれを明かそうとしている……?)
みちるが答えを探している、まさにその時だった。
「どういうことですか!副司令!?」
「速瀬!?」
堪えきれずに声を荒らげたのは、水月だった。
みちるは驚き、思わず振り返る。
ここ数日の水月は、明らかに平静を失っていた。
所属不明機に完敗したあの日以来、彼女の表情からは余裕が消えていた。
ただ不機嫌になったというだけではない。
自分の技量を信じていた水月にとって、何一つできずに敗れた事実は、それほど耐え難かったのだ。
水月はもともと、感情を真っすぐに表へ出す性格だ。
だからこそ、悔しさを胸の奥に押し込めておくことができなかった。
そこへ今日の模擬戦で、ようやく塞がりかけた傷を抉られた。
さらに、その間の無理な訓練が疲労を積み重ねていた。
襲撃以来、ヴァルキリーズはあの不明機の機動を再現しようと、シミュレータに何度も乗り込んでいた。
しかし、思い通りにはいかない。
自分たちの知る操作の延長に、あの動きは存在しなかった。
できない理由さえ分からないことが、何より悔しかった。
それでも彼女たちは、A-01の衛士としての矜持を捨てられなかった。
何としても、あの機動の正体を突き止めたい。
とりわけ水月と茜は、意地になって訓練を重ねていた。
食事や休息の時間さえ惜しむほどの勢いで。
これ以上続ければ身体だけでなく判断力まで鈍ると、みちるは危惧した。
何度も諫めたが、二人は耳を貸そうとしなかった。
疲労と焦りは、少しずつ心をすり減らしていく。
そこに、夕呼の不用意とも思える言葉が重なった。
目の前にいる少佐が、あの衛士かもしれない。
水月の感情は、ついに限界を越えた。
「どういうことって?」
知らぬ顔で返す夕呼に、水月の眉がつり上がる。
「どうして先日の所属不明機の衛士がここにいるんですか!?」
「口を慎め、速瀬中尉!」
「だって大尉!この前の不明機の機動とそっくりだったんですよ!?」
「そうです!なんで少佐があの機動をしてるんですかッ!?大尉は気にならないんですか!?」
声を荒らげた水月を、みちるが制止する。
しかし、その声は届かない。
水月に続き、茜まで抑えていた苛立ちを爆発させた。
「それは私も思った!だが、だからと言って階級が上の者に対して、無礼を働いてよい理由には決してならん!一旦落ち着くんだ二人とも!」
みちるは二人を鋭く見据えて、もう一度たしなめた。
正論を突きつけられ、水月はようやく口を閉じた。
だが握った拳は解けず、その視線も武から離れない。
茜も唇を引き結び、悔しさを飲み込むように俯いていた。
それを見て取った夕呼が、ゆっくりと口を開いた。
「……ふーん。やっぱり分かるもんなのね――まず、あんたたちの疑問から答えましょう。皆、思ってるわよね?どうして白銀の戦術機動が、先日の基地襲撃事件の戦術機と同じなのかということに」
みちるが小さく頷いた。
ほかの隊員たちも、息を詰めて続きを待つ。
「本来は
「「「ッ!?」」」
一瞬、室内から音が消えた。
空調の低い唸りだけが、沈黙の中でやけに大きく感じられた。
予想していなかったわけではない。
だが、当人の口から告げられると、その意味はまるで違って聞こえた。
それは単なる敗北の説明ではない。
自分たちが向けていた怒りの行き先さえ、揺るがす告白だった。
「……副司令、何故そのようなことを?」
押し潰されそうな沈黙の中で、みちるだけが声を絞り出した。
問いかけるその目には、軍人としての困惑と、部下を預かる者の怒りが同居していた。
「この横浜基地は、対BETA戦の最前線よ。それなのに基地の空気は弛んでいた。あんたたちならこれだけでも充分わかるんじゃない?」
「……」
夕呼の説明に、みちるは胸の奥を刺されたような気がした。
納得したくはない。
しかし、思い当たる節が多すぎた。
ここは国連軍の基地だ。
国連軍は前線国家と密接に連携し、対BETA戦に臨む。
だからこそ、その将兵には常在戦場の覚悟が求められる。
では、横浜基地はどうだったか。
日本帝国の一角、しかも旧横浜ハイヴの跡地に建設された重要拠点。
基地が極秘計画の中枢にあるという噂は、内部でもまことしやかに囁かれていた。
実際には、ここはオルタネイティヴⅣの中枢基地である。
だが、その重要性に比して、日々の警戒意識は十分とは言えなかった。
BETAとの防衛線から距離があることが、いつしか根拠のない安心感を生んでいた。
それが、対応の遅れという形で表に出た。
先日の基地襲撃事件が、何よりの証拠だった。
警報が鳴ってから迎撃部隊の出撃までに、十数分を要した。
基地内では命令を待つ職員が右往左往し、情報伝達にも混乱が生じていた。
みちるたちは、その様子を自分の目で見ている。
普段なら頼もしい整備兵たちですら、あの日は余裕を失っていた。
「だからって……」
茜の声には、怒りよりも戸惑いが色濃くにじんでいた。
「人は目の当たりにした事実しか信じようとはしない。今この基地に必要なのは有事があったということ実だけなのよ。あんたたちはいいわ。既に実戦を経験した部隊だもの。でもね、この基地の職員は実戦には出ない。だからこそ事実が必要だったのよ。この基地は後方じゃない、最前線なんだっていう事実がね」
誰もすぐには言葉を返せなかった。
みちるは唇を引き結び、水月は納得できないというように拳を握りしめた。
武だけは、その光景を静かに見つめていた。
まっすぐに彼女たちを見ることが、せめてもの償いだと思っていた。
そして武は、胸の奥で小さく息をついた。
(本当の経緯まで明かすわけにはいかない。けれど、襲撃を教訓として受け止めてもらう必要はある……そうしなければ……伊隅大尉たちには、気を引き締めるだけじゃ足りない。覚悟してもらわないと、何を学んでも戦場で生き残れない。あの人たちにまた死んでほしくはないんだ……)
武は当初、基地襲撃事件の詳細をA-01には伏せるつもりでいた。
しかし、夕呼と相談した結果、少なくとも襲撃機の衛士が自分であることは明かすと決めた。
夕呼が襲撃を初めから命じていたわけではない。
その事実だけは、ここにいる隊員たちには伏せられていた。
八咫烏を今後の計画で使う以上、あの機体の存在はいずれ表に出ることになる。
その時、何も知らされていなかった彼女たちが再び裏切られたと感じることは避けたかった。
だからこそ、今のうちに説明できる範囲を示す意味があった。
今の彼女たちに必要なのは、傷ついた矜持を守ることではない。
自分たちの弱点を見据え、互いに支え合いながら乗り越える力だった。
A-01は、その性質上、いずれハイヴ攻略戦へ投入される。
そこで生き残るためには、今以上の練度と判断力が必要になるだろう。
彼女たちは高い潜在能力を持っている。
武は、それを誰よりもよく知っていた。
だからこそ、もう一度鍛え直したかった。
それは自分の計画のためだけではない。
何度も命を預け、何度も失ってきた先輩たちのためでもあった。
あえて敗北と向き合わせることも、今なら許されると武は考えていた。
現実の対BETA戦での敗北は、取り返しのつかない死に直結する。
今回、代償として残るのは悔しさと傷ついた自尊心だけだ――そう自分に言い聞かせるしかなかった。
それでも武は、胸の奥にためらいを残していた。
必要なことだと割り切るには、相手を知りすぎていたのだ。
苦い思いは、消えてくれなかった。
自分を育ててくれた先輩たちを、もう一度傷つけることになったからだ。
しかも、どこまで真相を話すべきか、直前まで迷っていた。
皆を生き残らせることが、武の大前提だった。
そのためには、必要な情報を彼女たちにも渡すべきだろう。
だが、すべてを一度に語ればよいというものでもない。
恐怖や疑いで判断を鈍らせては、かえって彼女たちを危険に晒す。
ほんの一瞬の迷いが、人の命を奪うことを、武は嫌というほど知っていた。
だからこそ、言葉を選ばなければならなかった。
そんなことを考える自分を、武はどこかガキ臭いと感じていた。
武はとうに罪を背負う覚悟を決めていた。
そして夕呼もまた、違う形で同じ覚悟を持っていた。
選んだ手段が正しかったと、今この場で証明できるわけではない。
それでも二人は、取り返しがつかなくなる前に動くしかなかった。
二人に共通していたのは、汚れ役をほかの誰かへ押しつけたくないという思いだ。
清も濁も、功も罪も引き受け、それでも先へ進む。
二人はその道を選んでいた。
理由は、決して高尚な理想だけではない。
武も夕呼も、BETAが来る以前の世界にあった、出鱈目で理不尽で、それでも醜く美しい人間の営みを愛していた。
武はその思いを、改めて胸に刻んだ。
やや横道に逸れたが、話を元に戻してみちるはと言うと……。
(副司令のおっしゃる通りだ。この基地は確かに弛んでいた……いや、私たちも同じだ。たまたま訓練のために強化装備を着ていたからこそ出撃できた。だが、それでも対応が遅れたのは事実……私たちも、襲撃など起こるはずがないと高を括っていた。副司令はそこを見抜いておられたのか……)
否定しようのない事実が、重く胸に残った。
「わかりました、副司令。納得できないことではありません」
「大尉!」
「さすが伊隅ね。物分かりが良くて助かるわ」
茜はなおも言い募ろうとしたが、夕呼の声に遮られた。
みちるもすべてを容認したわけではない。
ただ、もう一つ確かめなければならないことがあった。
「……では副司令。あの機体はなんなのですか?あの戦術機動についても納得しろとおっしゃるのですか?」
みちるは隊員たちが抱く、もう一つの疑問を口にした。
答えが返ってくるとは思っていなかった。
だが夕呼は、あっさりと言い切った。
「あれはあたしの設計した先進型戦術機の試作機よ」
武と夕呼は相談して……八咫烏をオルタネイティヴⅣの研究成果として扱うと決めていた。
それは機体の出自を隠すための、対外的な説明だった。
機体の出自をそのまま明かせない以上、身内にも同じ説明を通す必要があった。
その方便が、後に重要な意味を持つことになる。
「では、あの戦術機動はあの機体の性能だと?」
「それもあるわ。でも根本はそこじゃない……その説明のために白銀がここにいるのよ。まぁ、あんたたちとの顔合わせという意味もあるけどね」
「……白銀少佐が?」
みちるの問いに、夕呼は頷いた。
「そうよ――あの戦術機動はね、XM3っていう白銀の考案した、戦術機用新OSの賜物なのよ」
「エクセムスリー?」
ようやく、今日の本題が姿を現した。
「白銀。解説してちょうだい」
「はい」
武は映写機を起動し、スクリーンにXM3の概念図を投影した。
整然と並ぶ制御項目を前に、水月は先ほどの不知火Extraの動きを思い起こす。
常識では不可能に思えたあの急制動に、初めて手掛かりが示されたのだ。
まず、従来の戦術機用OSが衛士の操作にどう応えるのかを整理する。
その上でXM3をオルタネイティヴⅣの研究成果として紹介した。
説明はやがて、コンボ、キャンセル、そして先行入力という三つの要素へ進んでいく。
「つまりXM3の核は、よく使う連続機動を一つの操作にまとめるコンボと、開始した動作を途中で切り替えるキャンセルだ。そこに先行入力が加わることで、動作を終えてから次の指示を出すという無駄を減らせる。要は機体の反応を、衛士の判断に少しでも近づけるための仕組みだ」
「コンボ……」
水月が、初めて聞く単語を小さく繰り返した。
「だが、これだけでは不十分だ」
「というのは?」
ヴァルキリーズの面々は、操作を簡略化するという意味では理解できた。
だが、武がそれだけでは不十分だと言う理由までは、まだ見えていなかった。
「これらを効率的に使うためには、今度は先行入力が必要になる」
「先行入力……ですか?」
「あぁ、それを今から解説する」
従来のOSは、蓄積情報……衛士の操作や癖から得られる統計的な情報をもとに、次の動きを予測しながら機体を制御する。
だがXM3では、連続動作の途中でも衛士の新たな指示を受け付け、優先順位を切り替えられる。
並列処理装置を活かした制御が、それを支えていた。
コンボ、キャンセル、先行入力。
武は、それらを組み合わせることで、衛士の思考と機体の反応の間にある遅れを縮めようとしていた。
それが、新OS・XM3の狙いだった。
一通りの説明を終えると、武は隊員たちの顔を見渡した。
遥を含め、全員が難しい表情でスクリーンを見つめている。
だが、それは理解できないからではなかった。
できることの多さを知ったからこそ、彼女たちは容易に言葉を発せなかったのだ。
やがて誰かが小さく息を吐いた。
重く澱んでいた空気が、少しずつ別の熱へと変わっていった。
水月もまた、真剣な眼差しでスクリーンを追っていた。
悔しさの源だった機動が、今は自分たちにも届く技術として説明されている。
最初に武が声をかけたのは、隊長のみちるだった。
「どうだ?伊隅大尉」
「はっ。驚きを通り越して感激の一言です」
「感激?」
以前の世界では、武がA-01の隊員たちにXM3を直接解説する機会はなかった。
それだけに、みちるの「感激」という言葉が、思いもよらず胸に響いた。
「この新OSによって、衛士の前線での戦術機動は飛躍的に向上するでしょう。それと同時に衛士の損耗率も低下するはずです。このOSを作って頂いたことに、一衛士として感謝致します」
「……」
武は、もともと褒められると調子に乗りやすい性格だった。
まして相手は、主観時間では何十年も会っていなかった、尊敬すべきA-01の先輩たちである。
武は一瞬言葉を失い、やがて少し頬を赤くすると、照れ隠しのように指で頬を掻いた。
視線は、いつの間にかスクリーンの方へ逃げていた。
その姿に、水月たちは思わず顔を見合わせた。
不覚にも少し可愛い……そんな感想が胸をよぎる。
年齢にそぐわない威圧感をまとっていた少佐が、初めて歳相応の少年のような表情を見せたのだ。
その落差がおかしくもあり、どこか親しみ深くもあった。
つい先ほどまで武に反発していた水月と茜の表情からも、この仕草……思いがけない人間味によって、わずかに硬さが消えていた。
誰かが笑いを堪えようと、肩を震わせた。
最初に耐えきれなくなったのは遥だった。
その小さな笑い声が伝染し、気づけば室内は久しぶりの笑いに包まれていた。
みちるも頬を緩めながら、ふと思った。
(もしかしたら少佐は、自身の作られたXM3が受け入れてもらえるか心配だったのかもしれないな……)
笑い声を聞きながら、武もまた胸の奥に懐かしさを覚えた。
(懐かしいなぁ……)
それは、長い戦いの末に手放してしまったはずの、ささやかな時間だった。
だが、いつまでも浸っているわけにはいかない。
武はわざと大きく咳払いし、指揮官の顔を取り戻した。
「おほんッ!まぁ俺は発案しただけで、形にしたのは霞や副司令なんだがな――それでだ。ここからが本題だ。貴様らA-01には、このXM3の宣伝をしてもらいたい」
A-01の面々は、切り替えの早さでも一流だった。
笑みを収め、すぐさま武の言葉に意識を向ける。
しかし「宣伝」……その単語には、みちるも首を傾げた。
「……宣伝、でありますか?」
XM3は八咫烏と同じく、オルタネイティヴⅣの成果として公表する予定だった。
以前の世界なら、武は一刻も早く……すべての戦術機にXM3を搭載したいと願っただろう。
今も、その気持ち自体が変わったわけではない。
だが今回は、導入を急ぐだけでは足りなかった。
より大事な願い……皆を生き残らせるためには、性能を実証し、その使い方を教えられる部隊を先に育てる必要がある。
何よりも優先するのは、オルタネイティヴⅣの完遂と仲間たちの生存。
それでも、一日でも普及が遅れれば、その分だけ救えない命があるかもしれない。
武は、その矛盾から目を背けないと決めていた。
では、最初に手をつけるべきことは何か。
武が出した答えは、A-01をXM3の実証・教導部隊として育て、その成果を広く示す……というものだった。
「――そうだ。要は貴様らにXM3の教導部隊を務めてもらう……ということだ。これから約二週間、貴様らにはXM3を徹底的に習得してもらう。訓練……というよりかは……猛特訓になるだろうな。そして教官は俺が務める」
「それは……願ってもないことですが……」
「まぁ、詳細はいずれ話してやる……必ずな。兎に角今は訓練のことだけを優先して考えておけ、いいな?」
「はっ!」
武の言葉には、遠回しながらもNeed not know……という線引きが含まれていた。
しかし同時に、いずれ説明すると約束している。
みちるは、その二つの言葉の間にある事情を量りかねた。
それでも、軍人としての本分が、今は命令を受け入れるべきだと告げていた。
本心を言えば、武は彼女たちに可能な限りのことを打ち明けたかった。
未来から来たという真実までは無理でも……これから何が起こり得るかだけは伝えたい。
例えば、十一月十一日に……新潟へBETAが上陸する可能性があること。
その事態を見据えて訓練するのだと説明できれば、彼女たちの覚悟も違うだろう。
知る権利があるのではないか……武には、そう思えてならなかった。
だが、目の前にいるのは、この世界を生きてきた彼女たちだ。
決して、武が知る以前の世界の彼女たちと同じではない。
過去の仲間を重ねて見ているだけではないかと、武自身が自分を疑うこともあった。
それでも、守りたいという気持ちだけは揺らがない。
だからこそ、言えないことがもどかしかった。
以前のように、もっと気軽に笑い合いたい……そんな願いさえ胸の奥には残っている。
だが今の武は、それを甘えとして押し殺し……心の奥にそっと鍵をかけていた。
「今後の予定についてだが、副司令……よろしいですか?」
「ええ」
夕呼が頷くのを確認し、武は今後の予定を告げた。
「今日はこれからXM3についてのさらなる詳細を説明する――要は座学だ……だが座学だからと言って侮るな。XM3の性質そのものを理解しなければ意味はない。俺が貴様らに求めるのは完璧なXM3の習得だ。妥協はしないぞ――そして明日からについてだが……本格的にシミュレータでの訓練を開始する。本来は休日なんだが、今は何より時間が惜しい。なのですまんが休日返上で訓練だ――速瀬中尉、涼宮少尉……嬉しそうだな?」
「願ってもないことです!」
「私たちは一刻も早くあの戦術機動を身につけたいんです!」
水月も茜も、まだ心の整理がついたわけではない。
目の前の少佐が、あの所属不明機を操っていたと知ったばかりなのだ。
その事実は、今も複雑な感情を呼び起こしていた。
だが、その圧倒的な機動を見せた張本人が……これから自分たちを教えてくれるという。
悔しさは消えない。
それでも、彼女たちの瞳には確かな熱が戻り始めていた。
「威勢がいいのは大変結構……あぁ、そうだ。貴様らの実機の修理が完了次第、市街地や演習場での実機訓練もするからそのつもりでいろ。シミュレータと実機訓練を隔日で毎日行う。当面はこんなものだ。何か質問は?」
誰からも質問は出なかった。
「よし。ではこれからXM3の座学を行うぞ」
皆で生き残るという最大の目的のために、武はもう一度スクリーンへ向き直った。
彼女たちの視線を受け止めながら、XM3の講義を始めた。
その背後で水月は、ようやく握りしめていた拳を解いた。
悔しさが消えたわけではない。
ただ、次にすべきことが見え始めていた――。