鬼滅の波紋疾走 JOJO'S BIZARRE ADVENTURE PartEX Demon Slayer 作:ドM
時は少し遡り、那田蜘蛛山にて……。
「冨岡さん、貴方は血判書に署名しないのですか?」
「もう書いた」
「え、まだ筆すら持って」
「もう書いている」
「……」
現在、柱達は奥側から伊黒、不死川、悲鳴嶼、胡蝶、時透、煉獄、甘露寺、宇髄、冨岡の順番で一列に並んで産屋敷と二人の娘に向かい合って跪いている。
「お館さ……」
不死川が産屋敷耀哉に何かを言おうとしたが、すぐに口を閉じた。
産屋敷は微笑を浮かべたまま、人差し指を口元に寄せている。『静かに』というサインだ。片膝をついて頭を垂れる柱達は、冨岡と時透を除き何か言いたげな表情だが、その動作一つで例外なく沈黙した。
(この人が鬼殺隊の頭領、ウブヤシキ・カガヤさん)
ジョジョは、ロープの首飾りを付けた鎹鴉から聞いた"お館様"の名を思い出す。
(ひどく病に浸食されている……。歩くのもやっとだろうに、堂々とした立ち姿だ。それにハンドサイン一つで、色々言いたそうな様子だったみんなを!)
産屋敷に対する柱達の敬意が、ジョジョにも伝わったような気がした。
「そうか、実弥の日輪刀が、お客人の手首に」
「ッ!」
産屋敷の言葉に、不死川の息が詰まり、体を強張らせた。娘達の顔色は尚も悪い。
(不思議な声だ。心が落ち着くような……)
(気分が高揚する)
産屋敷耀哉の声は、現代で言う1/fゆらぎを含んでおり、この声を聞く者に安らぎと、不思議な高揚感を与える。言ってしまえば一種の洗脳なのだが、産屋敷自身にそんな意図はなく、無理に敬意を払う必要はないと考えている。
不死川と産屋敷の娘二人は、焦りによりそれどころではないようだ。
「天元、ジョースター殿を傷つけず、刺さっている日輪刀を折って欲しい」
「御意」
宇髄が即座に動き出した。
ジョジョの腕の長さは元通りになっており、外れていた骨も収まっていた。不死川の日輪刀は手首を貫いたままだが。
これを下手に抜いてしまうと、栓が抜けたように出血が悪化する。失血死の危険性が高まるのだ。しかし、刃渡り70㎝程ある日輪刀をそのままにする訳にもいかない。
「ジョースター殿。今、不死川の刀を……」
柱の中でも二番目の怪力を持ち、忍びの技術を有する宇髄の力ならば、刺さった日輪刀をそっとへし折るぐらい容易い。その後、適切な治療を施す算段だった。
「待ってください、テンゲンさん」
「何……?」
宇髄が刺さった日輪刀に手を伸ばそうとすると、ジョジョが手で制した。
「彼の刀を折らないで欲しいんです。ぼくは大丈夫だから」
「ジョースター殿……」
「ウブヤシキさん。出血のことなら心配ありません。波紋の力で血液を固めています。それに、ぼくはまだこの刀を抜くわけにはいかない」
宇髄が腕に刺さった刀を見る。肉でギチギチに締め付けられているようだ。これではビクともしないだろう。
(これも"波紋の呼吸"の力か。筋肉だけでなく血液で不死川の刀を締め付けている。おまけにジョースター殿は悲鳴嶼さん並かそれ以上の筋力。これじゃ派手に動く筈もねぇか……)
不死川が押しても引いても動かない訳だ。それに、ジョジョの言う通り、血は一滴も流れていない。そして、敢えて刀を抜かせなかった理由は、分かり切っている。
「禰豆子の為ですね」
「その通りです」
「……」
産屋敷がジョジョの言葉に頷き、不死川の方を向く。
「実弥」
「はっ」
不死川が跪いたまま答えた。
「禰豆子を攻撃しないと、誓えるかい?」
「……」
不死川から微かに歯軋りの音がする。だが、表情は平静を装い、必死でこらえているのが分かる。鬼を攻撃しない。己の信念に於いてありえない選択肢だ。
「…………御意」
だが、そう答える他なかった。
「良かった……」
ジョジョは表情を和らげ、ほっとしていた。腕に刀が刺さったままだと言うのに、全く意に介してない。自分の腕のことは完全に二の次である。
「タンジロー、一先ずネズコはもう大丈夫みたいだよ。僕も平気だから」
「ジョジョさん……。ありがとうございます!」
炭治郎はジョジョに礼を言ったが内心複雑だった。ジョジョへの感謝は確かにある。それと同時に、何もできなかった自分への不甲斐なさと、不死川への怒りを覚える。彼は、大切な禰豆子を刺そうとした上、親友であるジョジョを傷つけた。頭突きを一発でもいいから喰らわせてやりたいぐらいだ。
(……ジョジョさん)
だが、ジョジョの感情を鋭い嗅覚で読み取り、その気は早々に失せた。
(この人は、刺されたことを全く怒っていない。それどころか……)
今、ジョジョが抱いている感情に対して困惑する。
(
心の広い人であることは百も承知二百も合点だったが、理由は分からなかった。それでも、当の本人が怒っていない以上、自分が不死川に仕返しするのは不当だと炭治郎は考えた。ジョジョも本意ではないだろう。
「……」
伊黒は顔面蒼白。元々顔が白いのに、最早死人のような顔色になっていた。
(ジョースター殿はお館様に招かれたお客人。日輪刀が刺さったままになっているのは不味い。実に不味い。最悪の最悪を想定すれば、鬼殺隊の"これから"にも関わる。しかしジョースター殿は、不死川が攻撃を止めない限り日輪刀を抜かせる気はない)
これで、不死川は禰豆子に対して攻撃ができなくなった。他ならぬお館様に誓ったのだから。伊黒は、産屋敷を真っすぐ見つめるジョジョの顔を見る。
(意図した訳ではないのだろうが……)
わざとこんな腹芸をする奴なら、最初の顔合わせで適当にあしらえた。そういう手合いはネチネチとした蛇の如き男、伊黒小芭内の得意分野だ。しかし、ジョナサン・ジョースターの性格はその真逆に位置する。正々堂々をそのまま形にしたような男だ。
(どういうつもりだ? しかし……くっ)
わざわざ宇髄を制止してまで日輪刀を折らせなかった理由が分からない。どういう腹積もりなのか逆に読めなかった。それよりも、考えたくないが、最悪の結果が脳裏を幾度となくよぎった。目を背けたくなるような、柱達が永久に悔やみ続けるであろう最悪の結末だ。
伊黒以外の柱達も察し始めている。全員顔色が悪い。
「実弥、日輪刀を」
「はっ」
伊黒と同じく、何かを察した不死川が立ち上がり、ジョジョの元へ近づいた。顔色はひどく悪い。傷だらけの体から発していた殺気は、完全に霧散していた。
「ジョナサン・ジョースター殿、もうあの鬼に……攻撃、するつもりはない。日輪刀を抜く故、どうか
「!?」
炭治郎は驚いた。まさかあんな丁寧な言葉遣いになるとは思わなかったのだ。不死川への評価は、理性も知性もなさそうというボロクソなものであったが故だ。
炭治郎は自分が傷つくことよりも、家族や友人が傷つけられることを怒るタイプ!
「分かった」
ジョジョは、不死川が二言は決して無い男だと悟り、笑顔で答えた。
「シッ」
不死川がジョジョの腕に刺さった日輪刀を素早く抜き取った。刺さった方向からピッタリ垂直。正確かつ素早い動作のおかげで、全く痛くなかった。傷口は、抜いた瞬間からミッチリと塞がっていた。当然、血の一滴も出ない。
「ひなき、にちか。ジョースター殿の傷はもう大丈夫かい?」
「はい、傷口を窄めています」
「出血もありません」
二人の言う通り、肉に締め付けられるように、傷口がギュッと塞がっている。それは、全集中の呼吸の応用で使われる止血方法と似ていた。
「そうか……」
産屋敷が胸を撫で下ろした。
「では、ジョナサン・ジョースター殿」
「はい! ……ウブヤシキさん?」
産屋敷が正座した。その表情から微笑は消え、真顔になっている。鬼殺隊の歴史上、極めて珍しい表情だ。
(お館様……)
(やはり……)
宇髄と胡蝶が顔色を更に悪くする。
「……」
抜き身の刀を地に置き、跪き直した不死川が握り拳を震わせている。剣を鞘に納めることすら忘れる程、狼狽していた。
「この度のジョースター殿の負傷」
産屋敷が、両手を床に突いた。
(父上……)
産屋敷の後ろに控えていた娘二人、そして柱達は全員血の気が引いた。冨岡、時透もである。敬愛するお館様が何をするつもりか理解したからだ。
(やだやだやだやだ!? お館様がそんなことするなんて!)
甘露寺が涙を浮かべる。
「これは、私の監督不行き届き、伝達不足が招いたこと」
全員冷や汗を流し、肩を震わせている。産屋敷は不死川の失態を一身に背負って詫びるつもりなのだ。敬愛する主に土下座させてしまう事実が、柱達に重くのしかかった。
(どうすることもできない……)
伊黒が奥歯をギリっと噛み締めた。同盟国であるエゲレスの男性を刀で傷つけたのだ。土下座だけで済めばまだ良い。考えられる最悪の事態は、このことが大使館を通して知れ渡り、産屋敷耀哉が責任を取って腹を切り、息子の輝利哉が跡を継ぐこと。
即ち、お館様の死である。
(全ては後手に回ってしまったせいだ! 不死川が何かする前に、止めるべきだったのだ!)
対応が遅れた自分たちの責任でもあると、柱達は悔やむ。だが、もう遅い。
(俺のせいだァ……。俺のせいでお館様はァ……!)
不死川が膨大な汗を流し震えている。自分が腹を切って終わる問題ではないことが分かっているからだ。それに、止めたくても止められない。ここで止めようものなら、お館様だけでなく、産屋敷家全体、引いては鬼殺隊に影響が出ることもあり得てしまうのだ。
(な、なんて悲痛な匂いなんだ……。冨岡さんまで!? まるでこの世の終わりみたいだ……)
お通夜ムード、否、これからお通夜になるムードだった。
炭治郎は凄まじい絶望感に気圧された。ひどい匂いだった。ジョジョに嫁がいると知った時の善逸、常中の鍛錬をしている最中の善逸、下弦の鬼に囲まれた時の善逸よりもひどい。全員、今にも死にそうである。誰一人物音を立てぬ静寂に息が詰まりそうだ。
「グゥ……」
余りに静か過ぎるせいか、木箱から禰豆子の寝息が聞こえた。
「心より……」
「待ってください!!」
頭を下げようとする産屋敷を、ジョジョが制止した。張りつめていた空気が、弛緩したような気がした。
「どうか頭を下げないでください。ウブヤシキさん」
「ジョースター殿」
「謝るべきはぼくの方だ。申し訳ない。この傷は、ぼくの責任なんです」
産屋敷、炭治郎を除く全員が顔を上げた。刺されたのにむしろ謝るとはどういうことか。ジョジョの言葉に全身全霊を込めて耳を傾けている。
「ぼくは、ウブヤシキさんの言葉を良いように解釈し、オバナイさんの忠告に背を向けて、タンジローの裁判に立ち合いました」
(あ、やっぱり自覚あったんだな……。てかそれ言っちゃうのかよ……)
ジョジョと会話していた隠が心の中でぼやいた。
「だから、このジョナサン・ジョースターの身に何か起きたとしても、責任の所在は自分自身にあります」
(あんた……マジで言ってんのか)
宇髄は、ジョジョの発言の意図を理解した。
(ジョースター殿は……。あの鬼の子供だけでなく)
悲鳴嶼も既に気付いていた。
「シナズガワは確かに、ネズコを刺そうとしました。ですが、鬼が人間に戻った例が過去800年間存在しないことも、シノブさんから聞いています」
(よもや! 鬼の少女だけでなく! 不死川も庇うつもりか! ジョジョ!)
(じぇ、ジェントルマンって、そこまでしちゃうの!?)
煉獄と甘露寺が目を輝かせてジョジョを見ている。
「彼は、己の信じる正しい行為を実行しようとしたのだと理解出来ました。彼の熱い心と、迅速な行動が多くの人を救ってきたことも伝わってきた」
(私達にも責任はありますが、要するに、不死川さんの独断専行が最たる原因ですね)
しのぶの顔に、過去最高記録の血管が浮かぶ。
不死川、どうしてくれよう。
「例えそれが漆黒の如き意思だったとしても、ぼくに咎める資格はない……。シナズガワの意思は、ぼく自身も抱いている物……」
「……」
「だから、ウブヤシキさんが謝る必要はありません。ネズコが傷つかなかった。ぼくはそれだけで充分なんです」
ジョジョが己の胸に手を当ててそう締めくくった。
「つまりジョースター殿は、自分が傷ついたのは、実弥のせいではないと言いたいのですね?」
「はい!」
産屋敷の確認に快く返事をする。その目には一点の曇りもない。
(お館様の命が助かりそうなのは喜ばしいが……。ジョースター殿、お人好しにも程がある)
伊黒も呆れる程のお人好しぶりだ。ここまで見境なしな類は生まれて初めてである。しかし、不死川を庇い立てしすぎていることを除けば、言っていることに一理ある。
「炭治郎、君もそれでいいのかい?」
「はい。禰豆子はジョジョさんの言う通り傷一つ負わなかった。ただ一人傷を負ったジョジョさんがそう言うのなら、俺もそれに従います。それに、俺は何もできませんでしたから……」
「ありがとう炭治郎。ジョースター殿、そこまで仰ってくださるのならば、私も今回のことは不問にしましょう。皆も、それでいいね?」
「御意!!」
柱達が一糸乱れず同時に返事した。
結果として、今回の騒動で血を流した者は、誰一人いなかったのだ。
産屋敷の後ろで、娘たちが細く長く息を吐いた。
(危うく、大正の生麦事件になるところ……)
(薩英戦争ならぬ、
世界各国が激動のこの時代。産屋敷家関係者にとって、余りにも恐ろしい一幕であった。産屋敷耀哉も、まさか刃傷沙汰になるとは思わず、寝耳に水だった。産屋敷家当主は代々、予知能力じみた勘、先見の明を有しており、数々の危機を乗り越えてきたが、今回の出来事は予想外だったようだ。
余談だが、ことの顛末を聞いた耀哉の妻、あまねはショックの余り貧血を起こしてぶっ倒れた。
「……」
冷や汗でぐっしょりした不死川は、傍に日輪刀を置きっぱなしにしていたことを思い出し、拾い上げた。切っ先をじっくりと見る。丁度ジョジョに突き刺さっていた部分だ。
(どういうことだァ。脂どころか血痕すらついてやがらねェ……)
日輪刀は新品同然だった。まるで初めから刺さっていなかったかのように。不死川は、日輪刀を鞘に納めた。刀についた不純物を落とす"血振り"すら不要だった。
「……」
「ウブヤシキさん。彼と少し話をしても構いませんか?」
「勿論、構いませんよ」
「ありがとうございます」
「……?」
産屋敷から返事を貰ったジョジョが、不死川の元へと近づいてきた。跪いた姿勢のままである不死川に合わせて、ジョジョも屈んだ。
「お互い名前は知っているけど、自己紹介がまだだったね。ぼくはジョナサン・ジョースター。姓と名のジョとジョで、気軽にジョジョって呼ぶ人もいるよ」
「……」
不死川がなんともいえない表情でジョジョを見ている。刺したのに、そこまであっけらかんとしているのが不思議で仕方ないのだ。
「改めて、君の名前を教えて欲しい」
「……不死川実弥。風柱だ」
不死川は、ようやく理解した。ジョジョは、刺されたことを本気で気にしていない。禰豆子が無事だったから、本当にそれで良いのだと。
「サネミだね! サネミ、ネズコを傷つけないと誓ってくれたこと、心から感謝するよ。どうもありがとう!」
「……さ、刺されたのに礼を言うんじゃねェ!」
(刺されたのはジョースターさんなのに)
(自己紹介の上、お礼とは……なんとも)
(不死川が煉獄に喧嘩吹っ掛けたときもこんなだったな)
胡蝶、悲鳴嶼、宇髄が二人のやり取りを見て、不死川が煉獄に殴りかかった事件を思い出す。あの時も、殴られた側である煉獄が不死川の攻撃を激励と解釈して礼を述べていた。
「……ジョジョ殿」
「なんだい?」
要望に応えて呼び名が"ジョジョ"になっている。妙に律儀な男である。
「此度の御厚意、心より御礼申し上げる……」
「ふふ、こちらこそ」
ジョジョは、この一件を自分の責任だと言っている。従って、謝る道理はない。しかし、それでは何か違うと不死川は感じていた。自分の不始末で、お館様の立場が危うくなるところだったのを、不問にして貰ったのだと考えている。それ故の礼であった。
(喧嘩をしたら芽生える男の友情ね! すっごいキュンキュンするわぁ……)
甘露寺は、どこで仕入れたのか分からぬ知識を二人から見出す。
「ジョースター殿を見ていると、どこぞのそっくりさんを派手に思い出すな」
「ジョジョの"そっくりさん"だと! 是非会わせて欲しい! 誰だ!!」
「テメェだよ」
(腕を刺されたのに、仲良くなってる……。まぁ、お館様が謝らずに済んで良かった……)
最初から押し黙ったままだった時透も、この時ばかりは胸を撫で下ろした。
「ジョジョさん、傷は大丈夫なんですか?」
炭治郎が我慢できずと言った様子でジョジョに駆け寄った。お館様を前に不敬なのだが、今回ばかりは不問であった。
「なんともないよ。これくらい、どうってことないさ」
(これくらいね。神経も切れてたろうに、エゲレスじゃどんな派手派手な戦いをしてきたんだかな……)
宇髄が胸中で驚く。ジョジョの表情は強がりでもなんでもない。後遺症が残りかねないのにである。
「……実を言うと、ぼくも驚いているんだ。ほら、もう塞がってる」
「本当だ……」
日輪刀が刺さっていた場所を見ると、既に傷跡すら残っていなかった。ジョジョが手の形をグーとパーに変える動作を繰り返し、手首をぐるりと回している。信じられないことに完治している。
「……」
胡蝶が横目に、ジョジョの右腕を注視している。「どんな手品だ」とでも言いたげである。
(不死川さんの日輪刀は、骨の間を貫いていた。最低でも正中神経が損傷していた筈。それなのに拇指の麻痺も手首の麻痺もない、好調そのもの……。異常がないのが異常と言うべきかしら……)
「サネミの太刀筋、日輪刀の切れ味が鋭かったんだ。素晴らしい腕の持ち主だよ、彼。おかげで、実質無傷で済んだ」
「よ、良かったぁ……」
(ええ……)
胡蝶は引き気味だ。話には聞いていたが、実際目にすると、信じられない回復速度だった。骨折はおろか、神経の切断も意に介さないらしい。切れ味が鋭い程、案外治りが早くなるのは事実だが、そういう領域の話ではない。
「それじゃあ、ジョースター殿も完治されたようだから、本題に入ろうか。皆、会議の前に聞きたいことがあったんじゃないかな?」
産屋敷は、普通に受け入れて、話を軌道修正した。流石の度量である。炭治郎が慌ててその場に跪き直した。
(せ、狭い……)
不死川周辺に炭治郎とジョジョが二人揃って寄った為、若干狭そうだ。
(何してんだこいつら……)
さりげなく伊黒が距離を取ってスペースを確保した為、改善された。ジョジョは、柱達の真後ろに移動し、腕を背に組んだ姿勢で立った状態だ。
「ご挨拶が遅れ、申し訳ありませぬ! お館様におかれましては! ご壮健で何より! ますますの御多幸を切にお祈り申し上げる!!」
「構わないよ。ありがとう、杏寿郎」
真っ先に気を取り直した煉獄が産屋敷に挨拶した。平常運転に戻ったのか、目を見開き、瞳孔を開いたまま笑みを浮かべた表情だが、心なしか満足気である。
(げ! 派手に先を越された!?)
(私が言いたかった……。お館様にご挨拶……)
(俺が気ィ取られてる隙を狙いやがってェ……)
宇髄、甘露寺、不死川が心の中で悔しがっている。お館様こと、産屋敷耀哉への挨拶は、基本的に早い者勝ちなのだ!
「お館様! 竈門少年と、竈門少年の妹について! そしてジョジョ、失礼した! ジョナサン・ジョースター殿についてどのようにお考えかお聞かせ頂きたい!」
「分かった。まず、炭治郎と禰豆子のことは私が容認していた。そして皆にも認めてほしいと思っている」
そう言うと、産屋敷が柱達の顔を見渡した。ジョジョと炭治郎は不思議な気分だった。産屋敷耀哉は盲目。目が見えないはずなのに、それぞれ全員をしっかりと見据えているような、迫力を感じたのだ。
「どうやらみんな、禰豆子のことを容認するみたいだね」
「御随意に!」
(キョウジュロー……)
煉獄は産屋敷の意に従うようだ。彼もまた腹を括ったのだ。禰豆子を信じる炭治郎と那田蜘蛛山の生き残り達、ジョジョに続き、自分も禰豆子を信じることにした。
柱達は、鬼を滅すべし姿勢は決して変わらぬ、だが、炭治郎と禰豆子について、反対する者は皆無だった。
(未だ疑問は払拭しきれぬが、ここで反対するわけにはいかない。ジョースター殿が刺されなければ、不死川の稀血を利用して確かめる方法もあったのだが……)
(これ以上、お館様の顔に泥を塗る訳にはいかねェ)
反対派筆頭になる筈だった二人も、賛成する他なかった。ジョジョの一件は形式上不問になったとはいえ、経緯の全てを知る"柱"達にとって「ラッキー!」とはいかぬ問題だ。
伊黒は過去の経験もあり、鬼が大嫌いなことに変わりはない。しかし、現状、人を襲わないことは那田蜘蛛山でも証明されており、血判書の内容は胡蝶の提案で"暇"に変えられたと言えど隊士も禰豆子の為に命をかけようとした。
にわかに信じ難いが、二年以上人を喰わずにいる事実もある。禰豆子を肯定する材料が多すぎるのだ。しかし、否定する側として差し出せるものがほとんどない。
(おーおー、伊黒も不死川も大人しいもんだ。ジョースター殿にはド派手に借りを作っちまったからな……)
「それと、手紙が届いているんだ」
「手紙?」
「ひなき」
「はい」
赤い髪飾りの女の子が懐から丁寧に折りたたまれた手紙を取り出して開いた。
「こちらの手紙は元柱である鱗滝左近次様から頂いたものです。一部抜粋して読み上げます」
炭治郎の育手である鱗滝左近次から届いた手紙。内容は、炭治郎と禰豆子のことを認めて欲しい旨が記されていた。禰豆子が強靭な精神力で人としての理性を保っていること。二年以上人を喰わなかったこと。そして、禰豆子が人を襲った場合は──。
竈門炭治郎及び鱗滝左近次、冨岡義勇が、腹を切ってお詫びすると。
(鱗滝さん……。冨岡さん……ッ!!)
(こ、これは、ジャパニーズ・ハラキリッ!! ハラキリの誓いは、タンジローが結んだと聞いていたが……。ウロコダキさんにギユウ……なんという覚悟だ!)
炭治郎は再び涙を浮かべ、ジョジョは神妙な面持ちで聞いている。尚、お館様も危うくジャパニーズ・ハラキリだったのは知る由もない。
その横で、胡蝶しのぶが密かに眩暈を覚えていた。
(冨岡さん、澄ました顔してますけど貴方始めっから鱗滝さんと話つけてたんですね。なんで、那田蜘蛛山でそれを言わないんですか? まさか貴方の言っていた"書いている"とはこれのことだったんですか? 足並みそろえた方が楽だったでしょう。血判書の方はせっかく"切腹"を"暇"に変えたのに、何元柱と柱が仲良く腹を切ろうとしてるんですか。ええ?)
胡蝶が焼死しそうな程情熱的な視線で冨岡を見る。常人ならば心的外傷を負う程の殺気に、炭治郎はゾッとした。間に挟まる時透、煉獄、甘露寺、宇髄も思いっきり殺気に巻き込まれた。甘露寺が震えている。とんだとばっちりであった。
尚、冨岡には効果がない。凪。
一方ジョジョは、何か決意した表情を浮かべている。
「よし! ぼくもハラ――」
「よしじゃありません。絶対にやめてください」
胡蝶が止めた。目が笑っていない。炭治郎も、凄まじい速度で首を縦に振っている。一見軽率に見える発言だが、ジョジョは間違いなく本気でやるつもりだ。
正直言うと、腹を切った程度でジョナサン・ジョースターが死ぬのか甚だ疑問だった。それぐらいではジョジョの決定的な何かは切れない予感がする。が、そういう問題ではないのである。
「……だめなのかい?」
「ダメです」
「ジョジョさんはしなくてもいいんですよ」
「そうか……」
(……随分と味方が多いことだ)
伊黒はもう諦めているので、投げやりだ。
「炭治郎の話はこれで終わり。次は、ジョースター殿のお話ですね」
「分かりました!」
柱達が固唾を飲んで見守っている。現時点でも驚きのデパートであるこの男から、果たしてどんな話が飛び出してくるのか興味津々だからだ。
「ジョースター殿、簡単で良いので、家族構成を教えて頂けますか?」
「家族を……? 分かりました」
真意は分からなかったが、悪事に使われる心配はないだろうと判断して、ジョジョは話した。
ジョジョはまず、父ジョージ・ジョースターのことを話した。貴族の当主で、貿易商を営み生計を立てていたと。
「……」
不死川は止まっていた汗が再び噴き出した。手が震えている。
「あ、さ、サネミ! 大丈夫だから! ぼくは今、普通の考古学者だから!」
「そうかァ……」
(いや、仮にそうだとしても末裔だろ……)
(同盟国の貴族の末裔を刺したということだな!)
宇髄と煉獄は言葉には出さなかった。その余りにも恐ろしい事実を、口に出したくなかったのだ。
(学者なんだ……。エゲレスの学者って、ものすごく強いんだな……)
時透の中で、エゲレス学者の認識が歪んでいく。初対面がジョジョだった故の悲劇だった。
母のメアリー・ジョースターは。ジョジョが生まれて間もない頃、馬車が事故に遭い、ジョジョを庇って早世した。その為、父子家庭だった。
「嗚呼……」
悲鳴嶼の涙量が倍になった。畑なら塩害が発生しているところだが。下は砂利なので一安心だ。
12歳になった頃、ジョースター家に新たな家族が増えることとなる。そう、ディオ・ブランドーだ。しかし、ディオのことを話すと、とても簡単に話せるものではないので一旦省略する。
妻はエリナ・ジョースター。旧家はペンドルトン家。医者の家系だ。
(ジョースターさん、奥さんいたのね……)
甘露寺がちょっぴり凹んでいる。伊黒は何故か顔色が良くなっている。
「こんなところでしょうか?」
「ありがとうございます。間違いないようですね」
「?」
「ジョースター殿の為に用意した、とっておきの情報があるんですよ」
産屋敷がそう言うと、黄色い髪飾りの女の子、にちかが懐から紙を取り出した。
「あれは、新聞か……?」
「うわぁ……英語がびっしり」
「甘露寺、読めるか?」
「あ、あんなに書いてあったらちょっと……しのぶちゃんどう?」
「流石に時間がかかりそうです……。ジョースターさんに読んでもらった方が早いと思いますよ」
「ジョナサン・ジョースター様、こちらを」
にちかが英語が書かれた新聞紙を手渡した。渡された新聞紙を開いてみると、見出しに大きく、LONDON PRESSと記載されている。
「……これは、ロンドンプレスじゃあないか! ぼくの地元で発行されている新聞だよ! この年代は……そうか……これは……」
「ジョジョさんの地元の新聞!? よ、読めない……」
炭治郎も読めなかった。英語を多少かじったとはいえ、新聞を読むのは流石に無謀だった。
「これは、ぼくとエリナが結婚した時のことが載っているッ!」
(結婚したら新聞に載るのかあんた……)
「ウブヤシキさん、これをどこで!?」
「産屋敷家は英国大使館にも伝手がありまして。ジョースター殿に必要な情報が載っていると思い、取り寄せて貰いました。良かった、大当たりだったようですね」
どうやら、家族構成を尋ねたのは答え合わせのつもりだったらしい。凄まじい情報収集能力である。
甘露寺が紙面の一部を覗き込んでいる。
「んーと、日付は、1889年……。え!?」
彼女が読み上げた西暦に、全員驚いた。
「1889年!? ……明治22年じゃねぇか!? 25年近く前だぞ! 結構派手に昔だな!?」
「甘露寺! 見間違いではないんだな!」
「煉獄さん! 何度見ても間違いないです!」
「なんと!」
「な、なんだって!?」
「25年!?」
ジョジョと炭治郎も過去一番の仰天ぶりを見せている。
「な、なんてことだ。ぼくはそんなに長い間眠っていたのかッ!?」
「と言うことは、ジョジョさんはかなり年上! 道理でお父さんって感じがする訳だ……。初めて会った時に胃が空っぽだったのはそういうことだったのか!」
何故か炭治郎はどこか納得した表情だ。
「ちょっと待て!? 何二人揃ってド派手に驚いてやがんだ!! 年号も西暦も確認してなかったのかよ!?」
「い、色々な出来事が立て続けに起こってすっかり忘れてました……」
「ぼくも……」
「オイオイ……」
炭治郎とジョジョが出会い、旅を続け、鬼と戦い修行に明け暮れた日々。浅草を除いて、ほとんど世俗を離れるような生活だった為、完全に忘れていた。忘れていたので聞きようもない訳だ。善逸と伊之助も同じだろう。
「ジョジョ! 事情を話してくれぬか! エゲレス人の見た目に詳しいわけではないが、貴殿の年齢は20代のように見受けられる!」
「ぼくも初めての出来事だから、仮説になるけどいいかい?」
「構わん! 頼む!」
産屋敷は、てんやわんやしているジョジョ達が割と楽しそうなので、暖かい目で見守っている。
「恐らく"波紋の呼吸"の影響だ。波紋の力は、人体の老化を遅れさせる効果があるから……」
甘露寺、胡蝶、女性の隠が獲物を狙う狩人の目でジョジョを見た。怖い。それはさて置き、ジョジョは全員に事情を説明した。
エリナとの新婚旅行中に吸血鬼の襲撃に遭い、命がけで母を失った赤ん坊とエリナを逃がしたこと。その後、吸血鬼の一撃を受け相討ちになって意識を失っていたことを。
「南無阿弥陀仏……。南無阿弥陀仏……」
また悲鳴嶼の涙が滂沱の如く流れ出た。そろそろ水分の枯渇が心配だ。
「ん゛ん゛ん゛、まま、待って、わだじも、ぞう゛いうおばなじ……ずっごく弱いがら……ひぐっ、ぐすっ……」
甘露寺もやばい。命がけで愛する人を守ったジョジョに心打たれたのだ。すかさず伊黒が背中をさすった。
「その後のことはよく分からない……。多分、波紋の力で、回復の眠りについていたんじゃないかと思う」
「……まぁそうでないとこの状況が説明できねぇもんな」
「一種の仮死状態みたいなものでしょうか……」
よく餓死しなかったものだ。ジョジョは明らかに人間である。日の下で活動し、目も赤くない。吸血鬼、鬼の力と対極に位置する"波紋の呼吸"を使っているのだから。だからこそ不思議だった。
「ジョースター殿は、25年もの間睡眠されていたと」
「そういうことになります……」
「ありがとうございます、それだけ分かれば充分です。私も、四半世紀に渡る開きが気になっておりまして」
産屋敷が何度か頷いている。疑問が氷解したようだ。
「最後にもう一枚、お渡ししたい新聞があります」
「こちらもどうぞ」
再びにちかが、ロンドンプレスの新聞紙を手渡してきた。
「貴方にとって、一番重要な情報と確信しています。どうか、読んで頂きたい」
「これは……」
25年の歳月に驚いていたジョジョは打って変わって、静かな様子で紙面を読んでいる。新聞を持つ手が少しずつ震え出した。
「ああ……。そ、そんな……」
動揺している。炭治郎は初めて見た。どんな時だって、どっしりと構えていたジョジョがうろたえている姿を。
「ジョジョさん、なんて書いてあるんですか!?」
ただごとではない様子に、炭治郎が駆け寄った。
「タンジロー……。エリナは」
「えりなさんがどうしたんですか!」
「……エリナは、帰れたんだッ!! 赤ん坊も無事だッ!!!」
「ほ、本当ですか!!!? や、やったぁ───!!」
「お腹の中の子供も守ったと書いてある……。そうか、ぼくの子も無事か……」
「ジョジョさんの子供も!」
この新聞も25年前の物。ということは、ジョジョの子供も、助け出した赤ん坊も、立派な大人になっていることだろう。炭治郎が、我が事のように大喜びする。ジョジョの決死の行動は、確かに命を繋いでいたのだ。
「ふふ、欲を言えば、みんなで一緒に年を取りたかったのだけれど……」
「ぐふっ」
「甘露寺!?」
甘露寺が膝から崩れ落ちた。ジョジョの何気ない一言が、甘露寺の心を抉ったのだ。良い意味で。
「エリナ……。無事で良かった……」
ジョジョの目から大粒の涙が溢れ出す。
「ジョジョさん……」
それは、ジョジョが日本に流れ着いてから、初めて流した涙だった。
大正の奇妙なコソコソ噂話
ジョージ2世とエリザベスはまだ結婚してないので
ジョセフもまだ生まれてないぞ!