劇場版公開記念に掲載。猗窩座の勧誘成功例を想像してみました。
同じ作者名でpixivにも掲載してます。

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劇場版公開記念に掲載。
明治初期、東京郊外の小さな町での友情の顛末。

要約→「お前も鬼にならないか?」「いいとも~!」



本編

朝から降る雨は、もうじき夕方だというのにあがる気配がない。茶室からにじり出て湿った空気に触れた雨流主水は、今日もやってくるであろう友人を思い、皺が刻まれた目尻を緩めた。あの外見ばかり若い友人が手土産に何を持ってくるのか想像するだけで楽しいのだ。初めて持ってきたのは泥がついたアケビ、その次は泥がついたタケノコ、続いて手掴みで獲ったという籠いっぱいのヤマメなどなど。御伽噺の鬼なら旨い酒でも持ってくるかと思いきや、そんなものの味はわからんと言い捨てていたのは三年前の思い出だ。

 

茶室から渡り廊下を歩いて母屋に入れば、末の息子の嫁が迎えてくれた。二人の孫たちは父親と道場にいるようだ。あの友人がもう少し手加減が上手ければ、息子の相手をさせたいところだと考え、しかしそんなことをさせようものなら明日には息子の葬式をすることになると考えを打ち消した。

 

「お父様、猗窩座さんがいらしてますよ」

 

「なんだ、今日は玄関からきよったか」

 

「ええ。たくさん栗をいただきました。お父様、お好きでしょう? 明日は栗ご飯をつくりますね」

 

「それは良い。猗窩座も食えたらいいのになあ」

 

からからと笑いながら、主水は居間へと向かう。小さな町の道場主の住まいにしては立派な我が家は、主水の祖父の代にさる大名家と懇意にしたことで与えられたものだ。幼い頃は道場と茶室と大きな風呂場ぐらいしかありがたみを感じていなかったが、長く家族と暮らしているうちに相応の愛着が湧いていた。

 

「猗窩座、よう来たな」

 

「一月ぶりだな、主水。白髪も皺も増えている、また老いたな。今日こそ鬼にならないか?」

 

「はっはっ、まだ人の身で茶の道を楽しみたいのでな。鬼になれば若返りも自在なのだろう。そう急かしてくれるな」

 

居間では梅色の短髪に奇抜な刺青を体中に走らせた若者ー猗窩座が胡座をかいて待っていた。惚れ惚れする完成された肉体に袖なし羽織りとゆったりした洋袴だけ身に付けた、山猫のような端正な顔をした青年である。見た目は二十歳にも届かないが、その実、主水の祖父よりも先に生まれた鬼という妖である。

 

猗窩座の向かいに腰を下ろした主水は、好々爺然とした緩んだ表情で友人を見つめた。ひびわれの硝子のような猗窩座の瞳には上弦・参の文字が刻まれている。一等強い鬼の証だというそれはいつ見ても不思議な光景だ。

 

「ふむ……」

 

視線を合わせているうちに雨音が遠ざかる。猗窩座の唇が獰猛な笑みに歪み、淡い唇から鋭い牙が覗く。二人は座したまま、けれど四尺もない距離で不可視の剣伐と打撃の応酬が確かに交わされていた。主水の脳裏に、恐ろしい威力の乱打が浮かび、当然力で押し返すことはせずに受け流す。家宝の堀川国広は主水の手にあって何者にも勝る矛にして盾だ。一振りの打刀がすべての攻撃をいなし、柳のような壮年の男が一足で猗窩座のもとに迫る。純粋な速さなら下弦の鬼でも勝るであろうに、この人間のあまりにも自然な足運びは猗窩座の目でも捉えきれない。

 

この立ち合いに日輪刀も朝日も関係なく、ただお互の技量のみで凌ぎを削る。鋼と鬼の身がぶつかり合う鈍い音が二人の耳を満たし、興が乗った猗窩座が滅式で飛び込めば、大岩も貫通する拳は主水の苔色の羽織りのみ抉り、その途端、業物の刃が鬼の逞しい頸を刎ね飛ばした。くるくると宙を舞う己の頭を脳裏で追い、ぽとりと畳に落ちたところで現実の猗窩座は愉しげに舌打ちした。

 

「負けた」

 

「うん、今回は儂の勝ちだな」

 

闘気のみでの立ち合いは主水に軍杯があがり、二人はそれぞれの動きの荒を省みながら立ち上がる。向かう先は裏手の山だ。心ゆくまで戦うには、屋敷内の道場はあまりに狭く頼りないのだ。

 

「貴様の剣技は素晴らしいな、主水。上弦の壱ほど攻撃範囲も威力もないというのに、気づけば目の前にいて頸が飛んでいる。まるで柳かのれんでも相手にしてるようだ。その年老いた体が心底口惜しいぞ」

 

「はっはっ、お前さんにそう言われると、儂もまだ捨てたものではないと思えるよ。剣と茶だけに生きてきたが、結局どちらも活かすことはできなんだ。維新の時はもう齢五十を過ぎていたしなあ」

 

「鬼になって思う存分活かせばいいじゃないか。貴様と戦い続ける日々を思うと心が躍る。主水、早く鬼になれ!」

 

「急かすな、急かすな。茶の味がわからなくなるのが惜しいのよ」

 

連れ立って歩く中、興奮気味に鬼になれと繰り返す猗窩座に、のらりくらりと返して笑う。猗窩座が人喰い鬼なら、主水は剣の鬼だ。剣術道場の跡取りとして生まれ、物心ついた頃には一振りの刃をもって何者をも打ち倒すことに魅入られていた。剣は彼の体の延長線にあり、腕や足以上に彼の一部であった。妻をめとり、彼女が嗜む茶の道を知ってからは、そちらにも半身を浸してきたが、剣鬼であることは変わりなかった。たとえ誰一人斬り殺したことがなくとも、雨流主水以上に生物を斬ることに秀でた人間は当代に存在しないだろう。

 

猗窩座と出会ったのは、三年前の夏、人喰い鬼がでると怖がる町民らの相談を受け、見回りにでた夜のことだった。隣町の花火大会の音がやけにうるさく、明るすぎる夜空は妖が人を襲うのにそぐわない。そんな夜であったから、町外れの街道への分岐に立って花火を見つめる若者に行き合った時、主水はまさかと目を疑ったのだ。酷く血腥く寂しい気配はまさしく人外。初めて見る化生のものに刀を抜くこともなく、声をかけた。

 

『もし、こんなところで何をしているのかね』

 

『爺に用はない。去れ』

 

『随分と無礼な口を利くのだなあ。お前さん、人ではないだろう。ここ数日町を騒がせている人喰い鬼とは、お前さんのことかい?』

 

『……黙って去れば老い先短い命を失わずに済んだものを』

 

つまらなさそうな若者の容貌が花火に照らされ、顔面を走る刺青の模様と立ち昇る殺気に、これが鬼かと胸が高なった。人を斬れば罰せられる。そも斬りたいような人間など、そうそうお目にかかるものでもない。しかし鬼ならば、真の人でなしならば、斬っても良いのだ。主水が堀川国広を抜き放てば、鬼ー猗窩座はおやと両眼を細め、長い睫毛をはたと揺らした。

 

『鬼狩りではないが、ただの爺でもなさそうだな』

 

『この年で鬼退治することになるとは思わなんだ。ははっ、簡単に死んでくれるなよ!』

 

『ほざくな、弱者がっ』

 

猗窩座は一撃で殺すつもりだったのだろう。正面から頭部への正拳突きは鮮やかで鋭く、半歩横にずれた主水は鼻先を通り過ぎた腕に、ほうと感心の息をついた。その間にも振り抜いた刀が筋肉質な右腕を斬り落とし、柳のような柔らかい動きで回し蹴りの追撃をもかわす。三秒に満たない攻防で互いの技量に触れた人と鬼は、十歩ほどの距離をあけて関心の眼差しを互いに注いでいた。

 

『俺は猗窩座。お前の名は?』

 

『雨流主水』

 

唐突に会話をはじめた猗窩座は最初と打って変わった笑みを浮かべ、お互い殺気を纏ったまま名乗りを交わす。そして、夜空におおぶりな花が咲く下、猗窩座と主水は明け方近くまで致死の舞踏を演じた。地面を砕き空気を裂く鬼の攻撃は主水の袖や裾をかすめ、老剣士の刃は幾度も猗窩座の四肢を宙に飛ばした。この時間が永遠であればと思ったのはどちらが先だったのか。朝日の予兆に東が白んだ時分、大きく距離をとって拳を下げた猗窩座は悔し気だった。

 

『素晴らしい! 主水、貴様のような剣士は初めてだ。まさか鬼狩りでもない有象無象に逸材が紛れていようとは』

 

『お前さんの言うことはよくわからんが、称賛はありがたく受け取るよ。鬼とは初めて立ち会ったが、どこを斬っても死なんのだなあ』

 

『ははっ、鬼は長く生き、どんな傷もすぐに治る。どうだ、お前も鬼にならないか?』

 

それが初めての勧誘。朝日に阻まれ、その時は主水の返しも待たずわかれたのだ。けれど、猗窩座は二日後の夜また現れ、雨流家の庭先から声をかけてきた。家族も住んでいる屋敷に押しかけられたのは良くない驚きだったが、猗窩座が主水以外に興味を示さず、二度目の邂逅は冷静な話し合いのみで終わった。主水が鬼という生き物について詳しく知ったのはこの時だ。

 

小雨の中、主水は傘をさし、猗窩座は履物さえなしに山の径を歩いていく。鼻歌まじりの主水に無言でついていく猗窩座だが、ぴちゃんと裸足で水たまりを弾く音さえ機嫌の良さがうかがえた。

 

「主水」

 

「どうした、猗窩座」

 

いつも使っている拓けた場所で、傘を畳む主水に声がかかる。猗窩座は濡れそぼった顔でじっと年老いた男を見つめていた。

 

「俺はもう三年待った。いい加減、鬼になれ」

 

「三年なんぞお前さんにはあっと言う間じゃないか」

 

「貴様にとってはそうではない。わかっているのか、会うたびに生気が減ってる。いずれ体が弱り、俺の拳をいなせなくなる」

 

「そうか。そんなに老いたか、儂は」

 

腰に佩いた堀川国広を抜き放ち、雨の向こうの友へと笑う。剣の鬼が人の身を捨てたのは、この次の小雨が降る夜のことだった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

息子夫婦と孫たちには、遠くに旅に出るとごまかし、私室の文机に遺書を残してきた。上の息子娘らにも手紙を書いた。大事な茶道具や集めた茶碗は、懇意の道具屋に売り渡して子供らへの金子に換えた。屋敷から持ち出したのは、身に着けた衣服と堀川国広一振りのみ。そんな様子で裏山の立ち合いの場にやってきた主水を、猗窩座は機嫌よく迎えた。

 

「これを飲み干せ。貴重なものだからな、一滴も残すなよ」

 

「ふむ、鬼の殿様の血か」

 

渡された小さな容器をかざし、ふたくちほどの黒い液体を確かめる。主水は濡れた地面に座り、一気に鬼の血を呷った。咽喉が焼ける感覚がすぐさま体中に広がっていく。たまらず仰向けに転がった男を、しゃがみこんだ鬼がにこやかに見下ろしていた。

 

「目覚めた時には同胞だ。楽しみだな、主水」

 

「ガッ、グハッ、これは、なかなか……っ」

 

「日影に移動させておく。飯も用意してやるから、安心しろ」

 

「それは、かたじけない。ハア、フウッ、猗窩座、そういえばな」

 

「なんだ?」

 

「近くに、人喰い鬼が出た、らしい。すまんが、家族のことを、頼めるか」

 

「……俺も人喰い鬼なんだが」

 

「お前さんは、友達の家族は、喰わんさ」

 

暗転する直前、猗窩座が呆気にとられた顔をしていたのがおかしくて、主水は苦悶と笑いが混ざった表情で一度目の死を迎えたのだった。

 

 

 

※ ※ ※

 

 

 

ざり、と湿った土を踏みしめる音に覚醒する。辺りは暗く、霧雨のような雨が体を濡らしていた。猗窩座が言っていたとおり、木々が茂った物陰に寝かされていたようだ。ゆっくりと体を起こせば、世界が酷く鮮明に五感に訴えていた。

 

「おお、これが鬼の感覚か。随分と夜目が利く。耳も鼻も獣並みかもしれんな」

 

唇からあふれた独り言は張りがある懐かしい声で、はっと両手をかざしてみると、節くれだった指先は皺ひとつなかった。鏡がほしいと思いつつ、主水はゆっくりと地面を踏みしめ、少し離れた場所から己を見ている男へと目を向けた。

 

「そこのお人、道にでも迷われたか?」

 

好々爺の口調のまま問いかける。相手は珍しいほど小柄な黒づくめの男で、腰に刀を挿している。豪快な眉と大きな三白眼の愛嬌がある顔立ちだが、全身から発している殺気がその印象を塗りつぶしていた。

 

「いいや。目的地はここだ」

 

「ほう。こんな裏山にどんなご用かな」

 

鬼の体の良し悪しを確認しつつ、主水はさらに問うた。すべての感覚が研ぎ澄まされ、筋力も人間のそれより数倍強い。しかし腹がよじれそうな飢餓と目の前の人間が美味しそうに見える本能は、主水の鋼の精神をもってしても度し難いものだった。気が緩もうものなら、剣士としてではなく獣として男に襲い掛かってしまいそうだ。

 

「成り立ての鬼、貴様が人を喰う前に殺してやろう。惡鬼滅殺、覚悟せい!」

 

「なるほど、お前さんが鬼狩りか」

 

ガキンと刃がぶつかる音が雨音に交じり、二度、三度と響く。鬼狩りの男は主水の反撃に顔を険しくして距離を取った。

 

「その腕前、貴様、どこぞの武家の人間だったのか」

 

「家は捨てた。この身はすでに屍、いや、鬼なのでな。家族に迷惑はかけんよ」

 

「……貴様はここで死ぬ。迷惑をかけたくともかけられんさ」

 

「ふむ。友と待ち合わせをしてるので、お引取り願いたいものだがっ」

 

その一閃に主水が反応できたのは、鬼だったからではない。むしろ鬼になったばかりで弱体化していなければ、余裕をもって返り討ちにしていただろう。ドォンと最初の踏み込みと同じ激しい雷鳴が続けざまに夜を騒がせる。一撃目を薄皮一枚でさけた鬼は、四度の斬撃をいなし、すれ違いざまの一刀で相手の右ひざ下を奪い去った。しかし小男は怯まず、片足でさえ神速の居合を放ってみせた。執念の勝利であった。

 

「ああ……皮肉だなあ、猗窩座、儂は鬼にならん方が長生きできたみたいだぞ」

 

冗談交じりの恨み言が雨へと消える。白い瓜実顔の優男は地面に転がった愛刀を見つめ、雷鳴に刎ねられて消えゆく中、からからと笑っていた。

 

 

 

【終】

 

 




【登場人物紹介】



雨流主水(うりゅうもんど)
生まれついての剣の鬼、生まれてくる時代を盛大に間違えた人。剣のことになると倫理観さえ怪しい。真剣を手にしていないときはお茶が趣味の優しい御隠居。無我の境地にさえ至っているが、それより純粋な剣技を磨くことを重視している。全盛期の強さは猗窩座以上、黒死牟以下。ぎりぎり童磨には勝てる。百年に一度の天才だが縁壱のように体からして特製ではない。57歳で猗窩座に出会い、三年間の友情の末、60歳で鬼になることを承諾。皮肉なことに体が作り替えられたことと空腹から九割以上弱体化し、運悪く別の鬼を狩りに来ていた鳴柱に発見されて頸を斬られた。ここで死んでなかったら数年で上弦入りしていた。

※某剣客で商売な大先生をリスペクトしてます。



猗窩座
鬼になって初めて好敵手を得た。友達と言われて柄にもなく照れた。三年も口説いて鬼にしたのに、すぐに失われてしまい、ショックで塞ぎこんだが、立ち直った後は主水のような存在を求め、さらに勧誘に力を入れるようになった。



桑島慈悟郎
鳴柱。当時二十代後半。主水との戦いで片足を失い、隊士を引退することとなった。足を斬られても根性で片足版霹靂一閃を放った人。猗窩座が戻る前に隠によって回収された強運の持ち主でもある。


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