グアム島のアプラ海軍基地に所属する第64任務部隊。
その指揮官であるジェイムス・スコット少将25歳独身は、軽巡洋艦〈ヘレナ〉と仲を深めていた。
二人が互いを意識するようになった着任年度のクリスマス。
物語は、その一年半後の六月から始まる。
互いを想うが故に踏み越えられない悩みを抱えてしまった二人は、なんとか乗り越えようともがき苦しむが……?

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アズールレーン二次創作です。しかもオリジナル指揮官×ヘレナです。
ちょっぴり面倒な恋のお話を書きましたので、是非どうぞ。

・公式設定の一部をメインとして取り扱っております。
・ですが、独自設定も多分にございます。お気をつけ下さい。
・がっつり恋愛話ですが、人間も数人でてきます。ご注意下さい。
・人間の名前には元ネタがございます。もしそれが分かりますと、最後のシーンのあるキャラの行動がなんとなく分かるかもしれません。
・長いです。ご了承下さい。


君がいい ~ヘレナのアップルパイ~

 ――人間は、人間以外を本当に愛することはできるのだろうか――

 

 

 夜中にふと目が覚めて、サンダルをつっかけて部屋から出た。

 海軍基地の廊下は深夜でも薄っすらと明かりがついている。いつ〈セイレーン〉や〈重桜〉が攻めてきてもいいように、24時間体制を敷いているから。

 それでも流石にこの時間に人気はない。

 廊下をぺたぺたと歩いて、階段を下りる。上着を羽織るのを忘れて上半身裸だったことに一階についてから気づく。

 常夏の島の悪いところは、夜中でもクソみたいに暑いことだ。

 人もいないし別にいいやと食堂に向かった。

 勿論閉まっている。が、目的はその手前にある自販機だ。

 煌々と明かりを放つそれは、深夜のお楽しみでもある。夜勤のときは、何を食うか悩むのだ、これが。

 ハンバーガーにサンドイッチ、フランクフルトにホットドッグ。ジャンク極まる食い物だが、それがいい。

 今夜はそっちはスルーして、もう一つの自販機のコーヒーのボタンを押す。

 無糖で、ミルクは少量。この島にきてからホットは飲まなくなった。

 ピッピッピッ、と独特の音が鳴り、取り出し口のカバーを開けて、

「指揮官?」

 声がしたほうを振り向けば、青髪の目の覚めるような美少女がいた。

「なんだ、ヘレナか。どうした?」

「指揮官こそ、どうしたの?」

 心配げな顔をして近づいてくるパジャマ姿の美少女は、

 

 実は人間ではない。

 

 KAN-SENと呼ばれる、一種の『兵器』だ。

 〈セイレーン〉と呼称される突然現れた正体不明の敵に対抗する為に、人類が手に入れた最強の武器。

 少女の姿で、軍艦に匹敵する戦闘力を誇る。人間などひとひねりだ。

 しかし、彼女達の銃口が人間に向くことはありえないが。

 手に持ったコーヒー入りの紙コップを掲げる。

「目が覚めてな。お前も飲むか?」

「眠れなくなっちゃうわよ?」

 眉をハの字にするヘレナに自販機の前を譲り、隣に座って壁に背中を預けた。

「いざとなったら、ベルファストが起こしてくれるだろ」

「頼りすぎはいけないと思うわ……」

 不服そうに唇を尖らせるヘレナが面白く、つい笑ってしまう。

 青髪の少女はホットミルクのボタンを押して、

「それより指揮官、シャツくらい着ないと」

「あぁ、忘れてた。いいだろ、暑いし」

 今度こそ怒って頬を膨らませた。

「よ・く・な・い・わ!」

「ホットミルクって、この暑いのによく飲むな」

「話を逸らさないで!」

「こうしてるとハイスクール時代を思い出すな」

「し・き・か・ん!」

 怒りながらもホットミルクを持って隣に座ってくるのが可愛くて、からかいたくなる。

「面白い奴がいたんだよ、ミルクが好きでさ」

「ビルとヘンリーとアンジュでしょ、何度も聞いたわ」

 先回りされて言葉を失う。

 そのまま、二人で黙って紙コップを傾けた。

 窓から月明かりが差し込んでくる。本当にハイスクール時代を思い出しそうになって、

 

 肩に柔らかな重みを感じた。

 

 目だけを動かしてみれば、ヘレナが寝入っていた。

 手の中の紙コップを器用に両手で掴んで、寝息を立てている。

 

 勘違いをしてはいけない。

 KAN-SENは、自らを指揮する人間に思慕の情を抱く。理由は不明だが、そういうものと受け入れるしかない。

 彼女達は自ら望んで、人類を守る為に戦う。

 どこまでも人間に都合のいい存在なのだ。

 

 だから、ここで手を出してはいけない。

 それは、彼女を都合のいい存在として扱うということだ。

 おそらく、今から何をしたって彼女は受け入れるだろう。

 

 何故なら、彼女はKAN-SENだから。

 『指揮官』に、思慕の情を抱いているから。

 それを、都合よく利用していないなんて誰が言えるだろう。

 

 ぬるくなった無糖のコーヒーは、クソみたいに苦かった。

 

 ※               ※                 ※

 

――海軍特殊兵学校を卒業し、アプラ海軍基地に配属になって一年。

 なんとか一年が経って軍服も少しサマになってきた頃、彼女と出会った。

 

 ユニオン所属、軽巡洋艦〈ヘレナ〉。

 

 赤みがかった長い青髪に、少女といっていいか細い肢体。憂いを帯びた表情に、自信なさげな態度。

 正直、最初に見たときは面倒そうな奴がきたな、と思った。

 その疑念は外れることなく、〈ヘレナ〉は何かとすぐ思い悩むKAN-SENだった。

 常夏の島グアムに似合わない湿り気を帯びた彼女にどう接するか、随分と困ったのを覚えている。

 それでも半年も経てばなんでも慣れるもので、そもそもKAN-SENは大体都合良く出来ているのだから放っておいてもなんとかなった。

 〈ラフィー〉や〈クリーブランド〉など仲の良いKAN-SENが配属されていたおかげもある。優先的に〈セントルイス〉を回してもらえると聞いたときは耳を疑った。

 ヘレナは彼女達に得意の料理を振舞うことが多々あったらしい。当時、クリーブランドやラフィーに良く自慢された。

 その時の俺は、一々報告しなくていいよ鬱陶しい、くらいに思っていた。

 指揮官といっても、ヘレナとの仲は上司と部下以上のものではなかったから。

 

 俺が初めてヘレナのアップルパイを食べたのは、その年のクリスマスだった。

 

 アプラ海軍基地のクリスマスは、それはもう笑えるくらい毎年派手に騒ぐ。

 クリスマスは島ごと巻き込んでのお祭りになることも多く、その準備も数日前から始まる。その年は、我が部隊が裏方をやる番だった。

 俺も、考えが甘かったのだ。

 パイにクリーム・パフ、ケーキにブラウニー。そういったデザートの担当主任を、その腕を見込んでヘレナに任せた。

 準備は順調に進行していた。

 普段は怠けるラフィーもこの時ばかりは張り切って手伝い、イベント毎には全力のクリーブランドも活躍していた。

 思えば、彼女達の姿に感化されていたのだろう。元々気負いやすいヘレナは、当時セントルイスが着任したばかりなこともあって良い所を見せようとしていた。

 そして、当日。

 ヘレナのデザートは大好評で、特にパイは絶品だと誰もが舌鼓を打っていた。次から次になくなり、ヘレナは厨房から一歩も動けない状況が続いた。

 それが不味かった。

 頑張りすぎたし、上手く行き過ぎたのだ。

 材料の在庫が空になった。

 会場に出す分はともかく、裏方が食べる分は欠片だって残っていやしなかった。

 ラフィーのも、クリーブランドのも、セントルイスのも。おそらくヘレナが一番食べて欲しかったであろう人達の分は、なくなっていた。

 その時の彼女の顔を、今でも覚えている。

 声をかけたのは、殆どうっかりみたいなものだった。

「大丈夫か?」

「あ、指揮官……」

 普段は数百人分の料理を作るバカみたいに広い厨房で、手も顔も粉まみれにして、青髪の少女は呆然と佇んでいた。

 人がいないせいで、酷く閑散とした雰囲気が漂う。少し前まで厨房に詰めていた連中は、ここぞとばかりに外に遊びに出た。

 材料がなくなったのだ。他の誰かに食われる前に、確保する必要がある。

「他は全員飢えた獣みたいに出て行ったぞ。お前は行かないのか?」

「……うん」

 少し顎を引くくらいの動きで頷く。

 その表情は、憂いを帯びるどころか今にも泣き出しそうだった。

「パイは大好評だったぞ。お前のおかげで、今年は大成功だ」

「……そう、良かった」

 無理やりに笑おうとして、世にも変な顔になっていることを気づいているのだろうか。

 教えてやれば、怒るだろうか。

 多分泣くな、と思って止めた。

「行くぞ」

「え?」

 この事態の責任は、俺にある。

 指揮官としての務めを果たさなくてはならない。

 驚いた顔で見上げてくるヘレナに、作戦内容を伝える。

「買出しだ」

「え、でも、もうどこも閉まってるわ」

 がらんとした厨房で立ち尽くすKAN-SENが、訝しげにこちらを見る。

 そんなことは、百も承知なのだ。

「会場のどっかにスーパーの店主がいるだろうから、探して鍵を借りる。そしたらジープで街まで行けばいい」

 顔は覚えてる。ベルファストに頼まれてお使いにいっていたことが役に立った。

 戸惑うようにヘレナが視線を泳がせる。

「そんな、迷惑よ。それに、車の貸し出し許可だって、」

 だから、そんなことは百も承知なのだ。

「これは俺の失態だ。必要量の計算を間違えていた。だから、迷惑でもやるし、その責任は俺が負う。ジープに関しちゃ、勝手に借りても今夜は誰も見てやしない」

 ヘレナの目が見開かれる。

 むちゃくちゃだが、親の七光りはこういう時に使うものだ。

「あとは、俺じゃ何が必要かわからない。お前の協力が必要だ。手伝ってくれ、ヘレナ」

 真っ直ぐに目を合わせる。

 彼女達の努力は、指揮官としてずっと見てきたつもりだ。

 それに報いる事が、KAN-SEN指揮官としての役割だと思う。

 驚きに見開かれたアメジストの瞳が細まり、しっかりと見つめ返される。

「はい」

 肯いたヘレナの手を取って、祭りの終わりに向けて最後の一騒ぎをしている会場を探し回った。

 店主を見つけ、何一つ問題なんかなく、ヘレナを乗せたジープを街へと向かわせる。

 明かりもついておらず誰もいないスーパーに入るのは初めてで、洞窟でも探検しているような気分になった。

 念の為にと持ってきた懐中電灯をつけ、ヘレナと身を寄せ合って必要なものを探す。一通り抱えて基地に戻った時は、もう祭りは終わって島の人達は帰るところだった。

 店主に鍵を返し、材料を厨房まで運ぶ。俺にできるのはそこまでだった。

 あとはもう、ヘレナがこちらのことなど視界に入らないかのように急いで調理を始めていた。ラフィーあたりが眠ってしまう前に間に合わせようとしたのだろう。

 鍵番に睨まれながらジープの鍵を返却し、司令室にこもる。

 それなりに疲れた。今日の仕事が全部終わった事を確認して、背もたれに寄りかかる。

 ここなら、誰も来ることはない。ベルファストは会場の担当だから、最低でも明日まではそちらにかかりきりになるはずだ。

 まどろむようにうとうととしていた時、ドアが開く音が聞こえた。

「……誰だ?」

「私、ヘレナよ」

 意外な相手に、目が覚めてしまう。

 外の会場の明かりが差し込む司令室で、青髪の少女が手に何かを持って近づいてきた。

「あー……ラフィー達はパイにありつけたのか?」

「えぇ、美味しいって喜んでくれたわ」

 そいつは何より、と呟くと、再び眠気の尻尾が頭にまとわりつく。

 安心すると、人間眠くなるものらしい。

 

「だから、これはそのお礼」

 

 ことり、と何かが机の上に置かれる。

 視線を下げれば、焼き立てと思しきアップルパイが皿に乗っていた。ご丁寧にフォークまでついている。

 鼻をくすぐる香りに、腹の虫が鳴った。

「指揮官、今日殆ど食べてないって聞いたから」

「……ありがたいが、ラフィーに恨まれそうだな」

 そういえば、朝からあちこち走り回って何かを食べた記憶がない。

 食欲と睡眠欲の戦争は、食欲軍が勝利した。

「じゃ、遠慮なく」

「はい、どうぞ」

 フォークで切り分けて、一口食べる。

 ふと、昔を思い出した。

 ユニオンでは、アップルパイは一般的な家庭料理だ。母から娘へと受け継がれるその味は、家と国を象徴するものでもある。

 アップルパイのようにユニオン的だ、なんて慣用句もあるくらいだ。

 パンの次に主食といえるかもしれない。かくいう俺も、子供時代はバカみたいに食べた。

 母の作るアップルパイが美味しくて、毎日のようにねだったのを覚えている。

 バターの効いたサクっとした食感の生地に、しゃくっとした歯ざわりの残るリンゴ。パイ生地の間にぎゅうぎゅうに詰まったリンゴは甘く、それでもしつこく口には残らない。

 生地が、ほのかに甘酸っぱい。

 多分、すり下ろしたリンゴを少し混ぜている。

 母と同じように。

 今日と同じクリスマスに、毎年家族と食べていたパイと同じ味がした。

 どうしようもなくこみ上げてくるものがあって、パイと一緒に飲み込んだ。

「……すげぇ美味い」

「良かった」

 安堵の息と共にこぼれた笑みは、彼女と出会ってから初めて見るものだった。

 母と少しも似ていない愛らしい笑顔を、どうしてか直視することができない。

 喋るのも面倒になってばくばくと食う俺を見つめながら、

「ありがとう、指揮官」

 面倒くさい我が部下は、そう口にした。

「私一人だったら、どうしようもなかったわ。こんな気持ちになんて、きっとなれなかったと思う」

 食べるのに忙しく、何かを言おうにも口に物が入っていてどうにもならない。

 その青髪の少女は、何か決意を固めるように深く呼吸して、

 

「Merry Christmas, My Commander」

 

 口を半開きにしたまま、フォークを取り落とす。

 

 何かが、かちりと音を立てた気がした。

 

 

 別に、それから何が変わったわけでもない。

 諸々の政治的事情を含めて〈ベルファスト〉に頼んでいた秘書の仕事を、ヘレナにも頼むようになったくらいだ。

 買い出しには、その後も何度か出かけた。

 ヘレナの頼みで行くことも、勿論あった。何を買えばいいのか分からないから、助手席に彼女を乗せて街まで行った。

 私服に着替えるのは、軍服じゃあ街で目立つからだ。

 そんな下らない言い訳を繰り返している内に、どうにもならないところまできたと気づいたのは最近のことだ。

 隣に寄り添い自分を慕う美しい少女に耐えられる指揮官は、そう多くない。

 俺もまた、そんな上等な指揮官にはなれなかった。

 

 アプラ海軍基地に配属されてから三回目、ヘレナが着任してから二回目の冬。

 その年のクリスマスも、アップルパイを食べた。

 クリスマスが終わりそうな夜に、甘い香りの漂う彼女と二人きりの司令室で。

 薄暗い部屋の中で彼女の瞳が潤んでいた理由を、俺は今も分からないでいる。

 あの夜の俺がアップルパイを食べるだけで済んだのは、多分、

 

 その直前に会場で、違う部隊の〈ヘレナ〉とすれ違ったからだと思う――

 

 ※              ※                 ※

 

 彼――ユニオン第七艦隊所属第64任務部隊司令官ジェイムス・スコット少将二十五歳独身が目を覚ましたのは、自室のドアを叩くノックの音が聞こえてからだった。

 ベッドの上で体を起こし、上半身裸のままろくに物のない室内を見回す。

 時計が目に付く。6時30分。

 訓練生時代より三時間も遅い起床だ。これも指揮官の特権というやつだろう。

 その代わり、何かあれば深夜だろうが叩き起こされるが。

「朝食とコーヒーをお持ちしました」

 扉の向こうから聞こえた甘く心地よい声に、少将が首を鳴らす。

「あぁ、入ってくれ」

 返事をするとほぼ同時に扉が開く。

 部屋に入ってきたのは、メイド服を着た見目麗しい女性だった。

 胸元がやや大胆だが、全体としてヴィクトリアンの空気を感じさせる。それは、服というより本人の影響が大きいのかもしれないが。

 光の具合によっては銀にも見える白髪と、淡いアメジストの瞳。街で見かければ100人が100人振り向く美貌は、およそ人の限界を超えていた。

 ロイヤル所属、軽巡洋艦〈ベルファスト〉。少将が配属当初から世話になっている同盟国からの出向艦だ。

「おはようございます、()()()。ただ今ご用意致します」

「おはよう、ベルファスト。頼むよ」

 シルクの布がかけられたサービスワゴンからポットとバスケットを取り出し、手際よく準備していく。

 その様子を横目に、上半身裸の指揮官は顔を洗いに洗面台へと移動した。

 本来、彼女――〈ベルファスト〉は自らが所属する艦隊の司令官を『ご主人様』と呼ぶ。しかし、彼女は現在所属する第64任務部隊司令官である少将のことをそう呼ばない。

 自分はあくまでロイヤルから出向しているだけ――彼女は、その姿勢を三年間ずっと崩していない。

 だから、彼も彼女のことを『ベル』でなく、ベルファストと呼んでいる。ご主人様でない人間が愛称で呼ぶのは躊躇われるものがあるからだ。

 三年も苦楽を共にしていれば、親愛の情くらい湧く。彼女の矜持を大事にしたいと、少将だって思うのだ。

 タオルで顔を拭き寝癖を適当に整え、クローゼットからシャツを引っ張り出す。

 パジャマ代わりのズボンを放り投げ、真白い軍服に身を包んだ。

「指揮官、ご用意できました」

「あぁ」

 タイミングぴったりのベルファストの呼びかけに頷いて、引かれた椅子に座る。

 そこまでしなくていいと言うのだが、やはり最初がまずかった。ベルファストに世話を焼かれるしかなかった頃の印象が、おそらく彼女の中でも抜けていない。

 彼女の中で、自分は多分ラフィーと同じ分類だ。

 姉というものがいない指揮官にとって、くすぐったくも嬉しく思うところもあるのだが。

「では、本日のスケジュールと通達された任務、指揮官宛のお手紙を読み上げさせて頂いて宜しいでしょうか?」

「頼む」

 三年間、毎朝繰り返されたやり取り。

 耳に馴染んだベルファストの声を聞きながら、朝食を摂りコーヒーを飲む。

 スケジュールに変更はなし、任務は普段と変わらず。重桜やセイレーンがちょっかいをかけてこない限り、アプラ海軍基地は平和そのものだ。

 しかしいざ事が起これば、グアム島という地理上最前線の戦場と化す。

 ベルファストという例外がいるのも、その地理の問題が大きい。同盟国として、ロイヤルもユニオンに義理立てしなければならないということだ。

 彼女の手袋に包まれた細い指先が、手紙をめくる音がする。

「最後のお手紙です。

 『親愛なる我が息子へ

  元気にしているか? 父さんは元気だ。

  ところで、そろそろお前も相手の一人くらい作る気はないか?

  実は、父さんの知り合いで――』」

 コーヒーを吹き出しかけて、慌ててハンカチで口元を覆った。

「ベルファスト! いい、その手紙はそれ以上読まなくていい」

「ペンタゴンのノーマン・スコット大将からのお手紙ですが」

「分かってる! 頼むから虐めるのは止めてくれ」

 背もたれに身を預ける指揮官に、ベルファストがくすりと笑う。

 手紙を片付け、済ました顔で彼女は少将を急かした。

「食事を終えられましたら、司令室へお願いします。ヘレナが待機していますから」

「……父さんからの手紙を最後にしたのは、わざとだろ?」

「何のことでしょう?」

 微笑んですっとぼけるベルファストに、それ以上追求する気力を失う。

 こうなってしまったらもう手を上げるしかないのは、三年で嫌というほど理解した。

 わざとらしく溜息を吐いて、腰を上げる。

「じゃあ、後はよろしく」

「お気をつけていってらっしゃいませ」

 うやうやしく頭を下げるベルファストを背後に、廊下に出る。

 指揮官の自室は、基本的に司令棟の中に用意される。緊急時の素早い対応を可能にする為と、KAN-SENに関わらない軍人との区別を設ける為だ。

 司令棟の最上階は、指揮官達の私室が立ち並んでいる。

 その中の一つがジェイムス・スコット少将の自室であり、だからこそその廊下はKAN-SENも多く行き交っている。

 

 勿論その中には、軽巡洋艦〈ヘレナ〉の姿もあった。

 

 赤みがかった長い青髪を揺らし、駆逐艦〈ニコラス〉と一緒に歩いている。

 少将の姿を認め、礼を失しない程度の会釈をしてきた。

 同じように会釈を返す少将の横を〈ヘレナ〉が通り過ぎる。

 帽子を目深に被り直し、彼は第64司令室へと向かった。

 廊下を通り過ぎ階段を降り、また歩いて目的の部屋の前で足を止める。

 プレートにある文字を確認して、ポケットから取り出した鍵でドアを開けた。

「あ、指揮官。おはようございます」

 最初に会った時に比べて少しだけ明るくなった笑顔を浮かべ、ヘレナがこちらを向く。

 赤みがかった長い青髪、少女といっていいか細い肢体、アメジストの瞳とどこか舌足らずで愛らしい声。

 

 そのどれもが、先程廊下ですれ違った少女と同じだった。

 

「おはよう。今日もよろしく」

「うんっ」

 嬉しそうに肯くヘレナを横目に、帽子をハンガーポールにかけて机に向かう。

 システムを起動して浮かび上がるディスプレイに目を通し、コンソールを叩く。

 セイレーン技術の転用であちこち電子化しているが、それでも主要な連絡手段は紙から進化していない。特に海を隔てた連絡などは紙媒体以外ありえない。

 幅広の執務机には、ヘレナが整頓したのであろう書類が数センチの厚さで乗っている。

「ヘレナ、先週末の会議録はあるか? ボブがコーヒーにいれるミルクがないって駄々こねたやつ」

「ロバート・キャラハン少将ね? あるわよ、えっと、確かこっちに……」

 苦笑しながら、ヘレナは分厚いファイルが所狭しと並べられた棚を物色する。

 踵を上げて背表紙を確認するヘレナを、なんとはなしに指揮官は眺めていた。

 KAN-SENには、〈素体〉と〈駒〉、そして〈量産型〉の三種類が存在する。

 各指揮官の下に送られるのは〈駒〉で、これはいわばオリジナルである〈素体〉のクローンのようなものだ。

 だから、同じ姿、声、性格のKAN-SENが存在する。

 分かっていた。

 それでも、KAN-SENごとに記憶と経験は異なっていき、それにより性格にも多少の差異が生まれ個性が発生する。

 それも、分かっていた。

 それが頭で理解しているだけだと知ったのは、ほんの数ヶ月前だったように思う。

 溜息を噛み殺し、ディスプレイに向き直る。

「きゃっ」

「ヘレナッ!?」

 慌てたようなヘレナの声と何かが落ちる音が聞こえて、反射的に腰を浮かせた。

 

 ()()()に同じ目で違う視線を向けられる度、頭が狂いそうになる自分に気がついたのは、つい最近のことだった。

 

 ※                  ※              ※

 

 午前中の仕事を終わらせ、少将はトレーニングルームへと向かった。

 受諾している任務も差し迫ったものはない。最近は重桜も大人しく、多少の時間を作ることは簡単だった。

 更衣室でスポーツウェアに着替え、ずらりとマシンの並べられた大部屋に入る。

 ランニングマシンにスピンバイク、チェストプレスマシン、ラットマシン等々が惜しげもなく並び、筋骨隆々の軍人達が体を鍛えていた。

 といっても、マシンで行うのは基本的に筋力の維持だ。主に机仕事のKAN-SEN指揮官などが活用する為に開放されている。

 少将はバタフライマシンに座り、ウェイトを40kgに設定してバーを握りミットに肘の内側を当てる。

 深呼吸をして、ゆっくりと両腕を胸の前で閉じて開く。

 二回目をやろうとしたところで、声がかけられた。

「よう、精が出るねぇ。尻で椅子を磨く仕事の後は機械を磨く仕事かい?」

「清潔にして悪いことはありませんよ、フーバー曹長」

 意地悪く笑う筋肉ダルマみたいな黒人曹長の方を見ることもなく、白人少将はもう一度両腕を閉じて開いた。

 筋肉ダルマ――ギルバート・フーバー曹長は面食らったように目を瞬かせ、嬉しそうに顔中の筋肉を使って笑う。

「言うようになったじゃねぇか、坊ちゃん!」

「七光りは否定しませんけど、坊ちゃんは勘弁してください」

 三回目が終わった隙を見計らって、フーバー曹長がヘッドロックをかけてくる。

 指揮官も満更でもない顔で曹長の腕をタップしていた。

 フーバー曹長は、指揮官が着任当初から世話になっている人の一人だ。この基地で頭が上がらない人を選べと言われたら、人間では彼が該当するだろう。

 一回り以上年上とは思えない体格に、口は悪いが気さくな性格。通常部隊の軍人である彼とKAN-SEN指揮官である少将とでは指揮系統こそ違えど、だからこそ階級を超えた関係が築けていた。

「じゃあお前もギルって呼べよ」

「俺みたいなガキがそんなナマ言ったら、部隊の人らにぶん殴られますよ」

「Greenhornってかぁ? 三年も経ってそりゃねぇだろよぉ!」

 呵々大笑しながら背中を叩かれ、指揮官が咳き込む。

 曹長を愛称で呼ばないのは、恐れ多い気持ちもあるが一応は分別の為だ。身内の揉め事は何もアズールレーンとレッドアクシズという世界単位だけではない。

 特に、父親がペンタゴンに勤めている身としては、気にしないことは無理だった。

「それで、何か御用ですか?」

「愛想も何もねぇな、てめぇは……まぁいいや、明日は暇か?」

 腕組みをする曹長を横目に、もう一度マシンに座り直す。

 肩甲骨をしっかり寄せて胸を張り、左右のバーを握る。

「予定はありませんが……何か?」

 胸の筋肉を意識しながら両腕を閉じて開く。四回目。

 十回1セットで、1セットごとに10kgずつウェイトを上げるのが少将のやり方だ。

「俺の友人がパーティーを開くんだが、お前もどうだ? せっかくの休みに部屋で一人ってのも勿体ねぇだろ?」

 五回目。朝の父親からの手紙を思い出す。

「それで、彼女でも作らそうって魂胆ですか?」

 曹長がギクリとしたのがはっきり見えた。六回目。

 長年軍人やってる割には、腹芸が向かない人だと思う。

「行きませんよ、そんなの。っていうか何なんですか父さんといい曹長といい」

 怒りに任せて七回目を終わらせたところで、曹長が驚いた顔をした。

「なんだ、そうか、お前んとこにまだ来てなかったか」

「はい? 何のことですか?」

 しまったな、という表情の曹長を半目で見上げる。

 がりがりと頭を掻いて、筋肉ダルマは観念したように言った。

「いやな、そろそろお前んとこにくるはずなんだよ。ケッコン任務」

「……誓いの指輪なら、もう持ってますけど」

 八回目。支給された指輪なら自室の机の引き出しの奥深くに眠っている。

 ふざけたシステムだと思うが、実際にKAN-SENの性能が上がるというのだから始末に終えない。

「あーいや、そうじゃなくてな。指輪を持っておきながら誰ともケッコンしてねぇ指揮官を対象に、せっつく内容のやつがな」

「……上は暇なんですかね」

 大体、あの誓約書だってなんてものを作るんだと思う。九回目。

 初めて見たときは気が遠くなった。ある意味本物の婚姻届よりタチが悪い。

「上には上の考えがあんのさ。でもま、下がそれに全部大人しく付き合うこともねぇ。だからここはいっちょ彼女でも作ってだな、」

「お断りします」

 曹長の声を遮るように断言し、十回目を、

 

「KAN-SENはやめとけ」

 

 両腕を閉じた状態で、動きを止めた。

「どんなに見た目も中身も良くてもな、ありゃ人外だ。人間相手とは違う苦労があるだろうし、合わない事も多かろうさ。付き合うのはベッドの上だけにしとけ」

 茶化してはいるが、親身になって話してくれているのは分かる。

 そして、そんなことは、とっくの昔に分かっているのだ。

「……で、誰の差し金ですか?」

 左右のバーを元の位置に戻し、ウェイトを10kg上げる。薄っすらと滲む汗を拭いたいが、タオルをもってくるのを忘れてしまった。

 曹長がバツの悪そうな顔をする。

「そういう勘の良いとこばっか親父似なのな、お前……基地司令サマだよ」

「相変わらず、ハルゼー大将に弱いんですね」

 フーバー曹長は実に嫌そうに唇を歪めた。

 アプラ海軍基地司令ウィリアム・ハルゼー大将はノーマン・スコット大将と旧知の仲であり、その影響で息子の少将も何かと気にかけてもらっていた。

 この基地に配属が決まったのも手回しがあったとかなかったとか。フーバー曹長は新兵時代に二人に世話になったとかで、今でも頭が上がらないらしい。

「いやでもな、マジで心配はしてるんだ。人によっちゃ病気になっちまったり、軍を辞めたりしてんだからよ」

 長い軍人生活で、曹長は多くのものを見てきたのだろう。

 少将だって、彼の好意を無碍にしたいわけでもない。

「産めよ増やせよ、が今の国が掲げてる大義名分ですしね」

「そう皮肉を言うな。KAN-SENとの間に子供ができるかは未確認だけどよ」

 ふと、最悪な想像が頭に浮かんだ。

「……もしもKAN-SENとの間に子供が生まれたなら、上は推奨しますかね」

「……お前はよく、そんなクソみたいなこと思いつくな」

 表情からして、曹長も同じ結論に至ったようだ。

 姿勢を整えて、左右のバーを握る。

「そんなに心配されなくても、俺は大丈夫ですよ」

「そんなこと言ってお前――ほら、おいでなすったぞ」

 曹長に釣られるように視線を向ければ、ドアを開けてヘレナが入ってくるのが見えた。

 手には吸水性のよさそうなタオル。

 きょろきょろと周囲を見回して、こちらを見つけると嬉しそうに小走りに駆け寄ってくる。

「指揮官、忘れ物よ」

 曹長に会釈して、タオルを差し出す。

 とりあえず曹長の事は意識から追い出して、指揮官は彼女の手から受け取った。

「あぁ、ありがとう」

「今日のお昼はどうするの?」

 笑顔で尋ねてくるヘレナの顔をマトモに見るのが若干辛い。

「食堂で摂ろうかと思ってる。急ぎの書類もないだろ?」

「うん。じゃあ、ベルファストさんにはそう伝えるね。午後の哨戒はいつもの?」

「それでいい。ラフィーは寝てないだろうな?」

「うーん、大丈夫……だと思う。ちょっと見てこようか?」

「頼んだ。あいつが駄々をこねだすと、お前の言うこと以外聞かないしな」

「そんなことないと思うけど……それじゃ、食堂でね」

 小さく手を振り、曹長に頭を下げてヘレナはトレーニングルームを出て行く。

 深く息を吐いてマシンの背もたれに身を預けた。

「俺は大丈夫、ねぇ……?」

 意味ありげな曹長の視線を感じながら、絶対に目だけはあわせないと少将は誓う。

「ただの業務連絡ですよ」

「俺にゃ、昼食の誘いにしか聞こえなかったけどなぁ?」

「耳が腐ってるんです。いい医者紹介しますよ」

 平静を装ってなんとかトレーニングを再開しようとするが、微妙に手が震えて上手くいかない。

 ちらりと視線を向ければ、時計は12時を指し示していた。

「……お前は、あの子が同じ〈ヘレナ〉の群れの中にいたら見つけられると思うか?」

 今度は茶化していない、真剣な声色だった。

 そんなこと、何度だって嫌になるほど考えてきた。

「人間だって同じことですよ」

「俺は思考実験の話なんかしてねぇよ。現実の話をしてんだ」

 そんなことくらい、分かっている。

 この基地にだって、彼女以外の〈ヘレナ〉がいるのだ。

 それでも、今さっき自分と話した〈ヘレナ〉は彼女だけだ。

 そんなこと、何度だって考えてきた。

 ウェイトの設定値をデフォルトに戻して、少将はマシンから離れる。

「そろそろ時間ですよね」

「ん? あー、そうか。今日の護衛はお前んとこの〈セントルイス〉と〈ホノルル〉だったな」

 時計を見上げて、曹長が顔を歪めた。

 今の海軍の主な任務は、輸送だ。いつどこで襲撃されるかも分からない海は、民間が気軽に船を出せるものではない。

 航空機など飛ばそうもんなら落としてくれといってるようなものだ。

 よって、軍での物資以外にも、民間に下ろす荷物も運ぶのが通常艦艇の責務だった。

「まぁ、明日のことは考えといてくれ。気が変わったらいつでも俺に連絡しろよ」

 そう言い残し、フーバー曹長は任務を果たしに出て行った。

 その背中を見送って、指揮官はランニングマシンに乗る。

 速度を30km、傾斜を15度に。めちゃくちゃな設定をして、スタートさせた。

 とにかく何も考えたくなかった。

 食堂に行く前に、今頭の中で考えていることを全部忘れたい。

 指揮官三年目の青年は、めちゃくちゃに足を動かした。

 

 ※               ※               ※

 

 食堂はいつものように混んでいた。

 数百人が一度に食事をできる広さに、長机が幾つも並んでいる。東側の窓から差し込む光は照明がなくとも十分に明るく、軍服や作業服の人々が談笑している姿を照らしている。

 勿論、KAN-SENも多くがここで食事をする。食べる物は人間とさほど変わらない。

 北側に面したカウンターには各種料理が置かれ、ビュッフェに近い形式となっている。

 カウンターにいる担当者に声をかけ、置かれていない料理を作ってもらうこともできる。温めるのは基本セルフだが、スープなどは鍋から直接よそってもらうことも可能だ。

 トレーニングを終えた指揮官は、適当にトレイに盛っていつもの席へ向かう。

 そこには、既にヘレナがいてサラダをついばんでいた。

「指揮官、こっちよ」

「あぁ……ん?」

 ヘレナの隣にトレイが置いてある。中身がりんごを含めた果物ばかりで、ブランデー入りの紅茶が添えられていた。

 半眼になってトレイを置くついでに軽く覗き見れば、ウサ耳の髪飾りをつけたアルビノにしか見えない少女がヘレナの膝で眠っていた。

「ごめんなさい、哨戒までには起こすから」

「……そうしてもらえると助かる」

 申し訳なさそうなヘレナにそれ以上何を言う気も起こらず、肉にフォークを突き刺して口の中に放り込む。

 眠るのが大好きな駆逐艦〈ラフィー〉。彼の部隊最古参の一隻だが、その態度は自由の国ユニオンを象徴するようなものだった。

 少将にしてみれば、何だかナメられている気がしないでもない。これもまたベルファストと同じで、最初がマズかったと彼は思っている。

 ヘレナが着任してからは、彼女に懐いているようで随分助かっているが。

「さっきはフーバー曹長と何を話していたの?」

 トマトをつつきながら、ヘレナが遠慮がちに尋ねてくる。

 一応、彼女も曹長とは面識がある。親しいかと言われると首を横に振るしかないが。

 どのKAN-SENも、自分の指揮官以外とは大抵そんなものだ。

「ただの世間話」

「……そっか、うん」

 チェリートマトを口に入れ、もごもごと動かす。

 明らかに納得していないのが分かりきった仕草に、指揮官は色んなものと一緒に口の中の肉を飲み干した。

「明日、曹長の友人がパーティー開くんだと。それに招待された」

「あっ、明日って休みなんだっけ?」

「……あぁ」

 スケジュールは把握しているはずなのにとぼけるヘレナを一瞥し、食事を続ける。

 青髪の少女は視線が定まらないまま、

「よそとの付き合いも大事だものね。指揮官、自分からは余り外に出ないし」

 苦し紛れの愛想笑いを浮かべて、フォークをサラダに何度も突き刺した。

「こぼれてるぞ」

「えっ? あっ、ごめんなさい」

 飛び散った野菜の破片をトレイに乗せ、ヘレナはフォークから手を離す。

 どうやらラフィーの顔にもついていたようで、ヘレナに触れられてのっそりと体を起こした。

「ん~……おはよう、ヘレナ、指揮官……」

「……おはよう」

 半眼で挨拶する指揮官のことなど気にせず、ラフィーは可愛らしい欠伸をする。

「ごめんね、起こしちゃった?」

「んーん……大丈夫」

 すまなそうなヘレナに小さく首を横に振り、ウサギの形のリンゴを両手で持って噛り付いた。

 それだけ見ると愛らしい姿だが、外見に惑わされてはいけないと少将はこの三年間で十分に思い知っている。

 釘を差すように、半眼のまま通達する。

「聞いてると思うが、午後からいつもの編成で哨戒任務な」

「ん~……」

 否定とも肯定ともつかない返事だが、これが普段通りだ。KAN-SEN指揮官に特殊な訓練が必要であることが良く分かる。

 それが果たしてどんな技能かは、少将は考えないことにした。

「気を抜くなよ。敵はセイレーンだけじゃないんだぞ」

 別に何があるとも彼自身も思っていない、形ばかりの忠告だ。それでも一応言っておかないと、示しがつかないだろう。

 食堂には職員も軍人も山ほどいるのだ。さっきから実は結構痛い視線を浴びている。

 ラフィーは目をこすり、

「……ヘレナのパイが食べたい」

 突然の要望に、名指しされたヘレナがむせた。

「明日でいいなら、アップルパイを食わせてやる」

「えぇっ!?」

 あっさりと受け答えした指揮官に驚くヘレナ。

 ラフィーが嬉しそうに笑って、

「……頑張る」

 ブランデー入りの紅茶を呷るように飲んだ。

「というわけで、頼めるか?」

 話を振られ、目を白黒させながらヘレナは肯く。

「い、いいけど……あの、でも、明日って、」

「パーティーの件なら断った。元から行く気はない」

 指揮官の返答にヘレナは言葉につまり、恨めしそうな目を向ける。

 そんな目をされても、行くなんて一言も言っていないのだ。

「あ、でも、材料があるかな……」

 頬に手を当てて考え込むヘレナの隣で、ラフィーがじぃっと指揮官を見つめていた。

 KAN-SEN用の寮舎には、彼女達用の厨房と食堂がある。

 いつでも自由に使えるそこは、冷蔵庫も何もかも共用なのだ。ベルファストが朝食を作ってくるのも、その厨房である。

 視線の圧力に負けたわけではない、と少将は心の中で言い訳をする。

「何なら明日買いに行こう。その方が気兼ねなくていいだろ」

「えっ、」

 一瞬ヘレナは固まり、

「……うん、そうしてもらえると助かります」

 膝の上で手を組んで、はにかんだ。

 満足したように果物を口いっぱいに頬張るラフィーを横目に、指揮官は胸中で溜息をつく。

 ヘレナと出かけるのはこれが初めてではない。今まで何度もあったことだ。

 ただ、父の手紙や曹長の話が頭の中でぐるぐると渦を巻いている。

 30分程度走ったくらいでは、迷いも煩悩も消えてはくれなかった。

 

 午後の仕事は、珍しくラフィーが張り切ったおかげで普段よりもスムーズに進んだ。

 

 ※                ※                 ※

 

 その日はノックの音より早く目を覚ました。

 時計を見る。6時ちょうど。

 ベッドから起き上がり、上半身裸のままで机に近づく。

 一番下の引き出しを開け、雑然と詰まったものをかきわけて奥まったところに放り込んだ箱を取り出す。

 机の上に置いて、箱を開いた。

 妙に凝った意匠の指輪。銀色に輝くそれは、ダイヤかどうか指揮官には判別がつかない。

 悪趣味だと、心底思う。

 まるで本物の結婚指輪だ。

 昨日のフーバー曹長の話が頭をよぎる。

 KAN-SENとケッコンし、それこそ本物の夫婦同然になった指揮官の約半数が、その後精神に何らかの異常をきたすか軍を辞めている。

 どうしてそんなことになるのか。考えるまでもない。

 彼女達がKAN-SENで、〈駒〉で、大量生産される兵器だからだ。

 性格や記憶が違えば他人だなんて、そう割り切れる指揮官ばかりではない。

 一卵性の双子とか五つ子とか、そういう人間の尺度を越えている。それこそ下手をすれば、記憶だって同じにできるかもしれない。

 そんな相手を愛して、正常でいろというほうが無茶だろう。

 ママゴトとして指輪を渡す以外に、指揮官が自分を守る手段は存在しない。

 じゃあ、なんでそんなことを上層部が勧めるのか?

 戦時において、兵士とは消耗品だ。

 KAN-SEN指揮官も、その例に漏れず消耗品であるというだけだ。

 レッドアクシズを批難するだけの正当性なんて、アズールレーンにもありはしない。

 それでも、数多の指揮官が自ら消耗品になろうともKAN-SENに指輪を送る。理由は一つ、そうすれば彼女達に個別の名前を与えられるからだ。

 指揮官が名づける、この世でたった一つの名前。そうして、相手を無数にいる〈駒〉から自分だけのものにしようと、誓約書にサインする。

 

 そんなことをしたって、何も変わらないのに。

 

 同じ姿で、声で、違う誰かに愛を囁いているかもしれないのに。

 

 同じ艦の中に紛れたら、見分けなんてつかないくせに。

 

 だから、先達の指揮官の中には狂ってしまった人もいるのだろう。

 

 ノックの音がした。

 箱を閉じて引き出しを開け、奥に叩き込んで蹴飛ばすように閉める。

「コーヒーをお持ちしました」

 いつもの甘くとろけるような声。

 うるさく跳ね回る心臓をなだめ、指揮官は返事をする。

「入ってくれ」

 声をかけると同時にドアが開く。

 入ってきたのは間違いようもなく少将の部隊の〈ベルファスト〉で、さっきまでの内心を気取られまいと努めて平静を装う。

 尤も、この基地に〈ベルファスト〉は一人しかいないのだが。

「おはようございます、指揮官。シャワーはお済ませになりましたか?」

「おはよう、ベルファスト。そういやまだだったな……ん?」

 違和感を覚えて振り向けば、いつものすまし顔が目に映る。

 くすりともしないまま、ベルファストは続けた。

「デート当日は、早めのシャワーをお勧めします。お時間はまだ御座いますので」

「……誰に聞いた?」

 指揮官の質問に、

「最低でも、第64任務部隊の皆様はご存知かと」

 ベルファストはわざとズレた答えを返した。

「……シャワー浴びてくる」

 考えてみれば、食堂で話していたしラフィーもいたのだ。多少なりと広まっていても不思議はないだろう。

 頭痛がする頭を抱え、指揮官はバスタオルを引っ張り出して浴室へと向かった。

「緊急の任務が通達されておりますが、シャワーの後で宜しいですか?」

 指揮官は肩越しに振り向く。

 こういう聞き方を彼女がするのは珍しい。普段は勝手にどちらか都合が良い方を選んで報告してくれるのだが。

「概要だけは今聞くよ」

 肯くベルファストの顔は、妙に真剣だった。

「ペンタゴンの海軍司令部からの通達です。

 『ジェイムス・スコット少将は誓いの指輪を取得しながら今日に至るまでKAN-SENの能力向上に努めた形跡が認められない。

  ついては、特段の理由がない限り早急に指輪の使用、及びその報告を求める。

  期日について規定はないが、一定期間を過ぎても報告がない場合、改めて要請を行う可能性があることを留意されたし』

 とのことです」

 フーバー曹長の話どおりだな、と胸の内で呟く。

 事前に話を聞いておいて良かった。取り乱さずに済む。

「分かった。正式な書面は後で確認するからその辺に置いといてくれ」

「承知しました」

 どこか心配げな顔をするベルファストが気になったが、考えるより先にシャワーを浴びたかった。

 色んな考えがごっちゃになって、頭の中でぐるぐるしている。

 少しは整理しておかないと、デートの最中にも影響しそうだ。

 そう、今日はデートだ。ラフィーにノセられたところがあるにしても、自分から誘ってヘレナが肯いてくれたことには違いない。

 買い物をするだけ、なんて言い訳が通じるほど子供のつもりもない。

 昨日の食堂でのヘレナの顔を思い出す。

 胸がずきずきと痛んだ。

 このままでいいわけない、と思う。

 消耗品になる覚悟なら、とっくの昔に済ませたはずだ。

 蛇口をひねって、熱いシャワーを頭から浴びる。

 任務は丁度いいきっかけなのかもしれない。ぬるま湯のような関係を続けても、思い悩むことが増えるばっかりだ。

 いっそ思い切って進んでしまえば、違うものも見えるかもしれない。

 シャンプーを手にとって、髪にぶちまけた。

 ベルファストの表情の意味を考えることを、指揮官はすっかり忘れていた。

 

 

 食堂の前で〈ヘレナ〉とすれ違ったとき、少将は思わず声をかけそうになった。

 やはり姿も声も同じだと、傍目には全く違いが分からない。

 一緒にいるKAN-SENとこちらを見る視線で、なんとか違う〈ヘレナ〉だと理解して踏み止まった。

 心臓に悪い。

 朝からやけに疲れた気がして、いつもより少し多めにトレイに盛った。

 なんとなく指定席みたいになっている昨日と同じ席に座る。食堂内の人気は、朝で時間帯もズレているからか少なかった。

 誰も見ていないからと雑に飲み食いしていると、

「ここ、いいかしら?」

 聞き覚えのある艶かしい声に、ウィンナーが喉に詰まりそうになる。

 とっさにコーヒーで流し込んで振り向けば、妖艶な美女がトレイを手に微笑んでいた。

 セミロングの青髪を後ろでまとめあげ、ゆるくウェーブを描く毛先が肩にかかっている。赤みが強いアメジストの瞳といい、そこだけ見ればヘレナを彷彿とさせた。

 違うのは、その余りにド迫力なスタイルだろう。女としての魅力を抜群に備えたその肢体は、どちらかといえばベルファストに近い。

 ユニオン所属、軽巡洋艦〈セントルイス〉。

 見た目からも察せるように、ヘレナの姉にあたるKAN-SENであり、第64任務部隊所属の少将の部下でもあった。

 この部下が、少将はどうにも苦手だった。

「……どうぞ」

「ありがとう、指揮官くん」

 微笑んで、肩がくっつきそうなほど近くに座る。

 そういうところが、指揮官が彼女を苦手とする原因だった。

「食堂で朝食をとってるってことは、今日は本当に非番なのね」

「通達は行ってるだろ。俺が休みってことはお前達も休みなんだから」

 そうなんだけどね、と困ったように笑うセントルイスを横目に、パンに噛り付く。

 ミルクたっぷりのシリアルを口に運びながら、ヘレナの姉は言った。

「じゃあ、今日は本当にヘレナとデートなのね」

 パンが喉に詰まる前に動きを止めた。

 良く噛んで細切れに砕き、ゆっくりと喉に流し込む。

「買い物に行くだけだ」

「アップルパイの材料よね? ラフィーが食べたいって言ったから」

 筒抜けじゃねぇか、と指揮官は胸の内で悪態をついた。

 我が艦隊の情報管理能力は大丈夫かと心配になる。

「でも、それはデートに行く格好じゃないわよね?」

 セントルイスが指揮官の頭からつま先までをじっとりと眺める。

 カーゴパンツにタンクトップ、首元にはゴムカバーつきのドッグタグ。今から訓練に向かう新兵の様相であって、デートに向かう男の姿ではない。

「食堂で飯食うのに楽な格好してるだけ。後で着替えるよ」

「そう、良かったわ。いっそ私がコーディネートしようかと思っちゃった」

「勘弁してくれ……」

 何が悲しくてデート相手の姉に服を見立ててもらわなければならんのか。

 気恥ずかしいとか情けないとかを通り越して、いっそ埋めてくれと思う。

「指揮官くん、ヘレナのことよろしくね。あの子、あれで変に考え込むこととかあるから」

 それは良く知っている。

 というか、セントルイスと比べたら大概の相手は考え込むタイプだろう。

「出来る限りはするさ」

 そう返す指揮官をセントルイスはじっと見つめ、

「指揮官くんは『永遠の愛を誓いますか』って言われて、言葉に詰まっちゃうタイプよね」

 今度こそむせた。

 咳き込む指揮官の背中を、青髪の美女が優しくさする。

「大丈夫?」

「そ、そう思うなら、変なこと言うんじゃない!」

 乱れた呼吸を整え、睨むように失礼な部下を見やる。

「あら、違った?」

 悪びれないセントルイスに、指揮官は無言を貫いた。

 否定するにせよ肯定するにせよ、どっちも嘘っぽくなってしまう。

 その指揮官の様子を、セントルイスは苦笑して見つめていた。

「誠実なのは紳士の条件だけど、女の子の気持ちも考えてあげなくちゃダメよ」

「……肝に銘じておくよ」

 これ以上話すのが辛くなって、指揮官はトレイの残りを一気にかきこんだ。

 口いっぱいに物を詰め込んで、空になったトレイをもって席を立つ。

「気をつけてね。ホノルルと一緒に応援してるわ」

 咀嚼しているのをいいことに肯くだけにして、小さく手を振るセントルイスを置いて食堂から出る。

 彼女のその仕草は、ヘレナと実に良く似ていた。

 いや、ヘレナが良く似ているのか。

 良く分からなくなって、指揮官は考えるのを止めた。

 

 ※                  ※                ※

 

 待ち合わせ場所は、基地の正門前にした。

 人目につくのは避けたかったが、今更気にしても仕方がない。正式な手順に則って借りたジープを回し、六月とは思えない日差しの中でヘレナを探す。

 エアコンでも効かさないとやってられないが、電力を節約しなければならないのが離島の辛いところだ。

 おかげで、ジープはどれも折りたたみ式の屋根がついたコンバーチブルとなっている。

 冬も何もない常夏ならではの大胆な選択だが、スコールがきたらひとたまりもないなと思いながら視線を動かし、

 

 風になびく長い青髪に、目を奪われた。

 

 仄かに青みがかった白のワンピースは涼しげで、足元のサンダルと合わせて健康的ながらもどことなく品がある。つば広の帽子は、強い日差しへの対策だろう。

 常夏の島に相応しい、とても軍に所属しているとは思えない姿。

 我知らず見惚れていると、ヘレナの方がこちらに気づいて小さく手を振ってきた。

 はっと我に返り、彼女の前まで車を進ませる。

「悪い、待たせたか?」

「ううん、大丈夫。今日はよろしくね?」

 普段基地の中では見ない格好だからか、やたらと動悸が激しい。

 私服を見るのは初めてではないのに、昨日からの流れで妙に意識してしまう。

「あぁ。どうする、バリガダでいいか?」

「うん。バリガダで生地の材料買って、あとはタムニンがいいかな」

 助手席に座るヘレナから目を逸らし、頭の中に地図を思い浮かべる。タムニン、バリガダ、どっちもグアムの村の名前だ。

 基地のあるサンタ・リタから見て北東。バリガダは内陸でグアム経済の中心地、タムニンはその隣の海沿いの村で、かつてセイレーンが猛威を振るう前の経済中心地だ。

 聖書の一節のように地理情報を思い返し、煩悩を払う。

「今日はスコールの心配はないんだって」

 隣から聞こえる声が、いつもより甘ったるいのは気のせいだろうか。

「そりゃ良かった、買い物日和だ」

 横目でシートベルトを確認し、エンジンをかける。

 ジャケットに隠した四角い箱をそっと触り、指揮官はアクセルを踏んだ。

 

 

 グアムは、自然が多く残る島である。

 セイレーンとの戦争が始まる前は一大観光地であり、重桜を含むあらゆる国からひっきりなしに旅行客が訪れていた。

 街中にはヤシの木が並び、多くの店が軒を連ね、道端のパラソルの下で人々が笑いあって経済を回していた。

 だからこそ、セイレーンとの戦争のあおりをモロにくらった。

 観光産業は全滅、物理的な損害も多数。幸い元から海軍基地があった為、KAN-SENによる庇護はいち早く受けることが出来たものの、その被害は甚大なものだった。

 軒を連ねた店の殆どは潰れ、観光名所だった海沿いは当時の傷痕が色濃く残っている。

 居住者も店やホテルの従業員が大半だった為、シーレーンの回復と共に本土へと渡る人が増え、人口の減少に歯止めがきかなかった。

 今のグアムは、生き残った先住民と軍人、そしてその軍人相手に商売をする人々のみで構成されている。

 ある意味において、島が丸ごと軍事施設といっても過言ではないくらいだ。

 どこへ行っても軍人だらけという状況は、基地の中と大差ないかもしれない。

 それでも、半ばゴーストタウンと化した街並みであっても、お洒落をして気になる相手と一緒に歩けば、それは鼻歌を歌ってしまうほどのデートなのだ。

 ついつい、予定にないものまで買い込んでしまうくらいには。

「あと、他に何か買うものあるか?」

 軒先に並んだりんごを選ぶヘレナの後ろで、両手いっぱいに紙袋を抱えた指揮官が呻くように言う。

 重さは大したことはないが、かさばるものはどうしようもない。

 これ以上買うものがあるのなら、一度車に戻って置いてくるしかないだろう。

「だ、大丈夫、このリンゴで最後だから」

 さっきから同じような言葉を三度ほど聞いた気がする。

 そういえばお皿が割れていた、ソースが切れていた、クリーブランドの盆栽が植え替えの時期だった、と次々に買い物が増えていった。

 盆栽用の土が意外と重いのを、指揮官は今日初めて知った。

「あ、そうだ、ラフィーのお酒を買わなきゃ……」

 ちらりとこちらの様子を窺うヘレナに、文句を言う気が全部もっていかれた。

 そんな目で見なくとも、どうせこちらに拒否権などないのだ。

「それ買ったら一旦車に戻るぞ。土産はその後だ」

 顔色を変えない指揮官に、

「うんっ」

 ヘレナは嬉しそうに笑みを浮かべた。

 お嬢ちゃん可愛いからオマケだ、などと典型的なことをのたまう店主に礼を言い、ヘレナはリンゴの入った袋を抱えて指揮官の隣に並ぶ。

「持つぞ」

「ううん、平気だから」

 それ以上は指揮官も言わず、寄り添ってジープを停めてある駐車場に向かう。

 後部座席に荷物を載せ、もう一度来た道を戻る。荷物を取る奴もいないのは、ゴーストタウンの数少ない長所だ。

「ラフィーの酒と、他には?」

 指揮官が尋ねると、ヘレナは虚空に目を泳がせて指折り数える。

「セントルイス姉さんのラッキーアイテムと、ホノルル姉さんのお弁当箱と、エンタープライズさんのSFドラマと、あとベルファストさんには紅茶がいいと思うんだけど、」

「待て」

 指揮官に制止され、ヘレナがきょとんとした顔で足を止める。

「部隊全員分買うつもりか? 載らんぞ、そんなに」

「え、でも……」

 口ごもり、ヘレナが何かを訴えるように上目遣いに見上げてくる。

 頭一つ分低い位置にある彼女の顔を見下ろして、指揮官はポケットに手を突っ込んだ。

「クリーブランドの分はあるし、ラフィーとセントルイスとホノルルの分だけでいいだろ。後は、まぁ、」

 忍ばせた箱の表面を撫で、

「適当に歩いて、何かいいの見つけたらな」

 頬を緩ませて笑いかけると、ワンピースの少女は同じように微笑んだ。

「うん、じゃあそうします」

 歩き出す指揮官の隣にヘレナが寄り添う。

 そこが例え基地と大差ないくらい軍人だらけでも、放置された店だらけのゴーストタウンでも、気になる相手と一緒に歩けば最高のデートスポットだ。

 酒屋でラフィーが好きそうなのはどれかと二人で話し合い、雑貨屋を探して歩く。

 軍人が金を落とす街だからか、レストランやカフェや酒屋はあるのに雑貨屋が中々見つからなかった。需要と供給がはっきりしすぎている。

 ようやく見つけたのは街角の小さな店で、店主はグアムが観光地だった頃からここで開いていたという地元のお爺さんだ。

 奥さんに先立たれ、思い出のある島を出て行くことができなかったらしい。もう未練以外何も残っていない、というその顔はとても穏やかだった。

「お二人は、恋人かね?」

「……はい」

 返事をしたのは指揮官で、ヘレナは驚いた顔をして彼を見上げた。

 彼はヘレナのほうを見なかった。見れば多分、決意が揺らいでしまうだろうから。

 思い切って進むと決めたのだ。

「そうだと思った。このご時勢、いつ別れるとも知れないんだ。愛した相手は大切になさい」

「はい」

 生真面目に肯く指揮官に、店主は満足そうに微笑んだ。

「爺の与太話だがね。自分より大事に思える人がいるというのは、幸せなもんだよ」

「……俺も、そう思います」

 店主のお爺さんは顔中を線にして笑い、オマケにと観光地時代のキーホルダーをくれた。

 片手に酒瓶入りの紙袋を抱えて、店から出る。

 さっきからずっと黙っているヘレナを肩越しに見やる。

 俯いていて表情が見えない。今更になって指揮官の心臓が早鐘を打つ。

 とうとう口走ってしまった、と思う。これまでずっと適当にすませていたのに。

 もう後戻りはできない。こぼれたミルクを嘆いても仕方がない。時間は元に戻らないし、記憶も都合よく消えたりはしないのだ。

 思い切って進むと決めた。

 〈駒〉だろうがなんだろうが知ったことか。大量生産品に恋をして何が悪い。〈ヘレナ〉が百万隻いたところで、ヘレナは一人だけだ。

 今ここで、目の前にいるのは、世界でたった一人しかいないのだ。

 雑貨屋の店主の言葉が頭の中で木霊する。

 ヘレナが俯いたまま顔を上げない。

 最悪の想像が頭をよぎる。

 これは、もしかしたら指輪を渡す前からフラれてしまったのではないか。この沈黙は、彼女にその気がなかったということでは。

 彼女がこちらを慕っていたのは、もしかして違う意味で、

 早足になってしまっていたことに気づき、速度を緩める。開いたヘレナとの距離が、少しの心の余裕を指揮官に与えてくれた。

 どのみち、ここまできたらやるしかない。

 胸の内に湧いた迷いを、何も考えない事で乗り切ろうとした。

 空いている手をポケットに突っ込み、『誓いの指輪』の入った箱を掴む。

 彼女との思い出が頭をよぎった。

 初めて会ったときのたどたどしさと、二回のクリスマスと、何度も繰り返したデート。

 彼女のアップルパイの味は、もう舌が覚えている。

 司令室でファイルを持って小走りになる後姿、

 ラフィー達と談笑しているときにこちらを見つけて小さく振る手、

 寄り添って歩くときに肩の位置にある頭と見上げてくる視線。

 かつて一度パーティーでダンスをした時に握った手の柔らかさと、折れそうな腰の細さ。

 嬉しそうにはにかんだ顔が、目に焼きついて離れない。

 後悔はしない。例え消耗品となっても、彼女が欲しい。

 深呼吸をして、振り返った。

「話したいことが――渡したいものがあるんだ」

 分かりやすくヘレナの肩が震える。

 腹の底から度胸と勇気をかき集め、言葉を続けた。

「これを、受け取って欲しい」

 箱を取り出して、蓋を開ける。

 中にあるのは、銀色に輝く宝石で彩られた指輪。

 指揮官だけに許された、愛したKAN-SENに贈る『I love you』だ。

 風が吹く。

 ヘレナの長い髪がなびいて、ふわりと広がって青白いワンピースの上に落ちた。

 

 

「……ごめんなさい」

 

 

 かすれて風に流されそうなその声は、確かに彼の耳に届いた。

 ゴーストタウンのいいところは、フラれ男の情けない姿を誰にも見られないことだ。

「……分かった。すまない、忘れてくれ」

「違うの!」

 箱を閉じて戻そうとした手が止まる。

 訝しげな指揮官の瞳は、今にも泣き出しそうなヘレナの顔を映し出していた。

「ちが、あの、そうじゃなくて、」

 彼女が何を言いたいのか、理解ができない。

 何を言えばいいのかも分からなくて、次の言葉を待った。

 

「……好きです」

 

 ありえないと思っていた言葉が聞こえた。

 心臓が痛い。

 気が遠くなっていく。

 服を掴む彼女の手が、震えている。

 涙で濡れた顔を上げて、ヘレナは血でも吐くように言葉を吐いた。

 

「好きです、愛しています」

 

 もう、

 

 彼女が、

 

 

 

「だから、愛さないで下さい……」

 

 

 

 何を考えているのか分からない。

 

 

 

 ハンマーで頭を殴られたようにガンガンと音が鳴り響いている。

 ヘレナが両手で顔を覆って泣いている。

 勝手に伸びたヤシの木が日差しを遮って、彼女を影に閉じ込めている。

 泣かせてしまったという罪悪感が、胸の奥で塊となって沈殿する。

 ただ、フッてくれればよかったのに。

 それか、無邪気に頷いてくれれば良かったのに。

 どうして、彼女はこんなにも面倒なのだろう。

 どっちでもよかった、なんて。

 どうして、俺は涙の一つも流さないのだろう。

 長い青髪が彼女を覆って、どこかへ連れ去ってしまうんじゃないかと思った。

 降り注ぐ日差しが、何もかもを真っ白に染めていく。

 ヘレナが泣き止むまで、フラれ男はただその場に佇んでいることしかできなかった。

 

 

 その後のことを、指揮官はよく覚えていない。

 基地に戻ってジープを返して荷物を運んだ。その後のことは、ベルファストに任せたように思う。

 誰かKAN-SENに話しかけられた気もするが、何と返事したか記憶にない。

 部屋に戻ってシャワーを浴びて寝た。

 

 夢は、見なかったと思う。

 

 ※              ※                 ※

 

 その日は一睡も出来ずに、ヘレナは朝を迎えた。

 指揮官からのプロポーズを断った後、何とか部屋に戻ったことは覚えている。

 ベッドに入ったはいいものの、頭の中を色んな考えがぐるぐるして少しも眠れなかった。

「アップルパイ……」

 作るのを忘れていた。

 ラフィーから話しかけられた記憶がない。もしかしたら、意図せず無視してしまっていたかもしれない。

 というか、間違いなくそうだと思う。

 最悪だ。

「……今から、でも」

 ベッドから降りようとしたところで、サンダルも履きっぱなしだったことに気づく。

 服も昨日のまま。おろしたてだったのに、シワができてしまう。

「……もう、いっか」

 指揮官に可愛いといってもらう為に選んだ服だったはずなのに。

 こんな最悪な思い出の服になるなんて、想像もできなかった。

 これから先、一生この服を着ることはないだろうと思う。

 溜息をついて、最悪なコンディションの時のように重苦しい頭と体を動かして着替える。

 そういえば、荷物はどうしたのだろうか。

 記憶が曖昧だが、確か基地に帰ってきてすぐに部屋に戻った気がする。だとしたら、指揮官次第だ。

 頭をハンマーで殴られたような衝撃。訳のわからない理由でプロポーズを断った挙句に、後のことを全部放り投げただなんて。

 間違いなく嫌われた。

 これはもう、絶対だ。

 こんな艦を好きになる人なんているわけがない。

「あっ、やっ、」

 泣きそうになって、慌てて口を塞ぐ。

 嗚咽を噛み殺し、昨日からずっと枯れてくれない涙を流した。

 昨日の指揮官の姿を思い出す。

 いつものジャケットとシャツとスラックス。靴は基地司令に無理やり買わされたオールデンの革靴で、レッド・ウィングのほうが丈夫だから好きだってぼやいていた。

 服もほんとはAシャツとカーゴパンツが好きで、理由は同じく丈夫で楽だから。色は黒とか緑とか茶とかの暗めのが好きだけど、最近は青系統も選んだりする。

 歩くときの歩幅は隣の人に合わせる。一人の時は大股で少し早歩き。車の運転は余り好きじゃなくて必要なとき以外はやらない。理由は事故が怖いから。

 知っている。

 こんなにも、彼のことを知っているのに。

 日差しの下で所在なげに立ち尽くす姿が、思い出したくもないのに浮かんでくる。

 酒瓶の入った紙袋を抱えて、誓いの指輪が入った箱を手に、罪悪感に満ちた瞳をしていた。

 どうして彼があんな目をしたのか、ヘレナには分からない。

 悪いのは、どう考えても私なのに。

 雑貨屋の店主に恋人といわれて、飛び上がるくらいに嬉しかったのに。

 お爺さんの言葉が頭の中をぐるぐると回る。

 愛した人を大切にするには、この形しか思いつかなかった。

 自分より大事な人だから、心を押し潰してでも指輪を受け取るわけにはいかなかった。

 知っている。

 彼の好きな食べ物も、嫌いなお菓子も、好きな俳優も、嫌いな番組も、

 ぶっきらぼうで雑な口調も、

 お父さんに負けないように一人で頑張ろうとしてるのも、

 優しい掌の感触も、

 故郷や学校の友達が大好きで守りたいと思っていることも、

 素直になれない性格も、

 KAN-SEN(私達)のことを人と同じくらい大切に思ってくれてることも。

 彼のことなら、何でも知っているのに。

 どうして、私は人に生まれなかったのだろう。

 作り物でしかないこの身が、心底恨めしい。

 涙だけは、人みたいに立派に流れていった。

 

 ひとしきり泣いて気持ちが治まったところで、そっと音を立てないようにベッドの方を振り向く。

 ヘレナの部屋は、ラフィーとの二人部屋だ。

 ベッドも二段ベッドで、ラフィーが上、ヘレナが下。たまにラフィーが下のベッドにもぐりこんでくる事もある。

 耳を澄ませば、ラフィーの寝息が聞こえた。

 大丈夫、起こしていない。

 泣き声も、聞かれていない。

 ほっと安堵の息をついて、足音を忍ばせてヘレナは部屋を出て行く。

 とにかく一旦KAN-SEN用の厨房へ。後のことは、ベルファストを探して聞けば何とかなるはずだ。

 静かに扉を閉め、ヘレナは歩き慣れた廊下を進む。

 部屋の中、二段ベッドの上で寝返りを打ったラフィーの目が開いていることに、最後まで気づかなかった。

 

 

 KAN-SEN用の厨房には、会いに行こうと思っていた人物がいた。

「おはようございます、ヘレナ」

「おはようございます、ベルファストさん」

 互いに礼儀正しいせいか、妙に堅苦しい挨拶になってしまう。

 ベルファストを横目に見ながら、ヘレナは棚を開いて昨日の荷物がないか確認する。

 あった。

 薄力粉に強力粉にりんご、冷蔵庫にはバターも卵もある。全部昨日買ったものだ。

 まさか全部指揮官がやってくれたのだろうか、

「昨日の荷物は全て定位置に置いておきました。何か問題があれば仰って下さい」

 背後から聞こえた声に、反射的に振り返る。

 一切姿勢を乱さないまま、ベルファストがサンドイッチの具材を切りそろえていた。

 ただそこにいるだけで他者を圧倒するような雰囲気に、青髪の少女は喉を鳴らす。

「……あ、ありがとうございます」

「当然のことをしたまでです」

 白髪の美女はにこりともせずに応じる。

 切り分け終わった材料をバスケットに詰め、

「ヘレナ」

「はいっ」

 名前を呼ばれただけで、背筋が伸びる思いがする。

 振り向いた先輩KAN-SENの表情は、どこか憂いを帯びていた。

「プライベートな事には口を挟みませんが、貴女に何かあれば心配する人達がいるということを忘れないで下さいね」

「……はい」

 その優しい言葉に、ヘレナは真っ直ぐに頷く事ができなかった。

 こんな事、誰に、どう相談すればいいのか分からない。

 人とKAN-SENの違いなんて、分かりきっていることなのに。

 そんな事に悩んで、指揮官からのプロポーズを断っただなんて。

 ベルファストが小さく息を吐き、くるりと背を向ける。

 その時、彼女の首元で光が微かに反射したように見えた。

「あ、」

 ヘレナが思わず声をこぼす。

 それを聞きとがめ、白髪の美女が振り返った。

「何か?」

「あ、いえ、えっと……首の、チョーカー、新調しましたか?」

 ベルファストが僅かに表情を揺らして首元に触れる。

 改めてみると、間違いないと青髪の少女は思う。どれだけ綺麗にしていても、経年劣化は避けられない。

 ベルファストのチョーカーは、新しいものになっていた。

「……貴女との付き合いも、二年になるものね」

「あ、あの、失礼かも、なんですけど、」

 もしかしたら。

 もしかしたら、この人になら聞けるかもしれない、と思う。

 昨日からずっと悩んでいる事の、答えを。

「それって、ベルファストさんの『ご主人様』からの……?」

 その時の美貌のメイド長の微笑を、どう形容していいのかヘレナには分からなかった。

 嬉しそうで、寂しそうで、幸せそうで、苦しそうで。

 それでも、ただ一つ、

 

 きっとその人のことが、世界で一番大切なんだろうということは分かった。

 

「私で良ければ、お話をお聞きましょうか?」

 ベルファストの表情は、もう既に元の優しくて穏やかなメイドのものに戻っていた。

 それでも、その一瞬に見えた微笑みは見間違いなんかじゃないと思う。

「……聞いてもらっても、いいですか?」

 ヘレナのすがるような視線に肯き返して、ベルファストは椅子を勧めた。

 人の来ない早朝の厨房で、人間を愛した二隻のKAN-SENは密談を交わす。

 アップルパイが出来るのは、もう少し後になりそうだった。

 

 ※               ※                ※

 

 その日は、最悪の目覚めだった。

 時計に目をやる。5時45分。

 眠った気が、少しもしない。

 昨日ベッドに入ったのが何時かも覚えていない。少しの間目を閉じていただけのような気もする。

 涙は出なかった。

 一晩たって冷静になった頭で余計なことばかりを考える。

 

 ――〈駒〉だろうがなんだろうが知ったことか。大量生産品に恋をして何が悪い。〈ヘレナ〉が百万隻いたところで、ヘレナは一人だけだ――

 

 クソみたいに都合のいい考えだ。

 まるで彼女がKAN-SENであることを無視しているようだ。大体、〈ヘレナ〉の中に彼女が混ざったら見分けられるとでもいうのか。

 無理だ。

 断言なんてできない。

 記憶とか性格とか、全部元に戻ったらどうする。

 明日、彼女の記憶がなくなったとして。他の〈ヘレナ〉とどうやって見分ければいい。

 タトゥーかマーカーをつけるか、それとも何かアクセサリーをつけさせるか。

 そんなことをしなきゃ、愛した相手のことさえ分からないのか。

 バカみたいに都合のいい話だ。

 結局、彼女を都合のいいように利用しようとした。

 『指揮官』に思慕の情を寄せるのをいいことに、そこに全てをおっかぶせて何も見ないようにしようとした。

 指輪を受け取ろうが断ろうが、それで何もかもを諦めようとした。

 いや、本当は断って欲しかったのだ。そうして、この気持ちに決着をつけたかった。

 最低だ。

 男としても人としても最悪だ。

 こんな奴、フラれて当然だ。

 当然なのに。

 どうして、彼女はあんなことを言ったのだろうか。

 あんなに泣いたのは、どうしてなんだろうか。

 そのことが、昨日からずっと考えているのに分からない。

 

 ノックの音がした。

 

 時計を見れば、6時45分を差していた。一時間も考え込んでいたつもりは指揮官にはない。

 扉の向こうから、いつもの甘く心地よい声が聞こえる。

「朝食とコーヒーをお持ちしました」

「入ってくれ」

 自分の声が掠れていることに自分で驚く。

 ドアが開くのと同時に指揮官はのっそり起き上がり、その辺に投げられていた使った覚えのないバスタオルを拾う。

「おはようございます、指揮官。本日のご奉仕が遅れましたこと、心よりお詫び申し上げます」

「あぁ」

 背筋を伸ばして美しい礼をするベルファストを見もせず、指揮官は適当に返事をした。

 15分の遅れなど、大した問題ではない。

 いつものように洗面所に向かおうと、

「ご報告が御座います」

 三年で初めてのことに、足が止まった。

 ベルファストが指揮官の意思確認さえせず何かを言おうとするのは、この三年間で一度だってなかった。

「ヘレナが担当していた秘書の任務を、私が引き継ぎました」

 越権行為、なんてもんじゃない。

 指揮官を通さずKAN-SENが何かを決定することは、許されていない。

「……そうか」

 肯いて、もう一度足を、

「新しい秘書を選定してほしい、とヘレナから要望がきております」

 驚きよりも先に納得がきた。

 そんな自分が、指揮官はあまり好きではなかった。

「……考えとく」

 今度こそ足を止めずに洗面所へ向かう。

 背後からベルファストの声が聞こえることは、もうなかった。

 

 その後は、普段どおりにスケジュールをこなした。

 朝食を食べ、コーヒーを飲み、任務を確認し、報告を受け、書類を片付ける。

 ジムで汗を流し、運用計画の進行を管理し、備蓄と合わせて軌道修正をかける。

 何もない。

 普段どおりだ。

 ヘレナを見かけないこと以外は、全て。

 もの問いたげなKAN-SEN達の視線は、全て無視した。

 

 

 それから数日。

 本当に、指揮官はただの一度もヘレナと会わなかった。

 

 数日ずっと考え続けても、彼はあの時のヘレナの言葉の意味を理解できなかった。

 

 ※              ※                ※

 

「――それは、貴女が見つけるしかありません」

 早朝、他に誰もいないKAN-SEN用の厨房で。

 迷いへの答えを求めたヘレナにベルファストが告げたのが、その言葉だった。

 向かい合って座る新しいチョーカーをつけたメイド長に、青髪の少女が捨てられた子犬のような目を向ける。

「今、私が何を言っても。貴女が納得しなければ、意味はありませんよ」

 そう口にするベルファストの瞳は優しく、ヘレナは何も言えなくなる。

 納得、なんて。

 どうやったら出来るのかわからない。

「それに、貴女が欲しいのは私の言葉ではないでしょう?」

 はっと顔を上げるヘレナの目に映ったのは、全てを見透かすようなメイド長の微笑みだった。

 もしかしたら、彼女も誰かの言葉をずっと待っているのだろうか。

 遠く離れた異国の地で、それでもずっと。

「しばらく指揮官には会い辛いでしょうから、秘書の業務は私が引き継ぎます。なるべく顔を合わせなくてすむように他の任務も調整しましょう」

 ベルファストの顔は、すっかり普段の澄ましたものに戻っていた。

 話の落差についていけず、ヘレナはただ気圧されるように肯く。

 時計をちらりと見て、美貌のメイド長は優雅に立ち上がった。

「時間がありませんので、手早く説明をお願い致します。それと、今日は部屋に戻ってお休みなさい」

 コーヒー豆とポットを用意しながら、ベルファストが言う。

 逆らう事もできず、ヘレナは機械みたいに肯いた。

「お二人には、少し考える時間が必要かと思います。それに――」

 お湯を沸かすその横顔は、チョーカーのことを尋ねた時に見たものと同じ表情をしていた。

「――離れてみて、分かる事もあると思います」

 最後まで、ヘレナは彼女に尋ね返すことができなかった。

 

 ※                ※                ※

 

 アプラ海軍基地では、定期的に〈セイレーン〉への通商破壊作戦が行われる。

 マリアナ海溝沿いに移動する〈セイレーン〉輸送艦を襲撃するのがその作戦内容だ。

 チャレンジャー海淵から出現していると思しき輸送艦は、多くの貴重な物資を所持している。

 KAN-SENの元となる〈メンタルキューブ〉もそのうちの一つだ。

 これらを〈重桜〉より先に奪取するのが、アプラ海軍基地が存在する意義でもあった。

 その日は、第64任務部隊がその任を請け負っていた。

 サンゴ礁のきらめく海を、四隻のKAN-SENが飛沫を上げて進んでいく。

 旗艦に長いマントが特徴的な白い軍装の空母〈エンタープライズ〉、護衛艦として軽巡洋艦〈セントルイス〉、その姉で膝上まである長く赤いツインテールをした〈ホノルル〉、

 そして高性能レーダーであるSGを所持する、この作戦の要でもある〈ヘレナ〉。

 アプラ海軍基地に〈ヘレナ〉が複数配備されているのは、通商破壊作戦の為でもあった。

 エンタープライズの肩に乗った猫型ロボット〈オフニャ〉の声帯を通じて、指揮官が指示を出す。

『陣形はターンT、SGレーダーでの索敵を最優先。偵察爆撃機〈ドーントレス〉の使用を許可、ただし敵輸送部隊以外との交戦は可能な限り避けろ。〈オフニャ〉による支援機能は全てレーダーに回す。以上だ』

「了解」

 短い返事と共に、〈オフニャ〉が自律稼動モードに入る。

 にゃあ、と気の抜けた鳴き声を合図に、エンタープライズが小さく溜息をついた。

「ヘレナ!」

 前を往く仲間に声をかけ、振り向いたところで玉のような猫を投げ渡す。

 ラグビーボールでも抱えるように、ヘレナは両手でしっかりと抱きとめた。

「聞いていたと思うが、いつも通りだ。お前のSGを頼りにしている」

「……はい」

 肯いて背中を見せる僚艦に、エンタープライズは渋い顔をして帽子を被り直す。

 数日前からこの有様だ。

 海に出れば何か変わるかと思ったが、どうやら当てが外れたようだ。

 原因は分かっている。

 いつも通りなら、あの〈オフニャ〉は最初からヘレナの肩に乗っているはずだ。旗艦たるエンタープライズの肩には、去年から一度も乗っていなかった。

 色事に疎い自覚はあるが、察しが悪いつもりはない。

「ヘレナ、集中しろ。水平線までたった5kmだ。その先には何がいるか分からないぞ」

「……はい」

 返事は変わらず。

 作戦中にこれ以上何か言うのも憚られて、エンタープライズは帽子のつばを握った。

「大丈夫よ、エンタープライズ。ヘレナだって分かってるわ」

「セントルイス……あぁ、すまない」

 穏やかにとりなす青髪の美女に、白鷹の戦士が小さく頭を下げる。

 そこに我慢が聞かなくなったように、ヘレナの姉が声を上げた。

「っていうか! 謝るべきなのは指揮官じゃない!?」

 ヘレナ以外の視線が集まり、若干怯えたように目を逸らす。

「……な、何よ……だ、だってそうじゃない? ヘレナちゃんと何があったか知らないけど……」

「知らないことを決め付けて言うのは感心しないわ、ホノルル」

 頬に手を当ててわざとらしく溜息をつく妹を指差し、

「な、何よ、いい子ぶって! ルイスだってそう思わないの!?」

「こういうことは、どちらが悪いとは限らないものよ。第一、好きな人が悪いって言われたらヘレナだって悲しいじゃない?」

 ぐっと言葉につまり、ダイナマイトな姉は恐る恐る一番下の妹に視線を向ける。

「……ご、ごめんなさい、ヘレナちゃん……」

 小さく首を横に振る少女の仕草にほっと胸を撫で下ろし、ホノルルは困り顔ですぐ下の妹と白髪の麗人を見やる。

「……ひとまず、今は作戦行動中だ。話は終わってからにしよう」

「そうね。ヘマをして話どころじゃない事態にならないようにしないと」

「こっち見ながら言うのやめてよ!」

 頭の上を飛び交う会話をよそに、ヘレナはオフニャを抱きしめていた。

 久しぶりに聞いた指揮官の声が耳にこびりついている。

 それを振り払うように、SGに意識を集中した。

 

 四隻は陣形を維持しながら、輸送艦を探して海を走った。

 

 ※              ※                ※

 

 〈オフニャ〉の通信を切って、指揮官は深く椅子にもたれこんだ。

 海上で指示をエンタープライズに直接与えたのはいつ振りだったか。少なくとも、今年に入ってからは初めてだったように記憶している。

 虚空に浮かぶディスプレイは〈オフニャ〉が収集した情報を視覚的に描写している。数日振りに見たヘレナの姿は、映像越しだった。

「気になられますか?」

 コーヒーを置きながら、ベルファストが尋ねてくる。

 カップの取っ手を掴み、なんとも言えず指揮官は傾けた。

「新しい秘書の選定について、その後の経過をお聞きしておりませんが」

「……人を虐めるのが好きだな、お前は」

 カップをソーサーに置く、かちんという音が響く。

 

「それは、指揮官の方ではありませんか?」

 

 金縛りにでもあったように動けなくなる。

 いつもより少しだけ強い語気。ベルファストがどれだけ怒っているかが分かる。

 彼女はずっと、その誇りにかけてメイドとしての分を超えてはこなかった。

 それはきっと、本国の『ご主人様』の為でもあったのだろう。

「この数日間、ヘレナがどんな想いを抱えていたかお考えになられたことは?」

 ある、と答えたかった。

 けど、実際はどうだったのか。

 あの時のことばかり考えていたような気もする。

「いつまで、宙に浮かせたままでいらっしゃるおつもりなのですか?」

 決着なら既についた。

 フラれたのだ。

 それが全てで、他には何もない。

 

 だったら、どうして秘書を変えないでいる?

 

 分かっている。

 まだ、未練たらしくすがりついているのだ。

 あの時の彼女の涙が、言葉が、どうしても頭にこびりついて離れない。

 もしかしたら、違うんじゃないか。

 フラれたわけじゃないんじゃないか。

 そんな望みが消えなくて、頭痛がしそうな日々を送っていた。

 可能性はまだあるんじゃないかって、そんな考えが消えないのだ。

 

 だったら、どうしてもう一度彼女に告白しない?

 

「……聞きたいことがあるんだ」

 こちらを糾弾するようなベルファストの瞳を見返して、薄ら笑いを浮かべて尋ねる。

 自分の顔が最高に気持ち悪くなっていることに、気づいてはいた。

「なんなりと」

 メイドらしくそういって、胸に手を当てる。

 溜め込んでいたものが、口からあふれ出した。

 

「俺は本当にヘレナを愛していると思うか?」

 

 誰に聞いたってしょうがない疑問が飛び出る。

 ベルファストは眉一つ動かさない。

「俺には〈ヘレナ〉の見分けなんかつかない。この世でたった一人の存在だって、口でどんだけ言ったって証明できるものなんかどこにもない」

 ずっとずっと、考え続けていた。

 口で何を言っても、どうすることもできない。

 最悪の想像ばかりが頭をよぎる。

「KAN-SENは指揮官に好意を抱く。それをいいことに、都合の良い相手とみなしているのではないという保証はどうしたらできる?」

 ベルファストは微動だにしない。

 嫌な考えだけは、ダース単位で頭に浮かぶ。

「それどころか、それどころかだ! 例えばこの先、どこかの海戦でヘレナが沈んだとして、俺だけが生き残って、そうしたら、」

 口にするのもおぞましい。

 

「悲しみの余り、心が壊れないように、別の〈ヘレナ〉を彼女だと思い込んだりはしないだろうか?」

 

 この世で一番、自分が信じられない。

「姿も声も同じ存在を、彼女だと思って。恋愛ごっこの続きをしたりしないだろうか? いや、それどころか、もし記憶さえ同一化できたら。彼女が生きていたとして、違う存在だと俺は認識できるだろうか?」

 顔に爪を立て、髪をかきむしる。

 今胸の内にあるのが怒りなのか悲しみなのか、自分でも判別がつかない。

「口では何とでも言える! けど、本当にそうか!? 実際そうなった時、俺がそうならないなんて保証はあるのか!?」

 考えた。

 何度だって、百回だって千回だって考えた。

「無理だ!! だって、お前達は人間じゃない!! それが可能なんだ! 出来る! 姿も声も、何もかも同じ存在がいる!!」

 吐き気がするほど自分の弱さが嫌になる。

 弱さを克服した振りをするのは簡単だ。

 でもそれで、傷つくのは一体誰か。

 

「俺は! 彼女を! 都合の良い慰みものにしていないって、言えるのか!?」

 

 そんなのが、本当に愛といえるのか。

 人に向けるものと同じ、愛情だと。

 相手をKAN-SENと分かって愛しているだの何だのというのは、そういうことじゃないのか。

 都合の良い存在だと分かって。

 都合良く使っているのだ。

 ベルファストが口を開いた。

 

「全て仰る通りです、指揮官」

 

 顔色一つ変えずに、美貌のメイド長は指揮官を肯定する。

 気づけば椅子から立ち上がっていた。

「貴方の仰るとおり、私達KAN-SENは自らを指揮する人間を慕います。これは本能のようなもので、どうすることもできません」

 ゆっくりと、一歩ずつベルファストが近づいてくる。

 金縛りにあったように体が動かない。

「今は不可能ですが、いずれ記憶すら同一の艦を作ることも可能になるでしょう。同じ艦の見分けがついたら、それは不良品ということです」

 距離が縮まっていく。

 心臓をわしづかみにされたような感覚がする。

「艦の誤認――いえ、補填は私が知っているだけでも数件御座います。皆様、良好な関係を築いていらっしゃいます」

 ついに目の前まで来た。

 額がくっつきそうな距離で、ベルファストと指揮官が見つめあう。

「ですので、指揮官がお気になさることは何も御座いません。そも、KAN-SENとはそういうものです。ご自由にお使いください」

 ベルファストが指揮官の手を取り、自らの胸の上に乗せた。

 視線が縫い付けられたように離せない。

「ご命令くだされば、どのようなことでも」

 その囁きは、男でなくとも脳が溶かされそうな甘美な響きに感じるだろう。

 それでも。

 それでも、指揮官は知っている。

 彼女が決して自分を『ご主人様』と呼ばないことを。

 三年間、どれだけ距離が縮まっても、それだけは決して譲らなかったことを。

 例えこのまま彼女をベッドに連れて行ったとして。

 その視線の先にいるのは、決して自分ではないことを。

 

 ――そんな保証がどこにある?

 

 頭の中で、自分と同じ声で誰かが呟く。

 

 ――やってみろ。一日で無理なら一週間、一ヶ月、一年、とことんかければ『ご主人様』と呼ぶようになるかもしれないぞ。

 

 あまりに頭の悪い考えに、失笑しかでない。

 

 ――毎晩ベッドの上で愛を囁けば、心変わりだって起きるかもしれないだろ?

 

 曹長ではないが、本当によくクソみたいな考えが出るものだと思う。

 

 ――お前だって、そのうちヘレナのことなんかどうでもよくなるさ。

 

 深呼吸をする。

 息を吸って吐く。

 そうかもしれない、と思う。

 このままベルファストを抱けば、何もかも忘れるかもしれない。

 彼女の魅力に夢中になって、青髪の少女のことなんてどうとも思わなくなるかも。

 

 あのアップルパイの味も、

 

 クリスマスの夜も、

 

 はにかんだ表情も、

 

 告白した事も、

 

 泣かれた事も、

 

 愛さないで欲しい、と言われた事も。

 

 全て消え去ってなくなって、美貌のメイド長の事で頭がいっぱいになるかもしれない。

 否定できる根拠も理由も、どこにも見つからなかった。

 笑うしかない。

「ありがとう、ベルファスト」

 細い指先をたぐるように、彼女の手を握り返す。

 柔らかな胸の感触が遠ざかって、ほんの少し残念だなと思う。

「君の事を、愛しているよ」

 それはきっと、青髪の少女に向けるものとは違うだろうけれど。

 それもまた、偽らざる指揮官の本心だった。

「はい。私も愛していますよ、指揮官」

 それはきっと、『ご主人様』に向けるものとは違うだろうけれど。

 それもまた、偽らざるベルファストの本心だった。

 

 ※                ※                   ※

 

 敵輸送艦隊は、簡単に壊滅させることができた。

 そもそも、この通報破壊作戦に危険は殆どない。護衛の敵艦なんてほとんどおらず、まるで〈セイレーン〉から物資を渡されているようだという人もいるくらいだ。

「SGに反応なし……敵輸送艦隊の全滅を確認しました」

 青髪の少女が憂いを帯びた表情で機械的に告げる。

「こちらの〈ドーントレス〉からも周囲に敵影は確認できない。物資の奪取を開始する」

 エンタープレイズの号令を受け、ホノルルとセントルイスが輸送艦の装甲を剥ぎ取った。

 中には〈メンタルキューブ〉が十数個と、装備箱が数箱。首尾は上々といっていいだろう。

 艤装に積んできたコンテナを取り出し、移し変えていく。

 何度も繰り返したその作業は、全員手馴れたものだった。

 ただ一人、ヘレナだけがぼうっと輸送艦の中を見つめていた。

「……これが、私……」

 うっかり漏れたその一言を、白鷹の戦士は聞き逃さなかった。

「ヘレナ?」

 慌てて青髪の少女が口を塞ぐ。

 あからさまに失敗したといわんばかりの所作に、ホノルルが心配げに近づいた。

「ヘレナちゃん? どうしたの?」

「ううん、何でも……」

 苦し紛れに誤魔化そうとして、

「〈メンタルキューブ〉は、確かにKAN-SENの元ではあるな」

 逃さないとばかりに白髪の麗人がそう口にする。

 セントルイスは一人で作業を続けながら、意識だけはヘレナに向けていた。

「それが、指揮官との喧嘩に関係しているのか?」

「喧嘩なんて、そんな……」

 俯くヘレナを赤髪の姉が全身で心配していると表現しながら覗き込む。

 エンタープライズは青髪の少女を一瞥し、空を見上げた。

「私はそういうことに詳しくないから分からないが。お前と指揮官は互いに愛し合っているように見えたがな」

「あ、愛っ……!? あんた、よくそういうこと真顔で言えるわね……」

 ホノルルの突っ込みに、白髪の麗人は真顔で返す。

「そう見えたからな。おかしいことではあるまい?」

「……そうだけど……」

 ぐうの音も出ずに消沈するホノルルを横目に、エンタープライズはヘレナの様子を窺う。

 青髪の少女は黙り込んだまま、ただじっと海面を見つめていた。

「私達は人じゃないもの。そう簡単に愛なんて口にできないわ」

 作業を終えたセントルイスが近づいてくる。

 偵察に出した〈ドーントレス〉を着艦させながら、エンタープライズが首を捻る。

「そういうものか? 人であろうがなかろうが、その想いに違いはないだろう」

 上空を旋回していた大鷲がエンタープライズの肩に止まる。

 今日は〈オフニャ〉がいるので遠慮をしていたらしい。

「皆が皆、あなたのように強くはないのよ。それに、愛すれば愛するほど分からなくなることも増えるの」

 セントルイスがコンテナをホノルルに渡し、その重さで仰向けにこけてしまう。

「いっ、いきなり渡さないでよ!」

 残念ながら、その抗議は誰も聞いていなかった。

「まるで覚えがあるような物言いだな?」

 エンタープライズに問われ、青髪の美女は意味ありげに微笑む。

「どうかしら? ……でも、そうね」

 美貌の姉は最愛の妹のほうに振り向き、誰にも見せたことがない優しい笑顔を浮かべた。

「思い悩むくらいなら、誰かに話した方が楽ってことも、あるんじゃないかしら? 例えば――」

 その言葉と同時に、ヘレナの腕の中の〈オフニャ〉が声を発する。

『ヘレナ、基地に帰投したら港で待っていてくれ。話がある』

 言うだけ言って、〈オフニャ〉は再び自律稼動モードに入った。

「――話の分かる上司とか、ね?」

 ヘレナの肩がぴくりと震えた。

 エンタープライズが鼻から息を吐いて、帽子のつばを動かす。

「どちらにしろ、指揮官の命令は絶対だ。帰投したらヘレナは港で待機、他は全員自室で待機だ」

「え? ちょ、ちょっと待ってよ! 私、ヘレナちゃんと一緒に……!」

 慌てて艦隊旗艦を見やるホノルルを、セントルイスが遮る。

「海上では旗艦の命令は絶対よ。諦めましょうね」

「も、もー! なんなのよー!」

 暴れる赤髪の艦を曳航して、青髪の軽巡洋艦と白髪の空母が基地へ戻る。

 その後ろをついていきながら、ヘレナは〈オフニャ〉をぎゅっと抱きしめた。

 さっきの通信は、何なのか。

 ざわめく胸を鎮めようとして、ベルファストの言葉を思い出す。

 答えは自分で見つけるしかない、なんて言われても、行き止まりにしか突き当たらないのだ。

 

 離れてみて分かったのは、顔を見れない時間が酷く長く感じることくらいだった。

 

 ※              ※                ※

 

 港で待機するヘレナの前に、ジープに乗った指揮官が現れた。

 真っ白の軍服のままで、助手席にヘレナを乗せて走りだす。

 どこに行くのかと思っていたら、基地の隅っこにある小さなチャペルの前で止まった。

「話は中で。誰にも聞かれたくないんだ」

 そう言われては、ヘレナには断ることもできない。

 それなりに立派な両開きの扉をくぐって、中に入る。

 窓が少ないせいでやや薄暗く、奥のステンドグラスから入る日光だけが唯一の光源となっていた。

 黒の長椅子が幾重にも並び、蜀台と柱が交互に佇んでいる。

 ステンドグラスの前の主祭壇には、赤いビロードがかかっていた。

「いいとこだろ。KAN-SEN指揮官用なんだとさ」

 声に振り向けば、指揮官がいた。

 長椅子の間を進んで、ヘレナの目の前で止まる。

 頭一つ分の身長差。あるかどうかも分からない心臓がうるさいくらいに音を立てる。

 見上げた指揮官の顔は、今までで一番真剣だった。

「この数日ずっと、あの時のことばかり考えてた」

 それがいつのことか、言われなくとも分かった。

 二人で一緒に街に出かけた日。

 雑貨屋のお爺さんと会った日。

 指揮官から告白された日で、それを断った日だ。

 何も言えなくなって俯いた。

「悪い。やっぱり、何度考えたって分からなかった。だから、もう一度言うぞ」

 ポケットから何かを取り出す音。

 それが何か、見るまでもなく分かった。

 

「これを、受け取って欲しい」

 

 おそるおそる顔を上げれば、銀色に輝く指輪が見えた。

 誓いの指輪。KAN-SEN専用のケッコン指輪。

 一度、受け取ることを拒んだ指輪だ。

「……できません」

 答えは変わらない。

 変わるわけがない。

 何度考えたって、同じ答えにしか行き着かなかった。

 そこが、行き止まりなのだ。

「あの時は、理由を聞きそびれたな。教えてくれるか?」

 拳を握り締める。

 思い悩むくらいなら、誰かに話せと姉も言っていた。

 だったら、話そう。

 そうしたらきっと、諦めてくれる。

「だって、私はKAN-SENだもの」

 色んな意味を込めていった一言に、指揮官は間髪入れずに答えた。

「知ってる」

 頭の中がカッと熱くなる。

 見上げた指揮官の顔は、どこまでも真剣で、何にも分かっていないように見えた。

 どれだけ悩んだと思っているのか。

 もう、全部洗いざらい吐いてやる。

「じゃあ、分かる? 自分が作り物だってことが、どれだけ辛いか!」

 気がついたら、彼を睨んでいた。

 自分の体がもう制御できない。

「知ってるでしょ!? 私はKAN-SENなの! 人間じゃないの! 指揮官を好きになるようにできてるの!!」

 今までずっと、抱えてきたもの。

 ベルファストだって、何も答えられなかったこと。

 

「この気持ちも、全部全部、作り物なの!!!」

 

 KAN-ESNは、指揮官を慕うようにできている。

 どれだけ愛したって、その最初の呪いからは逃れられない。

 指揮官のことをどんどん好きになって、どんどん目で追うようになって、どんどん何もかも知りたくなって、

 

 その全部が、そうなるように仕組まれた偽物なのだと知った。

 

 考えもしなかった。

 秘書になって、KAN-SEN用の資料を閲覧できるようになって、初めて知った。

 この気持ちは、自分のものだと一つも疑っていなかった。

 違うのだ。

 作り物の心は、当然作り物なのだ。

 何度考えても、それは変わらない事実だった。

「大体、私はいつ沈むか分からないのよ!? 明日には消えちゃってるかもしれないわ!」

 どうやって生まれたかも分からない存在は、どうやって消えるかも分からない。

 もしかしたら、明日になったらぱっといなくなるかもしれない。

 生き物ではないKAN-SENは、誰かの都合で消えてなくなるかもしれない。

「記憶だって、思い出だって! 明日になったら全部忘れてるかもしれない! ボタン一つでなくなるかもしれない!」

 こんなこと言いたくないのに。

 指輪なんて、別の誰かに渡してくれれば良かったのに。

 そう思っても、歯止めは利かなかった。

「こんな作り物なんかより、ちゃんと人間を好きになってよ!!」

 青髪の少女が髪をかき乱して叫ぶ。

 チャペル中に響く声は、普段の彼女からは考えられないものだった。

 壁に跳ね返って反響する声を聞きながら、指揮官は苦笑した。

「無茶言うなよ」

 それが、彼女の叫びに対する指揮官の答えだった。

 今にも泣きそうな顔で、ヘレナが彼を見上げる。

「あんだけ四六時中一緒にいて、指揮官指揮官言ってきて、好きになるなって無茶だと思わねぇか?」

「……知らない」

 俯く彼女を見下ろして、少将は頭を掻いた。

「俺もな、考えた。散々、今のお前より妙なことを沢山考えた」

 俯いたまま、少女は返事をしない。

 指揮官もまた返事を待たず、答えを口にした。

 

「分かったのは、どうしようもないってこった」

 

 少女が訝しげな顔で見上げてくる。

 目が合ったことに微笑んで、指揮官は続けた。

「どうしようもないんだ。俺は人間だし、お前はKAN-SENだ。俺を想うお前の気持ちは偽物かもしれないし、俺がお前を想う気持ちだって都合の良い幻想かもしれない」

 呆然と見つめてくるヘレナに、指揮官は笑いかける。

 ベルファストのおかげで辿りついた答えは、そんなどうしようもないものだった。

「それを否定も肯定もできない。ずっとずっと、腹の内に抱えておくしかない。疑い続けて、ビビリ続けるしかない。そういうもんだ」

 こんなとき、漫画や映画のヒーローなら、もっと綺麗な答えを出すのだろう。

 この気持ちは本物だ、真実だと言えるのだろう。

 自分達が抱える悩みなど、笑顔で否定してくれるだろう。

 そんなこと、できるわけがなかった。

「どうにかしようと思えば、別れるしかない。そんなことないって、今この場で否定したところで、どうせまたゾンビみたいに湧いてくる」

 忘れることも、放り出すこともできない。

 出来たところで、それは思考停止しているだけだ。

 ふとしたときに思い出して、足首を掴んで引きずり込もうとしてくる。

 自分もヘレナも、そういう奴だと指揮官は知っていた。

「それが嫌だっていうならしょうがない。今すぐ、俺をこっぴどくフることだ。悪いが、そんな地獄みたいな解決法しか俺は知らないんだ」

 呼吸を整える。

 見下ろせば、ほつれた青い前髪が額に張り付いて顔の正面にかかっていた。

 どうしようもねぇなと笑ってそっと前髪を払う。

 そのまま、彼女の頬に手を添えた。

「でもな、一応言っとく。一生自分の心を疑い続ける、そんな地獄みたいな生き方をするしかないとしても。それでも、俺は――」

 触れた頬は柔らかくて、温かくて、人間との違いなんて何も分からなかった。

 アメジストの瞳が揺れて、長いまつげが震えている。

 まつげまで青いんだな、と指揮官は妙なことに気づいた。

 きっとこうして、知らないことを知っていくのだろう。

 きっとまだ、沢山知らないことがある。彼女の気持ちなんて今さっき聞くまで何も分からなかった。

 これから、もっと分かり合っていく。

 その中で、もしかしたら、そんな疑い続ける生き方から解放される日もくるかもしれない。

 漫画や映画のヒーローみたいな答えが、みつかるかもしれない。

 その時まで、離れることなくいられればいいと、心底思う。

 例えこの先が、苦しいばかりの日々だとしても。

 彼女への愛をどうしようもなく疑う日がくるとしても。

 今このときの答えを、後悔はしないだろう。

 

 

「――I love you(君がいい)

 

 

 返事を待つ指揮官の瞳に、驚きに満ちた顔のヘレナが映る。

 指揮官が愛した少女はその赤みがかった長い青髪を揺らし、

 何かに戸惑うように視線を泳がせ、

 すがるように指揮官を見上げ、

 

 それ以上どこにも逃れようがなく、こくりと肯いた。

 

 頬に触れた指揮官の手に、ヘレナがその両手を重ねる。

 目を閉じて、頬ずりをするようにその手に身をゆだねた。

 

 ステンドグラスから差し込む日光が作る二人の影が、ゆっくりと重なった。

 

 ※            ※                ※

 

 アプラ海軍基地、司令棟三階の第64司令室にて。

 ジェイムス・スコット少将二十五歳既婚が机の上と引き出しの中を引っ掻き回していた。

「ヘレナ、こないだの会議の議事録どこだ? ボブが俺と間違えてハルゼー司令の脛を蹴飛ばしてめちゃくちゃ怒られたやつ」

「ロバート・キャラハン少将ね。あれはジムが煽るからいけないんでしょ。いいから大人しくしてて、私が探すわ」

 溜息をこぼして、青髪の美少女が机の上に散らばった書類を整理する。

 ジム少将は頭を掻いて、書類をまとめるヘレナの手元を見つめた。

 右手薬指に銀色の指輪。

 海軍司令部からのお褒めの手紙は、来た当日に焼き捨てた。

「なに?」

 吸い込まれそうなアメジストの瞳が上目遣いに見上げてくる。

 これ以上見ているとイケナイ気分になりそうで、目を逸らした。

「いや、別に。それより、今日は確か新艦が来るんだっけか」

 逸らした先にあったディスプレイには、本日付で三隻の新しいKAN-SENが着任すると表示されていた。

 寮舎にはもう少し余裕があるが、今更増員して何をしようというのか。〈重桜〉と派手にドンパチやる気なら止めて欲しい。

「……楽しみなの?」

 不安そうに、それでいて嫉妬たっぷりにヘレナが尋ねてくる。

 ケッコンして分かったが、随分と彼女は独占欲が強い。束縛力も相当なもので、噂に伝え聞く〈重桜〉のKAN-SENとも張り合えるかもしれない。

 これが少将のヘレナだからなのか、それとも〈ヘレナ〉全てがそうなのかは判断がつかなかった。

「どっちかといえば、上の思惑が気になる。わざわざ俺んとこ増員するなんて何考えてるんだか」

「……お義父さんの関係?」

「さてな。そういう考えも持っとくべきだろうが」

 分かりやすく安心して、ヘレナが胸を撫で下ろす。

 地獄みたいな日々が続くとは思っていたが、こういう形だとは思ってもいなかった。

 ちなみに、指揮官の家族にはもう写真入りの手紙で報告してある。

 フーバー曹長にも報告して、諦めたような笑顔で祝福してもらえた。

 当然ベルファストを含めた第64任務部隊全員にも周知の事実だ。休日にお祝いだといって朝から晩まで外で騒がれ、全額奢らされたのを指揮官は忘れていない。

 ロバート少将に悪戯をしたのは、その鬱憤晴らしでもある。

「はい、見つかったわ」

「助かる」

 議事録を受け取って、軽く目を通す。

 ヘレナも自分の机に戻ろうと、

 

 騒々しい足音が響いて、司令室のドアが凄い勢いで開いた。

 

「たっ、大変だぞ、指揮官!!」

 飛び込んできたのは、軽巡洋艦〈クリーブランド〉だった。

 背中を覆う金というよりはブラウンの長い髪に、情熱を表すような真っ赤な瞳。

 少女らしい細めの体に勝気な表情は、指揮官にミドルスクール時代の同級生を思い起こさせた。

 

 そして、その両脇にヘレナとクリーブランドをそれぞれ小さくしたような子供を抱えていた。

 

「……クリーブランド、いくらなんでも誘拐は」

「ちっ、違う! ていうか、指揮官は私のことを何だと思っているんだ!」

 とりあえずふざけてみたら、顔を真っ赤にして怒られた。

 ヘレナからも咎めるような視線が飛んできて、指揮官は咳払いをする。

「で、その子達は?」

「わっ、私とヘレナなんだ!」

 クリーブランドの叫びに呼応するように、子供達がそれぞれ名乗る。

「私はクリーブランド! 将来の夢は一人前の海上の騎士になること!」

「セントルイス級のヘレナよ。ここ、セントルイス姉さんがいるのよね?」

 声まで一緒だが、幾分か幼い感じがした。

 事態が飲み込めず、指揮官とヘレナはそれぞれ顔を見合わせる。

 

「そこから先は、私が説明するわ」

 

 そう言ってクリーブランドの後ろから現れたのは、桃色の髪をした少女だった。

 青い瞳は自信に満ちていて、思わず目が惹かれてしまう。

 指揮官の隣で、ヘレナが電流に打たれたように体を硬直させていた。

 少女はその細い肩をあらわにして、たっぷりと広がる桃色の髪をなびかせる。

 

「防空巡洋艦アトランタよ。おまたせ、指揮官。お姉さんがなんでも教えてあ・げ・る♪」

 

 人差し指を口元に当て、おどけた仕草で可愛らしく名乗りを上げる。

 だが、それが変に上ずったイントネーションであることに指揮官は気づいていた。

 突然現れた三隻の新KAN-SENに、頭が痛くなることだけは確実だと理解した。

 

 

 ヘレナの背筋を悪寒が駆け巡り、KAN-SENとしての第六感が警鐘を鳴らしていたことなど、その時の指揮官には知る由もないことだった。

 

                               続く?

 


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