本来存在するはずのない、「全集中の呼吸」の一つである。
それを使い鬼滅の刃を振るうのは、光も闇もぶった斬るあの男。
時は大正の昔。
人を食らう「鬼」と呼ばれる化け物と、鬼を殺す使命を帯びた「鬼殺隊」が死闘を繰り広げていた時代。
今まさに、1人の鬼殺隊員の命が奪われようとしていた。
「くっそぉ…なんで…なんで勝てないんだよ…!」
仲間達は皆鬼の周りで、黒い隊服を紅く染めている。既に、彼等の魂はここには存在しない。
彼の名は夢野。つい最近最終試練を突破したばかりの新人である。同期の中ではトップクラスであると呼ばれ、自身もそれを信じて疑わなかった。
しかし。
「はっ、詰まらないなァ。こんな程度なのか?鬼殺隊ってのはさあ?」
意気揚々と初任務に向かった彼を打ちのめしたのは。
実力を過信しすぎた自分達の未熟さと。
「や、やめろ、来るな!来るな!」
「おおっ、いいねえその顔!恐怖に震える人間の肉は最高に美味いんだよ!!」
気負いだけではどうにもならない現実だった。
(どうして…どうして…ここで死にたくなんかないのにっ…)
(体が動かない…)
目の前の日輪刀を握る力すら湧かなくて、その場から後ずさる事しか出来ない。けれど鬼はゆっくりと距離を詰めてくる。嘲笑を顔に浮かべながら。狂喜の声を上げながら。もう、目の前を見ていられなかった。
(ごめんな。父ちゃん。母ちゃん。みんな。俺は…)
「い、た、だ、き、ま、す!」
鬼の鋭い牙が喉を噛みきろうと——
「おい」
不意に、男の声が聞こえた。
「邪魔だ。そこを退け」
ぶっきらぼうに命令する。さすがに不愉快に思ったのか、鬼が動きを止めた。
「ああん?誰だお前。ディナーの邪魔すんな」
「お前に用はない。そこで縮こまってるガキに言ってる」
名指しされて、夢野は初めて男を見た。黒い隊服と黒いマントに身を包み、その手に携えているのは——紅い日輪刀。
(鬼殺隊員?)
鬼もそれに気づいたらしい。声に苛立ちが滲む。
「てめぇも鬼殺隊かよ。愉しい時間を水を差しやがって…覚悟は出来てんだろうなァ!」
叫ぶや否や、男に飛びかかった。
「っ、危ない!」
「死ねぇぇえええ!!!」
男が構えた日輪刀が。
「『闇の呼吸——参の型』」
「——何ッ」
紅く、輝く。
「『新月斬波ァ!!!』」
真っ赤な三日月の斬撃が、鬼の首を切り裂いた。
「があっ…ハアッ…」
頸が転がり、体は勢いのまま崩れ落ちる。体は端から黒く染まり、炭化が始まった。
「凄い…それに、あの呼吸」
驚嘆する夢野。未だかつて、ここまで素早く鬼の頸を切り落とした鬼殺隊員を見た事がなかった。そして、その呼吸も。
「き、貴様…」
「っ、しぶとい奴だ」
地面に転がる頭が、絞り出す様に声を上げた。
「う、わ、まだ生きて」
「お前がビビるのは勝手だが、こいつはもうすぐ死ぬぞ」
怯える夢野を制し、男が冷静に言った。首を切り裂いた鬼は、再生すること無く死に至る。その事を知識として知ってはいても、実際に見るのとではこうも違うものか。
「ただの人間の臭いじゃねえな…何も——」
グシャッ。
言い終わる前に男の日輪刀が、鬼の顔を貫いた。
「余計な事喋るんじゃねえ。おいお前、怪我は?
嘯いた男は、夢野に声をかけてきた。
「っ、あ、だ、大丈夫です。かすり傷ですし」
どもりながら答えると、それ以上は何も言わなかった。すぐに踵を返す。
「あ、あの!」
「何だ小僧」
立ち去ろうとする男を、夢野は慌てて呼び止めた。
「凄いです!あんなに早く鬼の首を!さっきの呼吸は何ですか!もしかして柱とか?それにさっきの——」
「あーあーうるっせえな。それがお前に関係あんのか?」
「関係あるっていうか…なんというか」
目に見えて落ち込む夢野を見て、男は深く溜息をついた。
「一つだけ教えてやる。俺は蛇倉」
「蛇倉正太だ」