pixivからの転載
田舎だった。
家の都合で、その田舎町の祖父母宅に追いやられていた自身は、暇を持て余していた。まだ学校にも通う年ではなく、幼稚園という気の利いたものもない。当時からあまり愛想が良い方ではなかった自身は、他の子どものように公園でその場限りの友人を作ることもできなかった。地元の道場に通うようになるのは小学校に上がってからのことだった。
なので、日がな一日、町を歩き回った。山と海に挟まれたその田舎町はそこそこ広く、それなりに退屈は凌げた。
そうして散歩の勢力圏を拡げつつあったある夏の日。山に面したある一画で、石段を見つけた。木々に挟まれたそこは薄暗く、見上げると鳥居が見えた。神社だ、と幼いながらにわかった。
その石段を登るのは、自身にとって当然の帰結だった。
登って、登って、それなりに長い石段の先で、登り切った先で気を抜いたせいだろう、最後の段で躓いた。
「いてぇ……」
「大丈夫ですか」
思わず小さく呟いた自身の、頭上から声が降ってきた。驚いて顔を上げる。
男が立っていた。ぱっと見、癖のある長い髪をしていて女かとも思ったが、体格からして男だろうと思った。白い着物に浅葱色の袴を着ていたので、朧気な知識で神社の人間かと思った。俺がそんなことを思いながら見上げていると、男はしゃがみ込んできた。木の陰影のためだろうか。顔色の悪い男だと思った。
「どこか擦り剥きましたか」
「……膝がいてぇ」
「こっちで傷口を洗いましょう、歩けますか」
そう言って、男は手を差し出してくる。その手を、素直に取ったのは――なぜだったのだろう。幼さゆえの警戒心のなさか、それとも。
男は手水舎で自身の膝を洗い、「もらいものだけど」と絆創膏を貼ってくれた。縁に座って大人しく貼られていた自身に、男は微笑んだ。
「男の子はやんちゃなもんですけどね。怪我には気を付けてくださいよ」
膝に、男の髪が掠った。
「なぁ。あんた、名前は。俺は、歳三」
突き動かされるように名を尋ねる。すると、男は顔を上げ――なぜか、泣きそうな顔で言った。
不意に、蝉の声が蘇った。
「一、です」
その中でも、その声だけははっきりと聴き取れた。
次の日から、その神社に通うようになった。正確には、男――一の元に。
大して面白い話をする男だったわけではない。その日の天気の話が主だった気がする。ただ、子どもの扱いに妙に慣れている節があった。祖父のようだ、とも思ったし、それを口にしたところ「僕はお爺ちゃんですからねぇ」と笑った。どう見ても20才そこそこだったのに、不思議なことを言う男だと思った。
一は、いつも笑っていた。へらへら、という形容は似合わなかった。慎ましやかに、控えたように微笑んでいた。微笑んで、いつも神社で俺を迎えた。晴れている日は毎日のように通い詰めていたが、ふと、不思議になった。一は、いつも神社にいた。
「一は、この神社の奴なのか」
1度、尋ねたことがある。会っている奴がいる、と告げたところ祖母に土産に持たされた饅頭を分け合って食べていたとき、ぽつりと訊いた。一は、目を瞬いたのち、肯いた。
「えぇ、『この神社の奴』ですよ」
「神社って儲かるのか」
「うーん、ここは寂れてますからねぇ……熱心なご老人がお参りに来てくれることもありますけど、そのうちなくなっちゃいますかもね」
見上げた先で、秋に近付きつつある景色を一はぼんやりと見ていた。他人事のようだな、と思った。
一と過ごす日々は、小学校に上がっても続いた。地元の道場に通うようになり友人らしきものもできたが、それでも暇を縫っては一の元に通った。一は、いつも神社で微笑んでいた。相変わらず天気の話しかしなかったが、一の傍は快かった。
今にして思うと、一は年端も行かぬ子どもを相手にして楽しかったのだろうか。舌足らずに学校や道場であったことを話す自身を、一はにこにこと微笑んで、相槌を打ちながら聴いてくれた。父や兄が傍にいてくれればこんな風に話を聴いてくれただろうか。そんなことを思ったこともある。
そんなことを考えたためだろうか。小学校に上がって数年経った頃、ある雨の日。会いに行こう、と思った。雨の日に人に会いに行くのは迷惑なことだ、と躾されていたものの、どうしても一に会いたくなった。
きっと、一は困った顔で、社の中に招き入れてくれるだろう。そう期待してのことだった。
石段を登った先。期待以上の光景が、そこにあった。
雨の中、立ち尽くす浅葱羽織の男。
それは幻だっただろうか。一瞬でそれは掻き消え――雨が降りしきる中棒立ちしていたのは、一だった。驚いて傘を取り落とし、駆け寄る。
「一、なんでこんな雨の中……びしょ濡れになる、風邪引くぞ」
「……あぁ、歳三さん」
思えば一は、明らかな年少の子供から呼び捨てにされても怒らなかった。そんな一は、俺が雨合羽のまま縋り付いてくると、嬉しそうに言った。
「来てくれたんですね。待ってたんですよ」
その言葉に、自身はフードの外れた頭に雨を浴びながら閃いてしまった。
「もしかして、今までも雨の日、こうして俺のことを待っていたのか」
一は、微笑んだ。
「だって、いつ歳三さんが来るかわからないでしょう?」
当然のように言うから、自身は「天気が悪い日は中で待ってろ」と確約させるのに苦労した。
思っていたより自分は好かれているらしい。そこでようやく気付いた。気付いたし、戸惑いもした。
自分はただの子どもだ。ただの子どもを、雨の中でも待ち続ける。それは、一体どういう気持ちの発露からなのだろう。
中学に上がり、道場を辞め、代わりに剣道部に入った。ここでいよいよ仲間らしい仲間に出会い、教師にも会い、部活を盛り上げていく決意をした。この決意のために神社への足は遠退いたが、それでも週に1度は通った。一は、相変わらず微笑んでいた。
この頃から、違和感を覚え出す。
けれどそれを口にするのはもっとあとのことで、部活に専念していく傍ら、世間の情勢が焦臭いことになっていることに、この頃から気付きはじめた。否、もっと前から焦臭かったことにようやく気付きはじめたというところだった。ニュースで流れる情報を聴く度に、自分ができることはないだろうかと思いはじめたのは、高校に上がってからだ。
この頃から、一は俺を見る目に翳りが生じはじめた。そして、話す内容も、少しだけ変わった。
「歳三さん、あんた、どこか遠くへ行くつもりですか」
「あぁ? なんでそんなことを訊くんだよ」
相変わらず週に1度通っていた。この頃になると、もう一の正体は掴めていた。だから、尚更一の言葉に引っ掛かった。
「俺がどこに行こうが、俺の勝手だろ」
「勝手です、勝手ですけど」
一は、息を詰めた。縁の隣に座る俺は、いつの間にか一の背丈を超えていた。その俺の服の裾に、一の手が伸びてくる。
「……勝手です、けど」
握ろうとしたらしい手は、しかし、引っ込められた。
そして戦争がはじまった。正確にはテロリストが起こした内乱のようなものだ。しかしそれは世界中に同時多発的に波及した。
そして高校在学中に、「卒業したら前線に立て」という赤紙徴集が来た。
断ることもできた。けれど、俺は断らなかった。
戦わなければいけないと思った。
そしてそれを告げると、一は俺を抱き締めた。
背丈は大きく足りない。けれど肉付きは一の方が良いようだ、いつ食べているのだろう。そんなことを思いながら、胸に縋り付いてくる一は、呟くように言った。
「こんなことなら、あんたをとっとと僕の手元に置いておけばよかった」
一は言う。俯いたまま。俺の眼からは旋毛しか見えなかった。
「あんたから死の匂いを感じる。感じた。だからあんたが『また』戦場に行かないように、……今度こそあんたを傍に置いておけるようにしたかった。死に向かわない、生きていないあんたはあんたじゃないとわかっていながら。でも、無駄だったんですね。何もかも」
鼻を啜る音がした。
「あんたは戦場に行く。死の匂いをまとわりつかせながら、死へと向かっていく。俺は、あんたを止められないんだ。……変わらない。昔から。あんたはそうだ。俺はもう死ぬことのない体だけど、死にに行くのは御免だ。だから、だから」
「もういい一。……いや、『斎藤』」
「――」
その名を呼ぶと、一は顔を上げた。涙と鼻水でぐしゃぐしゃで、ひどい顔だった。それでもこみ上げてくる感情は――
「お前の今の正体が、人間じゃなかろうと神様だろうとなんだっていい。『斎藤』。お前は、俺を待っていられるか」
そう告げた俺に、一はへらりと笑った。はじめて見る笑い方だった。少なくとも、「今」の俺は、この笑い方の一を知らなかった。
いつかの俺は、どうだったのだろう。
「ひどいことを言うんですね、『副長』」
一は耳慣れない言葉で俺を呼んだ。
「えぇ、待ちますよ。今度の俺は、あんたを待ちます。いついつまでも、ずっと、永遠に。あんたの帰りを、待っています……だから」
「帰るさ。生きて還る」
俺は誓った。誓いの言葉なんてむず痒かったが、それでも言った。
「俺は、斎藤一の元に必ず帰ってくる。約束する」
一は――斎藤は、笑った。泣き顔で笑った。
「約束、ですよ」
10年以上前、会ったときから寸分違わず変わらぬ姿の男は、そうして儚く微笑んだ。
その神社が、とある歴史で活躍した有名人を祀ったものであると知ったのは、この頃のことだった。
その神社が跡形もなくなくなっていた。
無理もない。あれから50年が経つ。自分もよく生きていたものだ、と思う。前線に立つとは言っても指揮官のような立場で実際に戦うのは部下だったから、生き延びられたようなものだ。鏡を覗けば年相応に老いた自分がいる。
それでも、引退した今。約束を守りに来た。それは律儀さゆえか、未練たらしさゆえか、自分にも判然としない。そして跡地となっていた神社を見上げて、自身は苦笑した。あんな口約束で、自分は50年も戦っていられたのだ。
(それには、感謝するぞ。一)
そして、踵を返し、祖父母の墓参に向かいに行こうとした。
「土方さん」
――人は、誰かがいなくなったとき、その人の声から忘れるという。けれど、それを聴いた途端、記憶が蘇る。幼い日の出会い、雨の日に迎え入れてくれたとき、死にに行ってくれるなと縋られたこと。そんなまさか、と思いながら振り返った。
そこに、彼は立っていた。スーツにコート、髪は短くなっており、あの長髪の面影はない。それでも、彼だとすぐにわかった――尤もだいたい目つきの悪さのせいだが。
「はじめ」
掠れた声で名を呼ぶ。老いた足は縺れそうだ。でも、歩み寄らざるを得なかった。あの日、置いていったあの慕わしい男が、そこにいた。蹌踉めく自身に、一は駆け寄ってくれる。
そして、年老いて枯れた体を、抱き締めてくれた。
一は、俺の首筋に顔を埋めながら言った。
「よくぞ。……よくぞ、生きて還ってくれました。約束を、守ってくれて有難う」
「一」
「これで、心置きなく僕も消えることができます」
「――え?」
慌てて体を離すと、きらきらとした光が一を包んでいた。彼は微笑んでいた。いつか、神社で迎え入れてくれていたときのように。
「お先に、失礼しますね」
「はじ」
「さよなら。――お先、失礼します」
名を呼び終える前に、そうして一の体は呆気なく消えた。
抱き締めた感触すら消えてしまいそうで、自身は拳を固めた。
結局、俺がお前にとってのなんだったのか、わからないままだったな。
老いた体が軋む音を聞きながら、俺は独りごちた。
神様と人間
了
一
ひょっとしたら死後偶々神として祭り上げられてしまった斎藤一。
一のことが見えていたのは歳三だけだった、という話
最後現代風の姿だったのは人に溶け込むために頑張って姿を作った
歳三を先に置いて逝けたことだけが、彼の救い
本当は自分の元に囲い込みたかったが、「人間じゃなくなった、死に立ち向かわなくなった土方歳三は果たして土方歳三なのか」という自問に答えられず結局やらなかった
歳三
自覚しているようでしていないけど一が初恋。彼以外を抱く気も起きない。
一が自分を通して「誰か」を見ていることには気付いたけど、今目の前にいるのは自分なのだからそれでいいと思っていた
戦いから帰ってきて一が消えたあとは、祖父母の使っていた家で静かに余生を過ごす