マートン・グレイヴスはホグワーツ特急に荷物を担ぎ入れようと唸りを上げたが、11歳の少年に過ぎない彼にとって身の丈よりも大きな楽器ケースは少々重すぎた。
発車まであまり時間がない。ホームで発車ベルを耳にするのはごめんだ。
嫌な汗で貼りついた前髪を手の甲で乱暴に拭ってもう一度力を入れると、ふいに荷物が持ち上がった。
「よお、大丈夫か?」
「……まあね」
かっこつけやがって、と笑う青年が手を差し出す。マートンは彼の手を取って、ようやく乗車した。
「ギデオン。ギデオン・クラムだ。ハッフルパフ4年」
「マートン・グレイヴス。新入生」
「ようこそ。コンパートメントのあてがなければ来いよ」
マートンは承諾した。気のいい上級生だ。少なくともホグワーツまでの移動時間が苦痛になることはないだろう。
通路を進むと好奇の視線が突き刺さる。最初は自分の背負う楽器ケースを見られているのかと思ったが、どうやらギデオンが注目を集めているようだった。
「有名人?」
「あー、それなりに。有名人ってよか、有名バンド? まだ途上だけどな」
「あんたも楽器やるのか」
「バグパイプを。お、今がっかりしただろ」
「してない」
「そうか? バンドやってるっつってからバグパイプ奏者だって名乗るとみんながっかりするんだよな」
言わんとするところはわからないでもない。
1989年。セックス・ピストルズやダムドといったパンクロックバンドがイギリスのロックシーンを塗り替えたのはマートンが生まれるより前のことだ。バンドマンといえば楽器を背負い、ボロを着て、稼いだ金をアルコールとドラッグにつぎ込む、そんな連中という印象が世間に浸透しつつある。
ギデオンはジャンキーにも見えないし、楽器を背負ってもいないし、質のいいカーディガンを羽織っている。好青年。その一言が似合う男だ。
「っと、ここだ。後からまだ何人か来るけど、いいか?」
「ここまで来て断る新入生いると思う? 大丈夫、座れるだけでありがたいから」
ギデオンは微笑ましいものを見るように笑って、コンパートメントの扉に手をかけた。
中で一人の男子生徒が座ったまま何かを口ずさんでいた。歌というよりはリズム。窓際に置かれたノームの形のメトロノームがBPMを変えるのに合わせてフレーズを刻んでいた。
「オーシーノ・スラストンだ」
「スラストン……ジャズベーシストのアロンゾー・スラストン?」
「お、なかなか通だな。おい、オース、お前のじいさんを知ってるぞこいつ」
オーシーノが宙に手を伸ばして何かを掴んだ後、ゆっくりとこちらを向いた。どうやらシンバルを押さえたつもりのようだ。
「すまない、入っていた。そちらは?」
「あー、こいつは――」
「マートン・グレイヴス。新入生。よろしく」
マートンは一歩前に出て、小さく頭を下げた。人に紹介されるほど偉い身分でもない。名乗りくらいは自分でしたい。
マートンの名乗りを受けて頷いた後、オーシーノはマートンに握手を求めて手を差し出した。
「オーシーノ・スラストン。レイブンクロー3年だ。どうぞよろしく」
「よろしく」
3年生ということは年齢的には2つしか離れていないはずだが、ドラムを叩き続けた人間の使い込まれた手をしている。
オーシーノもマートンの手から何か感じ取ったのか、感慨深げに頷いている。妙に貫禄のある青年だ。黒く艶のある肌もあって、以前顔を合わせたキングズリー・シャックルボルトという闇祓いを思い出させられた。
「おいおい、俺とは扱いが違いすぎるだろ!」
「あー、あんたも握手するか?」
「する! ……おお、ちゃんと弦のタコがあるな。弾いてる人間の手だ」
「当たり前だろ。飾り物でチェロ担ぐ奴なんかいるか?」
それはそうだ、とオーシーノが笑った。
二人は同じバンドに所属しているらしく、マートンがそのバンドを知らないと正直に打ち明けると少し残念そうにしていた。最近はラジオでのリクエストも増えたらしい。
「音源を流通させたいんだけどよ、なかなかレコード会社が頷かねえんだよな。セレスティナ・ワーベックの新アルバムで生産が手一杯とか言いやがる」
「根強いファン層がいるのは事実だ。だからこそ、レコード会社に商品価値があると思わせる必要がある。少なくともカーリーはそう思っているはずだし、ドナハンも同意していたはずだ」
「マイロンが頷けばなあ……」
「その人たちがあんたらのバンドメンバー?」
「そ。オース、なんか持ってないか、チラシとかパンフとか」
オーシーノが畳んであったジャケットを開いてポケットを漁り、そこから紙束を取り出した。どう見てもポケットに収まる量ではない。魔法がかかっているのだろう。
その中から差し出された一枚には、バンド名とメンバー紹介、ライブスケジュールが記されていた。
「ウィアード・シスターズ……」
「のちに魔法界を席巻する伝説のバンドだ。プレミアつくぜ、大事にしてくれよな」
「うん」
生返事だと自分でも思いながらも、マートンは紙切れ一枚の情報に興奮を覚えていた。
変わった編成だ。ボーカル、ツインギター、ベース、ドラム、リュート、バグパイプ。マートンが知る限りでは唯一無二と言っていい。これで曲として成立するものができているのなら、それはとても面白いことだ。
次のライブは10月の頭。ホグズミード、三本の箒という場所らしい。
「三本の箒、って?」
「あー、そっか、そうだよな。ホグワーツの近くにホグズミードって村があって、生徒は月に1回そこで遊べるんだよ。でも、許可が出るのは3年生から。オースは今年が初の外ライブだ」
「あまりプレッシャーをかけないでくれ。すまない、マートン。今は校内のライブをやっていないんだ。ボーカルとリードギターが卒業してしまったからな」
なるほど、考えてみれば当然のことだ。
残念ではあるが、マートンはチラシを折りたたんで胸ポケットにしまった。
「マートンはチェロ長いのか?」
「まあ、そこそこ。たぶん今年で4年?」
「ってことは7歳からか。すげえな。俺、7歳のころとか羊のケツに枯れ枝突っ込んで親父に殺されかけてたぜ」
「あー、やってそう」
「今日会ったにしては厚すぎる信頼をどうも。どういう曲やるんだ? てかチェロってどういうシーンの楽器なんだ?」
説明に困って、マートンは楽器ケースの留め具を外した。聴かせるのが一番早い。
弓を張り、松脂を塗り、エンドピンを立て、手早くチューニングを済ませる。ADGC。
ロックをやるバンドマンに聴かせるなら、ロックをやるのが面白い。ちょうどいい持ちネタがある。短音を得意とするチェロに適した曲が。
「……ワン、トゥー、スリー」
鼓動のような単調さ、軋むような音。その連続が次第にメロディとなり、怪しげな煙となって立ち昇る。
しかし、チェロの音色とアレンジが加わることで色気と気品が加わり、ドラッグ中毒患者の吐息はいつの間にかシャーロック・ホームズの足音を感じさせるようになる。
「ジミ・ヘンドリクス…… "Purple Haze" か」
マートンは頷いて、弓を下ろした。
二人は沈黙していたが、少しして拍手をマートンに贈った。
「興味深い発想だ。このアレンジは君が?」
「まあね。人と合わせたことないから、ソロの手慰みだけど」
「それは卑下だろう。いいものを聴かせてくれた、ありがとう」
マートンは礼を言ってチェロをしまおうとしたが、ギデオンがその手を掴んだ。
見上げると、ギデオンは瞳を輝かせている。最高のおもちゃを前にした少年の笑顔だ。少し気味が悪かった。
「なあ、マートン、チェロって音域はどれくらいあるんだ?」
「普通に弾けば4オクターブ」
「お前が弾けば?」
「8オクターブ。ハーモニクスも合わせればだけど」
「上等上等。お前、うちのバンドでボーカル弾いてみないか?」
「は?」
錯乱呪文でもかけられたのだろうか。
マートンが混乱していると、オーシーノが大きな声を出した。
「なるほど! いや、そうか。盲点だった」
「な、冴えてるだろ? やろうぜマートン。最高に楽しい学生生活になること請け合いだ」
ちょうどその時、コンパートメントの扉が開いた。
「――いやあ、乗り遅れるところだった。……ギデオン、何してる?」
「ドナハン! こいつのチェロでボーカル埋まるぞ!」
ドナハンと呼ばれた面長の男は困惑したように黒髪をかき上げ、マートンに視線を向け、それから助けを求めるようにオーシーノへと手を伸ばした。
ひどく混沌とした始まりだった。のちにウィアード・シスターズ最後のメンバーとなるマートン・グレイヴスはインタビューにこう語った。
ホグワーツ生としての初日、僕は興奮している上級生に少し怯えながら、チェロが傷つかないように庇っていた。