あの後、俺たちはいつの間にか眠りに落ちていたらしい。
標準時刻的な意味での雪ノ下の誕生日当日、確かに俺たちはその約三分の二を夢も見ない深い深い眠りの中で過ごしていた。とは言え、元日……というか年の瀬から寝食すらも惜しんで彼女たちとの結末を考え続け、その前は雪ノ下の家族との和解のために揃って奔走し続けていた身だ。長い眠りから覚めた後も、別離の覚悟とそれを軽々上回る苦悶絶望後悔懊悩、そこからまさかの逆転劇というメンタルの乱高下。果ては……うん、まあ、彼女たちとの初体験。まちがいなく人生で一番出した。積もり積もった心身の酷使に、あの睡眠だけでは足りていなかったということだろう。ツケが溜まりすぎていたというわけだ。まあ今は時が止まっているからどれだけ寝たかは分からんのだが。
内心で冷静に現在に至るまでの状況を冷静に整理しつつ俯瞰した視線で冷静な評価を冷静にだな。つまり冷静に落ち着け俺。
いつの間にか眠りに落ちていたらしい、と先程俺は考えた。それはつまり、目が覚めたからこそ自分がそうあったのだろうと気付けたと言うことを意味するわけでだな。
さて、後はここに寝る前の状況を代入するだけでもう容易に分かるだろう、今の俺の状況が。数のおべんきょうがどんだけ嫌いでもきっと簡単に正解できるはずだ。
「すー……すー……」
「くー……くー……」
美少女は寝姿まで整っているものか。間接照明の薄暗がりの中、二人とも静かな寝息を立てて、穏やかに幸せそうに寝入っている。
俺の隣には至高の裸婦像にも容易に勝る美しさを持つ雪ノ下雪乃が。俺たちに覆い被さるのは最上の花魁すら足下に及ばない艶やかさを持つ由比ヶ浜結衣で。
眠る前の俺たちが自然とそうしていたのだろう。少なくとも誰かがそうしようと殊更口にした覚えはない。俺の両手は、二人の恋人繋ぎの相手方になっていた。
ああ、それはいいんだ。むしろ俺が自然とそうした、そうできたという事実が喜ばしいくらいだ。恥ずかしさが先に立ってとても二人には言えねえけど。
問題は……。
「すー……すー……」
「くー……くー……」
気持ちよさそうに眠り続ける二人が、今も裸身であるということ。そして自然に目覚めるまで眠り続けた俺の体調が快復して、つまりだな、一ダース撃ち尽くしたって勝手に残弾は補給されていくってことだ。
当たり前だが両手繋いで密着してるんだから身体の前面は全面密着してるし、二人のきめ細かい肌の暖かさと柔らかさと芳しさはそういう快感も十二分にもたらしてくれる。ビッキビキだ。ぶっちゃけ身じろぎするだけでヤバそう。ヤバい。わざと動き続けたら暴発するね。まちがいない。
「すー……すー……」
「くー……くー……」
「はぁ……」
とか言ったところで二人を起こすなんて選択肢はないし、何より二人の寝顔眺めてるだけでもなんか勝手に湧いてくるものもある。いや性欲とかそっちじゃなくてだな?
まぁ、なんだ。今ならあいつらが言っていたことも分かる。確かにこれは幸せだ。
そうだな。もうしばらくこのまま待つとしようか。飽きるか、起きるか、するまでは。
でもこれ前者は有り得ないなと自覚しつつ、俺は繋いだままの手にほんの僅か力を込めた。
あれからどれくらい眺め続けていただろうか。薄闇の中、由比ヶ浜の瞼が開いたことで彼女の目覚めを察知する。とはいえ、彼女自身は未だ夢現の中にいるようだが。
「……ひっきぃ?」
「おう。おはよう」
その瞳がぼんやりとこちらを捕らえ、いとけない声が唇から漏れる。その表情は年齢以上に幼く無防備に喜色で満たされ、目の前に迫って、え?
「んっ」
「ッ!?」
繋いだ手を引っ張られ、身を乗り出した由比ヶ浜に目覚めのキスをされた。……目覚めのキスって寝起き側からやるもんだっけ? 考える余所事は欠如した現実感の証。
啄むように二回、三回と重ねられる柔らかな唇に、急速に追いついてくる実感。加速度的に熱を持っていく顔が、恥ずかしさと裏腹に由比ヶ浜を求めていく。
由比ヶ浜と繋いだ左手をそっと解き、背中に腕を回して思いっきり抱き寄せる。繰り返される口付けにこちらからも積極的に応え、唇を食み、舌を絡ませ、唾液を交換する。
双方の息切れを以て、長引いた目覚めの儀式は終了した。間近に見る紅の顔は酸欠か恥じらいか欲情か。何かを考える前に互いの荒い吐息が再度引かれあい、
「朝から熱烈ね」
冷めた声音に相応しい温度の水を差される。
「あ、あはは……おはよ、ゆきのん」
「ええ、おはよう」
俺たちに覆い被さる由比ヶ浜の身じろぎに、雪ノ下も覚醒に至っていたようだ。そりゃそうだ。
「……比企谷くん。初めて共寝したもう一人の恋人に対して何か言うことはないのかしら。露骨な扱いの差は人間関係においてっんんっ!」
雪ノ下からの露骨な催促に、滔々と捲し立てる口を口で塞ぐ。よく回る舌を吸い、甘噛みすると雪ノ下の身体が跳ねる。それを押さえつけるように、両の腕で彼女の肢体を強く掻き抱く。由比ヶ浜は気を利かせて、既に俺たちの上から降りてくれている。
ベッドからも降りた彼女の顔をちらと見れば、嬉しそうににこにことこちらを見下ろしていた。顔を見た傍ら視界に入った発育の暴力は、片腕で両の先端が隠されていてなお凄まじい破壊力。万乳引力の法則は健在だ。凝視してると雪ノ下に押しつけているビッキビキが限界を超えそうだったので、すぐに目線を雪ノ下に戻す。
雪ノ下は縋り付くように強く抱き返してきて、離した唇から荒い吐息が零れる。互いに相手を縛り付けんとする強烈な抱擁。圧搾される肺から恍惚の吐息が漏れ、交換される。
そのまま暫し。蕩けた視線が交差して、お互いの肉体に抱擁の痕をうっすらと残してから、ようやく俺たちの抱き合いが終わる。
「おはよう、雪乃」
「……ずるいわ」
雪ノ下は真っ赤な顔でそっぽを向く。
俺は由比ヶ浜と顔を見合わせ、小さく笑った。
雪ノ下のおねだりに答え終わると、するりと由比ヶ浜がシーツに潜り込んできて俺たちの腕をとる。
「……ね、おはようしたけど。この後はどうしよっか?」
抱きつかれた左腕には由比ヶ浜の柔らかな双丘の片割れが押しつけられていて、すぐにでも逆の手で揉みしだきたくなるところだが流石にそういうわけにもいかない。本能に命じられるまま即座に第十三回戦に入りたくなるところをぐっと堪え、見上げる視線の可愛さに抵抗力を削られつつもどうにか答える。
「そうだな……。このまま十八禁なシーンに入るわけにはいかないし、ウェットシートとかで簡単に身綺麗にはしたとはいえ昨夜は結局あのまま寝ちゃったし、お風呂入る……のが、いいんじゃないかと、思いますが……」
俺が言葉を重ねるに従ってちょっと寂しそうにする二人に語末が力を失っていく。
「……エッチなこと、ダメ?」
小首を傾げて誘うように問うてくる由比ヶ浜に、簡単に理性がぐらついてしまう。
「……やめろよそんな可愛く言われるとうっかり負けちゃいそうになるだろ」
「私も……その、初めて出来た恋人なのだし、多少浮かれて羽目を外すくらいはしてもバチは当たらないと思うのだけれど……」
恥じらいからか視線を外して、それでも甘えるように右手の小指を遠慮がちに握ってくる雪ノ下。
「だからお前ら俺の理性がなんとか耐えてる内にやめるんだ。その誘惑は俺に効く」
受け入れ態勢ばっちりの二人に今すぐにでも獣となって襲いかかってしまいそうになるが、なけなしの理性を総動員して水際で踏みとどまる。促されるままに盛って思うさま二人を貪りたい欲求はあるが、あるというかむしろ脳内それ一色に染まりかけているが、それでも超えてはいけない一線がある。Rの付く十八度線だ。
「……負けちゃってもいいよ? やらかいよ?」
「……昨夜は十二回も求めてくれたのに」
見せつけるように自分の胸をふにふにと揉む由比ヶ浜と、縋るように上目遣いで軽く拗ねてくる雪ノ下。誘惑の暴力だろこんなの。
「いや俺だってそうしたいのは山々ですが! ……そのだな、ぶっちゃけもう、その、ゴム……ないだろ? あと回数は忘れてください……」
『あ』
そう、雪ノ下が準備していた0.01ミリ三個入り四箱一ダースは昨日で使い切った。俺や由比ヶ浜が主観では愁嘆場予定だった誕生日会にそんなもん用意してるはずもなく、つまりはそういうことなのだ。
……学生妊娠なんてやらかしたら、ただでさえ後ろ指指される俺たちの関係に、無駄に余計な差し出口を呼び込む可能性が極めて高い。無論のこと、何があっても離れない覚悟は人生賭して決めてはいるが、そこはそれ。こいつらに無用な重荷を背負わせる可能性は低い方がいいに決まっている。
「……盲点だったわね。次からは業務用でも常備しておこうかしら……」
業務用てお前……。どんだけ爛れた生活送るつもりなんだ。心惹かれるし抗える気がしないからやめてくれ。
「でもヒッキーがそういう気遣いしてくれるのってなんかすごいぐっとくるかも。あたしたちとの将来、ちゃんと考えてくれてるってことだもんね?」
……その、そういうこと嬉しそうに言うのもやめてくれ。心惹かれるし抗える気がしないから。
「……いつかは、とは思うけど。それは俺たちが自分の足で立てるようになってからが筋だろ。だから、その、な? お前らと、その、肌を……あー、お前らに、た、耽溺、してるときの俺の判断力なんて、とてもじゃないが信用できたもんじゃないし。ゴムなくても大丈夫、なんて土壇場で言われたら流れかねん」
オーラルな行為の最中にでも、切なそうに『中にちょうだい』みたいなこと言われたら陥落する自信あるぞ。あヤベ想像しただけでまた暴れん棒が将軍に……。
俺の言葉に脳内シミュレーションしてみたのか、由比ヶ浜は何とも言えない表情になる。ゆきのんさんの方は相変わらずの澄まし顔のようですが?
「……あたし、盛り上がったら言っちゃうかも」
「私はそんな無計画なことは口にしない分別なら持ち合わせているつもりだから問題ないけれど」
えー、ほんとにござるかぁ? みたいな疑惑の視線が雪ノ下に降り注ぐ。由比ヶ浜も半笑いで、やはり俺寄りの意見の様子。ゆきのん、強く抱きしめて耳元で、まぁ、なに? 色々と? 囁くと、すぐにふにゃのんになるからね……。俺の恋人がマジで可愛すぎて世界が再構築される。
「……んんっ。ともあれ、懸念事項は理解したわ。確かに未だ学生の身、自活能力もないまま無責任なことは出来ないわね。……その、名残惜しくはあるけれど、それならお風呂にしましょうか。由比ヶ浜さんもそれでいいかしら?」
「うん。えーっと……ヒッキーも一緒に入る?」
「なに言ってくれちゃってるのこの子」
なに言ってくれちゃってるのこの子。考えるより先に口に出してたわ。これが意より早く身体が動くというやつか……。
っていうか今言ったばかりでしょうが。うっかり歯止めが利かなくなっちゃったらどうするんだと。
「……ごめん、やっぱなし! 明るいとこで裸見られるの恥ずかしい……。ゆきのんみたいに全部すべっすべでどこもかしこも超綺麗ならいいんだけど……」
「由比ヶ浜さん、あなたそれは謙遜と卑下が過ぎるわよ。どう考えてもあなたの身体は魅力的じゃないの。暴力的なまでに。暴力的なまでに。同性の私でも容易に理解できるし、比企谷くんの目を見れば一目瞭然よね?」
「待ってそこで俺に流れ弾飛ばすのやめて? ……え、そんなに?」
「自覚ないの? あれは犯罪者の目よ。同意がなければすぐにでもお縄を頂戴させられたわね」
「そんなにか……。いや目を奪われてたとは思うけど、そんなになのか……」
げに恐ろしきは万乳引力か……。世界の物理法則からは何人も逃れられれない。
「……まあ、なんだ。あれだ、そういうことらしいからお前に魅力がないってのは有り得んが……だからこそ別でって言うべきか、そのだな……。俺も、付き合いたてで正直余裕ねーっつーか、がっついてる自覚もあるし、なんだ。……もう少し、余裕ある男になれたら、そんときゃ一緒に……ごめんやっぱ今のなしで」
慰めになるかどうか分かんない言葉を重ねて重ねてしていたら、由比ヶ浜の目が輝いてってその圧力に言葉の方が引っ込んだ。っていうか我に返ってみれば何言ってんだ俺。雪ノ下もなんで嬉しそうなんだよ。
「えー! いいじゃん最後まで聞きたいよー! ヒッキーのそういうのってすっごいレアだし!」
「そうね、是非最後までお願いしたいところだわ。あなたが自ら男を見せようとするなんてことそう滅多にあるとは思えないし」
「やかましいほら風呂入るんだろ早く行きなさい」
「……のぞく?」
「覗きません!」
「あははっ、先入ってくるね」
悪戯っぽく茶々を入れる由比ヶ浜は軽やかに部屋を出て。
「……覗きたくなったら来てもいいわよ? 目こぼしてあげる」
愉しげにからかう雪ノ下は艶やかな流し目を残して姿を消した。
「……はぁ」
どうにもこうにも、俺の彼女たちは一筋縄ではいかないようだ。……知ってたけど。
「ふぅ……」
あいつらの後に俺もいただいた、すっきりさっぱりのお風呂上がり。封切らずのパジャマがいつの間にか用意されていたので、あいつのそつのなさに戦慄しつつありがたく身に纏う。
雪ノ下の部屋に戻ると、ベッドの上で睦み合う二人と目が合う。……こいつら、やっぱりとんでもなく綺麗だな。あ、実は俺の恋人なんですよ。世の中バグってんな。
「おかえりー……で、いいのかな? おあがり?」
「上がったわね。私たちの残り湯はいかがだったかしら?」
由比ヶ浜の天然を華麗に無視して雪ノ下が妄言を吐く。
「最高でした美味しかったです、とでも言えばいいのか。……まあ、気持ちよかったけど」
というか湯船に浸かってる間そのこと考えないように必死だった。なんぼなんでも恋人のお風呂で自家発電とか自刃も辞さないレベルの黒歴史になるわ。
「ヒッキーもこっちおいでよ。髪、なおしたげる」
由比ヶ浜がちょいちょいと手招き、百合の間に俺を呼ぶ。なんとなく気恥ずかしくなって二の足を踏むも、それで由比ヶ浜の招きが止まるはずもなく。小首を傾げたり、俺の座るところをぽんぽんと叩いたり、そんなことされて抗えるほどの反発力はとうに失ってしまっている。変えられたなぁ、と自嘲しつつもスプリングを軋らせ指定の場所に腰を落とす。
嬉しそうな由比ヶ浜が髪を弄るままに任せていると、髪の毛に触れる感触が増える。横目に見れば、雪ノ下も参戦したようだと分かった。まあ俺の頭で二人が楽しく遊べるんならそれに越したこともないだろう。為すがままに任せる。
バスタオルで優しく水気を拭かれて、毛先をある程度の束により分けられる。時折頭に触れる指先がくすぐったく、俺の方も身じろぎしてしまうのか、髪を整える手も少しばかりまごつくのだ。
……なんというか、うん。あれだ。幸せ、かもしれない。あーもう、いつからこんなに素直になったんだ俺は。もっと斜に構えて斜めに見る捻くれスピリッツはどこに行った。墓の下か。
「あ、あー。そういや、パジャマ。昨日新品開けたばっかだったのにまた新しいのなんだな。ほんと手回しが……」
なんとか話題を捻り出して、むず痒い沈黙に一石を投じる。それだけのつもりだったのだが。頭を弄る指の半分が止まり、それに気が行ったせいで俺の口舌も連鎖した。止まった右半分は雪ノ下。
「雪ノ下?」
「え、あ、なにかしら」
ぴくり、と内心を反映させた指先が素直に動揺を伝えてくる。何があったってのはむしろこっちが聞きたいんだが。え、そんな話題選び変だった?
「ふふふー」
そんな折、聞こえてくるのは稚気に溢れる笑い声。
「由比ヶ浜?」
「待って、あの、なんでも、違うの。やめて」
いっそ分かりやすいほどに取り乱す雪ノ下。楽しげに弾む由比ヶ浜の手つきと対象に、せっかく整えたであろう髪が千々に乱されていく。
「え、なに。何があった」
「ちが、べ、別に何もないわ。あなたは黙って前を向いて貝のように口を閉じていればいいのよ。ほら、髪が乱れてるじゃない」
それ乱したのあなたなんですがそれは。なんて言ったら更に追い詰めることに……それも楽しそうだな。後で苛烈な報復措置来そうだけど。
「ゆきのんさ、すっごい家事得意じゃん? ほら、ゆうべあたしたちがお風呂に入ったときもさ、いつの間にか洗濯してアイロンまでかけてたし」
「やめて、由比ヶ浜さんお願いだからやめて」
「えー、いいじゃんゆきのんのいじらしくって可愛いとこだもん。ヒッキーも聞いたらもっと好きになると思うよ?」
「ちが、偶然で、そんなつもり……だから、あの……」
天然か意図的か、ガハマさんの猛攻が逃げ場を塞いで狩り立てていく。心なしか右半分に触れる指先の温度も上がっている気がする。
「あのね……」
「ダメ、やめて由比ヶ浜さん後生だから本当に」
「あたしたちが脱いだパジャマ、洗わずにとっといたんだって。あたしたちと別れることになっちゃったとき、少しでも寂しくないように、って」
「あああぁぁあぁぁぁ……」
雪ノ下が崩れ落ちた。むごいことを……。ガハマさんの方は満面の笑顔の気配がするわけだが、少々の悪戯心は混じっていても基本的に善意なのがタチの悪いところだ。……まあでも、うん。いじらしくて可愛い、というのも分かる。雪ノ下が俺たちのパジャマで……。想像が逞しくなるな。
「ね、可愛いでしょ?」
「あー、まあ、な」
「ふ……ふふふふ……」
地獄の底から響くような笑い声が寝室を満たす。発生源? そんなもん一つしかないんだよなあ。
「ええ……未練がましい女と笑えばいいわ……言わないでって言ったのに……」
「ゆ、ゆきのん……?」
「あ、あー、別に俺は気にしてないぞ? その、なんだ。気持ちは分かるし?」
気にしてないっていうかどうしたって気にはなるけど悪く思ってないっていうか。でもその辺の正確なニュアンス伝えるのは厳しいわけでしてね?
「そうそう、ヒッキーの匂いって安心するし! あ、そだ。あたしも今度ヒッキーの服とか借りていいかな? 着古したやつでいいからさ」
「は? え、いや別にいいけど……。別れたりしねえぞ?」
「当たり前じゃん絶対別れないし! じゃなくて、ヒッキーの匂いついた彼シャツパジャマにして寝たらよく寝れそうだなぁって……。たまにヒッキー分補充のために返すけど」
なにそれエロい。やべえ、雪ノ下といい由比ヶ浜といい俺を萌え殺す気か。つーかたまに返すってそれ俺に着ろってことだろ? 由比ヶ浜分がたっぷり付いた服を。滅茶苦茶捗りそう。
「よし決まりね! ふふっ、楽しきゃっ!?」
「あなたたち、この状況下で私を無視するなんていい度胸じゃない」
「別に無視なんて、あはっ、あははっ! ゆきのん、くす、くすぐったい!」
「このっ! このっ!」
「くふっ、ふぁっ、あははははっ!」
振り返ってみれば、雪ノ下が由比ヶ浜にのしかかってくすぐり倒していた。ガハマさん身を捩って上気しながら大笑いしてらっしゃる。二人絡まりながらパジャマの裾も大きくはだけて、由比ヶ浜の方は胸元のボタンも幾つか弾けて眼福過ぎる。ありがとうございま、うおっ!?
「なに自分は無関係ですって顔で鼻の下伸ばしているの? あなたもよ」
「ばっおまっひはっ!? くくっやめっ、ははははっ!」
そこから先はもう三人でくんずほぐれつ、絡まり合いながら二人の柔らかさ美しさ温かさ可愛さを堪能し、ある程度時間が経って正気に戻りつつあった雪ノ下を今度は由比ヶ浜が逆襲して、抱き合ったり口付けを交わしたり字面通りの意味で肌を重ねたりしてリトル八幡がビッグになったり二人の目がハートになったり色々とすったりもんだりしたけど、全員のギリギリの忍耐で一線を越えることはありませんでした。どっとはらい。
静かに目を開ける。昨日今日でよく知ることになった天井だ。左右から包まれるような温かさに、今目覚めたことと昨夜のじゃれ合い、そしてそのままくっつき合って眠りに就いたことを連鎖的に思い出す。なんかここ来てから大半の時間をベッドから降りずに過ごしているせいか、寝つ起きつに睦み合うだけで時間が無限に過ぎていくな。
と、俺を挟む温もりが動いて、両の頬を一際の潤った柔らかさが啄んでいく。贅沢極まりない目覚めのキス。衝動的に二人を抱き寄せ、俺の方からも口付けを返す。ろくに目測も付けない、ただ距離を詰めるだけの拙い返しは、彼女らに迎え入れられることでどうにか体裁が整った。
「おはよ、ヒッキー」
「おはよう。比企谷くん」
「おはよう、由比ヶ浜、雪ノ下。好きだ」
……あっ、やらかした。いやそのですね、寝起きは誰しも寝惚けているから心の防壁は下がってるしそこにこんな思いもよらない不意打ちがあったせいでついうっかり心の中身がまろびでてじゃなくてたまたまついうっかり思ってしまったことがついうっかりそのまま口からだな。
くだらない言い訳を頭の中でつらつら並べ続ける間も、二人の顔が驚愕から照れを多分に含んだ喜色、そして抱かれる腕に力が篭もるまでの移り変わりを密着したままに感受していた。
「あたしもっ!」
「そうね。……私もよ」
「……おう」
混乱はスッと引いて、じんわりとした幸せとある種の諦観が胸中を塗りつぶしていく。あーはいはいそーですよもう言い訳のしようがないほどこいつらのこと愛してますよ。投了だ投了。勝ち目なし。知ってたけど。
受けた愛を返すように、等量の力を腕に込めていくところで、
「あー」
「あら」
「ぐ……」
ぐぅぅ……と絞るような音が鳴る。出所は俺の腹。空気も読まずに腹の虫が空腹を訴えて暴れてくれやがったわけだが。勘弁してくれ俺。
「いや、その、な?」
「あはは、そういえばずっと何も食べてないままだったしね。しょうがないしょうがない」
「ふふっ、ムードも何もないわね。ご飯にしましょうか。下準備は出来ているわ」
「マジか……。お前ほんといつの間にそんな時間捻り出してんの? 有能ってレベルじゃねえぞ」
「そうね。内助の功は見せない方が美しいでしょうし、秘密にしておきましょうか。よければ由比ヶ浜さんも一緒に」
「作る!」
「わよね。比企谷くん、料理する私たちのエプロン姿を舐るように見るつもりなら行きましょう。美味しい朝ご飯を作ってあげるわ」
「……仰せのままに」
「よろしい」
なんだ。あれだ。うん。何度見ても見飽きないものってあるよね。恋人に手料理作ってもらうことに一度も憧れなかった者だけがこの者に石を投げよ。
「待っててね、ヒッキー! ぜったいおいしいの作るから!」
その結果は言うまでもないだろう。ただ、二人が言葉を違えることはなかった、とだけ記しておく。
「名残惜しいけれど、そろそろ時間を動かすとしましょうか」
由比ヶ浜の直裁的な要望でお互いにあーんとかやったりしつつ朝食を済ませ、雪ノ下の遠回しなおねだりに従いくっついたり抱き合ったり、ひとしきり睦み合った後。
各自がここに来たときの私服に着替えてから寝室に戻り、止まった時計を前にする俺たち。一呼吸おいて、雪ノ下が未練を滲ませながら今日の終わりを切り出した。
「まあ……そうだな。時間止めっぱなしでひたすら……その、なに? いちゃ……あー、お互いに、えー……ふ、触れ合ったりした、けど。時間を忘れて絡み合ったり何度も眠ったりしたし、外に繋がる窓は全部雨戸とかで閉じてるから太陽の光も入ってこないし。本気で今がいつか分からんしな」
ガチで竜宮城状態じゃねえか。まあこの場合乙姫様たちも俺と同じ立場なんだけど。
「えー……。も、もうちょっとだけ止めたままにしない?」
由比ヶ浜は今のこの時間が惜しくてたまらないのか、少しでも引き延ばそうと足掻く。……気持ちは分からんでもない。つーか多分三人とも同じだし。だが。
「由比ヶ浜さん。願えばいつでも一緒にいられるわ。これからはずっとね」
「だな」
諭すような物言いは、自分たちのすぐ傍にある未来を噛み締める如く。微笑みかける視線の先には、黄金色の将来を幻視しているようで。
「そうだね……」
訴えかけられた由比ヶ浜も、すぐに同種の笑みを浮かべて受け入れた。その笑顔があまりにも素敵で、無様なまでに見惚れてしまったのはこいつらには内緒だ。バレバレかもしれんが。
「ん。分かった。じゃあ……あたしが寂しくないようにしてくれたら、ガマンできる、かも……?」
切り替えたように悪戯っぽく笑う由比ヶ浜は、上目遣いで誕生日会締め括りの求愛をせがんできた。雪ノ下と顔を見合わせて、半端に苦笑。さて、この可愛らしいおねだりをどう処理するか。
「由比ヶ浜さん」
考えていると、雪ノ下が先に動いた。由比ヶ浜を手招き、のこのこ近寄ってきた彼女をすっぽりと両腕で捕獲。そっと抱きしめ、頭をよしよしと撫で始めた。
実のところ、由比ヶ浜は言動は幼くとも芯は俺たちより遙かに成熟していると思う。大人びた振る舞いをする雪ノ下が彼女に対してにこういう真似をするのは中々ないことだった。逆は間々見るのだが。
「どうかしら。我慢が利く程度には寂しさは紛らわせそう?」
「んー……きもちいー……」
由比ヶ浜は猫のように目を細めて、雪ノ下の手のひらに頭を擦り付ける。聞くまでもなくご満悦な様子。……頼んだら俺もやってくれんだろうか。
「きゃっ」
と、由比ヶ浜が雪ノ下の手のひらを取ってぺろっと舐めた。童心に返った由比ヶ浜の悪ふざけに、雪ノ下はむしろ嬉しそうに甘く咎める。
「ふふっ、ゆきのんのお手々、おいしいかも」
「もう……なにしてるのよ」
「あーあ、この時間ももう終わっちゃうんだよねー。さみしいなー」
などとわざとらしく言って、こちらに上機嫌な流し目を送ってくる。……期待されてるなぁ。雪ノ下もお手並み拝見とばかりに由比ヶ浜の隣で挑戦的な視線を投げてくるし。
不肖由比ヶ浜の恋人として、まあ、なんだ。とても他人には出来ないような真似でも、こいつならきっと喜んでくれるだろうと。そんな自惚れた行為の数々は幾らでも浮かんでくるわけだが。恋人だし。うん。
……折角だ。その中でも一等激しいやつで行ってやる。まあ、たまにはね?
内心の緊張をひっそりと細く吐き出しつつ、雪ノ下を真似てちょいちょいと手招く。笑顔を浮かべて無警戒にのこのこ寄ってくる由比ヶ浜を、射程圏内に収めた瞬間かっさらうように捕縛。
「わっ」
不意に抱き寄せられたことで軽い驚きを見せる由比ヶ浜。流石に俺がこんな真似に出るとは思っていなかったのだろう、狼狽に漏れた声は唇を薄く開けさせている。丸くする目を至近に見られるまで距離を詰めて口付けると共に、その隙間を縫って俺の舌を滑り込ませた。
「っ!?」
愛おしさの発露のままに抱きしめる腕の力を強め、艶めかしい舌をたっぷりと味わい、酸素の代わりに由比ヶ浜の吐息を吸い込む。動転も引いてきたのか、口腔内を舐る無遠慮な舌に由比ヶ浜が応じ始める。交差する舌は互いの感情を際限なく増幅させあい、天井知らずの快楽を運んでくる。くらりとくるのは色香か酸欠か、離れる頃にはすっかり蕩けた顔で足を震わせている由比ヶ浜がそこにいた。なお取り繕ってはいるものの、内心は俺も似たり寄ったりな有様だ。
「ひ、ひっきぃ……」
「んっ、んんっ。ど、どうだ。寂しくなくなったか」
「ば、バカ……。火が付いちゃうよ……」
言いながら、雪ノ下に支えられながらベッドにぺたんと座り込む由比ヶ浜。加減とか節度とか完全に置き去りにしてたわ。すまん。つーか正直俺の方も火が付いちゃってるし。
「比企谷くん……やり過ぎよ」
「……自覚はある」
雪ノ下に軽く窘められるが、間近で今の熱烈な接吻を見ていた彼女も十分に当てられてる感はある。赤くなってるし目も逸らされてるし。
「ええと……それなら、いいかしらね? 時間、動かし始めても」
「あ、ああ」
「ん……」
未だ動揺の引かない俺の追従と、消え入りそうな儚く甘い由比ヶ浜の同意の声で、時計に電池が填め込まれた。その意味するところは、三人で祝った誕生日の終幕。
「……感慨深さもあるけれど、仰々しさがないせいか呆気なくもあるわね」
「ま、いいんじゃねえの? さっきも言ったがこれで終わりじゃねえんだから。来年も、再来年も、この先機会はいくらでもあるんだ。直近では半年後だな」
「そうね。今回祝ってもらった以上を返すつもりよ」
「ほぇ?」
そう言って、雪ノ下は隣に座る由比ヶ浜の頭を撫でる。大学に入って、初めての由比ヶ浜の誕生日。きっとまた自重を捨て去って盛大に祝うのだろう。……大丈夫だよな? 入れるよな? 大学。まあきっと大丈夫だと信じよう。うん。
「見送るわ。竜宮城からのご帰還ね?」
「乙姫様の片割れもお帰りだな。由比ヶ浜、立てるか?」
「あ、うん……。ありがと」
手を差し伸べると、嬉しそうに掴まれる。まだ顔も赤いが、多少のもたつきがあるくらいで特にふらつくこともなく立ち上がれた。
柔らかな感触を我が手に受けつつ、帰ったらむっちゃくっちゃにオナニーすることを心に決めた。それはもう激しく。無防備に甘えたり甘えさせたりしてくるこの二人と一緒にいて、マイリトルサンがどれほど暴発の機を窺っていたか。実際今だって甘勃ちしてるからな。顔に出してないだけで。
位置取りが気になってポッケに手を突っ込むと、手に触れる固い感触。手癖のまま取り出したるは文明の利器スマートフォン。何の気なしに時刻を確認しようとボタンを押すも、反応がなかった。
「っと、そういや切ってたな。……実際、どれくらいいたんだろな俺ら」
「あー、あたしも切りっぱなしだったっけ。時間とか、ほんとに全然気にしてなかったもんね」
「それだけ満たされていたんでしょう。いいことよ」
ボタンを長押しして電源を付ける。スマホの電源とか滅多に切るもんじゃないから、起動の反応が新鮮だ。要求されたパターン入力を済ませると、初期画面に遷移した。
「うおっ、もう五日か。まさか丸一日吹き飛んでたとは……へっ?」
連打される間抜けな通知音。一瞬なんなのか分からなかったが、これラインか。自己主張激しい呼び出しに従ってアイコンをタップする、と。
「……げ」
そこにあったのは優に三桁の鬼通知。その大半は小町からのそれで、流し見るだけでも心配や不安、焦燥が伝わってくるものだった。
隣を見れば、由比ヶ浜も自らのスマホを見て固まっている。察するに、俺と同じような連絡で埋もれているのだろう。
「どうしたの?」
「……いや、小町から」
「あたしも……。パパからすっごい来てる」
「……そんな大事になっているとはね」
「……どうしよ」
「どうしよって……ほっとくわけにもいかねえだろ」
「そ、そりゃそうなんだけど!」
「……とりあえず、折り返し連絡した方がいいのではないかしら。今も心配し続けているのでしょう?」
「そ、そうだな……」
「う、うん……」
雪ノ下の言葉に多少の冷静さを取り戻したため、俺たちは観念して電話をかける。十三階段上がってる気分。
果たして電話はワンコールで取られて、電話向こうからは切羽詰まったような小町の声が飛び出してきた。宥めつつ、こちらの状況を説明する、と。
「……は?」
それは、今までの人生で聞いたこともないような冷たい一語だった。
……どうしよう。