アンデルセンは笑っている   作:小千小掘

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サブタイトルは章ごとに特徴を分けていますが、一応それぞれ根拠があってそうしています。

そして今話のサブタイは、意味が一つではありません。というか今までのもけっこうそういうやつありましたよね。

隔週1話以上を目標にがんばりまする。


彼女は思い馳せていた

 船内に備えられた図書館は地下二階にある。上下を娯楽施設に挟まれており、上がカラオケや舞台といった音響を伴うもの、下はバーやそれに併設されたパブゲームのアラカルト。

 簡単に言えば、下るごとに対象年齢が上がっていく仕組みだ。

 

「遠いわね」

「ねー。景色も変わり映えしないし、つまんないの」

 

 先程のやり取りの恩恵か、私と軽井沢さんの意見はほぼ一致している。何かしらの義務感に駆られて大移動をするのだから、惰性が芽生えてもおかしくはない。

 

「仕方のないことね。通行人も少ないし、目を惹くようなものを置くメリットがないわ」

 

「甘い甘い堀北さん」あなたに甘いと言われる日が来るなんて、人生は塩っ辛いものね。「いつどこにチャンスがあるかなんてわからないんだから」

 

「なんのチャンス……」

「それはー、ほら。シャッターチャンス的な」

「写真は専門外よ」

 

 佐倉さんのことでも紹介してやろうかしら。

 いや、紹介するなんて言えるほど偉いものでもないし、そもそも佐倉さんが泡を吹いてしまいそうだ。

 

「お! 堀北さん、見て見て」

「なに」

「こんなところにハシゴがあるよ。でっかくない?」

 

 軽井沢さんと同じ方を向くと、二本の支えが何本かの足場で繋がっている、見慣れた「アレ」が寝そべっていた。

 地下は変に装飾を施されているわけでもないため、船の内装をところどころ覗うことができる。その無機質な景色に、よく溶け込んでいた。

 それ自体は特に興味ない。ただ気になったのは、その中央に駆動部――天板が見られたことだ。

 

「軽井沢さん、それはキャタツよ」

「ん? 何が違うの? 同じようなものじゃない」

「え……。いや、だって、」

「もっとホンシツを見ようよ、堀北さん」 

 

 …………合点いかないわ。

 くだらない会話をしながら下り続け、目的の場所が見えてきた。

 豪華客船とはいえ、手入れの質は地上と比べて若干劣る。あるいは、手入れを怠らずとも建材が勝手にダメになっていっているのかもしれない。

 前を往く軽井沢さんが、微妙に玄関を開けづらそうにしていた。

 学校の図書館と比べると、然程中は広くない。その代わり、やや見晴らしが悪かった。

 人は疎らだ。もし椎名さんがここにいるのなら、そう時間もかからずに見つかるはずだ。

 

「水っぽい銀……水っぽい銀……あ、あの人?」

 

 軽井沢さんの指した先には、一人の少女がいた。

 背筋は伸びているが、不自然さがない。きっと何度も一席を孤城にして、そのしなやかな指でページをめくってきたのだろう。

 その姿勢からは美しさをも感じるが、正面から凝視すると、穏やかさに併せて真剣さが窺えた。それに加えて、私は彼女に『儚い』という感想を抱く。

 原因は恐らく、瞳。

 落ち着きや淑やかさの類ではない。会話すらしたことがないのに、そこには悲哀が含まれているのだと直感した。

 今にも、消えてしまいそう――

 

「……私と同じくらいの長髪。間違いなさそうね」

 

 声をかけに行こう。そう思ったところで、不意に足が竦んだ。

 

「軽井沢さん、早速あなたに汚名返上の大チャンスよ」

「私ってなんか汚名あったっけ?」

「初対面の他クラス女子を、どう攻略すればいいかしら」

「ギャルゲー始めたの? 堀北さん」

 

 ええい五月蝿い。聞かれたことに答えればいいのよ。

 

「あ、わかった。もしかして……ぷぷ!」

「……」

「ちなみに堀北さんは何て話しかけようとしていたの?」

 

 ニヤニヤしている。イライラしてきた。

 ここで何か回答をしないと、碌なことにならなそう。

 うーん……何か、絞り出さないと。

 

「……ごきげんよう。とか?」

「くふぅ……!」

 

 あー。

 

「殺すわよ」

「怖っ! わかったわかった、私を頼ってくれたことに免じて、ここは任せて」

 

 コミュニケーションはまだ不慣れだ。彼女に敵わないのは十指のさすところね。

 

「……ありがとう、軽井沢さん」

 

 一つ微笑むと、彼女はターゲットへ歩み寄った。

 

「椎名さん。で合ってる?」

「……あなたは?」

 

 柔らかい声だった。刹那記憶を掘ったあと、それでも答えが出なかったのだろう。愁眉が物語っている。

 

「Dクラスの軽井沢恵よ。そしてこっちが、」

 

 目線だけ向けてウインクしてくる。

 

「……堀北鈴音よ」

「ちょっとだけ聞きたいことがあるんだけどー、今時間ある?」

 

 へえ、こういう感じでいいのね。少し適当でも成るようになる。彼女の纏う雰囲気が、一役買っているのかもしれないけど。

 

「……いいですよ。なんでしょう?」

 

 どこか元気がなさそうに椎名さんは応えた。私たちを邪険にしている様子はなさそうだけど、やはり伊吹さんの言っていた通り、何かあったのかしら。

 

「実は、……あ、待って堀北さん」

 

 そのまま会話の主導権を握っているように見えた軽井沢さんが、途端に私に縋る。

 

「どうしたの?」

「これって直球で聞いちゃまずいんじゃない? 広めるなって先生言ってなかった?」

 

 そういえば、そんなことを言われていたような気もする。

 

「どうでもいいわ」

「いいの?」

「全てを明かさずとも聞き出せるもの。仮に明かしたとして、先生からの印象が下がるだ(・)け(・)よ」

 

 つまるところ、今回私も龍園君の考えにそこまで否定的ではない。クラスポイントが引かれるわけでもないのだから、やりようなんていくらでもある。

 

「椎名さん、少し前に――そうね、15分くらい前に何か気になる音を聞かなかった?」

「音、ですか……」

 

 緩慢な仕草で考え込んでいる。

 果たして、彼女は首を横に振った。

 

「すみません。心当たりはないですね」

「えーホント? よく思い出してよ」

 

 文句を垂れる軽井沢さん。あんま言ってやらないで。萎縮されてしまうわよ。

 とはいえ旨くない状況なのは事実だ。椎名さんが頓珍漢な少女には思えない。となると、別の聞き方をするべきかしら。

 思い返してみれば、ヒントには「聞いたもの」とは書いてあったが、それが物音かは明記されていなかった。

 

「なら、誰かと話さなかったかしら」

「誰か――はい、そうですね。二人ほどお話しました」

 

 ビンゴ。

 

「誰だった?」

「確か、あなたと同じクラスでしたよ。沖谷君という方です。もう一人は、生徒会の方だったような……」

 

 軽井沢さんがこちらを盗み見る。心なしか嬉しそうだ。

 どうやら道に迷った沖谷君が遭遇したのが椎名さん。道を教えてくれたようだ。

 沖谷君なら勝手がわかっている。すぐに次の行動に移れるだろう。

 

「それが聞きたかったの、ありがとね! じゃ私たちはこれで、」

「そういえば、なぜ三年生がこんなところにいたのでしょう?」

「え? そ、それはー、私にもわかんないや。橘先輩のことだから、道に迷ったんじゃない?」

 

 バカ、今のは迂闊よ。色んな意味で。

 

「おかしいですね。私、生徒会の方と言っただけで、橘先輩だとは言ってませんよ」

「げっ!」

 

 面倒なことになりそうだ。こうなったら別のプランで行こう。

 この状況を、私の目的に利用させてもらう。

 

「軽井沢さんは沖谷君に連絡して」

「でも、堀北さんは?」

「椎名さんに説明してから合流するわ。ほら見て、目が好奇心で輝いてる」

「いえ、少し気になっただけですけど……」

「眩しくて直視できないわ」

「直視できていないのは現実なんじゃ……」

 

 軽井沢さんを一睨み。早く行けと言っているのがわからないの? あなたこそ現実を見なさい。

 

「りょ、了解堀北さん! 私先行くわ」

 

 脱兎のごとく駆け出す少女を、私は生温かい目で見送った。

 

「……さて、椎名さん。少し私ともお話しましょうか」

「え。ですから別に私は」

「橘書記のことじゃないわ」

 

 私は椎名さんの隣に腰を下ろす。

 長くなる。暗にそう示した。

 

「実は私、あなたのことを知っているの」

「……学校ではないとはいえ、ここも図書館です。あまり騒々しくしないように」

 

 私、そんなうるさい女に見えるかしら。

 

 

 

 

 

 ページを繰る音が木霊する。さっぱりとしていて、無音以上に落ち着きを誘う、軽やかな音色。

 私も嫌いではない。だが、今目の前の少女は、それを誤魔化しのために使っているように感じた。

 気の置けない仲でもなければ、しっかりと相手の目を見る。普段の彼女はそうなのではないか。と思わずにはいられない。

 

「単刀直入に聞くわ。何か悩み事があるのではないかしら」

 

 私はこれ以外の方法が得意ではない。それに、椎名さんがこの“刀”を嫌うようには見えなかった。

 

「誰から……いえ、伊吹さんからでしょうか」

「さすがね。推理したの?」

 

 愚問だったが、ちゃんと頷いてくれた。

 

「彼女を責めないであげて。あなたのこと、本気で心配しているみたいだった。……悔いているのでしょうね。私のこれも、ただの独断よ」

「そう、でしたか……」

 

 ああ、何だか、魂が抜けてしまったよう。のんびりしているのではなく、やはり呆けて。

 その様は、誰かに似ている気がする。

 

「実は、私もあなたのことを知っているんです」

「……っ」

「なんでか、わかりますか?」

 

 重大であるかもわからない問いかけにたじろいでしまった。

 お前も推理してみろ、ということかしら。

 

「…………7月に、ある事件があった。解決したのは私の――クラスメイトだったけど、その協力者があなた?」

 

 弱々しい微笑みだった。母親が病気になったら、こんな表情をするのだろうか。

 

「そこまでくれば、あ(・)な(・)た(・)の(・)本(・)当(・)の(・)命(・)題(・)にも、答えが見えてくるのではないでしょうか」

「……驚いたわ。あなた、その……すごくすごい」

「語彙力びっくりするくらい下がりましたね」

 

 月並み未満の感想になってしまった。

 彼女は、私が伊吹さんから何を相談されたのかも、この問答で私が答えにたどり着いたことも、完全に見透かしている。

『クラスメイト』と濁した意味はなかったようなものね。

 

「浅(・)川(・)君(・)と(・)、何(・)が(・)あ(・)っ(・)た(・)の(・)?」

「……すみません。それは、それだけは言うわけにはいきません」

 

 予想通りの返答だった。だから深追いはしない。

 私は、代わりの質問をする。

 

「なら、あなたは浅川君のことをどう思っているの?」

「好きですよ」

 

 瞬間、胸の奥がきゅうっとなった。身体が緊張して、冷や汗が滲んで、頭の中が急速に圧迫される。

 鎮まれ、私――

 

「真澄さんのことも、神崎君のことも、綾小路君のことも。あの部屋で共にするみなさんのことが大好きなんです。独りで諦めかけていた私を照らしてくれたみなさんが大切なんです。あの場所を、私は、」

 

 そこまで語って、慌てた様子で椎名さんは口を閉じた。言うつもりのないことまで言いかけたらしい。

 

「私が思うに、そのきっかけを作ってくれたのが、浅川君なのね」

「……他でもないあなたには、バレてしまいますね」

 

 他でもない? よくわからなかったが、彼女は話を続けた。

 

「はじめは、彼が読書に興味を持ってくれたからだと思っていました。次に、彼が一番の恩人だからかと考えを改めました。ですが、どちらも違ったんです」

 

 では、一体何が本当なのか。それを教えるつもりはなさそうだった。

 

「私は彼に、特別な感情を抱いています。そして、それは間違っていたのでしょう」

 

 ようやく椎名さんは本から目を外した。しかし目線の先は私ではなく、上の空。

 何かに思い馳せる、儚い少女がそこにいた。

 

「ただの子供が抱くには愚かで、我儘な。きっと、私は誰よりも子供だったんですね」

 

 子供、か。子供のままでいるのは、悪いことなのだろうか。

 人は、大人にならなければならないのだろうか。そもそも、大人になるとはどういうことなのだろう。

 わからない、私には。ならこれは、私自身も子供であることの証左なのだろうか。

 

「……話してくれてありがとう。椎名さん」これ以上は、もう聞くことは叶わないだろう。「あなたには悪いけれど、伊吹さんには報告させてもらうわ」

「構いませんよ。少し、喋りすぎてしまったかもしれませんけれど」

 

 部屋を出ていこうとして、ふと立ち止まる。

 気まずいとか、苛立ちとか、そういう類ではないと思う。でも、なぜか、言の葉は口の外へと出て行った。

 

「あなたが自分をどこまで知っているかはわからないけど、一つだけ言っておくわ」

「なんでしょう?」

「あなた、まだ浅川君のことが好きよ」

 

 ついに椎名さんは私を見た。初めて私のほうを見た。致命的な図星を突かれたことが一目でわかった。

 彼女は一度も、彼のことを過去形で表現していない。今も、大好きで大切なのだろう。

 

「あなたには、関係ありません」

 

 冷たい。不快なのね。でも、関係ないことはない気がする。

 だって私は、他人事ではないと思ったから発したはずだ。

 

「そうかもしれないわね。ただ、このままでは何も変わらないわ」

「ッ……、ですから、あなたには、」

「椎名さんは強いのでしょう?」

 

 しまった。言い方を間違えた。

 これじゃ、この人に期待しているような。託そうとしているような。そんな情けない文脈になってしまうではないか。

 しかしもう遅い。

 

「あなたには“方法”が見(・)つ(・)け(・)ら(・)れ(・)る(・)はずよ。正しいかどうかはわからない。それでもね、やってみるしかないのよ。私たちは、醜い家鴨の子供なのだから」

 

 私の言葉は、椎名さんをきっと深く突き刺したのと同時に、私自身の心も強く抉った。

 反面教師。その表現がぴったりだ。

 

「あなたの問題が解決することを祈っているわ。次話せるときには、お互い元気になれているといいわね」

 

 もう振り返らなかった。

 彼女のため、ですらない。結局自分のためだ。

 もう一度彼女の瞳を見てしまったら、耐えられる自信が私にはなかったのだ。

 

*

 

 ページを繰る音が木霊する。

 先程と違うのは、もう言葉を発する気概のある者がいないということだ。

 その人物について、椎名は頭を巡らせていた。

 堀北鈴音。浅川の友人。彼女を救うために、浅川は恐らく自分の思考力をフルで使った。

 ――いえ。本当に堀北さんのためだったのでしょうか。

 あのときの浅川からは、情熱というより、執着に近しいものを感じたのだ。いかにも彼らしくない、醜さの顕れ。

 

「……」

 

 今のは、良くない。

 自分が彼の何をわかっているというのだろう。

 恩人に対する後ろめたさを、椎名は「言い訳」に使った。ワガママを押し殺し、退くことを選んでしまった。

 あのままでは、きっと心地良い関係ではいられなくなる。そう思ったから――。

 椎名は強さと優しさを持っている。慈愛の精神を持っている。しかしそれは、まだあまりに幼いものだった。

 故に彼女は、受け容れることしかできない。それ以外の方法に慣れていない。

 そんな彼女にとって、堀北の発言は大きな意味を持っていた。

 

 ――このままでは何も変わらないわ。

 ――あなたには“方法”が見つけられるはずよ。

 ――それでもね、やってみるしかないのよ。

 

 自嘲的にすら聞こえた言葉を、頭の中で反芻する。

 私は、どうすれば……

 

 ――あなた、まだ浅川君のことが好きよ。

 

「私は、」

「だーれだっ」

 

 椎名は反応しなかった。気づいたからではない。あまりの驚きで反応できなかったのだ。

「この人」にはよくこうやって不意を突かれる。音も気配もなく、空(・)気(・)に(・)な(・)り(・)す(・)ま(・)し(・)た(・)か(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)懐へ踏み入ってくる。

 

「図書館ではお静かに。ですよ」

 

 困ったように笑って、椎名は振り向いた。

 

「そんな法律はないもんね! マナーは他人に優しくするためのものさ」

 

 全部わざとらしいひそひそ声で言ってくる。

 だらだらと屁理屈を並べるところも、呑気な調子も、尽く『彼』に似ている。

 本当に、同一人物かと思うほどに似ているのだ。

 『彼女』は。

 

「今回はどうしたんですか?」

「君と話したくて」

 

 白い長髪の向こう、青い瞳がこちらに笑った。

 

「さっきの女の子と、どんな話をしていたのかな?」

 




椎名は本当は船上試験まで映さないつもりだったのですが、ヒントに彼女をあてるという案を思いついてしまったがために追加。堀北先生と二人で話すことって、原作でもあんましなかったような?

そして、不穏な影はひっそりと…。

番外編時系列投票ver2

  • 一章後、二章前
  • 二章後、夏休み前
  • 夏休み中、無人島前
  • 船上試験後、4.5巻前
  • 4.5巻後、夏休み中
  • 夏休み後
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