生きる
そのために、帰ってきた

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このssはふと思いつきで書いたものなので、続きません



西暦2018年9月8日、諏訪にて

 西暦二〇一八年九月八日。

 諏訪の夜は静まり返り、まだ夏の風情を感じさせる夏虫の鳴き声がしっかりと耳に届く。

 暑さのピークである八月が過ぎたものの、まだ蒸し暑さは多少残っている。あと数週間もすれば、諏訪は完全に秋を迎えるだろう。

 大自然に囲まれた諏訪盆地には、諏訪湖へ向かう幾本かの河川の付近や、山地のふもとのいくつか形成された扇状地に田畑や住宅地が広がっている。

 諏訪をバーテックスから守護する結界は縮小され、今や諏訪湖南東一帯しか結界が存在しない。

 苦しいことに、諏訪湖は結界に僅かしか含まれない。船を出して漁業に向かうことはできるが、収穫はあまり期待できない。

 水は諏訪湖や河川から引いた水路があるから潤沢だが、問題は食料だ。

 度重なる結界の縮小によって、人々の生活範囲は狭まり、資源も当然の如く制限される。田畑はあるものの、生存している数百人の腹を毎日満たしてやれるかと聞かれると、残念ながら首を縦には振れない。

 希望はある。

 四国では神樹という土地神の集合体が強固な結界を築いているらしい。さらにその中には勇者が五人もいる。

 諏訪より圧倒的に整った戦力で、いつかは救助に来てくれる。そう信じて毎日を懸命に生きている。

 

 諏訪に君臨するただひとりの勇者、白鳥歌野は諏訪大社上社本宮、その拝殿の前に巫女である藤森水都と静かに佇んでいる。

 ふたりの眼前には、諏訪に生存している人間が全員集められている。

 明かりの代わりに数か所に設置された篝火台。パチパチと爆ぜて空に舞い上がる火の粉が、歌野の整った顔立ちをくっきりと照らす。

 ふたりはそれぞれの正装を身に纏っている。

 全員がずっと前から揃っているのに、先程からふたりはなぜか一言も言葉を発しない。どことなく神妙な雰囲気に、集められた人々は何事かと密かにざわつき始める。

 歌野の指示によってここに来ただけで、それ以上のことは何も知らない。

 歌野の人々からの信頼は厚い。なにせたったひとりでバーテックスの進撃を何度も食い止め、三年もこれを続けているのだ。

 もはや歌野は生き残った人々にとって、戦神だ。

 突如発せられた歌野の透き通った声に、一瞬にしてざわめきは止まった。

 

「皆さん、夜遅くにご足労頂きありがとうございます」

 

 水を打ったように再び静寂が戻る。

 夏虫の囀りがやけに大きく聞こえる。

 歌野はたっぷり空気を吸い込んでから言葉を続けた。

 

「ここに来ていただいたのは他でもありません。私たちからとても大切な話があるのでこうして呼ばせていただきました」

 

 大切な話、という言葉は人々には途方もないも重みのある響きだ。歌野は普段、畑仕事に従事し、明るい笑顔を振りまいている。

 都会では若者は一次産業にめっぽう興味を示さないという。それに対して積極的に桑を振るう姿は人々に勇気を与えてくれた。

 だからきっと、明るい話だと信じきった。四国から支援がやってくるとかそんな感じの『救い』を信じた。

 だが歌野はそれを言うような朗らかな表情ではなく、真剣さの滲み出る、改まった顔で続けた。

 

「……まず、事実を述べます」

 

 歌野は隣の水都と顔を合わせて神妙な顔で頷きあったあと、衝撃的な言葉を発した。

 

「――四日後の九月十二日、諏訪は滅びます」

 

「「!!」」

 

 鋭い戦慄が走る。

 それは当然のもので、まさか歌野の口からそんな言葉が出るとは夢にも思わなかっただろう。

 なぜなら歌野絶対に屈しない勇者だからだ。これまで何度も底なしの精神力で諏訪の土地を何年も守り抜いた、勇者だからだ。

 それなのに、こうもあっさりと滅亡を受け入れた……?

 人々の動揺は広がるばかりである。

 

「これは確定です。もし私がその日の戦いに臨んでも、間違いなく死にます。これまでにない圧倒的な物量で、私は喰い殺されます」

 

 およそ女子中学生とは思えない、淡々としながらも凛とした声色は、いっそう悲壮さを際立たせた。

 

「あまりに唐突で受け入れ難いかもしれませんが、これは嘘でもなんでもなく、事実です。私達の滅びは避けられません」

 

 ここでとうとう、最前列にいた聴衆の一人が語気を荒げて講義した。

 薄着の土に汚れたシャツをだらしなく着る中年の男性。横に大きい顔をふるふると震わせながら言った。

 

「じゃあ……じゃあ、俺たちのこれまでの努力は無駄だったってことか⁉ 四国からの支援はなく、この閉じた土地で惨めに死ねってか⁉」

 

「…………」

 

「勇者様に励まされて、俺達は頑張ろうって思ったんだ! それなのに、勇者様が諦めてしまったら……どうすりゃいいんだよ⁉」

 

 男性の訴えに、そうだそうだと野次を巻く仕上げる人がちらほら見える。

 そう。今の歌野の発言は、言い逃れのできない裏切りと受け取られても仕方のないものである。誰よりも前を向いて明日を生きようと必死に人々に語りかけ、自ら桑を振るっていたのにこの掌返しだ。

 怒りは最もだ。

 それは歌野は重々理解している。

 だからこそ、次々に浴びせられる野次を、歌野は一切の言い訳もせず、すべてを受け入れた。

 

「巫女様は何も思わないのか⁉」

 

 男性の追求に、水都は薄っすらと目を細めた。

 ただそれだけで、言葉にはできない畏怖のようなものを感じ取り、背筋がビシッ! と鞭打たれた錯覚さえした。

 決して咎めるなどといった目ではない。寧ろ慈愛や悲哀、憐憫といった雰囲気を醸し出していた。

 男性の……いや、諏訪に住むすべての人間の水都の評価は『引っ込み思案で消極的、歌野に張り付く子供』だ。

 なのに、今はそんな面影はまるで感じられなかった。別人だと言われてもすんなり納得できそうなほどだった。

 男性は両の拳を血が滲むほど強く握り締め、奥歯を噛み締めた。

 

「うたのんの言っていることは事実です。四日後、これまでにない圧倒的な数のバーテックスがここに押し寄せると信託が下りました。うたのんひとりでは、迎撃は不可能です」

 

 巫女のお墨付き。

 野次を飛ばしていた数人も改めて滅亡――死を目前に突き付けられ、ついに押し黙る。

 ひゅうう、と虚しげに吹いた風が、絶望という空気を本宮に満たす。

 希望は、バーテックスにではなく、勇者によって粉々に砕かれた。

 ここで、死ぬしかない。

 無惨に喰い殺される。

 自然淘汰だ。

 弱い者は強い者によって一方的に蹂躙される。

 それを、人間は真に理解できていなかった。なぜなら、人間こそが頂点(バーテックス)だったからだ。

 常に、蹂躙する側だった。

 バーテックス(頂点)は、その在り方を壊した。

 今もなお、結界の外では無尽蔵のバーテックスが中に引きこもる餌を貪りたいと、不気味な口を開閉させて牙を覗かせていると思うと、まるで生きた心地がしない。

 

「――だからこそ、私は皆さんにある提案をします」

 

 静まり返った本宮に、歌野の声が響き渡る。

 その言葉には、煌々と燃えるマグマのような苛烈さを孕んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――三日後の九月十一日、諏訪を脱し、四国へ向かいます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、あまりに唐突な提案だった。

 言葉の意味を咀嚼するのに幾ばくかの時間を要した。

 すると今度は畑仕事の帰りだったのだろう、きゅうりを握り締めた初老の女性が僅かに声を震わせながら歌野に尋ねた。

 

「ここから出るって……それは、あのバケモノたちが闊歩する外へですか?」

 

「そうです」

 

「そんなことしたら、勇者様は無事かもしれませんが、私達は……」

 

「わかっています」

 

「勇者様……?」

 

「すべて、承知の上です」

 

「――――」

 

 残酷に残酷を容赦なく突きつける。

 歌野は表情筋が死んでいるのかというほど無表情のまま提案を続ける。

 

「移動手段は車です。ここ数年使う機会がなかったため、四国までのガソリンが十分あることは私とみーちゃんで把握しています。食糧は、今備蓄しているものを保存の効く食品へと加工して持っていけば、少なくとも一週間は持つでしょう」

 

 淡々と告げる諏訪脱出への計画。

 付け焼き刃の適当なものではなく、その口ぶりから本当に以前から思案していたのだとよくわかる。

 しかしこの計画には致命的な欠陥がある。

 それは――。

 

「ま、待て! 待ってください!車が何台あるのかわかっておられるのですか(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)⁉」

 

 聴衆に紛れて顔がよく見えない。まだ少し張りのある若々しい男性の声が飛んできた。

 

「ええ。わかっています。二十三台です」

 

 諏訪は田舎だ。

 車と言っても農作業において、荷物などが運びやすい軽トラがすべてだ。運転手に、その隣の助手席。これは少々危険だが、さらに荷台に四人は乗り込めるだろう。これで車一台につき、六人は運べるということだ。

 しかし。

 

「そんなの、全員(・・)が諏訪から脱出できないじゃないですか⁉ それに年寄りの数も決して少なくない! どう考えたって無理ですよ!」

 

 諏訪の人口は二百人前半ほど。

 単純計算で百三十八人を車に乗せられるが残りはキャパシティーオーバー。

 乗せられない。

 それは即ち見捨てることを意味し、見殺しにするのと同義だ。

 

「私は元より、皆さん(・・・)を、安全(・・)に四国へ送り届けるなんて一言も言っていません」

 

「――――」

 

 声はより一層怒気を強めた。そして、勢いのままに、侮辱ともとれる苦言を呈した。

 

「――あなたは、それでも勇者様ですか!」

 

「…………」

 

 場の空気が凍りつく。

 言った本人も直後になって自身のしでかしたことの大きさに気づいたのだろう、鋭く息を呑む音がはっきりと歌野の耳に届いた。

 パチッ! とひとつの篝火台の炎が激しく爆ぜ、火の粉が天空へゆらりと吸い込まれる。

 歌野は、絶望のそのさらにまた絶望に叩き落された聴衆を見下ろす。初めからそうであったように、すべて……すべてに耳を傾け、真摯に受け止める姿勢で、堂々と佇んでいる。

 年上の大人たちにこれでもかと責められても、ここに立ち続ける。

 歌野が水都に目配せをすると、水都は小さく頷く。近寄ってきて、歌野の隣に立つ。

 

「……以前のうたのんと私なら、きっと諏訪の滅びを受け入れていました。だって、本当ならすぐに蹂躙されてなくなっていたはずの空疎な土地が、こんなに長く持ったんですから。宣告されていた余命を先延ばしにできた感覚でしょうか。それで満足していたことでしょう。でも、今の私たちは違います」

 

 普段とはまるで違う落ち着きで話す水都は歌野を見やると、僅かに頬を緩めた。

 

「――生きたい。誰かに未来を託すのではなく、自身の手で未来を耕し、手にしたい。そのために私たちは帰ってきました(・・・・・・・)

 

 ふたりは前を……ずっと前を……それこそ、未来を見据えている。

 宝石のように曇りのない真っ直ぐな輝きを宿す茶色の瞳は、どこか静謐さも孕んでいる。

 

「想定応募人数は、百四十人。少しばかり前後するでしょうが、それ以上は……見捨てます。また、年の若い人を優先します」

 

「四国への脱出に参加する方々は、私がなるべく護衛することを約束します」

 

 命の選択を迫る。

 これまで万人を平等に守ってくれていた勇者と巫女がもうそんなことはしないと宣言する。

 命の選択。

 ……命の、選択。

 

「そんなこと、許していいはずねぇだろうがッ!!」

 

 当然の反応が、ふたりに投げかけられた。

 人々のどよめきは止まらず、膨らむばかりだ。

 もはや収集がつかないほどにまでなり、幾人かは今にもふたりに詰め寄りそうだ。

 

「あんたは……あんたはっ! 命に順位をつける(・・・・・・・・)のか⁉ 命は平等だ! たとえ勇者、巫女であろうと、その倫理を壊すことは、絶対に許されない!!」

 

「「…………」」

 

「あんたたち、最近おかしいぞ! 一週間ほど前からか? 言動、所作に至るまで、まるで子供じゃない! まだ十四歳だろう⁉」

 

「「…………」」

 

「俺たちを守るという御役目を頂戴しているのなら、最後までそれを全うするべきじゃないのか⁉」

 

「私には!!」

 

「…………!」

 

 突然発せられた歌野の大声に、ビリビリと空気が震えた。

 それだけで、篝火がふっ、とふたつ消えた。

 喧騒は一瞬にして止み、最初と同じ、静かな夏虫の鳴く声が本宮にじんわりと染み渡る。

 力強く、気高く。

 歌野は魂の雄叫びを上げた。

 

「私には、欲しいものがあります! この諏訪の大地よりも! あなたたちの笑顔よりも! 野菜よりも! 農業王の称号よりも! 勇者なんてくだらない名誉よりも、欲しいものがあります!!」

 

 そう言うと、歌野は左手を伸ばして水都の細い腰をギュッと掴み、ぐっと自分の身体に密着させる。

 そして高らかに吼えた。

 

「私は、みーちゃんが欲しい!!」

 

 それは、愛の告白だった。

 揺るぎない想いを極限まで凝縮した、最も端的な告白だった。

 水都も、私も同じと言わんばかりに両腕を歌野の身体に伸ばし、激しく抱擁した。

 

【挿絵表示】

 

「そのために、生きる!! たとえあなたたちに一生恨まれても! 一生後ろ指をさされても! 白鳥歌野は勇者ではないと揶揄されても!! 私は、みーちゃんを手に入れるため、泥水を啜ってでも生き抜く! そう、誓った!!」

 

 あらゆる犠牲、怨念、憎悪。

 そのすべてを受け入れ、背負い、生きてゆく。

 それが、帰ってきた歌野と水都の決断だ。

 とうに中学生という精神年齢は過ぎている。身体は不変だが、心は、確かな成長を遂げていた。

 だからこそ、正史によって定められた揺るがない死を回避し、生きる。

 右腕を高く掲げる。

 空には満天の星空。そのひとつひとつの光が、歌野の目にはあまりに美しく映った。しかし、そんなものよりも遥かに美しく、儚く、愛おしい光は、我が腕の中に。

 

「私も、うたのんが欲しい。だから、生きる。うたのんと一緒に罪を背負いながら、生きる」

 

 公然で愛の告白をし合うふたりに、これ以上とやかく言うことは……少し憚られる。

 それに、どれだけの覚悟で今の提案をしたことか、心臓がきつく締め上げられるほどよく理解してしまった。

 この平穏な毎日はすべて、すべて勇者と巫女のおかげだ。

 勇者がいなければバーテックスを追払えないし、巫女がいなければ攻撃場所が把握できず、その間に御柱を破壊されて結界は消滅。

 どれだけ貢献できていたのか言葉にする執拗すらないのだ。

 人々はただその恩恵を受け止め、のうのうと日々を過ごしていた。

 歌野が声を上げ、失意の底にいた人々を活気つけた。それがなければ、とうに生きる気力は尽き、生きる意志すら失っていた。

 勇者ほどではないが、巫女もそうだ。積極的なことはあまりしなかったが、細かい気配りにはとても助けられた。それに、勇者のケアだって、巫女が行っていた。

 対して、こちらからふたりに何かしてやれただろうか……?

 何も、していない。

 ただ守られるだけの小人でしかなかった。

 初めて見せた、ふたりの人間臭い我儘。

 本来なら、到底受け入れられるはずがない。

 ここは、バカにするな、ふざけるのも大概にしろと一蹴するべき場面だ。

 だが、これほど熱烈に語られて、そんな否定の言葉がすんなりと出てこなかった。

 

 ――この場にいる、約半分の命は見捨てる。

 

 およそ人間の考えることではない。

 鬼の所業だ。

 しかしふたりは元々はこの滅びを受け入れるつもりだったと言っていた。

 ……変わろうとしているのだ。

 正直、確かに最近の言動はただの女子中学生のものとは思えない。雰囲気も随分と落ち着き、成人を迎えたとふと言われてもあっさり納得してしまいそうなほどだ。

 静まった本宮に、そっとのせるような優しい口調で水都が口を開いた。

 

「生きたいという強い意志のある方は、私達とともに四国へ行きましょう。……明日の晩、もう一度ここで改めて答えを伺います。あらゆる罵倒を、私とうたのんは受け入れます。ですが、決断は決して変えません」

 

 ごくり、と誰かが喉を鳴らした。

 歌野が水都を放し、ふたりは横に並ぶ。

 そして。

 

「「――命の選択を、お願いします」」

 

 そう言って、深々と頭を下げ、残酷なお願いを口にした。

 地面に水平になったふたりの顔は、苦痛に歪んでいる。しかしそれは、薄暗いせいもあって、誰にも見えない。

 篝火の放つ燐光が、諏訪に生き残った人々の姿を照らすだけでなく、凍えきった心にも仄かに熱を灯す。

 これは、西暦二〇一八年九月八日、諏訪の夜の出来事。

 諏訪から遥か南西、約六〇〇キロ離れた四国へと、二筋の煌めく決意の光が、真っ直ぐに向けられていた。




運命よ、そこをどけ

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