Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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10 支配者の覚悟

 数週間ぶりにあった友人たちとハグを交わして、上品な垂れ幕がさがっている天蓋のベッドに横になると、帰ってきた感覚がした。まだ数ヶ月しかいないのに、スリザリンは第2の家のようになっていた。

 ベッドの天井は今は無機質な深緑だったが、クリスマスプレゼントに貰ったプラネタリウムを投影すると、夜空が溶けだした。

「シャルル?休暇はどうだった?」

 水のようにさらさら靡く銀色の天幕を開けるとネグリジェに着替えたパンジーが飛び込んできて、ふたりは一緒にベッドに寝転んだ。

「クリスマスは家族で過ごしたの。親戚にも挨拶をして、いくつかパーティーに出たわ」

「あなたが?」目を見開いたあと残念そうに零した。

「マルフォイ家のパーティーに来たら良かったのに。本当に素晴らしかったのよ」

「うん、行きたかった」

 視線で続きを促すと、パンジーは夢見心地でパーティーの様子をうっとり語った。

「ドラコのお屋敷はとっても壮大で……まさにお城だったわ!格式高くて、何もかもが圧倒的!

 見回す限り趣味の良い家具で飾られていて、階段の手すりですら見事な彫刻が掘られてた。かなりエレガントでゴージャスなのよ。

 それで……。それで、夜はパーティーがあったわ」

 

 頬を桃色にして大切な秘密を教えるように、パンジーは囁く。耳に吐息がかかり、花の匂いが漂った。薔薇の高貴で甘やかな香り。

「あのね……わたしドラコにエスコートしてもらったのよ」

 ショコラみたいな瞳がうるうるしていて、シャルルが見つめるとはにかんで、体をもじもじとくねらせた。恋をしている彼女はかなり可愛かった。

「マルフォイもあなたが隣にいてかなりいい気分だったに違いないわ」

「本当?本当にそう思う?」

「ええ、確信を持って。だって、マルフォイの話をしてるパンジーって目を離せないくらい愛らしいのよ」

「そうかしら……そうだったらいいな……」

 急にパンジーに、メロウへ向けるような気持ちが溢れてきた。つまり愛しくて愛しくて仕方ないってこと。シャルルが思わずパンジーの鼻の頭にキスを落とすと、彼女は大きくのけぞった。その顔は真っ赤で、嫌がっていないことが分かる。

 シャルルは声を上げて笑った。

 ひさしぶりに過ごす友人との時間はとっても素敵なものになった。

 

 

 

 クリスマスが明けたらまたスリザリン寮はクィディッチに熱くなり始めた。

 以前より俄然シャルルはこの競技に前向きな感想を抱いていた。実際の試合を見て、彼らがかなり高度な次元でクィディッチに向き合っていることをひしひしと理解していた。

 

 グリフィンドールに敗北を喫したあとの談話室は嵐のように荒れ狂った。ハリー・ポッターは箒の性能で勝った、ふざけたスニッチの掴み方はスリザリンもクィディッチも冒涜していると、グリフィンドールへの罵倒を口々に口にし、スリザリンの健闘を称えた。

 しかしヒッグスは誰よりも分かっていた。才能でも、度胸でも、執念でも負けたのだと。彼の唇は血が滲んでいた。首の骨が折れてでもスニッチを追うべきだった──。

 

 クィディッチ杯でも寮対抗杯でも優勝争いの道を掴んでいたスリザリンは次の試合は重要な局面だった。この試合でグリフィンドールがハッフルパフに勝利してしまうと、グリフィンドールに寮杯での首位を許してしまう。

「ハッフルパフは奴らに勝てそうなのか?」

「……厳しいだろうな。ここ数年は最悪といってもいい」

「無能どもに期待する方が馬鹿だろ」

 グラハム・モンタギューが大きな図体を仰け反らせて、眉間と小鼻をしわくちゃにした。

「まあ、去年あたりからは多少マシになってきただろ?」

「あの、背の高い2年坊主……」

「ああ、ディゴリーね」

 マイルズ・ブレッチリーが舌を出して、嫌な顔をする。

「俺あいつキライ。スカしたイイコチャンだぜ」

「嫌いだろうさ、お前は特に」

 ブレッチリーと何回かデートをしていた女の子がディゴリーを好きになり、逆恨みをしていることを知っていたワリントンが陰気な目付きでにやにや笑った。瞬間的に沸騰したブレッチリーと煽るようなワリントンを、最年長であるロジエールが呆れきって止める。

 彼らは押さえられながらも睨み合っていた。ふたりは同級生だったが、誰にでも馴れ馴れしく楽観的なブレッチリーと、孤独と静けさを好むじめったらしいワリントンは馬が合わない。

 

 そこへ、明るい顔で歯を見せるプリントが駆け込んできて、弾んだ声で言った。

「次の試合の審判が決まった!誰だと思う?」

 一同は顔を見合わせた。審判?

「なんと我らが寮監、スネイプ教授だ!これでハッフルパフの有利は確定だな!」

 フリントの大声は談話室に響き渡り、そこかしこで喜びの声が上がった。

 スネイプは常にスリザリンへ最良を与える存在だった。

 

 

 水曜は夜中に授業がある。シャワーを浴びたあと生徒たちは制服か私服を着て、上からローブやマントを羽織る。外出許可証を首から下げて大広間に集まると、もうハッフルパフの1年生達が整列して待っていた。

 天文学はハッフルパフと合同の授業だった。しかしスリザリンもハッフルパフも綺麗に分かれていて、会話もない。欠けた人がいないのを確認して、マルフォイが意気揚々と先導する。

 こういう時誰よりも率先して前に出るのはマルフォイだった。自己顕示欲が強く自負と自信を持っているが、同時に勤勉。シャルルは前に出るより他人を使う方が好きだった。

 

 マルフォイは機嫌よく階段を昇っていく。いつもなら絶対に長い上にあちらこちら動く階段にブツブツ言っているのに。クィディッチの審判にご満悦なのは間違いがなかった。

 代わりに隣でパンジーが不機嫌に唸っている。

 

 天文学の授業は天文台のある塔で行われる。

 長い長い長い螺旋階段を昇り踊り場に出ると、視界が開け、濃紺に散らばった星々たちに迎えられた。今日は雲がなく、月が鈍くくすんでいて、輝きが褪せない。冬の空はチロチロと星がまたたきをして、美しい。

 

 いつもはさらに上の教室まで昇らなくてはならないが、今日は踊り場で星の観測だった。

 パンジーが、石壁の透かし細工から顔を出して塔の向こうを眺めるドラコの隣に滑るように並び、そっと腕を巻き付けた。

 ドラコはちらりと横目で見たがそのまま放って置いたので、嬉しそうにますますくっついている。

「綺麗ね、ドラコ」「ああ」「まるで世界を手にしたみたい。あなたならそうするって、もちろんわたし、知ってるのよ」「当然だ」「中庭の花壇よりスプラウトの植物園より、あなたの家の庭がいっとう素敵だったわ」

 甘ったるい声音で、ドラコの肩にしなだれかかってご機嫌なパンジーを適当にあしらいながらも、ドラコも機嫌がよく、たまに微笑みを落とした。

 

 後ろの方では石造りのベンチに座りながら、ブレーズ・ザビニがダフネの髪の毛を掬いとっていた。

「君の髪の毛って、細くてキラキラして、月の妖精みたいだね。今日の夜にふさわしい麗しさだ」

「ありがとう」

 ダフネは穏やかに笑って、ナチュラルに彼の手から自分の髪の毛をはらった。そして、少しだけ体を離した。柔らかな拒絶にザビニが肩を竦めたが、ふたりはそのまま談笑しあっていた。

 

「本日の授業は、壮大な宇宙と星々のさざめきを感じる学びになります……」

 オーロラ・シニストラ教授が入ってきて、ゆったりとした口調で話すと、生徒たちは自然と目を向け静かになった。彼女は濃紺のローブに、薄紫のストールを巻いて、銀色の片眼鏡をした老婆だ。

「星は常に語りかけています……星座の動きを観測するだけでなく、神秘、星が秘める特別な力……星1つ1つを全身で明確に感じ取り、同時に大きな概念や真理というものを感じましょう……。星の語る概念を染み渡らせて自分を洗練させることを、私は『星を浴びる』と呼んでいますの…………」

 

 スリザリン生は完全にバカにし切った顔をしているか、サボれることに嬉しそうにしていた。ハッフルパフ生も似たような顔をしていた。彼らは勤勉であると同時に怠惰である。

 シニストラは朗々と言い終わると、杖を振る。真っ白な綿のようなクッションが飛び出して、そのまま彼女は手のひらを組んで仰向けになり、一切動かなくなった。

 星を浴びて、宇宙の真理とかいうものに閉じこもったらしい。

 

 前方では金髪の少女たちが石壁の穴から空を見上げている。

 長細い三つ編みをふたつに垂らしたハンナ・アボットと、同じく金髪の三つ編みをふたつに結んでいるスーザン・ボーンズ。しかし、アボットの金髪の方が淡く、髪も柔らかいストレートで、スーザンの髪は少しくすんでいて毛量が多く、厚みのある三つ編みだった。顔立ちも、ハンナは垂れ目垂れ眉の柔らかい雰囲気で、スーザンはそばかすが多くつり目がちで鼻が少し丸い。

 よく似たふたりにわざと足音を立てて近付いて声を掛ける。

「一緒に星を見てもいい?」

 アボットは頷き、ボーンズは戸惑った顔をした。シャルルは笑顔で真ん中に入れてもらう。

「クリスマスカードありがとう」

 ハンナはニコニコと屈託のない笑顔でシャルルに話しかけた。シャルルはホグワーツの純血家系には全員に簡単な魔法のカードをプレゼントしていた。

「ボーンズ、あなたは律儀にクッキーまでお返しにくれたわ。嬉しかった」

「……どういたしまして」

 ボーンズは視線をさまよわせて、ローブの中から手持ち無沙汰にテレスコープを取り出した。黒を貴重に、金のアクセントがシックな年代物だ。

 シャルルは身を乗り出した。

「ウワーオ、ステキね」

 邪気のないキラキラした笑顔で見上げるとボーンズはさらに挙動不審になった。

「スーザンは星を観るのが好きなの。ねっ」

「うん……」

 恥ずかしそうに顔を背けてボーンズはテレスコープを覗く。ボーンズはスリザリン生を怖がっている面があるが、星を見たら落ち着くのか、穏やかな顔つきになった。

「み、見る?」

「いいの?」

「いいよ。クッキー、喜んでもらえて良かった。ママと作ったんだ」

 ボーンズがはにかみ、シャルルは喜んだ。彼女の心の壁をほんの少し崩すことが出来た。

 

「あの星座を見て。今の時期にしか見れないんだよ」

 ボーンズが指さす方を、テレスコープを交換交換でアボットと覗き込んだ。満天の星空。多分、ボーンズが言っているのは大鍋座のことだろう。

「あの星座に纏わる星話を知ってる?」弾んだ声でボーンズは語った。

「魔法騎士レイグリッドと、魔女セライオの悲劇……。2人は想いあってた。でも、レイグリッドに恋慕したアモレティシアが、強烈な執念で特別な薬を作り上げて、それを飲んだレイグリッドはセライオを忘れてしまうの」

 有名な話だ。魔法騎士レイグリッドも、セライオも有名だが、最も有名なのは魔女アモレティシアだろう。執着的で強迫観念に囚われ愛の妙薬の考案に成功した未曾有の天才。

「あれはアモレティシアが生み出したアモルテンシアが調合された大鍋を表してるの。レイグリッドを取り巻く愛と悲劇の星……今はちょうど、2人が引き裂かれた時期なの。2人の愛が凍てついた時期……」

「わたしそのお話読んだわ!セライオが健気で、可哀想で泣いちゃったわ」

「悲しくて素敵な話よね。レイグリッドが自制心を取り戻して、セライオとの愛を取り戻す話もよかったわ。ボーンズは恋の話が好きなの?」

 うっとりした声音のボーンズが、一瞬瞬きして、すぐ首を振った。

「ううん、星物語が好きなの。ロマンが詰まってるでしょ。それに、大昔から星を見上げて想いを巡らせていたなんて、なんだかすごいなって思えるんだ……」

 ボーンズのたっぷりした三つ編みが風に揺れた。空を見つめる瞳にも星が浮かんでいる。

「今度オススメの本を教えてくれる?」

「うん。でも図書室はあんまり行かない。大広間で今度貸してあげるわ。『聖マーリン星話』がおすすめだよ」

「ほんとう?楽しみが増えてうれしい」

 ハンナ・アボットがお姉ちゃんが妹に向けるような笑みを浮かべた。

「スーザンに新しい友達が出来て良かった。スリザリンが苦手だったみたいだけど、シャルルはいい子だったでしょ?」

「ちょっとハンナ!」

「ふふっ、知ってたよ。でもあなたと仲良くなりたかったから強引に話しかけちゃった」

 ふざけてみせると、ボーンズは安堵してしどろもどろに言った。

「態度悪かったでしょ、ごめんね……。でも、スリザリンにシャルルみたいな子がいると思わなかったの」

 私、誤解してた……と、申し訳なさそうなボーンズだったが、それは誤解ではない。彼女は純血だが、ハッフルパフという理由でマルフォイなんかはあからさまにバカにしていた。

 寮差別や偏見のせいで交流関係が狭まるのは、とても悲しいことだとシャルルは思っていた。

 

 

 

「ああっ!最悪!すっかり忘れてたわ!」

 談話室を甲高い悲鳴が貫いた。声を上げたのはパンジー・パーキンソン。彼女はしおらしい顔でシャルルに泣きついた。

「ねえ助けてちょうだいよ、うっかりしちゃってたの」

「何?」

「魔法史のレポートよ。途中までは仕上げてるの。ちょっと分からないところがあって、図書室に行こうと思ってたんだけど……」

 そのまま忘れてしまったらしい。

「仕方ないわね。でも、丸写しはだめ。一緒に考えてあげるから」

「ありがとうシャルル!」

 パンジーは腕を絡めてくっついた。顔には出さなかったが、シャルルはたちまちのうちにご機嫌になった。好きなひとに頼られたり、甘えられたりするのは嫌いではない。パンジーは甘え上手だった。

「図書室に行くのか?僕も変身術のレポートを仕上げようと思ってるんだ」

「ほんとっ?嬉しい、一緒に行きましょ、ドラコ」

 すぐさまパンジーはドラコの隣にぴっとりとくっつきに行って、半身から暖かい体温が離れていく。シャルルに理由もわからず睨まれたマルフォイは僅かにたじろいだ。

 

「ノット、お前も行くだろ?」

「課題はもう終わってる」

 足を組んで本を捲っていたセオドール・ノットは視線も上げずに言った。

「なんの理由がなくとも君はいつも図書室にいるだろ」

「本くらい静かに読みたいんだよ」

 にべの無い返事にマルフォイは機嫌を損ね、「もう誘わない」と背を向けて部屋に戻ってしまった。背中を追ってパンジーも道具を取りに行く。

 シャルルは彼のソファの隣に座った。

「君だけとなら行ったけどね」

 ノットはページから一旦視線を上げて話しかけてきた。

「パーキンソンやマルフォイの子守りなんてごめんだ」

「人に教えるの、わたしは嫌いじゃないわ。それにマルフォイは優秀よ?」

「でも、トラブルメーカーだ」

「ふふ、たしかに。それも自分から生み出す厄介なタイプね」

 微かに彼の口が緩んだ。たぶん微笑んでいる。

 

「アクシオ」

 杖を取り出して小さく呪文を唱えると、10秒くらい時間をかけてやっと宙をふよふよ羊皮紙が飛んできた。シャルルの膝の上にポトっと力なく落ちる。

「呼び寄せ呪文?」

「うん、でもまだ練習中なの」

「でも成功してる。謙遜なんか柄じゃないだろ」

「まだ時間がかかるし、ひとつの物しか持ってこれなくて……。アクシオ」

 今度は羽根ペンセットが膝の上に落ちた。「ふうん、やるね」

 ノットに褒められるのは気分が良い。4年生の呪文なだけあって、アクシオはかなり難易度が高かった。得意気な表情を浮かべると、眉間をノットが指でグイと押した。シャルルは後ろに少し仰け反って、眉間を押さえて目を丸くしながらノットを見つめた。

「……なに」

「ふふっ、ううん」

 気持ちがふわふわする喜びが胸に浮かんできた。ノットがスキンシップを取ってくるのは初めてのことだった。彼と確実に仲良くなれているのがうれしい。

 

 

 魔法史の課題は魔女狩りに関するもので、シャルルはマグルにおける第2次魔法族排斥期間と、それに伴う国際魔法族機密保持法制定についての論文を仕上げていた。しかし、パンジーのレポートとは少し内容が異なる。

 パンジーはその以後の純血主義の興りと、間違いなく純血の一族である聖28一族の歴史に触れていた。

「とは言っても、当時純血主義を声高に主張したのは聖28一族の中でも一部よ」

「有名なのは、ゴーント家、ブラック家、マルフォイ家だけれど、他にもいくつかあったね。先人たちが正しい選択を取り続けてきたことに誇りを感じるよ」

「マルフォイ家は本当に素晴らしいわ。常に歴史の表側にいるの。優れた知恵と気品を兼ね備えているんだわ」

 本棚を探しながらサラリと賞賛を述べたシャルルに、ドラコが目を丸くし、僅かに耳を赤くした。固まった彼が何か返そうと口を開く前に、シャルルが遮った。

「これね。『魔法族の興亡と発展』『近大魔法界における有力な家系』『なぜ魔法族は隠れ住むことになったのか』ここらへんはまあ、少し難しいけど、要点をよく掴んでると思うの」

 パンジーは渋い顔をしながら目を凝らしてページを捲っていく。マルフォイも自分のレポートを仕上げにかかっていく。彼の場合は裏付けを取って論文を強化するだけの、最後の作業だったので、あと少しもすれば終わるものだ。

 時折、過ぎ去ったページに書かれた要項を指摘して、パンジーの論文も着々と進んでいく。ブツブツ言ったり、呻く声は聞こえたがマダム・ピンスが飛んでくるほどではなかった。

 

「ねえ、これは?」

「んーと……」古い本をパララ……と捲り、該当部分を指し示す。「このあたりかな。聖28一族の著者の功績関連」

「ありがとう!あっ、この人表彰されてるわ。きっと魔法省にも有力な影響力があったのね」

 マルフォイがしみじみと言った。

「パーキンソンは物分かりがいいな。クラッブとゴイルと来たら、30回説明しても分かりゃしない」

 喜びで花を飛ばすパンジーと苦笑するシャルル。あの2人に比べたら豚の方がまだ賢いだろう。

「マルフォイはかなり忍耐強いよね」

 彼は肩を竦めた。

「奴らは1秒経つとぜんぶ忘れる。悪いところばかりでもないんだけどね、ああ見えて」数秒考えて、難しい顔をした。

「まあ……すぐには思いつかないが」

「あなたのお喋りが分かりやすいのはきっとそのせいね。耳に良く入ってきて、面白いの」

「そ、そうか?僕の話がそんなに好きならいくらでも話してあげよう。そうだね、今日の夜にでも……」

 本の整理をしていたマダム・ピンスが至近距離まで近付いてきたので彼は慌てて口を噤んだ。マルフォイの話が聞きやすく語彙力にも優れているのは事実だが、あからさまな称賛にこんなにも分かりやすく調子に乗るのは可愛らしく思った。まだ彼は11歳なのだ。

 ルシアン・ボールなどは、シャルルが褒めてもサラリと微笑みを浮かべて称賛を返してくれる。彼のスマートさも魅力的だが、マルフォイの可愛げも悪くはなかった。

 

 シャルルは3年生の自習を押し進めていた。得意科目である呪文学や闇の魔術に対する防衛術などは、4年生の段階にもチャレンジし始めていた。

 上級の教科書や参考書を探そうと本棚の近くを彷徨いていると、ボソボソとした話し声が聞こえた。緑色のローブが見える。

 横目でちらりと見て、シャルルは二度見した。

 

「ダフネ……?」

 

 思わず本棚の陰に隠れて、金髪の少女を見つめる。彼女はひとりではなかった。

 

 いつも穏やかな顔つきのダフネが、顔を薔薇色にしながら、隣にいる男性を見つめている。瞳が蕩けて、挙動がずっとソワソワしているのがシャルルにも伝わってきた。

 教科書を2人で覗き込んで笑いあったり、顔を顰めたりしている。勉強を教わっているらしい。

 

 隣にいるのはエリアス・ロジエールだった。7年生で、監督生で、去年までクィディッチのキャプテンをしていた純血名家の子息。おそらく今年のスリザリンの男子首席は彼だろう。スリザリンでは将来の準備に集中するために、下級生に早くからキャプテンを譲ることも多い。ロジエールが将来を嘱望される優秀な生徒であることは間違いなかった。

 ダフネは熱に浮かされたような表情で、ロジエールは兄のように落ち着いた態度だった。

 ふたりの間に大きな温度の差があるのはシャルルでも感じ取れたが、ダフネは幸せそうだった。あんなに舞い上がった彼女は見たことがない。

 

 シャルルはそっとその場所を離れた。

 

「どこいってたの?」

「なんでもない」

 パンジーとマルフォイは既に荷物を纏めて帰る準備を整えていた。シャルルも4年生の教科書を抱えて歩きだしたが、先ほどの光景が頭から離れなかった。

 恋をする女の子が増えてきている。

 パンジーも、ダフネも、上級生も、男の子も。

 マルフォイの話をするパンジーと同じキラキラした瞳をダフネはしていた。相手のことをとても大切に思ってるのがわかる。それはたぶん、シャルルがパンジーやダフネに抱く感情とも、家族に抱く感情とも、セオドール・ノットに抱く感情とも違う。

 難しかった。感情の機微にはシャルルはとてもとても聡いし、寄り添うことも得意だし、見抜くことも得意だけれど、実感がない。

 

 そうしてシャルルが悶々と思案していると、耳につく嘲笑が聞こえた。図書室の近くを歩いていたネビル・ロングボトムにマルフォイが意気揚々と近付いた。

 彼を見たネビルは一瞬で不安を顔に走らせ、シャルルを見つけると縋るように見つめた。

「おやおや、奇遇なところでお会いするではありませんか?図書室には魔力を発現させる本は置いていませんよ、ミスター・スクイブ?」

 マルフォイは慇懃で嫌味ったらしく顎を突き上げ、甲高い声で隣の信奉者が嘲笑った。

 ネビルは言い返すことも無く俯いて、「ぼ、僕、ただ課題をしようと」ともごもご呟いている。

 

 スリザリン生のすることに、特に聖28一族のすることにシャルルはあまり口を出したくないのだが、ネビルは友人だ。

 そして、聖28一族だ。

 

「ネビル、なんの勉強をしに来たの?」

「シャルル……僕、まだ変身術が……」

 不快そうにマルフォイがシャルルを睨めつけた。シャルルの悪癖(だと思っている)他寮への親切心を一緒にいるパンジーはずっと前から諦めていたので、肩を竦めるだけだった。かまわずシャルルは続けた。

「わたし達はもう行くわ。もし分からないところがあったら言って?一緒に勉強しましょう」

「うん、ありがとうシャルル」

 ホッと顔を弛めたネビルだったが、すぐに顔を強ばらせた。パンジーが激しく睨みつけていたからだ。パンジーは他寮のボンクラにシャルルとの時間を奪われるのが大嫌いだ。

 

 粘つく笑みで懐から杖を取りだし、マルフォイは手の中で転がしながらわざとらしく視線を投げかけた。

「そういえばフリントに面白い呪文を教えてもらったんだ。足縛りの呪いって言ってね……実に無様なんだ。見たいだろう?」

「ええ、とっても見たいわ!して見せてくれるの?ドラコ」

 素早くドラコの利き腕と反対側にしなだれかかって、猫撫で声で横顔を見上げた。シャルルは微笑みを固くしてドラコを宥めにかかった。

「マルフォイ、図書室の近くで騒ぎを起こすとマダムが飛んできちゃうわ。もう少し離れたところで違う人に試したら?」

 つまらなそうに彼は鼻を鳴らす。

「スチュアート、君のご大層な博愛精神に僕を巻き込まないでくれるかい?生憎と僕は慈善事業には興味が無い」

 マルフォイの言葉が冷たい棘のように鋭く刺さり、シャルルは眉を下げた。いつかスリザリン生の不興を買うとは思っていたが、直接冷ややかな態度を取られるのが、こんなにも言葉を紡げなくさせるものだとは知らなかった。

 シャルルの顔を見て慌ててマルフォイがフォローする。

「別に君がこいつと仲良くする分には……見過ごしたくはないが……まあ気にしないようにするよ。でも僕は嫌いなんだ。分かるだろ?」

 微かに頷いたシャルルにマルフォイはホッとした。

「ロングボトム、スチュアートに庇われて恥ずかしくないのか?杖を出せよ」

 冷たい瞳と気を落としているシャルルを何回も見て、軽く絶望しながらネビルは杖を出した。マルフォイは悪意に満ちた笑みを浮かべた。

「これでお互い様だな、ええ?ロングボトム?なに、ちょっとした呪いをかけるだけだ。すぐに自分で解けばいい」

 そんなこと出来るはずがない、と含ませて呪文を唱える。

 

「ロコモーター・モルティス」

 

 いきなりピタッとくっついた両足に驚いてネビルはもんどりうって倒れた。駆け寄って悲しい瞳でシャルルは謝罪した。

「大丈夫?ごめんね、ネビル」

 マルフォイを無理やり止めることも出来たが、シャルルはそうしなかった。立場を悪くしすぎるのは良くないと思ったからだ。パンジーとマルフォイの哄笑が背後で響いている。

 ネビルは弱々しく首を振った。

「い、いいんだ、シャルル……庇ってくれてありがとう」

 胸が熱くなってさらに申し訳なさが募る。彼は優しいのに……。

 

「ははっ、みっともないな。悔しかったら反論のひとつでもしてみればいいんだ」

 腹を抱えてマルフォイが笑っていた。ネビルはボソボソ言った。

「いちいち、そんなことで怒っていられないよ……」

「そんなだからあなたは間抜けなんだわ!いいところがひとつもないじゃない」

「君はグリフィンドールにもふさわしくないな。ノロまでグズでスクイブで……臆病者の鼻ったれだ。帽子は耄碌しきってるに違いないね」

 ネビルの背を撫でるシャルルをちらっとみてマルフォイは去っていった。パンジーも何回か振り返りながらも、彼の背を追っていなくなった。

 重い沈黙が訪れた。

 

「……フィニート・インカンターテム」

 杖を振るとネビルの足は元通りになった。

「ありがとう……」

 彼の声は弱々しく、顔をクシャクシャにした。シャルルは狼狽えながらなんとか声をかけた。

「あの、ネビル……あなたは優しいわ。争いを忌避して我慢できるなんて……人間が出来てる証拠よ……」

「僕が戦いから逃げて耐えるしかできないなんてことは、最初っからずっとわかってるよ」

 力なく体を押し返されて何も言えなくなった。

「ごめん、僕……寮に戻るよ」

「ネビル……」

「君に庇ってもらって、僕は臆病ものなんだ」

 追いかけようとするのを遮るように言われてシャルルはその場から動けなくなった。

 

 悲しみともどかしさ、そしてふつふつと湧き上がる苛立ちがシャルルを支配していた。目の前がすこし霞む。

 

 ネビルとも、マルフォイとも、パンジーとも仲良くしていたい。シャルルはシャルルがしたいように振る舞いたい。

 何故こんなにも上手くいかないのかわからなかった。純血の魔法族同士、手を取り合って尊重し合えるはずなのに。

 偉大なる創設者たちはそうした。意見が食い違ってしまっても、最初っから手をとりあえないわけじゃない。

 各寮に横たわる深い溝を何とかしなければならないと、シャルルは強く強く思った。

 

 そのためにはシャルルが聖28一族に引いて振舞っていてはダメなのだ。

 シャルルがどんな選択をしても、理解はされなくとも尊重はされる、そういう状況に持っていかなければ──。

 

 瞳を涙で光らせながら、この時シャルル・スチュアートは覚悟を決めた。つまり、人を意図的に支配するということを。シャルルは人の上に立つ人間になる。

 この決意は、最初の1歩だった。

 

 

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