Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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15 呪詛、そして1年が巡る

 

 1年の終わりが来た。

 学年末パーティーを控えた大広間は、スリザリンが7年連続で寮杯を獲得したことを称え、知的な深緑と品格のある銀のカラーで飾り立てられ、壁には象徴である美しい蛇の垂れ幕が威風堂々と君臨していた。

 スリザリン生は誰も彼も晴れがましく、誇らしさが表情に満ち溢れていた。

 

 今日ばかりは寮内の煩わしい小さな政治からはみんな開放されていた。いつも除け者にされているマグル生まれも笑い合っていたし、緑のローブを着る中で最も穢らわしい血を持つイル・テローゼでさえ輪の中に入っていた。

 シャルルは久しぶりにパンジーと隣合って座った。

「こんなに誇らしいことってないよ。勿論当然のことではあるけどね。僕らは選ばれた魔法族なのだから」

 斜め向かいの席にはドラコ・マルフォイが胸を大きくして機嫌よく笑っていた。パンジーが同意の声を上げて笑う。シャルルも、ダフネも笑う。みんなが笑っていた。

 

「僕が首席として卒業する年に栄光ある美を飾れて誇らしく思う。みんなが常に最善の努力を続けてきた結果だ。本当にありがとう」

 エリアス・ロジエールはいつもは柔和で落ち着いた表情を、今は喜びに褒めていた。ダフネがうっとりと瞳を潤ませて見つめ、誰もが嬉しそうに自分達の功績の証である緑のローブやネクタイを眺めた。

 7年もの長い間、1番になり続けるというのは並大抵のことではない。シャルルも自分が歴史の瞬間に貢献出来たことが嬉しかった。スリザリン1年生の中では、シャルルとマルフォイとノットが1番加点されていたし、マルフォイが減点されることも多々あったがグリフィンドールから150点奪うという結果を出した。

 今回の栄光のMVPは紛れもなく彼だ。

 マルフォイは賛辞をキラキラした笑顔で受け取っていた。

 

 

 しばらくしてハリー・ポッターが広間にやってくると、ざわついていた空間に沈黙が流れ、やがて弾けるように噂話が飛び交った。

 数日前の試験終わりの日、ロン・ウィーズリーとマグル生まれの栗毛の魔女がボロボロの姿で医務室に運ばれるのを多くの生徒が見ていた。

 そしてあの日様子のおかしかったクィレル・クィリナスが姿を消したことも……。

 緑の生徒たちは嘲りを浮かべせせら笑っていたが、今日という輝かしい日にわざわざ彼らを話題にする人はいない。

 遠目からは怪我はなく健康に見えたが、教授達は彼らが見えない間落ち着かない様子だった。

 賢者の石について彼等は嗅ぎ回っていたが、それに関連するものなのだろうか。

 クィレルがいないことに、クィレルに死喰い人の可能性があることに関係あるのだろうか。

 ここ数日流れていた彼等にまつわる途方もない冒険譚の、どこまでが噂で、どこまでが真実なのだろう。

 

 横目でグリフィンドールを見ていたシャルルは、ダフネにつつかれて顔を戻す。彼等がどんな冒険をしていようがスリザリン生には関係ない。

 壇上に立つダンブルドアにダフネがくすくすと笑う。

「とうとう結果発表よ」

「ええ。スリザリンに栄光が与えられるわ!」

 どちらともなくシャルルとダフネは手を繋いだ。そして、シャルルとパンジーも。

 シャルルが手を差し出すと、パンジーは照れ臭そうにつんと顎を上げ、頬を赤くして握り合った手を見つめた。温かい感情が胸を満たす。今この時、2人の間に僅かにあった垣根が取り払われた気がした。

 

 期待の張りつめる沈黙の中、ダンブルドアが朗朗と手を広げる。

「また1年が過ぎた!」

 シャルルの胸の中を感慨が満たした。

 ホグワーツに来てから本当に色々なことがあった……。

 初めて自分で友人を作り、初めて同世代の子供たちと関わるようになり、初めての感情や問題に振り回されて心がこんなにも忙しくなることはこの11年間の中で今まで無かった。

 でも、それら全部が胸の中で輝いていた。

 握った手に力を込めると、握り返してくれる両てのひらの温もりが嬉しい。

 

「それではここで寮対抗杯の表彰を行うことになっておる。点数は次のとおりじゃ。4位グリフィンドール312点。3位ハッフルパフ352点。レイブンクローは426点」

 スリザリン生は前のめりになった。

 きらきら、きらきら。宝石みたいな瞳がダンブルドアを見つめる。

 そして彼が言った……。

 

「スリザリン472点!」

 

 その瞬間爆音が響いた──スリザリン生の歓声が大広間中にこだました。

 シャルルは滅多に上げない大声で叫んだ。「ほんとうに嬉しい……!」ダフネとパンジーが腕を上げて「やったわ!」と立ち上がった。シャルルも釣られて立ち上がって、少女たちはぴょんぴょんと喜びを抑えきれずにジャンプした。

 たくさんのスリザリン生が立ち上がったり、腕を振り上げたり、肩を組んで歓声を上げていた。

 他の寮の苦々しげな視線はむしろスリザリンを称えるもののように感じた。こんなに誇らしいことをした寮はない!

 マルフォイは興奮してゴブレットでテーブルを叩き愉快なリズムを演出し、ゴイルとクラッブはドシンドシンと床を踏み鳴らす。シャルルはノットを見て笑いかけた。ノットも歯を見せて笑顔を返してくれた。拍手が鳴り響いている。

 捻くれ者のシーザー・ジェニアスの顔も輝き、プレッシャーが報われたジェマ・ファーレイも飛び上がらんばかりに喜んでいた。

「僕らはやったんだ!」

 天井に向かったロジエールの瞳は光に照らされ煌めいて、周囲の友人たちが彼に飛びついて彼の肩や背中を叩いていた。

 

 今日という日を忘れない。

 こんなに嬉しいこと、きっとずっと忘れない!

 

 スリザリン生が嵐のような歓喜に湧く中、ダンブルドアが穏やかに言った。

「よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて」

 沈黙がさざめきのように広がり、少しだけ嫌な予感がする。

 老人はわざとらしい咳払いをした。

 

「駆け込みの点数をいくつか与えよう。えーと、そうそう……まず最初は、ロナルド・ウィーズリー君」

 スリザリン生は今や完璧に声を抑えて、固唾を飲んで老いぼれを見ていた。

「この何年間か、ホグワーツで見ることができなかったような、最高のチェス・ゲームを見せてくれたことを称え、グリフィンドールに50点を与える」

 瞬間的に大広間が爆発した。グリフィンドールの歓声だ。

 シャルルは小さく「え?」と言った。

 チェス・ゲーム?50点?

 一体……何が起きてるの?

 

「た、たった50点じゃない」

 強ばった声でパンジーが言った。誰かが同意するように声を上げて、僅かに張り詰めた糸が緩んだが、シャルルはこのまま終わるわけがないと……だってあの3人はいつも一緒だった。

 お腹の底が僅かに疼く。黒い染みのようなものがズシッと胃に詰め込まれたような……。

 チェス・ゲーム?

 マクゴナガルの巨大チェスで冒険してらっしゃったようですけれども、それがどこまで本当のことか。でもどうやら本当のことらしい。

 50点の加点?ふざけてるの?

 

 「次に……ハーマイオニー・グレンジャー嬢に……火に囲まれながら、冷静な論理を用いて対処したことを称え、グリフィンドールに50点を与える」

 スリザリンの席からはもう隠しきれない悲鳴が漏れ響いていた。シャルルも不安に固い顔をしてゴクリと唾を飲み込んだ。

 ヒッ、ヒッ、隣のパンジーが恐怖に顔を引きつらせて断続的に呼吸をしている。

 

 待ってよ……。

 この老いぼれ、まさか……。

 

 グリフィンドールの連中が狂喜乱舞している様を、スリザリンは親の仇を見るような目で睨んだ。

 

「3番目はハリー・ポッター君……」部屋中が水を打ったようにシーンとなった。

 もはや呻き声すら洩れない。

 

「……その完璧な精神力と、並はずれた勇気を称え、グリフィンドールに60点を与える」

 天井が崩れて落ちてくるかと思う大歓声が上がった──先程のスリザリンよりもかなり激しく、椅子の上で踊り狂ったり腕を振り回したりしている。

 

 これで同点だ。

 同点のまま終わって欲しい。どうか…………。

 てのひらがびちゃびちゃに濡れ、激しく腕が震えていたが、ダフネとパンジーも全身震えていた。

 みんな祈るようにダンブルドアを見上げていた。

 どうか、どうか、どうか……。

 

 その祈りを嘲るかのように、ダンブルドアは柔らかい微笑みを浮かべる。

 

「勇気にもいろいろある」

 ああ、と。シャルルの全身から力が抜けた。繋いでいた手がだらりと垂れる。震えが止まっていた。

 

「敵に立ち向かっていくのにも大いなる勇気がいる。しかし、味方の友人に立ち向かっていくのにも同じくらい勇気が必要じゃ。そこで、わしはネビル・ロングボトム君に10点を与えたい」

 

 パンジーが顔を覆って泣き始めた。ダフネも、ミリセントも……監督生のファーレイは泣きながら怒鳴っている。ロジエールが倒れそうな程に血の気を無くした顔で呆然としていた。ノットが真っ白な顔でこめかみを揉み、ブレーズが震えながら笑っている。「冗談だろ……?」マルフォイは顔を歪めながらぽたぽたと雫を流していた。

 その全てが、他の3寮の歓声に掻き消された。

 スネイプが凄い形相でダンブルドアとポッターを激しく睨んでいる。

 

 こういうことをするんだわ……。

 白々しく慈愛の表情で広間を見回すダンブルドア。

 

「したがって、飾りつけをちょいと変えねばならんのう」

 老いぼれが杖を上げると、銀と緑のカラーが、赤と金に変わっていく。蛇が死に、獅子が君臨する。

 

 キーーン……と耳鳴りがした。全ての音が遠くなっていく。

 頭の上から爪先まで血が全部凍ったような感覚が這い上がって来て、心臓のあたりで何かが硬質化された。何もかもが冷たい。

 それなのに心臓だけが燃えている。

 黒々とした呪詛の炎が燃えている。

 

「シャルル!こんなのってないわよ!そう思わな……っ!」

 石のように動かず、声も上げないシャルルにパンジーが怒鳴って──声を止める。

 

 シャルルの横顔に銀の筋が流れていた。

 あとから、あとから、雫が止まらずにほたほたと染みを作った。「ああっ」パンジーはさらに激しく泣いた。

 

 死んでしまえ。死んでしまえ。死んでしまえ!

 シャルルの瞳には輝きというものが消えていた。

 しかし、不気味なぬめりを帯びて、ダンブルドアを一瞬も離さず睨み続けていた。

 口から呪詛が零れる。

「アバダケダブラ……」

 何百回、何千回、何万回……心の中で数え切れないほど呪詛を唱えていた。もし視線で、憎悪で人が殺せるなら、ダンブルドアはもう何回殺されたか分からない。

 ふと、老いぼれと視線があった。

 シャルルはハッキリと口を動かし、囁いた。

「アバダ ケダブラ」

 老人は。面白そうな顔でシャルルを眺めた。その目には嘲りが乗っていた。

 

*

 

 葬式よりも沈痛な表情で、スリザリン生は誰も喋らず、機械的に食事を運んだ。誰もが……憎しみと悲しみと諦めに支配されていた。魂の抜けた顔でみんな沈み込んでいる。

 食器が立てるカチャカチャという音以外、スリザリンのテーブルは無音だった。

 大広間が盛り上がっているのが苦痛で、悔しくて、屈辱で……。

 

「わたし、もういらない……」

 銀のカトラリーを置いてシャルルがよろよろと立ち上がる。

「ほぼ食べてないじゃない……」

「食欲なんか消えてしまったわ。それに……ここにいたくない」

 そう言うと、パンジーとダフネは僅かに頷いて引き止めるのを辞めた。

 生徒全員が集められる学校行事で、生徒1人が個人行動を取るのは許されていなかったけれど、監督生も誰も何も言わなかった。何人かがシャルルに続いて席を立った。

 全員、無気力で蒼白な表情だった。

 

 シャルルは椅子を引き、歩こうとしたが、足がもつれて倒れそうになった。慌ててザビニがシャルルを支えた。

「シャルル……」

「大丈夫?」

 近くのダフネも心配そうに肩を支えた。

 

 どうして。

 心臓に突き抜けるような痛みが走った。鼻の奥がツンとして……みるみる瞳に涙がせりあがってきた。

 

「どうして、スリザリンがこんな仕打ちを受けなければならないの?」

 

 口に出すと、もう……耐えられなかった。

 唇を強く噛んで、嗚咽を我慢するあまり喉がゼイゼイ鳴った。ダフネがヒクッ、と息をして泣き始めた。

 崩れ落ちたシャルルを支え、ザビニが椅子に戻してやる。

 顔を歪め、シャルルは小さな唇を震わせながら、拳を握り締めて、悔しくて、悲しくて……とうとう声を上げながら泣き始めた。

 あまりに痛ましく、周囲のスリザリン生にもまた涙と嗚咽が混じり始める。

 

「わたし達はずっと……が、頑張ってきたのにっ、たった一夜の冒険で……今までの努力を否定されるのっ?

 ぜ、全員に笑われながら!屈辱を与えられるほど、わたし達のしてきたことは、軽かったの?」

 それはまさしく悲鳴だった。

 今のシャルルを支配するのは先程の冷たい憎悪ではなく……体が引き裂かれるような悲しみだった。

 どうして。

 スリザリン生はこんなことされるために頑張ってきたんじゃないのに。

 コツコツ頑張ることよりも、規則を破って好き勝手することの方が大事なの?

 スリザリン生になら、こんな屈辱を与えてもどうでもいいの?

「わたし達はそんなに……大切にしなくていい存在なの?傷付けられてもいい存在なの?」

 シャルルが途切れ途切れに零すにつれ、他の生徒もポツポツと悲しみを語り始め、その涙はパーティーが終わるまで続いた。

 目を真っ赤にして、表情を歪めて、激しくしゃくりあげて……。

 最初は笑っていたグリフィンドール達でさえ、その痛ましさに段々と気まずげな顔になるほど、その様子は暗く、苦しく、悲しみに満ちていた。

 

 絶対許さない……。

 今日という日を忘れない。

 

 

 

 談話室に戻ったシャルルはぼう、と燃える炎を眺めていた。自然と涙が滲んで来る気がして、僅かに瞳を歪める。

 ダフネとパンジーが無言でソファに腰掛け、シャルルに寄りかかった。

 誰も部屋に戻ろうとはしなかった。

 1人で悲しみと怒りを抱えるより、分かちあった方が幾分かマシだから。

 トレイシー、マルフォイ、ノット、ザビニ……親交のある子女たちが近くのソファに寄ってきて、レイジーも立ってシャルルを気遣わしげに伺っていた。

 

 常に微笑みを称えるシャルルがこれほどまでに傷付き、泣くのを見るのは初めてだった。これほど泣くとも彼らは思っていなかった。彼らが思うよりシャルルはずっとスリザリンを愛していた。

 

「わたしね……」

 ポツリ。シャルルが呟く。

「創設者が好きなの。どの寮も良いところがあって、悪いところがある。だから、寮で魔法族と壁が出来るのは悲しいと思ってた……」

「シャルル……」

 彼女の横顔は炎に照らされてくっきりとした陰影を映し出していた。声に感情の乗らないポツンとした声が、なぜか酷く孤独に思え、思わず抱きしめてやりたくなるような。でも、動けないような。

 シャルルが創設者フリークであることはみんな知っていた。

 ジッと固まって彼女の横顔を見つめる。みんな疲れていた。すっかり意気消沈していた。談話室の誰かがポソポソしゃべる声はまるで葬列の説教のようだった。

 

「寮の垣根を取り払って、魔法族が仲良く出来たら……って……理想に過ぎないけど、そう思っててね……。それなのに……」

 声が潤んだ。

 瞳が湖の水面のようだった。

「ダンブルドアがあれほどスリザリンを侮辱して、グリフィンドールを持ち上げて……わたし、バカみたい。校長自身が差別主義者なら、今までわたしがしてきたことぜんぶ……意味なんてないんだわ」

 涙を浮かべてシャルルはむりやり笑った。

「パンジーやマルフォイと衝突してまで……孤立するかもって思いながら……でも、魔法族が仲良くなれるように……寮差別が少しでも軽くなればって……」

 

 パンジーとダフネはたまらずシャルルを抱きしめた。

 シャルルは、ぽたっ、と大粒の涙を零し、それを制服の袖でごしごし拭いた。

「本当に……バカみたい。ごめんなさい、パンジー、マルフォイ……」

 

 パンジーが強くシャルルを抱きしめた。「バカね……バカね」ほろ苦く、苦しくて、愛しい。

 マルフォイの心臓は杭が打ち込まれたかのように激しく鼓動し、痛んだ。

 真っ赤に充血した目と同じくらいに、首と頬が赤く染まり、喉が引き攣れた。言葉に出来ないくらい……彼女が……眩しく、かよわく見えた。この衝動をなんと呼ぶか、マルフォイはまだ知らない。

「いいんだ。僕も少しムキになっていた」

「ん……」

「でもこれからは今まで通り、友人だ」

 シャルルははにかんで、肩をすぼめてマルフォイの手をきゅっと握った。指先がピンク色なのがなぜか無性にマルフォイの目にハッキリ映った。

 

*

 

 深夜。

 窓から時折聞こえるコポコポとした水音が妙に頭に響き、シャルルは眠れなかった。

 部屋の寮生は泣き疲れてみな眠っていた。

 すぅすぅした寝息が聞こえる。

 シャルルはそっとベッドをすり抜けた。ネグリジェの上からローブを着込んできっちり閉める。

 ベッドの上でジイと固まって天井を睨んで眠ろうとしたが、パーティーの屈辱と苦しみと悲しみと諦念がぐるぐるとして、とても眠れなかった。

 あの理不尽を1人で解消することはシャルルには出来なかった。きっとスリザリン生の誰も知らない。あの、あの、ダンブルドアの本当の邪悪さは。

 

 身体の中にある怒りが呪詛となり、その黒い炎はシャルルの中心で宝石よりも硬く硬く形になってしまった。

 怒りはいずれ収まるだろう。

 でもシャルルは殺意というものを、憎悪というものを知ってしまった。

 

 外出禁止時間はとっくに過ぎていたが、寮の扉を潜り、冷たい石の廊下に滑り出た。地下は暗く、重く、昼間灯っている真鍮製の燭台は、今はその光を消している。

「ルーモス」

 呟くと杖の先が光を灯した。出来る限り明るさを抑えるよう調整し、とてとて走り出した。体力がカスなのですぐに息切れしたし、真っ黒なドラゴン革の靴がキュウキュウカコカコ暗闇に反響した。

 絵画たちが目を覚まし疾走する1人の少女を不機嫌に睨む。ピーブズやフィルチが現れたらおしまいだ。ドキドキしながら駆ける。

 寮からほど近い魔法薬学の教室の扉の前で息をつく。少し息が上がっていた。

 扉には鍵がかかっていた。

「アロホモラ」

 囁くと、体から大量の魔力が座れる感覚がして、ガチャリと鍵が開く。よかった。もっと複雑な鍵をかけられているかと思った。

 広い教室。ホルマリンがコポコポ音を立てて昼に見るよりもずうっと不気味だった。

 

 机に触れながら手探りでスネイプ教授の研究室に向かう。彼の寝室は研究室の隣にあるはずだった。

 

 突然音が響いた。ビクリとして顔を向けるより早くシャルルの体には縄が巻き付き、ギチギチと締め上げられる。

 床を擦る音が近づいてくる。

 真っ黒な巨大な影がシャルルを見下ろして低い声が降る。

 

「誰だ」

 獣の唸り声のように恐ろしい声であった。声を出そうとしたが喉に張り付いて何も言えなくなる。パチッと照明が灯り、暗闇に慣れた目に眩しさが突き刺さった。

「……スチュアート?」

 困惑した声にシャルルは俯いてモゴモゴ言った。

「す。すみません。どうしてもスネイプ教授とお話したくて」

「もうとっくに就寝時間は過ぎているはずだが」

「……」

 スネイプは巨大なため息をついた。この少女は申し訳なさを顔に浮かべてはいるが、テコでも帰りそうにない雰囲気を醸し出していた。「我輩の時間を取るほどの内容なのだろうな?」

 それを言われると困ってしまう。

 ただただ怒りが抑えられなくて来ただけだった。

「ダンブルドアの対応は理不尽だと思います」

「……ダンブルドア校長だ」

「あの老いぼれの対応は理不尽だと思います!」

 スネイプは鼻にシワを寄せた。インカーセラスを解き、「着いてきたまえ」とスタスタ歩き始めた。

 

「それで?」薄暗い研究室に座ったスネイプが鼻で笑う。「泣き言を言いに来たのかね?」

「賢者の石の件はわたしも知っていました」

 スネイプは凍りついた。シャルルは靴の先をぎらぎらした目で睨んでいた。

「何を言っているのか……」しかし、そこで口をつぐみ、誤魔化しても無駄だと悟る。知っているかどうかではなく、何故知ったのかの方を質す方が建設的だ。

 

 スネイプは無言で顎をしゃくり続きを促した。我慢していた思いが訥々と口から息せき切って溢れ出す。

「マルフォイが罰則を受けた夜、衰弱した邪悪な存在がホグワーツに潜んでいる可能性に気付きました。そして、あの3人がニコラス・フラメルについて異常に調べていたことと繋がって鎌をかけたんです。そこで賢者の石があることを知りました。彼らは情報の扱い方が下手だったので」

 苛立ち混じりに吐き捨てる。

 

「わたしでも気付くのだから教授方も当然気付いているでしょうし、賢者の石を持ち込めるのは友人であるダンブルドアです。彼に何らかの思惑があると思ったのでわたしは踏み込みませんでした!

 少し考えればすぐ分かることです。あの3人は賢者の石についてかなり嗅ぎ回っていた様子ですし、1年生でも分かる場所は何らかの隠された部屋か……あからさまに警告した禁じられた廊下でしょう?でもわたしは……秘密を守りました!規則も守りました!」

 腹の底で轟轟と炎が燃え盛っていた。握り拳がブルブル震え、平静を保つのが困難だった。スネイプがどんな顔しているか見上げることが出来ない。

 

「クィレル教授はわたしやマルフォイに意味深な言葉を投げかけてきました。彼が……死喰い人である可能性にも思い至っていました。

 わたしはスリザリンらしく、理性的で賢い選択を取ったと思います。秘密を守り、教授方を信頼しました。

 わたしも規則を破って好き勝手に冒険すれば良かったんですか?なぜダンブルドアはグリフィンドールの美点だけあのように称えるのですか?わたし達は無謀で愚鈍な彼らとは違う!禁じられた場所にわざわざ行ったりしませんでした!その上で秘密を握り秘密を遵守した!それはスリザリンの美点ではありませんか?」

 

 いつの間にか流れていた涙を拭う。

 ヒクヒク喉が震えるのを必死で抑えた。

「あの老いぼれは公平ではありません。あんな、わ、分かりやすい罠を張って生徒を英雄にしたいなら、最初から禁じなければいいのよ」

 悔しくて悔しくてシャルルは顔を覆った。

 

 スネイプは目の前の少女を見下ろし、彫刻のように眉を顰めた。たしかに秘密を知っていた上で、今日のパフォーマンスを見たなら、耐え難い侮辱に感じただろう。スネイプ自身さえ、ダンブルドアに許し難い怒りを感じたのだ。

 ダンブルドアを好いていないスリザリン生の怒りは言葉にならないほどだと理解出来る。

 

 しかしスネイプはかけるべき言葉を持たなかった。ダンブルドアにポッターと闇の帝王に纏わる何らかの計画があり、その上で行動を取ったのを知っていた。

 

「ダンブルドア校長は、勇気と愛情と友情を何より尊いものだと考えている。それ以外のものは瑣末事だとお考えなのだ」

 スネイプの声は氷のようだった。

「我輩も散々抗議はしたが校長の考えは変わらぬ。生徒が1年かけて少しづつ得点を上げてきたことよりも、勇気を示したことを、並々ならぬ才能だと仰る。良いか、スチュアート」

 シャルルは涙に濡れた目でスネイプを見上げた。

 光のない黒曜の瞳がシャルルを注視している。

 

「我輩が規則破りの傲慢な冒険家を評価することは決して有り得ぬ。お前のすることは過ぎたことにグスグス鼻を鳴らして啜り泣くことでも、怒りに任せて規則を破ることでもない。奴等と同じレベルまで下がるな。

 我々がすることは、校長がどれほど強権的に赤のローブを贔屓しようとも、決して揺るがぬほど結果を出すこと。結束すること。狡猾に、理性的に、手段を厭わず事を成すことだ」

 その声にはシャルルが感じるのと同じ憤りと、決意のような響きが宿っているように聞こえた。シャルルの感じる痛みをスネイプは分かっていた。

 シャルルは僅かに頷いた。

「良かろう。校長には話しておく。生徒の美点を潰してまで校長の自己満足を通して良いのか、今一度お考え下さるだろう」

 それはどうかしら。内心で思う。

 少しでも生徒に与える影響を考えられる人間なら、あんな公開処刑のような真似はしないはずだ。

 いいえ、考えられるからこそ、公開処刑したんだわ。

 ダンブルドアにとってスリザリン生などその程度なのだ。スネイプもそれをわかっているんだろう。そうでなければこんな、酷薄な響きを帯びた言い方はしないはずだ。

 

 シャルルは立ち上がった。

 スネイプの言う通りだった。ダンブルドアがグリフィンドールを贔屓するなら、シャルル達スリザリン生はそれに揺るがない結果を出すしかない。

 

 スネイプはシャルルを寮まで送ってくれた。「次は罰則になる」と言われたが、深夜徘徊に対しての小言はほぼ無かった。

「おやすみなさい……スネイプ教授」

「ああ」

「来年は、必ず寮杯を獲得します」

 暗闇に彼は去っていった。

 シャルルはダンブルドアの差別と理不尽を恨んでいた。そしてそれを捩じ伏せるのは、寮杯を獲得することだ。

 

 

 

 

 父親に入学祝いとしてもらった、銀とダークグリーンのキャリーケースに荷物を詰め込んで、1年間過ごした部屋を見回した。

 昨晩は最悪だった。

 しかも、今朝発表された学期末試験の結果も最悪だった。シャルルは3位だったのだ。首位はグリフィンドールのマグル生まれ、次点がセオドール・ノット。

 1番の自負があったから、この結果はかなり悔しかった。足を引っ張った科目は飛行術だとわかっている。座学の結果だけならノットとほぼ変わらない。

 でも、座学の結果でもマグル生まれに負けていた。

 ハーマイオニー・グレンジャー。

 シャルルの胸にその名が刻まれた。

 

 この1年で得たものも、課題もたくさんある。

 昨晩の怒りも痛みもまだ全く消化出来ていない。

 けれど、改めて振り返ると、この部屋は幸せが詰まっていると清々しく思えた。

 

 入学式の時乗った船で駅まで行き、ゾロゾロと生徒たちが乗り込む。

「シャルル!こっちよ!」

 先に席を取ってくれたトレイシーと合流し、1年生が使うには広すぎるコンパートメントに乗り込んだ。パンジーが続き、マルフォイ、クラッブ、ゴイルとノットがやってくる。

 重たいキャリーケースは浮遊呪文なら簡単に持ち上げられただろうけれど、魔法は禁止されていたので、力持ちのクラッブとゴイルがみんなの分を荷物棚に持ち上げてくれた。

 お礼にクッキーを上げると2人は喜んで夢中で食べ始めた。マルフォイが顰めっ面で「どうせ零すんだからナプキンを敷けと何回も言ってるだろ」とブツブツ言うと、食べ終わってから「ああ」と頷いて敷き始めた。

「ダフネは?」

 トレイシーがキョロキョロと見回す。

「ダフネは違うコンパートメントよ」シャルルはクスクスした。結局ダフネはエリアス・ロジエールとのことを誰にも言わなかったようだ。

「ダフネってけっこういなくなるわよね?何してるのかしら?」

「さあ?」

 真顔のつもりでもどうしてもからかう気持ちが滲み出てしまうのか、パンジーがピンと来て頬をピンク色に染め上げた。

「もしかして──」

「詳しくは聞いてないの。どうなったかもね」

 トレイシーも分かったようで「うそお!」と叫ぶ。一気に華やいだ女子達とはうらはらに、マルフォイとノットは「なんなんだ?」「女子はどうでもいいことで騒ぐだろ」と興味が無い顔だ。

 

 ホグワーツ特急が動き始めた。

 見慣れた景色がどんどん離れ、山々を過ぎ、田園を過ぎていく。

 汽車が駅に近くなり始めると、マルフォイがシャルルを見た。

「この夏こそ、僕の家のパーティーに来るだろう?」

「ええ、マルフォイ。お父様が夏からはいいって仰ったわ」

 シャルルが嬉しそうに頷くとマルフォイも満足げだった。

「わたしの家にも遊びに来てね」

「とっても楽しみ!」

 トレイシーが置いていかれないように焦った様子で口を挟んだ。

「わたしの家はスチュアートの令嬢をお招きできるほど立派な家じゃないけど、でも……手紙を出すわ。いいかしら?」

「ええ、もちろん。良かったらダイアゴン横丁に遊びに行かない?お父様達がいいって言うかまだ分からないけど……。子供だけで外に遊びに行ったことってないの」

「それって素敵!絶対予定開けるわ」

 喜色の声を上げ、パンジーの顔をちらっと見上げた。

「邪魔するつもりはないけど、わたしも混じっても大丈夫?」

 顔色を窺われたことにパンジーは自尊心が擽られたようだった。トレイシーとまだそこまで仲が深まっていなかったのだ。けれどトレイシーはスリザリンを泳ぐのが上手い。パンジーの扱いを理解しているようだ。

「そうね。マリア・クロスで新作のチェックしなくちゃ」

 

 やがて汽車が止まり、懐かしの9と3/4番線に到着した。人が引くのを待ってゾロゾロと生徒たちが流れていく。

 コンパートメントに最後に残っていたのはノットだった。彼は緩慢な動作でノロノロ立ち上がった。

「どうしたの?行かないの?」

「ああ」

 目にかかりそうな長い前髪がサラリと流れた。

 彼に話しかけるのは少しだけ緊張した。闇の帝王についてあそこまで意見を言ったのは初めてだったから。闇の帝王に対する反感を言ってしまったのをシャルルは少し後悔してあた。

 もし死喰い人だった彼の父親に伝わったら……。

 

「あの、ノット……。この前の話なのだけれど」

「分かってる。僕はマルフォイと違って、父上に何でもかんでも全てを報告してるわけじゃない」

「そう、良かった。少し軽率すぎたと思ってたの」

「信用出来ないか?」

「えっ?」

 彼は肩を竦めた。

「君の考えにもっと触れてみたくなった」

 ノットは珍しく、小さく笑みを浮かべた。足元がふわっと浮かぶような喜びが湧き、シャルルは一瞬息を飲んだ。なんだろう、この感覚……。

 初めて人と繋がれたような。

 自分のスタンスが純血主義の中でも異様である自覚はあったから、それを否定せず、前向きな言葉を向けてくれたことがなんだかすごく、うれしい。

 思想で繋がるというのはこういうことなのかもしれない。

 

「行こう。もう人が少ない」

「ええ」

 前を歩くノットにシャルルは思わず言った。

「わたし、いちばん仲良くなれた男の子はあなただと思うわ」

「僕もだよ」

 その言葉が背中を押してくれた。シャルルは彼の横に並んできらきらと笑った。

「セオドールって呼んでもいい?」

「お好きに……シャルル」

 セオドールはフンと鼻で笑ったが、その声はとても穏やかで柔らかかった。

 

 

 汽車を降りると会いたかった家族が待っていた。

「シャルル!」

「お母様!」

 振り返って、手を振る。

「セオドール、それじゃまたね。手紙送るわ!」

 軽く手を上げて彼は人混みに混じって行った。シャルルは走ってアナスタシアの元に飛び込んだ。

「ただいま!お母様、お父様!」

 アナスタシアはずっと待ち望んでいた娘を細腕で力いっぱい抱き締め、2人ごとヨシュアがまた抱き締めた。

 アナスタシアの柔らかな感触と、ハーブのいい香りがすーっと胸に吹き抜ける。

 安心する匂い。大好きな匂い。

 わたし、帰ってきたんだわ。

 

「数えきれないくらい、話したいことがいーっぱいあるの」

 白肌を染めて、興奮を抑えきれないシャルルにアナスタシアとヨシュアがクスクスと笑った。

「おかえりなさい、愛しいシャルル」

「今すぐにでも聞きたいところだけど。まずは我が家に帰らないとな?」

 悪戯っぽい瞳でからかい、ヨシュアが恭しく腕を差し出した。

「お手をどうぞ、僕らの天使」

 シャルルは声を上げて笑い、ヨシュアとアナスタシアの腕にぎゅっと巻きついた。そしてその場から、3人の幸せな親子が消え去ったのだった。

 

 

 

*

 

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