Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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17 もうひとつの我が家

 2ヶ月の夏休みはあっという間に過ぎた。

 誕生日パーティーの後もダイアゴン横丁に遊びに行ったり、今年ホグワーツに入学する従姉妹のリディア・ダスティンにお祝いを言いに行ったり、マルフォイ家やパーキンソン家に招待を受けたり、宿題をして新学年の教科書を読み漁ったり……。

 シャルルは毎日ヨシュアに魔法の特訓を受けた。

 死喰い人だと思われるクィレルの話や、賢者の石が持ち込まれていたこと、痛い死に方をするとわざとらしく脅迫された禁じられた廊下、クィレルがマルフォイやセオドールに父親のことを脅したこと(その父親の中にヨシュアが含まれていたことはシャルルは黙っていた)。

 話を聞いた父親は憤懣やるかたない様子でダンブルドアやホグワーツの安全について怒り、ますますシャルル自身が力をつけなければならぬという結論に達していた。

 シャルルはただでさえ難しい立ち位置なのだから……。

 

 ハウスエルフを相手にいくつか高度な呪文を実践し、癒しの呪文と闇の魔術もいくつか教わった。ヨシュアは闇の魔術に対しての造詣はあまり深くないが、有用な呪文は実践を踏まえて活用していた。

「それから、シャルル。いくつかのクラブに入り貪欲に知識を得る姿勢は好ましい。しかしフリットウィックはデミヒューマンだ。近付きすぎないように」

「分かってるわ、お父様。ホグワーツの教授でマトモなのはほぼ居ないから。スネイプ教授くらいしか、人間性も含めてスリザリン生が信頼出来る方はいないもの」

「わかっているならいい。だが、セブルスも……」

 ヨシュアは目を逸らし、僅かに言い淀む。彼とは懇意だったはずなのに、なにか疑念があるらしい。自分の父親がシャルルの知らない様々な情報を握っていて、かつ、自分の知らない様々な後ろ暗いことを抱えているのは知っていたが、それらに気付かないふりをするのはウンザリする。

「大人は信用出来ないってことね。分かったわ、お父様」

 その大人には自分の父親も含まれていたが、それは気づかなかったようで、ヨシュアは満足げに頷いた。

「何かあれば私に手紙をすぐ寄越しなさい。学校ではセブルスは動いてくれると思うが、その情報の取捨選択もきちんとするように」

 ホグワーツは英国魔法界で最も安全な場所では無かったのだろうか。それともその安全はダンブルドア信者のみのものなのだろうか。

 あの忌々しいグリフィンドールのクソッタレのように無謀な冒険をしたいとは思わないし、危険からは距離を置いて利益を得るのが賢い人間の在り方だと思う。けれども今までのように物ごとに敢えて無関心でいるよりは、情報を集めることをもっと重要事項とした方がいいかもしれない。

 情報は知りすぎれば危険だが、扱い方で剣にも盾にも毒にもなる。

 

 ホグワーツに戻る日がやってきた。

 帰るのが嬉しい気持ちも、帰りたくない気持ちもある。痛みは消えていたが屈辱は消えていなかった。シャルルの心臓に硬質化された黒い呪詛の結晶は明確に形を持って残っていた。

 

「お姉様、また行ってしまうんだね」

 スカートをちょんとメロウが握る。この1年でちょっとだけおとなになったメロウは前みたいに駄々を捏ねなくなったけれど、そのかわりに甘ったれた声でモジモジかわゆく心を掴むのが上手になっていた。

 無自覚か計算か分からないが、シャルルその彼のかわゆいおねだりにちゃんときゅんとして、メロウを優しく抱き締めた。去年はワクワクで彼のさみしさにきちんと向き合う余裕がなかった分、今年は彼のおねだりがストレートに胸に刺さる。

「わたしがいない分、メロウがお母様を守ってさしあげてね」

「僕が?」

「そうよ。お母様はさみしがりで心配性だもの。来年からはメロウも離れてしまうから、今年その分いっぱい甘えて、守ってあげるの。できる?」

「うん…」

「お勉強もたくさんしなくちゃね」

「大丈夫だよ!僕、もうカンタンな魔法ならつかえるもの。姉様にもらったキットもたくさん使ってるよ、知ってるでしょ?」

 去年のクリスマスにプレゼントした魔法薬キットはちょっとユニークすぎる代物で、メロウはヨシュアに基礎を教わってから、今では何回も調合するようになっていた。シャルルと違い彼は気持ちの悪い材料を刻んだり潰したりするのが楽しい様子だった。魔法薬学が得意なのはアナスタシアに似ている。箒が得意なのはヨシュアに似ていた。

 金髪の髪の毛を優しく撫でる。

「そうね、頑張り屋さんな可愛いメロウ、お姉様の帰りをよいこで待っていてね」

「うん…」

 ぽしょぽしょ唇を尖らせて仕方なく頷く。

 

「今日もお留守番?」

「駅は穢れた血がたくさんいるんですもの…」

 眉を下げ、申し訳なさそうにアナスタシアが言った。出来るだけかわゆい我が子からは危険や汚いものから遠ざけたいのが親心なのだ。

 拗ねた顔でメロウはシャルルの胸に顔を預けた。

「行ってらっしゃい、お姉様」

「行ってくるわ」

 おでこにキスを落とし、ヨシュアとアナスタシアの手を取り、3人はスチュアート邸から姿をくらませた。

 

 キングス・クロス駅は魔法界のホームがいくつかあり、ホームへは直接姿現し出来ないよう魔法が掛けられている。ウンザリするマグルの群れを縫って、9と3/4番線をくぐる。

 赤い蒸気汽車が威厳的に3人を迎えた。

「煙突飛行を繋いでくれないかしら。毎回こんなんじゃ嫌になっちゃう」

 顔をしかめて体をパッパッと払う。マグルに触れたわけじゃないけれど、マグルがいる空気でなんとなく穢れた気がして。

「本当だわ。純粋な魔法族にわざわざマグルがいる場所を通らせるのって手間よ」

「昔からそういう話はあるけれどね」

 なかなか実現には至らないのが現状だ。

 プラットホームは大規模なイベントに合わせて臨時で作られることもあるので、その度にネットワークを繋いだり、暖炉を新設したり、マグル避けをしながら魔法族の不正も防ぐとなるとなかなか難しいのだ。

 

「……」

 シャルルは少し元気がないように見えた。無理もない。あんな仕打ちをされたんじゃ。

 自分のことのように、ヨシュアの胸にダンブルドアへの怒りがじくじく沸き上がる。僕らの頃とは大きく変わってしまった。

 純血家系への敬意と憧憬と尊重が、例のあの人のせいで恐怖と畏怖に塗り替えられ、彼の失墜と同時に純血家系まで反社会的な思想だと誤解を受けるようになった。

 校長も、昔より度を超えて贔屓が酷くなっている。権力と影響力が増したこと、英雄が魔法界入りしてグリフィンドールに選ばれたこと、年老いたこと……様々な要因が関係しているんだろう。

 行かせなくて良いなら行かせたくなかった。

 だが、いつまでも親の手元で雛のように守り続けることは誰のためにもならない。…

「シャルル」

 深く低い声にシャルルは顔を上げた。

「強くなるんだ」

「はい、お父様…」

「誰にも傷付けられないくらい強く、賢く、気高く。蛇のようになるんだよ」

 頷いて、父親の胸にぎゅっとしがみつく。

 母親が頭を撫でる。

 これはまるでさっきのメロウのようだった。さみしい時の甘え方が姉弟そっくりなのだ。

 シャルルは2人の温かさを感じながら、お父様もスネイプ教授も似たようなことを言うのね。と思った。誰にも揺らがないくらい、強く賢くなって、結果を出す。2人とも似たようなことを言っている。シャルルはそうなりたい。そうなりたいけれど、どこか胸に空っ風が吹くような気持ちになる。

 誰にも頼れないスリザリン。

 誰からも嫌われるスリザリン。

 それはなんて孤独でさみしいのだろ。本当はスリザリンは情が深くて、気高くて、賢くて、協調性と思いやりがあるのに。魔法界を築き、先導してきた誇り高い寮なのに。

 

 空いているコンパートメントを探していると、セドリック・ディゴリーが1人で乗っているのを見つけた。ドキッとして、どうしようかしらと悩む。

 前までのシャルルだったら迷わず「ひさしぶりね、ディゴリー。良い休暇は過ごせた?もし良かったら一緒に乗っても良いかしら」と話しかけていただろう。

 迷っていた。他寮生と関わる機会は少ない。これを逃すのはもったいない。でも……。

 ハッフルパフはスリザリンが負けてあんなに笑ったわ。

 そう思うと足が踏み出せず、指先でキャリーケースの銀蛇を弄び、結局モヤモヤを払うようにシャルルはツカツカ歩いた。

 

 監督生にほど近い広めの席でマルフォイ達が悠々と寛いでいるのを見つけ、シャルルはそこに混ぜてもらった。クラッブとゴイルはもう車内販売のお菓子をたらふく買い込んで食べまくっている。

 少ししてトレイシーとパンジーも参加するとコンパートメントが埋まってしまった。巨漢が2人も居ると少しきつい。1番最後に来たパンジーはマルフォイから1番遠い場所でシャルルが羨ましそうだったが、席を変わろうとすると、「わざわざ席替え?必要ないだろ」と彼が言うのでパンジーは残念そうに引き下がった。

 あからさまにしょげて少し拗ねている。トレイシーが必死にご機嫌取りするが、その結果はかんばしくない。

 

「ポッターは退学になったかな」

「そこまでバカじゃないんじゃない」

 本から視線を話さず返事をすると、マルフォイは「あいつはバカだろ」と不満そうに言った。たしかにバレる状況でルールを超えるのバカだ。

「まさかマグルの前で魔法を使うなんてねえ?」

「ホントよね。そのまま退学になっちゃえば良かったんだわ」

「そうすれば、赤ん坊の不思議な幸運じゃなく、奴自身が本当の伝説になっただろうよ」

 けたたましい笑い声の後に、は、は、は、と鈍い笑い声が続く。

 パンジーのしなだれかかるような媚びた声に彼はフンと鼻を鳴らし、機嫌よく腕を組んだ。彼女はマルフォイに答える時だけはどんなに機嫌が悪くても甘い響きを帯びる。マルフォイはいつも隣に全肯定してくれるパンジーがいるからか、シャルルの柔らかいのに素っ気なくてマイペースな対応に、やや慣れていないようだ。

 シャルルはクラッブとゴイルをまじまじと見た。今はまた黙って一心不乱にお菓子を口に詰め込む作業に邁進中だ。

 普段愚鈍であまり喋らなかったから分からなかったけれど、彼らはマルフォイが冗談を言うと必ず手を止めて反応する。意外にきちんと話を聞いているし、笑うタイミングも心得ているし、きちんと反応を示すくらいにはマルフォイへ従う自覚があるようだった。

 シャルルは彼らをかなり見直した。正直言って不当な評価を下していたと言わざるを得ない。

 

 

 ハリー・ポッターは休暇中、マグルの家で魔法を使い警告文が送られた。

 ヨシュアから聞き、たいそう驚いたものだ。そしてマグル生まれは魔法族でありながら、魔法を制限されてしまうと知り、同情心が湧き出てきた。

 本来なら魔法族の子供ももちろん魔法の使用は禁止だが、大人がいれば匂いは追えない。この決まりを守っている魔法族がどれだけいるだろうか。

 マルフォイ家でもこの話題が出て、彼は喜んで「ポッターが2回目の警告文を受け取るといいのに」とブツブツ言っていた。

 

「なあ、さっきから何読んでるんだ?」

「新学期が始まってもないのにもうガリ勉ちゃん?」

 トレイシーが脇をつんつんと突つく。肩を竦めて栞を挟みむ。本の表紙は黒革で、何かを染み込ませたかのように深く染まっている。厚みはなく、背表紙は何かの毛皮が使われていた。陽光が当たると、黒の中に深い赤が混じっているのが分かる。

「なんだ?教科書じゃないな」

「シャルルっていつも本読んでるわよね。飽きないの?」

 ヒョイと本を掴み、マルフォイとパンジーはパラパラ眺めるけれど、内容は字が細かくコチャコチャしていて読む気が起きなかった。たまにある挿絵は見たことも無い植物とか材料ばかりでウンザリする。

「魔法薬学の本?あなた、苦手じゃなかった?」

 呆れ声でパンジーが言うとシャルルはクスッと小さくえくぼを浮かべた。「苦手だけどこれは違うよ」

 するりとパンジーの手から本を抜き取り、大切そうに抱え直す。

「それにこれは飽きない学問なのよ」

 悪戯っぽく微笑むが、パンジーは興味が無さそうだ。

 

「パンジーも今年は去年みたいに遊んでいられないからね」

「どうしてよ?」

「わたしがあなたのスケジュールを組むから」

「はあっ?頼んでないわよ」

「夏休みの間に決めたの。必ず寮杯を奪い返すための、ちょっとした計画をね。クラッブとゴイルもよ」

 2人は呻き声を上げた。マルフォイは「本当かい?それはかなり助かるよ。この2人に言葉を教えるのはかなり難しい仕事だったんだ」と顔を輝かせた。

 

 会話を終えまた本を開くと、トレイシーがすごい目でそれを見ていた。涙袋がハッキリ浮かび上がり、下睫毛が震えている。

「わたし、シャルルに絶対逆らわないわ……」

「あら、あなたには分かるみたいね」

 この本が何か。

 

 これは闇の魔術の本だ。スチュアート家の書斎にある中からこっそり持ってきていた。ヨシュアはまだ早いと言って読ませてくれないけれど、シャルルは書斎の本はあらかた読み終えていた。難しくて理解出来ないのも多いけれど、これは比較的手頃な魔術が多い。

 ヨシュアもアナスタシアも闇の魔術には興味が無いようだけれど、シャルルはどんな知識でもどんどん吸収したいと思っている。

 

*

 

「ポッターがいない!あのしみったれたウィーズリーの落ちこぼれも!」

「泣き虫のグレンジャーしかいなかったわ!彼ら、退学になったに違いないわよ」

 汽車の中でいつものポッター弄りから帰ってきたマルフォイとパンジーが喚いていたのを聞き流していたが、どうやら彼らがいないというのは本当のことらしかった。

 しかも何やら不可解な噂が流れている。マグルの車で空を飛んできたとか、暴れ柳に突っ込んだとか……。組み分けを待つ大広間はその噂が爆発的な勢いで広がっていた。

 ロナルド・ウィーズリーの父親は魔法省でマグル製品不正使用取締局長を務め、さらにはバカげた「マグル保護法」なんてものを制定してくださった純血魔法族だ。その息子がわざわざ法を犯してホグワーツに英雄的ご帰還だなんて悪い冗談だとシャルルは取り合っていなかったが、トレイシーが回ってきた新聞を読んで「ウソでしょ!」と小声で叫んだ。

 

「なに?」

「これ!夕刊預言者新聞──空飛ぶフォードアングリア、訝るマグル──だって」

 うくくくっ、と背中を丸め、「噂はホントだったのね。学校に来るために退学になったら意味無いじゃない」とトレイシーが嘲笑う。

 記事によると車(移動用の鉄の塊)が空を飛んでいるのを7人ものマグルが目撃したという。魔法の存在が公になったなら、魔法省が黙ってはいない。

「警告文を受け取った後にもこんな冒険してくるとは、恐れ入るわね」

 ダフネはドン引きしている。「退学どころかアズカバン行きも有り得るじゃない」

 シャルルはつまらなそうに言った。

「退学にならないって分かってるからするんでしょ。魔法界の英雄、ダンブルドアの寵児、何をしても許されるハリー・ポッター」

 鼻を鳴らすと、周りがしんとなった。

 ダフネは口を「O」の字に開けたまま唖然とし、トレイシーやパンジーは目を剥き、マルフォイは固まって忙しなくまばたきをした。

「なに?」

 その反応の答えは分かっていたが、シャルルは不機嫌に言った。新学期早々、学期末の所業を彷彿とさせる事件を聞きたくなかった。

 

 マルフォイの顔にゆっくりと笑みが広がっていった。

「嬉しいよ、スチュアート。ポッターとお友達ごっこは辞めたのか?」

 彼の目を睨む。

「勘違いしないでよ。わたしは彼を嫌いになったわけじゃない。ただ、法律を超えても贔屓し続けるダンブルドアが嫌いなだけよ」

「それでもいいさ。何だか前より君を身近に感じるよ」

 にこやかなマルフォイにシャルルは肩を竦め、それっきり口を閉じた。シャルルが不機嫌なのは珍しい。

 

 組み分けの式が始まった。

 1年生がズラズラと雪崩込んで来て、夜空を掬って散りばめたような見事な天井や、数千もの蝋燭が荘厳として空中に並べられているのを、不安と畏怖と期待の表情で見上げている。

 各寮にきっちり分けられた先輩達をマジマジと見つめる小さな1年生達に、「可愛いわね」「私たちもああだったわ」「懐かしい」と2年生は顔をくっつけてヒソヒソ笑った。

 上級生からしたら彼らもまだまだちっちゃな雛だ。1年生を見て急に先輩意識が出てきた2年生を上級生が微笑ましく見ている。そしてそれを教師が微笑ましく見ている。

 

 帽子が歌い出した。少しずつ去年と違う。毎年帽子は新しい歌を考えるらしい。

 

「 グリフィンドールは信念の寮

  折れぬ曲がらぬ勇気の炎 燃やして我道を突き進む

 

  ハッフルパフは道徳の寮

  隣人愛する献身さ 倫理の守護者は我等なり

 

  レイブンクローは叡智の寮

  深遠目指して追究し 終わらぬ賢者の旅をする

 

  スリザリンは矜恃の寮

  同胞築いた歴史を誇り 常に研鑽励みせし 」

 

 歌が終わると新1年生がガクガク震えながら帽子を被り、次々流されていく。「ハッフルパフ!」「グリフィンドール!」「ハッフルパフ!」「ハッフルパフ!」今年はハッフルパフが多いらしい。例年のことだけれども。

「ハーパー・バーナード!」「スリザリン!」

 茶髪の不遜な顔つきの少年が緑のローブに組み分けされ、歓迎の拍手が響く。

「ダスティン・リディア!」

 従姉妹のリディアが呼ばれた。彼女は緊張に体を固くして、目をキョロキョロさせながら恐る恐る帽子を被った。数秒ののち、帽子が高らかに叫ぶ。

「レイブンクロー!」

 リディアは明らかにホッと喜びを浮かべ、青いローブの中に飲み込まれていった。彼女に後でお祝いを言わないと。どうせ嫌な顔をされるだろうけど、シャルルは彼女が嫌いではない。

 

 スリザリンは野望や狡猾さが前面に出されるが、今年の歌は矜恃、同胞愛、ゆえに誇り高く努力家な美点を歌ってくれて、シャルルは嬉しくなった。スリザリンは輝かしい場所なのだ。

 教授席にはスネイプはいなかった。ヒソヒソ声が飛び交っている。DADAの教授に今年もなれなかったからお怒りで……ご病気で……ポッター達を捕まえて退学にしている……。

 途中でダンブルドアと現れたセブルス・スネイプは誰かを殺し損ねて飢えたような血走った目をしていた。ダンブルドアが立ち上がって気が狂ったユーモア溢れるご高説を垂れてくださり、それを睨みつけながら聞いた。「長々とは話すまい……さーて、かっ喰らえ!」

 

 シャルルは上品に無機質な笑顔を浮かべながら、無機質に食事を味に運んだ。新学期の初めだというのに全く機嫌が浮上しない。自分でも戸惑っていた。他人に対してイライラしすぎたり、自分の感情を持て余すことなど数える程しかなかったのに。

 未熟な自分が恥ずかしい。でもこの怒りと鬱屈は正当だ。もやもや抱えてご飯をちょっと食べ、むっつりした気分で寮に戻る。冷たい石壁はキンと何もかも弾くように薄暗く、馴染みの地下牢は心を僅かに落ち着かせる。

 新しい合言葉は「栄光」。

 1年生に監督生達が指導する間、シャルルは同学年に伝言を回した。談話室に残ってくださいと。バラバラ生徒たちが自分の部屋に戻り始め、やがて寮は数人と2年生ばかりになった。

 

「どうしたんだ?」

 マルフォイが疑問を口にした。たいてい、彼がみんなを代表して口火を切る。数多の視線がシャルルに刺さった。シャルルは穏やかに微笑んだ。

「これから週に3回、勉強会を開くわ。2年生は全員参加で、成績上位者は他の生徒に教え合うの」

「えっ?」

 虚をつかれて黙り、それぞれ不平を口にし、不満げな顔をし、ざわめきが広がる。

「どうして?私成績は保っているから必要ないわ」

「自習は自分のペースでやりたい」

「いくらスチュアートだからって横暴だよ」

「わたしは参加しないから」

 ピヨピヨピヨピヨとまあ元気なものだ。シャルルはゆっくりひとりひとりの顔を見て、ニコ…と穏やかに微笑んだ。

「黙りなさい」

 穏やかで柔らかい声に部屋の空気が5度下がる。ピタッと声がやんだ。ダフネが「うわ……」と呟いた。氷のようにカッチリと微笑みで固定され、一切動かない能面の表情。「ああなったシャルルには従っておいた方が身のためよ」

 

「ようやく静かになったわね。それで、何か異論がある人は?」

 1人の愚者(あるいは勇敢な生徒)が口を開きかけた。

「あの…」

「何か、異論が、ある人は?」

「いえ…」

 

 暖炉の炎が燃える音だけが背後にある。今や談話室に他学年の生徒は誰もいない。

 シャルルは生徒たちの前をゆっくりと歩いた。

「これから月曜、水曜、土曜の夜には勉強会をします。各科目数人から教師役を選んで、生徒の質問に答えたり、課題を手伝ったり、予習復習を行います。また、勉強会だけでなく普段の生活から日常的に教え合って成績の向上を目指します。授業でのペアもランダムにして、寮生の結束を高めます」

 誰も口を聞かない。

 口答えが許されない冷たく穏やかな微笑み。

 魔法薬学の教室はいつもこんな雰囲気に満たされている。恐怖ではない。ただ、愚かしいことをしてはならぬと睨まれて背筋が伸びるような。微笑みは威厳そのものだった。

「監督生にも話を通して、全学年がそれぞれ自助努力にいっそう励むことになってるの。それも全て寮杯を取り戻すため。いい?」

 微笑みに酷薄な色が浮かび、ギラッとシャルルの目が光った。能面の微笑みにぬらぬらとした怒りが混じる。

「去年のように理不尽に200点も300点も加点されることがあるかもしれない。わたし達は、あの権力に溺れた老耄に対抗する準備が必要なの!何をされても揺らがない結果を叩き出すのよ!」

 

 シャルルは完全に恨みを腹の底に飼っていた。燻る怒りと恨みをこういう形で昇華させたのだった。

 呆気に取られ、ゴクッと唾を飲み込む音すら響く沈黙を断ち切ったのは、やはりドラコ・マルフォイだ。

「すごい変わり様じゃないか、スチュアート」

 光のない目で微笑まれて、マルフォイは肩を竦めた。

「異論はない。スリザリンが屈辱を受けたのは記憶に新しい。備えるのは良い計画だと思う」

 それから小声で「窮屈すぎるけどな」と呟いたが、シャルルはそれを無視した。

「セオドール、協力してくれる?」

 影のように気配を消していた彼は、名前を呼ばれ黒々とした瞳をゆっくりと瞬きした。少し沈黙して、視線を反らして頷く。イエス以外の返答を許していないくせに、わざわざ答えさせるのが少し不愉快だ。

「パンジーは?」

「面倒だけど……いいわ」

「ダフネは?」

「決定事項なんでしょう?それに、もう負けたくないものね」

 スリザリン2年生のリーダーはシャルルとこの3人だ。4人が決めたことなら、他の生徒が異を唱える余地はない。違う派閥のリーダーであるブレーズ・ザビニに顔を向ける。

「ザビニもいいかしら?」

 彼は癖毛をくるくると弄んで、「どうでもいいけど、君の頼みだからね」と冷たく笑った。

 そこでようやくシャルルは、氷が溶け、ニコ、とかわゆく花が綻ぶ笑みを浮かべた。

「ありがとうみんな。今年こそ勝利を掴みましょうね」

 まったく、スリザリンの女はこういう女ばかりだった。我を通すくせに、まるでそれが「ちょっとした可愛いワガママ」だという顔をして見せるのだ。

 

 

 部屋に戻るとシャルルは無言で本棚に教科書を並べ始めた。作り物の笑顔は失われ、無表情だった。不機嫌そうではないがパンジーは話しかけづらくて、「さ、先にお風呂入るわね」と小さく言った。

「ウン」

 彼女の背中は丸っこくて、声も丸っこくて、声はさっきより明るいトーンだった。パンジーはホッとしてバスルームに向かう。

 この前まで不遜だったのに、シャルルがちょっと不機嫌になったらこれだもの。シャルルはそっちの方がずっと釈然としない。

 フラフラ重たそうにキャリーケースを持ち上げてターニャ・レイジーも荷解きを始めた。

「帰って来れた…………」

 レイジーは迷子の子供が親に会えたときみたいな、喉を絞るような小さな声で呟き、ベッドに飛び込んだ。体の中心から染み出た安堵の声だった。この様子には少し気を引かれたが、シャルルは黙々と教科書を並べた。

 2年の教科書は参考書なども増え、さらに闇の魔術に対する防衛術の教科書が7冊もあるものだからかなり嵩張る。7冊全てがギルデロイ・ロックハート著であり、今年の防衛術の教師は彼らしい。自分の著作を全て買わせるとはどれだけナルシストなのか。内容はかなり面白かった。手を止めることなく読み進められた。読み物としてはかなりクオリティが高い。お金を出して買う価値がある。でも教科書として参考になるかと言われれば首を傾げざるを得ない。

 DADAの教師は毎年変わっているから今年も期待はしていなかった。

 透明人間はそうそうに着替えて、霞のように物音を立てず眠りについたようだった。シャワーの順番はいちばん最後で、大抵深夜か早朝に使わされるのが日常だから、今日はさっさと寝たのだろう。

 

 シャルルは目を揉んだ。

 少し疲れた。新学期初日だというのに心が乱れてしまった。どうしてこんなにままならないのだろう。

 本来わたしは、こんなに機嫌がわるいほうじゃないのに。

 怒るのは疲れる。不機嫌でいるのは疲れる。

 早く前みたいなニコニコかわゆいご機嫌なシャルル・スチュアートに戻りたかった。

 

 荷物を片し終えた頃、頭をふきふきパンジーが出てきた。前は服に着られているほど大きかったピンクの大人っぽいネグリジェは、今はそこまででもなく、少し大きい程度で収まっている。

 レイジーが「ヴェンタス」と呟き温風を出し、乾かしながらヘアオイルを浸透させていく。乾燥呪文は一気に水分を取ってしまうから髪を傷めてしまうのだ。

 ドレッサーの前で肌の保湿を熱心にしながら、パンジーが「シャルル、大丈夫?」と心配そうに言った。

「思ってたより余裕なく見えるわよ」

「ウン……」

「夏休みはもっとのびのびしてたのに」

「ホグワーツに来たら嫌でも思い出しちゃうから」

「あなたがそんなに引きずるなんて思ってなかったな」

 パンジーは立ち上がってベッドに座り、シャルルにギュッと抱きついた。

「でもこう言ったらなんだけど、少し嬉しいのよね。シャルルがスリザリンのために、こんなに怒ってくれたことが」

 彼女はいつもどこか自分たちと違う立ち位置に立っているように感じていた。スリザリンらしいスリザリン生だけれど、シャルルは純血を尊重しているだけで、スリザリンが大切なわけじゃないんじゃないかって……。

 だからパンジーはドラコの「スリザリンへの裏切り」という言葉に、たしかに、と思ってしまったのだ。

 学期末の出来事はスリザリンに大きな傷を残したが、少なくともシャルルの強い同族意識を感じられただけでもパンジーは嬉しかった。

 

「信用ないのね。わたしは最初からスリザリンが好きだったわ」

 その声はちょっと固く、拗ねているように聞こえた。シャルルの上唇がムッと突き出ている。それが可愛くてパンジーはアハアハ笑った。

「やだあ。可愛げあるじゃない。最初から分かってるわよ」

「……。帽子がね」

「え?」

「帽子がね、言ったの。わたしはレイブンクローでもグリフィンドールでも上手くやるって。得難い経験をするって。わたしもう少しでグリフィンドールに入れられそうだった」

「はあっ?」

 目と口をパカッとして、閉じて、オロオロしてシャルルの肩を掴んだ。すごい慌てように少し笑う。

「じゅ、純血主義なのに?」

「そう、純血主義なのに。でもわたし言ったわ。グリフィンドールに入るなんてありえないって。スリザリンにしてって。わたし、自分でここを選んだのよ。この寮が好きだから」

 シャルルは凪いだ海のような瞳をしていた。薄暗い部屋の中でうっすらと光を放つような真っ白な肌が、横顔の曲線の完璧な美を醸し出している。

 なんだかドキドキしてしまって、つっかえるようにパンジーはひっそり言った。

「そ、んなに好きだったのね」

 シャルルは膝に頭を乗せて、背中を丸め、パンジーを溶けた蜂蜜みたいな目で見上げた。髪が一筋ハラリと滑り落ちる。

「ん……好きだよ」

 カーッと血が上り、まるで自分が告白された気分になる。パンジーは真っ赤になって、しどろもどろに何度も頷いた。ずるいわ。こういうところがずるいのよ。心臓に汗をかきながら思った。…

 

 

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