Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜 作:しらなぎ
朝食の際は愉快なことがあった。
ベーコンエッグとホットミルクをちょびちょび食べていると、クルクルクルと声が響いて梟が飛んでくる。昨日送ったウィーズリー氏の処遇についての質問の答えがヨシュアから届いたんだろう。
手紙を受け取って読み始める前に大広間に爆音が響いた。
耳を聾するような爆裂音は、壁や天井にぶつかって反響し、パラパラと埃が落ちてくるほどだった。
耳を抑えながら振り返る。赤のローブの席かららしい。
「……車を盗み出すなんて、退校処分になってもあたりまえです。首を洗って待ってらっしゃい……」
脳みそまで揺れるこの轟き声。吠えメールだ。ロナルド・ウィーズリーとたしかに吠えメールは叫んだ。彼の母親が事件を知って寄越したんだろう。
スリザリン席はクスクス笑いからやがて嘲笑、そして哄笑に変わっていった。ハ、ハ、ハ、と吠えメールに負けない笑い声が響く。
シャルルも思わず声を上げて笑ってしまった。
前までなら笑わず、あらあらと、可哀想にさえ思っただろう。慰めに手紙を送ろうかしらとも思っただろう。
でもどうにもこうにも、まだそんな親切な気持ちになれやしない。
どうしてかしらと、前はここまで擦れていなかったし、執着心もなかったのに。笑いながら考えて、ポロッ、と答えが落ちてきた。
わたし、スリザリンを好きになりすぎてしまったのね。
毎日おなじ時間を、同じ枠の中で、同じ思想を分かち合う。寮生は度々「家族」と称される。その意味を本当にわかった気がする。濃密な時間を過ごす同じ色のローブの仲間を、いつの間にか、思想を超えて好きになってしまったのだ。
シャルルのように、大事な人が家族以外にほぼなかったならなおさら。
スリザリンの美徳は同胞愛。誠の友を得ると謳われるように情の深い人間が集まる。シャルルにもその性質が備わっている。
これはマッタク恐ろしいことであった。
自分の所属する寮や仲間を愛するほど、他寮への偏見や対抗心が生まれ、傷付けられた時はことさら閉鎖的になる。
忌み嫌う寮差別の思考を、シャルルはナチュラルにしてしまっていた。
自分が愛するものを守ったり、勝ちたいと願ったり、傷つけられまいと立ち上がったり、だからダンブルドアにこんなに怒っている。
困ってしまう。
どうしたら、スリザリンを愛したまま、身内に向けられる他人の敵意を許せるようになるかしら。…
実に難題な課題が浮上してしまったのであった。
1限目は魔法史だった。幽霊のビンズ教授が一本調子にブーーンブーーンと語ってるだけの退屈な授業。生徒の半数は寝るし、それ以外は自習か内職をしている。ビンズはずっと教科書に目を落としていて、何回か顔を上げて機械的に数点減点してはまたブーーンブーーンとまったく変わらない口調で話し続ける。
誰も話を聞かないのに生前から慣れ切っている。
この時間を使ってシャルルは勉強計画を立てていた。今日は月曜だから夜に第1回目の勉強会を行う予定だった。その教授役を考える。
2、3人を選んで、まず今日の授業の復習をして質問を集め、それを解消しながら課題を終わらせよう。成績上位の負担が大きくなってしまうけれど、教えるのは自分の知識を固めるのに役立つ。メロウやパンジーに教えているからそう思う。
純血以外に一切興味のなかったシャルルだが、同学年の名前と、大体の成績は把握していた。
呪文学はシャルル・スチュアート、セオドール・ノット、カイ・エントウィッスル。
変身術はセオドール・ノット、ヴィオラ・リッチモンド、イル・テローゼ。
魔法薬学はドラコ・マルフォイ、アラン・トラヴァース、ヴィオラ・リッチモンド。
薬草学はシャルル・スチュアート、ダフネ・グリーングラス、ヘスティア・カロー。
魔法史はアラン・トラヴァース、カイ・エントウィッスル、セオドール・ノット。
DADAはシャルル・スチュアート、ドラコ・マルフォイ、エゴン・フォスター。
天文学はサリーアン・パークス、ブレーズ・ザビニ、フローラ・カロー。
こんなものかしら。
シャルルはペンを置いて羊皮紙をまじまじと見た。シャルルはともかく、セオドールの負担が大きすぎるかもしれない。でも彼はシャルルよりも成績優秀だ。彼の助けは必要だった。
スリザリンの成績上位者は、シャルル、セオドール、マルフォイ、アラン・トラヴァース、カイ・エントウィッスル、ヴィオラ・リッチモンドが占めている。テローゼとザビニも悪くない。カロー姉妹は頭は良いけれどスリザリンの中でも明らかに協調性に欠けすぎている。
あとはそれぞれの得意科目を教授役に抜擢して補佐し合う人を選んだつもりだ。人を使うというのは酷く難しいわね、とため息が零れる。
自分のことだけ考えればよかった昨年はとても楽だった。
最初は反発や衝突も大きいだろうけど、それをどう消化させていくのかも考えていかなければならない。想像しただけでウンザリしてしまう。
わたしはリーダーには向いて無さそうね。
シャルルは苦笑をこぼした。早急にマルフォイを巻き込んでしまうのがいいだろう。彼は人をコントロールすることに積極的だ。シャルルやセオドールとは違う。
パンジーの首が折れたように傾いた。一瞬ビクリとして、また船を漕ぐ。
授業が終わるとパンジーを揺り起こし、次の教室に向かった。呪文学の教室は4階にある。ホグワーツの階段は難解で冒険家的であり、知的であり、予定調和を嫌う。気まぐれで好奇心旺盛。つまりすこぶる厄介ということだ。
足を引っ掛けたり、突然足を飲み込んだり、踏むとワープしたりする階段の位置はもう暗記したけれど、それ以外にも引っ掛け扉やら仕掛け扉やら悪戯好き噂話好き嘘好きの面倒な絵画たちが集まっている。
生徒たちはそれぞれに近道やお得な情報を握っていた。
自分で発見したり、寮で受け継がれる秘密などがある。たとえば、ハッフルパフでは厨房の場所と入り方がひっそり教えてもらえるように。
「ハアイ、ジェシカ」
紫の髪の女が振り返る。「ハアイ、ちっちゃな蛇さんたち」絵画の中で陽気に手を振る豊満な彼女の顔はクッキリとした舞台メイクが施されている。瞳孔が開き、目の下には巨大なクマがある。
「今日はとってもいいお天気ね」
「ええ、ほんとに」
「空から可愛いカエルちゃんが降ってくるんだもの。今日はステキにお散歩するのがいいと思うわ。踊り食いがオススメの食べ方よ。逆立ちしてスキップしたら空だって飛べちゃうわ」
「ワーオ、とっても最高ね。あんたの頭」
パンジーは辛辣に言った。
絵画の背景は真っ黒に塗りつぶされており、たまに隅っこで限りなく背景に透過する黒のロープが揺れている。違法魔法薬(ドラッグ・ポーション)をキメて発狂した女優の絵だと教えられていた。
女性はまだ何かをベラベラ喋っていたが、パンジーが辟易した顔で遮る。「207号室」
変化は劇的だった。それを聞いた女性はザッと青ざめ、しとどに涙を零しながら劈くように叫び声を上げ、号泣し、背後にあるロープで首を吊った。そして闇に塗りつぶされ、それはただの黒い絵になった。目を凝らせば黒く大きな何かが宙でゆらゆらしているのが見える。
「静かになったわね」
パンジーは嘲笑って、黒い絵に手を触れた。すると、スッ、と絵に飲み込まれる。手が、腕が、体が、やがて全て飲み込まれて、その場から彼女が消える。
シャルルも絵の中に飛び込んだ。
透明な水の中を潜る感触……一瞬ののち目を開けると、4階の空き教室の絵画の前に立っていた。パンジーが制服を払いながら、「さ、行きましょ」と進み出す。
ここにも黒い絵画があった。あの女性の住処だ。2つの絵を行き来していて、あの女性が自殺しないと通り抜けられないのである。
「207号室」は病棟の部屋番号らしい。
他の寮生はあれをちょっと陽気でちょっと頭のおかしいオバサンとしか思っていないだろう。不気味だなくらいには思っているかもしれないが、薬漬けになって死んだのは知るまい。
スリザリンに伝わるのはこういう不気味な噂にまつわるものが多い。不気味だとか悪っぽいことは何歳になってもロマンなのだ。
呪文学で最初に習ったのは「エンゴージオ」だった。
ホグワーツのハロウィンではこの肥大呪文が掛けられたパンプキンが至るところに置かれている。
「ではこの呪文について説明してくれる方はいますか?」
シャルルはピンッ!と手のひらを天井に直立させた。
クラスメイトの視線が突き刺さる。普段実技で点を取る彼女は、積極的に発言することは少ない。誰も手を上げない時、少し待ってから答えるタイプだった。
でも今年からのシャルルは違う。
フリットウィックは背伸びするようにして指示棒でシャルルを指した。
「エンゴージオ、通称肥大呪文。名前の通り対象を肥大化させ、spellに分類されます」
「素晴らしい!魔法分類まで理解した良い回答です。スリザリンに5点!」
フリットウィックはニッコリして、教室を見回す。
彼はそれぞれに小さなカボチャを配った。
「来月はハロウィーンですからね。肥らせたり、この後習う縮ませ呪文を使ったりして、来月末までに自分だけのランタンを作って教室に飾りましょう」
白けた雰囲気が流れた。
グリフィンドールやハッフルパフなら楽しんだかもしれないが、スリザリンにこういうことを無邪気に楽しむ子供はいない。半眼や半笑いで視線を交わし合う。
2年生の単元はすでに去年とこの春休みでマスターしていたので、実技もすぐに成功させて5点の加点をもらった。マルフォイも同じなのだろう、すぐに続き、退屈そうに杖を回している。
「先生」シャルルが手を上げる。
「なんですか、ミス・スチュアート?」
「まだ成功出来ていない生徒のお手伝いをしてもよろしいですか?」
フリットウィックは目をくりくりっとさせ、口髭が笑みの形を象った。
「もちろんです。素敵な提案ですね。好きに動いてもらってかまいませんよ」
シャルルは愛嬌のある笑顔を振りまいて、人好きのするわざとらしく弾んだ声を出した。
「ありがとうございます、教授!さあ、やりましょうマルフォイ」
「えっ?」
彼は素っ頓狂な声を出して、すぐに不審な顔になった。「僕は忙しいんだ、クラッブとゴイルが──」
「わたし達は協力しなくちゃいけないの。さ、手伝って」
マルフォイはブツブツ呟いていたが、やがて諦めて面倒くさそうに立ち上がった。
友達と教え合う。これは大人に大変受けが良い。スリザリンは呪文学だけで50点稼いだ。手間取る生徒の隣に座り、あと少しで出来そうならアドバイスして、もう何が分からないのかすら分からない生徒にはフリットウィックをつかせる。知らん振りを決め込もうとしたセオドールも無理やり動かし、途中で成功したカイ・エントウィッスルも加わる。彼は半純血なのでマルフォイやセオドールが避ける純血以外の子に教えてやった。
これは実に授業効率が良かった。フリットウィックは問題児や苦手な生徒を重点的に見ることが出来るから、いつもより数段成功率が高くなった。
「今日の授業は大変素晴らしいものでした……スリザリンに30点を差し上げましょう!」
その頃にはみんな、シャルルがやりたいことを分かり始めていた。
「午後はなんだったかしら?」
「変身術」
「ああ、マクゴナガル。今日からどっさり課題出されちゃうかしらね」
「出されない理由がないわ。でも大丈夫よ。みんなでやるんだもの」
「あー……今日からだっけ。あなたも物好きよね」
シャルルとダフネは中庭を突っ切って歩いていた。前方にワジャワジャ色んなローブの集団が道を塞いでいた。真ん中の誰かを囲むように円状に集まっている。
「邪魔ね……」
ダフネは眉を下げた。彼女の淡い金髪の髪は森の乙女のように風にふわふわとそよぎ、瞳のグリーンは若葉のようだ。顔立ちは穏やかであどけない。人当たりは柔和で物静か。だからダフネはよく「優しい」「人畜無害」だと誤解を受けることがあるが、彼女は攻撃的でないだけで他人にシビアだ。
特にこういう自分の邪魔をされるようなことは嫌いなので、顔はふわふわしていても、声にはイラッ…と湧く気持ちが少し混じっていた。
「なんで集まってるんだろ?」
爪先立ちすると、いつものヒーロー、ハリー・ポッターがいた。「ああ……」そしてドラコ・マルフォイも。
「今度ちょっとでも規則を破ってごらん──」
わざとらしく甲高い声を出して、マルフォイが身振り手振りつけた。スリザリン生がドッと笑いにつつまれる。パンジーの笑い声はいちばん分かりやすい。
ダフネとシャルルも「ンフッ」「プクク」とつつきあった。状況は分からないけど、吠えメールは一生モノのネタだろう。全校生徒の前でママからお叱りなんてなかなかある事じゃない。
ロン・ウィーズリーはあれからからかわれて笑いものにされているし、双子の兄が「ロニー坊や♪」と節をつけて歌うので、そのあだ名が爆発的に広がっていた。
ママちゃんに怒られたロニー坊や。スリザリンが今いちばん沸いているネタだ。
観衆が少しさざめいた。
向こう側から明るいトルコブルーのローブをはためかせて、演劇的な仕草で髪をかきあげる。
「サイン入りの写真を配っているのは誰かな?」
サイン入りの写真?
生徒がサッと道を開け、ロックハートはポッターの肩にフランクに掴んで、つくりものみたいに綺麗な白い歯を輝かせた。
「聞くまでも無かった!ハリー、また逢ったね!」
ポッターの反応は劇的だった──燃え上がるように激しく赤面し、腐敗した何かを口に詰め込まれたように顔を歪めながら身を捩ったが、ロックハートはますます強くポッターを抱きかかえた。一目散に逃げ去りたいと全身で訴えている。彼は何度か痙攣し、拳を握りしめた。
ロックハートは彼と並んで写真を撮らせ始めた。
スルリと生徒に紛れ込んでマルフォイ達が抜けてシャルル達と合流し、教室に向かう。マルフォイは意地悪く唇を釣り上げていた。
「まったく、大した人気者じゃないか」
ポッターには新しい熱烈なファンが出来たらしい。サイン入りの写真を撮りたいと乞われていたという。面白くて仕方ない様子だが、その人気ぶりは気に食わないのだろう。マルフォイのポッターへの執拗さはますます熱が入っている。
「ダイアゴン横丁を歩けば新聞の一面を飾り、ホグワーツでは追っかけを引っさげて、随分と孤児が大きな顔をする」
「いずれ何でも記事にされるようになるわ。ポッターがトイレに行った!授業に参加した!ポッターが恋人に選んだのは醜い穢れた血のグレンジャー!」
「あるいは血を裏切る赤ら顔のウィーズリー・ガール」
不快そうにマルフォイが鼻を鳴らす。
「警告文を受け取ったことや、車に乗ってホグワーツに襲撃をかけたことが新聞に載ればいいのに」
シャルルはさすがに彼が哀れに思えた。
振り返るとポッターはロックハートに引き摺られながら反対方向に歩いていく背中が見えた。ロックハートに気に入られているようだ。有名人と有名人は惹き合うのかしら。少なくともポッターはロックハートを好きじゃないように見える。
変身術の教室に入り、前から2番目の教壇がよく見える位置に座る。ダフネは後ろの方に行き、少ししてセオドールが教室に入ってきた。目が合うと彼はシャルルの隣に座った。
ローブをはらって優雅に足を組み、椅子に寄りかかる。
「どうするつもりなんだ?」
セオドールが横目でシャルルを見た。
「勉強会?」
「そう」
「とりあえずは今日の科目の復習とか、課題かしら」
「なんで僕が他人の世話なんてしなきゃならないんだ……」
眉をひそめてブツブツ言った。不満がありありと表情に浮かんでいる。シャルルは申し訳なさそうな顔を作って笑った。でも不平を直接言ってくるんなら、なんだかんだ彼は協力してくれる。
本当に嫌なことならセオドールは無言で離れていく人間だった。
「どうせ僕は無能に教えさせられるんだろ」
「分かる?あなたは呪文学、変身術、魔法史をお願いしようかと思って」
「……。多いな」
「優秀なんだもの。わたしも3科目担当するのよ」
「僕らは他人のために結果を出したわけじゃないのにな」
セオドールは意外にもシャルルにも同情的なようだった。これはシャルルのワガママと言われても仕方ないことなのに。目をパチパチしていると「スリザリンにとっては必要なことだ」と言った。
「理解してくれてうれしい。今日の呪文も完璧な結果を期待してるわね、学年次席さん?」
「よく言うよ。大して変わらないだろ」
うふふ、とシャルルは手を口に当てた。顎を上げるセオドールの不満そうな視線に見下ろされる。
マクゴナガルが入ると教室は静まり返った。スネイプとはまた別の、静謐な空間を作ることに長けている教授だった。彼女はひとりひとりの顔を見て、厳格な表情でコホンと咳をした。
「本日の授業では去年の復習から始めていくことになります。変身術の中で最も基礎的であり、最も重要な呪文……皆さんは当然覚えていますね?」
去年のクラスならここで曖昧に呻くだけで授業は進行されたが、シャルルはまたピンと手を上げた。マクゴナガルが片眉を上げる。セオドールがチラッとシャルルを見た。
「どうぞ、ミス・スチュアート」
「呪文は『フェラベルト』、変化せよという意味を持つ古語で、対象を違う物体に変身させます」
「え、ええ。その通りです」
マクゴナガルはゆっくり瞬きをして厳格に頷いた。常に張りつめた糸のような喋り方が緩んでいる。面食らっているのだろう。スリザリンでのクラス……どころか、どのクラスでもたわいない問いに対して真摯に回答する積極的な生徒は、同級生ではハーマイオニー・グレンジャーしかいない。
シャルルが点を取る事に前向きになったことを事前に知っていた同級生たちも、やや呆気に取られて彼女を見つめた。
少し考えた末、マクゴナガルが面白がるように質問を重ねた。
「では、この呪文が最も基礎的である理由が分かる人はいますか?」
また手を挙げたのはシャルル・スチュアートだった。彼女はハキハキと「この呪文は単純ながら、命ある存在を命なき物体に、またその反対も行うことが出来るからです。ものの性質を変容させるspellの全てに通ずる呪文であり、繊細な魔力操作と論理への理解が必要になります」と答えた。
「素晴らしい回答に3点を差し上げましょう」
シャルルは微笑んで、くるりと首を回した。生徒たちの顔を見つめるためである。圧力をかけられた生徒たちはギクリとしたり、肩を竦めたりした。
セオドールがコガネムシ2匹を銀ボタンに変えた頃、シャルルは呪文学の時のように、他の生徒に教えても良いか尋ね許可を取った。そしてセオドールの顔を見る。彼はそれに気付かないフリをして動き回るコガネムシに杖を掲げた。
ムッ。
逃げられないのは分かっているのに、のらりくらりと他人事ぶろうとするセオドールに、シャルルは口を尖らせてから、ぴと、と杖を持つ彼の手にてのひらを乗せた。彼の手は筋張って、指の付け根がゴツゴツと浮き出ていた。
やっと顔を上げ、ニコニコピカピカ笑うシャルルを見てセオドールは溜息をつき、ノロノロと立ち上がった。
「ありがとう」
はにかむシャルルから顔をそむけ、セオドールは楽そうな生徒を探した。折れざるを得ないのが多少不愉快だった。気にした様子もなくシャルルは混血のレイジーの傍に寄って、近くの半純血達にも口を出し始めた。
今まで見向きもされていなかったシャルルにあれこれ話しかけられるのが居心地悪いらしく、モゾモゾ恐縮している。
マルフォイはゴイルとクラッブとパンジーを抱えて手一杯だ。休みの間でいくらか蓄えた知識は全て塵として崩れ、巨漢たちは呻きながら何回かコガネムシを潰した。
純血以外と関わりたくないセオドールだったが、男子の純血はある程度自力で成功出来る。ダフネがちょいちょいと呼んで、女子の中で少々居心地の悪い思いをしながらセオドールは教えた。
スリザリンの女子は自我が肥大化している上に尊重されることを当然のように求めてくるため、セオドールは自分が影で気が利かないだとか素っ気ないだとか退屈だとか言われているのを知っていた。
アラン・トラヴァースはシレッと呪文を成功させて自分の近くの生徒だけにたまににこやかに口を挟み、シャルルにニコニコされているのだから要領が良いものだ。
「何が分からないの?」
「……」
責めたつもりはなかったが、レイジーはジッ。と固まって俯いた。「すみません…」
「あ。ちがうの。えーと、疑問はある?」
「……」
ダクッと汗をかいて石になったレイジーにシャルルは困り果てた。そんなに怖いかしら。メロウに教えるときと態度を変えたつもりはなかったが、レイジーも、そばにいるサリーアン・パークスも落ち着かなそうだった。
ハイカーストのシャルルには分からないが、卑屈な立場に押しやられている人間は突然かまわれたり、何かを問われると自然と萎縮して逃げたくなるものなのである。そんな経験がないのでシャルルには分からない。特にレイジーは命令を聞くことはあれど、自分がなにかされる側になるのは初めてなのでジトジトとプレッシャーに苛まれていた。
「…。えっと。とりあえずやってみてくれる?」
「は、はい」
レイジーは固い顔で手を揉んだ。杖を神経質に振る。「フェ……フェラベルト」コガネムシは元気に動き回った。
「どんなボタンを想像したの?細部まで精密に思い浮かべている?」
「パジャマのボタンを……」
レイジーはマグルで買ったボタンがたくさん着いているパジャマで寝ていた。毎日着ているものだからボタンは精密に想像出来ているだろう。シャルルはさらに問いかけた。
「コガネムシの羽がピッチリ閉じて、背中が固くなって、足が丸くなって……ボタンに変化する流れをきちんと思い浮かべてる?」
レイジーは困った顔をして口の中でモゴモゴ言った。「はい、多分……」
シャルルはピンと来た。たぶんここで躓いているのだ。だから自分の変身術の微細なイメージを1から10まで詳細に伝え、目の前でやって見せた。
が、ダメだった。
さっきよりは良くなったけれど、ボタンから4本の足が生えてもがくようにウネっている。気持ち悪くて杖でつつきながら、「レパリファージ」というと、気持ち悪い物体はコガネムシに戻った。
なにがダメなのだろ。
理論を言わせてみたけれどきちんと把握しているし、理解している。これはシャルルにはお手上げかもしれない。でも、口を挟んだのにやっぱりムリだから教授に聞いてちょうだいね、なんてなんだか恥ずかしい。
「あの」
杖をおいてレイジーが気を張りつめた声で言う。
「なに?」
「理論は覚えてるんですけど…」
「ウン」
言いづらそうにつっかえるのでシャルルはなるたけ相槌を打ってやった。ゆっくりボソボソレイジーは喋る。
「な、なぜコガネムシがボタンになるか分からなくて…」
「?」
「えと、その……。コガネムシは生きてますよね」
「ウン」
「ボタンは生きてませんよね」
「?ウン」
「ボタンに変身したコガネムシは死んだわけじゃなく、魔法を解いても生きたままで……そうしたら、変身したボタンは生きているということなんでしょうか?」
「なんて?」
コガネムシ?ボタン?が生きてるかどうか?そんなの考えたこともなかった。シャルルは混乱した。ドラゴンのウロコが目からポロッと落ちた心持ちだった。そしてジワジワ面白い視点だなと頭の中が巡る。
シャルルはコガネムシをボタンに変えた。くすんだ金のイタリア・ヴィンテージボタンである。この前着たワンピースについていたやつ。
「これが生きてるかなんて、あなた面白いこと考えるのね」
「すみません…」
「責めてるわけじゃないったら。それで、生きてる?」
「いえ…」
ボタンは光を反射しててのひらの上で鈍く光っていたが、微塵も動きもせず、生物のような温かみもない。このボタンは"生きていない"。
「コガネムシの命はどこに行ったんでしょう」
「後で深く考えてみたい議題ね。変身した生物の自我と命。論文を探してみるわ」
その返事が嘲りも他意も含まれていなかったので、レイジーは「えっ」と顔を上げた。マグルの価値観に染まっていると魔法界の非現実的な飛躍した理論が受け入れ難いことがままある。そのせいでレイジーの成績は芳しくない。それは魔女に生まれマグルを嫌うレイジーにとっては、情けなく、耐え難いことだった。軽蔑に値することだった。
そして、はた、と気付く。
マグルの価値観を知らない彼女にはこの視点は忌避すべきものでは無いのだ。むしろ、面白く興味深い視点だった。安心すると同時に、生まれながら魔女であるシャルルが羨ましくて妬ましく思う気持ちも湧く。…
「きっとあなたはコガネムシとボタンが同じものだという意識があるから出来ないのね」
意識が逸れていたレイジーはハッと背筋を正した。
「コガネムシをボタンという、違う物に変身させるのよ。中身を丸ごと」
「違う物……」
違うものであるのは分かっている。だからこそ違うものに変わることに戸惑っている。
「コガネムシはコガネムシであってボタンじゃない。ボタンはボタンであってコガネムシじゃない。コガネムシとボタンはイコールで繋がらない。変身させたからといって繋がりはできない。共通点もない。1は1のままなのよ」
変身術は1を2にする学問ではない。1を一に、あるいは1をⅠにする学問なのだ。
レイジーは頷く。
コガネムシとボタン……コガネムシからボタン……。
変身術で大切なのは明確で詳細なイメージ……。
レイジーは気付いた。
"魔法"を"定義"で固定する───。
そして想像力こそが魔法の定義なのだと。
「なん……となく分かったような……気がします」
何も分かったようには見えなかったが、シャルルは頷いた。レイジーはブツブツ考え込んで何かを呟いている。
「フェラベルト」
するとコガネムシが硬直し、小刻みに震え始めた。足を丸め、羽を固め、目の前には小さなボタンがひとつ。成功だった。シャルルは目をくるっとしてから、「やったじゃない、レイジー」と笑いかけた。レイジーは少し頬を赤くしてコクコク首を縦に振り、「まだ曖昧ですけど、ろ、論理は飲み込めたような、気がします」と吃った。
他の生徒に手助けを……と見回すと、ふと、透明人間が目に入った。冷えきった、白けた表情でコガネムシをボタンに変えている。机にはもう、10個ほどの見事なボタンが並べてあった。宝石を使った、芸術性の高い、意匠を凝らした見事な変身術。イル・テローゼ。彼女の周りに人は一切いない。
教え合う環境になってますます孤独がテローゼに突き刺さっている。彼女は無表情で肘を付いているが、シャルルの視線に必死に気付かないフリをしているのが丸わかりだった。
哀れな透明人間。
シャルルは目を逸らした。
彼女のことをシャルルは好きじゃない。というよりも興味が無い。でも彼女の変身術の技術はスリザリンに必要だ。