Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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20 美貌の使い方

 

 

 火曜日の午後の授業は最悪の一言だった。最悪も最悪、ひたすらに……。あまりの屈辱で手の震えが収まらない。闇の魔術に対する防衛術は大ハズレだ。

 

 シャルルは授業が終わると同時に教室を飛び出し、パンジーやダフネの制止の声を振り切り、近くの空き教室に飛び込んですすり泣いた。後から後から涙が零れ落ちてくる。

 傷付いたわけではない。ただただショックで、恥ずかしくて……。

 

 

*

 

 重たい7冊もの教科書を持ちながら歩くのは非力なシャルルには不可能だった。浮遊呪文で浮かせながら歩くと他の生徒もそれを真似し始め、ゾロゾロと防衛術教室へ向かう。

 この時点で少々ウンザリしていたが、教室の中は自己顕示欲の塊と言っていい様相を成していた。壁には彼の自画像の絵画が一面に飾られ、窓から爽やかな光が射し込み、去年の陰鬱な教室と違って、まるでロックハートの展覧会だ。

 

 去年と同じに、ゴイルとクラッブの後ろの席に隠れるように座る。視界が埋まらないように教科書を並べるのは至難だった。横に広がる教科書のせいで羊皮紙を書くスペースが限られて窮屈だ。

 しかも、後ろの席だと言うのに、横からも後ろからも視線を感じて居心地が悪い。振り返るとロックハートと目が合った。彼はウインクを飛ばして次の生徒のところへ飛んで行った。

 絵画は喋らないが、ロックハートは喋らなくてもうるさい。

 

 ベルと同時に教授が入って来た。教室は即座に静けさが満ちる。悠々とローブを揺らして優雅に歩くロックハートを見定めるような42の目が見つめた。

 

「勲三等マーリン勲章、闇の力に対する防衛術連盟名誉会員、そして、『週刊魔女』五回連続『チャーミング・スマイル賞』受賞──この栄誉を受けた人間を皆さんはもうご存知ですね?そう───私です。といっても、長々と話すつもりはありませんよ。物事をよく知る人は沈黙を重んじる。そうでしょう?」

 十分に長々と語り終えたロックハートはウインクを飛ばした。

 

 冷たいせせら笑いが流れたが、ロックハートはそれに愛想良く笑みを振りまいて、「テストをします。なに、ちょっとした簡単なテストですよ。書籍の内容をいくつか確認するだけです」と歌うような口調でテスト用紙を配った。

 

「はじめ!」

 合図と同時にテストペーパーの設問を流し見ていく。

 

問:ギルデロイ・ロックハートの好きな色は何?

問:ギルデロイ・ロックハートが雪女に贈った粋なプレゼントは何?

問:現時点でのギルデロイ・ロックハートの業績の中で、あなたは何が一番偉大だと思うか?

問:チャーミングスマイル賞初の受賞時にギルデロイ・ロックハートが残したコメントは何?また、その笑顔で倒れたレディーは何人いたか?

問:……

 

 ギルデロイ・ロックハート、ギルデロイ・ロックハート、ギルデロイ・ロックハート……。見る限りそんな問ばかりがズラズラと並べ立てられている。

 

「……」

 

 シャルルは口を間抜けに開けて、しばらく固まっていた。何枚も重なっているテストを恐る恐る捲って見るけれど、恐れていたとおりに、延々と実にくだらない……ユーモアに溢れた設問が続いている。

 隣に座っているダフネをチラッと見ると、彼女は心底興ざめ仕切った顔で、羽根ペンを投げ捨てていたところだった。

 

「やるだけ無駄よ、こんなの」

「ええ……本当に」

 彼はこれをどんな意図で解かせるのだろうか?

 あまりにもくだらなくてまったくやる気が起きなかった。けれど、テストというなら成績に影響するということで……加点や減点が関わるなら、寮杯のために手を抜くわけにはいかない。

 

 シャルルはぎこちない手つきで設問に答えを書き始めた。

 ロックハートの個性に圧倒されていて、呆れよりも戸惑いが勝っていた。シャルルは彼の書籍を何度か繰り返し読んでいたので、設問の大部分の答えは少し考えれば思い出すことが出来た。

 彼の業績が事実かどうかは置いておき、彼自身の顕示欲も置いておき、書籍の内容だけ見れば、彼の書籍はフィクション・ストーリーとして、あるいは自伝としてかなり面白い。演劇になっても結果を残せるだろう程度には、とても面白かった。

 だから何度か読んでいたのだが、こんなに功を成すとは思っていなかった。それが良かったのか悪いのかはよく分からないけれど。

 

 三十分後、集めた答案用紙をパラパラと捲り、おどけた仕草で肩を竦めた。あからさまなため息を隠しもしない。

 

「どうやら皆さん、読み込みが足りないようですね──空白が目立ちます。わたしの理想的な誕生日プレゼントが魔法界と非魔法界のハーモニーであることも、わたしのウインクで12人の魔女が卒倒したことも誰も覚えていないようだ。

 グリフィンドールのハーマイオニー・グレンジャーは満点でしたよ。素晴らしい!みなさんも彼女を見習っていただかなくては。彼女は謙虚でピュアな生徒でね、わたしのウインクに真っ赤になって震えていましたよ。HAHAHA」

 

 押し殺した忍び笑いが響いた。「男の趣味が悪いわね」「マグルにはあの程度の男もいないに違いないわ」とヒソヒソ声が女子生徒の間でクスクス交わされている。

 

 シャルルはなんだか嫌な予感がし始めた。

 グレンジャーが満点を取るのはいつものことだ。彼女の勉学に対する並々ならぬ情熱は既知の通りである。それなのに、こんな言い方をされたら、高得点を取るのは彼の熱烈なファンだという印象を植え付けられるようで──。

 

「ですが、スリザリンにも熱心な生徒はいるようですね。満点とはいきませんでしたが、9割方正答している優秀な生徒がいます」

 

 嫌な汗が流れる。シャルルは息を詰めて、教科書の山に隠れるように俯いて首を竦めた。身を隠すように。ロックハートが朗々と名前を呼ぶ。

 

「ミス・シャルル・スチュアートはどこにいますか?」

 

 ダフネが目を剥いて顔を曲げた。スリザリン生から視線が刺さる。

 頬が紅潮する感覚がしたけれど、自分に向けられる視線をすべて無視して、シャルルはさらに俯いた。

「ミス?いらっしゃらないのですか?」

 

 ロックハートはスリザリン生たちが全員同じ方向を向いているのを察して、朗らかに笑いながら近付いてきた。カツカツと革靴が鳴る音が大きくなってくるのがまるで死刑宣告のように感じられた。

 

 思わず唇を噛む。

 

「おや、教科書に隠れているなんて。随分シャイで可愛らしい魔女ですね。ミス・スチュアート、あなたの素晴らしい答案に5点を差し上げましょう!」

 

 横に立って、キザに髪をかきあげるロックハートをシャルルは真っ赤になって睨んだ。その視線がまるで自分に熱をあげるシャイガールの熱烈な視線であるかのように、ロックハートは白い歯を見せて笑い、あろう事かシャルルの腕を掴んで立ち上がらせた。

「今日のゲストに彼女を指名しましょう!さあ、前へ。足元に気をつけて、さあ、早くいらっしゃい」

 彼に腕を引かれ驚きに足をもつれさせ、教団の前に連れていかれた彼女に、好奇心と軽蔑と驚きとせせら笑いの視線が突き刺さり、舐られ、シャルルの顔はますます燃え上がった。

 いまや、ウィーズリーの赤毛と遜色ない顔色にまでなった彼女は、拳を握って視線から逃れるように顔を背けて俯いた。

 

 こんなに屈辱と羞恥に震えたことは無い。

 いつものように飄々とした、完璧な淑女の微笑を浮かべる余裕は消し飛んでいた。

 ロックハートが何を考えているかは分からないけれど、早く、早く、早くこの時間が過ぎ去って欲しい……。シャルルはそれだけを願ってただプルプルと震えた。

 

 ロックハートは、打ち震えるシャルルにさらに追い打ちをかけた。子供が素晴らしい思い付きを無邪気に口にするように、宝石みたいな笑顔を振りまいて、

「今日は書籍の場面を再現しましょう。実践的な戦闘の予行演習になりますから、真剣にね。ミス・スチュアート、君は私に助けを求めるチャーミングなヒロインですよ」

 

 と笑いかけた。呆気に取られて、シャルルは思わず咳き込んだ。震える声で聞き返す。

「げほっ、え、と……すみません。今なんて……?」

「演じるんです。本をね。題材は……そうだな、『グールお化けとのクールな散策』が適当でしょう。あなたのように、シャイでキュートなマグルがヒロインなんです」

「……」

 

 あなたのようにシャイでキュートな『マグル』がヒロインなんです?

 

 言葉の意味を理解した途端、目眩が襲ってきて、シャルルは嘔吐きそうになった。マグル……マグル?マグルのヒロインをわたしが演じる……と言ったの?

 赤い顔から血の気が引き、蒼白というよりむしろ土気色の顔で、クラスメイトに縋るように視線をやったが、スリザリン生たちも同じく青い顔で視線が合わないようにサッと俯いた。

 

 ロックハートが楽しそうに話している。

「怪物役が必要ですね。立候補する人は?……おや、誰もいないなんて、そんなことではいけませんよ。英雄たる私に並ぶのが烏滸がましいと遠慮する心掛けは評価しますけれどね」

 呑気な声で教室を見回して、「そうですね、そこの君──どうぞ前へ、ぜひ君にグールを演じてもらいましょうか」とゴイルを指名した。

 意味が分からないという様子で、ゴイルは数度ゆっくりまばたきして、口から呻き声を漏らしてノロノロ立ち上がる。

 

 スリザリンの誰もが置いていかれていた。誰かに主導権を握らせることを厭う生徒ばかりのスリザリンだが、いまや教室内はロックハートが全てを掌握していた。

 肩を掴まれてロックハートの笑顔に押され、本を握らされると、ゴイルがセリフを読み上げる。

 

「もう少し恐ろしげに呻いて……そう、いいですよ……そこで怒鳴って!ヒロインに掴みかかるように!ミス・スチュアートは腰を抜かして怯えたように怪物を見上げて……」

「か細く悲鳴を上げて……もっと感情を込めて、震える子羊のように……そう!いいですよ!そこで私がやって来るわけです!お嬢さん、もう大丈夫!こんなグール、私にかかれば子犬を宥めるようなものですよ」

「グールに飛びかかった私は、彼の振り下ろした腕を華麗に避けて……あんな鈍重な動き止まっているかのようでしたからね、ええ。私は杖を構えて呪文を飛ばしました!ドーンッと激しい音を響かせてグールが吹っ飛び……ほら君、ちゃんとよろめいてくれないと、そして振り返って笑う私にヒロインがうっとりと手を組んで熱っぽく見上げ──」

 

 シャルルとゴイルは言われるがまま戦ったり、倒れたり、細かい注文通りに動かなければならなかった。始めは現状に置いてけぼりだったシャルルも、徐々に我に返って、絹を裂くような乙女の悲鳴だとか、身を捩らせて怯える演技だとかを求められるうち、耐えられなくなって何度も拳を握り締めた。

 スリザリンもだんだん、面白くなってきたようで、バカにしたように釣り上がる唇や、失笑を向け始める。

 ロックハートにも、ゴイルにも、シャルルにも。

 

 こんな思いはしたことがない。

 こんな……こんな思いは……。

 

 目尻に涙が浮かんで来たが、こんな情けないことで泣きたくなくて意地で俯いたまま、涙を堪える。

 終業のチャイムをただ待ち望んだ。

「素晴らしいですよ、ミス・スチュアート、ミスター・ゴイル。スリザリンに10点!」

 機嫌が良い加点にさえ、僅かにも嬉しい気持ちにならない。

 

 待ち侘びたチャイムが響いた瞬間、シャルルは弾かれたように飛び起きて、ロックハートの腕を振り払い教室を矢のように飛び出した。

 

「シャルル!」

 パンジーやダフネの声が追いかけてくるのを振り切って、ひたすら走る。走るのに慣れていないから足がもつれそうになって、目から雫が零れそうになるのを我慢して走った。すれ違う生徒がギョッとしたように振り返ってくるのすら屈辱に拍車を掛けて、目に付いた空き教室に飛び込んだ。

 教卓の間の空洞にすっぽり隠れるように嵌って、膝を抱えて、ようやくシャルルは一息ついた。

 

 すんすん鼻をすする。

 信じられない。ただただ恥ずかしくて情けない。思い返したくないくらい惨めだ。ぽろぽろと涙が頬を伝っていく。

 

 ガラッ、と音がして肩を揺らすと、探るような顔のマルフォイが扉の前に立っていた。泣き顔で見つかりたくなくてさらに縮こまるけど、彼の「ここにいたのか」と少しの呆れと心配を含む声が投げかけられて、シャルルは目元をぐしぐし拭った。

「見つかっちゃった……隠れていたのに」

「スカートが見えてる。汚れるぞ」

「べつにかまわないわ」

「次の授業が始ま……、っ」

 

 マルフォイは手を差し出してから、雷に打たれたように手を引っ込めた。

 

「な……泣いてるのか?」

「泣いてない」

 目と鼻を赤くして口を尖らせる。いくらなんでもデリカシーが無さすぎると思って、不満を込めてジトッと目を細めると、罰が悪そうな顔をして手のひらを羽根を包むように柔らかく握った。

 彼の手を握り返してシャルルも立ち上がる。教壇の下はホコリっぽくて、スカートをはらはら手で拭う。

 

「君は意外と感情豊かだな」

 平坦な声で、ぽつりと感想を呟いたマルフォイに揶揄われた気がして、肩を竦めた。

「未熟なのよ。情けない……」

「僕らはまだ12歳なんだ。前から思ってたが、君は少し求める水準が高すぎると思うよ」

「こども扱いはされたくないの」

「それは同感だけどね」

 

 腕を引きながら、マルフォイはニヤッと笑い、流し目でシャルルを見た。

「恥ずかしくて泣いてるようじゃ、まだまだ君も僕らと同じ子供ってことだ。可愛げあるじゃないか」

 カーッと赤くなって、シャルルはマルフォイの頬を抓った。でも、さっきより羞恥は軽くなった。マルフォイも人を励ましたり、慰めたり出来るんだな。

 握られた手があたたかい。

 

 

 

 マルフォイに手を引かれて俯いてシャルルは黙って歩いた。少し機嫌は浮上したが、気恥ずかしさは消えない。

 生徒の好奇心や驚きの視線がたまにチラチラ投げかけられた。

 DADAは午後の単元で、あとはもう夕食まで自由時間になっている。談話室に入るとダフネが「シャルル!」と駆け寄った。パンジーもソファから立ち上がったが、マルフォイとシャルルの手が繋がれているのを見て、ハッと足取りが止まる。

 

「あの……気の毒だったわね」

 気遣うように、気まずい顔で柔らかくダフネが声をかける。

「全く、本当に酷い目に合ったわ」

 シャルルはボスン!と雑な仕草でソファに身を投げ出した。いつも優雅で気品のある彼女らしくない行動に目が悪くなる。

 

「あなたがロックハートのファンだなんて知らなかった」

 トレイシーが瞳を三日月形に細めてシャルルをからかった。シャルルは肩を竦めて杖をローブから取り出して、

「オパグノ」

 と呪文を唱える。小鳥が舞ってトレイシーの髪の毛を啄み、彼女は驚いて小さく悲鳴を上げた。薄く笑って肩を竦める。

 

「トレイシー、よく鳴くあなたにピッタリのお友達よ」

 

 シャルルが今まで同寮の誰かに魔法をかけたことはない。

 少し青ざめて彼女を見ると、皮肉を口にするその顔は笑っていて、怒っているわけではなさそうで安堵し、トレイシーはきゃあきゃあ笑った。

 

「全員分かっているとは思うけれど、わたしがロックハートの信奉者だなんて、マルフォイがポッターと親友になるよりありえないことよ」

 シャルルは足を組んだ。スリザリン生は揃って頷いた。それにニッコリと満足そうに頷く。

 

 

 スリザリン生に釘を刺したシャルルだったが、噂はすでにホグワーツの中に広まっているようだった。夕食のために食堂に行くと、彼女を見て意味ありげな視線を交わし合う生徒や、ニヤニヤと唇を歪める生徒、意外そうに観察する生徒の視線に晒されてシャルルはうんざりした。

 

 何より辟易としたのは、悪意のある視線や観察する視線に交じって、一部の女子生徒たちから熱のこもった共感の視線を向けられることだった。

 その中にはハーマイオニー・グレンジャーからの視線もあった。

 自分の頬が紅潮したり、強ばらないように意識的に微笑みを引き締める。

 

 ローストビーフとジャケットポテトを食べていると、赤いローブを纏った数人がテーブルの近くに寄ってきた。

 

 濃い茶髪のその生徒は同学年だったが、名前を覚えていなかった。以前絡まれた時に無視して歩いていたら杖を取り出したので、呪文クラブで習った魔法を試すいい機会だと思い、口いっぱいに「エバブリオ」で弾力のある泡を詰め込んで去って以来、何かと突っかかってくる男子生徒だった。

 彼は勝ち誇った顔で、椅子に座っているシャルルを見下ろしていた。

 

「聞いたぜ、スチュアート。お高くとまっているお前がまさか、あいつに熱を上げてるなんてな」

「黙りなさい、バルテル!」

 パンジーが鼻にシワを寄せてシャルルの代わりに怒鳴った。バルテルは面白そうにニヤニヤして、周囲の男子生徒と顔を見合せる。

 近くに座っていたダフネやトレイシーが顔を顰め、マルフォイやノットが不愉快そうな顔でバルテルを見ている。

 

「ハハ、ヒロインに抜擢され、ロックハートに守ってもらえて、泣くほど感激したらしいじゃねえか?」

 彼は肩をいからせて、残酷な笑い声を上げた。大声にグリフィンドールのテーブルからも悪意に満ちた嘲笑が響く。

 パンジーとダフネや何かを言い返し、バルテルもそれに応戦したが、肝心の渦中の人物は何も言わない。

 

 様子を伺うと、シャルルは黙って食事を進めていた。顔色も、仕草も変わることなく、いつも通りのにやついた微笑を浮かべているシャルルに彼はいきり立った。

「オイオイ、何か言ったらどうなんだ?図星で言葉も忘れたらしいな!

 でもまあちょうどいいや。生意気なスチュアートがサンドバッグになってくれる機会はそう多くないからな」

 

 スープを飲み終わったシャルルはスッと立ち上がり、バルテルは少し肩を揺らした。それを誤魔化すように余裕ぶって顎を上げ、シャルルを見下ろした。彼女はローブと制服のプリーツの乱れを直し、パンジーに「先に戻ってるわ」と微笑んだ。

 

「逃げるんだな、スチュアート!」

 バルテルが勝ち誇ったように叫んだ。

「それで?またロックハートに守ってもらうのか?男の子にからかわれて傷ついたわ、とでも言えば、あいつはお前をか弱いレディのように扱ってくれるかもな」

 

 シャルルはゆっくりとバルテルの瞳を見た。そして意識的に、花が綻ぶような、淡く、それでいて気品に満ちた優しい微笑みを投げかける。

 少しの間彼を目を細めてフレンドリーに見つめていると、彼はたじろいで、何かをもごもご言った。次第に口を閉じて頬を紅潮させる。

 

 彼女の美貌が男子生徒に対して絶大な効果を発揮することはわかっていた。たとえそれが、自分に対して敵対的な言動をする愚かな男の子であってもだ。

 

 シャルルは優雅に口元に手を添え、クスッ……と軽く笑った。

 

 近くの生徒がシャルルに見蕩れたり、興味深そうにジロジロと眺めている。

 

「あなたみたいな人が、どうしてわたしに相手をしてもらえると思ったの?」

「なっ……!」

 バルテルの頬が急激に熱を帯び、眉を釣り上げる。絶句する彼にシャルルは言った。

 

「鏡を見たことがないみたいね。わたしに気があるなら、生まれるところからやり直してきてくださらない?

 生憎わたしは、トロールを相手にするほど趣味が悪くないわ」

 彼の顔から足先まで検分するように見つめ鼻を鳴らし、涙袋を浮き上がらせて嘲笑すると、スリザリンテーブルから囃し立てるような笑い声と野次が湧いた。

 

「誰がお前なんかに気が……っ!」

 手のひらを上げて、バルテルをさっと制止する。

 

「喋らないで。悪臭が移っちゃう」

 

 鼻をつまんで「おええ」とはしたないジェスチャーをして見せると、プリーツスカートを指先でつまんで恭しくお辞儀をした。

 

「それではごきげんよう。

 わたしにかまって欲しいなら、もっと素敵になってから出直してちょうだいね。

 そうね、マルフォイやセオドールや……」

 

 突然自分の名を呼ばれたふたりが目を丸くしたり、眉を上げたので可愛らしく微笑んでおく。ついでに、彼の名声を高め、恩を売るいい機会かもしれないと思い、目を見つめながら彼の名前も呼んでおく。

 

「ザビニのような気品ある男の子になれたなら……会話くらいはまたしてあげるわ」

 

 暗になれるとは思わないけれどね、と瞳で嘲笑い、シャルルは背を向けた。

 バルテルの怒鳴り声や、グリフィンドールの野次や、スリザリンの哄笑が背後で響いていたが、その全てを置いてシャルルは広間を出た。

 

 清々しい達成感を感じつつも、シャルルは小さく嘆息する。

 あんな小物を相手にするのは馬鹿らしい。いつもなら無視して呪文を掛けて終わりにするところだ。

 でも、公衆の面前でスリザリンに喧嘩を売られたなら、寮の面子にかけて応戦しない訳にはいかない。スリザリンもシャルルも、言われっぱなしのままでいると舐められてしまう。

 

 それにしても……あのバルテルの顔!

 シャルルは零れる笑い声を抑えられなかった。

 魅力的な表情で見つめるだけで、あんなにも劇的に照れて見惚れるのだから、単純で笑ってしまう。スリザリンの男の子はあんなに簡単に照れたりしないのに。

 やっぱり上品な女の子に慣れていないのだろうか?

 それとも自分に気があると錯覚させる笑顔を浮かべる女の子が少ないのだろうか?

 それとも……シャルルのことが好きなのだろうか?

 唇を歪めて、胸の中で満足そうに呟く。

 

 やっぱり、ザビニと手を組んだのは間違っていない。

 彼に去年教わった、異性に対する効果的なアプローチのうち、こんなに初歩的な技術で自分に敵意を持つ相手から、戦意喪失させることが出来た。

 

 スリザリン寮へ向かうシャルルの足取りは軽かった。

 

*

 

 寮に戻ってきたシャルルは友人たちに取り囲まれ、口々に投げかけられる賞賛を微笑みを持って受け取った。

「シャルル!あなた最高だわ!」

「あんなに痛烈にやり返すなんて珍しいわね」

「あの真っ赤なトロールの顔、見た?身の程知らずにもほどがあるよね」

 トレイシーが首を竦めて馬鹿にしたように言い放つ。マルフォイも満足そうで、上級生たちもシャルルをそれぞれに褒めた。

 

 下級生たちが、暖炉の前に集まる高名な家系の生徒たちを憧れの目で見つめ、その中心にいるシャルルに対して尊敬の色を含んだ熱意の眼差しを注いでいた。

 

 ザビニと目が合う。

 彼は嬉しそうに唇を釣り上げた。きちんとシャルルの意図が伝わっていたようだ。

 

 しかし、セオドールは彼女に近付いて来なかった。

 談話室の奥でつまらなそうに足を組んで、時折物言いたげな視線を投げてよこした。

 彼がザビニと犬猿の仲であることは知っている。知っていて、シャルルはザビニと親しくなることを選んだ。

 しかし、それは決してセオドールとの友情を軽視して投げ捨てることにはならない。

 まだ話したそうな周囲の友人たちを宥め、人の輪からスルリと抜け出してシャルルは彼の座るソファに向かった。

 

「ハアイ、セオドール。隣いいかしら?」

 彼は肩を竦めて視線を外した。

「ありがとう」

 いつもは十分なスペースを開けて座るところを、ぴったりと隙間なく彼の横に座ると、セオドールはピクリと震えてシャルルを怪訝そうに見た。

「やっと目が合ったわね」

「僕に何か用か?あっちの方で君を待ってる連中がいるけど」

「わたしはあなたと話したいのよ」

 

「そうか」

 セオドールは興味をなくしたように顔を背けた。

 

「あなたの忠告は覚えているわ」

「じゃあ聞く気がないんだな」

「そうじゃないわ。ただ、ザビニは純血だし、彼がわたしを利用するように、わたしも彼を利用したいと思ったの」

 セオドールは微かに吐息を漏らした。それは完全に嘲笑だったが、めげずに言葉を重ねた。

「ザビニに心を許すことは無いわ。彼との間にあるものは友情じゃないの。セオドール、あなたに向けるものとは違って……」

 

「興味無いよ」

 彼は冷たく言った。

 

「シャルル、君が選んだことを僕に弁明する必要はない」

 

 突き放した言い方をして、彼が話は終わりだ、というように立ち上がる雰囲気を感じたので、シャルルは逃がさないために彼の腕を反射的に掴んだ。

 立ち上がりかけた壁の腰を引っ張って戻し、シャルルは腕を絡め、反対の手でセオドールの腕を抑えた。

 

「まだ何かあるのか?」

 呆れた声だった。ずっと彼からの怒りは感じない。しかし、それが逆に彼の心がスッと離れていってしまったような気がする。それは悲しいし、絶対に嫌だった。

 

 シャルルは強欲で、傲慢なスリザリンの女だ。

 手に入れたものを諦める気は一切無い。

 

「前に話したよね。あなたにだけ」

 諦めたようにセオドールは脱力して、腕をシャルルに好きなようにさせたまま、「何を?」と呟いた。

「わたしなりの何かを成し遂げてみたいって……何かを変えてみたいって」

「ああ……」

「そのためには他人をコントロールする術と、他人を上手く利用する術を学ばなければならないでしょ?」

「僕らにはそんなもの生まれた時から身に付いている」

「そうだけど、もっと高度にそれをしたいと思ったのよ。命令しなくても、他人が望んで動くように」

「それをザビニは身に付けてるって?」

 

 挑発的にセオドールが顎を上げた。横目で睨む視線の先には、上級生の女子生徒を肩に抱いて、ブルストロードやリッチモンド、エントウィッスルたちと談笑する得意げなザビニが座っている。

 

「他人に媚びたり、甘い汁を啜るのが上手いというのは、他人の機微を読むのが上手いという事なのよ。トレイシーを見て?あの子の家は有力じゃないけれど、あの子はスリザリンで一定を地位を築いているわ」

「ザビニや君を利用して、か。やりたいことは分かったよ」

 セオドールは首を傾けて、うっすらと唇を緩めた。彼に漂っていた頑なな雰囲気が霧散してシャルルの強ばりが解ける。

「よかった……」

 

 自分で自覚する以上に、セオドールから拒絶されることの恐れがあったらしく、シャルルの心臓は少し鼓動を速めていた。

 力が抜けて、セオドールの肩に頭を乗せる。

「なんだよ。そんなに怖かったのか?僕に嫌われることが?」

 軽い口調でからかう言葉に「当然じゃない。あなたはわたしの唯一の男友達なのよ」と軽く睨むと、何故かセオドールは一瞬口をつぐみ、気が抜けたように笑った。

 

「じゃあ最初からザビニなんか相手にしなければ良かったんだ。知ってたけど、君は傲慢だな」

「スリザリンだもの」

「全く君らしいよ」

 

 嬉しくてクスクス笑うシャルルと、常になく穏やかな顔つきのセオドールが寄り添うのを、マルフォイが信じられないものを見るように固まって凝視していた。眉を顰めたマルフォイの横顔を、パンジーが見つめて、寂しそうにしていたことに、だれも気づかなかった。

 

 

 

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