Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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24 ひどく手触りのいい慈愛

 

 昨夜話していた時は、友人たちの誰もが継承者はスリザリンの誰かであることを前提に議論していたが、次の日からジワジワと広がっていったのは、「スリザリンの継承者はハリー・ポッターである」というものだった。

 

 噂に敏いパンジーやトレイシーからそれを聞いた時、シャルルは鼻で笑いそうになった。

 ポッターがスリザリンの継承者?

 例のあの人をその身ひとつで打ち破り、闇の時代に希望を齎した英雄が?

 マグルの中で育ち、『血を裏切る者』と『穢れた血』の親友を持つハリー・ポッターが?

 

 少し考えただけでその噂に対するいくつもの反論の根拠が挙げられるのに、何故か一定の信憑性を持つものとしてその噂はホグワーツに蔓延していた。

 

 時折、周囲の子がとても愚かに思える。何故か現場に誰よりも早く到着していたあの3人には確かに疑わしい部分が介入する余地があるけれど、それだけで見たままを事実として捉えてしまうのは浅慮だ。

 

 シャルルは秘密の部屋が開かれてから、サラザール・スリザリンや創設者やホグワーツの歴史、魔法省の設立の歴史についてあらゆる書物を読み返していたが、新しい情報を得ることは出来なかった。

 しかし、既存の情報に描かれている事実から推察されるのは、スリザリンは純血主義であり、マグルに非常に強い警戒と敵対心を持ち、同胞を心から友として愛し、類稀なる実力を誇った。間違ってもポッターのような男の子がスリザリンの継承者に相応しいとは思えない。

 

 スリザリン生は多くが馬鹿馬鹿しいと取り合わなかったが、マルフォイは苛ついていた。「あの無能が『継承者』だって?少し顔に傷があるからって、なんでもかんでもポッター、ポッター、ポッター!ウンザリするね!」

 

 しかし、その噂もすぐに他の話題にかっさらわれた。

 今週の土曜日はスリザリン対グリフィンドールのクィディッチの初試合がある。今年度の初戦を飾る重要な試合だった。

 去年ハリー・ポッターのせいで敗北を喫したスリザリンは連日リベンジに燃え、マルフォイは毎日上級生からも同級生からもプレッシャーと期待をかけられている。

 夕食を急いでかきこんでピッチに揃って駆けていくのはどの寮も同じで、授業終わりと夕食までのほんの数時間の自由時間の合間に、マルフォイは授業の予習復習と課題を終わらせ、クラッブの話では深夜も教科書を開いている日があるという話だ。シャルルが開いた勉強会はかなり彼の役に立った。試合までの間、教師役は休んでもらい、重点的に課題をこなすことを優先させ、セオドールやシャルルが隣に座って出来る限り協力していた。

 毎日ハードなスケジュールをこなし、マルフォイの血の気の薄い肌はさらに青ざめ、瞳の下にはうっすらと隈が出来ていたが、マルフォイは決してクィディッチの練習についての愚痴は言わなかった。

 

「ドラコ、あんな腐れポッターなんて箒で叩きのめしてやってちょうだいね」

「当然だよ。ポッター程度の才能なんかスリザリンには掃いて捨てるほどいるって、この僕が直々に教えてやる」

「それにこっちにはルシウス氏からいただいたニンバス2001がある!彼には頭が上がらないぜ。ドラコ、よくよくお礼をお伝えしてくれよ」

「ああ、フリント。試合は都合がつかなくて見に来られないけど、スリザリンの勝利を応援するって父上も仰っていた」

「それならますます練習に熱を入れなくちゃな!」

 クィディッチチームのキャプテンであるフリントが、自分の腕をパシッと叩いてやる気に満ちた笑い声を上げた。マルフォイは話題の中心になって得意気に話し、パンジーはいつものようにうっとりと猫なで声を上げてマルフォイの片腕にひっついて幸せそうだ。

 

 自信満々そうな態度を常に崩さないマルフォイだったが、試合の朝はさすがに緊張しているのか、朝食の手が全く進んでいなかった。

 パンジーは彼の後ろ姿を見つけると素早く定位置に座った。つまりマルフォイの隣だ。シャルルはいつもはパンジーの隣に座るけれど、激励をした方がいいかと思い反対側の空いている席に座った。

「おはよう、マルフォイ。あまり食べてないわね」

「ああ……。お腹が空いていないんだ」

「駄目よ食べないと、たくさん動くんだから。このローストなんか美味しそうよ。ミートパイと、あ、野菜も食べないと体に良くないわよね」

 甲斐甲斐しく大皿からあれもこれも取って目の前に並べていくパンジーにマルフォイが頬を引き攣らせた。

「もういい、パーキンソン、もう十分だ」

「あら、そう?デザートもあるわ」

「もういい!」

 

 マルフォイは息を吐いて視線を逸らした。ボールが優雅にスコッチエッグを口に運び、デレックとブレッチリーが口喧嘩しながらマフィンサンドを大口で頬張っている。

 また重たいため息をついた。

 彼は目の前のローストを陰鬱に眺め、重たそうにフォークを掴んでよろよろと小さく切り分けた。

「そんなに不安に思わなくても大丈夫よ。ミスター・マルフォイのお陰でスリザリンはグリフィンドールに大きくリードしているし、今までチームに貢献してきたヒッグスもあなたをシーカーだと認めたのよ」

「分かってる。僕は不安になんて思ってない」

 柔らかく言った励ましに、マルフォイは憮然とした声で返した。シャルルは彼の背中を軽くぽんぽんと友好的に叩いてオムレツとソーセージ、スコーンを食べ始めた。

 

 グリフィンドールの選手団が入って来て、遅れて他の生徒も彼らを取り囲み食事を始めた。賑やかで、喋っていないと死ぬのかと思うような彼らだが、さすがに今日のテーブルは静かだ。

 選手団の中心にポッターがいた。

 入れ代わり立ち代わり声を掛けられ、小さく頷いている。プレッシャーをかけられるのは彼も同じだけれど、ポッターはグレンジャーに勧められたローストをかきこむように食べ始めた。

 マルフォイはそれを横目で睨み、舌打ちをして急に目に力が宿った。彼にしては珍しくガツガツとローストを食べるのを見て、パンジーが安心したように微笑む。

 

 マルフォイ達を見送ると、パンジーも猛然と準備を始めた。寮に戻ってメイクを施し、上級生と作った応援旗のタペストリーの他、個人的に作ったマルフォイの旗をローブに突っ込んだ。

 シャルルは去年のようにジェミニオの呪文で、パンジーの顔から自分の顔へメイクを複製すると、ターニャ・レイジーの頬にも写してやった。

 カーテンが閉まっているベッドを見て、シャルルは声を掛けた。

「テローゼ、あなたは試合に行かないの?」

 しばらくして、硬い声がする。「行かないわ」

 シャルルは杖を振ってカーテンを開いた。驚きを浮かべテローゼが「何するの!?」と怒鳴った。

「あなたが嫌われていても、クィディッチの試合は輪の中に入れる少ない機会よ。来た方がいいわ」

「余計なお世話よ、スチュアート」

「ジェミニオ」かまわず呪文を唱える。「来るかどうかはあなたが決めることだけど、メイクは一応して行くわね」

 彼女は呆気に取られ、何かを言い返そうとしていたが、シャルルは無視して立ち上がった。振り返ると凄い目でテローゼを睨んでいるレイジーが視界に入った。シャルルが見るとパッと憎しみと妬みの籠った陰鬱な雰囲気は霧散し、いつも通りのヘラヘラした媚びた笑顔を浮かべる。

 レイジーとテローゼの顔に数度視線を走らせ、シャルルは口元をにんまりと歪めた。

 なるほど、なるほど……。

 気付かなかった。レイジーとテローゼの仲が悪いことは知っていたが、レイジーがテローゼにこれほどまで警戒心と劣等感を募らせていたなんて。

「行きましょう、レイジー。今日の試合はわたしの隣に座ってもいいわ」

「えっ?でも……」レイジーはパチパチとまばたきした。「いいのよ、パンジーはどうせ出来るだけ前に押し掛けるんだから」

「は、はい。ありがとうございます、スチュアートさん」

 レイジーの顔にゆっくりと赤みが差すのを見てシャルルは唇を歪めずにはいられなかった。

 彼女のことを特にこれまで考えることは無かったが、レイジーには使い途がありそうな気がした。

 

 

 ピッチに選手団が入ってくると、地面が揺れるほどの歓声が降った。全寮の生徒がいたが、8割以上がグリフィンドールを応援していてウンザリする。

 パンジーは予想通り、上級生を押しのけて最前線でマルフォイの名前を必死に叫んでいる。

 ダフネも前の方にいて、シャルルとレイジーとセオドールは後ろの方で上から冷静に見下ろしている。

 試合が始まる前、マルフォイはポッターの周りをうろちょろと挑発するように飛び回り、ブラッジャーが2人を掠めた。

 キャプテンのフリントが指示を出し、ワリントンとモンタギューが高速パスをして点を先取すると、周囲からドッと歓声が上がった。レイジーも小さく手を叩いている。彼女は珍しく素直に喜びを浮かべていた。シャルルも「ナイシュー!ワリントン!」と歓声を送った。

 スリザリンリードに試合展開が進み、キーパーのブレッチリーも加わった攻撃陣形でどんどん点をとっていくが、だんだん生徒がざわめき始めた。

 スリザリンは強いが、グリフィンドールもいつも優勝争いをしている強豪だ。

 チェイサーの人数が足りないし、いつもならクアッフルを持っているプレイヤーはもっと集中的にブラッジャーに攻撃される。

 グリフィンドールがタイムアウトを取った。雨が頬を叩いている。

 

「見たか?あのブラッジャー」

 隣に座るセオドールが不可解そうに呟いた。

「いいえ、ブラッジャーがどうしたの?」

「双子のビーターがずっとポッターに張り付いて守ってるのに関わらず、執拗に奴にだけ飛んでいくんだ。おかしな動きだった」

「ポッターに?」

 中央で相手チームのキャプテンとポッター達が何やら話している。

「また去年みたいに魔法でもかけられているのかもな。自然な動きじゃない」

「ポッターっていつも災難に見舞われるのね」

「トラブルを惹きつける性質でも備わってるのか?」

 

 ブラッジャーに誰かが細工したならそれはスリザリンの可能性が高い。箒と違い、ブラッジャーは意思のある魔法媒体ではないから、それなりに高度な呪文は必要だけれど闇の魔術は使われてはいないだろう。

「こんな公衆の面前で堂々と不正の証拠を使うなんて……。言い逃れる準備もきちんと整えているのかしら」

「どうだかな……。もし杖から痕跡がバレでもしたら、出場取消で済めば軽いくらいだぞ」

 

 雨足が強まる。ポッターから双子が離れた。空に飛び上がると、空中をジグザグと何かかから逃れるように、ポッターは不規則に飛び回った。そしてたしかにブラッジャーがあらゆる角度からポッターに襲いかかっていた。

 まるで間抜けなダンスのようで、ポッターのざまにスリザリンから嘲笑と野次が飛び交った。

 マルフォイは完全に飛ぶのを辞め、面白そうに眺めながら声を上げている。

 

 誰かが叫んだ。

「スニッチだ!」

 シャルルは目を凝らしてピッチを見つめた。マルフォイのすぐそばで金の光がチラチラ瞬いていた。

 マルフォイはポッターを嘲るのに夢中で気付いていない。

 

 ブラッジャーがポッターに突撃し、ポッターは下方へ滑り落ちるように飛んだ。スリザリンが沸き立つ。しかし、ポッターはまっすぐ目的を持ってマルフォイのほうに飛んでいた。

 マルフォイが空中で身を捩り逃げるように後ずさった。ポッターがフラフラしながら空を掻く。

 

 そしてそのまま、地面に激突し、転がり落ちた。

 

「ポッターです!ポッターがスニッチを掴みました!!!グリフィンドールの勝利です!!」

 解説の生徒が興奮したように叫んだ瞬間、爆発的な歓声が上がる。マルフォイは呆然とし、ピッチを見回して、ポッターを見下ろした。そして、徐々に屈辱と激怒の混じる顔に変化した。

 スリザリン席を落胆のため息が包み込んで、怒号と野次を飛んだ。グリフィンドールに向けられたものと……ドラコ・マルフォイに向けられたものだ。

 彼は悪夢を振り払うように頭を降って、天を仰いだ。

 スリザリンは負けたのだ。

 

 ピッチに降りたフリントがマルフォイの胸ぐらを掴み、何かしらを怒鳴り、突き飛ばした。そしてどつくようにしてマルフォイの背中を押して、選手団はピッチから去った。

 会場はまだ歓声に包まれていた。

 気を失っているように動かないポッターにロックハートが近付いて、呪文をかけたあと立ち上がらせた。ポッターは奇妙に半身を傾け、奇妙な腕になっていた。

 骨折だろうか?それにしては……腕が……柔らかい状態に見えた。

 

 スリザリンの談話室は混沌としていた。葬式のような陰鬱さが立ち込めている。難癖を付ける余地のない、完璧な敗北だった。スリザリンチームはニンバス2001という最新の箒を揃え、性能面で圧倒的に上回っていたし、得点もリードしていた。さらには幸運なことにブラッジャーが執拗にポッターを狙ってくれたおかげでスリザリンに有利な場が整えられていた。

 戦犯はやはり……。

 公にマルフォイを責める生徒はほぼいなかったが、冷たい視線や怒りの篭もった視線に針の筵にされ、彼は顔を青ざめさせて、いつもは流暢な口を噤んでいた。

 

「ドラコのせいじゃないわ」

 気遣わしげにパンジーが彼の背中を撫でた。ボソボソとした話し声で満ちた談話室に、パンジーの甲高いよく通る声は、やけに響いた。

「だって、ポッターがあんなにおかしな飛び方をしていたら、誰だってそっちに気を取られるわよ。そうでしょ?」

「僕達は集中して試合に臨んでいた」

 温厚なピュシーが静かに、しかし断固とした口調で言った。

「あの厄介な双子がポッターに張り付いて手間取っているのは最大のチャンスだった。その時間で僕達は奴らに80点リードしたんだ」

 ため息をつき、紅茶を飲み干すと、「すまない、今は少し……冷静じゃないんだ」とソファから立ち上がった。マルフォイは恥じ入って顔を赤く染めた。普段他者に寛容なピュシーがやりきれない怒りを抑えようとしていることが、ますますマルフォイは恥ずかしかった。

 

「僕も寝るよ」テレンス・ヒッグスも立ち上がる。「今日はお疲れ様。まだあと2試合ある。これからの試合で勝てるように努力しよう。レイブンクローは作戦は高度だが全員フィジカルに欠けるし、ハッフルパフはディゴリー以外屑だ」

 ヒッグスはマルフォイを一瞥もしなかった。

 

 他の選手も興醒めしたように部屋に戻り始めた。負けた試合でも、選手団を労り、相手のチームを扱き下ろす慰労会が開かれるが、もうそういう雰囲気ではなくなっていた。

「正直言って、お前には失望したぜ」

 忌々しげにフリントが言い捨てて、談話室は野次馬的な会話でいっぱいになった。

 

「気にしないで、ドラコ……あなたは充分頑張ったわ。初めての試合だったんだし……」

「ああ、その通りだ、マルフォイ」非常に珍しいセオドールの慰めにマルフォイは顔を上げたが、彼の目には冷たい嘲りが乗っていた。

「君の大好きなポッターは、初試合で伝説的な勝利を飾ったけどな」

「うるさい!マクゴナガルの贔屓でたまたま選手になったに過ぎない!」

「たまたま?」顔を赤くして睨んだマルフォイをセオドールは鼻で笑う。「たまたまで勝てるほど、ヒッグスは無能じゃない」

「お前は慢心してたんだ。こんなんじゃ他の試合も危ぶまれるよな」

 意地の悪い笑みを浮かべてザビニが残酷に言った。

「ノットもブレーズもなんなの!?傷心しているドラコをさらに追い詰めるような真似して!少しは支えようと思わないの!?」

「思わないわ」

 そう答えたのはダフネだった。

「競り負けたのなら、あるいは実力で負けたのなら誰も責めないわよ。自分の顔のすぐ横にあるスニッチに、ポッターに気を取られて気づかないなんてマヌケもいいとこじゃないの」

「ダフネ!」

 辛辣なダフネにマルフォイはショックを受けたような顔をしている。

 

 シャルルは何も言わなかった。自尊心の高いマルフォイなら、多少のことでは非を認めないし、粗を探して自分を正当化するのはスリザリン生の十八番だ。

 でも今回、彼は言い訳を口にしない。それどころか怒声を受け入れて縮こまっている。本人が一番自分を情けなく思っているんだろう。明らかに彼は憔悴している。これほど身内からの敵意に晒されたのは初めてに違いない。

 

 クィディッチは寮杯に響く重要な要素だから、シャルルも思うことがないわけではない。でも幸い点差はそこまで開いていなかったから、充分次の試合で取り戻せる範囲だし、あそこまで1人責められるのも可哀想だった。

 期待に応えるため毎日努力していたのも知っている。

 敵対的な視線の中、所在なさげに俯くマルフォイはまるで迷子の子供や、叱られた子犬のようで、なんだか見ていられなかった。端的に言って、シャルルは同情したのだ。

 

 だからシャルルは、ゆっくりマルフォイの傍に近づいた。

「スチュアート?」

 マルフォイは不安げな瞳で彼女を見上げる。シャルルにも刺々しく拒絶されるのかと揺れる瞳を、グッと一瞬瞑り、苦々しく諦めたように笑った。

 しかし、彼女はマルフォイの思いもよらない行動を取った。

 

「今日はお疲れ様。次の試合は本来の実力を発揮できるといいわね。本当は、あなたは才能ある選手なんだから」

 シャルルはそう言って、軽く彼の頭に手を回し、胸元に抱え込んだ。マルフォイの全身が固くなったのを感じる。数度彼の少し乱れた金髪を撫でて、「おやすみなさい」と呟いた。

 体を離したとき、彼の顔は見たこともないほど真っ赤になり、途方に暮れた表情になっていた。

 シャルルは微笑んで背を向けた。

 

*

 

 早朝に目が覚めたシャルルは欠伸をしながら身体を起こした。朝は寝起きが悪いが、それは起こされた場合であって、自分で目覚めたときはいつも頭はハッキリと冴えている。実家では寝たいだけ寝ていたから、誰かに起こされるのに慣れていないのだ。それもホグワーツ生活2年目でだいぶ改善されては来たけれど。

 2度寝しようにも出来そうもなかった。

 寝室は肌寒く、窓が結露で白く曇っていた。そろそろ冬の訪れが近づいている。

 シャルルはローブを羽織って、ネグリジェのまま忍び足で談話室に降りた。暖炉の火を浴びながら、闇の魔術の本でも読み込んでいようと思ったが、火に照らされて影が伸びているのを見つけた。

 

 早起きの生徒がいるらしい。

 別のソファに座ろうとして、その生徒がマルフォイであることに気付いた。

 マルフォイは膝の上に肘を置き、手のひらで顔を覆うようにして俯いていた。シャルルにはそれが泣いているように見えた。

「マルフォイ……?」

 咄嗟に声を掛けると弾けるようにして顔を上げる。

「なんだ、スチュアートか……。今日は随分と早いんだな」

「あなたこそ」

 彼の隣に座る。距離が近づくと、彼の目の下に隈が出来ていることに気付き、シャルルは眉を下げた。

「もしかして寝ていないの?」

「いや……。数時間は寝たよ」

「それは寝てないって言うのよ。……眠れなかったの?」

「……」

 沈黙が答えだった。よく見ると瞳も赤く充血している。

 泣いてたんだわ……。

 シャルルは何と声をかければ良いか迷い、そっと彼の手のひらに自分の手のひらを乗せた。

 去年もこんなことがあったことを思い出した。あれは夜のことだったし、マルフォイは怯えながら怒っていたけれど。

「なんだか、あの夜みたいだ」

 彼も同じことを考えていたらしく、苦笑を零した。僅かだけれど彼が笑顔を浮かべたことに安堵する。

「君には情けないところを見られてばかりな気がする」

「情けなくなんてないわ。マルフォイ、あなたはもう少し周りに頼ってもいいのよ」

「君には言われたくないよ」

「あら、わたしはちゃんと頼ってるわよ。勉強会の件も、あなたにはすごく助けられてる。自分を責める必要なんてないわ」

 シャルルはマルフォイの肩に頭を乗せた。

 マルフォイの肩が強ばり、ゆっくり力が抜けていった。

 シャルルにはその気持ちが分からないけれど、マルフォイは自信過剰な態度の裏に、思い詰めるところがあるように感じた。繊細で、ひとりで抱え込んでしまう男の子。無言で寄り添いながら、なんだか彼がすごく可愛い男の子に思えた。

 

「あんな負け方をして……スリザリンに泥を塗った。フリントやピュシーがあんなに怒るのを見たことがない」

 絞り出すような彼の声が震えている。

 シャルルは沈黙して、彼が吐き出すのをじっと聞いた。

「合わせる顔がない……。父上の期待も裏切って、なんてお叱りを受けるか……。君だって寮杯のために努力してきたんだ。台無しにした僕に呆れてるだろ?」

「いいえ」

 出来るだけ優しい声を出す。

「点なんてまた取ればいいのよ。あなたが努力したことはみんな知ってる。それに、何故負けたかもわかっているでしょう?」

「ああ……。クソ、あの時の僕は愚かだった」

「そうね。それを否定することは出来ない。でも次は改善することが出来る」

「次なんてただの言い訳だ」

「言い訳してでも前に進まなきゃ。そうでしょ?」

 身体を離すと、シャルルは俯くマルフォイの顔を上げさせて覗き込んだ。強い瞳にたじろぐ。シャルルの雪のような肌が暖炉の炎で橙色に照らされている。

「大丈夫よ。誰があなたを責めても味方はいる。クラッブやゴイルがそうだし、パンジーはもちろんあなたを支えるわ。そしてわたしもあなたの味方でいる」

「スチュアート……なんで……」

「なんで、って。あなたを大切な友人だと思っているからよ」

 マルフォイの顔が歪んだ。唇を噛む。シャルルは優しく彼をハグした。マルフォイの腕がゆっくり背中に回る。

 

「ありがとう。もう大丈夫だ、シャルル」

 熱が離れ、彼ははにかんだ。少し驚いたが、シャルルも笑顔を浮かべる。

「少しだけ元気になったみたいで良かったわ。……ドラコ」

「ああ」

 

 不思議な空気が流れた。

 シャルルは焦れったいような、気まずいような感覚がして、マルフォイ……いや、ドラコの頬に赤みが差しているのを見て何故かいたたまれなくなった。

 シャルルも似たような顔をしている気がする。

 全身がくすぐったかった。

 

「君の寛容さを甘く見ていたよ。今まで博愛精神やら、ボランティアやら言っていたが……。僕が受けてそれがどれほど温かくて広いものか分かった気がする」

「突然どうしたの?褒められて悪い気はしないけど……」

「情の深さに驚いているんだよ。君は他人を許せなくなったりしないのか?苛ついたり、責めたくなったり」

「もちろんあるわ。でも友人のことは出来るだけ許したいし、受け入れたいし、寄り添いたいの」

「僕には出来ない。純血というだけで寛容になれるのはすごいよ。特にウィーズリーなんか絶対に友人なんかにしたくない」

「ふふっ。あなたはそれでもいいのよ。それにわたしはウィーズリーに嫌われてるわ。でも彼は悪くないのよ。環境が悪いの」

「誰にでもいい顔をしていたらいずれ痛い目を見るぞ。あいつらに優しくしていいことなんてないんだからな」

「あら、調子が戻ってきたみたいねドラコ」

「おかげさまでね」

 

 フッとどちらともなく笑い声を上げた。

「もう寝た方がいいわ。少しだけでも」

「そうだな」

 寝室の分かれ道の階段まで彼に寄り添い、軽く手を振る。

「君は?」

「朝まで本を読むつもりよ」

「いつも本を読んでるな。恐れ入るよ」

 肩を竦めてドラコが唇をニヤッとした。顔に血色が戻っている。

「おやすみなさい、ドラコ」

「おやすみ、シャルル」

 

 

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