Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜 作:しらなぎ
「これ……」
自室で片付けをしているシャルルがふと呟く。
教科書の間に見覚えのない手帳があった。真っ黒い飾り気のない手帳。さっきぶつかった時に、ジニー・ウィーズリーのものが交じってしまったのかもしれない。
シャルルはちょうどいいチャンスだと思った。彼女とも友人関係を築きたい。
明日の朝食で話しかけてみよう。出来ればロナルド・ウィーズリーが居ない場がいい。妹に近づくなとかなんとか喚かれてしまうだろうから。
スリザリンの末裔であるポッターともっと話したいのだが、彼はその話題を振られると臭い物でも嗅いだような顔をするし、嫌な話題を振ってくるシャルルを避けようとしていた。最近は双子が取り巻きに加わったようでいつもうるさいからなかなか近寄る隙もない。
シャルルは軽い気持ちで手帳を開いた。11歳の少女の日記に大して面白いことが書いてあるわけではないと思うけれど、なにかしら使える情報があるかもしれない。しかし、手帳には何も書かれていなかった。
パラパラと端まで流し見ても白紙のままで、1文字たりとも日記らしいことは書いていない。
でも買ったばかりにはとうてい思えなかった。
見るからにボロボロで、紙は少し黄色くなっていて年季を感じ、ページの端がほつれているところもある。ジニーが小さな頃から何度も開いて手に触らないとこうはならない傷み方なのに。
好奇心が湧いてきて、手帳を今度はきちんと観察してみる。表紙の文字は掠れていたけれど、50年も前の手帳だということが辛うじて分かった。ウィーズリー家は旧家だし、ウィーズリー夫人の出身であるプルウェット家も名家だったから古い品物もあるだろう。遺品や相続品のようなものかもしれない。
ページを捲ると、下の方に掠れ切った文字が書いてあることに気づいた。目を凝らしてようやく読み取れた名前を見て、シャルルは目を見張った。
─ T・M・リドル ─
どこかで聞いたことがある名前だ。
シャルルは純血の家系は、イギリスの魔法界ならば新興家系でも全て暗記している。曽祖父母まで遡れる純血同士の子供から純血だと目されるようになるのだが、リドルという姓自体は聞いたことがなかった。
おそらくマグル生まれか混血だろう。
じゃあ何故知っている気がするんだろう。
手帳を弄びながら考え込んだ。そう遠くない最近にこの名前を耳にしたような……。
「あっ!」
パッと立ち上がってシャルルはプリーフェクト・ルームに向かった。歴代の監督生の残した資料や功績が保管されている部屋だ。その部屋は鍵がかかっていてふつうの生徒はあまり近寄らない場所だが、去年父の友人を調べる時にこの部屋に出入りしていたことがあった。
両親の在学していた20年ほど前の棚を通り過ぎ、その奥の棚の前に立つ。T……T……あった!
トム・マールヴォロ・リドル。
50年前のスリザリンの監督生だ。記録を見ると、1年生から7年生までずっと試験は首位で、監督生も務め、首席に任命されている。優秀な生徒だったんだろう。その上彼は2度もホグワーツ功労賞を授与している。卒業時と5年生の時だ。
並外れて優秀……そして品行方正な生徒が卒業と同時に表彰される例は知っていたが、在学中に与えられる例は少ない。
去年、ポッターたちの本当かどうかわからない冒険(でも確実にクィレルは死喰い人ではあったと思う)に対しても大量加点で終わったことを鑑みるに、なにか相当に偉大なことを成さなければやすやすと貰えないはずだ。
50年前の並大抵ではなく優秀なスリザリン生の日記をなぜジニーが持っていたのか好奇心をくすぐられたシャルルは、日記をしばらく預かっておくことにした。もう少し調べてみたい。
知らず知らずに日記に惹かれていることに、この時のシャルルは気付いていなかった。
シャルルは食堂に向かっていた。お腹が悲しげにクークーと鳴っている。寝坊してしまったからもう朝食の時間が終わってしまう。
昨日の夜から食べていないからなにかお腹に入れたい。
急いでいるにも関わらず、シャルルは何故かローブの内ポケットに黒い日記帳をしまい込んでいた。
食堂はガランとしていた。閉まる時間だから当然だろう。でもひとりだけ生徒がいる。席に着いたシャルルを見つけると、彼女が走り寄ってきた。意識的に澄ました顔を作って、青ざめた彼女を待ち構えた。
「あら、おはようジニー」
「昨日あなたにぶつかった時、私の手帳が混ざらなかった?」
「手帳?」彼女は前のめりでいきなり本題に切り込んだ。わざとらしくならないように柔らかく目を丸くして見せる。
「見ていないと思うけれど……どんな手帳かしら?」
「黒くてちょっとボロい日記帳よ。大事なものなの」
「大きさは?」
「手のひらより少し大きめの、このくらいの大きさで……。スチュアート、本当に知らない?荷物に交ざってなかった?」
「ごめんなさい、分からないわ。ああ、そんな顔しないでジニー。部屋に戻ったらくまなく確認してみるわね」
「うん……ありがとう、ごめんなさい。食事の邪魔もして……」
焦った表情に悲壮感さえ滲ませていたジニーは、疑い深くシャルルの様子を観察していたが、結局悲しそうに肩を落とした。打ちひしがれたように見える。
「……そんなに大事なものなの?随分慌てているみたいだけど……」
「な、中をあんまり見られたくて」
「たしかに日記ってプライベートなものだものね。でもジニー、日記を書くなんて可愛らしいわね」
なぜかバツの悪そうな顔で言い訳がましく言う彼女を軽くからかうと頬を少し赤く染めた。勝ち気そうな顔立ちが弱々しく歪んでいる。
「昨日外から帰ってきたんでしょう?そこに落とした可能性もあるかもしれないわ」
「外……そうかもしれない。今から探してみるわ」
「わたしも手伝うわ。心当たりの場所は?」
その途端ジニーはサッと青ざめて首を振った。「いいの。それより荷物の確認だけお願い」
シャルルは目を細めたが、無害そうに微笑みかけた。
「分かったわ。大事な日記が見つかるといいわね」
ジニーの反応から俄然好奇心が高まったシャルルだったが、依然として日記は沈黙を守っていた。アパレイトやエマンシパレ、サージト、アルカナ・アペーリオ、スペシアリス・レベリオ……とにかく思いつく限り効果のありそうな呪文を試してみたけれど、ジニーが蒼白になってまで隠したい秘密を見つけることは出来ない。
シャルルはますます秘密を暴きたくなった。
ジニー・ウィーズリーにそこまで躍起になる理由なんか何も無いのに、頭ではわかっていても、気付いたらシャルルは何となく手帳を開いてどうしたらこの秘密を見つけられるのかと頭を悩ませるのだった。
*
朝目覚めると、ベッドの脇に大量のプレゼントが山になっていた。今日はクリスマス。家族と過ごさないクリスマスは生まれて初めてだ。
シャルルは素早く身支度を整えて、お気に入りのロングワンピースを着た。深緑と白の繊細なシフォンはふわふわと裾が広がっている。水色のサテンリボンを手に取り、向かいのベッドを見る。
カーテンを開けると驚いたようにレイジーが顔を上げた。
「メリークリスマス」
「メ、メリークリスマス……」
「髪を結んで欲しいの」
「はい、スチュアートさん」
ソバカスだらけでいつも陰気な顔つきのレイジーは、今日ばかりは僅かに機嫌が良さそうに見える。艶やかな黒髪を恭しく梳かして、ハーフアップに纏めたのを眺め「アクシオ」と杖を振った。
シャルルのベッドから手元に飛んできた小さな小包を、振り返ってターニャに手渡すと、彼女は目を開いて固まった。
「これは……?」
「今日が何の日かもう忘れたの?」
「わたしに……」
レイジーの手が震えた。信じられないというように手の中を凝視している。去年は特に彼女に何かをあげはしなかったけれど、黙ってシャルルとパンジーに隷属する彼女に報いてもかまわないだろう。
彼女は立ち上がってベッドに向かった。シャルルのベッドと違い、周りには何も置かれていない。プレゼントのひとつさえ。
駆け足で戻ってきた彼女が差し出した箱を受け取り、深緑のリボンを解く。そわそわしているターニャに「あなたも開けたら?」と促した。プレゼントはミューズキャンディと紅茶の缶だ。どちらもシャルルの好きな物だ。そしてどちらも高級とは言えない銘柄。レイジーの私服は数種類しかない。背伸びしてなんとかこれを買ってくれたのだろう。
シャルルがあげたインクの方がよほど高価だ。
「あの、ありがとうございます……!」
常にムッツリ引き結ばれている口が緩やかに弧を描き、顔色の悪い肌に赤みが射している。
「いいのよ、あなたはよく仕えてくれているしね。良いクリスマスを」
さらりと微笑んで、シャルルはドラコ達へのプレゼントを持って談話室に向かった。ターニャは大切そうにプレゼントを抱き締めて、シャルルの背中をひっそりと見つめていた。
いつもならすでにドラコは朝食に向かっている時間だったが、彫刻が施されたソファから淡いプラチナブロンドが覗いていた。談話室には冷たく居心地の良い静寂が満ちて、静粛な雰囲気を保ってはいたけれど、部屋の隅にチラチラ瞬く小さなクリスマスツリーが飾ってあり仄かに室内を彩っていた。
「ドラコ、クラッブ、ゴイル。メリークリスマス」
声をかけるとパッと振り返った。炎に照らされて薄青灰の瞳が輝いた。横に詰めてくれたドラコの隣に座る。
「メリークリスマス、シャルル。これを君に」
「ありがとう。わたしも準備してたのよ。直接渡したくて」
「開けても?」
頷いて、クラッブ達にも手渡した。ドラコへのものよりも箱は大きい。中身はお菓子の詰め合わせだ。彼らにマダム・ミレアムのクッキーの価値は分からないかもしれない。
箱の中からクロス貼りの黒いジュエリーケースが出てきた。そっと開くと、絡まりあったシルバーチェーンに照りの低い美しいエメラルドがいくつか煌めく、繊細なブレスレットが鎮座している。
「まぁ、ドラコ……」
「美しいだろう?君に似合うと思ってね」
「とても素晴らしいわ……でもこんな高価な……」
溜息がつくほどに、そのブレスレットは美しい。暖炉の炎まで飲み込むような豪奢なエメラルドは、その輝きの鈍さがそのまま価値を浮き立たせている。
「値段なんか気にするなんて、君にしてはナンセンスだ。そうだろう?」
皮肉げに笑いながら、ドラコがジュエリーケースから細い指でそっとブレスレットに触れた。シャルルは真っ白で華奢な手首を彼に差し出した。彼の指先は冷たかった。ドラコ・マルフォイという男の子のことを、肥大化した自尊心を持ち、高慢で、年相応に感情豊かな人だと──つまり、幼稚だと思っていた。
でも、シャルルの腕を優しく支えてブレスレットをつける彼の横顔は、怜悧で、睫毛の影が彫刻のような美貌を高貴に象っている。慣れたようにブレスレットを留め、薄い唇が満足そうに笑んだ。
「ほら、やっぱり君に良く似合う」
自分の中で何かがコトリと音を立てたことに、シャルルは気づかなかった。
シャルルは何度もブレスレットのついた手首を掲げては、暖炉やシャンデリアを光に透かして煌めく様子を楽しんだ。頬を上気させて嬉しそうにはにかむ彼女にドラコも嬉しくなる。
手首を大事そうにさすりながら、シャルルは何度もお礼を口にした。
「ハハッ、何回言うんだよ」
ドラコが機嫌の良い笑い声を上げた。「君からもらったクリスタル・クロックも気に入ったよ。センスがいいじゃないか」
白い蛇の模様が描かれた硝子細工の小さな置時計は、手が届かないほどではないけれど、それなりに高価だった。でも、聖28一族で親しくしてくれる子息子女には消えものでなく、長く残るものを贈りたかったのだ。なおかつ、ある程度実用的なものを。見るたびにシャルルを思い出しやすい。
「食堂に行こう。休みに入ってから寝坊ばかりで、ちゃんと朝食を取っていないだろ?」
「面倒で」
肩を竦めると、ゴイルとクラッブが目を剥いた。シャルルがあげたお菓子をさっそく貪っている。
「面倒?食べるのが?」
「ええ、まあ」
苦笑するシャルルにゴイルが呻く。「信じられない……食べられないなら、俺は死んだ方がマシだ」
「まったくだ」
「あなた達はそうかもしれないわね」
食べかすを零している彼らとソファにスコージファイをかけて、ドラコ達は並んで歩き出した。
大広間は見事に飾り付けられていた。大きなクリスマスツリーが何本も置かれていて、豪奢なシャンデリアの下で霜が煌めいている。天井には縫うようにヤドリギが広がり、天井から温かい雪がそっと降っている。雪は手に乗ると一瞬で儚げに消えた。
「美しいわね……」
さすがホグワーツだ。実家でもイベント好きな母親がクリスマスになると家中を飾り付けるけれど、ホグワーツは厳格で荘厳な雰囲気がある。
感嘆して呟くシャルルにドラコは「そうか?悪くはないかもしれないが」と気のない返事をし、クラッブ達は食事にしか目がいっていない。
大広間には人がポツポツといて、双子のウィーズリーが何やら騒いでいて、パーシーが叱りつけているのが見える。ジニーは浮かない、青ざめた顔色でもそもそと食事を口に運んでいた。3人組はいないようだ。
ジニーと視線が絡み合った。彼女は縋るような顔をしている。シャルルは眉を下げて首を振った。
席に着くと、ドラコがスモークサーモンとスクランブルエッグを取り分け、ペイストリーの籠をシャルルの前に寄せた。休暇が始まってから彼と毎日お茶をしたり、夕食を共にしたせいなのか、前よりもなんだか世話焼きで甲斐甲斐しくなったような気がする。
スリザリンのテーブルは静かだ。食事中に会話も交わすけれど、食器の音は当然のごとく響かず、咀嚼音は絶対にしない。(まぁ、ドラコの両脇に例外はいるけれど……)食事中に大声を上げる人もいない。他の寮生は賑やかだから、大広間に来るとスリザリンが静けさによって隔絶されているみたいだ。
「パーティーに出席しない休みなんて久しぶりだな。こんなに自由なら、毎年残りたいくらいだよ」
「やっぱり挨拶回りは大変?」
「まぁね。いずれ父上の仕事も手伝うだろうし、知人はいくらいても困らない。君も本格的にパーティーに出席しないと将来大変だぞ」
魔法界は一昔前と比べ、家柄に過剰に拘る気風は薄れてきてはいるが、魔法省は依然として伝統的な体制を保っているし、政治と人脈や経済力は切り離せない。魔法族を牽引するのが純血の名家であることに変わりはない。
「わたしも何回か去年出席したのよ。ウィゼンガモットの判事の方たちと交流したり、法執行部の方にお食事会に招かれたり……」
「君もヨシュアみたいに法律関係の仕事に興味が?」
「うーん、まだ分からないわ。でも魅力的なのは確かね」
魔法省の中でも法執行部の地位は高い。法律を制定出来れば与える影響力も甚大だ。法関係の役人が純血を重んじてくれているのは素晴らしいことだ。
「そういえば、1度だけファッジ大臣にご挨拶をさせていただいたわ」
「ファッジに会ったのか?」
ドラコが眉を上げる。「父上もファッジとは親しいよ。ダンブルドアに従う無能ではあるが、正しい価値観を持っているし、他者の意見を受け入れる寛容さがあるとも言えるらしい」
彼はルシウス氏が言っただろうことをそのままなぞった。たぶん、言っている意味は分かっていないのだろうし、納得もしていないのだろう。怪訝に顔を顰めている。でも、ファッジが他人に指示を仰ぐということは、操りやすいということであって、彼と親しくしているルシウスはその旨味をよく理解しているに違いない。
「大臣は今のホグワーツの事件をどう思っていらっしゃるのかしらね。まだ新聞にも載っていないのよ」
「おおかた、ダンブルドアが圧力を掛けているんだろうな。穢れた血がいくら石になろうが、僕らにとっては歓迎すべきことでしかないが、奴にとっては致命的だ。父上はいずれダンブルドアを排斥するだろう」
「今回に関してはお父様もカンカンなの。どこからか事件のことを聞きつけてきて、絶対関わるなって念を押されたわ。冬休みも帰ってくるよう厳命されてたんだけど、勝手に残ったから学年末どれほど怒られるか考えたくもないわ……」
「父親の命令を破ったのか!?」
ドラコが愕然とした。
「まさか……。よく君の親は許したな。僕の家だったら……」
背筋に走る悪寒に、ドラコが小さく震える。
「わたしに甘いお父様でも今回ばかりは大激怒よ。吠えメールを送ってきそうな勢いだったわ。でも手紙を無視していたら全く来なくなったの。沈黙が何より恐ろしいわ……」
軽く朝のプレゼントを見たが、母親のアナスタシアと弟のメロウからのプレゼントはあったが、父親からはなかった。カードすらない。怒りのほどが窺えるというものだ。
怖いし、悲しいけれど、ちょっと爽やかなワクワク感も感じた。
親に反抗するのは初めてだったし、ヨシュアはシャルルを今までずっと箱庭の中で色々なことから隠してきた。手を離れた今、少しくらい抗議したっていいはずだ。
親の心子知らず、ヨシュアの心配する気持ちをよそにシャルルはそんなふうに考えていた。
部屋に戻り、プレゼントの山をシャルルはひとつひとつ確認して行った。アナスタシアからはマリア・クロスの新作の洋服とハーブティー、メロウからは自分で調合した簡単な魔法薬だった。会えなくて寂しいとつらつらカードに書いてあって、少し胸が痛む。去年あげた魔法薬キットで体調を治す薬を作ったから、風邪に気をつけてお過ごしくださいと、昔よりずいぶん上手になった字で書かれていた。
パンジーからはカチューシャやバレッタが数個贈られてきた。彼女はシャルルの艶やかな長い黒髪が好きで、色んな髪型をさせるのを楽しんでいる。ダフネは香水、トレイシーはシャンプーセット、セオドールからは絶版している古い呪文の本──おそらくノット家に保存されていたもの──、ザビニからは水色の花束とオルゴール。ミス・サファイアへ、と書かれたカード付きだ。
他にもネビルやパチル姉妹、ブラウン、ボーンズ、パーシー、ディゴリー、スリザリンの先輩などからカードやお菓子が贈られてきている。
ある程度整理して、シャルルは机に向き直った。お礼のメッセージカードを書いて、レターセットを取り出す。シンプルな花柄の手紙はジニーに宛てたものだ。
彼女に送ったクリスマスカードとは別に、「荷物を全部ひっくり返してみたけれど、やっぱり黒い手帳は見つからなかったの。期待に添えなくてごめんなさい。でも探すのを手伝うわ」と雑談も添えて文字にしたためる。これを機に彼女と文通が始まれば万々歳だ。
羽根ペンを置き、黒い日記帳を眺める。相変わらず手帳には何も書かれてはいない。中を見られたくないと言っていたから、ジニーは絶対、中に何かを書いたはずだ。1年生が使える隠蔽呪文などたかが知れているから、シャルルに分からないはずがないのに、未だに日記帳の謎は解けないままだった。
シャルルは何度も日記を眺め、意味もなくページを捲って、表紙の文字を読んだ。T・M・リドル。
裏表紙にはおそらく店名のようなものが書いてある。でもロンドンしかシャルルには分からなかった。
「オックスフォードタイムス……ロンドン、ボグゾール通り……。行ってみたら何か分かるのかしら」
無意識に独り言を呟くと、向かいのベッドからパッと動く音がした。レイジーがビックリしたように見つめている。いることに気付かなかった。彼女を視界と意識の外に置くことに慣れすぎていたせいだ。
「何?」
怪訝そうにシャルルは尋ねた。うろたえる彼女が、オロオロと視線をさまよわせている。
「どうかしたの?」出来るだけ優しそうな声を出す。レイジーがおずおずと首をすぼめた。
「あの、今、オックスフォードタイムスって……」
「知ってるの?」
「はい……あの、」
「本当!?」
シャルルは瞳を輝かせ、前のめりになった。まさかこんな近くにヒントが転がっていたなんて。
「はい……オックスフォードタイムスは、マグルの新聞雑誌店の名前で……ボグゾール通りには行ったことがあるので……」
「マグル?」
反射的に鼻に皺が寄る。まさか、これはマグルの……。手の中の黒い手帳が一気に小汚く感じる。いや、でもこの手帳はジニーが持っていたし、魔法がかけられている。元の持ち主……T・M・リドルがおそらくマグルの店で買ったのだろう。それならリドル姓に聞き覚えがないことにも納得が行く。おそらく彼はマグル生まれのスリザリン生だったのだ。
どうやってウィーズリー家の手に渡ることになったかは分からないが、50年もあれば、人から人へ渡るのも不思議ではないのかもしれない。
「そうなの、ありがとうレイジー」
「い、いえ」
肩を固くしてレイジーはお礼の言葉に恐縮しきった。シャルルは彼女をじっと眺めた。
自分のベッドで息を潜めるようにして、肩身の狭い生活を送るレイジー。いくらシャルル達に重用されることで優越感を感じていると言っても、休みの間まで召使いの立場に甘んじたくはないはずだ。
その上この騒ぎが起きている。他のマグル生まれや混血の生徒は怯えきっていて、スリザリン生でも例外ではなかった。
シャルルは日記を無意識に弄びながら、レイジーに問いかけた。
「ねえ、どうして帰らなかったの?」
「わ、わたしですか?」
「あなた以外にこの部屋に誰か見える?」
呆れたように笑い、目を回す仕草をすると、彼女はビクビク肩を揺らす。今まで彼女に酷い行いをしたことはないはずなのに、何故かレイジーはいつもビクビクしている。
「そんなに怖がりなのにホグワーツに残るなんて。継承者が怖くないの?」
「……それは……。すごく恐ろしいです……」
ぽつりと捻り出したようなレイジーの声音は影のように暗く、拳を握った手が僅かに震えている。なのに、何故?そう口を開く前にレイジーが湿った恨みの滲む、しわがれた声で吐き捨てた。
「でも、家に帰るより、継承者に殺された方がよっぽどマシです」
「……。そうなの」
レイジーの澱んだ瞳がぬらっと不気味に光った気がして、少し圧倒された。ベッドの周りは、痛々しいほど広々としている。
親と関係が良好じゃないのかもしれないわね。恐怖よりもマグル界に戻る方が嫌だなんて、やっぱり彼女はスリザリンに選ばれただけある。
「じゃあ、良い休みを過ごさないとね。自由を満喫できるうちに」
「はい」
明るく軽快に言ってみせると、強ばっていたレイジーの表情がふっと緩んだ。シャルルが圧された不気味さは消え、ほんの少し微笑んでいる。無意識に固くなっていた肩から力が抜けるのを感じ、シャルルも微笑みながら、まさか彼女に威圧感を感じるなんて、と少しの悔しさと感心を感じていた。