Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜 作:しらなぎ
秘密の扱いについては得意な方だと自負している。
スリザリンに属していながら「例のあの人」を快く思っていないことはセオドールしか知らないし、去年は賢者の石の件、父親への疑念だって隠している。
翌日、校内がざわついている様子はなかった。
教授たちも傍目にはあまり変わらないように見える。
授業に行く途中、ピーブズたちと出くわしたが、いつも通り道行く生徒たちをからかっているだけで、別段シャルルを見ても特別な反応は示さなかったから、気付かれていないだろう。
「そういえば、マンドレイクが思春期に入ったみたいよ」
シャルルから雑談を持ちかけられるのに慣れていた彼は、それでもこれには虚をつかれたように一瞬間があった。
『へぇ…』
あからさまに興味が無い様子だ。
2年生が育てている魔法植物の成長をいちいち報告されるのは辟易だ、というのが漂っている。
「このまま成熟させてしまっていいの?石になった被害者が元に戻ったら…」
『ああ…別にかまわないよ』
かまわないの?
リドルが何を考えているか分からない。
血の粛清をしたくて襲撃していたんじゃないのだろうか。サラザール様の遺志を継いで…でも、リドルはそういうタイプじゃないかもしれない。つまり、偉人を尊敬し尊重するような性格ではない。
「石化の特徴があって、マンドレイクの魔法薬が効果的となったら、魔法生物でも限られるでしょう?ダンブルドアは始めの襲撃からもう、バジリスクに気付いていたのかもしれないわ。ジニーが関わっていたとは気づいていないんでしょうけど…」
『誰が、とか何で、というのは重要じゃない。問題はどうやって、ということだけど、あの耄碌した偽善者の老ぼれが"僕"に辿り着けるはずがない』
ずいぶん確信に満ちた言葉だ。嘲笑さえ感じる。
リドルは随分、ダンブルドアが嫌いな様子だ。
「じゃ…あなたは何がしたいの?もう襲撃はしないの?」
『不満かい?』
「いいえ…いいえ。そういうわけじゃないわ」
『君はいつだか、マグル贔屓のようなことを言ってたな。マグル生まれでも友達にはなれる──だったかな』
あれはもちろん方便だ。リドルが継承者を捕まえたと主張していたから。
すぐに言い返そうと思った。ターニャは友達ではないし、シャルルは純血主義だ。それなのになぜか、シャルルの中に躊躇いが生まれた。リドルが続ける。
『君は継承者の役に立ちたいと思いながら、同時に襲撃を疎んでいる。そうだろう?』
「違うわ。ただ…ただ、1人ずつ石にするのは遠回しだと思ったのよ。でももちろん、あなたの襲撃にケチをつけるわけではなくて…」
『僕には僕の計画がある』
「もちろんわかってるわ…」
『君は少しだけ頭は回るかもしれないが、その思想には疑いがある。まさかスリザリン生が穢れた血を庇おうとは』
「わたしは純血主義よ!誰よりも尊んでる、その自信があるわ。あの時はあなたの信頼を得たくて──」
硬質な筆跡に思わず言い募るシャルルに、ふと、文が緩んだ。柔らかくなった文字はまるで微笑んでいるようだ。
『分かってるよ。ただ、そうだな……僕にさらに信頼されたいというのなら、次の段階に進もうか』
「次?」
『直接指導してやると言っただろう?』
リドルはそれだけ言って、シャルルがどれだけ尋ねてもふっと返信は途絶えてしまった。
「シャルル?」
「……」
「シャルルったら」
「…あ、何?」
シャルルは全く授業に集中できず、上の空だった。2年生の内容はもうほぼ完璧だし、試験に出そうな点は板書されているから重要なところだけ書き写している。
普段は、魔法薬学の時以外はリドルと話していたが、今は日記が沈黙してしまったため、シャルルは色々と考え事に耽ってしまって声が右から左へ流れていく。
ダフネに何度か話しかけられて、ようやくシャルルは顔を上げた。
「時計を見て」
振り返ると、教室の後ろにある大きな時計から、小さなフリットウィック人形が飛び出している。今日の夜呪文クラブがあるらしい。
「ああ、ダメ、行けないの」
「最近全然参加してないじゃない」ダフネが不満そうに咎めた。
「あなたが誘ったのに!わたしだって1人で参加したくはないわ」
「ごめんなさい、でも本当に忙しいのよ。ダフネも欠席したらいいじゃない」
「試験に向けて割と有用なレッスンをしてくれるのよ。いいわよもう、1人で行くから」
深くため息をつかれる。本気で怒っているわけじゃないが、少し拗ねている。日記を拾ってからはクラブを全部蹴っていたから仕方がない。
しかも、去年誘ったのはシャルルだし、当時片思いしていたエリアス・ロジエールで釣ったから、シャルルはあわてて機嫌を取った。
「落ち着いたら一緒に行くわ。ほんとよ」
「いつ落ち着くの?」
「それは…まだ分からないんだけど…」
困って眉を下げ、申し訳なさそうな顔を作るシャルルに溜飲し、ダフネは小さく笑った。
「いいわ。でもあなた、休み明けから本当にかまってくれないんだもの。夏休みにはたくさん相手してもらうわよ」
「もちろん!」
「言ったわね?じゃお泊まりしましょうよ、何日か…どっちの家でもいいわ。アナ達もそれくらいは許してくれるわよね?」
「ダフネだったらね。わたしあなたの家に行きたいわ」
「あら、わたしはあなたの家がいいわ。あの湖、とっても美しいもの……」
夏休みの計画について盛り上がっていると、双子が熱心にシャルルを見つめているのに気付いた。目が合うとまっすぐ近寄ってくる。
戸惑っていると、双子はシャルルの目の前でニッコリと微笑んだ。黙っていると氷のように冷めた顔立ちだが、笑っても愛想良くは見えない。むしろいつも機嫌が悪そうで生気の無い彼女たちがニコニコしているのは、相手に妙な不安を与えた。
「ハイ、シャルル」
「ハイ、シャルル」
口を揃えて、まったく同じ動作で手を上げる。ダフネが困惑したように双子とシャルルの顔に視線を走らせ、「じゃ、わたし行くわね」とさっさと立ち上がってしまった。
ヘスティア・カローとフローラ・カローだ。
このカロー姉妹は常に2人で完結していてシャルルはあまり話したことがなかった。それに、なんというか目が不気味で……この双子の叔父と叔母が死喰い人としてアズカバンに投獄されていることもあり、スリザリン内でも遠巻きにされている存在だった。
だが、彼女たちは純血だ。
困惑をすぐに引っ込めて、シャルルは親しげに微笑んだ。
「どうしたの?わたしに用事?」
双子はクスクスとどこか耳に障る高い声でひそやかに左右から笑い声を上げた。シャルルは微笑みを動かさなかった。双子はいつでも、誰にでもこうだからだ。
教室からはどんどん人が減っている。
2人は顔を見合わせてクスクスしている。シャルルは辛抱強く待った。
おもむろにどっちかが、ぐいとシャルルの横顔に顔を近付けた。くん、と鼻を嗅ぐので驚いて身を引こうとすると、反対側にも顔がある。
「やっぱり匂うね」
「うん、匂う」
「昨日はなかったのにね」
「今日の朝から」
「に、臭う?」
両耳から甲高いさざめきがダイレクトに聞こえてきて、そんなことを言われたシャルルは、しかし苛立ちもせず少し頬を赤くして自分のローブをすんすん嗅いだ。
でも、石鹸と香水とハーブの香りしか分からない。
何がおかしいのか双子はまた笑った。艶のあるダークブラウンの肩ほどまでの髪が、ひらりと頬を撫でて離れていく。
「違うよ」
「ほんとの匂いじゃない」
「でも感じるの」
「分かるの」
「他の人には分からない」
「分かりやすいのにね」
「ね」
まったくついていけない。この双子はいつだって自己完結して他人に理解させる気が全くないのだ。
「それで、臭うって…?」
どっちかが、髪とおなじ暗い茶色の目を細めて、面白がるように小声で囁いた。
「血の匂い」
「──!」
思ってもみない言葉に、誤魔化すより先に目に焦りを浮かべてしまったシャルルを見下ろし、双子はしつこく含み笑いをしている。
「血、の匂い?どういうこと……?」
さりげなさを装い、シャルルは首を傾け、素早く周囲を確認した。生徒はもうほとんどいない。教授も私室に戻り、会話を聞かれた様子はない。
「何かをいじめた?」
「何かをいたぶった?」
「何かを嬲った?」
「何かを殺した?」
「小動物かな」
「少し大きいかな」
「罪悪感を抱く生き物」
「抵抗を感じる生き物」
「猫?」
「犬?」
「誰かのペット?」
「森の生き物?」
なぜか双子は確信を持っている。
シャルルは筋肉が強ばるのを感じながらも、曖昧に微笑んだ。
「なんのことか分からないわ。そんなこと…。ひどいわ、あなた達にはわたしがそんな人間に見えるの?」
「見えない」
「でもした」
またクスクスして、双子は嬉しそうに、親しげにシャルルの肩をポンと叩いた。
「知らないふりをしたいんだね」
「してないことにしたいんだね」
「大丈夫、秘密にしてあげる」
「いいよ、黙っててあげる」
「貸しだね」
「恩だね」
「嬉しいな」
「楽しいな」
「シャルルはこっち側だね」
「わたし達と一緒」
「またね」
「またね」
顔を微笑みのまま硬直させるシャルルを置いて、ヘスティアとフローラは言いたいだけ言うと手を上げて去っていった。
やや呆然とする。
一体なんの根拠があって、あんな風に確信を持って……。
見られていたのだろうか。
いや。彼女たちは匂い、と言っていた。昨日はなくて、今日の朝から。血の匂いは残っていないはずなのに。ローブは燃やし、体を清め、消臭の香水だってベッドにも自分にも振りまいた。その上で香り付きの香水をつけて、今も甘い香りしかしないはずだ。
背筋が不気味にゾー……ッと鳥肌が立ち、双子が嫌がられるわけだな…と思った。
証拠はないから弱みにもならないけれど。何がしたくて近付いてきたかも、なぜ黙っていると言ったのかも、彼女たちがいつ気まぐれを起こすかも分からない。
厄介そうな人達に見抜かれてしまったらしい。
*
『カロー姉妹?』
「ええ、そうなのよ。なぜ気づいたか分からないけど…」
『アミカスとアレクトとの関係性は?』
「え?」
誰?咄嗟に思い出せるほど馴染みがない名前にシャルルは戸惑った。それを感じ取ったのか文字が続く。
『アミカス・カローとアレカス・カロー。兄妹だ。カローは聖28一族だし、聞いたことくらいはあるんじゃないか?』
「ああ……たしか、叔父だとか…。今はアズカバンに入ってると聞いたけど」
『…へぇ……』
何か思案する空白ができた。
『その姉妹がどういう性格かは知らないけど、一緒だと言ったんだろ?』
「ええ」
『じゃあむしろ君の面白い手駒になるんじゃないか。カローは昔から頭のおかしい奴が多いから使えると思うよ』
「……手駒?」
目をパチクリして聞き返す。日常でそんな単語を聞くと思わなかった。だが、手帳は当たり前のように即答した。
『ああ。君も部下くらい…いや、取り巻きくらいいるだろう?』
「取り巻き…似たような子はいるけど……」
『そういう存在はいくらいてもいい。出来ることが増えるからね』
「……あなた、5年生なのよね?」
『ああ』
手駒……。
16歳でもう人を支配することに慣れた言い様に、圧倒される。
シャルルは、自分がどんな選択をしても、理解はされなくとも尊重はされる、そういう状況になるために、意図的に振る舞おうとは思っているけれど、それを「手駒にする」だと考えたことはない。
シャルルにとってのターニャは取り巻きのメイドだし、言うことを聞くけれど、それは手駒なのだろうか。分からない。
リドルにとってもシャルルやジニーは「手駒」なんだろう。言うことを聞いて当たり前の。
その言葉の舌触りの悪さにシャルルは眉をひそめた。
継承者の役に立つことは光栄だし、望んだことだ。けれど、なぜか自分が「手駒」であることに肌の産毛が僅かに粟立つような、奇妙な不快感がある。
シャルルは久しぶりに彼に対して違和感…そして畏怖が浮かんでくるのを感じた。
継承者、そしてリドルに対して自分がかなうとは思わないし、尊敬の念があるのに──なんとなく拒否感があるのは、自分が自分で思う以上にくだらないプライドがあるのだろうか。サラザール様の血筋をたしかに崇拝しているはずなのに、それ以上に自分に価値があると自分で思い込んでいるのだろうか。
自分がそんな傲慢で不遜な人間だとは思っていなくて、シャルルは動揺した。
リドルに褒められると嬉しいのに、どうして──。
しかし日記に浮かんだ文字によって、シャルルの思考は中断された。
『それより、本題へ進もうか。そろそろ実体化出来そうなんだ』
「……実体化?」
「そ、れは……肉体を持つ……ということ?」
『似て非なる──完全な肉体はまだ時期尚早だが、日記から出入りすることは可能だ。そのために君の力が必要なんだよ、シャルル』
「日記から出入り……?」
『見てもらった方が早いかな』
当惑しきって揺れる文字をリドルは面白がっているようだった。狼狽するシャルルを観察して、舌なめずりされているみたい。
それでも好奇心を抑えるのは難しかった。
日記の中に閉じ込められた記憶が継承者だというだけで心が踊るし、過去に秘密の部屋を開けた本人そのものだというだけで謎に満ちているのに、その彼が「実体化」する……。
目の前に現れるのだろうか。
当時の姿のまま?
一体どうやって……。だって彼は記憶にしかすぎない。
シャルルは葛藤に打ち負けた。
「…それで、何をしたらいいの?」
『魔力が必要なんだ』
「分け与えろっていうこと?」
『その通り』
「一体どうやって?」
『エピスキーは使えるかい?』
「え?え、ええ」
唐突なクエスチョンに肯定を返す。彼にしては脈絡がない。
『そう、良かった。最も手軽なのは血液なんだ』
「血……?わたしの?」
『もちろん無理にとは言わないよ。君が恐れるのも当然のことだ』
恐れてなどいない。そう言い返そうとしたけれど、シャルルのプライドに働きかけているのだと分かる。
筆を止め、目を閉じた。
血液……。
魔法生物の体毛や血液に魔力が宿るように、魔法族の身体の一部にも魔力が宿る。その理屈は分かる。けれど、血液……。
この日記帳が闇の魔術によって成り立っていることを、思い出した。
リドルは返事を急かさなかったし、弁解もしなかった。ただ、空白のみが映る日記帳。
「あなたはそろそろ、だと言ったわ。つまり、今までにも魔力の供給がなんらかの手段でなされていたの?」
『ああ…もっともな着眼点だね。君は賢い魔女だ』
「ありがとう。けれどはぐらかさないでちょうだい」
『はぐらかしてなどいないさ。この日記は持ち主が書き込むことによって僅かに魔力を得ているんだよ。微々たるものだけどね。でなきゃ、返事すらも出来ない』
「今までわたしから魔力を奪っていたの?」
『いいや、その言い方は適切じゃない。つまり魔力を流すことで発動する魔法具と似ているかな。たとえばポートキーがそうだ。必要な時だけ魔力を流し呪文が完成する』
「……書き込むことでの魔力では足りないの?」
『君は出来るかい?羽根ペンを通じて、自分の中の魔力を自在に操って流すことが』
そんなことはもちろん出来ない。
熟練の魔法使いでも難しいだろう。呪文をただ発動することは出来ても、その強弱を操ることは難しいから「マキシマ」の呪文があるのだ。
でも、血液……。
強い抵抗感があった。
闇の魔術品に自分の一部を与えるということに、理屈はうまくつけられないが、忌避感があるのだ。けれど抗いがたい魅力もあった。
T・M・リドル。
サラザール様の血を引く継承者……。
『僕の道を見せてあげるよ、シャルル』
道。
彼はもしかして、襲撃を通して自分の復活を望んでいたのだろうか。
この5年生の彼は、今の時代何をしているのだろう。志し半ばで道が途切れてしまったのだろうか。だってこんなに底知れない深淵さがあるのに、リドルなんて魔法使いの名は聞いたことがない。
彼は何を望んているのだろう。
何を成そうとしているのだろう。
彼の進む先にシャルルの望む世界があるだろうか。彼の隣に……。
シャルルは唇を噛み締め、熱い溜息を吐いた。
自分が愚かなことをしようとしているのは、分かっている。けれど、リスク以上に、彼に何かを見出している自分がいることも事実だった。
杖を掴んで、自分の手首を日記の上に掲げる。リドルに指導されて、反復練習の末に、強弱の差をつけられるようになったレダクト。それと同じ要領だろう。
魔力を弱く流し、吐息のような声で囁く。
「ディフィンド」
白い肌にみるみる切り傷が浮かび、血が日記帳を赤く染めていく。鋭い痛みに顔を歪め、液体がポタポタ垂れていくのを青い眼差しでじっと見つめた。
やってしまった。
やってしまった!
日記帳が血を吸い込んでいく。どうなるだろう?まだ必要なのかしら。
変化を恐れ、そして待ちわびるような、長い数分があった。
「もう充分だ。助かるよ、君の心を注いでくれて」
心臓が止まったかと思った。シャルルは石になったように動けず、その深くて低い、天鵞絨のような声に目を見開いて、そろそろと振り返った。
──青年が立っている。
「リ……リドルなの……?」
問いかけた声は震えて、今にも消えてしまいそうなほどか細かった。
「ああ。初めまして、になるのかな、シャルル。僕はトム・リドル」
衝撃でシャルルは口が聞けなかった。
本当に実体化したことも、継承者に出逢えた興奮も、そして恐怖や畏怖も渦巻いていた。彼が半透明で、銀色めいた輪郭がぼやけていたこともある。
けれど、それを全て吹き飛ばすくらいに、彼は「スリザリンの継承者」として理想的だった。
人々の憧れをすべて詰め込んだように、T・M・リドルは完璧な造詣をしていた。シャルルは口を僅かに開けたまま、彼に見蕩れて動けなくなった。
優雅にはらりと垂れる前髪に、艶やかな黒髪。切れ長で玲莉な眼差し、硝子のような透き通った瞳には感情が読めない無機質な美しさがある。血色の良い蕾のような唇は笑みを象っているのに、どこか冷たさを感じさせる。
青年は完璧だった。
姿形だけでなく、その醸し出す雰囲気は自信と理知に溢れていて、他の誰にも触れられないような恐れ多ささえ抱かせる。
氷のような美少年。
これほどまでに美しく、完璧な人を見たことがない。
彼が、サラザール様の子孫……。
「大丈夫かい?君が驚くのも無理は無いけど、そんなに見られたら穴が空きそうだな」
フッと唇を歪め、細い柳眉を僅かに下げて微笑むリドルに、シャルルは我に返って急激に血が昇ってくるのを感じた。
「あ、え、ご、ごめんなさい。本当に現れるとは…思わなくて」
「そうだろうね。君と直接話せて嬉しいよ。想像よりずっと可愛らしい少女だったことには驚いたけれど」
容姿についての賞賛なんか、今まで腐るほど浴びてきたのに、自分よりよっぽど美しいリドルに言われるとどうしようとないほど動揺して、シャルルは困ったように俯いた。
きっと今、耳まで赤くなっているだろう。
お世辞だとわかっているから、真に受けているわけではないのに、直接彼に褒められるとはしたないほど喜びが滲んできてしまって、自分では制御出来なかった。
リドルはそんな2年生の少女を目を細めて見下ろした。
「それにやはり、君は……僕の友人によく似ている。懐かしいな」
「あ……オリオン・ブラック?」
「覚えてたんだね。そう、彼は僕の友人だった。彼と君は瓜二つだ。違うのはその瞳くらい」
「そんなに似ているの?」
「ああ。孫でないのが不可解なくらいだよ。後で見せてあげようか」
見せる?
首を傾げたが、リドルが天蓋を興味深く見回し始めたので、シャルルは急に恥ずかしくなった。自分の空間をまじまじと他人に──それも男の子に見られる経験はない。
いつも綺麗に整えているけれど散らかっていないか心配になる。
リドルは興味深そうに眺めた後、机の脇の本棚から一冊の本を取り出そうとした。だが、半透明の手のひらがするりと本をすり抜けた。
「まだ足りないな…」
「ち、血が?」
「魔力がね。これからも協力を頼んでいいかな、シャルル。もう少し力が溜まれば現実にも影響を及ぼせるようになる」
「魔力だけで完全な肉体が得られるの?」
彼はシャルルを見下ろして、ニコ、と微笑みを浮かべた。それだけで言葉を奪うほど綺麗な笑みだ。ぽーっと一瞬見蕩れたが、その笑みはシャルルがよく使う、答えを告げる気がない微笑みであることは明確だった。
彼はしばらく一人でなにやら試行錯誤していた。最終的になるほど、と小さく呟き、何かに納得している。
そして急にパッと消えた。
「えっ?」
キョロキョロ見回してみても、どこにもいない。
「リドル?」
「なんだい」
消えた時と同じように、またパッと半透明の彼が目の前に現れた。
「日記への出入りは自由に出来るみたいだ」
「ゴーストみたいね…」
空中に浮かんではいないが、微かにもやがかっていて、物体を通り抜けて、足音がしない。けれど、彼の胸は呼吸のように上下し、話すたびに吐息が零れていた。まばたきもするし、まるで生きているみたいだ。
「ゴーストよりも高度な存在だ。停滞する死者の未練なんかとは明確に違う」
穏やかに微笑んでいた彼に、怜悧な嘲笑が浮かんだ。その表情は恐ろしいほど彼に似合っていた。
なぜか指先が甘く痺れる。
彼はスリザリンなのだ。…
「思ったより魔力を使うな。保てなくなるまで測ってみたい。シャルル、良ければ付き合ってくれるかい」
「な、何をすれば?」
「君のことを教えてくれ。たわいない話、何が好きで何が嫌いか、愚痴があれば聞いてやるし、人に言えないことがあるなら吐き出せばいい。君は自分のことをあまり明かさないだろう?」
リドルはベッドに腰掛けた。いや、腰掛けているように見える。ただ、やはり身体はベッドをすり抜けていた。どうなっているんだろう。
彼の隣に呼ばれ、シャルルはドギマギしながら横に座った。
感覚も温度もないのに、呼吸音だけは聞こえる。
身体が硬くなるのを自覚した。緊張なんてめったにしないのに。
リドルは継承者だし、憧れだし、自分よりよほど完璧だからそうなるのかもしれない。小さく深呼吸して彼を見つめる。制服の上からでも彼の背がとても高くて、手のひらはすらりと美しいのに骨ばっていて大きかった。
喉仏が突き出している。
「聞かせてくれる?」
彼が顔を傾けるとサラリと髪が横に流れる。口を開けると白い歯がチラチラと見え隠れし、近くで見た彼は彫刻のようだった。
そして、優しげなその目に何の温度もないこともよく分かる。彼を見てシャルルは強烈な共感性を感じた。
わたしとリドルは、たぶん、よく似ている。
「取り繕う必要はないわ。闇の魔法具だと分かっていながら血まで与えたのよ。今更あなたから手を引いたりしない」
つるっと零れた言葉にリドルは僅かにすら動揺もしなかったけれど、スッと無表情になった。
「そう。じゃあそうしてやろう。けど、僕を分かった気になるのは早いと思うよ」
「ええ……けどやっぱり、そっちの方が似合うわ」
全てを見下しているかのような冷たい瞳は、彼の美貌によく馴染んでいた。こうして、スリザリンの生徒を手駒にしていったんだと実感が伴う表情。
シャルルは平静を装って微笑みながらも、歓喜で皮膚の内側に鳥肌が立つ心地だった。彼の隣にいることが震えそうなほど誇らしかった。
*
「それで、何を知りたいの?わたしになんて興味がないでしょう?」
「そうでもないよ。人の秘密はなんだって甘美なものさ」
「操りやすいから?」
「よく分かってるじゃないか」
高揚した気分のまま、シャルルはうふうふと笑う。
浮かれているのは一目瞭然だったが、リドルはそれに見下した視線は投げなかった。抑制しているのかもしれないが、それが少しうれしい。
「といっても大した話はないのよ。あなたのために殺した鶏くらいかしら。人に知られて困ることは」
「ふぅん。意外と利口な優等生らしい」
「そうよ。わたしはただ、家の名に相応しい淑女であろうとしているだけ。あなたは2年生でもうたくさんの秘密を抱えていたの?」
「僕には野心があったからね」
それがスリザリンだろう、とでもいうように、彼は淡々と言った。優しさを装っていた時の声と違い、彼の話し方は平行的で、それなのに耳に心地よく響く。
「5年生のあなたは何がしたくてこの日記を?」
「秘密の部屋をまた開けるためだ。穢れた血を一人殺しただけで終わってしまったからね」
「そしてハグリッドになすりつけたのね?そんな大それたことを…」
感嘆の混じる声に、リドルはフンと鼻を鳴らす。
「5年かけた労力に全く見合わない。他の全員が僕を信用していたが、ダンブルドアだけが僕を警戒していた…」
忌々しそうに眉にシワが寄る。一瞬、彼の昏い眼差しに赤い光がよぎったように見えた。
「ふふ、あなたもスリザリンなのね。わたしも彼が好きじゃないわ」
「当然そうだろうね」
「彼はレイシストよ。グリフィンドールのためならスリザリンなんてどうでもいいの。去年のこと忘れないわ…」
「去年?」
気を引かれたようにリドルが眉を上げる。
日記の中だけでなく、現実のリドルも聞き上手だった。シャルルが浮かれていることもあったかもしれない。彼女は請われるままにすべらかに去年の屈辱を語ってみせた。
興味がないだろうって分かっているのに、まるで本当に気になっているみたいに相槌を打つ彼に、シャルルは幼い表情で唇を尖らせる。
緊張していたのもいつの間にか収まっていた。
美しくて気を緩めると見とれてしまうのに、なんでか彼と話すのはとても馴染む気分になる。
「賢者の石、ね…」
「死喰い人が狙っていると分かっているなら最初からダンブルドアの手元に置いておけばよかったのよ」
「戦わせたかったんだろう。ハリー・ポッターに」
英雄の名を口の中で転がした彼は、ふと口を噤んだ。見上げた彼はアッと声が出そうなほど蛇のような目をしていた。
「ポッターのことを知ってるの?」
「ジニーが嫌というほど聞かせてくれたよ。彼が自分に振り向いてくれることはないだろう、とかなんとか、くだらない泣き言を毎日のようにね」
嘲りを含んだ声が吐き捨てる。
ジニーはポッターが好きなのか。シャルルは初めて知った。少女の興味のない恋愛話を聞かされたから、彼はこんなに冷たい横顔なのだろうか。
だが、不機嫌や忌々しさとは違うように見える。
「君の目から見てハリーはどう映る?彼は二度、ヴォルデモート卿の手を逃れた」
シャルルは目を見開き、ヒュッと息を飲んだ。
彼の名を呼んだ。
思わず瞬間的に身体が小さく震える。
リドルはシャルルを見て、「ああ、すまない」と気軽に謝罪をした。満足そうな響きが含んでいる。
「名を呼ぶことさえ恐れる闇の帝王…そうだったね」
「え、ええ。あなたは過去の人間だから実感が湧かないかもしれないけれど…」
「いいや、分かるとも」
彼は低く笑い、「それで」と言い直した。
「その闇の帝王の手から二度も逃れた英雄、ハリー・ポッター。彼に特別な何かがあると思うかい?」
「分からない…彼はパーセルマウスだから、どこかでスリザリンの血を引いているとは思うけど…。だからその血があの人から彼を守ったのかしら」
シャルルは考え込み、ブツブツ呟いた。
「彼が気になるの?」
「ああ」
怪訝そうなシャルルの瞳に答えるように、リドルが続ける。
「共感しているんだ。僕と彼は奇妙なことに共通点が数多くある」
「共通点?」
「パーセルマウスで、混血で、孤児で、マグルに育てられ、不当な扱いを受けた。ホグワーツ創立以来蛇語を扱えるのは僕と彼のたった2人だし…」
「待って」
シャルルは思わず彼を遮った。気になる言葉がいくつかあった。目を疑うように彼をまじまじと凝視する。
「混血なの?」
「……ああ、そうだとも。母が魔女で父は穢れた血だった」
「…そ、そうだったの…」
「もちろん、僕が生まれる前に、母が魔女だという理由だけで捨てた穢れた血は既に殺した。君は純血主義だったね…他の愚かな貴族共のように僕を蔑視するかい?」
鏡の瞳でリドルはシャルルを見下ろした。シャルルは慌てて首を振った。
「い、いいえ。あなたはサラザール様の血を引いているもの」
「そう…聡明な目を持っているようでよかったよ」
「……殺したの?16歳で?」
「ああ。のうのうとマグルの父が生きているなんて許せないからね」
畏怖を浮かべてリドルを見上げた。
彼には誇らしさも、成果を見せびらかすような様子もない。ただ、するべき事を成したという事実だけがあった。
シャルルが鶏を殺したくらいで高揚感を得ているのが恥ずかしくなるほど、彼との間には大きな差があった。
マグル生まれを石にすることなど彼には瑣末事なのだ。そうだ、彼は在学中に既に女生徒を誰にもバレずに殺している……。
背筋をゾワッとしたものが走る。
彼が継承者だということが目が覚めるような実感とともに降ってきた。ただ血を継いでいるだけじゃなく、行動が伴う、本当の意味での継承者……。