Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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40 磔の呪文

 シャルルの哀願によって、閉心術の指導は明日からに伸ばしてもらえた。それまでに図書室で閉心術について読み漁ろう。

 いや…この必要の部屋に頼めば、その本も出るのかもしれない。

 

 今日のところは実験的な魔法呪文だけで許してもらうことになったが、リドルは微笑みを浮かべていても恐ろしく不機嫌らしく、その指導は苛烈を極めていた。閉心術を伸ばしてもらえたのは寛大な許しではなく、逃れられるなら逃れてみろという、許しとは真逆の感情から生まれたものだというのは分かり切っていた。

 

 リドルは洪水のような勢いで呪文とその理論構築を捲し立てた。いや、捲し立てるというのは知識に翻弄されるシャルルの体感であって、実際彼は流れる小川のようにしっとりと話していた。言い聞かせるように、だが理解させる気はないかのように絶え間がない。

 黒い日記帳でやり取りしていたリドルはもう少し優しさがあった。

 シャルルの脳みそに合わせようとする計算があった。

 それが今はない。

 整った角度45度の完璧な微笑みと共に合理的を人間の形にした男が後ろからネチネチネチネチシャルルに呪文を押し流し込み続ける。

 

 質問は許されなかった。いや、出来なかった。彼が微笑みと共に「その説明はしたはずだが、僕の話を聞いていなかったのか?君の耳は飾りのようだね。それとも頭の方かな」と、顎に優雅に指先を当てて顔を傾けるからだ。

 リドルはシャルルがいかに無能なのか残酷に突きつけてくる。

 他者に嫌味を言われることはほとんどない。

 グリフィンドールからくらいだ。他寮の純血と関わるとき、スリザリンからもたまに言われるが、嫌味というのはシャルルの中にほとんど何も残さないものだった。

 苛立ちも、傷も。

 けれどリドルからは違う。

 いつ彼に捨てられるか分からない恐怖がある。

 他人から"捨てられる"と恐れること自体、シャルルの中にない概念だったが、彼女はそんな自分の心の変化にまだ気付いていない。

 

 高学年の呪文を詰め込まれ、ノートはインクでビッシリになった。

 シャルルを小突くのに飽いたのか、満足したのかは分からないが、リドルがようやくうなずき、シャルルは安堵と疲れのため息をついた。

 

「じゃあ明日、今日の復習と実践をしようか」

「…ええ……」

「閉心術の実践をしながらこなせるようになるのが最低限のラインだ」

「ど、同時に…」

「当たり前だ。そのくらい出来なければ足でまといなだけだ。君は殺戮の共犯者になろうとしている。敵は掃いて捨てるほどいるんだ」

「……」

「分かっていないみたいだね」

 

 殺戮の共犯者……。

 シャルルは心の中で繰り返した。そう言われてもピンと来ない、だが、リドルの見据えているものがシャルルが思うよりずっと大きいことは分かる。

 そこで「怖気付いたのか?」とかなんとか、試すようなことを言ってくれたらいいのに、リドルはそんな優しいことはしてくれない。黒曜石のような考えの読めない深い瞳でシャルルを上から見下ろすばかりだった。

 

「そろそろ僕は戻る。君は今から閉心術の勉強をするんだろう?」

「……」

「そんな時間と体力があればいいけど。明日、寝不足や体調不良でレッスンをサボるなんてことがないように、ね」

 

 小気味良さそうに言いたいだけ言うと、リドルは日記に戻った。シャルルは苦虫を噛み潰した。

 小生意気なシャルルへの苛立ちもあっただろうが、最後の煽るようなあの顔。

 絶対、あの人わたしで遊んでるわ!

 目をつぶってため息をつくと、シャルルは心の中で閉心術に関する書籍を唱え始めた。消灯時間が近い。もう、この部屋で夜を明かしてしまおう。

 

 柱時計がボオン、ボオンと鈍い音を響かせた。ソファにもたれかかり、自分の内なる世界に閉じこもっていたシャルルは、うんざりしたように顔を上げる。

 朝食の時間に合わせて鳴るように設定した古い柱時計は、埃をかぶっていた時間が長いだけあって、非常に耳障りな音をしていた。

 

 膝の上にある、開いているだけでもう読んではいなかった本を雑に閉じると、天井を見上げてコメカミを揉む。

 仮眠を取ろうと思っていたはずなのに、結局朝になってしまった。

 

 いくらでも好きな時間に寝て好きな時間に好きなことを出来た冬休みが恋しい。それに、好きなことを追い求めていた時間も。

 どんな状況でも知識を得ることは楽しいけれど、やはり「やらなければならない」学びや努力というのはやや億劫にさせられる。

 優等生のシャルルにとって授業をサボるという選択肢はなかった。あくびを噛み殺し、本を本棚に戻すと、シャルルは必要の部屋を後にした。

 

 教室に入るとドラコの隣に座ったパンジーが目を丸くし、眉を釣り上げた。「昨夜はどこにいたのよ?」そんな声が聞こえてくる。シャルルは苦笑して肩を竦め、何も言わなそうなセオドールの隣に逃げる。

 変身術の教科書を並べ、横にリドルに教えられた呪文が書かれたノートも広げた。高学年の範囲まで含んであり、理論はまとめたが、理解がじゅうぶんではない。特に閉心術と開心術に関しては、成功の兆しさえ見えない。

 セオドールがチラリと横顔に視線を投げ、ノートをなぞっていくのを感じた。呆れたような気配がする。

 

 今日新しく習うスポンジファイという呪文はシャルルにしてみればあまりにも無害で、あまりにも易い魔法だった。対象を柔軟な物質に変容させるチャームで、一度で成功させる。セオドールも同じだった。

 シャルルはすぐにノートに目を落とした。

 彼がマクゴナガルから加点をもらっている。テローゼやトラヴァースも少しして成功させ、トラヴァースがまだ終わっていない生徒を手伝い始める。

 相互協力はシャルルが言い出し、半ば強制させていることだったが、近頃の彼女は自分の都合に忙しく、蔑ろにしがちだった。

 以前ならば率先してでしゃばっていき、席から動こうともしないセオドールに圧をかけて動かそうとしていたくせに、今は自分が机にかじりついている。

「君は何をそう生き急いでいるんだ」

 声をひそめて彼がつぶやいた。私語をするとマクゴナガルに耳ざとく咎められてしまう。

「そう?」

「そのノート…君の予習の範囲からは外れているだろう。個人的にレポートを纏めていると言っていた攻撃呪文からも」

「そうなのよね」

 シャルルはため息をついた。

「僕たちはまだ2年生だ。時間はこれから充分にある」

「そうね…たしかに…」

 彼女の返事は杜撰で、何かに考え込むように視線が宙をさまよった。

 たしかに、時間はシャルルには充分にある。何事においても、呪文の習得は早い方がいいが、リドルはどうなのだろう。なぜ、今だったのだろう。

 

 いずれ何らかの手段によってリドルが肉体を取り戻すことが出来るのなら、動き出すのはそれからでもよかったはずだ。いや、そっちの方がよいのではないだろうか。

 まだ2年生のシャルルや、1年生になったばかりのジニーを動かすよりも、自分が準備を整えて復活してからの方が。

 それとも、復活にバジリスクが必要?あるいは…犠牲や誰かの死が?血の粛清と同時に自身のための下準備をしている?

 彼は秘密主義者で、シャルルのことを見下していて、まだ信用されていない。だから彼が何を考えているのか分からなかった。

 憶測するにもシャルルの知を越えた魔法すぎて想像の域を出ない。

 

 シャルルはせっかちだが、今の彼女が「生き急いでいる」ように見えるのなら、それはシャルルではなく、指示しているリドルだ。

 彼は急いでいる?

 どうして?

 だって、日記として50年も生きてきたはずなのに。

 

「……」

 

 トン、トン、と人差し指で頬を叩きながら考え込んだシャルルにセオドールは溜息をついた。自分の滅多にしない忠告が彼女に余計な閃きを生んだのは明らかだ。自己完結しがちで秘密主義者なのは彼女の常だが、セオドールはそれがもどかしい。

 

 

 閉心術。オクルメンス。理論的には、心の内側を読み取ろうとする魔法の力に対して、心の内側を空にすれば良いのだが、それがシャルルには難しかった。

 脳内では常に言葉が飛び交っているのが普通だからだ。

 心や頭の中を無にする、という感覚が分からない。

 昨日、リドルの開心術を拒絶した時は、自分が意識したのではなく、耐えがたい拒絶感が目眩や目の裏の痛みとして身体に表出しただけだ。

 見られた記憶だって、シャルルが覚えてもいなかった過去のもので……。

 

 …………。

 母が泣いていたあの記憶……。

 あれは何を見ていたんだろう。顔は見えなかったけれど、男性だった。

 母の、声を押し殺して静かに涙を流している様子…何かに焦がれているような…懐かしむというには悲痛で、傷に悶えるというには、静謐だった。

 開心術が呼び水となって頭の欠片にあった記憶が蘇った。母の涙と肖像画を見て、なぜか見てはいけないものを見たような気分になったことを、覚えている。

 あの肖像画が男性だった…から。父ではなかった。ダスティンの祖父母も、スチュアートの祖父母も違う。こなすべき課題である閉心術とは何の関係もないその肖像画と過去の記憶が、無性に喉の内側を引っかくような小骨を残していた。

 

 思考を意図的に戻す。

 頭の中を切り替えるということはシャルルは得意だ。頭の中を空にすることが困難なら、見られてもいい記憶をわざと考え続ける…というのはどうだろう。すぐに枝道に分かれてしまうような些細な出来事ではなく、心や頭の中をいっぱいに占めるような。

 そういう記憶なら心当たりがある。

 自制しがたい感情を産んだ出来事。

 

 それか、痛みによって開心術から逃れたなら、意図的に痛みを生み出すとか…。記憶を整頓する感覚を掴むより、リドルの圧から逃れ、自らの身体を直接痛めつける方がやるのは容易である気がする。

 開心術から逃れ、杖で自分を傷付ける余裕がリドルの前であるかは、かなり片寄ったシーソーゲームなので、一応手に突き刺せるような鋭利な羽根ペンを懐に忍ばせておく。

 穢れた血のような原始的なやり方にはため息をつかざるを得ないけれど、開心術に対する有効的な手段を他に思いつかない以上、甘んじるしかない。

 

 授業が終わるとレッスンの時間だ。

 リドルと関わるようになってから、全ての時間は心弾むものだったけれど、開心術をかけられると分かっている今からの時間は足取りが重くなる。

 必要の部屋に入り、いつも通り数滴血を垂らすと、白銀の亡霊が現れる。

 

「いい子だ。練習はしてきたかい?」

「ええ、一応…。でも、閉心術の文献を調べるだけで夜が空けてしまったわ」

「重厚な学問だからね」

 リドルは端正な微笑みを浮かべた。シャルルの拗ねたような告発する言葉を何ら受け止めてはいない。ため息をつき、黙ってテーブルに杖を置いた。拳を握って心を開かれることに備える。

 

「じゃあ、始めようか」

 宣言してくれるだけ昨日よりマシなはずだ。そう言い聞かせて頭の中をできるだけ平坦に…静かにしようとする。

 彼が無慈悲に杖を構えた。

「レジリメンス」

 そして目の前の部屋がぐるぐると回り始めた。

 

 シャルルは坩堝の記憶の中で、どうにか思考を抑制しようとした──目の前のリドルが見えなくなり、思考に塗り潰される──見せたい記憶は決まっている。自然と断片の記憶も学生になってからのものになっていった。

 初めて杖を手にした時の感動と神秘的な光景……。ドラコがネビルを虐めているのを庇わなかった時の自分の情けなさと怒り……。ノットに初めて理想を話した時のこと……。グレンジャーに首位を奪われた時の屈辱と惨めさ……。

 徐々に近付いてきた。

 パチンとまた記憶が変わる。

 

『よし、よし、スリザリン。よくやった。しかし、つい最近の出来事も勘定に入れなくてはなるまいて』

 

 泥のような声と共に、絶望にも似た怒りが湧き出してきた。これよ!

 シャルルは気付かないうちに、集中するあまり痙攣していた。銀と緑だった大広間が、金と赤に見る間に色を変えてゆく。

 口の中で何度も転がすように、憎悪をつぶやいた。

『アバダケダブラ……』

 これを唱えてやりたかった。杖を向けたかった。これほどまでに誰かの死を願うのは初めてだった。ダンブルドアがシャルル……そしてスリザリンを嘲笑っているようにしか感じられなかった。

 場面が変わった……しかし、心の扉をバタン!と閉じて、怒りと憎悪に心を塗り替えす。ダンブルドアがシャルルを嘲笑している。

 頭の中で幾度も去年の学年末パーティーを繰り返していると、ふと頭の中が急速に軽くなる感覚がした。一気に景色が戻ってくる。目の前に満足気な微笑みを湛えたリドルが見下ろしていて、脳みそのどこかがズキズキと痛みを主張していた。

 リドルが呪文を終わらせたらしい。

 呆けるシャルルをリドルが柔らかい声音で褒めたたえた。

 

「よくやったね」

 彼にしては珍しい、皮肉も含みもないストレートな言葉だった。シャルルの頬がポッと喜びに染まる。

「わたし…成功したの……?」

「ああ。やはり君には才能があるようだね。脳内を強い感情や出来事で埋め尽くすというのは有効な手段だ」

 なぜかリドルは機嫌が良かった。過剰にも思える褒め言葉だ。

「今の記憶は例の??」

「ええ、去年のパーティーの記憶よ。忌々しいと思わない?あのダンブルドアの態度と言ったら」

 石のような顔色でシャルルが吐き捨てる。当時の怒りは思い出そうとすれば生々しい感触を伴ったままいつでも取り出すことが出来た。

「彼のグリフィンドール贔屓は変わらないな…」

 冷たい瞳でリドルもシャルルに同調してくれた。彼もあの老いぼれが嫌いだった。だが、今はやはり口元に笑みが浮かんでいる。

 

「かわいそうに」

 ヒヤリとした氷のような手がシャルルの髪を掬って、耳にかけた。優しく、機嫌の良い声がシャルルを労る。

「無能によって栄光を奪われたり、努力を不意にされるのは並々ならない悔しさがあるだろう。分かるよ」

 リドルの大きな掌がシャルルの頭をゆっくりと撫でていた。軽く往復したあと、さり気ない気安さで離れていく。目を見開いて石のように固まっていたシャルルは、褒められた時とは比にならないほど、ボッと音を立てるように顔を真っ赤に染め上げた。

 

「……、……っ」

 言葉にならない音が喉のあたりでつっかえ、思わず俯いてる爪先を睨む。今、何をされたの?理解が追いつかなくて、反芻すればするほど、身悶えするような気恥しさが急速に心臓を捻じるようだった。

「ハハ!」

 嘲笑うよりも軽い笑い声がして、ますます肩を縮こませる。

「か、からかうのは辞めてちょうだい」

 喘ぐようになんとかそう訴えたが、彼は「からかってなどいないさ」と取り合わない。

「成果を褒めただけだよ。君は僕の予想以上の結果を出したからね。まぁ、思ったより喜んでくれたようで、なにより」

 にんまりと美しい彫刻の顔を悪戯っぽく歪ませるリドルに、シャルルは顔どころか首筋や手のひらまで赤くなっていく。心臓の音が耳の裏で聞こえて、興奮にも焦燥にも似た身体の動きに心が追いつかなかった。

 

 その後のレッスンは散々だった。

 レジリメンスを繰り返し、何度も心の扉を無理やりこじ開けられ、嫌な拒絶感を味わったが、それもこれもリドルが動揺させたせいだ。言い訳にならないことは分かっていても、彼を詰りたくなるのは仕方がない。

 だが、全体的に閉心術は体感として身についてきている感覚はある。

 心を無にすることは出来なくとも、押し入られる感覚を感じた時に、すぐさまダンブルドアのことを考えられるようになってきたし、扉を閉じる感覚も掴んだ。

 これからは、学年末パーティーで感じた憎しみと屈辱で心を塗り潰すだけではなく、他の記憶や感情で同じことを出来るようになることと、呪文を扱ったり、他のことをしながら閉心するコツを掴むようにならなければならない。

 

 シャルルはベッドの中でゴロンと寝返りを打った。

 目を閉じると、リドルの冷たい手の感覚が頭にじわっと広がる。

 また頬が熱を持つ気がして、シャルルはなかなか寝付けなかった。

 

*

 

「プロテゴ?」

 数日経って、レッスンは次の段階に進んだ。次は呪文を使いながらの抵抗を試みていく。シャルルは連日のレジリメンスで、瞬間的にまでとはいかなくとも、数秒で心を防御出来るようになっていた。

 今までリドルはシャルルの杖を使っていた。だから、杖がなくとも開心術を使えるのか問いかけると無言の微笑みが返ってきた。そして「抵抗するために魔法を頼るのは三流がやることだからね」と冷たい声で笑った。

 

 プロテゴは個人的に練習していた守護の呪文で、杖の先からエネルギーが伝っていく感覚はあったが、盾としてはまだ未完成だった。

「決闘する上でプロテゴは役に立つ。それと、以前教えた攻撃呪文もね」

「あなたに攻撃するの?」

「かまわないよ、君にそんな余裕があるなら」

「そう、それなら遠慮はしないわ。わたしはいつだってあなたの想定以上の結果を出してきたはずだもの」

「言うじゃないか。失望させないでくれよ」

 リドルはいちいち煽るような物言いをしてくるが、そんな言い方に慣れきった自分がいる。それに、なぜか嫌な気分ではない。むしろ小気味よいコミュニケーションだと思わせるところが彼の厄介なところだった。

 彼と関われば関わるほど、彼の魅力に取り憑かれていく。リドルは理想的な男の子だった。知性に溢れ、皮肉げなユーモアを持ち、行動力と指導力がある。正当な素晴らしい血筋以外でも彼は魅力に満ちていた。彼が持たないものはなかった。

 シャルルの人生の中でこれほど完璧な人とは出会ったことがない。

 

「君が得意な呪文は?」

「何かしら…シレンシオとか?」

「攻撃呪文だよ。使い慣れているものが望ましいね」

「攻撃呪文を使い慣れてなんていないわ…でも…そうね……ディフィンドやコンフリンゴは研究の一環で得意になったわ。ステューピファイも使いやすいし…」

「そう、なら始めはそのあたりがいいだろうね。それからプロテゴも意識して使うように。これは無言呪文で扱うのが最も効果的だ」

「分かったわ…」

 彼自身が有能だから、当たり前のように求められる水準が高い。ため息をつきたくなるが、やり甲斐があるのも事実だった。

 

 リドルの黒曜の瞳がシャルルのサファイアの瞳と交差する。

「レジリメンス」

 透明な何かがシャルルの脳みそに無遠慮に触れる感覚がした。シャルルは慣れたように記憶と感情の断片を集め、ダンブルドアのことを考えた。目の奥がズキズキとして、目の前の景色が揺れる感覚はあるが、断片の奔流に飲み込まれずリドルが目の前に佇んでいる。

 震える手でシャルルは杖をかまえた。

「ディ……っ」

 だが、痛みが強くなって言葉にならなかった。その隙に記憶の中に強引に手を突っ込まれて、脳みそを掻き混ぜられる。

 杖を取り落としそうになり、グッと手のひらに力を込めた。痛みを振り払うように怒鳴る。

「ディフィンド! っっつぅ……!」

 避けたのはシャルルの太ももだった。強制的な痛みにより、脳みその不快な感覚が消えていく。開心術が解けたのだ。

 

「P(不可)だ」

 

 リドルが端的な評価を下した。唇を噛む。

 制服が破け、真っ白な陶器のような肌から赤い液体が垂れていくのが映えていた。

「呪文が暴発したようだね。杖先をきちんと制御出来ないからそうなる。痛みによって魔法を解くのは原始的な手段であって、自らが傷を受けていては戦闘においては意味がない」

「エピスキー。レパロ」

 投げるように乱雑にそう唱えて、挑むようにリドルを睨む。「もう一度よ」

「ハハ、その調子だ。いくよ」

 

 嫌になるほど失敗を繰り返して、何度か成功も掴んだ。

 攻撃呪文は杖がブレたりすると、あらぬところに魔法が飛んでいくため成功率が低かった。プロテゴは呪文自体の成功率は低いものの、形になればほとんど確実に脳内からリドルを追い出すことができる。

 けれど、全体的な結果はギリギリA(可)というところだろう。

 精神的にも肉体的にも摩耗し、シャルルは肩で息をしていた。

 大口を叩いたのに情けない…!

 リドルのニヤついた視線にジリジリと羞恥心が身を焦がす。

「もう一度」

「これが最後かな」

「まだ出来るわ!」

「精神を消耗する魔法は時間を置かなければ成長しない。ダメージが目に見えないものは特にそうだ」

 不服を顔いっぱいに浮かべ、しぶしぶうなずく。言っていることは理解できるが、このまま終わるのが悔しかった。思ったよりも使えないと思われたまま終わるのが…シャルルのプライドは既に十分すぎるほど痛めつけられている。

 

「レジリメンス」

 リドルが入り込んできて、心の防御を固める。表面的に築いた記憶の裏で思考することも出来るようになってきた。シャルルの心が逸る。

 彼に一泡吹かせてみたい。

 そんな、反抗心にも似た承認欲求が首をもたげる。

 シャルルは少しだけ手法を変えて、あえて心の防御を緩めた。その隙を見逃さないリドルが心の奥深くに触れようとした時、それを待っていたシャルルが力を込めて唱える。

「プロテゴ!」

 

 リドルの手から杖が弾き飛ばされた。やったわ!

 喜びも束の間、脳内に自分のものではない記憶が流れ込んで来るのを感じた。

 薄汚い小屋のような部屋で薄汚い子供たちがたくさんいる…黒髪のハンサムな痩せぎすな少年が、周りの少年たちから恐怖と怒りの表情で囲まれている……。

 狭い部屋で黒髪の少年が白髪の老人に輝いた目で何か話しかけている……おそらくリドルとダンブルドア…。そしてダンブルドアが突然リドルの箪笥を燃やした……。

 緑の談話室で成長したリドルが黒髪の少年と金髪の少年と顔を突き合わせている…『孤児院で野垂れ死にした女が魔法族であるはずがない…父方の系譜が魔法族だったんだろう』…。リドルの傍に侍る黒髪の少年を見たシャルルは思わず息を飲んだ。自分の生き写しのようだったのだ。

 

 一瞬の出来事だったのに、数々の記憶が雪崩込んできた。そしてそれは唐突に終わった。

 よろめきながら見上げると、リドルの元々銀白色の身体が、一層蒼白になり、無表情でシャルルを見下ろしていた。瞳だけが真っ赤にぬらぬらと光っている。彼のその目に睨まれると体中の毛が逆立つような気がした。

「僕の記憶を見たな」

 リドルが震える声で言った。動揺ではなく、憤怒によって震えているのが分かった。

 

「クルーシオ!」

 突如、全身に言葉にならない程の衝撃が襲ってきた。シャルルはミミズのようにのたうち回った。最初、冷たい何かが全身を這っているかと思ったが──冷たいのではなく、熱い。自分の肉体が燃え上がっているような熱さにゼェゼェ喘ぎながら、なんとか逃れようと床を引っ掻く。けれど、それも違った。痛みだ。痛みで全身が燃えている。

 喉がしまって声が出ない。

 ブルブルと痙攣している芋虫のようなシャルルを、ぼやける視界の中でリドルが唇を吊り上げて見下ろしているのが見えた。

 バチン!と音がした。

 這い回る衝動が消え去る。

 

 床に倒れ込んで、許されたのかと震えるシャルルの胸元で、シャランと何科が音を立てる。霞む視界をどうにかこじ開けると、水晶のネックレスが光を放ち、徐々に落ち着いていく。

 

「御守り……」

「プロテゴか」

 リドルが鼻を鳴らした。不快そうに何度かコメカミを揉んで、シャルルを横抱きにすると、ソファにそっと下ろした。

「わたしに…」

 体中の熱が引いてくると、さっきの事態が鮮明に蘇ってきて、シャルルはわなわなと手のひらを震わせた。ネックレスを白くなるほど握る。無意識に何かに縋りたかったのかもしれない。

「わたしにクルーシオをかけたの……!?」

 愕然とする彼女の瞳には、呆然、そして強い怒りと嫌悪感が滲んでいた。リドルは無表情だった。

「躾には痛みが有効だ。そして恐怖もね。誰であっても僕に触れることは許さない」

「躾…躾と言ったの!? わたしに対して!?」

「教育と躾は同義だ。そして教育は支配と洗脳だよ」

 彼がうんざりと、見下すように言った。シャルルのことを、まるで感情的になるヒステリックで面倒な女の子としてあしらう様子に、彼女の顔色が石のように蒼白になってゆく。

 だが、ローブを皺になるほど強く抑え、なんとか深呼吸した。彼にはまるで悪びれた様子がない。そして、クルーシオを人にかけることになんの躊躇いもなかった。

 シャルルは純血で…リドルの手駒なのに。彼のためにシャルルは今まで協力してきたのに……。

 心の中に反感と不信感が芽ばえる。けれど、考えないようにして、脳みその片隅に追いやった。考える時間が必要だった。

 

 しばらく無言で俯いていた。リドルも退屈そうに足を組み、杖を弄びながらシャルルを待つ。

 やがて、静かな声でシャルルが問いかけた。

「プロテゴは…禁じられた呪文も跳ね返せるの?」

「死の呪文以外はね。けれど稀な例だ。ほとんどは意志の力で跳ね除ける…けれどそのネックレスにはプロテゴ・マキシマが掛けられていたようだね。それも随分強力な魔法使いによるものだ……それをどこで?」

「父よ…」

「へぇ。過保護な父親だな」

 シャルルは父の…ヨシュアのその愛情に救けられた。それを嘲笑う彼に、心のどこかがねじれる感覚がした。

「その記憶も父親のものかい?」

「記憶?」

 困惑してリドルを見上げるシャルルに、リドルも眉をひそめて怪訝に見返した。

「記憶だろう?そのネックレス」

「ど…どういうこと?」

 

 彼がおもむろに象牙のような指先をシャルルの胸元に差し伸ばした。チェーンを手繰り寄せ、まじまじと検分する目付きで眺める。

 ほら、と水晶の中で泳ぐような銀色の液体…を指さした。

「知らないのか? これは記憶だ。杖で脳から取り出し保存させておくことが出来る。誰の記憶かは知らないが…君の父親から渡されたなら父親の可能性が高いんじゃないのか」

「記憶……これはどうやって使うの?」

「憂いの篩に注ぎ込み、水盆に入ることで記憶を追体験できるが……これは水晶に守られているようだから、砕く必要があるね」

 ──必要な時に砕ける。あるいは、適切な時に。

 ネックレスを渡された時に言われた言葉が蘇る。時っていつなの?何がきっかけなの?お父様はわたしに…何を伝えたいのだろう?

 盾の呪文と共に、水晶に閉じ込められた記憶。磔の呪文から守られたことを思えば一層大切なものに思えた。煌めく水晶を指先でそっと撫で、シャルルは胸元にまたしまいこんだ。

 

 父はシャルルを守ろうとしてくれている。秘密から遠ざけ、隔離するように育てられたのも、きっとそうだ。両親に秘密はあれど、シャルルを一心に愛してくれている。それが分かる。

 反発してしまうのはシャルルの幼稚な反抗心のせいだ。自分が認められていない気がして、押さえつけられている気がして、物も考えられないような子供だと扱われている気がして……。

 それに引き替え、リドルは……。だから惹かれ、だから憧れ、だから今、恐れている。

 

 シャルルは唇を舐めて、声が固くならないように意識した。まだ彼に聞きたいことがある。この話題に踏み込むのは勇気が必要だった。

 

「今見た記憶……」

 リドルの黒々とした瞳に一瞬赤い色が走り、心臓がドクリと青い鼓動を立てた。言葉を募りたくなるのを抑制して、意図的に鷹揚に微笑んでみせる。

「あなたについては聞かないわ。気になるのは…一緒にいた少年たちのこと。あなたの友人だったの?」

「……。…ああ、オリオンとアブラクサスのことか?そうだね、友人であり、同志であり、協力者であり、部下だった」

「オリオン…オリオン・ブラック?…アブラクサスは……年代的にマルフォイ……?」

「その通り。主要な家系の祖先は覚えているようだね」

「ええ。オリオン・ブラック…あなたが言った通り、わたしに瓜二つだった…とても」

「だろ?血も似ているよ。君がブラックの直系ではないことが信じ難いほどだ」

「でもブラックは…断絶したのよ」

「そうなのか?」

 僅かに目を瞠った。眉をひそめる。

「ブラック家はまるで王家のような権勢を奮っていたのに?…何があったんだ?」

「さぁ…詳しくは。でも、二人息子がいて…一人は牢獄に、一人は……若くして亡くなってしまったみたい」

「ふぅん。息子をアズカバン送りにされるのを許すとは…オリオンも堕ちたものだな」

 リドルはせせら笑った。シャルルは信じられない思いで、彼の酷薄な横顔を見つめた。たった今友人だと語った口で、その友人の権勢が翳ったことを嘲笑う。彼は…二枚舌で、心がない。

 それなのに、彼の笑顔は歪んでいればいるほど、一層彼らしく、冷たい輝きを纏って見える。誰も触れることを許されない氷のような横顔だった。

 

 シャルルの心は相反する感情でせめぎ合っていた。

 リドルを不審に思う心と、その彼の酷薄さが彼自身の魅力だと思ってしまう心だ。

 

「今日はもう…休むわ」

 すくっと立ち上がると目眩がした。よろけそうになるのを足に力を入れて踏みとどまり、背筋を伸ばして彼をまっすぐ見つめた。

 ソファに座る彼を見下ろしている。

 揺れる心を悟られないように、気丈さを掻き集める。

「明日からのレッスンは少し考えさせてちょうだい」

「……何故?」

「あなたにされたことを考える時間が必要だわ。わたしはあなたの手駒となり、協力者になったけれど、ハウスエルフのような奴隷じゃない。今日のことをよく考えて、受け入れられるか思案するわ」

 

 リドルが何か言おうと口を開いた。それを聞く前に踵を返し、黒い髪をたなびかせて凛と背を向ける。黒い日記帳は必要の部屋に置いていった。彼をそばに置いておきたくない。

 彼がどれほど尊い存在であろうと、シャルルは純血だ。誇り高い純血なのだ。

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