Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜 作:しらなぎ
授業後もひっきりなしに訪れる小人から逃げ出し、必要の部屋に辿り着いたシャルルは、ソファにもたれかかってやっと安堵の息を吐いた。
するりとどこからともなく、半透明のリドルが現れた。彼の冷たいかんばせにはニヤニヤと終始嫌な微笑が浮かんでいる。彼は隣に腰掛けて何かを言おうとしたが、その前に「やめて。もうウンザリなの」と彼の口元に人差し指を立てる。フッと吐息が指先を擽った。彼は霊体のようなものなのに、彼によって生まれる風がある。
「ホグワーツもしばらく見ない間に堕ちたものだ。あんな教師を雇うとはね」
リドルは面白がっていた。「僕の時代だったら有り得ない」
「本当に羨ましい限りだわ。校長が厳格で、理知的だったのね。わたしたちの校長は"あれ"だもの」
「ダンブルドアがいくら耄碌したとはいえ、もう少しまともな選択がありそうなものだけど」
声音にありありと嘲りを乗せて、リドルはひとしきり笑ったあと、「あれがアブラクサスの孫か…まるで似ていないな」と小さく呟いた。
「ドラコのこと?」
「ああ。二年生だということを鑑みても幼稚極まるようだ。ルシウスの教育はどうやらずいぶん甘いらしい」
「ミスター・マルフォイを知っているの?」
「ああ。僕は本体の手元にしばらく置かれていたからね」
「…?……??」
「奴なりに何か杜撰な計画でもあるのかと泳がせてやっていたが…あの息子の様子じゃそれも望めそうにない。この僕を体良く厄介払いしてくれた報いは、きちんと受けさせてやらないとね」
彼はそう言って、唇を美しく歪めた。シャルルに理解させるつもりのない、理解できるとも思っていない呟きだ。こういう意味深なことを何気なく彼は口にする。
数々の疑問が脳みその中で渦巻いた。
まずそもそも、日記からリドルは出ていなかったはずなのに、先程の現場を把握していることもおかしい。本体というのも、その本体が仮にリドルのことであるなら、その本体は今どうなっているのか、厄介払いとはなんなのか、なぜルシウスの名が出てくるのか、あらゆることが謎に満ちていて、だがその全て、リドルはそれ以上語るつもりはないようだった。
シャルルは諦めて、開きかけた口を閉ざした。
リドルは当たり前のようにシャルルの杖を弄びながら、ゆったりと脚を組み替える。
「それにしても、つくづく拾われた先が君でよかった」
「あら、突然ね?」
「今日の愉快な有り様を見ただろう。ジニーのお嬢さんの元にあった頃は、ああいうくだらないことを永遠と相手にしなければならなかった。大方今もメソメソと泣いているだろうからね…それを慰めてやるのも、僕の役割だったんだ。どれだけウンザリさせられるか分かるだろう?」
「ふふ、あなたが泣いている少女を優しくあやしているところなんて、想像もつかないわ」
「僕はどんなことも完璧に出来る。それがたとえ少女の子守りであったとしてもね。ただ、僕の忍耐力は限界を迎えていたんだ」
シャルルはくすくすと笑った。今日のリドルはややリラックスした様子で、いつもの冷たい威圧感が薄れていた。まるでただの同寮生のように、同じ出来事を共有して、愚痴めいた話を聞くのは擽ったいような嬉しさがあった。
「ジニーのお嬢さんから、英雄の話は飽きるほど聞いたよ。あの眼鏡の彼が恋する彼なんだろう?」
皮肉げに唇を釣り上げ、彼は首を緩やかに傾けた。シャルルはうなずく。リドルは目を細めた。その瞳の奥に、なぜか一瞬赤が走って、シャルルはドキリとした。
だんだん、彼の瞳のことを分かり始めていた。彼が苛立っていたり、興奮していたり、感情が波打った時、瞳の色が変化するのだ。それなのに、彼の表情も語り口も、まるで世間話のように軽いままだった。
「一見しただけでは取り立てて優れたところは見当たらないな。彼は年齢通りに、羞恥に身悶え、あの場を上手く切り抜ける発想力もなく、笑われるだけの少年だ」
彼が何を言いたいか分からず、シャルルは彼のほとんど独り言のような呟きを黙って聞いていた。リドルがハリー・ポッターに共感意識のようなものを持っていることは知っている。
だが、それにしては、彼の態度は…。
「シャルル、君は彼の特別に優れたところが何だと思う?12歳の少年に僕の知の及ばない魔法が使えるはずがない…だが…。ヴォルデモート卿から二度も逃れた、特別な点があるはずなんだ。やはり直接……」
ギクリと肩を揺らし、俯く。彼は埃でもつまむように、例のあの人の名を呼ぶ。つむじのあたりに視線が落ちているのを感じた。
ハリー・ポッターの特別さ。
その問答を前にもしたことがある。
けれど、シャルルは彼が特別なことを成した事実を知っているだけで、何が彼を特別たらしめているかについては知り得ないのだ。
リドルは、ポッターについて並々ならぬ関心があるように思える。共感意識だけではなく、彼について何かを暴き、見抜こうとしているような気がした。
シャルルは乾いた唇を舐めた。
「彼について知りたいの?」
「興味は惹かれているよ。なにしろ、サラザールの末裔の可能性も拭えない」
ハッキリとそれが建前だと分かった。何か目的や隠したい事柄がある時、反感を抑えられるような聞こえのいい建前を用意しておくのは、シャルルもよく使う常套手段だからだ。
そして、彼の興味が良い意味ではなさそうだということも、分かった。先程までの朗らかだった気分は消え去って、シャルルは背筋が嫌なふうに冷たくなるのを感じた。
ポッターは例のあの人を打ち倒してくれた。
その上、パーセルタングを操り、サラザール様の血を引いている可能性がある。
リドルが彼に対して、嫌な影響を及ぼそうとしている可能性に思い当たり、シャルルは強ばって動けなくなりそうだった。
「ポッターを…どうするつもり?」振り絞ったシャルルの声はかじかんでいた。だが、返ってきたリドルの声は軽い。温度さえ感じさせる。
「どうもしないさ」
「ほ、本当?」
「ただ興味があるだけだ。そう言っただろう?」
「そ、そう……」
「……」
リドルはにっこりと貴族的な微笑みを浮かべ、ホッと表情を緩めたシャルルの顎を掬った。
「だが君は、興味以上の感情を彼に抱いているようだね。なぜ彼に肩入れするんだ?」
柘榴のような瞳が、蠢くように目を覗いてくる。リドルの囁き声が耳の中で反響する。
「君は純血主義者だろう?」
シャルルは咄嗟に、ダンブルドアのことを考えた。幾度も幾度も繰り返した訓練は、慣れたように昨年度の悪夢を思い返させ、心の内側を無遠慮に這い回ろうとする手のひらを拒絶する。
リドルは眉を跳ね上げ、今までの比ではないほど強引に扉をこじ開けようとする。シャルルの心に、リドルに知られたくないことがあると、その反応自体で悟ったらしい。なぜか分からないが、シャルルがポッターを一方的に慕う理由を知られてはならないと、頭の隅が警鐘を鳴らしている。
ブルブル震える手で、シャルルはリドルの氷のような手のひらを掴んだ。ピクリと動いた彼の指から杖を引き抜く。何をしたいか察した彼は、彼女の動きを止めなかった。
けれど、隠すことすらしなくなった怒りがまざまざと美貌に浮かんでいた。
「……プロテゴ…っ」
小さな声でシャルルは叫んだ。バチンッ!と脳内で音が弾けて、脳みそを掻き回していた手が遠くなっていく。リドルの視線から逃れたシャルルは腰を折って、ゼイゼイと水っぽい息をした。沈黙が頭の上につもっている。押し潰そうとしているようだ。シャルルは額に浮かんだ脂汗を、震えながら拭った。
耳が痛くなる静寂が全身を支配し、シャルルは自分が石になった気分だった。
「…シャルル」
やがて、ゆっくりとリドルが口を開いた。甘ったるく感じられるほど柔らかな響きは、むしろ直接脅迫されるよりも恐ろしい。
「君は僕の役に立ちたいんだろう?」
静かにうなずく。唇がわなないて、上手く言葉が出てこない。
「チャンスをあげようか」
「チャ……チャンス……?」それだけ言うのにも、酷く体力を要した。おそるおそる見上げたリドルは笑顔だったが、その真っ赤な瞳の瞳孔は蛇のように開いている。無意識にごくりと唾を飲み込んだ。
「僕の許しを得るチャンスだ」
彼がおもむろに立ち上がり、音もなくゆったりと歩き出す。ヒヤリとした手のひらの重みが肩に乗り、ソファの後ろからシャルルを裁く声がする。
「君は、純血主義を掲げ、継承者である僕の手助けをしたいと申し出た割に…その行動には多くの矛盾を孕んでいる。ポッターのことだけではない。分かるね」
「……っ」
「君の同室の少女。なぜあれと君は親しげに挨拶を交わすのか…僕には理解が及ばないな。生きているだけで穢らわしい存在だ」
イル・テローゼのことだとすぐに分かった。
リドルの長い指が、シャルルの首元を横になぞった。
「次の獲物は君が決めるんだ」
リドルが甘い声で言った。「バジリスクがそろそろ腹を空かせているだろう──粛清に相応しい獲物を君が僕に捧げれば、君の無礼を許してやってもいい」
「わ、わたしが…?」
「ああ。簡単なことだろう?君の思想は明らかなのだから。ハリー・ポッターでも、英雄のお友達でも、あの穢らわしい存在でも、穢れた門番でも、それ以外でも。対象はなんでもいいさ。なにしろ、このホグワーツには生きるのに値しない存在が掃いて捨てるほどいるんだ」
ひたりと首元に張り付くリドルの手に力は一切篭もっていなかったが、シャルルは息を荒らげて恐怖に喘いだ。
「どう…どうやって…」
「君は名を告げるだけでいい。サラザールの怪物が血を粛清する様を見てみたいだろう?」
それは、甘美な誘いのはずなのに、シャルルの心はざらついて奇妙に捻れるようだった。まったく見たいと思えない。シャルルは残虐ではないが、ホグワーツがサラザールの望んだ正しい形になることは、決して嫌ではなかったはずなのに。
継承者の共犯になるということは、いずれ自分も罪を被ることになると分かっていた。けれど、唐突にその重さがのしかかると、ただただ、今すぐに彼から逃れたかった。
シャルルはなんとかうなずいて見せた。
満足そうにリドルの冷えた手が離れて行く。
「僕は君が死んでも何も困らない。使えない手駒は替えるだけだ。君がまだ僕の期待に応えられる駒だと信じさせてくれよ」
シャルルは涙混じりで何度もこくこくと首を縦に振った。リドルが日記に戻る。シャルルはしばらく震えて、日記を見つめていた。
毛布を被って、シャルルは洞窟のような目をしていた。シャワーを浴びても、暖かいベッドに潜り込んでも、魂から冷えた身体はなかなか熱を取り戻してくれない。
日記は沈黙を保って、棚に鎮座している。
監視されているようで、それも恐ろしかった。
彼に課された課題はわずか12歳の少女が負うには残酷なものだったが、シャルルは戦きながらも、自らへの失望感で愕然としていた。
自分はもっと冷徹に事を成せる人間だと思っていた。
マグルからの影響力を排除したい気持ちは正真正銘本物の物だし、バジリスクをマグル界に放ってしまえばいいと簡単に言えたあの頃からシャルルは変わっていない。なのに、それが具体性を帯びると、途端に怖気付く自分が酷く情けなくて惨めだ。
この忍び寄るような恐怖がリドルを恐れる故なのか、自らが誰かに引鉄を引くことへの恐れなのか、混乱した頭脳では判断がつかない。
けれど、決めなければならなかった。
いつまでもリドルが待っていてくれるはずがない。
彼が痺れを切らし、シャルルに失望しきった時、粛清の矛先はシャルルに向く。純血であることも、純血主義であることも、リドルの駒であることも、リドルの前では何の価値にもならない。彼はそういう人間だ。
分かっていて、その上で彼を慕っていたはずなのに、今更になって彼と自分の前提とする価値観が大きく異なることに気付くなんて、自分はなんて愚かなのだろう。
青い瞳を黒々とさせて、シャルルは自らを嘲る。
シャルルの牙が向く先に魔法族はいない。シャルルなら、自分のような純血家系や、ポッターのような失われた名家の血を引く存在を処刑しようとはしない。
リドルにとっては、自ら以外はすべからく価値がないのだ。
彼のハリー・ポッターへの奇妙な執着はもはやシャルルの知るところとなっていたが、それを明かしたのはわざとなのだろうか。
枕に顔を押し付けて、ぐるぐると色々なことを考えた。
眠れないまま、夜が開ける。
天鵞絨のカーテンの隙間から、湖越しのたゆたう光が射し込んできて、シャルルは重い身体を起こした。部屋の中は寝静まっている。
目の下に疲れを滲ませながら、足元を潜めてベッドから出ると、シャワールームから出てきた金髪が煌めいた。
「ぁ…」
ギクリとして、音にもならない小さな音を漏らす。無意識に後ずさっていた。怯んだシャルルを見て、イル・テローゼが怪訝に眉を跳ね上げた。
ツンと先の尖った顎を上げ、ジロジロと訝しむように眺めたのち、彼女は無言でベッドに戻っていく。すれ違う時に、シャワーの湯気と、彼女の使っているシャンプーの香りが真横を漂った。
今まで意識したことのない、生きている人間の残滓だ。
シャルルの心臓が早鐘を打っている。
でも、彼女は生まれ損ないと穢れた血のあいの子だ。
それが彼女の罪ではなくとも。
「……」
思わず何かに縋るように撫でた自分の腕が、まるで石のようだった。
*
ロックハートの愚かな行いは、一部の生徒と教師たちに強烈な敵対心を植え付けたが、本来の効力を発揮していないわけではないらしかった。最後に石になった生徒が出てから数ヶ月が経っている。あのバカバカしい騒ぎは、常に城に漂っていた重苦しい空気を一時的にでも拭うのに充分だったし、おまけに毎日のように城の至るところで、ピーブズとグリフィンドールの双子たちが面白おかしくポッターの歌を歌うものだから、生徒たちの間には笑顔が増えてきている。
スリザリンも例外ではなかった。
元からほとんど粛清には関係がないとはいえ、校内の雰囲気や、他寮生から例年の比にならないほど刺々しく向けられる敵意の視線に平気な顔をし続けるのは、多感な少年少女の精神を摩耗させた。慣れてはいても、それに何も思わないほど、スリザリン寮生も擦れ切ってはいない。
シャルルだけは、その和やかになってきた雰囲気と無縁でいられなかった。
手帳が沈黙を保ってから数日が経っている。必要の部屋にも足を向けていない。黒い日記を持ち歩くことを辞めたが、依然として寝室に彼はいる。姿を見せなくとも、彼は日々存在感をいや増している。
彼が何も言わないことに甘えていたが、そうするほどに彼が自分を監視しているという考えが脳を支配してならなかった。シャルルがリドルのことを考えない日はなかった。日記を手に入れてから、ただの一度もだ。
暖炉の薪がパチパチと爆ぜるのを聞くでもなしに聞いていた。
炎の前にいても、近頃のシャルルはずっとなんとなく薄寒い。背筋がゾッとするような比喩ではなく、防寒性ローブを纏っていても、暖炉で温まっていても、毛布にくるまっていても、身体の内側から熱が奪われるような感覚があるということに気付いたのは、リドルに宣言をされてからだ。
きっかけはそれだったが、自分がずっとシンとした冷えの中にいたことも、それがいつからのことだったかもシャルルは思い出せない。
同寮生たちの会話が右の耳から左の耳へ通り抜けて流れていく。
「君達はもう来年の教科は決めてあるのか?」
「それがまだ悩んでるの。ドラコは何を取ったの?よければ参考に聞きたいわ」
一年の頃から彼の背中を追い続けている彼女は、参考どころかまるきり同じ教科を選ぶだろうことは明白だったので、ダフネは一瞬鼻を鳴らした。ドラコはパンジーの甘えた声に気を良くして、つらつらと話し続ける。
「僕は熟考を重ねて、数占い学と魔法生物飼育学を取ることにしたよ。まだスネイプから意見をもらってないから、確定ではないけれどね」
「魔法生物?」
パンジーとダフネが目を丸くした。
「意外だわ。そりゃ、楽だって聞いたけど…マルフォイがわざわざ動物と触れ合う科目を選ぶなんて」
「分かってないな、グリーングラス」高慢な仕草でマルフォイが手を鷹揚に挙げ、ダフネは鬱陶しそうに眉をひそめた。
「父からの選択肢に魔法生物飼育学があったんだ。もちろん僕は卒業後に動物の世話をするなんて道選ぶはずがないが…魔法生物を扱う部署自体は魔法省でも重く見られてる。規制管理部は魔法使いを管理するだけでなく、マグルへの影響も管理するからね。それに父は危険生物処理委員会に古い友人がいるらしい。少なくとも規制管理部で管理職になるには、魔法生物の知識が必須だとおっしゃっていた。資格は必要ないらしいけど、大人になってからまた勉強し直すより、最初から学んでいた方が賢いだろう?」
得意げになって長々と語るドラコを、パンジーは目をうっとりさせて見上げた。
「ドラコったら、もう将来のことをそんなに考えているのね…!卒業後は魔法省に入るつもりなの?」
「さぁ、その辺はまだ分からない。父のように投資家になる手段もあるけど、官僚になるのも悪くないだろ?既に外部からの影響力は父上が握っている。僕が内部から直接コネを広げれば、マルフォイ家は磐石だ」
「素敵!ドラコなら魔法大臣にもすぐなれるでしょうね!」パンジーはすっかりメロメロだ。
ダフネは白けた目をして、会話の間、本から一切顔を上げなかったセオドールも、フッと小さく冷ややかな笑いを皮膚の上に浮かべた。だが生憎、ドラコとパンジーは気付かなかったようだ。
ドラコは「もちろん父上や僕が魔法大臣になることは充分実現可能な範囲だろう。だが、魔法大臣なんてごめんだね!」と顎を上げる。
「まぁ、そうなの?」
場を支配し、喋り続けているのはドラコだけだったが、それはいつものことだ。話が止まるということが彼にはほとんどない。大した反応がなくとも彼は喋り続けられるという、良いのか悪いのか分からないスキルを彼は身につけていた。
「まぁ、魔法大臣も悪くはないけどね。父上がおっしゃるには、権力は影から操るのが最も賢いやり方だそうだ。現にファッジを見てみろ。下からせっつかれて、ダンブルドアや父上によく泣きついてるだろ?魔法省でキャリアを詰むとしたら、事務次官あたりがちょうどいいだろうね」
「まぁ……」
ドラコは目の下を歪め、ファッジをあざ笑った。
ダフネがもう充分、と言うように話を戻した。
「私は魔法省に入る気はないから、楽しくて簡単だって聞いた占い学と魔法生物飼育学にしたわ。薬草学とシナジーもあるて上級生が言ってたの。あなたはもう決めた?」
「今のところ数占い、ルーン文字、飼育学」
「えっ、三つも?」
「取る価値のある科目は取るつもりだから」
冷涼にセオドールは答えた。
パンジーが悩ましげな溜息をついた。
「ああ、困ったわ。魔法生物飼育学とあと何を取ろうかしら。占い学も楽しそうだけど、数占い学も気になるの。ねえ、ドラコどう思う?」
「きみが?」
眉をちょいと上げて、ドラコはまじまじと彼女を眺め、小さな笑いを浮かべた。
「僕は占い学がいいと思うね」
「あら、どうして?」
「数占い学は、聞いた限りでは一番難しいって話だ。それに課題もどっさり出されるってね。僕は父上から占い学なんか──いや、えー、難しい科目に挑戦するよう助言をもらったけど、君が親から何も言われていないのなら、わざわざ課題漬けになるのは大変だろうと思うよ」
「そんなに大変なのね…。わかったわ、ドラコの言う通り占い学にする!ドラコ、私のためを思ってアドバイスをくれてありがとう。ほんとう、あなたってとっても賢くて優しいのね」
どう見てもドラコの頬には半笑いの嘲笑が張り付いていたが、パンジーは感激してニコニコと頬を染めた。
セオドールは一度も口を開かず、ぼーっと暖炉を見つめているシャルルに黒い目を向けた。
「シャルル、君は?」
「……」
返事はない。声が耳に届いていないようだ。ダフネの声にも反応がなかった。ようやくしがみついていたドラコの腕から離れたパンジーが、目の前でひらひらと手を振り、それでも無反応なので、耳のそばで「シャルル!」と叫んだ。
彼女はシャルルの機嫌を気にせずに強引なことを出来る数少ない人物だ。ドラコも気にしないが、それは彼が鈍感で、不機嫌になる行為だと気付けないだけだった。しかし、パンジーは大体のことをシャルルから許されるのだ。彼女自身も自覚していて、多々周りがドキッとするようなことを行動に移した。
耳元で大きな声を出されたシャルルは、小さく腰を浮かして「な、何!?」と動揺とわずかな険を浮かべた。
「どうしたの?さっきから呼んでるのに」
「パンジー…ごめんなさい、気付かなかったわ。それで、何かあった?」
シャルルは犯人がパンジーだと知ると、不機嫌になるどころかしおらしく謝ってみせた。
「何じゃないわよ。今まで何も聞いてなかったの?」
「考え事をしていて」
「あっきれた。どうせまた何か研究だの論文だのそういうことでしょ!私たち来年受ける新しい科目について相談しあってたの。シャルルはもう何を取るか決めてる?」
「ああ…」
彼女はまたぼんやりとしてまばたきした。少し考えてゆっくり首を振る。
「ううん。大体考えてあるけど、まだ悩み中」
「何で悩んでるの?」
「とりあえず数占い学と魔法生物飼育学と古代ルーン文字学は取るつもり」
「セオドールと同じね」
「まぁホント?来年のクラスもよろしくね」
「ああ。それで、さらに君は何を悩んでるんだ?」
「もう決まってるように思えるけど。そこから何を減らすかってことか?」
「減らすなんてしないわよ。悩んでるのは、占い学も気になってて…でもさすがに大変かしらって思ってるのよね」
「四つも!?いくら君が勉強フリークだからと言って限度ってものがあるね。ますます食事を摂らなくなるんじゃないか?」
「そうよ。あんまりムリしちゃまた倒れちゃうわ。大体四つも取って、課題はいつやるの?授業だってどうやって組むのよ」
「さぁね。でも無理ってことはないはずよ。パーシー・ウィーズリーは12科目受けてるの。彼に出来ることがわたしに出来ないとは思わないわ」
「はぁ?あんな机に齧り付くしか脳のない頭でっかちなんか真似しなくていいじゃない!それとも張り合ってるの?シャルルらしくないわ」
「まさか。よく考えてみて、わたしは強制されなくても自主的に勉強するのよ。当然、学ぶ機会が増えるならそれも全部学ぶわ。決まってるでしょう?」
パンジーはおののいてシャルルのスッキリと澄んだ青い瞳を見た。
「まぁ、ともかく、四つも取りたいなら今のままでこなせるはずないわ。今だって倒れそうなほど真っ白な顔なのに。もう元の顔色を思い出せないくらいなのよ」
「それはたしかに…そうね」
ダフネのお小言が始まりそうだったので、シャルルは苦笑いをして大人しくうなずく。ずっと大袈裟だと思っていたが、それが比喩でもなく事実であることにシャルルはようやく気付いた。
けれど長々と叱られるのは本意ではなかったので、肩を竦めて素早く立ち上がる。ダフネは溜息をついてもう何も言わなかった。
来月になればイースター休暇が始まって、選択科目を提出することになる。リドルは以前占い学を「学ぶ価値のない学問」「不透明な学問」だと嘲笑い、それを受けようとするシャルルのことも揶揄した。
「でもリドル、魔法省には神秘部があるし、予言や神秘というものは魔法の真髄に触れるものだと思うわ」
「それは否定しないよ。だが真実に才ある予言者が一体どれだけいる?占いは才能ある者しか開花しない。それは学ぶことで磨かれるものではない。君が占いを学んだところでどうするんだい?」
「占い学について学んだら、神秘のロジックを紐解く知識を得ることが出来るかもしれないわ…」
「それはどうかな。スチュアートやダスティンに偉大な予言者がいたという話は聞いたことがないし……そもそも予言者というものは手元に置いておくものであって、自分がなるものじゃないね。君自身が胡散臭い占い師でも目指してるなら、止めはしないけど」
シャルルはそれきり拗ねてその問答を切り上げた。
だが、血縁で予言者としての才能が受け継がれるというのなら、ホグワーツで占い学の教授を担っているシビル・トレローニーはそれに当てはまる。彼女の祖先であるカッサンドラは魔法界で高名な予見者だったのだ。
少し前の会話を思い返したあと、シャルルは自分にウンザリして強く目を閉じた。気づけばリドルのことを考えてしまっている。
彼と過した時間は密度が濃すぎて、気がつくと、リドルに心を占められているのだ。
リドルから出された継承者への捧げ物。
その答えはもう最初から決まっている。サラザールの求めたスリザリンに最も相応しくない人物が、今のホグワーツにはいるから。
けれど、シャルルにはどうしても、「自分」がホグワーツの生徒たちを獲物として捧げるという前提に抗いがたい忌避感があり、自分が心の底では彼に従いたくないと思っていることを、すでにはっきりと自覚していた。