Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜   作:しらなぎ

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45 それは杖も呪文もいらない

 希望科目を提出すると、案の定呼び出しが掛かりシャルルは魔法薬学教室に足を運んでいた。全科目受講している生徒はスリザリンにはいないし、他寮の純血の上級生にもいない。パーシーだけが例外だった。シャルルはそれが特別なことだとは感じないが、次の例外になろうとしているのだから、面談の場が設けられるのは仕方がないのだろう。

 

 ノックすると低い返事があり、部屋に促される。三度目のスネイプの私室だ。相変わらず照明が灯っていてもどこか薄暗い雰囲気が漂い、整頓されているのに雑多な印象を抱かせ、書斎のような埃っぽさと静けさがあった。

 薬草や魔法薬が混ざったなんとも言えない奇妙な香りが部屋中を包んでいる。

 

「座りたまえ」

 古ぼけた椅子に腰掛け、眉間に皺の寄った陰鬱そうなスネイプを見上げる。スネイプはシャルルが出した羊皮紙を取り出し、即本題に入った。雑談という余計な問答が入らない彼のやり方をシャルルは割と好ましく思う。

「我輩の見間違えでなければ、全科目にチェックが入っているようだが?」

「はい」

「…正気かね?」

「はい」

 表情も変えずに平然と返事をする彼女に、スネイプはさらに渋い顔つきになった。「何のためにだ?」

「え?」

「全科目など到底受ける必要性がない」

「ただ、受けてみたいからです」

「好奇心だけが理由ならば愚かしい真似は辞めろ。スリザリンは狡猾で野心的であることが美徳だろう。無為に時間を浪費することがそれに当てはまると思うのかね?」

「無為な時間かどうかはわたし自身が決めることです。それに、途中で履修を辞めることも出来ると聞きました。必要な学問かは経験しなければ分からないと思うんです」

 谷のように深く刻まれた眉間はスネイプの苛立ちをありありと表していた。コツ、コツ、と机を叩く規則的な音がハッキリと響き、彼の沈黙を強調している。

 

 自分の科目を受けることに寮監の納得が必要なこと自体がシャルルにはナンセンスだと思っていたが、辛抱強く彼が口を開くのを待つ。

 彼はウンザリしたような溜息を吐いた。

 

「数占い学と古代ルーン文字学は理解出来る。魔法生物飼育学は?貴様は将来汗水垂らして獣の世話をするのが理想なのかね?」

「わたしは魔法生物は魔法界の発展に寄与してきた重要な一員だと考えています。学術的な好奇心もありますし、さらなる発展のために将来的な選択肢として加えるにも忌避はありません」

「なんだと?」

 スネイプは虚をつかれた。そんなに驚くことだろうか?シャルルは魔法界を愛している。だから英国魔法界の礎になった創設者を崇拝しているのだ。スネイプは眉間を揉み何かを言いかけたが、次の質問に移った。

「…では占い学。最も不透明で非論理的な学問だ。その上予言者は先天的な才能を必要とする」

「はい。わたしに才能があるとは思いませんが、魔法の神秘を紐解くロジックを学べることは非常に有意義だと捉えています。古代魔術に通ずる魔力、時、魂、命、愛など、魔法の真髄の一端に僅かでも触れられる重要な学問です」

「学生で習う占い学は神秘とは程遠く、妄言とほぼ変わらないものだ。それらは人生を投げ打って研究するものであり、占い学での茶葉を読むだの水晶玉を覗き見るなどというものではない」

「系統化され、言語化された論理は才能がない者でも一定の理解が出来るよう先鋭化されているとも言えます。また、神秘に対する予見者たちの捉え方にも興味があります。神秘へのごくごく初歩的な知識があれば活かせる分野は幅広いと思うんです」

「話にならん…。ではマグル学。これは貴様にとって最も不必要な学問だと愚考するが?」

「……」

 打てば響くように答えていたシャルルはふと口を噤んだ。そしてチラリとスネイプをうかがう。

 今度はシャルルが沈黙の空間を作り出した。しばらく黙り込み、スネイプがとうとう苛立ちに眉をはね上げた時、シャルルが肩を強ばらせて唇を舐めた。

 

「わたしは…これはあくまでわたし個人の意見なのですが…」

 聞かれてもいない言い訳で予防線を貼るシャルルを、スネイプは不審そうに見下ろしている。

「わたしは魔法界から隔絶されたマグルという社会で生まれた魔法族を哀れに思います…」

 彼は何も言わなかった。おそるおそる彼の表情を見上げたが、眉間の皺が濃くなっているだけで、それが何の感情なのかは読み取れない。スネイプが低い声で「続けたまえ」と言った。

 心臓がドキドキするのを手のひらをギュッと握り込んで抑えた。自分の中でふわふわ漂う思考を言語化しようとすると、急速に明確な手触りを持ち始めた。

「マグル生まれが魔法界に馴染めずにマグルに戻るのも、総合的には損失が大きいと思います。魔法族の血が穢れるのは嫌悪…」

「スチュアート。我輩はその言葉は好きではない」

「えっ?」

 突然遮られ、目を丸くしてスネイプを見つめるが、彼は口元を不機嫌そうにへの字に引き結ぶだけで、注釈はない。

「…穢れる…ですか?…【穢れた血】?」

「左様」

「あ…はい。申し訳ありません…」

「続けなさい」

 

 スネイプはもしかして…純血主義ではないのだろうか?

 たしかにスネイプという純血の家名はないけれど、混血ではなく、もしかしてマグル生まれなのだろうか。

 父親であるヨシュアが、スネイプの信頼性に対して懸念を含んだことを思い出した。彼の血筋は穢れているのかもしれない。

 だが、それならばシャルルに対してそれを見せるべきではなかった。シャルルは間違いなく純血の子女であり、純血主義思想を掲げていることは寮監であるスネイプも知っているはずだ。彼の意図が分からなかったが、促された通りに言葉を続ける。

 

「魔法族におぞましいマグルの血が混ざる負の循環を軽減させるには何かもっと工夫が必要だと思うんです。正直に言うとその大きな一因は純血主義であることも分かっているのですが、わたしはこれを誇りに思うので、別のアプローチで考えた場合、うーん…なんというか…マグル生まれがもっと馴染みやすくなるような…魔法界とマグル生まれの齟齬を知りたいと思ったんです。…上手く言えないのですが…」

「そのためにマグル学を受けると?」

「はい」

「なるほど…哀れな存在に手を差し伸べてやりたいとは、涙が出そうなほど献身的な姿勢ですな。それがすこぶる傲慢な思考であることは自覚しているかね?」

「はい。ですがわたし達は魔法界を牽引すべき家門ですから。好むと好まざるに関わらず、影響を与える存在だと自覚した振る舞いをしなければなりません」

「ならば尚更その言葉は使うべきではない。著しく品位に欠けるだけでなく、貴様が影響を与えたい存在からの信頼を損なう」

「はい。ご指導ありがとうございます」

 

 また口を噤み、指先でテーブルを叩き出した。何か考えに耽っているようだが、彼の苦々しい顔つきは苛立ちを抑えているようにしか見えなかった。彼は常に不機嫌であり、ポッターを晒し上げている時くらいしか眉間の皺が緩むことはないので、かなり感情が読みづらい。不機嫌、著しく不機嫌、やや機嫌が良さそう、くらいしか感情がないように見えるのだ。

 

「貴様のやりたいことはとっちらかっていて、あれもこれもと抱え込む傲慢さに満ちている。そしてそのどれもが全科目を受ける必要がない上に、一つに絞り打ち込まなければ達成されない類のものだ」

 話が最初に戻ってしまった。正論だが、やはりシャルルも納得はできない。やってみたいことはやってみたいからだ。

「そのどれに打ち込みたいか、わたしにはまだ分からないんです。マグル生まれのことも社会的に影響を与えたいというよりは、マグル生まれのスリザリン生との団結を高める手助けになればという程度ですし、神秘も研究したいというよりは好奇心です。いずれは魔法界の発展に貢献する道に進みたいとふんわり…考えてはいるのですが、具体性はありません。そのためにも色々と学びの経験を重ねたいと思っています」

 スネイプはこめかみを揉み、隠しようもなくウンザリとした溜息を吐いた。

 

「貴様は萎びきったべアゾール石のように頑迷らしい。申請を受理する」

 渋々、実に渋々とスネイプは鼻を鳴らした。シャルルの青い瞳にパッと喜びが宿る。彼の声音は憤りよりも呆れと諦めが強く、シャルルの執念深さが勝利したことを示していた。

 頬を上気させシャルルは破顔した。

「ありがとうございます!スネイプ教授!」

 輝くニコニコキラキラした表情を向けられ、彼はますます嫌なものでも飲み込んだ顔つきになった。

 

「12科目受けるならば特殊な時間割となるだろう。教授方と共有し、後日カリキュラムを組む時間を取る」

 そう言われて追い払われそうになったシャルルは、慌てて「あの、」と声を上げた。

「何だ?」

「その、あの…わたしは正しく純血思想を抱いていますし、先ほどの考えも自らの信念に矛盾するものだとは思っていないのですが…異端に思われることも分かっています。マグル生まれに肩入れしすぎていると」

「それで?」

「この考え方で家族や友人と軋轢を生むことは望んでいないので…今まで誰にも打ち明けたことはありません。ですから、その…」

 尻すぼみになって指先を擦り合わせる彼女の言いたいことは正しく伝わったらしく、スネイプは頷いた。肩からホッと力が抜ける。

 

 一礼して去ろうとした時、ふと尋ねたかったことを思い出した。

 

「スネイプ教授」

「まだ何かあるのかね?」

 彼は今日ずっと苛立っているか、ウンザリしている。

「スネイプ教授から見て、わたしはブラック家に似ていますか?」

「……。何と?」

「わたしはブラック家の血が濃い見た目をしているらしいんです。直系でないのが信じ難いほどだって。教授は学生時代ブラック家の後輩がいらしたんですよね?教授から見てどうなのかなって…あの、関係ない質問で申し訳ありません」

 ただ疑問に思っただけだったのだが、スネイプが僅かに硬直した様子だったので、シャルルはおかしな事を言ってしまったのかもしれないと謝罪を口にした。

 いや、おかしなことではなく、多分ひどく不躾なことだった。

 その後輩はもう亡くなっていると知っていたのに。

 途端に後悔に襲われたが、深く考えずに飛び出てしまった言葉は口に戻らないし、それを直接的に謝ることも憚られた。

 

「ブラックが祖先にいたのなら容姿が似ることもあるだろう」

「そうですね。すみません、あの…浅慮な質問でした」

「誰に言われた?」

「え?」

「誰に聞かれたのかと聞いている」

 

 尋問めいている。固い声にシャルルは咄嗟に、ほとんど無意識に出来るようになった心を防御する姿勢を取った。しかし嘘をつくことでもないと思い、躊躇いながらも正直に答えた。

 

「あ…えっと…知り合いです」

「…正確には何と言われたのだ?」

「…オリオンを思い出すと…」

「…オリオン?オリオン・ブラックか?」

「おそらく…」

「……もう良い、下がりたまえ」

「はい、失礼します」

 

 虫でも払うようにスネイプの自室から追い出された。彼の横顔は何かを考え込むようだった。なぜそんな態度を取られたのかまったく分からずシャルルは当惑していた。

 質問の答えはなかったが、彼の態度が答えを物語っている。

 スチュアートとブラックはもちろん血縁関係はあるが、さほど強い繋がりではない。隔世遺伝だとシャルルは認識していたのだが、スネイプの反応はやや過剰に思える。

 

 なぜか妙な胸騒ぎがして、シャルルはいつも首から下げている水晶のネックレスをぎゅっと掴んだ。このざわめきを深く考えないよう、シャルルはむりやり頭から追い出した。

 

 気付けばボーッとしたり、リドルを偲んでひっそり瞳を潤ませることはあったが、日記帳を持っていた頃に較べると遥かにマトモな状態でシャルルは日々を過ごしていた。

 イースター休暇を課題と簡単な社交で過ごし、今まで怠っていた他寮生との交流も再開し始めた。

 自覚していたよりもずっと彼女の異変は察知されていて、シャルルは病を患っていただとか、気を病んでいただとか、そういう風に見られていた。

 久しぶりの社交はややぎこちなかったが、常に顔を白くして病的にレポートに励んでいたことや、何度も医務室に連れて行かれたこと、フラフラと病人のようだったことが幸いして、シャルルが苛烈な純血主義者であることと、サラザールに熱を上げていたことをイコールで繋げる噂はすっかり下火になっていた。

 

 時間の余裕が出来、イースターで自堕落な生活を是としていたシャルルは、瞼を重くしながらターニャに髪を梳かれた。

 まだ目覚めきっていない頭の中はやはりまだ、リドルで埋め尽くされている。彼の残滓が何もない分、何か僅かでも彼の言ったことをしたいと考えを巡らせて、頭皮に触れる温かい手のひらに気付いた。

 そう、ターニャだ。

 マグル生まれと一括りに考えていたが、ターニャについても彼は話していた。

 

 純血をも軽んじるリドルの思想はシャルルとは相容れない。それは紛れもなく正しいことだったが、内心では自分に対する惨めな疑念も渦巻いていた。

 自分が手を下す恐怖を思想を隠れ蓑にして誤魔化しているだけではないか?

 イル・テローゼを次の犠牲にすると考えた時に抱いた忌避感は、同様にマグルにも抱いてしまうのだろうか?

 ただただ、自分がなんの覚悟もなく、口先ばかりで偉そうな、不遜な小心者である可能性。

 認めたくないけれど、実際シャルルは出来なかった。

 認識が甘く、覚悟も足りず、想像力にも欠けていた。

 

 過去のシャルルは簡単に「マグルを殺害する」ようなことを口に出来た。それがいざその時に見えて(まみえて)みれば怖くて出来ませんて情けないにも程がある。

 しかしすでにシャルルは自身へのプライドが損なわれており、自分が小心者であるかどうか確かめた上で、そうであるならば、受け入れなければならない。

 

 無意識に杖を指先で撫でる。よく磨かれ上品な照りのある真っ白なヤマナラシの愛杖は、手に馴染み、冷たい金属の装飾が体温によってぬるくなっていく。

  根元を断つ。リドルに示唆されてから何度か考えたことがある。シャルルの頭脳は幼いながらに、全く手を汚さずに事を成すいくつかの手段を導き出していた。もしターニャ自身の協力を得られるなら、さらに簡単に物事は運ぶだろう。

 ターニャへ打ち明ける勇気はまだなかったが、行動へ移す躊躇いは、まだシャルルの中に生まれていない。

 

「ターニャ」

「はい」

「カタログを持ってきてちょうだい。魔法薬と薬草と素材のものをね」

 

 言われた通りにシャルルの棚からカタログをどっさり持ってきて、見やすいようにと種類ごとにテーブルに並べる。ターニャはもうシャルルに対して尻尾を振るように従順だった。

 ターニャにも見えるようにいくつかの素材を書き出し、羊皮紙をくるめる。シャルルが何らかの魔法薬を作ろうとしていると明らかに気付いているはずだが、ターニャは疑問も口にしない。

「これを」

「はい。もう出してきてもよろしいですか?」

「ええ。ちなみに、誰にも知られたくないわ」

「!…はい、分かりました。あの、それでしたら…宛名をわたしの名前に変えましょうか。よければ…」

「あら、いいの?ありがとう」

「はい」

 ターニャは照れたように俯き、いそいそと封筒を変えてフクロウ小屋に向かった。彼女は成績が悪いから何を作ろうかも分かっていない。シャルルが注文したものも、作る魔法薬も大したものではないけれど、もし危険なものだったらどうするのだろう。多分ターニャはそれでも、シャルルの代わりになろうとすることはシャルルにも分かっていた。

 人生に初めて現れたターニャに寄り添い尊重する存在にターニャは縋りついている。

 

 哀れな子…。

 

 

 翌日にはもう材料が届いた。ターニャ宛に届いたそれを持たせ、彼女を7階の廊下に呼び出して、シャルルはバカのバーナバスとトロールのタペストリーの前で彼女を待つ。

 ターニャは「お待たせしてすみません」と駆け足で近寄ると、困惑したように周囲を見回した。何もないただの廊下だ。

「ここは…?」

「あなたにわたしだけの場所を教えてあげる」

 シャルルは念じた。誰も入って来れない、魔法薬を煎じられる部屋。慣れたように三回行き来して、扉があらわれる。

 言葉を失い驚いているターニャに小さく笑い、手を引いて部屋に入った。

 部屋はただの空き教室のような見た目をしていた。いくつかの魔法薬の書物と鍋、さまざまな素材が並んでいる。調合するための全てが揃っていた。

 

「わざわざ買う必要なかったわね…」

 感嘆を含んだ呟きを洩らし、「さぁ、調香の準備をして」と指示を出すと、固まっていたターニャがハッと我に返った。

「あの、ここは…?」

「必要の部屋よ。自分の望みを心の中で願いながら、壁の前を三回うろうろすると、必要の部屋が応えてくれるの」

「願いを叶えてくれる部屋…」

「全てではないけどね。素晴らしいでしょ?」

「はい…」

「分かっているとは思うけど他の人には内緒よ。今のところまだ、わたしだけの部屋だから」

「は、はい…!」

 ターニャは頬を上気させ、何度もコクコクと頷いた。感激に陰気な瞳が僅かに潤んでいる。別に彼女を信頼して教えたわけではなく、彼女といずれするだろう秘密の話にこの部屋がちょうど良いと思っただけだったが、それをわざわざ訂正するほどシャルルは人心に鈍くない。

 

 ターニャは下準備を済ませ、シャルルの指示通りに気持ちの悪い素材を切り刻んだり、すり鉢で潰していく。ターニャは手先が器用で素材を扱うのは上手かったが、手順を完璧に事前に頭に入れ、完璧にこなすスムーズさや、他の本と見比べてより良いやり方を取り入れてみるという柔軟さには欠けていた。

 適宜シャルルが「水分を含んだ状態で止めて」「カノコソウの小枝にはヒルの汁を数滴混ぜた方がいいわ」「今よ。煙の色が僅かに変化した状態で入れた方が効果が高まるの」と偉そうに口を挟んだ。

 知識だけがあるシャルルと、知識が欠けるが手際の良いターニャは魔法薬学においてはかなり相性が良い。

 

「何を作るかさすがにもうわかったでしょう?」

「えっと、眠りの水薬…ですよね?」

「その通り。スリザリンに5点」

 ターニャは控えめに笑った。眠りの水薬は一時的に深い眠りにつく効果がある一年生レベルの魔法薬だ。見つかってもやましいことなどないという顔をできる、単純で簡単な魔法薬。

 寝付けない夜が続くから、と言い訳するだけでほとんどの人が納得するだろう。

 たとえ教科書よりも効果が増すように作ったとしても、疑う余地が生まれないほどに攻撃性の低い、ただの眠り薬だった。

 

 ただ、シャルルは知っている。魔法族に対する効果は、マグルに対しては一際強い効果を発揮することを。

 時には教科書、時には参考書に過去の事件として小さく注釈が載っている。魔法薬によって起きた被害を繰り返さないための注釈は、当然学生が学ぶべき知識であり、心構えだ。

 眠りの水薬は、魔法族ならば数時間〜半日程度の効果しか発揮しないが、マグルや体の小さな魔法生物…例えばゴブリンやハウスエルフやパフスケインなど、身体に合わない適量以上を摂取すると、一週間以上目覚めないこともある。

 

 完成した水薬を眺め、「小瓶がいくつか欲しいわね…」と呟くと、テーブルの上にパッと空の硝子小瓶が並べられた。部屋が応えてくれらしい。ターニャは小さく声を洩らして目を丸くしている。

 なんの装飾もない魔法薬規格の小瓶に水薬を注ぐと、10ほどの数になった。ローブの内側にしまいこむ。それでもう作業は終わりだ…大体は。

 

「ターニャ」

「はい」

「夏休みはマグルの世界へ戻るの?」

「あ…はい…。行く宛てがないので…」

「そう」

 

 俯いた彼女の表情は窺い知れないが、重ねられた両手に力が入っている。シャルルは髪に飾っていたバレッタを外した。小粒のグリーントリマリンとダイヤモンドで装飾された普遍な髪飾り。

「これをあげる」

「えっ?」

 ターニャは困惑して「い、いただけません…こんな高価なもの…」としどろもどろになった。

「そこまで高価なものじゃないわ。わたし達にとってはね」

「……」

「漏れ鍋は知っている?」

「え?あ、はい…ダイアゴン横丁の…」

「あのパブは二階がドミトリーになってるの。グレードも低いし、きっと泊まり心地は最悪でしょうけど、その分安価よ。これを売ったお金でじゅうぶん賄えると思うわ」

「あ…」

 卑屈な表情がみるみる感激の赤ら顔に変化していく。言葉を詰まらせてターニャは「あ、ありがとうございます…」とシャルルを救世主のような眼差しで見上げた。

 

「早い内から予約して置いた方がいいと思うわ。漏れ鍋に泊まったことはないけど、パブはいつも混んでいるし」

「はい…さっそく後で、すぐ…」

「それから、そのバレッタを売る場所だけど」

 いつも持ち歩いている、返事の返ってこない何の変哲もない手帳を取り出し、シャルルはサラサラと書いてページを破いた。

「信用できる買取店をいくつか書いたわ。それと紹介文。スチュアートの署名があるなら、顧客層じゃない貴方でも買い叩かれたりはしないはず」

「ありがとうございます、な、何から何まで…」

「長く使っているから大した金額にはならないでしょうけどね。保護魔法はかかっているけど、宝石にもきっと傷がついてるかも。まぁ、それでもたぶん、漏れ鍋に泊まれるくらいにはなると思うわよ」

 

 二人はスリザリン寮に戻った。

 ターニャは泣き出さなかったが、歩いている間、背中に溶けるような熱視線が突き刺さるのは感じていた。

 マグル界なんかに戻らなければならないターニャへの同情はもちろんあったが、シャルルが行動に移すにしろ移さないにしろ、いつでも手元に呼べる場所にいた方が都合が良い。

 

 ターニャはバレッタを一層大切そうに撫で、ベッドや棚を一頻り漁ったのちに、一番綺麗なハンカチで包み、トランクの中にしまった。

「ハーブティーを淹れましょうか?カモミールか、ラフマ…レモンバームの…」

「いらないわ。行くところがあるから」

 シャルルが眠り薬を作ったのを、ここ最近の様子から不眠のためだと思ったらしい。ターニャはシャルルの母であるアナスタシアが出した本を全て熟読していて、ハーブの知識に詳しくなっていた。彼女は貧しいから書籍を買うお金はない。でも出版された書籍のほとんどは、著しく品性の欠けたものを除きホグワーツの図書室にある。

 アナスタシアが広めたハーブの効能は一部の魔法族の間で──特にマダムたちの間で──根強くブームを巻き起こしている。魔法植物ではないから育てやすいし、魔法薬との親和性が高く、効能や応用も幅広い。

 けれどターニャが詳しいのは、シャルルがハーブに幼少から親しんでいたからだろう。頼んでも誘導してもいないのにシャルルに見せるその献身さはなんとなくハウスエルフに似ている。

 

 シャルルはワンピースの上からローブを羽織り、空の学生カバンを持ち、スリザリン寮を出た。

 休暇中のためすれ違う生徒は私服を着ている子も多く、石造りのホグワーツは普段より色が溢れていて、どこか家庭的な温かさも漂っている。

 迷いのない足取りで中庭を抜け向かったのは薬草学の温室だった。3号室では授業でも取り扱うマンドレイクが育てられている。

 シャルルの目的は2号室だ。鍵が掛かっていたが、アロホモラと唱えると簡単に開いた。まっすぐと部屋を横切り、小さな階段を昇る。

 二階にも様々な植物があって、下よりもさらに陽当たりが良い。窓から射し込む斜陽が直接当たるプランターの前に立つ。

 

 奇妙にぬめりを帯びる不気味な蔓を持つ「悪魔の罠」という植物は、危険はあるが光によって弱まる。今は動きもせず、萎びたように大人しかった。

 なぜこの危険な植物が小さな茂みと呼べるほどたくさん育てられているかは分からないが、シャルルにとっては僥倖だった。生徒が絞め殺される危険は陽射しによって防がれている。魔法薬の貴重な素材になるし、育てるメリットの方を取ったのかもしれない。

 ただ、その防衛策は知識と悪意を持つものを防ぐためのものではなかった。

 

 去年教科書で習ったこの植物に、教科書には載らない使い道があるとシャルルは知っていた。

 

 杖を構える。「ディフィンド」

 悪魔の罠が身動ぎ、一株が群れから切り分けられた。リドルに何度も繰り返された呪文に強弱をつける練習は実を結び、今は大体の呪文で狙った通りの効果を発揮できる。

 放置されている縁の欠けた植木鉢に土を入れ、悪魔の罠の切り枝を植える。シャルルに蔦を伸ばそうとしたが、その攻撃は直射日光であまりにも弱々しい。

 悪魔の罠のプランターは、僅かに切り取られたことを感じさせないほど変わりはなく、切り口もよくよく確かめなければ分からないほど自然だった。

 シャルルは植木鉢をポーチに入れて口をギュッと結び、鞄の中にしまった。

 

 杖も呪文も必要ない、とても簡単な手段だ。

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